翌日の昼休み。みほは遅れながらに食堂へと足を運んでいた。
昼休みが始まってニ十分が経過している。この時間ならば、まだ食事中に間に合うだろうと急ぐ。友人を二名待たせているのであった。
昼休みが始まって直ぐ、みほは生徒会から呼び出されていた。何やら今日の放課後に選択必修科目のオリエンテーションをやるということで、その時間帯は一緒に行動してほしいと言われたのだ。特に断る理由もないので了承する。
そうした話があったため、友人を先に食べさせるという事態になったのだ。手作りの弁当を包んだ布袋を片手に、みほは食堂に入る。昼食時で人が多い食堂を見渡すと、みほに向けて大きく手を振っている人物がいた。この人の多さだからいちいち探すのは面倒だと思っていたからありがたい。みほは目印の下へ向かい、椅子に腰掛けた。
「遅れてごめんね」
一つ謝罪を入れた後に食器を見た。どうも予想していたほど中身が減っていない。大方食べ物を飲み込むより言葉を吐き出すことに時間を使っていたのだろう。そんなことを考えながら弁当箱を包む布を解き、蓋を開けた。
「あれ、みほさん……また梅干しが入ってますね」
「ほんとだ。それにいつも気になってたけど、ご飯の上に置くんじゃなくて別々に分けてるよね」
みほの弁当を目にした五十鈴華と武部沙織はおかずの枠をそれなりに占拠している梅干しに興味を抱いていた。こうして三人で昼食を摂るのは、勿論初めてではない。みほが転校して来た初日からずっとだ。みほの方から話し掛けたのをきっかけにして三人の新しい仲が生まれた。以来、学園で行動する時は大体一緒である。
こうして三人で昼食を摂る時、華と沙織は食堂あるいはコンビニで、みほは手作りの弁当だった。その弁当にいつもいつも梅干しが大量に入っているのを二人は気になっていたのだ。
「私、梅干しが好きなの」
昨日の夕飯でもみほは梅干しを食していた。実はその前の晩もそうだし、昼と晩で梅干しを食さない日々はなかった。梅干しがなければ生きていけない、と思うほどみほは梅干しを食すのだ。
「酒の肴として食べるのが一番美味しいんだけど、でもまあ梅干しだけでも十分美味しいよ。そうそう、酒の肴と言えば、味噌も良いんだよこれが」
あまり世間的に宜しくないことだが、みほはこの歳にして酒を嗜んでいる。特に梅干しか味噌を肴に静かな空間で杯を傾けるスタイルが好みで、梅干しは山と積まれたところからひょいっと片手で摘み上げて齧ると一杯、味噌は塊の中に指を突っ込んでそれを舐めながら一杯飲む。
ただ彼女は日常的に戦車に乗る身であったから、酒を飲むのは戦車に乗らない休日だけであった。彼女に近しい者たち、しほやまほといった家族、エリカや小梅といった友人たちはこのことを知っており、それどころか一緒に飲んだこともあるのだった。
これを聞いて、華や沙織は意外にも驚くことはなかった。別に何とも不思議には思わなかったし、脳裏にはみほが、縁側で月を見ながら粛々と杯を傾けている姿がありありと浮かんでくるのだ。違和感はなかった。
「何やら聞き捨てならない単語が出てきましたけど、私は聞かなかったことにしますね」
「みほはお酒飲んでるの? 悪い子だね!」
華も沙織も笑って返す。
みほはいつかこの二人とも飲んでみたいと思った。
ここで梅干しの話は一旦終了した。時間は有限なので、話の前に食べてしまおうということになったのだ。それでもところどころ話を交えながら、三人は昼食を摂る。食べ終ったのは同じタイミングであった。
昼食が終わると、早速とばかりに沙織が話題を出した。沙織は話すことが好きである。特に恋愛話が大好きで、でもそれ以外の話も好きだ。コロコロと感情豊かに話す。けれども人の不幸話は嫌いなのか、そういった話題には露骨に眉を顰める沙織は、みほにとって最も喜ぶところだった。
話はみほと生徒会のことであった。
「昨日といい今日もそうだけど、生徒会に呼び出されてどうしたの? 何かしちゃったの? もしかして、お酒飲んでるのがばれたとか~?」
沙織は興味津々にみほに尋ねた。華も興味があるのかニコニコとみほの答えを待っている。全てを話すわけにはいかないので、みほは言葉を選んだ。
「大洗に来てからは飲んでないよ……それはそうと、二人とも選択必修科目ってあるよね?」
「うん!」
「ええ」
「その選択必修科目に今年から戦車道が追加されることになってね。それで私は戦車道経験者だから、是非お願いって履修することを頼まれたの」
みほがそう言うと、沙織がふ~んと気のない返事で唇をアヒルのように尖らせた。彼女の中では思っていたより面白い話ではなかったようでがっかりとしている。
一方で華の反応は対称的であった。彼女は戦車道に何かを感じるところがあるらしい。それが何なのかはみほには分からなかった。
「華さんは戦車道に興味があるの?」
尋ねてみると、華は弱々しく口元を緩めた。
「私は華道に身を置いているのですが、どうにも最近は思い悩むことが多々ありまして……というのは活けども活けども納得する作品が生み出せないのです。所謂スランプです。何とかしなくてはと考えた結果、一度別の道を歩んでみようと思い至った次第で、それで華道よりアクティブなことを経験してみたいと思ったのです。繊細さは十二分なのですが、勢い、力強さが私の花には不足しているようなので。ですから、戦車道ならばちょうど良いかと……」
華が語れば、つまらなそうにしていた沙織の顔色が変わった。尊敬すると言いたげに華の横顔を見つめる。
