軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

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その②

 杏たちが気炎万丈と練習に励み出した一方で、みほは憂愁の色を顔に湛えて、部屋の毘沙門天象の前に座り込んでいた。三日間、碌に食事もせず寝てもいないせいか、頬は少し削げを見せて、目元には隈が目立つ。ただ瞳だけは変わらじと、陽の光も人工の光もない中で鋭い輝きを放ち、今のみほは美しいと言うより、恐ろしい相貌をしていた。

 

(帰ってくれたか……)

 

 実のところ、杏、優花里、梓の三人が訪ねて来たことをみほはしっかりと把握していた。携帯電話の着信も、優花里のノックも、自身を呼ぶ声も聞こえていた。聞こえてはいたが、心苦しいながらもそれらは無視させてもらったのである。

 黒森峰との決勝戦の日が近いことは重々承知の上だ。自分がいないと不安な気持ちも分かってはいる。けれども今は、何よりも優先したいことがあった。

 

(如何したものか……)

 

 黒森峰に戻るか否かの返事。これをどうしようか、はっきりと決めておきたかった。機甲科全員から送られて来た、嘆願書兼誓紙。読めば伝わって来る。彼女たちが心の底から自分の想いを綴っていることが。心の底から謝罪の意を示し、心の底から戻って来てほしいと願っていることが伝わって来るのだ。

 

(だからこそ、私は悩むのだ)

 

 もしも嘆願書兼誓紙がなければ、みほは迷いなく断っていた。どの口で戻って来いなどとほざく。黒森峰は豊かで人材も豊富なのだから自分なんかいらない。エリカ辺りが中心にでもなって勝手にやってろ、と返答していただろう。けれど、こんなものを見せられてしまっては、口が裂けてもそんな返答は出来ない。

 

(私の救いが、彼女たちには要ると言うのか)

 

 まだ誰にも言っていないことだが、みほは自分のこれからを決めていた。黒森峰を倒し、優勝旗を大洗にもたらし、廃校から救った後のこと。

 みほは世俗から離れようと思っていた。優勝を果たした後は、大洗にも自分は必要ないだろう。幸運にも後継者には恵まれた。大洗が戦車道を続けて行くのならば、全てを後継者に託し、自分は身を退くのだ。

 

(母上の面子もある故、高校だけは卒業しよう。高校にいる間は世俗世間にあって仏道に精進し、そして卒業後は、不安も迷いも憂鬱もなく、ただ御仏の懐に抱かれて生きてゆく)

 

 そうしようと決めていた。それが良い。大洗の者たちと戦車道をやるのは楽しかったが、続けようと思う気にはなれない。戦車道を止めようとも、別に二度と会えなくなるわけでもないのだ。梓にも、優花里にも、沙織にも、華にも、杏にも、皆にも、会おうと思えば何時だって会える。

 

(そう思っていたのに……!)

 

 決意が歪む。

 みほは自分の決意を歪めた機甲科に腹が立った。やはり邪魔をするのか、と。同時に胸が熱くなる。私を頼りにするのか、と。

 脇に積まれた嘆願書兼誓紙から一枚手に取った。もう何度読み返したことか分からない。震えながら書いたのか字が曲がっているところがあり、涙を流したのか滲んでいるところがある。それにはこう書かれていた。

 

「この度筆を取りましたのは、私の愚かさを反省するとともに、みほ様へと誠心誠意の謝罪の意を示すためであります。一切の言い訳は致しません。全ては私が愚かであったのです。それ故にみほ様へと多大な苦痛を与えたこと、真に申し訳ありませんでした。

 そして、何を申すかと思われになるでしょうが、今一度機会を設けては頂けないでしょうか。私たちには、みほ様がおられなくては、どうしようもないのです。もう一度、私たちを率いて下さい。私たちに、みほ様の配下として力を振るう機会を、どうかお願い致します。

 もう二度と、二心を抱くことなくご命令のままに従い、御前で粉骨する心づもりです。御心を煩わせた時には、如何様なりとも罰をお受け致します」

 

 所々を省略しているが、概ねこのような内容だ。

 記したのは上野という黒森峰の二年生である。この人物はみほ側の人間であり、まほ側の下平という人物とよく争っていた。争いの度にみほとまほは調停に掛かったもので、黒森峰時代のみほの悩み筆頭だと言っても良かった。

 目を通したみほは、両手に力を込める。ぐしゃりと紙が音を鳴らした。

 

(上野、お前の言葉に偽りはないのであろう。お前の本音なのであろう)

 

 上野だけではない。下平もそうであるし、他の者たちも上野同様に紙に想いを込めている。それは、みほの心を揺り動かすものであるが、決定打となるものではなかった。

 みほには一つの疑念があるのだ。これがある限り、よし、ならば戻ろう、という気持ちにはなれないのであった。

 

「だが、私が戻れば――」

 

