ダージリンは合点が行かなかった。
Ⅳ号戦車を追撃しながら彼女は思案する。敵の作戦は間違いなく囮作戦であり、敵はこの先へと誘い込み待ち受けていた戦車群で自分たちを一網打尽にしようという全容の筈だ。それはもう明白なことであるが、彼女はこれに合点が行かないのである。
これが凡庸な人が相手であれば、この単純明快な囮作戦も納得してよいのだが、相手がみほではそう簡単に考えられるモノではない。みほの戦術は天才的な鋭さがあり、その戦いぶりには烈火の如き攻撃性があることを知っている。映像や実際に戦ったこともある人物の話をかき集めて研究したのだ。こんなちょっと机上で学んだ程度の戦術を、みほがやって来るとは到底思えない。
「みほさんは、どんな神算鬼謀があってこんな凡才の真似ごとをしているのかしら」
不安であった。
どんな奇策を用いて来るのか頭を悩ませた。みほは絶対に自分にも思い寄らない戦いをして来るとダージリンは盲信していた。
だから気付かなかったのである。この囮作戦が真に単純なただの囮作戦であることを。
敵からの砲撃が始まって、先行するマチルダⅡが二台ともに白旗を掲げたことを審判よりの通達から知った時、ダージリンは、
「あっ!」
と、声を出しそうになって何とか押し止めた。危うく持っていたカップの中身である紅茶を、戦車内にぶちまけるところであった。
代わりに、チャーチルの装填手オレンジペコと砲手アッサムが、
「あっ!」
と、声をあげた。こちらも何とか紅茶をぶちまけずに済んだ。
二人は狼狽えていたが、ダージリンは咄嗟に、
(隊長たる私が騒ぐわけには参りませんわ)
そう考えて、わざと余裕の笑みを浮かべながら、泰然とした態度をとった。そうしてから頭の中では生き生きとした思案を展開し、聡明さを働かせていた。
(裏をかかれましたわね。私はみほさんならこんな単純な作戦をするわけがないと考えていましたが、彼女は敢えてそう言った作戦をとることで私を騙したに違いありませんわ。あるいは、これが別の人物が考えた作戦であり、みほさんが手を加えただけという可能性も……どちらにしても私の不覚ですわね。流石はみほさんですわ)
だがやられたままでは終わらない。ダージリンは撃破されたマチルダⅡに構わず押し退けて進み出ると、気を立て直したアッサムに敵戦車を砲撃するよう指示を出した。狙いは今ようやく坂を上ろうとするM3中戦車リーである。
坂を上った先の高所には38t、八九式中戦車、それからⅣ号戦車が反転しており、反対の坂にはⅢ号突撃砲がそれらに合流しようとしている。どうやらここから撤退して市街地戦に持ち込むつもりのようだ。
(一先ず、M3だけでも片付けておきますか)
そう思った時にはアッサムが発射した砲弾が見事M3中戦車リーに命中し、走行を不能なモノとさせていた。その間にM3中戦車リー以外の敵戦車四台は、市街地へと撤退して行った。
これで三対四とまだまだどうとでもなる。ダージリンは生き残りのマチルダⅡを引き連れて素早く市街地に向かおうとした。瞬間、はたとこう思った。
(過ぎてしまった以上後の祭りですけど、Ⅳ号戦車が私たちの前に姿を見せた時、私たちがそれに乗らなかったらどうなっていたのでしょう)
みほの駆るⅣ号戦車が現れた時、ダージリンは追撃することを選択したのは誤りだと思っていない。大洗女子学園はみほ以外が素人の集まりだと聞いているから、必然的にⅣ号戦車の操縦手も素人で、ならば撃破することに手間を弄することはないと判断した。
みほを撃破してしまえば後はじっくり料理するだけだと。だが蓋を開けてみれば、Ⅳ号戦車の操縦手はかなり腕の良い人物であった。結果、撃破できずにまんまと誘い込まれてしまったのである。
では、追撃しなければどうなっていたのか。追撃をせずにこちらから攻撃も仕掛けず、待ちと守りの戦術を自分たちがとった場合、その後の展開が如何になるか。
思うに、途中でみほが癇癪を起して総攻撃を仕掛けて来たのではあるまいか。
西住みほにはこんな評価がある。
『西住みほは勇猛果敢である。また無欲であり、正義感が強く人を裏切ることは絶対にない。潔く、器量も大きく、人の心を察する上で優しい。中々例を見ない良人物なのは疑いようがない。しかし欠点もあり、名誉心が強過ぎることと、気が短く我慢弱いことである。だから、西住みほは完璧な人ではない』
というものだ。
ダージリンは西住みほの戦法は研究したが、人柄は詳しいことをやっていない。けれども、この評価は正しいのだと思う。交友関係のあるみほの姉、西住まほも時々みほのことを話してくれたが、同じようなことを話していたからだ。余談だが、みほが大洗に転校した情報はこのまほから教えてもらっている。だから今日の練習試合は楽しみにしていた。
それはさておき、もし自分たちがそういった戦術をとった時、みほは次第に腹を立てて一気に攻勢に出ようとするだろう。彼女のように血気盛んな猛者は、往々にして辛抱する力はないのだ。そうした勢い任せの突撃は、黒森峰の頃の戦力でやられると堪ったものではないが、今の大洗の戦力であれば恰好の的である。
