双極の理創造   作:シモツキ

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第百五話 覚悟と願いが紡いだ幸せ

「ご馳走様」

「ご馳走様でした」

「お、お粗末様……」

 

箸を置き、きっちりと両手を合わせて食後の挨拶を述べる二人の少女。前に見た時よりちょっとだけ持ち方が改善されたように見える、ラフィーネさんとフォリンさん。……幻覚でも、人違いでもない、本物の二人。

 

「…………」

 

現在俺は動揺している。綾袮さんが帰ってきて以降、もうずっと動揺している。けどえらいもので動揺しながらも素麺は茹でられたし、あんまり喉を通らなかったけど夕食も食べられたし、今も食器を洗ってる。一切全然全くもって、動揺の原因は解決してないままだけど。

 

「あ、食器は私が拭きますよ?」

「そ、そう?助かるよ…」

 

掛けてあった布巾を手にフォリンさんは隣へ来て、言うが早いか拭き始める。…嬉しい、すっごく嬉しい。普段綾袮さんは全く手伝ってくれないから(家事は俺が始めた事とはいえ)、ただそれだけでも感激してしまいそうになる。……って違う、嬉しいのは確かだが今はそれどころじゃない……。

 

「……あの、綾袮さん…そろそろ説明を…」

「ん、そうだね。じゃあ顕人君もフォリンも、こっちに来てもらってもいい?」

 

粗方食器を洗い終えたところで、綾袮さんにそう求める俺。この状況は玄関で説明を求めた俺に対し、「まずはお夕飯にしない?」…と綾袮さんが返した事で出来たもの。だから夕飯の終わった今ならと俺は思い、綾袮さんもそれに首肯した。

キッチンで洗い物をしていた俺とフォリンさんはリビングへ移動し、それぞれに椅子やソファへ座る。食事中は比較的和んだ雰囲気をしていた三人だけど、今は全員真面目な顔。

 

「…それじゃ、話そっか。…って言っても、結果だけを言うなら凄くシンプルだよ」

「シンプルになるの…?」

「うん、だって『おじー様達がそう言う判断をした』って事だもん」

「あ、あぁ…そういう……」

 

何故シンプルなのかを明かす綾袮さんの言葉に、今度は俺が一先ず首肯。確かにそれはシンプルだ。でも俺が聞きたいのはそれだけじゃなくて、当然綾袮さんもそれは分かっている様子。

 

「おじー様達はね、考えたんだよ。これから二人をどうするかって。もう協会としては軟禁しておける理由がなくなった以上解放してあげなきゃいけないけど、BORGの方も手を引いちゃった二人は元の鞘に戻るなんて事は出来ないし、二人もしてきた事、しようとした事が事だから自由にするって訳にもいかない。…要は、処遇に困る立場だったんだよ、ラフィーネとフォリンは」

「…うん、それで……?」

「で、話を続ける中で、一つ丁度いい場所が見つかったんだよ。今回の件の事情を知ってて、おじー様達の思惑や意向を理解出来て、二人に対しても友好的で、二人が何か企んでいたとしても罪悪感で手を鈍らせる事が出来て……何より万が一の事があっても、二人の相手を出来るだけの戦力が常駐してる、ぴったりの家がね」

「……それって、まさか…」

 

説明の前半は、謂わば状況に対するもの。今の二人が置かれている状況に対する説明で、だから俺も軽く頷きつつ続きを訊いた。何の気なしに、そのままに。

けど後半の説明は、そうはいかなかった。初めは「ふむふむ」とか思っていて、途中から「条件厳しいなぁ」とかちょっと他人事みたいに考えていて……でも、最後まで聞いたところで、俺は気付いた。確かにその条件全てに合致する場所がある。その家を、俺は知っている。だってそれは、そこは……

 

「……そう、ここなんだよ。ラフィーネとフォリンが、これから暮らすのは」

「……冗談じゃ、なくて…?」

 

ぞわっ、と全身の鳥肌が立つ。息を飲みながら二人の方へ視線を向けると、二人共黙ってこくんと頷く。

改めて条件を思い返してみる。確かにどれも合致している。三人の顔を見る。誰一人、俺を引っ掛けてやろうというような表情をしていない。そして何よりこの状況が、事実として今ここにある。…つまり、これは……冗談じゃ、ない。

 

