その①
練習試合終了後の大洗戦車道履修生たちは、まさしくお祭り騒ぎであった。無理もないことである。戦車道を始めて一週間も経っていない自分たちが、大会において準優勝を勝ち取るほどの強豪校に勝ったのだ。夢のような、奇跡のような出来事である。
抑え切れようのない喜びが身体の中を駆け巡り、感情の赴くままに突き動かすのであった。学園艦の停泊する大洗町の船着き場で、牽引される戦車たちを見ながらの大騒ぎだ。抱き合い、手を叩き合い、踊り狂う。見ようによって見苦しくあるが、正しく勝者の姿であった。
「勝ちましたね、西住殿!」
優花里が満面の笑みを浮かべてみほの下へと駆け寄った。後ろには沙織たち残りのⅣ号戦車の面子も集まっている。みな、例外なく嬉しそうであった。
みほも無口ではあるが白頭巾の下でニコリとしている。
「まさか、勝てるとは思っていなかった」
面に感情を見せることが少ない麻子も、今回の勝利には驚きを隠せないでいる。自分で吐いた言葉も信じられないというような面持ちだ。
さもあろう、普通であればあり得ないことだ。
「私は勝てると思っていました。だって、みほさんがいらっしゃるんですもの。勝てたのもみほさんのお陰です」
「そうだよ! 無敗の軍神だっけ? そんなみほが一緒なんだから負けるわけないじゃん!」
華と沙織が言った。特に沙織などは、試合が始まる前の自分の緊張ぶりを忘れているかのようであった。
聞いて、まあ、そうだなとみほは思った。自賛するわけでもなく、いや紛れもない自賛であるが自分がいなければどうしようもなかったであろう。初心者の集団でありながら勝利の栄光を掴むことができたのは、ひとえにこの西住みほの力に他ならない。
だが、お世辞でもなくみなの力のお陰でもあろう。誰か一人でも欠けていれば勝つことは無理だった。断言という形でみほは言える。
また、運も味方に付けることができた。これも勝利には欠かせないモノであった。
そんなことを思いながら喜びを分かち合う沙織たちを見ていると、背後より気配を感じた。
「みほさん」
振り向けばそこに立っていたのはダージリンであった。何の用があるのだろうか。初心者の集団に負けたのが納得いかない。そんな様子ではなかったし、彼女がその程度の器でないことは分かっている。何より雰囲気からそうでないことぐらい読める。
「これを」
ダージリンは一言だけ添えると、後方に控えているオレンジペコに、持たせていた洒落た籠をみほの前に出した。どうやら受け取ってほしいようである。
無言で受け取ると、籠の中身は紅茶の缶だった。
聖グロリアーナ女学院は好敵手と定めた相手に紅茶を贈るという。ならばこれもその一環なのだろうが、しかしどことなく違う気がした。
どのような意図があるのか。
ダージリンは何も語らない。
ならばとみほはダージリンの瞳を見た。目は口程に物を言うと伝えられる。そしてダージリンの水晶のごとく澄んだ瞳はこう語っていた。
「貴女に惚れました」
と。
みほは瞠目した。
それは、恋心的惚れた腫れたの感情ではなく、男惚れもとい女惚れとでも称すべきモノなのかもしれない。みほは男との愛欲の経験はない。勿論だが女との経験もない。知識として知っているが実際にどんなものなのかは知らない。けれどもダージリンの自分に惚れたという感情が、恋や愛の類じゃないことは彼女の瞳が教えてくれた。
みほは嬉しくなった。彼女とて同じ気持ちだったからだ。
出会って直ぐに、彼女の清廉な瞳や所作に惹かれていた。そこに小賢しい理屈はなかった。練習試合の中で、彼女は自分を曲げずに戦い抜いた。正々堂々と優雅に、勝ちにこだわりもせず自分を貫き通したのだ。これはそうそうできることではない。何よりまだ二十歳にも
なっていない、自分より一歳、二歳程度上の少女がやったのである。
だからそんなダージリンと、相思相愛だということに嬉しくなったのだ。猛然と胸に込み上げて来るものがある。当然だが、彼女を鼠だと侮る気持ちなどは完全にどこかへと消えてしまっていた。
「最後、私に付き合っていただきありがとう」
最後とは、Ⅳ号戦車とチャーチルの一騎打ちのこと。恐らく、ダージリンはそのことを言っているのであろう。みほはそれに対する返答をせず、
「いつかまた、私の琵琶を聴いて下さい」
こう言ったのである。
ダージリンもまた返さずに笑みを浮かべると、背を向けて去って行く。
