軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

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第十話 毘沙門天降臨
その①


 果たして、カチューシャらの推察はことごとく当たっていた。

 大洗戦車道履修生たちは確かに慢心が見て取れ、みほを侮辱されたことへの怒りは積もる雪をも溶かさんばかり、またカチューシャへの侮りも中々のものである。

 ただ、みほはこの現状をさして問題視はしていなかった。怒りや驕りは時に士気を高めることに一役を買う上、あまり口うるさく怒鳴ろうものならそれこそ士気の低下に繋がる。各車輌のリーダー級の者だけには気を引き締めさせ、それ以外には好きなように気を持たせていた。

 

「相手の隊長は大口の割には大したことなかった。見た目同様に器量の小ささが滲み出ていたぞ。我らの隊長と比べるのも可哀そうなほどだったな」

 

 左衛門佐が呵呵大笑すると、エルヴィンとおりょうがその通りだと続く。そこにカエサルが戒めを加えた。

 

「お前たち、油断は禁物だ。大体私たちは油断できるほどの余裕はない」

 

 このような光景がそれぞれのチーム内で見られた。よしよし、これで良いとみほは思った。皆が皆、気を張り過ぎて息巻くより理想的な形である。

 試合開始の時間が迫って来ると履修生たちは戦車へと乗り込んだ。それから雪の中を進んで、試合開始地点へと向かう。

 戦車の中は外同様に、あるいは外以上に寒かった。エンジンの熱で多少は緩和されるかと思われたが、鉄が寒気にやられたようである。痛いほどに冷たい。

 履修生たちは持ち込んだカイロで暖を取る。これで少しはマシになった。

 

「う~っ、これじゃあプラウダじゃなくて寒さに負けそうだよ~」

 

 カイロを頬に当てながら、冗談めかして沙織がぼやいた。

 でしたら良いものがあります、と優花里が自分のリュックを探る。取り出したのは小型のポットであった。

 

「ココア作って来ましたので、皆さん飲んで下さい。暖まると思いますよ」

 

 優花里は五人分の紙コップを用意して、そこにココアを注いでいく。戦車内にココアの甘い匂いが充満し、鼻孔の奥をくすぐる。

 

「それではどうぞこれを」

 

 一人ずつ丁寧に手渡していく。

 優花里はみほに渡す時にだけ、申し訳なさそうな顔をした。

 

「西住殿には大変申し訳ないのですが、お酒は無いのでココアで我慢して頂けると幸いと言いますか、何と言いますか……」

 

 その言葉に沙織と華がクスリと口元に手を当てた。二人はみほが酒を嗜んでいることを知っているので、優花里の言葉は十分にユーモアとして感じとれるものだった。

 

「残念だったね。お酒じゃなくて」

 

「ふふふ、お酒はまだまだお預けですね、みほさん」

 

 白く甘い吐息を吐きながら、沙織と華はふわふわとそんなことを言った。

 優花里からココアを受け取りながら、みほは困った様な笑みを浮かべる。

 

「流石に戦車に乗りながらお酒は飲まないよ」

 

 これに反応して来たのは麻子であった。真顔でほんの少し首を傾げながら、みほに言い放つ。

 

「西住さんは飲んでいても全然おかしくないと思うが」

 

 馬上杯のことを言っているのである。謙信は戦場にあって、馬の上で酒を飲んでいたという話があるほど酒好きなのだ。もうこの頃になれば、大洗戦車道履修生たちの間で、みほが謙信の生まれ変わりだという説は事実として認識されている。麻子の発言も、その説を信じるが故の発言であることは言うまでもない。

 

「いや、ハハ……」

 

 言われても飲まないものは飲まないのだ。渇いた笑いしか出て来ない。弱った。

 そうこうしている内に戦車は試合開始地点に到達した。時間はまだ少し余裕があるようなので、試合に関して最後の確認を行う。咽頭マイクを通して、みほの声が各戦車に伝えられた。

 

「今回もまたフラッグ戦。私が敗れるか、プラウダのフラッグ車を討ち取るか、勝敗はこの二つに一つです」

 

 大洗のフラッグ車は一回戦、二回戦と変わることなくⅣ号戦車であった。普通はフラッグ車をどれにしようか悩み、相手を攪乱させるものである。けれど、自分を恃むところが強いみほであるから、自分が乗る車輌以外をフラッグ車にしようという思考は欠片も存在していない。武運拙く自分が敗れるようなことがあれば、もうその戦いは負けだ。そう思っているのだった。

 

「サンダース、アンツィオ同様に敵の数は圧倒的ですが、何も数ばかりが勝利を呼び込む決め手でないことは、各々方は承知のことの筈。何より我らには毘沙門天の加護がある。焦らず、恐れず、悠々とやりましょう。さて、各々方の中で何か意見がある方はおられますか? 時間も少しあります故、聞きましょう」