「……マジか…」

「…顕人、あんまり嬉しくなさそう。嫌だった?」

「い、いやそんな事はないよ…?…ただその、飲み込むのに時間がかかる程驚いてるだけで……」

「わたしも驚いたよ。まさか、こんな事になるなんて思ってなかったから。…でも、これで分かったでしょ?おじー様達は、顕人君の思いを最大限考慮してくれてるんだって」

「…そう、だね…はは、ほんとに俺と刀一郎さん達とは格が違うな…完全に手の平の上で踊らされた気分だよ……」

 

嫌だったのかと訊かれる俺だけど、そんな事はない。むしろ想定外は想定外でも、これは完全に嬉しい誤算。けれどそれと同時に、電話で綾袮さんが言った事、言おうとした事を改めてはっきりと思い知る。…俺の思いを余すところなく果たさせつつも、きちんと戒め増長を防ぐ。でも、こんなの……ここまでの差を見せ付けられたら、驕りたくても驕れませんよ…。

 

「…でも、それって本当にいいの…?これにもかなり忖度が働いてる気がするけど…」

「うん、勿論曇りないハッピーエンド…とまでは言えないよ。普通の生活って意味では最大限の譲歩をしてもらえてるけど、例えば今の二人は自衛の装備すら許されてないし、組織として色々面倒だったり危険だったりする任務が二人に回ってきたりする事もあると思うから」

「……っ…待った…まさかそれは…!」

「大丈夫ですよ、顕人さん。…あまり公には出来ない任務をしてもらう事はあるとしても、汚れ仕事…人を殺す様な任務はさせない、って直々に言われましたから」

「そ、っか…なら良かった……」

 

ラフィーネさんとフォリンさんは、BORGで暗部とでも言うべき任務をさせられてきた。その中でフォリンさんは笑顔を失っていくラフィーネさんに耐えられなくて、ラフィーネさんもフォリンさんと共に歩む幸せを望んで、だから二人は離反した。……なのに、その二人がまた同じ道を歩む事となったとしたら。

その不安を否定してくれたのは、他でもないフォリンさん。彼女の言葉で、俺は安堵の溜め息を吐く。

 

「それは心配し過ぎだって顕人君。…というか、うちが裏で邪魔な人間を始末してるとか思ってたの?」

「い、いやそれは……」

「…まぁ、電話でも話した通り100%クリーンな組織って訳でもないけどね。けど少なくとも、わたしの知る限り協会はそんな事はしてないよ。特に人を殺してその事実を隠蔽なんて、現代の日本じゃかなり難しいんだから」

 

曖昧な笑みを浮かべて、綾袮さんもそう言ってくれる。…最後の一言は、そういう方面の知識も学んでいる事を感じさせるものだったから、そこだけはあんまり穏やかに聞けなかったけど…それでも俺は、ほっとした。

 

「だけど他にも色々と二人には制限もあるし、今回の件を聞いた人の中には二人に懐疑的だったりする人もいれば、ここまで全て二人とBORGの計画通りで、ここから協会を潰そうとしてるんじゃ…って可能性だってゼロじゃない。……これは、二人もちゃんと分かってるよね?」

「えぇ、勿論です」

「それが当然の事。わたし達は疑われても仕方ない」

「なら良かった。…でも、それでも今の二人はもう普通の霊装者として歩む事が出来る。普通でいられる。……だから、顕人君…これからは食事、四人分頼んだよ?」

 

浮かべていた曖昧な笑みから真面目な顔になって、二人の言葉を聞いて、それからまたにこりと笑った綾袮さん。その笑顔のままで、綾袮さんは茶目っ気たっぷりにそう言った。……四人分、か…人数が倍なら労力も倍、なんて事はないだろうけど、きっと楽じゃないんだろうなぁ。…まぁ、でも……

 

「……俺の料理はまだまだ発展途上だからね。それは覚悟、しておいてもらえるかな?」

 

──それ位、得られたものに比べればなんて事ないさ。…そう思う俺だった。

 

 

 

 

事情を聞いた顕人は、綾袮に勧められて入浴へと向かった。普段はもう少し後に入る彼だが、入る事を決めたのは察した為。綾袮がラフィーネとフォリン、三人で話したい事があるという思いを、何となくながら感じたから。

 

