サンダース大学付属高校は全国的に見て裕福な学校であり、戦車の保有台数は全国一と言われる。人員も多く、一軍から三軍まで編成されており、今大会において優勝候補の一つであった。
抽選会も滞りなく終了し、自由な時間を確保できたみほたちⅣ号戦車乗員たちは、優花里の提案で戦車喫茶ルクレールなる喫茶店で間食を摂っていた。店員を呼び出すボタンは砲音、店員の衣装は軍服と中々にユニークな店である。食事中の話題は先ほどの抽選会のことであり、初戦の相手であるサンダース大学付属高校のことであった。主に話しているのは戦車道界の知識がある優花里だ。
その優花里が語るところ、サンダースが思わぬ強敵とあって沙織と華は息を呑んでいた。公式戦の一回戦は使用可能な戦車数は十台までとされ、砲弾の総数も決まっている。また殲滅戦ではなくフラッグ戦であった。とは言うものの、大洗女子学園が用意できる戦車は五台のみ。同格の聖グロリアーナ女学院に殲滅戦で勝利した実績はあるが、その時の戦車の数は同数だ。仮に聖グロリアーナが十台であれば負けていた。そのことを考えれば、初戦は絶望的であると、沙織、華が思っても仕方がない。
麻子は聞いているのか聞いていないのか、ケーキを食べることに集中している。
みほも話に加わらず内容も半分ほどに聞き留めながら別のことに意識を傾けていた。正直どうだって良いのである。サンダースがどういう学校なのかには興味がない。勝てるか勝てないかの話についても同じく。興味があるのは、大洗女子学園の番号が決まった時、一人だけ大喜びしていたサンダースの少女である。彼女は何者だろうか。あの子供みたいに純粋な笑顔、瞳を見てしまえばみほの嫌いで不倶戴天の敵たる不義の人種でないことは一目瞭然だった。まだ彼女という人物を認めたわけではないが、一度会ってしまえば認めてしまうだろう。そんな気がした。
「優花里さん」
どうしても彼女のことが気になったみほは、優花里の話を中断させて訊いてみた。彼女の特徴をできうる限り伝えて、何とか名前を知ろうとした。
優花里は頭を悩ませたが、恐らくという形で答えを示した。
「恐らくですが、西住殿が仰っているのは、サンダースの隊長ケイ殿のことでは?」
ケイ。それが彼女の名前のようだ。
名前を知ってしまえば、もうそれで良かった。後は実際に会ってみれば為人が気に入るか気に入らないかは分かることである。
みほは先ほどよりあまり口をつけていなかった戦車型のケーキに、フォークを差し込んで掬い上げた。口の中に運べば甘さが広がる。戦車という奇抜な形をしているが味は普通のケーキだ。ふと、紅茶に合う味かもしれないと頭をよぎった。そう言えば、ダージリンに貰った紅茶に今の今まで一度も手をつけてないこともよぎった。淹れ方がいまいち分からないし、中途半端な淹れ方をして飲むのも悪いと思ってから飲むに飲めなかったのである。いつか教えてもらうなり、淹れてもらうなりしようと思った。
それからもみほは、やはり話に加わらず黙ってケーキを食べていた。あまり甘い物は好まないが久しぶりに食べると美味しいもので、人より早くフォークを進める。
「……ふ、副隊長」
そこに突然、震えた声がみほの耳を刺激した。
この声に聞き覚えがあって、みほは一旦フォークを置いてから通路側に視線をやった。視線の先には見覚えがある人が立っていた。
身体の大きさはみほとそう変わらない。ギュッと引き締まった戦う女の身体だ。銀の髪を肩まで無造作に伸ばしている。着ている服は見慣れたもので、大洗に来る前まではみほが着ており、抽選会の会場で意図的に目を反らした黒いジャケットだった。黒森峰女学園の逸見エリカである。みほが黒森峰にいた頃の友人の一人だ。
どうしてこんなところにと困惑して、直ぐに納得した。ここの喫茶店はさいたまスーパーアリーナに比較的に近い場所に存在している。抽選会に来ていたエリカが居てもなんら不思議なことではない。