 

 通信機越しで真っ先に声を上げたのはエルヴィンであった。

 

『隊長、悠々と言ったが、私としては速きに越したことはないと思うぞ。我々は今勢いに乗っている。聖グロリアーナ、サンダース大付属、アンツィオ高校、これらに勝利した余威をもって一気呵成、乾坤一擲に敵のフラッグ車を狙うのは如何か?』

 

 エルヴィンの意見に多くの賛同する声。その声の中には杏のものもあった。一理あるとみほの耳に通信が入って来る。

 

『後漢末期、その中でも三国志の時代で名を馳せた魏王曹操が愛した天才軍師、郭嘉曰く、兵は神速を貴ぶと言う。また、武田信玄の旗印風林火山の風は、其の疾きこと風のごとく、だ。遅いよりも速いだよ。特にこれが重要なんだけど、西住ちゃんって雪での戦いは初めてなんでしょ? プラウダ高校は雪慣れしている。謂わばホーム。何が起こるか分からない以上、長期戦は不利だと思うよ』

 

 みほは黙っていた。意見が気に入らないわけではない。他に意見はないのかと無言で問うているのである。

 ならばと答えたのは梓であった。

 

『エルヴィン先輩や会長の意見は、なるほど道理でしょう。しかし私は、道理ではあるが、危険だと見ます。サンダースさんとの戦いと同じです。結局はそういう作戦を採りませんでしたが、サンダースさんの時にフラッグ車だけを狙うという考えが出たのは、相手のフラッグ車が単独で行動して、尚且つ想定しやすい場所に身を潜めているという情報があったからです。ですが今回は違います。相手のフラッグ車が何で、どこにいるのか、そもそも単独か、周りを固めているのか、それすらも分かっておりません。なのに勢いのままに猛進し続けるのは危険です。ここは偵察を出し、進んで、止まる。そうしたらまた偵察を出し、進んで、止まる。これを繰り返し、着実に堅実に行きましょう』

 

 この意見にも賛同する声が多く上がった。

 意見は完全に二つに分かれる。こうなって来るとどちらの意見がより有用的なのか、皆、顔を合わせずに喧々諤々と罵り叫びあった。

 

『臆病風に吹かれたか。プラウダ如き何するものぞ。我々には謙信公が付いているのだ! フラッグ車を見つけ出すまで突き進み、邪魔する敵は叩き潰してしまえば良い!』

 

 エルヴィンが威勢よく言えば、

 

『私、知ってるよー。先輩みたいな人のことを匹夫の勇って言うんだよね。この前授業に出てた』

 

 M3中戦車リーの通信手・宇津木優季がたっぷりの嫌味を込めて返す。ただ上手く聞き取れたのはこれだけで、もう他はほとんど雑音同然であった。

 みほはやはり黙っている。いつまでも黙っているので、リーダー級の者たちが宥め始め、やがて喧騒は段々と静まっていき、ついにはひっそりと声を潜めた。

 すると、この時を待っていたように、審判が通信を入れて来た。

 

『大洗女子学園、準備はよろしいでしょうか?』

 

 みほは静かに答えた。

 

「はっ、こちらは準備が出来ております」

 

 返信を聞いて、審判は通信を切った。それから数瞬沈黙が続き、みほは各車輌へと通信を送った。

 

「どちらの意見も最もなことでした。私は確かに雪上での戦いには不慣れで、どのようなものなのかをいまいち理解しておりません。故に慎重論を採りたいと思います。急くのは私の持ち前ですが、抑える時には抑えます。勢いだけが戦いではありませんから、ハハ、ハハ」

 

 最後は笑って締めた。

 みほがこうやると決めた以上、もう反対する者はいない。通信越しから口々に、了解、という二文字が放たれてみほの耳朶を震わせる。

 不意にひゅるひゅると音が鳴って、陰々とした空に一筋の輝きが起こった。

 試合開始を知らせる照明弾である。

 

『プラウダ高校対大洗女子学園、試合開始!』

 

 審判からも試合開始の合図が成された。

 試合が開始したと思うと、突然にみほは昨年のことが頭をよぎる。昨年の決勝戦のことであった。

 

(負けなし、負けなし。軍神、軍神と呼ばれ畏怖されていた私が、唯一後れを取ったのが、このプラウダ高校。正々堂々負けようが、内輪揉めで負けようが、負けは負け。あの時の屈辱、今日、晴らしてくれようぞ)

 

 決意に胸を引き締め、ぎりぎりと噛み締める奥歯の隙間からひり出すように、力強く腕を振って指示を出した。

 

「全車進軍!」

 

 その指示に、六輌の戦車はきゅらきゅらと答えた。

 


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