その①
あっという間に二回戦の日が訪れた。
この日は夏も盛りになろうとしていると言うのに、妙に冷える風が吹いている。まるで師走の風のようで、過去の人々はこのような異常気象が発生した時、何か不吉なことが起きるのではないか、あるいは起きているのではないかと心配したものだ。
歴史を学ぶことが好きなⅢ号突撃砲の乗員たちも、過去の例にならって、今回の試合で大洗側に不吉な結果が起きることを暗示しているのではと騒然としていた。すると彼女らの雰囲気に巻き込まれて、他の大洗の者たちも、馬鹿馬鹿しいとは考えつつ無視出来ないでいるのか、不安そうにざわついている。
みほはこういう暗示めいた話をそこそこ信じる方だった。故に言われれば、この異常気象にも何か意味があるのだと思い、独自の解釈をつける。そのみほが考えるところ、これは不吉を表しているが大洗のものではない。
「哀れにも二回戦でこの私と戦うことになった、アンツィオの不幸を暗示したものであろう。この風が運ぶのはアンツィオの敗北という結果だ」
こう考えた時、ますますアンツィオの隊長アンチョビが不憫でならなかった。アンツィオではなくもっと強豪校と評判の高校へ行けば、勇名を馳せることも可能だったろうに。または二回戦の相手が自分でなければ、準決勝までは行っただろうに。物事は運ばかりが決めることではないが、かと言ってまったく関わりがないわけではない。アンチョビの運の無さを哀れと思うばかりだ。
とにかくこの肌寒い風は大洗にとっては大吉の風である。歓迎こそすれ不安の種とすることはないと、みほはわやわやと心配そうな大洗チームを宥めた。
心に不安を抱く人は、自信を持ってハッキリ大丈夫だと断言されれば安心に変わるものである。大洗チームの表情に安堵の色が浮かんだ。
それから試合の準備を進めていると、どこからかエンジンの音が聞こえて来た。次第に音が大きくなっていることからこちらに近付いて来ているようだ。みほが音の方向に振り向いてみれば確かに一輌、オープントップ式のトラックが地面の砂を荒らしながら向かって来る。これが十分な距離に達した時、何者かが判明した。
みほには見覚えがある。あれは優花里が偵察中に撮ってくれた映像に載っていた人物だ。
灰色のジャケットは間違いなくアンツィオの戦車道部のもの。薄緑の髪を左右で黒いリボンを使って結び、手には鞭、切れ長の双眸から発せられるのは爛々とした眼光である。人の表面ではなく中身を見透かすような輝きだった。
アンチョビである。先ほどまでみほが哀れんでいたドゥーチェ・アンチョビだ。曹操の噂をすれば曹操が来るなんて話が中国にあるが、まさにこのこと。
トラックを運転している人物にも見覚えがある。あれはカルパッチョと言うアンチョビの腹心の一人にして、カエサルの友人だ。
「突然の参上、まあ許してくれ」
フロントガラスより飛び降りたアンチョビがみほの前に立つ。
一体何の用だと訊ねるみほに、アンチョビは試合前の挨拶だと返した。
どうもそれだけだとは思われなかったが、案の定他にもあったらしい。曰く、誕生日を祝って欲しいという不思議な用事だった。
「アンチョビさんは今日誕生日何ですか?」
「いや、違うぞ」
「ではあちらのカルパッチョさんが?」
みほが手で示した先には、久しぶりの再会を祝うカエサルとカルパッチョの姿がある。アンチョビではないのなら、彼女ということになるが、アンチョビはこれにも首を横に振った。
要領を得ない。ならば誰の誕生日を祝って欲しいと言うのだろうか。そもそも何で誕生日を祝ってやらないといけないのか。
頭に血が上り始めたみほに、アンチョビは不敵に笑った。
「アンツィオの伝説が今日から始まるんだよ。だからそれを祝って欲しいんだな、これが」
何が言いたいのかみほは悟った。
