夢の中での遊戯を終え、起床。外ではもう小鳥が朝を告げていた。しかし、目を開けるも身動きができない。理由は単純かつ明快。
隣に寝ている善子に抱きしめられているからだ。
起きて早々に赤面した僕は「ひっ…!」と情けない声を出してから、どうにかして抜け出そうとする。
奮闘すること、数分。むにゃむにゃと寝言を言っている彼女を起こしてしまわないように、そっと自室を後にする。
そして、欠伸を噛み殺しながら階下へ足を運んだ。リビングの戸を開けると既に千歌さんがテレビを点け、その液晶画面に集中していた。
「おはよう、千歌さん」
「ん?あ、おはよう。哀くん!」
「朝早いんだ」
「まぁ~…ウチ旅館だからね。いっつも早めに起こされるんだ」
それ旅館関係ある?とツッコミたくなるも、言葉は出さずに台所に直行。冷蔵庫を開けてみる。やはり昨日の夕飯にかなりの食材を費やしたせいで、ほぼ空っぽだった。
「うわぁ…朝ごはんどうしよ…」
「え?どうしたの?」
「冷蔵庫の食べ物が無くって」
「うわぁ…じゃあ、どうする?」
「うーん……」
「あ、それか私の家で朝ごはん用意してもらう?」
「それは……迷惑な気が」
「大丈夫だって!」
そう言って力こぶを作る動作をする千歌さん。はぁ、と嘆息し彼女の隣に腰掛ける。
「あっ…」
「え。テレビ見るだけだけど」
「そ、そうだよねっ!」
挙動不審のようにあたふたしだす千歌さん。昨日が壮絶過ぎたせいか、そんな彼女の様子にふっと笑みがこぼれた。
「あっ、哀くん笑った!」
「っ……まぁ…いいか」
何故だか理由は分からないが、胸中には安堵が浮かんでおり、ソファに深く沈みこんだ。そのまま怠惰に時間を潰していると、不意に隣に影がかかる。もちろん千歌さん。
僕の隣に密着するように座り直した千歌さんは、僕の幅狭の肩に頭を乗せた。
「えっ…!?な、何…して…るの…?」
「哀くんエネルギー補充ぅ~」
「え…?」
そういえば彼女たちは毎朝僕に会ってほんの少量の会話を交わすことが日課であった。その時に僕から受諾出来るのが、『哀くんエネルギー』というヤツらしい。うん、小っ恥ずかしい。
普段なら顔を合わせて対話をするだけなのだが、今朝は違った。腕に手を回し、頭を肩に乗せ……これではまるでカップルのようではないか。
「あの…こ、困る…よ…」
「私は困らないよ?」
「いや…そういうことじゃなくって…」
この人といたら自分のリズムが崩れる。けれど、彼女を振りほどこうという気は起きなかった。幼なじみである彼女がこういった場合には決して離れてくれない…何を言っても聞きつけてくれないだろうということを知っているからだ。
時計の秒針は幾度も周回し、朝日も登ってきた。すると、上階が少し騒がしくなり、他のAqoursの面々の起床を忠実に告げてくれる。
「皆、起きたね」
「むぅ……せっかく哀くんと2人っきりだったってのに……」
「え?なんて?」
「べ、別にっ!?」
変な千歌さん。決して顔には表さず、心の中で苦笑し、再びテレビを視聴する。すると、朝のワイドショーはたまたま大阪の特集を行っていた。
「大阪かぁ……そういえば、小さい頃に1回しか行ったことないな」
「そうなの?……うーん…あっ!」
「うわっ。何?」
「じゃあ今日さ!皆で大阪に行かない!?日曜日だしっ」
「あのさ千歌さん…台風の影響もあるし…」
「それなら心配いらないよ」
まるで僕のその言葉を予期していたかのように、リビングに入室すると共に梨子さんが口を開く。
「あ、おはようございます」
「おはよう、哀くん。それでね?これなんだけど…」
梨子さんは自らのスマホを僕に差し出す。手に取って画面を確認すると、それは気象庁のホームページ。