ここまで考えた時、今から市街地へ行かずにここでずっと待っているのもありなのではないか、とダージリンは思った。ここで動かずにじっとしていれば、その内苛立ったみほが市街地より戻って来て、粗漏な戦いを仕掛けて来るのではないか。そうなってしまえば、後はこちらのもの。返り討ちにするなり、守備を固め敵の気力を削いでから、じっくりと料理をするという手もある。
ただ、気に入らない勝ち方であった。聖グロリアーナ女学院には相応しくない勝ち方であった。
(我ながら愚かなことを考えましたわね)
ダージリンは首を横に振って、これまでの思案を頭の中から消し去った。こんな恥さらしなことを実行に移すどころか考えるだけでもとんでもないことだ。ダージリンにはダージリンの、あるいは聖グロリアーナには聖グロリアーナの勝ち方、流儀がある。
何を甘いことをと口にする者もあろう。戦いは非情で、効果があるのならばどんなに悪辣、不潔、陰険な戦術であろうと使うべきだと。だがこちらにも名誉や見栄があるのだ。それらから外れたことをしてしまうのは名を貶める行為である。特に戦車道は武芸の一つで、どんな手を使っても勝てば良いというわけではないのだ。
「全車、市街地へ向けて進軍開始」
迷いなく市街地へ進むよう指示を出すと、チャーチル含めた三台の戦車が堂々と市街地へ走り始めた。これが私たちの戦い方だとティーカップに口をつける。その進軍はやはり堂々と気品があって、どこまでも優雅なモノであった。
可愛い者たちだとみほは思った。
M3中戦車リーの搭乗者たちのことである。彼女たちが撃破されたのは致し方ないことなのだ。M3中戦車リーかⅢ号突撃砲のどちらかが敗れることは作戦の内であった。作戦の内であって、敵勢はM3中戦車リーに狙いを付けてこれにやられたのだ。何も悪いことでも責任を感じることでもなく、もし責任があるとするならば、それは隊長であり采配者であるみほにある筈だった。
けれども、梓を筆頭にした一年生たちは、
『やられてしまいました。ごめんなさい』
と、まるで自分たちにこそ責任があると言うような通信を入れて来たのである。責任逃れをする人間は数多く見て来たが、関係のない責任を負う人間は初めてであった。そんな梓たちをみほは可愛いと思ったのだ。
返信として、
「よく頑張ったね。何も気にすることはないから、後は私たちに任せて」
そう、みほは笑って言った。
一年生たちは、口々に頑張って下さいと応援の言葉を掛けて通信を切った。
みほが一年生たちのことで一喜していると、大洗勢は市街地へと入った。戦闘区域に指定されている商店街である。入るや直ぐに桃が無線機越しで発言した。
『商店街に来たわけだが、これからどうするんだ西住? 商店街に来た以上は、地の利を生かした戦いを展開したいところ。私としては、四つの戦車がそれぞれ別の隊となり、各々戦車を伏せられそうな箇所へと向かい、そこに隠れ潜み、ノコノコとやって来た奴らに一撃を加える。こそこそとして私は好きではないが、勝つ作戦としては悪くないんじゃないか』
桃のこの発言に、八九式中戦車車長の典子が賛同の意を見せた。
『広報さんに賛成! 強烈なアタックを決める!』
典子を除いた元バレーボール部の面々も各々賛成の意見を述べている。
他に意見はないのだろうかとみほはしばし待ってみると、Ⅲ号突撃砲の装填手カエサルが口を開いた。彼女はどうやら反対のようであった。
『私は反対だ。わざわざ戦力を分散することはないだろう。それに敵は二輌もの戦車を喪失し、いつも以上に慎重に行動することを心掛けるだろう。敵だってこの辺りの地図は持っているんだから、分散して行動なんかしたら、慎重に慎重を重ねた敵に隠れ場所を想定、発見され各個撃破されることは必定』
自信を持って提案した作戦に反対意見が出たため、ムッと来たのだろう。桃がカエサルに怒鳴りあげた。
『だったら地図上にない場所に隠れれば良いだろうが! 店の路地裏とか!』
『店の路地裏なんかは警戒されるに決まってる! そもそも地図上にない場所に隠れるなんて、走りながら探す気か!? ナンセンスだ。そんなことをしている間にやられるのがオチだ』
『何だと! 別に初めて来たわけでもないんだから地理ぐらい分かるだろが! 大体ただの歴史オタクが私の作戦にケチをつけるな!』
『あなたよりは知っている! そもそもど素人のあなたこそ黙ってもらいたいな!』
『まーま、河嶋落ち着いて。そっちも、ね。言い争っている時間なんてないんだしさ。ぐずぐずしてたら聖グロ来ちゃうよ。ここはパパッと西住ちゃんに決めてもらおうよ。ってことで、西住ちゃんよろしく~』
流石に見かねた、と言うより聞いていられなくなった杏が二人の口論を止めた。もう直ぐそこまで聖グロリアーナ勢は迫って来ている筈である。そもそも最後の方は口論ですらない上に味方同士で揉めている暇はない。
聞き苦しそうに眉を顰め憂鬱気にしていたみほは、杏に言われてしばらく思案した。しばらくと言っても聖グロリアーナ接近を考えるとそう時間はかけられない。自分がダージリンであった場合大洗勢はどういう戦いをするだろうかと考え、桃やカエサルの意見も考慮し、細かな作戦を組み上げた。
「ではこうしましょう」
みほは己が作戦を語った。