天下に名高い西住の龍を倒すという伝説を築くので、それを祝って欲しいと言っているのだ。加えて今大会の決勝戦で西住の虎ことまほをも倒すということだった。
公式戦においてみほとまほを倒したのはプラウダ高校だけである。しかし、厳密に言えばプラウダ高校だけの力ではなく、黒森峰女学園での内部争いが大きな勝敗の要因となっていたのは周知の事実である。去年の全国大会決勝戦のことだ。
であるから、自分たちの力だけで二人を倒した者は公式上存在しない。
それを倒すのだ。龍虎の異名をつけられた二人を自分の力だけで倒す。これを為すことが出来れば、確実に戦車道界に名を残すだろう、伝説にもなろうというものだ。
話を聞くと、みほはわなわなと震えが止まらなかった。大それたことを言う輩だと思い、猛烈な敵愾心が胸の内で膨れ上がる。このまま感情の赴くに任せて怒鳴り散らしたいところだったが、ふと冷静になると、今度は笑いが止まらない。腹を苦しそうに押さえる。
「ハハ、ハハ、ハハハ!」
「何がおかしいんだッ!」
次はアンチョビが腹を立てる番だった。
何とか笑いを抑えながらみほは言う。夢は寝て見るものであり、時刻はまだこれこれこの通り太陽が活発に活動している。夜更けまで時間があるので、その時まで見るのは我慢した方が良い。もし今意識を飛ばしており夢を見ているのなら、早く現実に帰ってきた方が良い。あと少しで二回戦が始まるから、というような内容だ。
「不可能なことを自信満々に語る貴女が滑稽です」
このような意味がこもっているのだろう。
事実として、みほにはアンチョビが妄言を吐いてるようにしか見えなかったし聞こえなかった。日本は広く、マイナーとは言え戦車道をやっている人はそれなりにいる。高校生だけでもそこそこの人数を数えるが、その中で自分と姉に勝てる人間など一人として存在しない。もし自分に勝てる存在がいるとするならば、それは姉のまほで、逆も然り。
みほはまほ以外も認めている。黒森峰での友人逸見エリカ、戦い友として認め合った聖グロリアーナのダージリン、自分を一目で射止めたサンダースのケイや中々に追い詰めてくれたアリサ、心の底から理解しあった後輩の澤梓、そして目の前のアンチョビも。
彼女たちのことは確かに認めているし、能力逞しく、一廉の人物だと思っている。
だがそれとこれとは話が別である。
如何に認めていようとも、自分やまほを超えた人物であるなどとは欠片も思っていない。戦えば勝つのは自分であり、まほである。
こういう考えがみほの根幹にあるからこそ、アンチョビの言葉はみほにとって、戯言以下の道化の言なのであった。
みほの心のほどを理解したアンチョビが吐き捨てる。
「傲慢もほどほどにしておいた方が良いぞ」
「私は傲慢ではありません。貴女のことをまったく侮っておらず、客観的に評価をしております。その評価の表すところ、貴女では私にも姉上にも勝てないと申しておるのです。純然たる事実です。寧ろ貴女の方こそこの私を見誤り、適切な評価を下していないものと思われます。傲慢なのははてさてどちらなのか、と」
みほとアンチョビはお互いに睨み合う。冷たい風が吹き通り、アンチョビの頬を撫で、みほの羽織りをばさりと揺らした。二人の周囲は驚くほど冷たくなっているが、風による冷気だけではないだろう。
「もう言葉を交わす必要はない。私とお前、どちらが傲慢なのかは試合が終わってから分かることだ」
「楽しみにしております」
「ふん。カルパッチョ、帰るぞ」
身を翻したアンチョビは、カエサルとの挨拶を終わらせたカルパッチョを連れてトラックに乗り込む。カルパッチョの方はカエサルとの久しぶりの会話に花を咲かせたようで、穏和に笑っていた。
少しばかり雰囲気の変わったアンチョビに困惑しながら、カルパッチョはトラックを操作し、アンツィオの待機場へと戻って行く。
そんな二人を、砂埃も含めて完全に視界からなくなるまで、みほは見送った。