軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

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その③

 みほは試合会場に足を踏み入れた。空を仰げば陽の光はない。とは言え夜ほどに暗くもなく、地上は細やかに輝き積もる雪の影響で明るい。

 こごえるような風が吹き立てみほの頬を撫でて、はたはたと雪世界に映えた白い頭巾を揺らす。しんしんと身に染みる冷気が、寧ろ心気を冴え冴えとさせて、気分を高揚させた。感動すら覚えながら、瞼を閉じる。

 

(雪が積もっている。四百年以上前、不識庵謙信は雪によりその動きを多々縛られることがあった。しかし今私は、この雪を踏み締めて戦おうとしている。人はもう、雪による拘束から解かれたのだ)

 

 時代の流れをその身で感じ感慨を覚えていると、梓が、

 

「みほさん。どうやらやって来たようです」

 

 と、伝えて来た。

 

「そうか。来たか」

 

 カチューシャがやって来たらしい。

 さて、どのような者であろうか、とみほは梓を伴ってカチューシャの下へと向かう。

 カチューシャは大変小柄な女であった。小さいどころではなく、子供ほどの背丈しかないのだ。しかも顔まで幼児のようでいて、言われなくては子供と勘違いしてしまいそうだった。待たされることが気に食わないのか、ありありと不機嫌が滲み出ている。

 そのカチューシャの半歩ほど後ろ、カチューシャとは対照的な大柄の女が一人。端整であるが冷めた顔立ちをしている。場所が場所だけに雪女と見紛ってしまいそうだ。情報によればノンナと呼ばれているらしい。

 みほが二人の前まで来ると、カチューシャは鼻息で苛立ちを表し、ノンナは視線だけをみほへと移す。

 

「お待たせして申し訳ありません。私が大洗女子学園戦車道の隊長を務めている、西住みほです。ようこそお運び下さいました」

 

「私は、澤梓と申します。どうぞお見知りおきのほどを」

 

 二人は礼に則って挨拶をした。アンチョビの話によればカチューシャは並の傲慢ではないらしいが、一体どれほど傲慢なのだろうか。みほと梓は反応を待つ。

 するとカチューシャは不躾な視線をみほに送った。そうして何が癇に障ったのか大きく舌打ちを響かせると、ノンナの名前を呼び、次の瞬間とんでもない行動に出た。

 呼びつけたノンナの背中をよじ登ると、肩車の体勢を取ったのだ。大柄なノンナに肩車をされていることで必然的に視点は高くなり、カチューシャはみほたちを見下しながら嘲笑した。どうも身長が低いことがコンプレックスなようで、自分がみほたちを見上げる立場にあることが気に入らなかったようだ。

 そんなことは知る由もなく、仮に知っていたとしても許しては置けない。全体的におおらかな風潮がある大洗戦車道履修生たちですら、カチューシャのこの態度に不快感を示し、梓も思わず呟いた。

 

「……何て、し、失礼な」

 

 この呟きの隣でみほは愕然としていた。カチューシャの礼を失した態度を目の当たりにし、梓の呟きは大いに意を得たものである筈なのに、容易く同意出来ないでいた。

 

「カチューシャめ! 鼠め! 無礼無礼と聞いてはおったが、これほどのものとは! もう許さん!」

 

 こんな気持ちがなかったわけではない。ない筈がない。だと言うのにみほの心には怒りが僅かも浮かんで来なかった。そればかりか、軽蔑すらしていない様子であった。ただただ言葉を失って唖然としていた。狼狽えていると言ってもよい。

 

(何だ? 何をやっておるのだ、この者は)

 

 初めてだったのである。十六年生きていればそれなりに人と会う機会があった。礼儀正しい者もいれば、無礼な者とて勿論いた。横暴、横柄な者には当然腹を立てた。けれどもカチューシャほどの者はいなかったのだ。初対面でありながら名乗りをすることもなく、こちらの挨拶を無視し、いきなり肩車をする人間。怒りや軽蔑を通り過ぎて驚くしかないのであった。

 ついには、

 

(傾奇者か?)