「ふく、副隊長……お、お久しぶりです」
エリカの目は潤んでいた。胸をしゃんと張って強気に笑っている、みほにとってのいつものエリカはそこにいなかった。
その姿に強く心を打たれたみほは、一瞬驚いた表情をすると直ぐに申し訳なさそうに顔を顰める。
エリカの表情は複数の感情が入り乱れていた。あなたにこうして再び会うことができて良かった。元気そうにしていてくれて良かった。そんな嬉しいという感情が一つ。私の所為であなたを苦しめてしまった。そんな自責の感情が一つあった。
この表情がみほには何とも堪らなかった。
今ここで何とエリカに声を掛ければ良いのかとみほは思案に耽った。いや、耽らざるを得なかった、の方が正確なのかもしれない。ここで再会するとは想定していなかったのだ。再会するのは大会の決勝戦とばかりで、しかも会ってそうそうこの表情と来れば、少々頭の中が混乱している。
それはエリカも同じだった。みほに会えば言いたいことは沢山あったのだ。だが何処へやら飛んでしまっていた。みほの姿を見つけて思わずであったが、感情が激して涙を浮かべるばかりであった。抑えよう抑えようとするも、人は時に自分の意志とは関係なく涙を流すもので、エリカにもどうしようもなかった。
お互いがお互いに何を言うべきか考えている。
「あの~?」
みほとエリカが考え込んでいると、蚊帳の外に追いやられていた沙織が口を開いた。ダージリンの時のように黙って見ていようとも思ったが、お互いにだんまりとして耐えきれない空気になったので二人に交じることにしたのである。華も優花里も同じ気持ちなのか苦笑している。麻子は相変わらず食事中だった。
エリカは声を掛けて来た沙織の顔を見つめながら、頬を流れる涙を拭い去ると、背筋をピンと伸ばす。いつものエリカであった。
「突然悪かったわね。私は黒森峰女学園の逸見エリカ。副隊長……あなたたちの隊長の……友達、よ」
エリカが名乗りを上げると、沙織たちも一人ずつ名を名乗った。沙織、華、優花里、ケーキを食べ終えた麻子が一通り名乗り終えると、そこから意外にも話は弾んだ。共通のこととして話せる話題はみほのことだったので、黒森峰の頃、逆に大洗に来てからのみほのことで盛り上がった。みほ自身もそれなりに話が弾んだ。
話をしていれば、前々から気になることがあると言ったのは優花里であった。すると、私も私もと沙織や華も反応する。三人は顔を見合わせて、恐らく同じ疑問なのをアイコンタクトで確認した後、優花里が代表してみほとエリカに訊ねた。
「西住殿と逸見殿に質問なんですけど、どうして西住殿は大洗に転校して来たんでありますか?」
みほとエリカの顔色が変わった。
これは話が長くなる質問であった。
さて、読者諸賢にはちょこちょこ小出しに話をしていたが、ここで全容を語ろうと思う。西住みほが黒森峰から去り戦車道を止める決意をしたわけを。
先ず、みほが決意をしたのは第62回目の大会が終わった後である。今から一年前のことだ。この大会では準優勝となってしまい黒森峰十連覇の偉業は水の泡となってしまったのだが、別に負けたことそのものが原因ではない。大会が終わった後に起こったことが原因で、みほはこの時に黒森峰の機甲科に居ることが、戦車道そのものが嫌になり決意したのだ。
当時、黒森峰には二つの勢力があった。すなわち西住まほ派と西住みほ派である。二つの勢力はまほやみほ、あるいはエリカや小梅と言った一部の者以外の仲は悪く、常々一軍の座を巡り争っていた。どんな小さなことでも争いの種にし、まほやみほは何とか調停を計らせたが、一つ解決すれば二つ三つ争いが起きて限がない。そして第62回の決勝戦でこの仲の悪さが災いし惨敗することになる。