「あ、台風…温暖低気圧に変わったんですか」
「そう。でね?実は昨日の報道に誤りがあったらしく…『台風が東海地方を通過する』ってのは誤報で、本来は『太平洋沖を通過する』だったの」
「じゃあ、昨日1日中の嘘のような快晴は…」
「うん。あれが本当の内浦の天気」
「そんな…」
それが分かっていれば、洗濯物を干したかったのに。と、心底悔やむ僕。けれど、台風が太平洋沖を通過したとしてもある程度は降雨があるのでは?と疑問。
「だからね!大阪には無事に行けそうだよ、哀くん!」
弾むように言う梨子さんに、便乗する千歌さん。2人の気力には朝からついていけず、額に手を当てて渋々了承する。短い付き合いだが、こういう時の梨子さんは話を聞いてくれないということはもう理解していた。それでも、千歌さんより融通は効くが。
「じゃあ…皆でおでかけするんだね?」
「「うんっ!」」
意気揚々とする彼女らに気圧され、逃げるように洗面所に行き、身だしなみを整えることにした。
それからしばらくした後。
大阪へ遊びに行くという事情は驚くべき速さで伝播。そして何より驚き、恐ろしかったのが果南さん。昨夜のあの一件が嘘のように思える程の会心の笑みを繰り出している。
鞠莉さんと目配せして、僕は何事も無かったかのように挨拶だけを済ませて、そそくさと自室へ服を出しに戻った。
朝ごはんは道中のコンビニか何かで調達してから関西へ向かうという話になっていたので、歯磨きなどを済ませた僕は着替えるだけだった。
自室の入口のドアを開けると、まず目に入ってきたのは陽光。カーテン越しに漏れる光が部屋を余すことなく照らし、今日の天気の良さを供述する。
そして、タンスの前へ移動しようとするも、そのタンスの対面側に位置する寝台に大の字に寝る善子が目に入った。
「……なんて品のない…」
涎を垂らして寝る彼女にそう言わざるを得なかった。近づいて寝顔を確認。なんともだらしのない寝顔。けれど、やはり長い睫毛やふっくらとした唇は彼女が美人であることを如実に表している。
「はぁ……ねぇ、善子。起きなよ。皆で遊びに行くんだよ?」
「…むにゃむにゃ」
むにゃむにゃ、じゃねぇよ。ガクッと肩を落とす僕は彼女を起こすことを諦め(梨子さんにでも頼もう)、方向転換。タンスから衣類を出そうとしていた時。彼女の不明瞭な寝言がはっきりと聞き取れた。
「お、お姫…様は…その…王子様にキスされないと……お、起きないんだ、だぞ~…」
「いや、起きてるじゃん」
「起きてないわよっ!」
「起きてるじゃん。バッチリと」
嘆息し、無視を決め込むことを決意。
「ちょ、ちょっと~!このままじゃあ大阪にも行けないわよ!?」
「どこに行くかもはっきりと分かってるじゃん……」
ジト目をして僕は洋服を漁りながら、善子を無視できていないことに気付き、我が決意の硬度の低さに呆れる。
「てかさ、遊びに行くって…言うけどさ、皆制服着てるんだよ」
「え?なんで?」
「いや…だって善子たちは家に帰ってないから、着替えがないじゃん」
「あ~…そうだったわね。…アンタの服を借りてあげてもいいのよ?」
「却下」
バッサリと日本刀のような勢いで彼女の要望を断ち切る。眉間にシワを寄せ、抗議の姿勢の善子はさておき今度こそ本当に私服を決め始めた。
ラフな格好に着替えた僕は、既に外に出ていた皆にようやく追いついた。家の鍵を閉めて、向き直る。
「準備できました」
「よし!行こう!」
こうして日帰り大阪観光が決行された。
何本か電車を乗り継ぎ、現在やっと新幹線に乗れた頃。隣に座る善子、対面側に座るルビィ、花丸と共に現在はババ抜きに勤しんでいた。ちなみに、善子は超がつくほど弱い。