「…顕人君ってさ、ほんとに人が良いよね。今日だって急にお客が来るって言ったのに、文句も言わず夕食を四人分用意してくれたんだから」

「うん。顕人は優しい。…少し、疑わしい位に」

「ですね。…でも、それが見返りを求めたものではない事を私達は知っています。…多分、自分の為という一面もあるんだとは思いますが……それでも彼は、良い人です」

「うんうん、二人共よく分かってるようで結構結構。…本当…凄いよね、顕人君は」

 

顕人本人が聞けば赤面間違いなしであろう、立て続けの褒め言葉。それが建前ではなく三人それぞれの本音である事も手伝って、リビングに漂うのは穏やかな空気。その中で綾袮は柔和な、されどどこか神妙さも感じさせる表情を浮かべる。

 

「わたし、びっくりしちゃったんだよ?顕人君が負傷したのは、顕人君の選択とはいえ元を正せば二人が関係してくるのに一切二人を悪くは言わないし、負傷した事も全然後悔しなかったんだから」

「そう、だったんですか……」

「それにね、会談で顕人君がした事も知ってるでしょ?…あれを会談の存在を聞いてすぐに考えて、迷わずわたしに話して、会談の場でも堂々と言い切ったんだもん。…よっぽど二人の事を、顕人君は思ってくれてたんだろうね」

「…うん。それなら、わたし達も嬉しい」

 

語る綾袮につられるように、ラフィーネとフォリンも表情を緩ませる。

これまで二人で、互いが互いしか心を許せない中で生き続けてきた二人にとって、その事実は本当に嬉しいものだった。損益関係なく、自分や自分の愛する姉妹を大切に思ってくれる人がいるというだけで、二人にとっては心が温まる思いだった。

だが、何故そんな事を言い出したのか。表情を緩ませつつも、頭の端で二人がそう疑問を抱く中、綾袮は続ける。

 

「わたしね、思うんだ。これは顕人君の魅力だって。顕人君の良いところで、顕人君の強みで、顕人君の無くしちゃいけないものだって。勿論優しさは戦場じゃ枷になる事もあるし、実際顕人君にはそういう優しさ…ううん、悪い意味での甘さがあると思うけど、そうだとしてもわたしは顕人君が顕人君のままでいてほしい。……だから、さ…」

 

 

「──裏切らないでよ?顕人君の事を。もし、二人の為に死力を尽くしてくれた顕人君を…顕人君の思いを裏切るなら……わたしはそれを、許さないから」

『……っ…!』

 

一度目を逸らした綾袮が、再び二人の方を向いた時……その表情に、笑みはなかった。穏やかだった空気を一瞬にして霧散させ、裏切るのなら如何なる理由があろうと容赦しないという、冷徹にして強固な意志の籠った瞳。その瞳で見据えられた二人は息を飲み……されどそれから、揃って力強く頷いた。今の綾袮の意思にも負けない、その瞳を跳ね返す程の覚悟を持って。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

静かに、一言も発さず、だが思いを込めた視線を交錯させる三人。短くも濃密な時間は、一秒、また一秒と過ぎていき……二人の覚悟を受け取った綾袮は、ゆっくりと目を閉じた。目を閉じ、そして…再び笑顔に。

 

「……わたしも二人を信じるから。だから…これからも、宜しくね」

「…宜しく、綾袮」

「こちらこそ宜しくお願いします、綾袮さん」

 

……そうして終わった、三人の…綾袮と二人のやり取り。その中心にいたのは、徹頭徹尾顕人だが…それを彼は、知る由もない。

 

 

 

 

「ラフィーネさんとフォリンさん、これからは二人とも一緒に暮らす訳か…」

 

まだ残暑にもならず蒸し暑い階段を登り、自分の部屋へと向かう。風呂に入ったのが数時間前で、ラフィーネさんとフォリンさんの部屋(二人からの希望で、二人は同じ部屋を使う事になった)を四人で準備したのが一時間と少し前。もう今は深夜と呼べる時間で、寝る為に部屋へ向かっている。

 

「……何か一気に、ラノベ主人公っぽい状況になったなぁ…なーんて」

 

我ながら変な事言っちゃう程度には、今の俺は良い気分。…いや、勿論女の子が増えたからとかそういう理由じゃない。そうじゃなくて…二人と再会出来て、二人が笑顔でいられる道を歩み出せていて、そんな二人とこれからも居られるという事が、俺にとっては嬉しかった。嬉しかったし、安心した。

当然二人の歩む道は楽じゃないだろうし、俺の生活だって二人が来た事によって変化すると思う。でもきっと、この変化は良いものになるだろうと思いながら、期待しながら、俺は今日も眠るのだっ……

