翌日の明朝。優花里の家にみほがやって来た。『秋山理髪店』という名の床屋で、みほが店内に足を踏み入れれば、出迎えてくれたのは散髪台やら様々な商売道具と、軽装でリュックサックを背負った優花里、それから優花里の両親であった。
何やら朝早くより娘がバタバタと忙しそうで、何事だと思ってみれば友達が迎えに来ると言うではないか。秋山家に優花里の友達が訪ねて来たことなど一度もない。挨拶の一つ、二つぐらいはしたいというところであった。
「お初にお目にかかります。私は西住みほと申し、大洗女子学園にて戦車道の隊長を務めている者です。優花里さんとは、その戦車道で縁を結びました。以後、お見知りおきのほどを」
「こ、これはどうもご丁寧に。優花里の父です」
「優花里の母です。娘よりお話は伺っております。いつもお世話になっているようで」
優花里の両親が頭を下げる。
これにとんでもないとみほが返すと、
「私の方こそ助けられてばかりです。優花里さんがいなければ、私はどうなっていたことやら」
本心でこう語った。
優花里の父はみほの言葉を聞いて感極まったのか、瞳に涙を浮かべて言った。
「自慢の娘です。これからもどうかよろしくお願いします」
こちらこそ、とみほは優花里の父の右手を両手で包み込んだ。
「お父さんも西住殿も、ちょっとやめて下さい!」
顔を真っ赤にした優花里が二人の手を引き剥がし、そのままみほの手を掴むと外に向かって歩き出す。みほは苦笑しながら優花里の両親に頭を下げて、優花里に連れられるままその場を後にした。
そして二人、これからサンダースに侵入しようというのだが、進入路はどうしようかとなって、お互いに案を出してみればこれが同じ案であった。
「コンビニエンスストアの定期便があるから、それに乗り込んでサンダースの学園艦まで行こう」
定期便は一日に何回も学園艦を回っているのだ。
そういうことになったので、みほと優花里は定期便へと忍び込む。息を潜め船員に気配すら悟られないよう身を隠し、船がサンダースの学園艦に着くと脱出、サンダースに素早く潜入した。
サンダースはアメリカと連携しているとあって全体的におおらかで明るい雰囲気だ。元気な挨拶や笑い声が学園内に響き渡っている。
「優花里さん、こっち」
みほは優花里を連れて人気のない所に行くと、変装を始めた。そのままの服装だと不審過ぎるので、生徒として紛れ込むためにサンダースの制服に身を包む。優花里は顔を知られていないので服だけの変装であるが、みほはそうもいかない。戦車道に身を置く者はみほの顔を知らない者はおらず、戦車道を知らずとも顔は知っているという者もいるにはいる。サンダースの恰好だけでは心もとないというものだ。
制服に着替えるだけでなく、金のカツラで頭を隠し、黒縁の伊達眼鏡をかけて、声を張り、身振り手振りを大きくする。その変装ぶりは見事だと言う他はない。サンダースの空気に完全に溶け込んでいる。
「侵入し情報を集めるのなら、その道のプロになる必要がある。私たちはサンダースの生徒としてここにいる。これぐらいは当たり前だよ」
みほの変装ぶりに感嘆する優花里に言い放つと、みほは堂々とサンダースの学園内を歩き回り始めた。我が物と言わんばかりである。優花里も倣って後に続いた。
学園内の様子を探っていると、二人のサンダースの生徒が廊下で話しているのが目に留まった。耳を傾けて会話の内容を聞き取ってみれば、戦車道のことを話しているようだ。
みほが二人に近づいてゆく。
「ヘイッ! ちょっとよろしいデス?」
二人は近づいて来たみほを見ると、会話を中断して口角を上げて、白い歯を見せながら歓迎した。
「どうしたんだい?」
「何か御用?」
「さっき二人の会話で戦車道って聞こえたから気になりましたデース。ワタシ戦車道大好きで、詳しく教えてほしいデス」
まるっきり別人のような調子のみほを横目に、優花里は黙って事の鳴りゆくを見守る。あんまり下手に介入するとぼろを出してしまいそうと思っているからだろう。
サンダースの生徒二名は戦車道をやっているらしく、みほが戦車道に相当の好意を持っていると知って、元々良かった気をさらに良くして、ぺらぺらぺらぺらと話し出した。しかもその話す内容の中には初戦の情報もあって、みほは上手く合いの手を入れて聞けるところまで聞き出す。
(何と容易いことか。もう少し他人を警戒しようという気はないのか。まあ、私は助かるから良いがな)
満面の笑みで目を輝かせながら、みほは内心でほくそ笑む。
初戦でどの戦車を使うのか、どんな小隊編成でフラッグ車はどの戦車なのか。サンダースの二人は語るに語りまくる。
二人の話がひと段落着くと、みほは訊ねた。
「初戦は大洗女子学園というところらしいデスが、勝てるんデスカ?」
自信満々に二人は答えた。
「大丈夫さ。そんな無名校は敵じゃないね」
「そうよ。どういうわけかあの西住みほがいるようだけど、恐れるに足らず、よ」
(ほう?)