みほも立派な人だと思った。自分と同じ学年なので齢は十六、十七である。その歳でありながらこれほどの考えを持っている人物はそうはいない。
しかしこうも思った。
(戦車道をやったところで何が身につくと言うのであろうか。逆に華さんに悪影響が出るのではなかろうか。少なくとも何か成長をした人は見たことない。戦車道をやっていて器量が良いのは、元々が良かっただけで戦車道の力ではないわ)
本当に心からそんな風に思っているかと言えばそうでもない。だが、みほには戦車道に対して、あるいはそれをやっている人間に対して、少々不快な気持ちがあるのも事実だ。
けれどもこうも思うのだ。
(華さん、あるいは沙織さんのような人と戦車道をやれたならきっと心地良いだろう。姉上やエリカさんとやっていた時は良かったのだから。黒森峰が彼女たちのような人だけであったら、私は今ここには居ないだろう)
それは夢物語でしかないのだろう。人間の本質はやはりどこまで行っても我欲の塊なのである。みほが黒森峰を去った理由の一つは、人間の我欲に嫌気がさしてしまったからだ。
潔癖なみほは自分の欲を全面的に出して来る人の考えが理解できなかった。別に構わないのだ、少々我欲を抱いても。みほにだって我欲がまったくないと言えば嘘になる。だけど人を傷つけても良しとする我欲は駄目だ。だが黒森峰ではそんな我欲が渦巻いていた。誰もかれもが自分の欲を優先する。その所為で、まほは日々頭を痛ませていたし、みほも悩まされ、苛立たされた。ついに我慢できなくなったので、とり憑かれたように黒森峰から転校することを決意したのであった。
(そうして転校してきた先で、再び戦車道を始める事となったが、どんな人材が集まることか)
みほは沙織と華に視線を向けた。
「どうしたの?」
「何か顔についていますか?」
「ううん、何でもないよ」
さほど良縁を期待しているわけではない。ただどうせやるなら、彼女たちのような人と戦車道がやりたい。願わずにはいられないみほであった。
放課後になって、大洗女子学園の全校生徒は体育館へと集められた。選択必修科目のオリエンテーションのためである。一年生から三年生まで館内を埋め尽くすほどの人で、その中に武部沙織と五十鈴華の姿もあった。舞台袖でその様子をみほが眺める。
「何人ぐらい集まってくれると思う?」
みほの隣で見上げながら杏は言った。小柄な杏にしてみれば、みほは大柄な部類に入る。目を見て話すとなればいちいち目線を上げる必要があった。
みほは杏と視線を合わせながら返した。
「そうですね。とんと見当がつきません」
「いっぱい集まってくれるといーな」
数だけ集まっても仕方がないだろう、とみほは内心で思ったが、数が揃わないことには話にならないのも事実だ。数は一定数で良いから、苛立たせる人間だけは来ないことを切に祈るばかりだ。
オリエンテーション開始の時間である。
館内のブラックカーテンが全て閉められると、巨大なスクリーンが降りてきた。そのスクリーンに映し出されるのは戦車道の映像であった。
大きな鉄の塊がスクリーン内で動き回る。
『礼節のある、淑やかで凛々しい婦女子の育成を目指す……』
ナレーションの女性に対して、みほは冷ややかな視線と一緒に失笑した。何を馬鹿なことをと言わざるを得なかった。見ているとムカムカと腹が立って来たので、みほは映像に集中する生徒たちの反応を探ることにする。どんな反応を見せているかで、大まかに戦車道を履修しそうな女生徒を割り出そうというのだった。
みほは最初に沙織と華の反応を見ることにした。
沙織も華も引き込まれるように映像を見ていた。沙織に至っては頬を蒸気させて、それはまるで恋をしている無垢な少女のようであった。食堂で話をした時と反応が百八十度違う。間違いなく戦車道に惹かれていた。華も決意をしたといった様子で、彼女たち二人は履修者となるに違いなかった。
表情には出さないものの、みほは嬉しそうに頷いた。
他の生徒の反応はどうだろうか。大部分は興味を持ってくれているが、沙織や華のような惹かれ方をしているのは両手と両足で数えきれる程であった。そこまでの人数は集まらないが、最低限は確保できるのではないかと思う。
「どう? 何人ぐらい集まりそう?」
みほが生徒たちの反応を調べてるのを見て、杏が先ほどと同じ質問をした。
今度はしっかりと答えた。
「二十前後でしょう」
「ちょおっと少ないね~」
「あまり高望みしても致し方ありません。集まってくれるだけでもありがたいものです」
「……そだね」
やがて映像が終わりを迎えた。余韻に浸る暇もなく続くのは生徒会からのお知らせである。舞台袖から杏と柚子に桃の三人が現れ、今年度から戦車道を再開した理由、戦車道を履修した場合の特典について説明を始めた。
その時にピクリと反応を示した生徒がいたことをみほは見逃さなかった。そのまま直ぐに眠りの体勢に入ってしまったが、あれは手応えがあったであろう。もう一人ばかり履修者が増えそうであった。
特典の話で過敏に反応を見せる生徒は一人もいない。先の生徒にしてもそこまでがっつく感じではなかった。特典は単位を通常の三倍に、食券をプラスして、遅刻を二百回ほど見逃しにするという相当なモノで、もうちょっと食らいついて来ても良いと思うのだが、大洗の生徒たちは真面目なのか反応はいまいちだった。
みほは少しばかり気分が良くなった。