エリカの隣に並び立ったまほは、みほの姿とテーブル上の食べ掛けのケーキを何度も交互に見てから声を出して笑った。優花里が作り出してしまった重たい空気を一気に吹き飛ばす明るい笑いであった。誰もが唖然としてまほに集中する。何がそんなに面白いのであろうか。まほがヒイヒイ苦しそうに言った。
「似合わなすぎるぞ。お前がその恰好で喫茶店に入ってケーキ……いかん、腹が痛い」
白絹の頭巾に陣羽織。確かに喫茶店で食事や談笑を楽しむような恰好ではない。
違和感はなく似合ってはいるのだ。みほ以外の誰が、ここまで着こなせよう。そう思うほど完全に着こなしていた。威厳さえ感じるモノであったが、如何せんまほの言葉通り、喫茶店でケーキを食べるような恰好ではなかった。店内にみほが入った時、店員や他の客は二度見している。では脱げば良いだけの話だが、みほには、自分の家に帰り着いたわけでもないのに、戦装束を脱ぐなどの考えがないのだった。
このまほの笑いは、エリカをぎょっとさせた。この中でまほを除けば、みほの性格を一番知っているのはエリカである。なので、いくら実の姉とは言え、笑い者にされて大人しくしているような人ではないこともよく知っていた。
「姉上も人のことは言えないよね」
みほが席をゆらりと立ちあがった。
怒っている。間違いなく頭に来ている。エリカだけでなく、その場の全員がはっきりと分かるほどに、顔に出ていた。自尊心が高く、短気で、二十歳にも満たない子供なみほは、憤懣やる方ないという感じであった。帯刀していたら、即座に抜き放ち、まほの鼻先へと切先を添えるだろうほどに。
沙織たちは寂として声もなかった。エリカと違って、みほの怒った姿を見たのは初めてなのだ。精々が不機嫌なぐらいである。沙織や華などは普段の落ち着いて穏やかな所から、滅多に怒るような人ではないと思っていたから度肝を抜かれていた。優花里も、誰が評したのかみほの欠点である『気が短く我慢弱い』というのは正しかったのだと知らされた。
それにしても短過ぎではないか。こんなことで一々激怒してどうすると人は言うだろう。みほにすれば当たり前のことである。自分を笑い者にされて、侮辱されて怒って何が悪い。芸人のように信念を持ちそれを商売にしているならいざ知らず、どうして馬鹿にされてへらへらと平気でいられるのだ。自分にもっと誇りを持て。そう思っているからこそ、みほは怒るのだ。これは正しい怒りなのだ。
「私はエリカに誘われたから来ているだけだ。それに女子高生なんだから来てもおかしくはないだろ?」
まほはみほの怒りも何のその、平然としていた。
「私だってそうだよ。優花里さんに誘われたから来たの。それに女子高生だからって、私もそうだしあなたより年下だよ」
「お前が女子高生……? そう言えばそうだったな。お前は女子高生だったな。すっかり忘れていたよ」
「何が言いたい?」
「別に」
エリカにはこの光景が懐かしかった。
みほがまだ黒森峰女学園に居た頃、よく見るとはいかないまでもこうしたことはあったのだ。まほが揶揄い気味の言葉をみほに言って、みほがそれに怒りを表す。すると自分や小梅などがみほを宥めすかすなり止めるなりするのだ。
あの頃は楽しかった。争いが絶えなくて苦労の連続であったが楽しかったのだ。今も楽しくないとは言わない。まほが黒森峰機甲科を完全に掌握してから苦労もなくなった。だけど足りないのだ。拭い去った涙が再びエリカの頬を流れようとする。懐かしさと思い出がエリカの胸を掻きむしった。
この時エリカは思い出していた。みほに会った時に言おうと思っていた言葉を。それは、楽しかったあの頃を、今の生活に足りないモノを取り戻す一言だ。
今、言ってしまおう。
「副隊長、お話があります」
みほを呼び掛けてエリカはふふと笑みを溢した。
久しぶりだったのだ。黒森峰でエリカがみほを止める時は大体この手を使っていた。宥めすかすのは小梅の得意分野で、エリカは意識を逸らさせて止めるのだ。
何か用なのか、とみほの優し気な眼差しがエリカの顔を捉えた。この瞳も久しぶりである。一見怒りを収めたように見えるが、これはエリカに考慮しているだけだ。あなたに怒っているわけではないということを表しているのである。抱いた怒りに関係のない人に、怒りを示すのは間違っているというみほの考えからだ。ただよく見てみれば、瞳の奥に殺気のようなモノを感じるのであった。
「黒森峰は一つになりました」
言った一言はこれであった。これが全てであった。
