第1話:朝日射すこの街で
紅緋が新緑に移り変わるは秋。きっと和菓子屋では店頭に月見団子が陳列されているに違いない。
丁度、東京駅から出てきた俺はそう思った。
田舎から出たかったということもあり、俺は昨年、東京の高校に入学。そこまで頭は良くないので自慢できる程度の所には通ってはいないが、実は満足している。
登校時間が莫大ということを除けば、海しかないような地元の内浦に比べ、探せば何でも見つかる首都は最高以外の評価を付けることができない。朝日が射す中、今日も上機嫌に足を前へ出す。
周りには通勤する会社員や、俺のように地方から登校して来ている学生。鼻歌混じりに、目まぐるしい交通量の車道にかかる横断歩道の前で信号待ち。
すると、後ろから足音。これほどまでの喧騒に負けじと声を張られる。
「おはよう、
よって、俺の鼓膜が張り裂けそうになったことは想像にかたくない。
「っ……!?あ、朝から止めろや、凛!」
「えっへへへ」
橙色の短髪に、健康的な快活オーラを放つ彼女こそが星空 凛。
そして、今、名を呼ばれたのがこの俺、晴宮 哀刀。
「ん?いつも一緒の花陽たちは?」
「かよちんはまだ寝てるらしいにゃ」
「意外と朝弱ェンだな。そういうのはてっきりお前の方かと」
「結構ヒドい!?」
ガクリと崩れ落ちる猫娘はさておき、グリーンに点灯した信号機を視認し、渡る。
「ちょ、ちょっとーっ!」
「はぁ……てかよ。俺ら、そんな親しかったっけ?確かに俺は穂乃果ん家で唯一のバイトだけど…そんなに接点無ェじゃんよ」
「だからこそ、こうして一緒に登校して親睦を深めようと!」
「店で会うだけで充分だっての」
というか俺と親交を深めて、何か得することでもあんのか?と、聞きたくなる。
歩みを重ねていくと、大通りから離れて、少しばかり静かな所に出た。そろそろ俺の高校が見えてくるはずだ。
「んじゃ、そろそろこの辺で、また」
追随してくる彼女に振り返り、別れの挨拶を述べる。目の前に校門が迫ってきたので、片手を挙げて、校内に消えようとしたが、挙手した手腕を背後から掴まれた。
「な、何?」
「ねぇ?一応、確認なんだけど…哀刀くんって好きな人はいるの?」
「なんだよ、それ。んなの、いないよ」
「ほ、ホント!?」
「ちょっ…!?本当だから、腕を振るなっ!!もげるっつーの!!」
関節が断末魔を上げ、神経を通じて骨が軋む音を幻聴させた。誰が来ても一目瞭然な喜色を顔中に咲かせる、凛。
いつもの猫語も忘れ、ただただ歓喜。そんな可憐な少女に周囲の同校の生徒は興味津々な視線を向ける。──クラスメイトには怨嗟を込められた。
今更ながらに羞恥に包まれ、頬を紅潮させながら、現在絶賛シェイク中の我が腕を彼女の乱暴な拘束から解き放つ。
「はぁ……はぁ……──じゃ、じゃあな」
「行ってらっしゃい!」と可愛らしい声。これ以上周囲の男子のヘイトを貯めるようなことをしないでいただきたい。そう切実に思う。
大きなため息をついて、視線を持ち上げる。先程より、上昇している朝日を睨んでから、俺は今日も学校生活に臨んだのだ。
──放課後。
明らかに明瞭な原因により、身体中に青あざを作りまくった俺は傾く夕日を一身に浴び、帰路に着こうとしていた。周りで中指を立てながら通りすぎていくクラスメイトに暴言を吐いてから、勢いよく足を前に踏み出す。
歩道には学生がわんさかと湧き、取るに足らない会話を交わしている。
なんてしょうもない話をしているのだ…と、呆れたくもなるが、俺もよくそういう系統の話をするので口出しできない。
空想に耽りながら、ぼんやりとしていると周囲に人影。
「晴宮くん!一緒に帰ろー!」
「え、あの…その……」
「いいじゃん!ほら、早く!」
「ちょっと!私の晴宮くんよ!?」「私のよ!」
はっきりと明言しよう。俺はモテる。
ボッコボコに殴ってくれていい。なんなら二度と口が開かないくらいにしてくれてもいい。けれど、言わせてくれ。俺はモテる。
だからこそ男子からは嫌われてはいないものの、憎まれている。
何度も何度も声をかけてくる女子たちにアタフタしていると、大通りに出た。
シめた!と思い、その場を駆け出す。
「ゴメーン!また、今度にでも!!」
「え~!?」といった抗議の声が上がるが、柄にもなく女子に対して頑是ない俺は、彼女らから距離を離すよう疾駆。
逃避している内に、ある高校が眼前に広がる。音乃木坂だ。
荒々しく気炎を吐き、息を整える。乱れた髪を整え、周りを歩く女子高生の流れに逆らい、学内を覗く。
やはり、驚くべきはその膨大な敷地か。広大なグラウンドや別棟で部活に励む女子たちを見ている俺は、場所取りに困らないんだろうなと、羨望。
勝手な一瞬の見学を終え、場違い過ぎる俺はその場を退散しようと踵を返したのだが、流麗な声に呼び止められた。
「哀刀ではありませんか、こんな所で何をしているのです?」
深海を想起させる長髪に、琥珀色の
「あ、あぁ。海未、お前か」
「はい。で、何を?」
「見学」
「は、はぁ…」
正直に答えたというのに、困り顔をされた。
少しズレたカバンを掛け直したところで、彼女が制服でなく、これからスポーツをするかのようなラフな格好をしていることを視認。
「ん?練習?」
「あ、そうです。哀刀も一緒にどうですか?」
