PoHとの決戦が始まってから、どれ程経っただろうか。視界の端に捉えたフィリアのHPゲージの回復量からするとせいぜい20分がいいとこだろうが、とてもそれしか経っていないと思えない。
ずっと集中しっぱなしで、それでいてフィリアの方に攻撃出来ないように妨害し続けた上でジリ貧だ。攻めに転じる余裕は無い。
「チッ……」
「オォイオイオイオ〜イ、言う割には大したことねぇじゃねぇか。まさかこれで終わりなんてことはねぇよなぁ〜?」
「………」
安い挑発に乗る訳にはいかない。隙を晒せばどちらかがやられる。あと2人、せめてもう1人加勢出来れば……
なんて、無いものをねだっても仕方がない。唯一の出入り口は閉じているのだ。アスナどころか、キリトでさえ入れないだろう。
だが、それならば。この部屋にいるもう1人──フィリアならどうか。……不可能ではないが、難しいだろう。何よりHPが心許なさ過ぎる。イエローには入ったものの、戦線復帰にはまだまだ時間がかかる。
「ケント」
「大丈夫、勝てる。だからフィリアは、回復に専念して」
「───……うん、分かった」
いつものように去勢を張り、得物を握り直して前を向く。何があってもフィリアだけは逃がす算段でいたが、閉じた扉と想定以上のPoHの強さを前に早くも崩れ去ってしまった。それでも逃げる訳にはいかない以上、やれるだけの事をやるしか無い。開くかも分からない扉が開くのを待つ?それとも、PoHに勝つ?…確実なのは後者だ。それに、コイツ相手なら…
「あぁ…美しいなぁ〜…もうすぐ死ぬってのによぉ!」
「いいや……死ぬのは、お前だけだ!」
袖口に仕込んでいた棒手裏剣を、すれ違いざまにPoHの腹へ深々と突き刺す。《ホロウ・エリア》探索中に手に入れた素材を調合して精製した、
即座にPoHのHPバー上に麻痺と毒を示すアイコンが並び、PoHはそのまま崩れ落ちた。ぐんぐんと減り続けるHPバーとこちらの顔を交互に睨み、悪魔は悪態をついた。
「
「…じゃあな、PoH!」
一切の躊躇なく、首を目掛けて刀を振り下ろす。これで、《ホロウ・エリア》の悪意がこれ以上増えることも、フィリアを蝕む毒も消える筈だ。これで、終わり──
とすっ。
「──え」
時間が、止まった。いや、止まっている訳ではない。止まっているのは僕自身だ。おかしいじゃないか、だって、今──
「ブラヴォー、ブラヴォー! おめぇを
「なん、で…うご、け……」
今度はケントが力無く倒れ、足に刺さっているナイフを捉えた。HPバー上部に現れたのは…
「レベル6の麻痺毒、そしてダメージ毒……良いモンだよなぁ、今までより多く速く殺せるんだぜぇ? ──なら、耐性ぐらい付けとくモンだよなぁ!」
「がっ……」
蹴り一発でボロ雑巾のように吹き飛ぶケントに、フィリアは思わず叫びそうになった。が、元々減っていたのもあり、もう
フィリア自身の《隠密》スキル。そしてフィリアに背を向け、ケントを注視しているPoH。勿論背後も警戒しているだろうが、失敗したらどうせ2人とも殺されるだけだ。なら──
「──ハッ!」
「チッ!……!」
あの時、フィリアを助けてくれた棒手裏剣。戦場に落ちていたそれを、今度はケントを助ける為に投げつけた。
PoHも咄嗟に回避してから、真意に気付いたのだろう。だがもう遅い。フィリアの短剣がPoHの体──ちょうどケントが突き刺した真裏に突き刺さる。
「アアアアア────ッ!」
そして、フィリアは目一杯の力を込め、突き刺したままの短剣で強引に斬り上げた。ポンチョどころかPoHの体、急所である心臓の位置すら引き裂き、PoHのHPバーが急激に減少し──やがて、消滅した。
それを視界の端で確認した直後、腰のポーチから解毒のポーションを取り出し、ケントの元へ駆け寄る。HPバーはギリギリ残っていた。
「ケント! これっ……」
「んく、く、く…」
「あ、あと消痺と、回復も……」
3つのポーションを流し込み、ようやくデバフアイコンが消えた所で、PoH──の《ホロウ》が消滅した。同時に真っ赤に染まっていた部屋が青に戻り、今度こそ本当に終わったと実感する。
「…ぷは。ごめん、結局手出しさせちゃって…」
「そんなの…っ、そんなのどうだっていいよ! いいからっ……」
「わ、え、あの──」
身体を起こしたばかりのケントを力いっぱい抱き締め、大粒の涙を流すフィリアをどうにか宥めようとあたふたしていた所を、ロックが解除されて部屋に入ってきたキリトとアスナが安堵と困惑が半々といった顔で眺めていた。