沙織たち黒森峰機甲科の内情を知らない者たちは、この脈絡のない言葉の意味が分からない。優花里のように第三者として詳しい者は、これを勢力が一つに纏まったと解釈する。
だが違う。もっと深いのだ。勿論のこと、みほはエリカの真意を読み取っていた。これは、もう争ったりすることはなく、あなたが不快になるようなことはなくしたので黒森峰に戻って来て下さいの意である。
意味を悟ったみほは、怒りを鎮めて薄く笑った。過去にも同じようなやり方で、みほを黒森峰に戻そうとした人物が居たのである。誰あろうか、それはまほのことだ。みほが杏に助けを乞われて戦車道を再開することになった日の電話越しのことである。
まほと言い、エリカと言い、どちらも回りくどい言い回しだ。自分がそういうやり方を嫌っているのを知っているだろうに、何とまあ、二人して。
みほの答えは当然決まっていた。
「それは良かったね。なら、皆で力を合わせて黒森峰をよろしくお願いね」
「その仰りようは如何なものでしょうか。ついこの間まで黒森峰にいらされた身です。そう素気無いお仰りようは、無責任ではないでしょうか」
「……私はもう大洗の人だから」
無責任と言われては、流石のみほも一瞬言葉を失った。確かに無責任であったかもしれないと、自身の思慮が欠けていたことを思い知らされる。しかしながら、ここで何と言われようと黒森峰に戻る気はない。
今の自分には大洗を救うという使命がある。エリカならそこの事情もまほから聞いているだろう。ならば大会が終わってからでも良いからという話になってくるが、黒森峰が一つに纏まっているのは、旗印が一つ消えてしまったからだ。ノコノコと戻って行けばまた荒れるに決まっている。みほの中には黒森峰機甲科への不信と懸念があった。
エリカには、みほの考えていることが手に取るように分かった。不信と懸念のほどは最もなことだ。やはり言葉だけで説いてもみほの心には届かない。駄目で元々というつもりであったから、特に落胆することもない。また、エリカには考えがある。やれば必ず効果が期待出来る作戦があるのだ。ならばここは一旦引いて、後日にその作戦を実行に移すまでだ。
「分かりました。あまりこうして話し込んで店側に迷惑を掛けるわけにもいきませんし、一先ずここで失礼させて頂きます」
あっさりと言い放ち、エリカはまほに視線を送った。
まほが視線を受けて頷く。
「もう少し姉妹の再会を楽しみたかったが、まあ店側のことを思えば仕方ないだろう。私たちはここで退散しようか。ではな、みほ。次、会う時まで達者でいろ」
「副隊長、初戦はサンダースだそうですね。ご武運を祈っております。あなたたちも頑張ってね。くれぐれも副隊長の足を引っ張るんじゃないわよ」
まほとエリカが身を翻してみほたちの前から去って行く。沙織たちはすくっと立ってから二人の背中に一礼して送った。二人を見送ってから一同席に着いた。
「みほのお姉さんに、逸見エリカさん。何だか凄かったね」
はふぅと沙織が息を吐いた。
「どちらも西住殿に負けず劣らずの人物ですよ。特に西住まほ殿は、西住の虎の異名を持ち、軍神たる西住殿に唯一匹敵できると言われております」
すかさず優花里が語ると、まあそうだろうなと沙織は頷いた。そういうことに敏感でもない沙織をしても、人としての格の違いを感じたのだ。一目で、ああこの人は凄い人なんだと分かった。みほに対しても同じ感覚がある。みほが凄いことは知っているので、そのみほと同じならば必然的にまほは凄い人物だ。
納得してケーキに舌鼓を打ち始めた沙織の隣で、華が意外そうな顔をみほに向けていた。
「それにしても、私は吃驚です。みほさんって怒ったりするのですね」
「華さん、幻滅した?」
みほが首を捻った。
「まさかッ!」
誰が幻滅などするだろうか。人間であれば怒るのは当たり前のことである。それよりも嬉しかった。友人の一面を知れたことに。これでみほとの距離も縮まるというものだ。
一時すると、沙織がケーキを食べ終えた。みほ、優花里、華、麻子の皿も空っぽであった。これで全員食べ終ったということで、みほは席から離れようとする。無論帰るためだ。沙織たちもその動きに倣おうとした時、強烈な爆音が店内に響き渡った。客が店員を呼び出した音だが、その音はみほたちのテーブルから鳴っていた。
「二つ目を頼んでも良いか?」
ボタンの上に麻子の手が乗っている。
苦笑したみほが首を振った。仕方のない人だという意味である。