軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

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その②

 もろもろ思う仔細があって、みほは二度と戦車道に身を染める気はなかった。大洗は 二十年前まで戦車道を盛んに行っていたものの、今はその影も形もないという。であるから名門黒森峰女学園から転校する際に、目をつけたのであった。

 

 戦車道から身を解き放てば、みほにはやりたいことがたくさんある。普通の高校生のように友達と下らない四方山話に花を咲かせたり、買い物などして遊ぶも良し、趣味である琵琶、笛を極めるも良し、本格的に仏門の道に進むのも良いかもしれない。

 

 人間という生き物はいずれ死ぬ。だいたい七十、八十、長くて九十、百の寿命である。やりたいことを早いうちにやっておかなくてはあっという間だ。

 そんな心持でやって来た大洗の地で、みほを待っていたのは戦車道が復活するという話である。これだけならば別段どうということはない。やらなければ良いだけだった。けれども、事はそうそう上手く運ばないようだった。

 

「伏してお願い申し上げます。私たちは黙ってこの学園を、この街を奪われるわけにはいきません。しかし私たちの力では遠く及ばず……どうか力をお貸しください。最早私たちには、あなたに縋る以外の道は残されていないのです。どうか、どうか」

 

 呆然とする柚子、桃の視線の先で頭を下げる杏は落涙していた。その姿を見た時、みほは強い衝撃を受けたのだった。

 頭をこうして下げられて、嘆願されて、尚且つ自分の力をここまで買ってくれている。

 杏の言葉に偽りはない。みほの胸に伝わってくるのだ。言葉から、涙から、態度から、どれだけ学園を、街を大切に思っているかが伝わってくるのだ。

 

 この哀れなほど一途な姿を見ておきながら、何もしないわけにはいかない。仮に他の誰かが無視し嘲笑ったりしようとも、西住みほは彼女の力にならなければならないのだ。

 それは義であった。正義、大義、忠義、信義、仁義、義侠、義憤、ありとあらゆる人 としての倫理、道徳に適った正しい生き方である。

 

 みほが生きていく中で第一に掲げる行動規範だ。信には信、恩情を持って応え、真に救いを求める者には慈愛の心で接し、卑怯、卑劣、不義の輩には敢然と立ち向かう。

 義という価値観を心の根底に持つみほは、杏の救いを求める声を無視することはできないのだ。

 

(致し方あるまい。このまま彼女を見捨てるのは、義に反するであろう)

 

 みほは決意した。

 

「分かりました。これほどまでに自分の力を必要とする者の頼みを無下にするのは倫理の道に反するというものでしょう。不肖の身でありますが、力を尽くさせていただきます」

 

 微かに心に浮かんだ苦々しい思いを悟られないよう、みほは表情を柔らかくした。

 バッと顔を上げる杏は歓喜に打ち震えていた。思わず机に身を乗り出して、膝の上に行儀よく置かれていたみほの右手を胸元に持ってくると両手で包み込んだ。

 

「ほんとッ!? ありがとう西住ちゃん! 私は百万、いや、一千万の味方を得たような気分だよ」

 

 こうまで言われてしまうと、みほの自尊心がこしょこしょとくすぐられてしまう。笑みが目に見えて深くなると、

 

「そこまで思ってくれるとは光栄です。必ずや、望む結果をご覧に入れてみせましょう」

 

 みほは杏の握られた両手に左手を重ねた。

  

 

 

 

 

 

 その日の夜、学校が終わり寮の部屋に帰ったみほはある人物に電話を掛けた。

 西住しほ――すなわちみほの実の母である。杏の救いを求める声に応えて戦車道を再び行うことになったみほだが、しほに何も言わず始めるわけにはいかなかった。と言うのも、しほにどうしてもと頼み込んで戦車道から身を退いたのだから、再開するならばするでしほの許可を得るのが筋というものだからだ。無視して始めるという選択肢は、両親に深い敬愛を抱くみほにありはしない。

  

 電話を掛けてしほに繋がると、早速本題に入った。二人の間には世間話や家族間の話なんてものはない。今日びの世間一般的な母親であるならば、親元から離れた上、別の学校に移動した娘が電話を掛けて来れば、

 

「新しい学校はどう? 楽しい? お友達は出来たの? ご飯ちゃんと食べてるの?」

 

 と、至極当然なことを訊ねて来るだろうが、しほはそんなことをする母親ではなかった。

 それは子供に冷たい訳ではない。強い信頼を抱くからこそ、無用な心配をしていないだけなのである。確かに、元から口数が多い性格でもないというのもあるが。

 そんなしほの性格を、娘のみほはしっかりと受け継いでいた。だから電話を掛けても、

 

「母上ですか? みほです」

 