 再び分裂するのではないか。

 みほが懸念するのはこれだった。自分が黒森峰へと戻った後に、何らかの理由で争いの虫がまた暴れだすのではないか。そのような疑心暗鬼に陥っており、これがみほの答えを出す邪魔をしている。

 

(救いを求めて来ているあの者たちを、私は信用出来ない。これだけ誠意を示されておると言うのに、私は信頼が出来ないのだ)

 

 こうして寝食もままならないままに、三日間悩んでいるのであった。

 

「毘沙門天よ。私はどうすれば良いのだろうか」

 

 悩んで悩んで悩み抜いても答えは一向に出て来ない。こうなるとみほが頼りとするのは、毘沙門天に他ならなかった。両手を合わせ、目を瞑る。すると、うつらうつらと意識が遠のいて行く感覚が生まれた。寝不足の所為だと、意識を保つためにカッと目を見開いた。

 その瞬間、何とも不思議な出来事が起こる。毘沙門天象が謎の光に包まれて、みるみると大きくなっていくではないか。気付けば、手のひらに乗る大きさであった毘沙門天象は、見上げるほどに大きくなっていた。

 

(な、なんと……ッ!?)

 

 みほは驚いて後ろに下がろうとするが、ピクリとも動けない。まるで何かに凄い力で押さえつけられているようだった。声も出なかった。その何かとは毘沙門天であろう。

 七宝荘厳の甲冑を鳴らした毘沙門天はみほを見下す。外敵を払う守護神としての憤怒の表情を、柔らかな、親が子供に向けるようなものへと変えていた。

 

「お前という奴は随分と下らないことで悩んでおるのう」

 

 下らないとは何事か。如何な毘沙門天と言えども聞き捨てならない。身体も動かず、声も出ないので、抗議の意を込めてキッと睨み付けた。

 毘沙門天は、ハハ、と笑った。

 

「下らないことよ。ようはお前、小心者なんじゃな。信用出来ない、信頼出来ないなどと、肝っ玉が小さいのう。やる前から、裏切られたらどうしよう、などと考える時点で、お前は紛れもない小心者じゃ。あの男であれば、お前の悩みなど笑い飛ばそうものよなあ」

 

 突如、毘沙門天は憤怒の形相に戻った。

 

「よくもその体たらくであの男の生まれ変わりなどと称しおったな。今のお前ではあの男の足元にも及ばんぞ」

 

 憤怒のままに毘沙門天は続ける。

 

「お前は角谷杏とか申す小娘の助けを求める声を受けて、今戦車道をやっておる。それと何も変わらんではないか。黒森峰の小娘たちは、お前に助けを求めておるのだぞ。角谷杏と同じように。だのに、お前は一方は助けて、もう一方はどうしようかなどと悩むのか? それがお前の義か! それがお前の信条か! 助けを求める声あらば、義によって助太刀するという心構えは嘘であったか!」

 

 みほはガツンと頭を殴られた気分だった。言われてみれば、なんと馬鹿なことで悩んでいたのであろうか。杏と機甲科。助けを求めているのはどちらも変わりはない。どちらも本当に助けてほしいと思って、自分を頼りにしている。

 一度裏切られたからなんだ。彼女たちは本気でそのことを謝罪し、心を入れ替えようとしているではないか。だったら、そんな彼女たちが助けを求めていると言うのなら、出すべき答えは決まっているじゃないか。悩む必要なんてなかったのだ。

 

「分かった様じゃな、お前が何をすべきかを。あの男同様に、儂はお前のことも格別に目をかけておる。あまり儂を失望させてくれるなよ。ではな、儂はこれからもお前の中で見守っておるぞ。先ずは、大洗を救え。黒森峰はその後じゃ」

 

 みほは瞬きをしたかと思うと、ハッとなった。

 身体は動くし声も出る。直ぐに毘沙門天象を見るが、手のひらの大きさのままだった。

 先ほどのは夢であったのか。本当は、うつらうつらとしていた時に意識を飛ばしてしまっていたのか。だが、何だってよかった。

 

(感謝致します、毘沙門天よ)

 

 みほは毘沙門天象に拝礼する。

 毘沙門天からの啓示で答えを見つけたのだ。

 暫くすると、みほは携帯電話を手にしてから、杏にメールを送った。迷惑を掛けて済まなかった、明日会おう、と。杏からの返信はない。どうやら戦車道の練習中のようだ。

 それから、闇が晴れたように清々しい気持ちで、みほは大きく伸びをする。窓のカーテンを開けて陽の光を取り込んでから、紙と筆を用意し机へと向き合った。

 

「あの者たちがこのようなものを用意した以上、私も返さなくてはなるまい」

 

 嘆願書兼誓紙を一瞥し、微笑みを浮かべると、みほはさらさらと白紙の上に筆を走らせ始めるのであった。

 

 


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