 

 こういう考えに至った。

 傾奇者とは、一見して変わった格好を好み、異様な振る舞いで人を驚かせることをこよなく愛する人種のことだ。カチューシャがこの傾奇者ならば、突然の肩車にも一応の説明がみほの中ではつく。

 だが的外れも良いところである。カチューシャは傾奇者などではない。肩車は身長差で見下されることを嫌っただけの話だ。みほを驚かせてやろうだなんて意思はまったくない。

 みほが思考していると、カチューシャがぷっと吹き出し、次いで大声を上げて笑い出した。

 

「ふふふふふ、あはははははは! なあに、その間抜け面! 西住みほ、貴女私を笑い死にさせる気かしら! おかしくってお腹痛いわ!」

 

 カチューシャはノンナの上で、みほを指さし腹を抱える。

 甲高い笑い声を聞いて、みほは次第に落ち着きを取り戻す。落ち着きを取り戻すと、腹の底から憤りが込み上げて来た。

 

(子供のようであろうと、傾奇者であろうと、一個の人間ではないか。ならば人としての礼儀を無視して良い筈がない。そもそもこの者は私より歳を重ねておるのだぞ。だと言うに斯くのごとき慮外ぶり。到底看過しておけるものか)

 

 と、思わずにはいられなかった。

 けれどこの憤りを表には出さない。幸いなことに精神修行が実を結んだのと、吹いて来る寒気が良い具合に怒りという名の熱の上昇を抑えていた。みほは極めて平静に努めながら、そっと梓に目配せをする。予ての通り、この無礼者めの対応はお前に任せる。良いようにせよ、という意だった。梓は悟ってから一歩前へ出る。

 カチューシャの注目がみほから梓へと移った。今梓の存在に気付いたかのように、何だこいつはと怪訝そうな表情をしている。

 梓はニコリと微笑みながらカチューシャを見返した。

 

「卒爾ながら少々伺いたいことがあるのですが、カチューシャさん、よろしいでしょうか?」

 

 得物を持たない戦いの口火を梓が切った。

 

「私は近頃、みほさんより様々なことを学んでいるのですが、まだまだ浅学だと言わざるを得ません。ですからカチューシャさんには、浅学な私に是非教えて頂きたいのですが、プラウダ高校では独自の礼儀があるのでしょうか? カチューシャさんが見慣れない挨拶をしていますので、気になったのです」

 

 貴女の学校では初対面の相手に対する挨拶として肩車をするのか? こう訊ねているのだが、言外に常識的な挨拶の仕方も知らないのかという意味を含めている。浅学な私でも知っているのに、貴女は知らないのかと侮蔑を込めているのであった。

 直接、非礼になるような物言いをすることは、逆に自分たちを貶める結果になるのでみほより禁じられている。なので、間接的に攻めているのであった。

 そんな梓の言葉の真意を読み取れないカチューシャではない。飛べば吹くような弱小校の分際で、私を馬鹿にしたな! 許せないという気持ちが口をついて出て来た。

 

「よくも、カチューシャを侮辱したわね! 粛清してやる!」

 

 流石にプラウダ高校戦車道の隊長をやっている者だ。子供のような容姿、声とは裏腹に人を威圧する凄味がある。

 しかし梓はたじろがず、微笑みを絶やさない。そればかりか腹の中では、何が侮辱しただ。お前だってみほさんにとんでもない失礼を働いているじゃないか。神様が許したって、私はただじゃ済ませないからな、と思っていた。

 梓は腹の中を上手く隠しながら、頭を下げる。

 

「ごめんなさい。侮辱するとかそんなつもりはなかったんです。ただ、どうしてなのかな、と思っただけで、本当にごめんなさい」

 

 ぺこぺこと頭を低くする梓に、カチューシャは反撃とばかりに吐き捨てた。

 

「ふんっ。まっ、こんな大ぼら吹きの教えを受けているようじゃ、貴女みたいなのになってもおかしくはないわね」

 

 自分でも気づかずに梓は拳を握った。

 

「大ぼら吹きですか?」

 

「そうよ。自分のことを上杉謙信の生まれ変わりだとか、ばっかみたい。そんなことあるわけないじゃない。こんな自分の隊も碌に纏められないような無能が、あの軍神の生まれ変わりだなんて、ちゃんちゃらおかしいわ」

