その①
準決勝を勝利に終わらせ、学園艦へと帰還する大洗履修生たちの空気は重たい。とても勝者とは思われなかった。口一つ聞かず、大半の者たちは下を向いている。
原因はⅣ号戦車の中で紙束を眺めているみほだ。心ここにあらずと茫漠しながらも、無意識的に一枚、二枚とめくっている。時折、優花里や沙織などが声を掛けるが、届いていないようだった。故に、そっとしておいてやろうという判断になるのは当然のこと。
まるで敗者の様相で学園艦に帰還すると、その場で直ぐに解散となった。次の決勝戦のことには何も触れない。ただ一言、みほが言った。
「ちと、一人になりたい……。済まぬな」
この言葉を残してみほが去って行くと、自然的に皆も解散した。
翌日、さらにその次の日。みほからは何も連絡がない。そして連絡も取れないので、土曜日と日曜日の二日間は休みとなった。準決勝で傷ついた戦車たちを修理する時間が必要で、どの道練習出来ないから丁度いいと、杏が決めたのだ。
「まっ、西住ちゃんも二日あれば元通りになるでしょ」
と、杏は笑っていた。他も同じ気持ちだった。
しかし準決勝が終わって三日目、みほは杏の予想を裏切って学校に来ていない。未だ苦悩の中にあって、家に引きこもっているようだった。
これは流石に拙い。大洗戦車道履修生たちは、あまりにも自分たちが事態を楽観し過ぎていたことに気付いた。正直なところ、みほの黒森峰嫌いなところを知っていたから、嘆願などと言う情に訴えかけるようなことをされても、一蹴すると思っていたのだ。
けれどよく考えてみれば、嫌いな人間が相手でも真摯的な態度を取られれば一考するというのがみほである。こうなると予想して然るべきであった。
「もしかして西住殿……決勝戦の日まで来ないなんてことは……」
冗談めかして優花里が言う。
これに真面目な表情で桃が答えた。
「決勝戦までに出て来てくれるのならまだ救いがある。最悪、隊長は決勝戦の日になっても来ない可能性があるぞ」
あり得ない話ではなかった。
そんなことになってしまっては、とてもじゃないが決勝戦は戦えない。みほが居なくては、黒森峰と戦うことなど出来ないのだ。
「くそっ、隊長め。こんなところまで謙信公に似なくても良いものを!」
「それよりも黒森峰だ。隊長の性格を知っておきながら、卑劣だぞ!」
左衛門佐とエルヴィンが愚痴り歯噛みする。
そうは言っても仕方がない。こうなると取るべき道は、無理にでも家から引っ張り出す他はなかった。否が応でも何としてでも。
みほの気持ちは分からなくもないし、出来る事ならこのままそっとしておいてやりたいが、そうも言っていられる状況ではなかった。
「ちょっとこれから西住ちゃん家に行って来るよ」
杏が言うと、我も我もと皆が付いていこうとした。
ぞろぞろと全員で行けばそれはそれで効果がありそうだが、ようやく戦車の修理も終わり練習が出来る状態になっているのに、練習をしないわけにはいかないので、少数で訪ねることになった。それぞれの学年を代表して、杏、優花里、梓の三人。
午前中、昼食前の時間帯だ。
道中、優花里がこんなことを杏に訊ねた。
「西住殿、どうするんですかね? やっぱり、黒森峰に帰っちゃうんでしょうか」
「さあね。私としてどっちでも良いかな。だってさ、帰る帰らないったって、決勝戦が終わった後の話でしょう。だから私としては、西住ちゃんの好きなようにしてくれれば良いと思うね。でもまっ、私の予想では帰ると思うよ。なんたって西住ちゃんなんだし」
さらりと杏が答えると、ムッと梓が頬を膨らませた。
「何ですか、それ? 帰ってもらった方が良いみたいに……」
「そう怒りなさんなって、澤ちゃん。澤ちゃん的には帰って欲しくないかな? 大切なお師匠様だもんね。出来れば長くずっと一緒に居たいかな?」
「当然です。私はまだまだみほさんから教えて欲しいことがたくさんあるんです。それに……そのぅ……うう、とにかくそういうことです!」