 

「…ん、顕人来た」

 

……おおっと、部屋を間違えたらしい。えーっと、俺の部屋は…うん、目の前だな。一歩も移動してないけど、ここは俺の部屋で間違いない。

 

「さっきのは見間違いと聞き違いだな、うん。きっとそうだ」

 

なんて自分に言い聞かせて、再び扉に手をかける。さて…それじゃあ、改めて…こほん。

…期待しながら、俺は眠るのだっ…………

 

「顕人さん?何故一度閉めたんですか?」

「……あっれー…?」

 

…扉を開けたら、もう一度開いたら、件のロサイアーズ姉妹がいた。やっぱりいた。……見間違いでも、聞き間違いでも…なかった。

 

「…二人共、部屋間違えない…?」

「え……ここ、顕人の部屋じゃなかった…?」

「いや合ってるよ…?…え、分かってていたの!?なんで!?」

「何でって…顕人さんに用事があるからですが……」

「あ、あー…そゆ事……」

 

フォリンさんの返答でやっと二人がここにいる理由が分かり、俺は若干釈然としない気持ちを抱きながらも部屋に入る。…同じ家にいるんだから、わざわざ俺の部屋で待たなくてもいいのに……。

 

(……というか、平然と俺のベットに座ってるし…)

 

現在二人は俺のベットに二人並んで座っている。それは不快ではないものの、男子高校生としては少しだけ恥ずかしいというのが実際のところ。…言うのも恥ずかしいから、言葉にはしないけど。

 

「…それで、用事ってのは?」

「それはですね……いえ、その前に…」

 

取り敢えず本題に入ろうと訊いてみる俺。するとフォリンさんが言いかけて、でもゆっくりと首を振る。それからフォリンさんは、ラフィーネさんと一度顔を見合わせ……言った。

 

「…申し訳ありませんでした。私の我が儘に付き合わせて、無理をさせて、怪我までさせて」

「……それは…俺が…」

「顕人さんの同意の上であってもです。…私は貴方の良心に漬け込んで、ここまでの事をさせてしまった。…だからまず、それの謝罪をさせて下さい」

 

立ち上がり、深々とフォリンさんは頭を下げた。…そんな必要はない。反射的にそう思ったけど、本当に心から謝りたいと思っている人の謝罪を、中途半端に打ち切らせるのは相手に心残りを作らせてしまう行為。そしてフォリンさんの真剣さは、ひしひしと伝わってきている。だから俺は最後まで聞き、頭を下げてからも少し待った。

 

「…………」

「…………」

「……確かに俺は、フォリンさんに助けを求められなければ、危険な目に遭う事も怪我する事もなかった。…けど、求めに答えたのも、戦おうとしたのも、助けたいって思ったのも…全部俺の意思だ。だから、謝る必要はないとは言わないけど…フォリンさんに責任があるとすれば、それは俺に話した事。ただ、それだけだよ」

「…それで、良いのですか?」

「うん。責めるつもりもないのに、責任を感じられるのは…あんまり、気持ち良いものじゃないからね」

 

頭を上げたフォリンさんへ、肩を竦めつつ俺は言う。我ながら固い事を言ったけど、本心はむしろ後の方。それに…まるで俺の選択が俺の意思じゃないみたいに言われるのも、良い気分じゃないし、ね。

 

「…顕人さん……」

「…ほら、やっぱりわたしの言った通り。顕人は、そういう事を気にする人じゃない」

「そう、でしたね…ふふ、確かにその通りです…だから、だからこそ私も…顕人さんに、誠実でいなければいけません」

(誠実…?)

 

すっと横に立ったラフィーネさんとまた顔を見合わせ、柔らかな笑みを浮かべ…それからまた、真剣な…本当に真剣な表情となったフォリンさんは、一歩俺の方へと近付く。

何を言うつもりなのか。誠実とは、何か。俺が彼女から感じる雰囲気に緊張を抱き始める中、フォリンさんは片膝を突き……

 

「…約束を果たして頂き、ありがとうございました。そしてこの約束は、私からの条件提示により結ばれたもの。よって──これより私は、貴方のものです」

「な……っ!?」

 

──主人に傅く従者のように、恭しく俺を見つめた。一切の迷いも、躊躇いもなく。

 

