軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

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その②

 暦の上では夏だと言うのに凍てつく寒さが続く。

 次の試合が行われる場所は、極寒の北の地である。なので、大洗の学園艦は緯度五十度を超えた地点を進んでいた。少女たちは一昼夜にして夏と冬が逆転したような気温に頬を赤らめ、身体はかじかんで動きが鈍り、吐く息は白い。

 嫌な寒さだ。ついこの前までからりと気持ちの良い晴れ空であったと言うのに、どんよりと曇っている。心にまでどんよりと寒気が押し寄せ、暗鬱たる気分にさせられた。

 大洗の少女たちが季節外れの慣れない寒さに苦しめられている中、一人みほだけは何ともない様子であった。九州の熊本出身であるから北の寒さなど知らない筈なのに、どこか懐かしげですらある。

 

(私は熊本の出であり、この寒さは知らない。だと言うのに、まるで故郷に帰って来たかのような安心感がある。知らないのに知っている。はてさて、どういうことか)

 

 生徒会長室の窓よりはらはらと雪が舞い踊っているのを眺めながら、みほはそう思った。

 そのみほの背後には、暖房のために置かれた炬燵にしがみつく四人の少女。ストーブなどという大層な代物は存在していないので、寒さを乗り越えるために炬燵を存分に利用して生存を図っていた。

 四人の少女の一人、杏が感心と呆れを含んだ目をみほの背中へと送る。

 

「西住ちゃん、寒くないの?」

 

 振り返ったみほは、ここ最近では珍しいほど穏やかな笑みを浮かべて答えた。

 

「どうもそのようでございます」

 

 すると、梓が盆に六人分の湯呑を乗せて炬燵の下へとやって来た。一人一人に丁寧に手渡していく。みほも炬燵に腰を落ち着けてから、湯呑を受け取った。

 

「ごめんね、梓ちゃん。私がやるべきだったのに」

 

「気にしないで下さい、副会長。それよりも味が皆さんのお口に合うと良いのですが」

 

 もうもうと湯呑から立ち込める湯気にはほのかな温かさがある。両手に持った湯呑自体の温かさと合わせると、ほかほかとしていて快い。寒い時には温かいものに限る。冷えた両手を温めながら、ゆっくりと六人は茶を啜った。五臓六腑に染み渡る。

 

「美味いなぁ」

 

 自然と、ほんのりとした息と一緒に桃が感嘆を吐いた。他の者たちも口々に茶の味を誉める。勿論、みほも誉めた。

 梓の頬に血の色が差す。寒さによるものではなく、手放しに誉められて恥ずかしくなったのだろう。はにかみながら俯いた。

 

「そろそろですね」

 

 茶を飲み終わり数分後、再び梓は席を立った。柚子も一人では危ないと梓の後を追う。そうしてどこかへと向かい戻って来た二人は、大きな鍋を手にしていた。

 炬燵の中央部に置かれた鍋の蓋を開けると、ぐつぐつと煮え立っている野菜、そして大洗の名物であるあんこうが姿を現した。

 

「やっぱ、寒い時は鍋だよね~」

 

 待っていましたとばかりに、杏が手を叩いた。寒い時は温かいもの、中でも鍋は外せない。早く食べたいのか、皿と箸を人数分配ってから鍋に箸をつける。

 アンツィオでご馳走になった料理も美味かったが、こちらも負けてはいない。杏はもの凄い勢いで鍋の中身を減らしていく。

 

「あの、今更ながらでありますが、私もお相伴に預かっても良いんですか?」

 

 どうして自分がこの場に呼ばれているのか理解できないのか、優花里が小首を傾げる。

 今この部屋にいる六人は、みほ・杏・桃・柚子・優花里・梓の六人だ。どういう基準の集まりなのか優花里が理解できないのも無理はない。

 杏が外の雪で化粧したように真っ白な歯を見せて笑った。

 

「良いの良いの。だって、西住ちゃんの本性知ってる同盟の一人なんだし」

 

「それはどういうことでございますか?」

 

 みほの視線が杏を捉える。

 杏はさらにニヤリと口角をあげた。

 

「穏やかで落ち着いた性格かと思いきや、その正体は癇癪持ちの怒りん坊。エヴェレストも吃驚のプライドの高さで、世間から評価されることが大好き人間。それだけじゃなくて、お母さんとお姉さんのことも大好き。つまるところ、短気で自尊心と名誉心の塊で、おまけにマザコンとシスコンを併発したお子様。これが軍神西住みほの実態なのだ~ってね」

 

 うわははは、と杏は明るく賑やかに笑った。

 これに戦慄を覚える優花里。彼女はこの時、抽選会が終わって直ぐの戦車喫茶でのことを思い浮かべていた。その大好きな姉にすら冗談で笑われれば怒りを露わにするみほに対して、こんな馬鹿にするようなことを言えば腹を立てるに決まっている。

 恐る恐る優花里がみほに視線を送れば、怒りを堪えている様子であった。場の雰囲気を読んでか、それとも精神修行の成果が出ているのか、優花里はホッと胸を撫で下ろす。

 が、ここには馬鹿にされて怒る人物として、みほ本人以外にも一人存在している。みほの愛弟子である梓だ。怒れない師匠の代わりに自分が怒るとばかりに、ムッと唇を尖らせる。

 