声を荒げる梓の顔は赤い。怒りか別の感情か。
「私だって帰って欲しくないでありますよ。折角友達になれたんですから」
「そんなお二人さんに良い提案があるよ。もし本当に西住ちゃんが黒森峰に帰ることになったら、お二人さんも黒森峰に転校すれば良いじゃん。そしたら一緒にいられるよ」
そうだ、その手があったか。優花里と梓はぽんと手のひらを打った。名案だと分かりやすく顔を綻ばせる。
からかい半分で言った杏は、これで本当にみほを慕って二人が転校したらどうしよう、と苦笑いを浮かべるのであった。
「さて、着いたね」
そうこうとしている内に、みほの住まいに辿り着いた。
寮住まいのみほの部屋は三階にある。三人は階段を使って三階まで上り、みほの部屋の前までやって来た。すると、杏はおもむろに携帯電話を取り出し、みほに掛け始める。六度ほど着信音を聞くと、掛けていた電話を切った。
「やっぱり、出ないね」
「でしたら、次はこれですね」
ドンドンと優花里がドアをノックする。来客を告げる合図だが、みほが出て来る様子はない。
「大声で呼んでみますか?」
ここの寮に住んでいるのは学生だけで、今日は月曜日で普通に学校がある。大きな音や声を出しても迷惑になることはない。杏と優花里は梓の提案に乗った。
せーの、と三人は肺に空気を溜め込み、放出する。
「西住ちゃん!」「西住殿!」「みほさん!」
反応は――ない。
気付いていないのか、それとも気付いていながら無視を決め込んでいるのか。三人は顔を見合わせながら、はあ、と息をついた。
「まるで天の岩戸だね」
けれどもここには、踊りで興味を引きつける
「寮の管理人さんに鍵を貸してもらおう」
三日も連絡が取れない友人を訪ねたけど、反応がなくて心配になったとでも言えば貸してくれるだろう。くれずとも部屋の鍵を開けてくれはする筈だ。無理にでも家から引っ張り出すと決意して来たのだから、これぐらいはしなくてはならない。
どうだ、と杏は二人の顔を見た。その顔はあまり乗り気ではなさそうである。
「二人ともどうしたの?」
「いやあ、そこまでする必要はない気がしまして」
「そうですね。会長さん、このままもう帰りませんか?」
何を言うと思ったが、続く優花里の言葉で納得させられた。
「あのですね、考えてもみれば、こんなことをするのは私たちが西住殿を信用していないということに繋がるのではないかと。会長殿と言うより生徒会は、西住殿と約束したのですよね、大洗を廃校から救うことを。そして西住殿は承諾した。だったら大丈夫でありますよ。西住殿は約束を破るぐらいなら腹を切りかねない人ですから、私たちはこうしてあたふたとする必要はないであります。安心して待ちましょう」
優花里の言う通りだと杏は思った。みほは約束してくれたではないか、大洗を救うと。だったら、何をこんな風に頭を抱え、おろおろとすることがあろう。ああ、恥ずかしい。みほを疑ってしまったことが、堪らなく恥ずかしい。
「秋山ちゃんの言う通りだ。私たちが今するべきなのは、こうして西住ちゃんの下に来ることじゃない。彼女を信じて、何時もの如くを演じることだった。ありがとう、秋山ちゃん、澤ちゃん。目が覚めた。帰ろう」
優花里と梓は大きく頷いた。
こうして三人はみほに会うこともなく学校へと戻った。学校へ戻った三人を戦車道履修生たちが出迎える。みほがいないことに気付くと、どよめき、何をしに行っていたのだと怒る者たちもいたが、先ほど杏にした説明を優花里が皆にも聞かせた。
聞かされれば杏同様に、そうだなと納得する。何も心配する必要はなかった。みほが自分たちを裏切るような真似をするわけがないではないか。
「さあさあ、練習を再開しよう! 西住ちゃんが来た時に腑抜けた様を見せたりしたら、それこそ本当に失望されて引きこもられちゃうかもよ!」
履修生たちは瞳を輝かせながら、おう! と声を揃えた。