***
どうにかフィリアを宥め、4人で管理者権限──に繋がると思われるコンソールの元へ辿り着いた。…戦闘時以外、ずっと手を固く握られていたのがちょっと恥ずかしかった。
「んー……いくら調べてもアプデの項目が無い所を見るに……」
「ここじゃないっぽいな。一旦帰って、ユイに話を聞いてみるよ」
「うん、ありがと。アスナも、今日はありがとう」
「ううん、困った時はお互い様だよ。ただ、たまには攻略にも顔を出してくれると嬉しいかな」
「うっ……ぜ、善処します……」
アインクラッドの攻略もあっただろうに、わざわざ助けに来てくれた2人には本当に感謝してもしきれない。……何なら感謝どころか謝らないといけない。
「…………」
「フィリア? どうしたの?」
「ごめん……時間が無いのは分かっているけど、どうしても……話しておきたい事があるの」
「……うん。色々あったし、いいよ。何でも話して」
「ありがとう。こっちに座って……」
ぽんぽん、と自分の前の床を指した。お説教かな…
「……分かった」
正座しているフィリアに合わせ、正面で正座する。ここは《安全地帯》なので、武器もストレージに放り込んでしまおう。
「──わたし……この世界に来てから、自分が自分じゃない気がしてたんだ。わたしの中が空っぽな気がして……わたしはどこの誰なんだろうってね。だから、半分自暴自棄だったのかな?」
「フィリア……」
「そんな時……わたしはケントと出会っちゃったんだ。ケントと初めて会った時……わたし、ケントをいきなり突き飛ばしちゃったからびっくりしたよね……?」
「…うん。実を言うとね……その、ちょっと怖かった。自分で言うのも何だけど……あんな状態の奴を庇おうとするの、中々に勇気要るよ?」
「フフッ……わたし、あの時急に怒鳴っちゃってごめんね。ケントと私って……本当に変な出会いだったね」
「そだね。今更、人に庇われるとは思わなかったよ」
「今更だけど……ほんと、あの時はびっくりさせてごめん……」
「んーん、いいよ。あの時フィリアに助けられなかったら、こうして話すことすら無かったし」
「へへっ……ありがと」
はにかむように笑い、次いで少しだけ悲しそうな顔をした。
「……ねえ、ケント。私ね……不安だったんだ。自分自身のこともよく分からないのに、空っぽな私が帰る事はすっごい怖かった。……でも、それからケントと一緒に冒険して、いっぱい話をして、私の中の不安が無くなっていったんだ。──すっごい楽しかった。──だけど……謎のエリア……素性不明のオレンジプレイヤー。普通なら怖がられて当たり前なのに──ケントはよく付き合ってくれたよね」
「……僕は、さ。一緒に冒険出来て楽しかった、っていうのもあるけど、《死神》だから……恨まれこそすれ、こうして助けられるとは思わなかったんだ。 だから、その恩を返したい」
「!! ケント……がいて……くれたから……わたしは人だって実感出来た。温かさを感じられた。……ねぇ……ケントはどうして……わたしを信じられるの?」
どうして。どうして……? 分からない、いや分かる。今なら分かる。この胸の中に渦巻く気持ちの正体を。
「……さっきも言ったでしょ。
「だったら!……尚更だよ。わたしはそんなケントを裏切って……しかもオレンジで……わたしがケントと一緒にいる資格なんてない……。普通、絶対わたしを……嫌いになるよ……」
ああ、そんなに自分を卑下しないでほしい。キミには笑っていて欲しい。輝くような笑顔を見ていたい。
だから、僕に出来る精一杯のことをする。──全部、全部吐き出す。
「じゃあ僕は異常者でいいよ。僕は──僕は、キミが好きだ」
「…………す……好き!?」
「うん。僕はキミが好き。人として。友人として。…い、異性として」
「ケントは……ずるい。ずるい…悔しい…バカ…あほ…」
「…あれ、いつの間にか罵られてる?」
「……うん」
「うんて。……まあ、何でも言って良いって言ったのは僕だから、いいけどね」
「ケントの言葉は……空っぽだったわたしの隙間を埋める……あったかい気持ちの欠片……《ホロウ・フラグメント》なんだね」
《ホロウ・フラグメント》。虚ろの欠片。無形の穴を埋めるもの。
「……良いね。《慈悲深い死神》よりもずっと良い」
「ダメ」
「なんでさ」
「……私だけの、欠片でいて」
フィリアだけの欠片。…つまり、他の誰かの穴を埋めることは出来ない、文字通りフィリアの為だけのもの。
それは、今までの自分を否定することになってしまうのではないか?