『用件は?』

 

 という流れになってしまうのも致し方なかった。

 

 みほが言う。

 

「文科省が故あって、私の通う大洗女子学園を廃校にするようなのです。なので生徒会がそれを阻止せんと動いております。その動きの一環として戦車道を復活させて、起死回生を狙おうとしているのです。生徒会長である角谷杏さんは、この私に救援を乞いました。私は救いを求める声を無視することができず、また己を知る者のために力を貸すことを決意しました」

 

『それで?』

 

「大洗女子学園は二十年前に戦車道をやっていたとはいえ、今は無名校もいいところ。故に私がこの学園を率いて結果を残せば、私の勇名はさらに広まり、そして西住家、西住流も名が上がるというものです。悪い話ではないと思いますが、如何に?」

 

 みほは人が義だけでは動かないことをよく知っている。人という生き物の本性は我欲旺盛で利を追求するものだ。その本性を抑え恬淡に潔癖に生きようとするみほの生き方は世において異質であった。このことをみほは知っているのだ。

 

 しほは俗物的ではないとはいえ、利を追求する人間である。なので、みほが掲げる義の心を理解できない。みほがそういう風に生きることは認めていても、彼女はあくまで西住家、西住流のためだけに生きているのだ。西住に利があるか否か、それがしほの判断基準である。

 

『…………………まあ、薄々こうなる気はしていました』

 

 沈黙を挟んでからしほが電話越しで長嘆した。

 

『許可しましょう。あなたに限ってそんなことはないと思いますが、くれぐれも無様を晒し西住の名を汚さないようお願いします。よろしいですね?』

 

「はい。承知しております」

 

 言われるまでもないことだ。

 みほには許せないことがある。勿論不義がそれに当たるのだがもう一つ――自分の武名、勇名を汚されることである。こんなことがあった。みほが黒森峰から去った時、とある雑誌にみほが逃げたというような趣旨の記事が掲載された。これを目にしたみほは激怒する。その怒りようは天地も揺るがすほどで、

 

「無実の誹謗をして私の名声に傷をつけるとは言語道断! 絶対に許さん!」

 

 と、普段の落ち着いた様子を一変させた。それはさながら火山が噴火しような、常人には、真似のできないほどの怒りようだった。

 

 ただ、記事自体はみほのこれまでの名があったので戯言で済み、世間に浸透することはなかったため、怒りに任せての暴挙は未遂で済んだ。が、とにもかくにもこのような事から分かる通り、名誉心を重んじるためか名を汚されることを極端に嫌っているのだ。

 

 母であるしほに言われずとも無様を晒すつもりはさらさらない。

 

『それでは、私はまだ仕事がありますので』

 

 電話が切れるとみほは手に持っていた携帯電話を机の上に置く。

 一先ずこれで戦車道を再開することが可能だ。そもそも始める事すら出来ませんでした、となると杏たちに合わせる顔がなくなる。みほはほっと一息ついた。

 

 それから部屋の少し離れたところに置かれている小さな仏像の前で、結跏趺坐の姿勢をとった。足背で左右それぞれの腿を押さえる、胡坐に近い禅定修行の座り方である。

 仏像は毘沙門天を象っていた。毘沙門天は仏法守護の武神であり、インドに伝わる四天王の一人多聞天でもある。北天を守護する役目を持ち、後に王城鎮護の神となった。

 

 その毘沙門天象に向かって合掌する。

 みほはこの毘沙門天を篤く信仰していた。最初は母のしほに言われてやっていただけである。姉のまほはこんなことやっていないのに、どうして自分だけがやらなくてはならないのか。当初は不思議がったものだ。だが、嫌ではなかった。どことなく惹かれるものがあったからである。

 

 成長するにつれて、みほは自分から祈るようになった。どうして毘沙門天に惹かれていたのかが分かった上に、本気で加護があると感じたからだ。

 今では一日たりとも欠かせない日課である。

 

「南無帰命頂礼毘沙門天…………」

 

 口ずさむと、みほの身体に毘沙門天の力が駆け巡るよう感じた。爽快な気分である。

 しばらくじっと祈りを捧げた後、みほは立ち上がってからベッドの上に寝転んだ。時計に目を移せば三十分経過したというところだった。このまま眠ってしまおうかと思ったが、まだ夕食を摂っていないことに気づく。

 

 仕方がない、と起き上がって冷蔵庫の下へ向かおうとした時、机の上で携帯電話が振動を始めた。

 誰あろう、しほが言い忘れた事でもあって掛け直してきたのか。予想しながら手に取ってみると、画面には『姉上』の文字だ。

 

どうやら電話の相手は姉のまほであるらしい。

 

「もしもし」

 

『もしもし? 私だ、まほだ』

 