感情が表に出やすい彼女がババ抜きで優勝する確率はゼロに等しいだろう。丁度、僕の手持ちのジョーカーを引いて絶望している善子を見て、そう思う。
今回のババ抜きでも1位は花丸、最下位は善子と言った順位で段々とテンプレ化してきた。花丸、強し。
最下位の善子が唸りながらも本日8回目のシャッフルをしている横で僕は窓の外を見る。
見慣れた海は消え去り、今見えるのは田地。老後にはこんな大自然に暮らすのもいいかもしれないと考える。
「さぁっ!今度こそ私が勝つわよ!?」
という善子の敗北宣言を耳にして、意識は車内に戻る。さて、試合開始だ。
「「「大阪ーーっ!!」」」
恥ずかしいから心底やめて欲しいのだが、我慢する。新大阪駅から普通電車に乗り換え、難波駅に着いた僕たちはその人の多さに驚愕する。
「えと…な、なんだこれ?なんばうぉーく?なんばぱーくす?」
聞きなれない単語に、手にしたパンフレットを潰してしまいそうになる。
「わ、訳がわからない…」
早速慣れない土地に頭が痛くなる、僕。けれど、まぁとりあえず……
「移動しましょうか?」
困惑しっぱなしでは何も始まらないので、右も左も分からぬ状態だが足を動かすことにした。
しかし、慣れない土地ほど怖くて……楽しいものは他にはない。少年心に冒険心を見出し、商店街を周囲の人混みに紛れながら進む。
「うわぁ~…人、多いね~」
素直な感想が口から漏れ出している曜さん。まったく同意見であった。この光景の理由が『週末だから』という理由で片付けて欲しいほどの人口密度の高さ。
息苦しくなりながらも(単純に商店街が臭かったりもするが)、どんどんと道筋に従って歩く。
「あっ!ねぇねぇ!ここって!」
無数の人間の長蛇の列を突破し、少し空けた場所……橋に到着すると、何かに感づいたかのように千歌さんが僕の背後を指さす。
訝しげに振り向いてみると、なるほど。周囲の人たちが立ち止まって写真を撮っていた理由が判明した。
「グリコの看板だ……大きい…」
普段はテレビの画面の前でしか目にかかれない、あの独特なポーズをしたグリコの巨大看板を前にして僕は打ち震える。
ここでやっと大阪に来たのだと実感が湧いてきたのだ。
ちなみにもちろん皆で写真を撮った。10人という大人数でグリコポーズをしたので、他の人に迷惑になったが。
他にも楽しそうな場所はたくさんあった。かに道楽やづぼらや…更には笑いの提供元である難波グランド花月までも拝見できた。
更に面白いのは周囲の人たち。標準語で喋る僕にとっては、日常会話が漫才のような関西弁を使っている周りの大阪人の喋り方に興味深々だった。
また、道中、たこ焼きやらイカ焼きやらを花丸がどんどんと購入するので結局昼ごはんを食べれなくなってしまったりする事態も発生。流石は食い倒れの街、なんとも恐ろしく魅力的なのだろうか。
しかし、楽しい時間というものはイタズラで、あっという間に時は過ぎ去る。伝統的な百貨店の髙島屋で買い物をしている時に僕はそう思った。
「さ、じゃあ帰ろっか?」
満足した様子で梨子さんが皆に言う。僕も大阪土産などを沢山買うことが出来たので、大満足だった。でも、流石に物足りない。
「じゃ、じゃあさ!今度来た時はUSJに行こうよ!」
そんな満足な気分とは裏腹に、残念な表情をしている僕を見かねてか、ルビィが元気よく声をかけてくれた。
「そう…だね。うん、そうしよっか」
顔は全く笑っていないものの、わずかに抑揚の着いた声で返答する。
まだまだこの賑やかな街は名残惜しいが……やはり僕らが住むのは海の町…沼津の内浦だ。慣れない排気ガスの臭いではなく、身にしみた潮の香りを味わうためにもいざ帰ろう。
手に持っている買い物袋を揺すってから、足を前へ踏み出した。
もう既にAqoursの面々は先に進んでいっている。早く追いつかないと間に合わなさそうだ。
