嗚呼、僕に寄り添う彼女らはヤンデレ   作:Re:クロバ

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果南ちゃん可愛い





第4話:マーメイドは嗤う

不気味な程に静かな夜が広がっていた。カーテンから顔を覗かせる僕はそう感じる。

 

「冷めちゃうよ?」

 

気遣ってくれた花丸。茶髪を揺らす彼女はまだまだ元気一杯の様子。忠告通りに机に向き直り、箸を持つ。

 

いつもの殺風景の食卓とは違い、豪勢な食事の数々。鼻腔をくすぐる香ばしい唐揚げの匂いにつられ、舌と腹は渇望を抑えきれない。

 

隠し味にかぼすを入れてあるといった曜さん製の唐揚げは後味がさっぱりとして、ご飯が進んだ。

相も変わらず、宿屋の娘である千歌さんの度肝を抜くであろう出来栄え。

 

「ごめん…昼だけでなく夜まで…」

 

「ううん!大丈夫!それに今回はダイヤさんたちも手伝ってくれたしね!」

 

そう言われるも、こちらとしては甘やかされ過ぎて逆に申し訳ない。はぁ…と頭をかきながらも、ついぞ僕の箸は止まることを知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

水の流れる音が聞こえる。現在、台所に立つ僕は隣にいるダイヤさんと共に食器を洗っていた。僕が皿を洗い、ダイヤさんが水気を拭き取る。流れ作業だ。

 

「あ、これお願いします」

 

「了解ですわ」

 

「……あの。手伝ってもらってすみません」

 

「ふふ…いいんですのよ。それに」

 

布巾を置き、こちらに向き直る。

 

「すみません……じゃなくって、ありがとう。と言って欲しいですわ」

 

「っ……!そ、そうですよね。あ、ありがとうございます…」

 

確かに謝罪の言葉を述べてばかりだったと反省。それから、幾度か会話を交わし、作業も終盤。

もう洗う皿も無くなり、彼女と共に食器を拭いている時だった。

 

皿を掴む彼女の繊細な指に着眼した僕は、視線が釘付けとなってしまい、思わず声をかける。

 

「ど、どうしたんですかそれ…?」

 

「え?」

 

「あの……傷が…」

 

「あぁ…これですか。実は、さっきの夕飯の支度の時にやってしまったのですわ」

 

「い、言ってくださいよ。救急箱出しましたのに…」

 

「あら、親切なこと。でも…もう血も止まっていますし、大丈夫です」

 

「で、でもっ」

 

作業する手を止め、リビングを後にした。制止を求める声も聞かず、押し入れから緑の救急箱を取り出す。

仏頂面で再びダイヤさんの前に姿を現し、彼女の右手を優しく取る。

 

「でも……女の人がこうやって傷を露呈させるのは…痛々しいですよ」

 

「哀刀…」

 

「絆創膏…貼りますから。それで隠してください。いくら止血してるといっても…それが傷であることには変わりないんですから」

 

怪我には人一倍敏感な僕はいつもと変わり、若干熱の入った口調で治療を行う。治療といっても、絆創膏を貼るだけだが。

 

ーー多分、兄さんの死因に影響を受けたのかもしれない。

 

そう、心の中で苦笑する。

 

「はい、どうぞ。これで大丈夫です」

 

「あ…その…すみません」

 

「ダイヤさん。ここは…ありがとうじゃないんですか?」

 

「っ……!そ、そうですわね………ふふ…ありがとう、哀刀」

 

「お安い御用で」

 

そう言った時には、拭き取るはずだった食器の水気も綺麗さっぱりと蒸発してしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

夜の清涼な夜気に当てられ、頭上を見上げる。冷たい砂浜に素足で立つ僕は、皆に黙ってこっそりと家の前にある、ここへ訪れていた。

 

漆黒の夜空に散りばめられた幾星。各々が今宵も自身の存在を誇示するかのように、煌々と輝いている。それに向けて僕は手を伸ばす。当然届かない星を掴み取るかのように。

 

数年前からの僕の癖だった。でも、これは天然物ではなく。借り物。そう、死んだ兄の真似事だった。

 

煌めく星々に感嘆し、うっとりとため息が出る。そして、僕はいつも閉眼するのだ。

 

すると、どうだろう。僅かに五感が研ぎ澄まされる。微弱ながらも短時間だけ発達した聴覚に身を委ねる。

 