 電話を掛けてきたまほはいきなり本題に入ることはなかった。この点はしほやみほと違う。彼女も彼女でどちらかと言えば一般的ではなかったが、姉らしい姉ではあった。

 新天地でみほが上手くやっているのか、自分は元気にやっているということ、みほが居なくなった黒森峰の機甲科は現在大混乱に陥っているということなどを語る。

 放っておけばいつまでも話していそうなので、切りの良い所で話を区切らせると本題に入ってもらった。

 

『聞いたぞ。お前、戦車道をまた始めるらしいじゃないか』

 

「情報が早いね」

 

『其の疾きこと風の如し、なんてな。つい先ほどお母様から聞いたんだ』

 

「そっか……」

 

 恐らくだが本題はそこではなく別にあるとみほは思った。先ほどの世間話の際、妙に黒森峰機甲科の話が多かった気がするのだ。しかもみほが居なくなってからというのを強調しており、やれエリカがどうだとか、小梅がどうだとか交流の深かった人物のことを語り、遠回しにみほを責めるようなところがあったのである。

 

 これに止めると決意した筈の戦車道を、もう一度始めることになったことを加味すれば、敏いみほである。姉が何を言いたくて電話してきたかが分かるというものだ。

 

「姉上、私は戻らないからね」

 

『むっ……』

 

 機先を制されてまほが言葉を詰まらせた。どうやら当たっていたらしい。

 戦車道を再開するのなら黒森峰に帰って来てほしい。そんなことを言うつもりだったようだが、あいにく帰るつもりは毛頭ないのだ。それに杏とのことがある。このまま一気に押し切ってしまおうとみほは続けた。

 

「確かに戦車道に再び身を染めることになったけど、それは私の私利私欲に基づいたものじゃないの。助けを乞われた以上、見過ごすわけにはいかなかったから。だから戻って来いなんて言われても戻るつもりはないからね」

 

 きっぱりと言い切った。

 

『だが、黒森峰にはみほが必要なんだ。お前の気持ちは重々承知しているが、私たちの気持ちも慮ってくれないか?』

 

 食い下がるまほにみほは言い返した。

 

「姉上やエリカさんたちの気持ちを慮るのはやぶさかでもないけど、あんなくだらない人たちの気持ちは知ったことじゃないし知りたくもないよ。そちらには姉上がいる。私が居たところでどうせまた……一つの身体に二つの頭は要らないんだ。それに助けを乞われてそれを受けた以上やることを果たさないと私は不義の輩になってしまう。それだけは耐えきれない」

 

『そうか……分かった』

 

 どうやら納得してくれたようだ。もとより、この話はダメもとなのだろう。残念そうにため息をつく姉の姿が目に浮かんでくる。

 姉には苦労をかけてしまっているがそれはそれ、少しばかり心は痛むものの、後悔は微塵もない。

 

『今度会う時は違う高校で敵同士か』

 

「そうだね。容赦はしないよ」

 

『こちらこそ。この際だ、どちらが優れてるのか決着をつけようじゃないか。何だかんだで本気でやり合ったことはなかったからな……負けるなよ』

 

 ムッとみほの表情が歪んだ。表面上穏やかであるものの、元来は気性が激しく、自尊心が強い。それにまだまだ年齢で言えば小娘である。まほの自分と戦うまで他の人に負けるなよ、という言葉はみほにとって侮りにしか聞こえなかった。誰に向かってモノを言っているのかと怒鳴りたくなったが、グッと抑え込む。

 

 そうして、厳しい口調ながら、しかし努めて怒りを表に出さず言った。

 

「私が弓馬を持ち、あるいは戦車に乗れば、人に劣るところは何もない。姉上の心配は無用のことだよ」

 

『ああ、そうだな。お前は強いからな』

 

 みほの自信たっぷりの言葉に電話越しでまほが笑った。相変わらずだとでも思ったのであろう。みほが黒森峰から大洗に転校してまだ半年とも経っていない。そんな時間ではそうそう人が変わることはないし、自我の強いみほであるから、住む場所が変わって十年、二十年経とうとも自分を貫き通すだろう。

 

『取りあえず話はこれで終わりだ。再会する日を楽しみにしている』

 

 とまほが言い残すと、通話がそこで切れた。

 みほは再び携帯電話を机の上に置く。ぐぐぅと腹が鳴った。また随分と長話になってしまったので腹が癇癪を起したらしい。

 早速夕食の準備に取り掛かった。

 

 今日の夕飯は、玄米の飯を山盛り、豆腐とわかめの味噌汁に焼け鮭、それと胡瓜の漬物に大好物の梅干しであった。食べ終ったみほは歯を磨いた後にぐっすりと眠りに入った。

 

 

 

 

 


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