「あれっ?おぉ!久しぶり!」
そう声をかけられるのは全く予想していなかったことだった。
ゆっくりと声源の方へ振り向く、するとそこには額にサングラスを上げて、トウモロコシのように染めあがった金髪を夕日に照り返している男が立っていた。
「…へ?」
「なぁに、間抜けた顔してんだよっ。元気してたか?」
全く身に覚えが無い人だ。初対面の割に親しく、壁を作らず気さくに話しかけてくるこの人に、これが大阪で問題になっている道中勧誘なのか?と身構える。
「いや…何、緊張してんだよ。まぁ…俺も昔とはかなりイメチェンしたしな。それは仕方ないか」
この男性の言動の一つ一つが意味不明だ。僕より少し背の高いこの人は更に詰め寄る。
「なぁ。再開の
ニカッと白い歯を見せて笑う彼をどうも憎めない。だが、それとこれとは話は別だ。
「いや…その……僕帰らないきゃいけないから…」
「ん?もしかして沼津に?」
「え!?…あ…えと……」
「何をテンパってんだよ、お前。小さい頃近所どうしだったろ?よく海で遊んだよな!」
妄言だ。流石にそう思った。後ずさりしながら、僕は足早にその場を立ち去ろうとした。けれども、追いつかれる。
「ちょ、ま、待てって!本当にどうしたんだよお前!?」
「あ、あのっ!お願いですから離してくださいっ!多分、人違いじゃないんですか!?」
「いやいやっ!人違いな訳ねぇって!あ、そうだ。お前、左の太ももに古傷あんだろ?」
「っ……」
うんざりしながら、言われるままズボンをたくしあげる。もちろんそんなものは無く、徐々に濃くなりだしていた足の毛が露呈しただけだった。
「あ、あれ?おっかしいな…ウチのジャックが噛んだせいで生じた傷があるはずだけど……あ、ちなみにジャックってのは俺ん家のわんこな」
見ず知らずの人のそんな詳細なことまで普通の人は知りたいとは思わないが、僕にとっては違った。
「ジャッ……ク。って、チワワの?」
「え?おう」
「ってことは……まさか…
「君付けなのが気持ち悪ィけど…おう、そうだぜ」
「へぇ~…なんか…すんごい感じ変わったね」
「おーい、ブーメラン刺さってんぞ~。なんてな」
未開の地で思わぬ旧友との再開。これ以上心躍る展開はあるのだろうか。彼の金髪を触りながらそう感じずにはいられない。
「ちょっ、やめろって~」
「あはは」
自然と笑みが零れた。最近ようやく微笑む程度は出来ようになったと思っていたが、なんだ。
もう普通に笑えるではないか。
「んで?帰るんだろ?」
「せ、せっかくの再開なのに…」
「ったく…ほら。お前、俺のメアド知ってたろ?いつでも話せるじゃん?」
「え?持ってないけど?」
「まさかお前…機種変した?」
「あ~、まぁね」
「なるほど。それじゃあ、この際だ。もう1度交換ってことで」
これで彼との繋がりが生じた。もう話せないのでは、という瞬時の不安は綺麗に丁寧に払拭された。
「よしっ、登録かんりょー……ん?お前なんかおかしくね?」
「え、どれ?」
「いや、これだよ。『
「え?それって兄さんの名前だけど?」
「ん?え?」
「いや…僕、弟の。アイトだよ」
「あいと……?弟?いや……」
「カナトは一人っ子だぞ?」
世の中は暴力に溢れている。
力が全てを占めるこの世界においてはそれが当然かもしれない。暴力、実力行使という手段があらゆるものの頂点に君臨する世の中だからこそ、戦争、紛争は絶えないのだ。
そしてその力には種類がある。
実力行使の為の単純な暴力、武力。富と名声の経済力、権力。
けれど僕はこの世でもっとも残酷で深刻なダメージを与えるのは言葉の力だと思う。
だって…こんなにも……簡単に。
人を傷つけることが出来るのだから。