鈴虫や、地味にヒグラシも鳴いていた。それはそれは切なく、そして綺麗だった。

 

まるで心と体が切り離されたかのように錯覚させる僕特有の浮遊感を味わい、ゆっくりと目を開ける。

 

雲は一切なく、『望月の欠けたることぞ なしと思えば』という藤原道長の有名な一句が鮮明に脳内で反芻(はんすう)する。

 

フッと顔をほころばせてから、砂浜を後にした。

 

 

 

 

もちろん1台も車両が通っていない車道を横断し、一目散に庭へ駆け込む。

そこでわざわざ持参したタオルで砂を払い落とそうという魂胆だ。

 

自慢の庭は、無欲の僕にある唯一の趣味であるガーデニングの餌食となり、屋内よりも華やかだ。

中央には、小洒落(こじゃれ)た白いテーブルとベンチも置き、どこか西洋風の雰囲気を漂わせる。ちなみにこれも僕の趣味。

 

入念に刈り込まれた芝生をしっかりと踏みしめ、ベンチに腰掛ける。涼しい外気を全身で感じながら、足を拭く。カーテン越しに漏れるリビングの照明のお陰で、指先にある砂など細部まで視認できた。

 

ふと、僕は視線を上げる。

 

意外と几帳面な僕はプランターの配置なども計画的に行う。置いた場所はしっかりと記憶しているつもりだ。けれど、眼前には既視感を憶えさせてくれない異物が悠々と天高く突き抜け、鎮座していた。

 

訝しげに目を細め、これまたわざわざ持参したスリッパを履き、ゆっくりと近寄る。

 

一歩、一歩着実に。そうして歩みを進め、とうとう縦長に広がる影に手を伸ばそうとした時、背後から誰かに抱きとめられた。

 

「んぐっ…!?」

 

「はぁ~い、マリーお姉さんの登場よ?」

 

突然の乱入者のせいで、全ての内蔵の活動がショックで止まりそうになった。

 

「ま、鞠莉さん…!?」

 

荒々しく息をつく僕の背中に顔を擦りつける彼女。全くもって訳が分からない。

 

まぁ、それはともかく。

 

今は目の前の異物が先だ。

そう思い、再び手を伸ばそうとするも今度は前方から果南さんが抱きついてきた。

 

「私もいるよ?哀刀」

 

「ぅえっ…!?」

 

街灯がほとんどない内浦だが、その特徴的な囁き声で声の主が分かった。拘束される僕は何故かそのまま屋内からの漏光が届かぬ範囲まで連れて行かれる。

 

「な、なんです?」

 

「あのね?哀刀……ちょっと、話があるんだ?聞いてくれないかな?」

 

有無を言わさず彼女は話し出す。それは、今後の果南さんの進路についてだった。地元に残り、家の店を手伝うか、それとも内浦を出て進学か。この頃の高3にはよくある悩みだ。ちょっと考えるのが遅い気もするが。

 

「えーっと…家の余裕があるのなら…その…やっぱり将来のことを見据えて進学の方が良いかと…」

 

「ほら!私も言った通り!」

 

「鞠莉と同意見かぁ…進学を考えた方が良いよねぇ…」

 

自分では真摯に相談に応えたつもりだ。案外あっさりと話が落ち着いたみたい。けれど、何故こうした状態で対談をするのかは分からない。これでは、まるで僕の逃亡を防いでいるかのようだ。

 

「えと…じゃ、じゃあ…僕はこの辺で……」

 

決して肌寒い夜気のせいだけではない悪寒の訪れに小刻みに震え、その場を後にしようと、ホールドされている腕を解こうとした。

 

それが大きな過ちの要因になるとは知らずに。

 

 

 

「え?逃げるの??」

 

 

 

周囲の空気が激変した。時間という概念が無くなったかのようにも思えてしまう。

目の前に抱きつく果南さんは熊をも射殺すかのような視線を僕を穿(うが)っていた。

 

その威圧感は半端ではない。いや、威圧感というより覇気という方があっているかもしれない。それほどの剣幕だ。

 

しかも、それと同時に先程動かしかけた僕の手腕を女子とは思えない力で握りしめられる。

 

「痛っ……!」

 

「ちょ…!か、果南!?」

 

「嘘だ……また…?これじゃあ……意味無いじゃん……」

 

「やめなって果南!」

 