ピクリとみほが反応を示した。恐れる必要がないというのは、みほとしてどうにも聞き捨てならない。この話は詳しく聞きたい。
優花里も気になるところだ。
二人は言った。
「確かに、最初は最悪だと思ったね。西住みほと初戦に当たるなんて、ついてないと皆が気を落としたものさ」
「でも私たちにはケイ隊長がいるもの。それに、アリサ副隊長、ナオミ先輩もいるわ。この三人にかかれば、西住みほなんて地を這う蜥蜴も同然よ」
「軍神だとか龍だとか煽てられて調子に乗ってるあいつに、現実をみせつけてやるさ」
ハハハハ、と二人は陽気に笑う。
だが、みほは笑えない。かかる侮辱の言葉を受けて、何も感じないでいられるほど精神が達観しているわけでもなければ、大人しくもない。
(よくもほざきおったな! この西住みほにそこまでの大言を吐いておいて、ただで済むと思うでないぞ!)
みほは拳を握った。血が頭に昇り、自身の顔が熱くなるのをみほは感じる。今、自身が西住みほであると名乗り出れば、目の前の女たちは如何に思うだろうか。
偽の髪を引き剥がそうと右腕を動かしたその時、がっしりとその動きが止められた。
「……抑えて下さい、西住殿」
小声で、優花里が耳を打った。みほの右腕を抑え込むために力を込めているのか、声が少し荒い。この声を受けて、直ぐに冷静さを取り戻したみほは、握っていた拳を解く。
それから再び訊ねた。
「ケイ隊長、アリサ副隊長、ナオミ先輩、デス? 名前と顔は一致しマスガ、詳しくは分からないデス。教えてくださいデス」
ぬけぬけとみほは言うが、勿論嘘だ。ケイは分かるが、アリサとナオミなんて知らない。しかし、戦車道好きを公言した以上、知っておかなくては拙いのだろうということで、嘘を吐いたのだ。この二人はかなりちょろいが、それでもこの三人を知らないと言えば怪しまれる。
「三人がどんな人かって? そうだな……ケイ隊長は、戦車道の腕はずば抜けて凄いわけじゃない。超一流一歩二歩手前ってところか? 隊長が凄いのは、一緒の隊にいるだけで周りを強くしちゃうところだ。隊長が同じ隊にいる。それだけで、士気がドーンと上がっちまうんだ」
「アリサ副隊長は、サンダースの頭脳よ。特に小賢しさにかけては右に出る者はいないわ。何と言うか、小物界の大物って感じね。ナオミ先輩は仕事人。寡黙で課せられた使命を黙々とこなす仕事人よ。こんなところかしら?」
「なるほどデス」
みほはうんうんと頷いた。
一先ず、これで欲しい情報は出揃ったようである。優花里と視線を合わせると、優花里は一度小さく首を縦に振った。ここらで一旦お開きにしようという合図だ。
「色々とお話ありがとうございまシタ! とっても面白かったデス」
「良いってことよ」
「それじゃあね」
「はいデス。これで失礼しますデス」
みほと優花里は一礼してから立ち去る。二人のサンダースの生徒とそれなりの距離を取ると、優花里が口を開いた。
「かなり有力な情報を入手しましたね。これだけの情報が集まり、もう特に欲しい情報もないことですし、大洗に帰りましょう」
もうここに留まっている理由もない。正体が露見する前にとっとと帰ってしまおうという優花里だったが、みほの答えは否であった。
理由は、まだ目的を達成していないから。
どういうことだと訝しむ優花里にみほは言う。
