軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

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その②

 図書館を後にしたエリカは、その足で学園内の生徒会室に足を踏み入れていた。

 休みの日だと言うのに、室内には決して少なくない人がいる。また、それだけ人がいるにも関わらず、人の声は一切しない。カタカタとパソコンのキーボードを叩く音、カリカリと紙面上にペン先が走る音だけが聞こえている。

 その室内の様子を、感心とばかりに視界に収めながら、堂々とエリカは歩く。あまりにも堂々としているので、役員たちは他校の生徒であることに気付いていない。作業に集中し、エリカを呼び止めることはしなかった。

 

「会長室はここね。それにしても、随分と金掛かってそうねぇ、扉見ただけで分かるわ。まっ、うちほどじゃないけど」

 

 独り言をこぼしながら、会長室の扉をノックする。

 

『どうぞ~』

 

 間の抜けた返事だった。

 特に気に留めることもなく、エリカは中へと入って行く。

 失礼します、と頭を下げて、徐々に視線を上げれば、先ず目に入ったのは返事の主である杏の姿だった。椅子の背もたれに背中を思いっきり預けて、机の上に足を伸ばしながらもごもごと口を動かしている。右手に持っているのは干し芋だった。

 大きく喉を鳴らして口の中を空にしてから、

 

「やあやあ、よく遠いところから来てくれたね。いらっしゃい」

 

 ふわふわと笑みを浮かべた。

 至って気楽な言動に、エリカは驚かされた。何だか、漫画に出て来そうなお気楽生徒会長という印象である。直接的な関りはないにしろ、みほから話を聞いているから、どういう人物なのか前情報はあった。けれども、前情報とそれによって抱いたイメージを大きく超えるような人物像であったから、驚く他なかったというわけだ。

 自校の生徒会長を頭に思い浮かべてみると、もう一回驚く。同じ生徒会長でこうも違うものなのかと。自校の生徒会長は、真面目一辺倒だった。黒森峰女学園を擬人化したみたいな、まさに鋼鉄の女である。まあ、今は関係のない話だ。

 

「話は西住ちゃんから聞いてるよ。何だか、大変なことになっちゃったね」

 

 碌な挨拶もないまま、世間話でもするかのように、杏はいきなり本題を放り込んで来た。

 

「いやあ、嫌な予感はしてたんだよねえ。すんなりってわけでもなかったけど、廃校がそう覆ったりするものかなあ、とか考えたりしちゃって。そしたら、西住ちゃんから電話がかかって来てさ。あ~、なーるほどー何て思っちゃったりね」

 

 へらへら飄々とした口調であったが、どうにも言葉にこもる力が強い。怒りを抱いているのであろうか、目が笑っていない。

 気持ちは痛いほど分かる。約束を反故にされただけでも許し難いのに、これまでの努力や頑張りを完全に無に返されたのだ。一緒に戦った仲間たちに何と詫びを入れれば良いのやら。はらわたが煮えくり返るとは、まさに杏の気持ちを表している。

 今、堪えようにも堪えきれない怒りが、杏の口を通じて出ているのだろう。

 

「でもさ、このままじゃ、終われないよね。やっぱり廃校になります。はい、分かりました。何て殊勝な性格をしていたら、そもそも戦車道なんて始めてないわけだしさ」

 

 いつの間にか、杏は姿勢を正していた。足は地に置き、背筋は垂直に、見本のように美しい姿勢で、思わずエリカの口から感嘆の息がもれる。

 なるほど、隊長が珍しく人を誉めるわけだ、と思った。

 いや、今となっては、みほが人を誉めることは珍しいことではない。大洗での生活で一皮剥けたのか、彼女はよく人を誉めるようになったのだ。

 大洗に行くまでは、言葉の端々に人を見下すようなところがあった。実のところ、彼女はエリカや小梅を格下だと思っていたし、下手をしたら姉のまほも自分より下の人間とか思っていたやもしれない。少なくとも、確実にエリカは見下されていた。