 

 間髪を入れずにカチューシャは答えた。

 無能という言葉に反応して、外野でやり取りを見守っている大洗戦車道履修生たちが殺気立つ。彼女たちは大なり小なりみほのことを人として尊敬しているのだ。挨拶の答礼をせずに無視して来たことといい、見下すように肩車をして来たことといい、挙句に無能だなんて嘲弄、もう黙っていられない。何か言い返そうと足を一歩踏み出したその時、みほが右手でそれを制した。

 この場は梓に全てを一任しているのだ。梓を信じて、余計なことをせずに黙って見ていろ、ということであろう。履修生たちは従ってその場にとどまった。

 その様子を梓は横目で見ていた。嬉しいことこの上ない。何としてでもみほの期待に答えなくてはと思っていると、心の底から言葉が湧き出て来た。思いのままにカチューシャへとぶつける。

 

「私はみほさんが、上杉謙信さんの生まれ変わりだと信じています。みほさんに伺いました。みほさんのお母様が夢で上杉謙信さんと出会い、産まれたのがみほさんだと。確かに、生まれ変わりだと断言する科学的証拠はありません。ですが、否定する証拠がないのも事実です。ならば可能性はあるということ。それに上杉謙信さんもお若い頃、部下の人たちには苦労されたとか。偶然ですが、みほさんもそうなんですよね。他にも共通する点が多々あって、ですから私は信じているんです。そもそも信じることは勝手ですからね」

 

 このような調子で、先ずは生まれ変わり説の否定について反論した。みほが歴史上の上杉謙信と似通った人物なのは事実であり、生まれ変わりなのを否定する根拠がない以上、信じるのは勝手なことである。神や悪魔の存在を信じるのと変わらないことだ。

 

「隊を纏めきれなかったというお話も、先ほど言いましたが、上杉謙信さんもそういう時期がありました。それにみほさんは今、私たちを完璧に纏めています。一人一人が人一倍個性的だと断言出来る、癖の強い大洗戦車道チームをです。断じて無能ではありません。無能な人間では無理なことです」

 

 まだこれだけで終わらない。もっと言いたいことがある。梓は次々と湧き出て止まらない言葉を吐き続けた。

 

「第一、無能であったら、私たちはこの場にはいません。間違いなく初戦で負けていました。奇跡が起こっても二回戦で負けていました。ケイさん、アリサさん、ナオミさん、アンチョビさん、ぺパロニさん、カルパッチョさん。みほさんが無能ならば勝てる人たちではありませんでした。彼女たちに勝てたということは、みほさんが有能である証です。大体、みほさんが有能なことは、カチューシャさん、あなた達もよっぽど身に染みている筈ですよ」

 

 最後のは、昨年の大会のことを強調しているのだ。みほが無能であれば、まほの下で団結した黒森峰にあなた達は勝てなかった。有能であったからこそ、人を惹き付ける人間だったからこそ、あなた達は勝てたのだ。それを忘れて思い上がったことを口にするな。

 こういう意味の言葉で梓は最後を締めたのだった。

 カチューシャは黙って梓の話を聞いていた。合間に口を挟もうとしていたのだが、終ぞ出来なかったのである。

 話を聞き終わると、カチューシャは忌々し気にみほへと言った。

 

「大層な番犬を手に入れたわね」

 

 みほは訂正を強く、また誇るように返した。

 

「私の自慢の弟子です」

 

 その返しにカチューシャは何も反応を見せなかった。

 それから、ノンナ、とカチューシャが名前を呼ぶと、ノンナは小さく頷いて、初めてみほたちへと口を開いた。

 

「до свидания」

 

 さようなら。目礼と一緒にそう言うと、カチューシャを肩車した状態で、自分たちが乗って来た車の下へと戻って行く。

 去って行く後姿を見ながら、梓はほうと息をついた。

 みほが梓の肩を軽く叩く。

 梓が見上げると、

 

「よくやった」

 

 と言ってるかのように、笑みを浮かべるみほの顔がそこにはあった。

 

 


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