もともとみほが偵察に来ようと思ったのは、優花里のようにサンダースの情報を集める為ではない。それはついでのようなもので、本題はケイに会うことであったのだ。みほはケイのことを知ってから好奇心や興味が出て我慢出来ずに、こうして会いに来たのである。なので、ケイに会うまでは帰らない。
理由を聞いた優花里は勿論止める。危ないの一言だ。近日中に会えるのだからそれまで我慢してここは大人しく退散するべきだと懇々と説いた。
けれど、如何な説諭をしても、馬の耳に念仏であった。みほは決断力に富んだ上で我慢弱い。何と言われようと、こうすると決めたら絶対にやる。仕舞いには、優花里だけ帰れと言い出す始末だった。
あわや二人の言い争いに発展しそうになったその時。
「喧嘩は駄目だよ。ユーたち落ち着いて、ね」
みほと優花里の間に割って入る人物が現れた。
あっとみほと優花里が声をこぼす。
現れたのは、みほのカツラのごとく偽物ではない本物の金髪に、鍛えられた身体、子供のような眼差し。抽選会の日に、みほが見た人物と同じ。
「ケイ……さん」
みほが名を呼ぶと、
「イエスイエス。ケイだよ」
少女はからからと笑ってウインクをした。人を惹き付ける、爽やかな笑みだった。そうしてから二人の顔を交互に見ると、ムーっとまるで幼子が怒るように唇を尖らせて、
「もう、喧嘩はノーだよ。二人とも仲良くしなくちゃ駄目でしょ」
みほと優花里の二人を優しく叱りつける。
二人はいきなりのことで反応出来ずに言葉もなくケイを見つめていると、ケイはまたからからと笑った。
「二人とも面白―い。そうだ、折角遊びに来てくれたんだから楽しんでね」
そう言われたみほと優花里はドキリと心臓を鳴らした。遊びに来たという表現を使ったということは、二人がサンダースの生徒じゃないことを悟っているということだ。ここで焦ってはいけないと、みほは努めて平静を保つが、優花里はそうもいかないようで。
「な、何のことでありますか!? 私は通りすがりのオッドボール三等軍曹であります!」
必死に誤魔化そうとするが誤魔化しきれてない。これではもはや自分からばらしたようなものである。優花里は顔を青ざめ、みほは険しい表情をつくった。
ケイはどういう反応に出るのだろうか。
「オッドボール? オーケーオーケー! ユーはオッドボール三等軍曹ね。それじゃあ、お隣は?」
「マサコ、デス。長尾政虎デス」
名を訊ねられたみほは、無駄だと思うが咄嗟の偽名で答えた。
これまでか、とみほが諦めかける。このまま捕まって拘束されるだろうか、そう思っていたみほに、ケイは予想もしない行動に出た。
「マサコ。オッドボールとマサコ。覚えたよ」
それだけ言ってから、みほと優花里に背を向けて歩を進め出した。二人が言葉なく見送っていると、まだ言うことがあったとばかり、不意に上半身だけ振り返ると、
「今度はきちんと本名教えてもらうからね。大会、楽しみにしてるよ。気をつけて帰ってね。バイ!」
言い残して、二人の前から去って行った。
「助かった……んでありましょうか」
唖然とする優花里の隣で、みほが呟く。
「あれが、サンダースの隊長ケイ、か。次の戦いで、私が踏みつぶしてやらなくてはならない人物。なるほど、我が目に狂いなく、一廉の者だな」
サンダースの隊長ケイの名は、みほの心にしっかりと刻み込まれたのであった。