「本来これは、救われた時点で行うべき事。それがここまで遅れてしまった事を、心より謝罪致します」

「や、ちょっ…ちょっと待ってよ!?何を言って……」

「…覚えて、いられませんか?」

「……そ、れは…」

 

片膝を突いたまま話すフォリンさんに、彼女の言葉に平常心を奪われる俺。……でも、意味が分からない訳じゃない。

確かにあの時、フォリンさんは何でもすると、全てを捧げると言っていた。でもその時はそこについて言及しなかったし、言葉の意味よりそこに秘められた思いに動かれて協力を決意したから、今の今まで忘れていたけど……確かにあの時、俺はその言葉を否定していない。投げかけられた言葉を否定せず、相手の求めに応じたのなら…それはその条件を、了承したも同然の事。

 

「…でも、そんな…軽々しく、貴方のものだなんて…」

「軽々しくではありませんよ。真剣に、本気で言っています」

「…それで、いいっていうの…?確かに、フォリンさんが言った事だけど…別に無理しなくても……」

「…してませんよ、無理なんて。あの時は、正直ラフィーネを助ける事しか頭になかった面もありましたが…貴方が貴方の意思で選択したように、これも私の意思で選んだ事です。それに……」

「それに…?」

「……嫌だとは、思ってませんから。貴方のものに、なる事を」

「……っ…フォリン、さん……」

 

上目遣いで俺を見つめるフォリンさんの、綺麗な赤茶の瞳。その瞳に映っているのは、俺ただ一人。……フォリンさんは、言った。俺のものになるのは、嫌ではないと。

ぞくりと背筋を何かが駆け抜け、ある感情が湧き上がる。それは欲望。綺麗な髪が、きめ細やかな肌が、可愛くも美を感じさせる容姿が、俺を憎からず思っている心が……その全てが望めば自分のものとなる事への、筆舌し難い昂りと欲求。…そんなの駄目だとは分かっている。けれどこの欲望の奔流は、フォリンさんを見れば見る程膨らんでいく。

なんて言葉を返すべきか。それに俺が迷う中……もう一人の声が、俺の耳へと届いた。

 

「……顕人」

「……ラフィーネさん…?」

「…顕人は、わたしの事…好き?」

「へ……?」

 

届いたのは、いつものように静かな、ラフィーネさんの声。けれど俺の名前に続いてラフィーネさんが発したのは、俺の想像を遥かに超える言葉。その言葉に俺は、一瞬思考が硬直し…フォリンさんもまた、姉の言葉に目を見開く。

 

「…………」

「い、いや…急に、何を……?」

「今訊きたいと思ったから訊いただけ。…顕人は、好き?それとも、嫌い…?」

「それは……勿論、嫌いじゃないけど…」

 

曇りのない瞳で見つめられて、思わず俺は口籠ってしまう。そこに質問自体の重さが加わって…いや多分、この質問だけだったとしても同じ事を言ってただろうけど…回答として選んだのは、明確な答えではない言葉。でも、それじゃラフィーネさんは納得してくれない。

 

「…なら、好きなの?好きじゃないの?…わたしは、ちゃんと答えてほしい。これは、大切な事だから」

「それは、その……」

「…………」

「……好きかどうかで言えば…好き、だよ…」

 

あんな瞳で見つめられて、追求されて、大切な事だなんて言われたら、あんまり恋愛方面に関してアクティブじゃない俺だって交わしきれない。だからあくまで人として、好きか嫌いかの二択として…と自分の中で言い聞かせ、俺は好きだと口にした。すると、ラフィーネさんはふっと微笑み……

 

「そっか。それなら、良かった」

「なぁ……っ!?」

「ら、ラフィーネ……!?」

 

小動物の様な身軽さで、俺の右腕に抱き着いた。…それはまるで、人としてとは違う好意を持つかのように。

腕に感じる体温と、ふにゅりとした双丘の感覚。鋭いナイフを思わせる戦闘時のそれとはかけ離れた、か細く華奢な女の子。…その子が今、ここにいる。俺の側に、寄り添って。

 

「わたし、ここに居られるのは嬉しい。…どうしてか、分かる?」

「……フォリンさんと、普通に暮らせる…から…?」

「うん。…でも、それだけじゃない。ここに居られて嬉しいのは…顕人とまた、一緒に居られるから」

「……っ!」

 

…さっき俺は、ラフィーネさんを小動物と例えた。実際ラフィーネさんにはそう感じさせる面がある。けど、今ここにいるのは小動物みたいな友達か?…いいや、違う。ここにいるのは、女の子で、女性で……異性だ。

