軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

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その⑧

 梓や杏たちが己の戦いを全うしている頃、みほたちは黒森峰フラッグ車の車長、まほとの接敵を果たしていた。ただ、我死ぬか、彼死ぬかといった戦いは起こっていない。

 当初、まほの姿を目認したみほは、雌雄を決するべし、と強い心意気で戦闘開始の号令を出した。狙うは大将首のみで他は捨て置け、との指示も出している。見渡しの良い平野、指示を受けた五輌の大洗戦車乗員たちは、気を奮い立たせて砲撃に移った。

 このまま激しい砲撃戦に入り、みほとまほ、どちらかが撃破されて決着となるかと思われたが、そうはならなかった。

 

「退け」

 

 低く、鋭く、冷静に出されたまほの指示は、反撃ではなく退却を表すものであった。振るわれた采配に従い、黒森峰の戦車が規律よく後退して行く。

 まるで狐に化かされたように気を削がれたみほは、惚れ惚れするほど美しい退却ぶりを眺めているしかなかった。

 どうなっているのかと、小首を傾げた優花里が、みほに話し掛けてくる。

 

「黒森峰にはどういう思惑があるのでありましょうか。正直、あちら側の立場に立ってみた時、退却する理由がないと思われますが……、みほ殿、これは一体?」

 

 その通りだった。黒森峰側から状況を分析した場合、開けた平野、勝っている数と質、さらに相手が決戦を望んでいる、とこれだけの材料が揃っている。優花里が、黒森峰に退く理由がないと判断を下すのも無理からぬことであった。

 みほは二つのことを考える。

 一つは、用心深い姉上の奴め、今決戦を行うのは危険だと判断して、もう少し様子見をして準備を整えてからにしようと思ったのか。あり得ない話ではない。

 あるいはいやらしい戦い方も得手とするところだから、何かの罠にこの西住みほを嵌めようとしているのではないか。こちらも考えられることだ。

 

「分からん。分からんが、立ち止まりそのことを議論するのは止めておこう。このまま逃げる奴らを眺めているだけというわけにもいかぬし……追撃だ。奴らが、姉上が何を企んでおるのかは知らんが、敵が悠々と撤退するのを黙って見過ごして置けるものか。思惑があろうと、それごと叩き潰してくれる」

 

 敵の大将を前にして、今更小賢しいことは気にしない。ここまで来れば敵の首が飛ぶか、自分の首が飛ぶかのどちらかである。息巻くみほは、全車に追撃するよう命じた。

 

「そうそう逃がしてたまるものか。姉上、覚悟しろ!」

 

 やがて逃げる黒森峰に追いつくと、決して逃がすまいぞと砲を構えて一斉に撃ちたてた。今度は黒森峰も反撃のため応射してくる。燃え盛る火のように激しい攻防が始まった。互いに砲の筒先を揃えて敵方にこれでもかと乱射する。

 

「敵は我らと出会うや臆病風に吹かれて一目散に逃げだすような弱兵ぶりだ! これしきの敵、なにほどのものか!」

 

 怒鳴りたてたのはカエサルである。これにより、大洗の勢いが増したようであった。息もつかせぬ砲撃は、あたかもすり鉢にものを入れて力のままにすりたてるよう。

 しかしさすがのまほであるから、一歩も引かないどころかみるみると大洗を押し返して行く。もとより地力の方は黒森峰が上である。大洗はまるで烈風に吹かれる枯葉のように崩れ立ちそうになるが、辛うじて持ち堪えていた。やられてばかりなるものか、大洗も負けじと攻勢に移る。

 火薬庫へと爆弾を放り込んだように、戦いは激化の一途を辿って行った。が、直ぐにそれは収まることになった。

 

「ここまでやれば十分だ。撤退するぞ」

 

 黒森峰はまたもや背を向け始めた。激しい砲撃戦によって、濛々と立つ砂煙と玉煙によって一面が閉ざされている。それに紛れての撤退であった。

 みほは見た。蒙と立ち込める煙の中で濃くなったり薄くなったりする黒森峰の戦車が、その姿を消していくのを、煙の中にあって美しい見覚えのある銀の髪が、たなびきながら遠のいて行くのを見たのである。

 

「また逃げるつもりか? そうはさせてなるものか!」

 

 大洗の誰もが心に思ったことを、みほが声を大にして言った。逃がしてなるものかと気持ちを一つにするも、そんな彼女たちをあざ笑うように黒森峰は逃げ去ってしまう。

 ならば地の果てまで追いかけてやると、大洗は追撃を再開した。すると黒森峰とまた遭遇し、砲撃を交えてから暫くすると黒森峰は背を向ける。これが繰り返されると、次第に大洗側の心境に変化が出て来た。

 

「このまま闇雲に追いかけたって、私たちの方が先に疲れてダウンしちゃうわね」

 

 みどり子の口からため息が漏れた。既に肉体的にも精神的にも疲労の色が見え隠れしているようである。

 

「少し休んだ方が良いかもね」

 

 ポルシェティーガー車長兼通信手であるナカジマも、みどり子に同意する素振りを見せる。他の者たちも口々に同じようなことを言い始めた。

 戦意を削がれてしまったと言うべきか、このまま追撃しても幻を追いかける様なものだ。もしや、こちらの戦意を削ぐことが黒森峰の目的であろうか。

 とにもかくにも、一旦、休憩するなり別の案を考えるなりするべきだと思ったのは典子で、みほに判断を仰ごうとハッチより顔を出す。

 

「西住隊長。このままじゃ……西住隊長?」

 