その後姿を、満ち足りた気持ちで見送った。
「なになに? どうしたの?」
ダージリンの姿が見えなくなると、すかさず沙織がみほに話し掛けた。他の三名もみほの周りに集まった。ダージリンがいる間は、騒ぐどころか話し掛けるのも拙いと思って、そっとみほの傍を離れて黙って終わるのを待っていたのである。なので、みほと彼女に何があったのかは分からないが、取りあえず良いことがあったのだけは分かった。
「これは何でしょうか?」
興味を抱いたのか、華がみほの後ろから籠の中を覗き込む。見習って、華以外の一同もそれぞれ覗き込んだ。
「紅茶、だな」
「凄いです! 聖グロリアーナから紅茶を貰ったってことは、好敵手として認められたってことですよ! 流石西住殿ッ!!」
興奮気味に両手を広げる優花里に、みほは首を横に振った。
「えっ? 違う?」
今度は首を縦に振ると、ぼそりと言った。
「友だよ」
好敵手などではない。彼女は、ダージリンは、黒森峰のエリカたちとも沙織たちとも違う、まったく新しい友であった。
楽しみであった。
第63回戦車道全国高校生大会がである。
みほは少し前まで高校戦車道に人なしと思っていた。大洗女子学園を救い、自分の武名を広める障害となるのは姉のまほだけである。彼女以外は鎧袖一触の下に蹴散らせるだろうと。
しかし、その認識は先日に行われた聖グロリアーナ女学院との練習試合で覆された。聖グロリアーナの隊長ダージリンはみほが惚れるような人物であったのだ。彼女の中の騎士道は見事なモノだった。
ならば他の高校はどうだろう。自分が知らない、あるいは眼中になかっただけでダージリンのような素晴らしい人物がいるのではないか。そんな人物と会えるのなら、大会にも楽しみができるというものだ。みほはそう考えたのだった。
彼女の姿は今、生徒会及び沙織たちⅣ号戦車乗員と一緒にさいたまスーパーアリーナにある。今日は大会の抽選会があった。日本戦車道連盟が取り仕切る、この抽選会をもって対戦相手が決まるとあって、数百人ほどが会場のあちらこちらで気を張っている。その中の一角でわあっと声があがった。彼女たちの隊長がくじを引いたところであった。
「次、私たちだよね」
杏が言ったと同時に、
『次は大洗女子学園!』
マイクで増幅された声が会場中に響いた。
「行ってらっしゃい、西住ちゃん」
「ええ」
みほがステージへと向かう。
会場では聞き慣れない学校名に疑問が噴き上がるが、ステージに上がったみほの姿を見ると押し黙ってしまった。白絹の頭巾で頭と顔を覆い、羽織っている陣羽織の背に『毘』の一文字を縫っている、そんな恰好をした人間は戦車道界に一人しかいない。黒森峰から姿を消したことは知っているが、どうして無名校にいるのであろうか。会場内にあった無名校であるという大洗女子学園への侮りはなくなっていた。
その会場内の空気を感じ取りながら、みほはステージから周りを見渡した。それなりの人物はいそうだが、ダージリンのように惹かれる感覚はない。これだけで決めるわけにもいかないが少し残念に思った。視界の端から見渡していると、そのダージリンと目が合った。彼女はみほと目が合うと軽く手を振って応える。みほは笑みで答えた。
さらに視線をずらして行けば、黒のパンツァージャケットに身を包み込んだ一団がある。みほはその一団には目もくれずに、他を観察していった。一通りが終わると、歩みを進めて進行係の前に立ち、くじが入った箱の中に腕を突っ込んだ。
『8番、大洗女子学園』
でかでかとボードに貼り付けられたトーナメント表の『8』の空欄部分が埋められた。
瞬間、
「イエーイ!!」
と腕を振り上げた金髪の少女がいた。
気持ちの良い笑顔であった。同じ枯草色をした服の少女達が険しい表情をしている中で、一人だけ大喜びしている。この対戦は面白そうで、目一杯楽しんでやるぞという感じであった。成熟した女性の身体つきで、二カッと子供のようにはしゃいでいる。隣の少女が恥ずかしそうにやめさせようとしても一向に聞かず、逆にお前たちもやれと急かしているのが見えた。嫌々ながら仕方なく、最終的にはノリノリで少女たちも真似ていた。
金髪の少女の瞳は、まるで遠足前に興奮している子供のようでいて、その瞳がみほを捉えた。
「ほう……」
みほはトーナメント表に目をやった。大洗女子学園の初戦の相手となる『7』の番号には、サンダース大学付属高校と記されてあった。