それから黒森峰で起こったのは、二勢力間による責任の擦り付け合いだった。お互いにお前たちの所為で負けたのだと罵り合う日々で、みほはこの姿に驚き呆れると共に、
「この者たちには自分が悪かったという自覚はないのか」
と、怒りを通り越してある種厭人的な気持ちにさせられた。
前にも語った通り、みほは気の長い方ではない。分類するなら短気である。その上潔癖なところもあり、快晴のようにからりとした爽快な生き方を好むので、二勢力間のねちねちじめじめとした関係、争いに我慢の限界が来るのは早かった。
さらに追い打ちを掛けたのは、二勢力間の争いを裏から煽っていた者たちの存在が判明したことである。彼女たちは二年生、一年生ながらに隊長、副隊長の地位にある西住姉妹の存在が気に食わず、どうにか二人を失権させ、自分たちが黒森峰機甲科を支配しようと小賢しく頭を働かせていたのだった。
これが決め手となった。もう一切の事が嫌になって、何もかも投げ捨てたくなった。そうして決意を固めたのである。黒森峰を去って戦車道も止めることを。
黒森峰から去るにあたって、彼女は三つの理由を考えた。
一つは、自分が去ることでまほに黒森峰を一つに纏めてもらうため。このままでは、下の人間も統率できないのかと隊長、副隊長の地位を取り上げられ、二勢力間の争いを煽っていた者たちの思惑通りになりかねないからだ。
一つは、我慢できなくなったため。一軍の地位だろうと隊長、副隊長の地位だろうと欲しければ実力で勝ち取れば良いのだ。それをこそこそと卑怯な真似で手に入れようとする。また決勝でプラウダに負けた責任を人に擦り付けるという行為も頭に来る。こんな下らない者たちと一緒にいるのは嫌だった。そしてそんな者たちがいる戦車道そのものも嫌になったのである。
最後の一つは、これまでの武名が汚されると思ったからだ。今回の敗戦において、幸運であったのかみほの名が落ちることはなかった。しかしこのまま黒森峰に居続ければいつか地に落とされるかもしれない。それは勘弁ならなかったので、そうなる前に身を退くことにしたのである。この三つが理由であった。
このことをみほはしほとまほに話し懇々と二人を説いた。しほはそれまでの西住に対するみほの貢献と、西住に不利益を及ぼすことではないと判断して、みほの転校を許可した。
あなたは疲れているのだから少し休めば良い。そんな母親としての愛情もあったが故の判断であったかもしれない。
まほは納得していなかった。黒森峰を、西住をこれからも一緒に盛り立てていこう。最後までそう反対していたが、しほが許可した以上仕方がないと渋々認めた。
こうして大洗女子学園へと転校したのである。
これが全容であった。
「私たちの……私の所為よ」
優花里の質問に答えたのはエリカであった。彼女はみほが転校した詳しい理由をまほから教えてもらったので知っている。その上で言うのだ。自分を友だと言ってくれた人が苦しんでいたというのに助けることができなかった。自分が悪かったのだ、と。
みほはこれを聞いて、
「それは違うよ」
と言った。
エリカは何も悪くない。寧ろ、こちらの方がすまないという思いだった。自分が転校したことについては謝る気などさらさらない。ただ、自責の念を抱かせてしまったことについて頭が下がるところだ。
場の空気がドッと重たくなった。
やってしまった。優花里は顔を引き攣らせる。こんな空気を作るつもりはなかったのだが、よくよく最初のエリカの涙やみほの沈黙を考えれば想像できることであった。おろおろと二人の顔に視線を向けて、優花里はどうしたものかと思考する。
その時であった。
「エリカ」
重たい空気の中、隙間風のようにスーッと入り込んで来た者があった。その者はエリカと同じ服に身を包んでいた。
「何をやってるんだ。んっ? おお、みほじゃないか」
「姉上……ッ」
涼し気な表情で西住まほがそこに居た。