意味不明な言葉の羅列を繰り広げる果南さんに、それを制止させようとする(何故制止させる?)鞠莉さん。

 

「鞠莉……ごめん。ここから離れて」

 

「ダメってば!」

 

「離れて」

 

「っ……」

 

普段の彼女からは考えられない抑圧力を余すことなく発揮し、彼女の幼なじみを押し黙らせる。目を伏せ、僕の背後からゆっくりと離れる鞠莉さんは何も言わずに、果南さんに目だけで何かを忠告し去った。

 

この殺伐とした空間に取り残された僕は、正直言って嘔吐感に見舞われていた。普段の僕には縁遠いこの雰囲気には耐えられない。

 

それにまだ手腕を握りしめられている。アドレナリンのせいで痛覚が明後日の方向へ行ってしまったが、不親切な痛みは思い出したかのように発生源へと見事に帰還した。

 

「ぅぅぁぁああっ!痛い痛い痛いっっ!!」

 

「静かにしなよ」

 

驚くべきはその冷徹な声音か。目を限界まで見開き、唇を噛み締めて、堪える。

 

「あのさ…?え?何?なんで逃げようとしてんの?」

 

「に、逃げるってわけじゃ……あうっ…!」

 

「ほら、また逃げようとした」

 

それは痛みから逃げようとする生物的な本能だ。仕方がないと言えばそれまでだが。どうもこの場ではそれが通じる気配が皆無だ。

 

「いや……これはっ…!」

 

「御託はいいよ。……私が何言いたいか分かる?」

 

ごめんなさい。正直言って全く分からない。いつもなら生気の宿らぬ黒瞳でそう言い放つだろうが、そんな軽口を叩ける余裕も与えてくれない。

 

時間が経つほど増大する彼女の握力。せき止められている腕の血流は満足に血を運搬してくれず、手先が痺れてきた。これ以上やられるとかなり危険だ。

 

そういう本能的注意喚起に従い、また痛みのせいで正常な判断が出来なかったのもあり、僕は身を本格的によじりだした。

 

「お願いですからっ…!離して!ください!!」

 

 

「逃がさないよ」

 

 

体を押し付けられ、耳元で囁かれる。腕の痛みが無かったらどれだけドキッとするラノベ的展開だったのであろうか。だが生憎と現実はそれとは真逆だ。

 

抗うのは抗うが、完全に戦意喪失しかけていた僕は彼女の突如の足払いに気付かず、背を地面にしたたか打ち付けてしまう。

 

「ごはっ…!?」

 

「落ち着いて」

 

「落ち着い…て……いられませ…んってば」

 

「大丈夫。私がいるから」

 

会話が成立しない。その事実に驚きたいが、まだまだ締め上げられる腕にとうとう限界が来てしまった。

 

目尻に急激に涙が溜まり、こぼれ落ちる。痛みに堪えるために唇を噛み締め過ぎて、おぞましい程に大量出血していた。

 

「も……やめ…」

 

「んー?」

 

「やめ…て……くだ…さ………」

 

「はぁ……」

 

 

 

「興奮する……!!」

 

 

 

恍惚とし、やっと僕の手腕を解き放った手で自らの体を掻き抱く。果南さんのその態度に狂気すら覚えた。

 

すると、勢いよく僕に馬乗りになる果南さん。「うっ……!?」という僕のうめき声も無視し、夕方の善子の時のように互いの顔の距離を縮められた。だが、今回は状況が違いすぎた。

 

照明で照らせば、醜く青ざめ、涙のせいで充血した瞳を持ち、傷ついた唇からとめどなく溢れる血液を(あご)の下に滴らせる僕の醜態が確認できるであろう。

 

 

「その顔っ…!その顔!!その顔が見たかった!!怖気(おぞけ)を走らせるその顔が!痛みに耐えられなくなって胸の内の感情が表に現れたその顔が!!見たくてたまらなかったの!!あぁっ…!無駄じゃなかった…!!!」

 

 

常人の域を超えている。こんな彼女は見たくなかった。それでも眼前で自らの欲望を忠実に受け止める彼女こそ、現在の松浦果南だった。

 

光が無いという点に置いては、僕の瞳とそっくりだが……彼女の瞳に込められている感情は全くの別物だ。

 

僕を見下ろす様は(まさ)しく捕食者。哀れな小鹿はこのように圧倒的力の前に成すすべもなく、喰らわれるのか。

 