それが脳裏に過ぎってしまい、すぐには返事出来なかった。
「──それ、は」
「……ごめん、忘れて」
いや。いいや。何も全てを敵に回せと言っている訳じゃない。元より、初期に比べて踏み入った手助けなんて出来ていないじゃないか。
だから。少しくらい偏っても、今更変わらないだろう。
「……いいよ。何をしても、どこに行っても、フィリアの為の欠片でいると誓う。 だから─フィリアも、僕だけの欠片でいて」
「うん───うん、うんっ……!」
僕もフィリアも最近泣いてばかりだなぁと思いつつ、泣き止むまでだけでも胸を貸すことにした。
***
「……ありがと。もう大丈夫だから」
「そう? なら良かった。…僕の胸で良ければ、いつでも貸すからね」
「〜〜〜〜〜! なんでそういう……っ、バカ!」
「えっ、なんでバカって……」
「なんでもない! ほら、行くよ!」
……女心って難しいなぁ。今度エギルに聞いてみようか。それはそれでからかわれそうな気がするが。
「あ。でもその前に……フィリア」
「なに!?」
「オレンジの問題。あれ、正体が分かったんだ」
「えっ!?」
「えっとね、フィリアは人を殺してない。もう1人の方が《ホロウ・データ》だったんだよ」
「ど、どいういうこと? わたしが《ホロウ・データ》で、向こうが本物かもしれないじゃない! ……もしそうだったら、わたしは……んむっ」
ネガティブな思考に走っているフィリアの口を手で塞ぎ、順番に説明する。
──フィリアのオレンジはシステムエラー。
──《ホロウ・エリア》に来たのは11月7日頃。
──プレイヤーは普通《ホロウ・エリア》には入れない。
──プレイヤーと《ホロウ・データ》は同時に存在出来ない。
──同時に存在してしまった場合、《ホロウ・データ》の方がシステムによって削除される仕組みになっている。
──キリト曰く、11月7日に75層のボス攻略時にアインクラッドに大きなエラーが生じた影響で《ホロウ・エリア》に飛ばされたと思われる。
──システムが《ホロウ・データ》を削除する前に、フィリアは混乱して攻撃してしまったという予想外が重なった結果、システムはフィリアのデータにエラーが生じていると認識した。
「──っていうのが事の顛末だってさ」
「ぷはっ。本当……なの? でも、私がプレイヤーだなんて確証は……」
「その点に関しては大丈夫。仲間に詳しいのが居て、太鼓判を押してもらったよ。それに、僕自身もログを見た。フィリアが攻撃したのは《ホロウ・データ》だし、削除したのはシステムだった。……だから、フィリアは誰も殺してなんかいない。普通のプレイヤーだよ」
「……じゃあ、わたしは……」
「うん。中央コンソールの場所さえ分かれば、エラーを解除出来る。ステータスも戻る。そうしたら、転移も出来るようになるよ」
「……ケント……本当に、キミは……」
「バカ、って言いたいんでしょ? そろそろ分かってきたよ」
「そう……それと、キミのカーソルも戻さなきゃでしょ?」
「ぐっ、それを言われると……」
「……怖かった。わたし……このまま1人で死んでいくのかと思った……」
震えながら俯くフィリアの顔をこちらに向かせ、出来る限り優しく笑う。大丈夫だよ、僕も一緒だよと伝えるように。
「ケント……本当に……ありがとう」
「ううん。──好きなだけ泣いていいよ。今なら僕しか居ないから」
「もう……バカッ。キミだから泣きたくないの」
「……もっと頼ってよ。バカ」
「……」
「……」
「「…ぷっ」」