 

(それが黒森峰に帰って来たら、サンダースがどうだの、聖グロがどうだの、プラウダがどうだの……人が変わったみたい。短気なところはそんなに変わってないけど……まあ、少しは我慢することを覚えたみたいではあるわね。結局、怒るけど)

 

 とにもかくにも、大洗での生活はみほにとって実りのあるものであったようだ。そして、目の前の小さな少女との出会いは、実りの一助となったことは間違いない。

 杏に内心で感謝しつつ、エリカは口を開く。

 

「お気持ちは分かります。そして、教育局長も隊長も今回の件には納得していません。口約束であろうが約束は約束です。それを一方的に反故にするなど、例えどんな政治的意味合いがあろうが、許すことは出来ません、ですから」

 

「逸見ちゃんが来た」

 

 杏が答えた。

 

「さっきも言ったけど、話は全部西住ちゃんから聞いた。今回は、西住ちゃんの力を借りることは難しいことも。局長さんの懸念するところはよく分かるなあ。ずっと身近にいたから忘れていたけど、西住ちゃんって本当に凄い人。西住ちゃんを神様として信仰している人が全国に少なくない数いるって聞いてるよ。最初の頃は、秋山ちゃんもその一人だったし。そんな西住ちゃんが、政府と敵対だなんてことになったら、日本という国が混乱状態に陥る。冗談抜きで暴力事件やテロリズムが横行するかもしれない。そう考えると、局長さんの英断に拍手喝采だよ」

 

 一笑に出来ない内容だ。そんな馬鹿なことがある筈がない、とは言い切れるものではなかった。エリカの知る限りでも、そんな馬鹿なことをやらかしそうな人物はぽつりぽつりと、黒森峰機甲科に存在している。頭の痛くなる話である。

 思っていると、本当に痛くなってきたのか、頭を押さえながらエリカはやれやれと首を振った。そんなエリカとは反対に微笑む杏。

 

「でもま、西住ちゃんの協力が得られないからといって、そこまで心配しているわけじゃないんだよね。こうして逸見ちゃんが来てくれたわけだし、局長さんも協力してくれる。何より、頼りになる仲間がいっぱいいるしさ」

 

 それに、と言葉を続ける杏の表情に、自信の色が浮かび上がる。

 

「西住ちゃんが言ってた。神様は正しい人の味方をするって。そして、強いから勝つんじゃなくて、正しいが故に勝つって。だから負けないよ。約束を反故にするような人たちに、神様が味方してくれるわけないよね。私たちの方が正しい、故に勝つ!」

 

 杏は信じているようだった。聞けば誰もが嘲笑しそうな理論を、大真面目に信じ切っているようだった。

 しかし、実際に聞いたエリカに嘲笑するという選択肢はない。別に杏のように信じているわけではないが、そういう心持ちは大切だと考えているからだった。

 エリカは大きく頷いて、同意であることを示してみせた。

 

「逸見ちゃん、頼りにしてるからね」

 

 ここで、杏は張っていた気を緩めた。

 この話はここまで、ということらしい。エリカも便乗してリラックスしていると、杏の傍に控えていた河嶋が書類を杏に手渡す。同じく傍に控えていた小山が杏に耳打ちをする。

 その様子を眺めながら、エリカは河嶋と小山の前情報を思い出していた。

 

(河嶋桃。勉学が不得手であることと、阿保であることは同義ではないことを体現する女。小山柚子。いつ何時も己を崩すことはない、見た目や言動に反して豪胆な女。この二人のことも、隊長はよくお褒めになっていた。さてさて、どれほどの人物なのかしらね)

 

 すると、次の話題が見つかったのか、杏がエリカに話し掛けた。

 

「早速なんだけど、逸見ちゃんに訊きたいことがあるんだ。良いかな?」

 

「何なりと」

 