「ねぇ…?ねぇねぇねぇ?君の鼓動を聞いていい?当たり前だよね?こんなに君を想ってるんだもん。当然だよね?ねぇ?」

 

懇願しながら、僕の胸に耳を落とす果南さん。善子の時とはまた違った意味で心臓は爆音を奏でているはずだ。

 

「はぁ……生きてる。その証が私の鼓膜を介して頭の中に直接……!!こんなの……私もドキドキしちゃうよ。君の鼓動と全く同じビートを刻ませてもいいかもね?ね?」

 

僕の左胸を愛おしく撫でてから果南さんは、自分の胸を愛撫する。

 

「ほら、私のも確認してよ?ねぇ?お願いだよ……触って……切ないんだ……」

 

急に猫なで声になった彼女は先程、一生使い物にならないかもしれない危険性を(はら)んでいた方の僕の手を取り、左胸に当てる。

 

こんな状況なのに、微量の羞恥を抱いてしまった僕を嘲笑うかのように果南さんは妖しく笑い僕の手の上から自らの乳房を揉みしだいた。

 

「ちょっ…!」

 

「感じるっ……!!君の手が…!触れられなかった手が…!今…私の胸を揉んでるっ……あぁ…幸せだよ?ね?君も嬉しいでしょ?女の子のおっぱい触ってるんだからっ!!」

 

けれどやはり、こんなものに歓喜などといった幸福の感情は微塵も感じれなかった。ただ、ただ怖いだけ。「ぁ…」とかすれた声しか出せない情けない僕はまたもや涙を流す。

 

「ねぇ…?なんで?なんでそんなに嬉しそうじゃないの?もしかしてまだ足りないの?ねぇ?……ふふ、安心してよ。これからが本番なんだか……ーーっ!?」

 

 

 

「はい、果南。ストップ!」

 

 

 

救世主が現れた。淫靡(いんび)な色香を漂わせる果南さんを必死に羽交い締めにして止める鞠莉さん。先程、屋内に戻ったはずだが、どうやら救助に来てくれたらしい。

 

「鞠莉っ…!離してよっ!!」

 

「やめなよ果南!アナタらしくない!」

 

「そんなのどうでもいいでしょ!?目の前に彼がいる!それだけで私はこういう行動を起こせる!!」

 

「だから…!もう……!お願いだから言う事聞いて!!」

 

それからしばらく、鞠莉さんの孤軍奮闘は続いた。加勢しようかと思ったが、本当の意味で尻に敷かれている僕は微動だにできなかった。できることといえば、腰の上で必死に抵抗する果南さんが暴れた際に僕が被る攻撃に耐えるのみだ。

 

そんな中、無限に感じる熾烈(しれつ)な戦いにも、とうとう決着が着いた。最終的には泣き腫らした果南さんがぐったりとした様子で僕の上から引きずり降ろされる。

 

「はぁ…はぁ…はぁ~~……ったく……果南のヤツぅ…」

 

「はぁ…はぁ…ま、鞠莉さん。その…ありがとうございました。あの……本当に…マジで助かりました」

 

「ううん。哀刀が無事なら、オッケーよ」

 

彼女の寛容な心には本心から脱帽する。まだ危機が去ったことを理解出来ていない我が肉体は、恐怖に打ち震えている。ようやく立ち上がる僕の姿はまるで生まれたての子ヤギのようだ。

 

「あの……聞きたいことが…」

 

「それは…中で話さない?」

 

「……はい、分かりました」

 

そう了承し、まだ生きた心地のしない僕は鏡の前に立った時に凄惨な自分の顔を目の当たりにすることを覚悟はしていたが、それをまだ知ることもなく玄関のドアを開けた。

 

その為に伸ばした右腕には青紫になり内出血を起こしてしまっていた、手形が刻印のように刻みつけられていた。

 

 

 

 

 

 

リビングで優雅に談笑するAqoursの皆には気付かれないように、上階に上がり、本来は両親の部屋である所に既に敷かれていた布団に完全に生気の抜けた果南さんを横たわらせる。

 

「果南…さん……」

 

「…ショック?」

 

「まぁ…でも…果南さんとは…その…そこまで面識があるわけじゃあないんで、普段の彼女の様子を知らなかったのもありますし…」

 

「本当はね?こんなヤツじゃないの!本当は優しくって、気が利いて、皆に頼られるような姉御肌で……」

 

「…分かりました。だから、涙拭いてくださいよ」

 