「俺が?ねーよ。そもそも、俺は帰宅部だから体力付ける必要はないし。てか、他校の帰宅部を練習に誘うってのもどうかと思うし」
「まぁ、それについてはどうでもいいとして──「おいコラ」──ないよりマシですよ?体力」
「…まぁ、それはそうだけど」
「ということで、どうですか?」
「正直、他校の部活動に参加するってんのがイマイチ訳分かんないけど…じゃあ、お願いします」
「よろこんで!」
先程、女子には頑是ないと言ったが、海未たちは別だ。なんというか、上手く言い表せないのだが、とにかく喋りやすい。
温風に髪をなびかせ、俺は海未と共に皆を待つ。一緒に運動するといっても、他校の敷地内に入ってしまうほど馬鹿ではない。
他愛のない話を指で数える程度交わし、前方を見据えた時、横から海未の声。
「哀刀」
「ん?」
「臭いです」
吹き出してしまった。慌てて彼女から距離を取り、自分の襟袖を嗅ぐ。確かに人一倍汗はかくが、そんなに強烈だったのか。今度から気をつけなくては。
「ご、ごめん」
「いえいえ、別に仕方の無いことですし」
澄ました顔で言われるこちらの身にもなってほしい。女子に言われたくないことベスト3を言われた俺は、心の中で膝を地に着け、絶望する。
途端に流れ出した気不味い空気に、愛想笑いを貼り付け、胸中で「早く来てくれ、皆」と叫喚する。
それが通じたのかは分からないが、可愛らしい声で交わされる会話の応酬が背後に迫る。
パッと振り返ると、そこには輝かしい笑顔の少女たち。その中の猫娘が俺の存在を視認した途端、全力疾走した。
そのまま飛びついて来そうなほどの爆走力だったので──実際に飛びついて来た──喜色を浮かべつつトップスピードである彼女の猪突を地面すれすれのイナバウアーで
柔軟には自信が皆無なので、腰辺りがバキバキと奇怪な音を立て、激痛が走ったが、寸前まで死ぬところだったことを考えると、この心臓の
まるでギャグ漫画のように目を見開き、はぁはぁと息を荒立てながら、凛に一喝。
「危ねェんだよ!!殺す気か!?」
「抱きつこうと思って!」
「限度があるわ!しかも、抱きつこうとするな!!」
見た目通り積極的な元気ハツラツ少女の考えてることはよく分からない。
「あれっ?哀刀くん、どうしたの?」
「あ、穂乃果。いや実は────
しっかりと閉まった靴紐を揺らし、落ち着いたペースで足を交互に前へと出す。
中学の頃にしていたバスケのように無酸素運動ではないので、早々に息が上がるということはない。だが、長距離走は不慣れなので、逆にヘビィかもしれない。
一年以上のブランクがあるものの、周囲の女子たちを追い抜き、運動神経お化けの猫娘の後ろにくっつく。ってか、アイツ速すぎる。
──けれど、こうやって付いていけるのも今のうちかもなっ……!
そんなことを思う哀刀の幾人分か後ろでは、落ち着き一糸も息を乱れさせぬ海未が独りごちる。
「本当に臭いですね。哀刀──
「──貴方にまとわりつく雌豚らしき匂いが」
走り終え、玉のような汗を吹き出す俺は、タオルでそれらを拭っていた。
粘つく唾液を道端にペッと吐き、絢瀬先輩から叱責を受ける。俺はそれについて謝罪。
すっかりと薄暗くなっているこの街はもう夜のネオン街へと変貌を遂げ始めている。
「今日は突然参加させていただきありがとうございますっ!」
腰を折り、感謝を告げる。とは言っても勧誘されたのはこちらだが。
「いやいや」
条件反射のように手を振る、穂乃果。一度、部室に戻った彼女らは制服に身を包んでいた。
運動後で、少し上気した彼女らは汗のせいかは分からないが、いつもより色香が増した気がした。
良くないなと思いつつそれを見てしまう俺も、やはり高校男子。
けれど、見過ぎは禁物だ。そろそろおいとまするとしようか。
「んじゃあ、俺はこの辺で。穂乃果、また明日店で」
「あ、そっか。今日は哀刀くん定休日なんだ」
「おう」
「そっか……なんだか、残念だなー…」
「な、なんでだよ。明日放課後会えんじゃん」
「私たちはクラブ終わってからだけどね!」
「いつもそうだから、分かってるってば……じゃ、じゃあ。今度こそバイバイ」
「そうだね!私たちも解散しよっか。それじゃあ、また明日ねー!」
手を大きく挙げて左右に振る穂乃果に呼応するかのように、皆は自然と手を振り返す。これが彼女の持つ求心力が成せる技なのだろうか。ま、今から長時間かけて帰宅する俺にとっては取るに足らないことだが。
巨大な欠伸をして、背筋を伸ばしたつもりで俺は
「海未?」
「はい」
「な、何?俺になんか用?」
「いえ、大したことではないのですが、少し聞きたいことがありまして」
「俺に?まぁ、答えられる
「分かりました。では率直に聞きます。貴方は好きな人がいますか?」
「それ凛にも聞かれたな……いや、いないよ」
「なるほど…では、何故女の香りがするのですか?」
「え、俺から?」
「無論です」
「それ…多分アレだと思う。いや俺さ、いつも帰る時に女子によく絡まれるんだよな。そん時に匂いが移った?って感じかな」
「へぇ……なるほど」
「おい。んなの聞いて何する気なんだよ」
「いえ、特に何も」
「……そうか。それじゃあな」
「はい」
小さく可愛らしく手を振る海未に微笑みかけ、帰路に着く。
妖しげに双眸を光らせる彼女についぞ気付くことなく。