「みほさんは憤ることが多いですが、理不尽な怒りを人に表すことはありません。自尊心は自分に誇りを持っており、名誉心は人に誇れる人間であろうとしている証左です。また、お母さんとお姉さんという家族に対して、愛を示すことは当然のこと。何もおかしいことではなく、これをさも奇異的に語る方がどうかしています」

 

 おお、と感心したように一同は梓を見やる。物は言いようという言葉の意味を実感するところだった。また、何と弁舌爽やかなことであろうか。弁舌と掛けるわけでもないが、舌を巻く以外の反応が一同には出て来なかった。

 教えを授ける者として、梓のこの見事ぶりはみほも感慨一入と言ったところである。堪えていた苛立ちはすっぱりどこかへと消え去った。

 これだけではありません、と梓は言葉を滔々と続ける。

 

「勇猛果敢で、頭は冴え渡り機知に富んでいて、清廉潔白で人を絶対に裏切らない。常に堂々としていて、器量は海のように広くて、教養は深く、礼節は整い、神仏に対する信仰は殊の外篤い、それに――」

 

「もうよい、いくら何でも言い過ぎではないか。何とも面映ゆい気分。梓、そのくらいにしてくれ」

 

 誉められることは慣れているとは言え、限度と言うものがある。

 梓の言葉を途中で遮ったみほの顔は熱を帯びていた。

 そんなみほに向けて、杏が梓の遮られた言葉に付け加える。

 

「それに、助けを乞われれば見捨てない、信頼に値する人でもある」

 

 思いもよらず、その言葉は場に静寂を生み出した。

 先のようにからかいが混じったものではない。しみじみと胸の内より吐き出されたものだった。杏は鍋にそっと視線を移しながら、口を開いた。

 

「もう準決勝かぁ。西住ちゃんがいなかったら、絶対にここまで来れなかった。私、西住ちゃんが西住ちゃんで本当に良かったって思ってるよ。然諾を重んず。危ない所もあったけど、何だかんだでここまで私たちを引っ張ってくれた。私たちがここまで来れたのは、西住ちゃんのお陰だよ」

 

 杏は小柄な身体を向き直してしゃんと正すと、真っすぐみほを見つめた。

 

「ありがとう。本当にありがとう」

 

 目が潤んで来た。杏の顔は上気し、みほに対する絶対の信頼と感謝をひしひしと感じさせる様子である。

 こんな思いを見せられれば多感なみほがどうにも思わない筈は無い。胸に迫って来るものを感じて、自分がいなければ本当にどうしようもない状況だったのだと、杏が酷くいじらしかった。

 ただ、感謝の言葉を受け取るのは今ではない。準決勝、そして決勝を勝ち抜いて大洗を廃校から救った時こそ受け取るべき言葉である。

 きっと容を整え、みほは言った。

 

「そのお言葉は、今は不要のものかと思われます。私は未だやるべきことをやっておりません。現在はその道半ばでございます。大洗に優勝旗を飾った時にこそ、そのお言葉は受け賜わらせていただきましょう」

 

「うん、分かった」

 

 杏は目元を拭って、大きく頷いた。

 再び、場に静寂が戻る。

 梓と優花里が顔を見合わせた。みほと杏のやり取りはただ事ではない。一体どういう意味があるのだろう、と考えてみるが、廃校を阻止するために生徒会がみほに助けを求めたなんて答えは、当然出なかった。故に二人は気にしないことにした。無理に考えずとも、いつか、知るべき時に知るだろうという判断だ。

 

「それじゃあ、早く鍋食べちゃいましょうか。温かいうちに食べておかないと」

 

 静寂を崩して柚子が言うと、それもそうだと一同は鍋を食べ始めた。和気藹々とした様子で、みるみる間に鍋の中身を胃に収めていく。鍋を食べて十二分に身体が芯から暖まった頃、何気なく外を見た桃が言った。

 

「プラウダの連中は、この寒さなど寒いとは感じないのだろうなあ」

 

「そうだね。プラウダ高校の人たちにとっては、日常のことだから」

 

 柚子が桃の呟きに答えると、みほが荒々しい言葉を放った。

 

「ならば私たちが寒さを味合わせてやりましょう。私たちの力を十分に見せつけ、奴らの心胆を寒からしめてやろうではございませんか」

 

「流石、西住ちゃん。頼りになるねぇ。そうだ、頼りになると言えば、澤ちゃん。さっきは凄かったよ。あれだけすらすら堂々と反論して来るとは驚いちゃった」

 

 そこでさ、と悪戯を思い付いた悪戯小僧のような顔で、杏が梓を見る。

 

「カチューシャが何か言って来たら、澤ちゃんが一々反論するってのはどう? 丁寧に、礼儀正しく、さ」

 

 ようは弁戦を仕掛けるのである。本戦前の前哨戦。上手く行けばこちら側の士気を上げることも可能だ。

 面白い。一泡吹かせてやろうじゃないか。六人の意見は瞬時に一致した。

 

「梓、やれるか?」

 

「はい」

 

「声を荒立てず、罵倒、嘲笑の類を厳禁とし、あくまで礼節を以って行うのだ。本当にやれるな?」

 

「任せて下さい」

 

「よし。ならば任せたぞ」

 

 梓はみほに頼りにされたということに瞳を輝かせ、何度も頭を上下させるのであった。

 


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