幼なじみについて力説する鞠莉さんの目から大粒の涙が溢れ出ていた。こんな時に失礼だが、長い睫毛(まつげ)にかかる水滴や、ほのかに紅潮した頬などが…彼女の美しさをより引き立てている。そう僕は感じずにはいられない。

 

「鞠莉さんの説明の通り、面識は少ないですが大体こんな人なんだろうなというのは僕も分かっているつもりでした。ですが……さっきの果南さんの様子を見た後では…とても…そう思えなくて……」

 

そんな当の果南さんは虚ろな目で虚空を見つめ、呪文のように口をひっきりなしに動かしていた。

 

「多分、もうそろそろ疲れ果てて寝ると思うから」

 

「そ、そうなんですか…?」

 

「うん。あのね?……果南が、こうやって狂気に陥ってしまう原因は実は私も分からないの」

 

「……」

 

「つい2週間前にこんな感じになっちゃって……このことを知ってるのは私とダイヤだけ」

 

「……心中お察しします」

 

「気遣わなくっていいのよ?普通の時は…今まで通り、普通の果南なんだから…」

 

暗鈍な空気が満ちる。僕はしばらく無言でいた後、一言詫びて部屋を後にした。果南さんも鞠莉さんと一緒にいた方がいいだろう。だが……

 

「あの果南さんの言動の意味がわからない……『また』?『意味がない』?『無駄』?…いや、考えるのはよそう。リビングに行ってくつろいでいれば…さっきの恐怖体験もある程度は(かす)むだろうし」

 

独り言をこぼしながら階下へ向かい、洗面所へ。そして、当然僕は自らの凄惨な姿に無音の悲鳴を上げる。僕は救急箱に詰まっている応急措置の為の道具を余すことなく使うことをこの時、決心したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

唇にガーゼを付けるといった不格好な姿でリビングへ舞い戻った僕に無論驚くAqoursの面々。

 

梨子さんなんかは顔面を蒼白にし、何度も何度も安否を問う。何が原因なのかということも。それらの質問を(かわ)すのには苦労させられた。

一応、間違って噛み切ってしまったという一瞬でバレるであろう嘘でその場を凌いだ僕は皆でテレビゲームをして盛り上がってから、顔を洗い、床についていた。

 

隣に寝るのは勿論の如く、善子。自室で我がベッドに横たわるも、夕方の一件以来、気まずくって仕方がない。というか自分のベッドで女の子と2人で寝るという状況自体が常識離れしすぎて頭がショートしそうだ。

 

「ふふ…眠れない?」

 

「なんで2人で寝る必要があるんだよ……これなら僕がリビングのソファで寝た方が…」

 

「ダ~メ」

 

強制的に顔を見合わせられる。首を方向転換させられた時に首から奇怪な音が聞こえた気がしたが気にしない。首が痛いだなんて気にしない。

 

「アンタは私と一夜を過ごすの」

 

「わー…凄いラノベ的展開」

 

「心が躍るかしら?」

 

「凄い仮面ライダー的セリフ。ていうか、普通に寝かせて」

 

「普通に寝たらいいじゃない」

 

「…………恥ずかしいってば」

 

捨て台詞?を吐いた僕は目をギュッと閉じた。このまま頭の中で羊を数えてみよう。そうすれば眠れなくても、気をはぐらかせることはできるはず。

 

けれど、僕は普通の人とは違うのかもしれない。羊を数えるという眠気を覚ますテンプレ方法でも寝てしまったのだ。しかも、まだ1ダース分の羊の群れが出来上がった程度で。

 

当然、あっという間に夢の世界へと旅立った哀刀の睡眠力に愕然(がくぜん)とした善子。これから「眠れないね?」「そうだね」的な会話を楽しもうとしていた矢先にこれだ。善子からしてはたまったもんじゃあない。

 

「ったく……」

 

とは思うものの、眼前で気持ちよさそうに快眠している彼を見ると不思議と憤りは発生しなかった。逆に慈しむように彼の頭を撫でる。

 

「おやすみ、哀刀。愛してるからね」

 

そのまま前髪をかきあげ、額にキス。勝手に独りで恥ずかしくなってしまった善子は彼の胸に顔を埋め、目を固く閉ざす。

 

そうしてこの平穏な町での1日は終わった。平穏な町での1日は終わった。

 

 

 

ーー平穏な町での1日は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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