「うん。廃校云々も大事なんだけど、それよりも目先の問題があってね。何かさ、エキシビジョンマッチ、とか言うのをやらないといけないらしいじゃん。逸見ちゃんなら知ってるでしょ? 詳しい内容を教えてよ」

 

 勿論知っているので、隠すことなく全て答える。

 

「全国大会の優勝校の地元で行われる試合のことです。四校によるチーム戦で、上位四校の内、準優勝校以外の三校と、準優勝校が一回戦で戦った高校の四校で行われます。振り分けとしては、優勝校と一回戦の高校、それ以外という形になります」

 

 聞いた話を咀嚼して、河嶋と小山が言う。

 

「準優勝校は黒森峰だな。そこと一回戦で戦ったのは確か、知波単学園、だったか?」

 

「そして、私たちと黒森峰を除いた残りの上位四校と言うと、聖グロリアーナとプラウダ高校だね?」

 

「その通りです」

 

 杏は目を瞑って黙り込んだ。同じように河嶋と小山も険しい表情で俯く。

 エリカには三人の思っていることが分かっていた。勝てるのであろうか、そのことを悩んでいるのであろう。

 廃校の話が出ている以上、エキシビジョンマッチとは言え、無様に負けてしまえば付け入る隙になってしまう。勝つのが最善、せめて善戦しなければならない。みほがいなくても、大会の優勝校である、というところを見せつけてやらねばならないのだ。

 とは言え、聖グロとプラウダを相手にした時、厳しいと言わざるを得なかった。みほがいない大洗が、ダージリンとカチューシャにどこまで食らいつけるのか。知波単学園はそこまで期待は出来ないだろう。現隊長はみほが気に入りそうな人物ではあるけども。

 

(協力はするし、協力するとなれば私は全力を尽くすけど、ダージリンとカチューシャが相手じゃ、私は力不足というのは否めない。恥ずかしい話だけど)

 

 その時、エリカは図書館で会った梓のことを脳裏に過らせた。今後の大洗の指揮は、彼女が執ることになる。みほとは似ても似つかないほど穏やかな、見るからにお花屋さんとかお菓子屋さんとかをやっていた方が似合っているような少女。みほが直々に弟子にした彼女が、ダージリンとカチューシャの相手を務めることが果たして出来るのか。

 

(澤梓に対する隊長の評価が、恋人故の過大評価でないことを期待するしかないわ。隊長が評価を盛るとは思えないけど、でもあれほどの溺愛っぷりだもの。本人が知らず知らずに盲目になってる可能性もなくはないわ。だって西住みほという人物は、客観的に、冷静に見れば見るほど、人として駄目なところ多いから)

 

 数日前のことだが、怒って物に八つ当たりしているところを目撃したからこそ、その他にも色々とあるからこそ、少しだけ心配である。

 ふと、杏が目を見開いた。どうやら、覚悟が決まったものと見える。

 

「うん、大丈夫。考えてみれば、聖グロもプラウダも一回勝った相手だし、そんな怖じ気づくことじゃないよね。今回だって上手く行くさ。あんまりネガティブに物事考えちゃだめだよね。かーしま、小山、そんなに考え込まなくても大丈ブイ、だよ」

 

 ピースのサインを右手で示し、二カッと白い歯を杏は見せる。それに安心したのか、河嶋と小山も顔を上げた。

 

「そうですね。一回勝った相手ですから、今回も勝てますよね」

 

「そうだな。隊長、じゃなくて西住はもういないわけだが、逸見が来てくれたわけだしな。問題は無いな」

 

「そういうことー。それに、西住ちゃんの置き土産である澤ちゃんがいるんだし、ね」

 

 意気を揚々とさせる三人に、エリカは自然と顔を綻ばせた。

 

(確かに考え過ぎても仕方ないか。ケセラセラ、人生なるようにしかならないものね。それに、隊長に任されて私はここにいるわけだし、しっかりと役目を果たさなくちゃ)

 

 エリカもまた、強く覚悟を決めるのであった。

 

 

 


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