 声を掛けてもみほはうんともすんとも言わない。そればかりか典子の方に目を向けることすらしない。聞こえてないわけではなさそうだが、どことなく様子がおかしかった。

 ここで沙織も異変を感じ取ったのか外に顔を出し、見上げてみほを確認する。

 みほは震えていた。口元、肩、背中、どこもかしこもぶるぶると震えている。寒いというわけではなさそうで、ならば何を震えているのであろうか。

 

「みほ、ちょっとどうしたのって、あっ」

 

 みほの口元より上に視線をやって、沙織は震えの理由を悟ったのか間の抜けた声を出した。みほがどういう性格なのかを考えてみれば、沙織が悟った震えの理由は、間違いではないだろう。のらりくらりと大洗を翻弄する様な黒森峰、みほの性格、みほの血走った瞳、これで答えは出たようなものである。みほの悪いところが表に出て来たのだ。

 すなわち、みほは今、苛立っていた。

 

「はあ、はあ、はあ」

 

 みほの呼吸が荒い。周りの声を遮断して、怒りを必死に抑え込まんとしているようであった。けれども、抑えても抑えても腹は煮えくり返って、抑え切れない怒りとなり身体のあちこちを震わせる。怒りの原因は、黒森峰、というよりも姉のまほに対してあるようだった。

 

(何故姉上はまともに戦おうとせぬ!? 何故姉上はこのような戦い方をする!? 何故姉上はこの私をこうまで苛立たせる!? 何故姉上は――)

 

 ぎりぎりと奥歯をきしらせながら思案を巡らせるが、沸騰し始めた頭では答えなど出よう筈もなかった。それでもなお思案を張り巡らせていると、ふと、声が聞こえてきた。典子や沙織の声が聞こえないほどのみほだったが、この声は驚くほど鮮明に耳に入って来る。

 そうして聞こえて来た声の内容を認識すると、みほの中で何かが切れる音が鳴った。

 

『大洗女子学園、M3中戦車リー走行不能!』

 

 この時、小梅の立案した、梓を撃破することでみほの動揺を誘うという策は、失敗に終わった。梓の駆るM3中戦車リーが撃破されたと聞いても、みほに一切の動揺は見られなかったのである。とは言え、意味がなかったわけでなく、完全に失敗したわけでもなかった。

 冷静さを奪うという点では成功していたのである。小梅の策に乗ったまほが、時間稼ぎのためと大洗の気力を出来るだけ削ぐために仕掛けた、少し戦っては逃げるという戦法で苛立ちを高めたみほは、梓が撃破されたという情報で限界を超えたのである。

 

「追撃!」

 

 突如として、みほは大音声を轟かせ、指示を下した。

 指示を受けた大洗生たちは、自分の考えるところと正反対の指示に困惑を覚えるが、反対意見を述べることはなかった。今まで見たこともないほどに激しているみほに対して、恐れが先行して口を開けないのだ。大洗生たちは、黙々と指示通りに黒森峰を追撃する。

 幾ばくかもないうちに、本日数度目となる接敵を果たした。追いついたというよりも、黒森峰は待ち構えていた。ようやく、本腰を入れてきたのである。

 砲撃戦が始まった。最も激しい戦いとなり、戦況は二回、三回互いに進退するものとなる。これに、みほがカッと腹を立てた。

 

「貴様ら、なんだそのざまは! 何をちまちまとやっておるか! 臆したとでも申すか! 口だけは達者で、実際はこれか! この臆病者どもめ!」

 

 言葉での辱めを受けて、大洗生たちもカッと頭に血を上らせた。

 そこまで言われる筋合いはないと、やけくそ気味にうわっと叫びながら黒森峰の陣へと戦車を進める。さらに戦いは激しくなった。

 大洗の誰も彼もが燃え上がる炎のように激している中、一人冷えた思考をしている麻子は、唇を噛み眉を顰めていた。

 

「このままじゃ、拙いな。西住さんがあのざまだと、勝てる戦いも勝てない。何とか頭を冷やしてもらわないと……それに、少々時間を掛け過ぎている。これ以上、この場で戦っていたら――」

 

 麻子の言葉を遮るように、砲弾が飛来して来た。その砲弾は、Ⅳ号戦車の真横を抜けて、目前の地面を抉る。背後から飛んで来たに相違ない砲弾だった。

 確かめるまでもない。この砲弾は、梓を撃破して本隊に合流して来た小梅が率いる隊のものであろう。最悪の事態であった。大洗は挟撃される形となったのである。

 

「みほ、お前らしいと言えばお前らしいが、いささか間の抜けた展開だったな。最早、袋の鼠と言う奴だ。潔く、腹をくくれ――全車、敵を殲滅しろ!」

 

 まほの号令が下ると同時に、黒森峰の戦車隊は喚声を上げながら大洗の陣へと突き進んで行く。血が上りまともではない大洗勢は、忽ちのうちに突き崩された。

 ここに来てようやく、みほの視界が広がった。自身が置かれている現状を把握すると、唖然と息を漏らす。

 

「何と言うことだ。あれほど、あれほどに自戒しておったと言うのに、私は、何と愚かなことをしてしまったのだ」

 

 怒りに我を忘れ、八つ当たりのように仲間を理不尽な罵倒に晒す。出来うることならば、五体を投地して仲間たちに謝罪の意を示したいところだった。が、今はこの場を切り抜けることが先決である。負けが確定する前に立て直しに入らねばならない。

 

「皆、血路を開いてこの場より脱出する。全車、私に続け」

 

 みほが言った。その声はいつものように、傲慢なほど自信に満ち溢れたものではなく、弱々しい、一人の女の子の声であった。

 


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