まだ脅威は去った訳ではない。でも、今くらいは──今だけでも、2人だけの時間を大切にしていきたい。
***
「……んぅ…………あれ、キリト」
「よう、ケント。悪いな、起こしちゃって」
「あー、いいよ別に……ふぁ……。それより、2人はどうしてここに?」
話によると、キリトは帰った後仲間にアプデの件を話し、ユイと共にジリオギアのコンソールで中央コンソールを特定。PoHは異界エリアで寄り道せずにボスを倒し、その後管理区に移動してから数日間動き無しだった為、隠蔽している可能性有。ということで有効化する為に管理区へ来た。……ということらしい。
「……んん? あれ、キリト? と……その女の子は?」
「ああ、フィリアは会うの初めてだっけ。この子はユイちゃん。さっき言ってた、『太鼓判を押してもらった仲間』だよ」
「この子が? へぇー……初めまして、ユイちゃん」
「初めまして、フィリアさん」
「ユイちゃんが色々調べてくれて、わたしを助けてくれたんだよね?」
「ああ。ついでに言うと、今もフィリアのエラー解消とケントのカルマ回復、アップデート計画を止める為に中央管理コンソールを探していた所だ」
「いやもうほんとに頭上がらんなぁ……色々ありがとね、ユイちゃん」
頭を撫でてあげると、見た目相応の反応を示してくれるのが大変可愛らしい。本当に妹が出来たような気分になる。
「私も皆も、お2人がアインクラッドに戻れると信じています。必ず向こうへ帰りましょう!」
「うん、そう言ってもらえて勇気出てきたよ。絶対、帰ってみせるね!」
そこそこ広い管理区の壁に寄りかかって眠っていた関係上、コンソール付近にいる3人の声はこちらにあまり届いてこない。時折首を傾げている様子を見ながら、再びうとうとと船を漕ぎ始めた頃──
「ありました!」
「んがっ……ほ、本当に? どこにある?」
慌てて駆け寄って見ると、中央管理コンソールは管理区の地下深く──最奥部に設置されている事が分かった。
「でも、なんで前は見つからなかったのかな」
「恐らく、PoHが高位ユーザー権限を使って隠していたのかもしれません」
「……じゃあ、PoHが居なくなったからその項目が復活したのかな?」
「その可能性が高いと思います」
「……じゃあ、場所も分かった事だし早速地下に行ってみようか」
「あ、ケントさん。すみませんが、話にはまだ続きがあります」
早計だった。時間がどれくらい残されているのかも分からない関係上、急ぐべきではあったが、急がば回れというやつだろうか。
「管理区の地下に入るには、ある条件が必要なんです」
「……その条件、ってのは?」
「実は、この《ホロウ・エリア》の全エリアのボスを倒さないと、入ることが出来ないんです」
なんと。……とは思ったが、よくよく考えればあのPoHですらわざわざ次のエリアまで行ってボスを倒しているのだ。となればそうであっても不思議ではないだろう。……それに抜け道も無さそうだ。
「ってことは……まあ、やること自体は変わらないのかな」
「そうだね。でも着実に前には進んでるよ」
「よし、じゃあ……早速、大空洞の次に行こう!」
「うん!頑張ろうね、ケント」
タイムリミット不明、被害甚大なアップデート。そう聞くと中々にクレイジーだが、出来るのは僕とフィリア、そしてキリト(+1名)のみなので更にクレイジーだ。
「あ、そうだ。『階層攻略頑張って』って皆に伝えといて」
「了解。それじゃ、俺達は戻るよ」
転移門を通ってアークソフィアに帰る2人を見送る。ちらりとフィリアの顔を見ると、もう暗い気分はだいぶ晴れたようだった。