 

「ねぇ、顕人…顕人は、フォリンに貴方のもの、って言われて嬉しかった?…そうしたいって、思った…?」

「…ぁ……え、と…」

「ふふ、顕人慌ててるのが顔に出てる。……じゃあ、顕人……わたしも貴方のものになるって言ったら、どうする…?」

「……──っ!」

 

……脳を直接揺さぶられたような、くらりとする感覚に襲われた。フォリンさん一人でも欲望が湧き上がるのに、そこにラフィーネさんが加わったらどうなるか。…それが、この感覚。目眩がする程の、衝撃と欲求が身体を走る。

 

「ラフィーネ…そんな……」

「…どう、顕人。わたしと、フォリン…顕人が望めば、わたし達は二人共……貴方の、もの」

「…あ、顕人…さん……」

 

決して肉付きが良い方ではないラフィーネさんが、仕草と声音、そして吸い込まれそうな瞳で醸す蠱惑的な誘い。豊満ではないその体躯も、今のラフィーネさんの雰囲気にかかればむしろ魔性。薄手で感じる身体付きが、袖やスカートの先から見える健康的な手脚が、露出した首筋が、俺の心を惑わせる。

姉の行動に動揺し、縋るような瞳を向けているフォリンさん。その瞳は、それ単体で肉欲を引き摺り出される程暴力的だというのに、彼女のゆったりとした服装に包まれた姉より発育の良い身体が更に欲を掻き立てる。片膝を突いたままでよく見える脚も、女性的なボディラインも、くすみのない頬も、全てが魅惑に溢れている。……ラフィーネさんも、フォリンさんも、俺にとっては魅力的でしょうがない。

 

(…二人が、そう…望むなら……)

 

いいじゃないか、そうしても。……そう囁く俺がいた。無理矢理ではないのだから、二人から持ちかけてきたんだからと。二人の願いを叶えた俺には、その報酬を受け取る権利位はあるだろうと。周りの目だとか世間体だとかは、他の人がいる時はこれまで通りの接し方をと言えばいいだけの話で、常識なんて同意の上での関係性なら関係ないと。

そうだ、俺は一言言うだけで…いや、首を縦に振るだけで、こんなにも魅力的な二人を自分のものにする事が出来る。願ってもない幸福が手に入る。なら、それなら…迷う事なんて……一つも…………

 

 

 

 

 

 

「────それは、俺の望みじゃない。だから、俺は二人共……俺のものになんて、させはしないよ」

 

──俺は、断った。迷う事なんてないと、首を横に振った。…願ってもない。嗚呼、確かにその通りだ。願ってないものが手に入ったって……それと引き換えに大切なものが失われるのなら、そこに何の価値もないんだから。

 

「…どうして……?」

「だから、俺の望みじゃないからだよ。俺は二人の主人になりたかった訳じゃないし……ラフィーネさん、フォリンさんの負担を減らす為に自分も…なんて言ったでしょ」

「……バレてた…?」

「まぁそりゃ…あの時のフォリンさんと、同じ顔をしてたから、ね」

 

ぴくり、と肩を震わせて驚くラフィーネさんへ、肩を竦めてそう返す。それから俺は、ラフィーネさんに離れてもらって片膝を突く。突いて、フォリンさんへと手を差し出す。

 

「フォリンさん、その気持ちは嬉しいよ。けど俺は、今の関係が好きなんだ。上下関係なんてなくて、一応俺の方が歳上なのに時々弄られて、でも大切なものの為に助けを求める事が、その助けに応じることが出来る、対等な関係がね」

「…後で惜しんだり、しませんか…?」

「しないよ、むしろ俺のものにしちゃった方が後々後悔するだろうね。…俺がなりたいのは、そういう自分じゃないだろうって」

「……また、それなんですね…」

「またこれだよ。俺って、案外利己的な人間だったみたいだからね」

 

利己的で結構。自分のなりたい自分になる為に、自分に恥じない自分でいる為に、俺はその選択をしたんだから。そう思って軽く笑うと、フォリンさんもまた小さく笑みを浮かべ……差し出した手を、握り返した。だから俺は立ち上がり、フォリンさんを引っ張り上げる。主人としてではなく、対等の相手として。

 

「ふぅ…じゃ、この話はお終いだよ。もし納得がいかないなら…そうだね、今行った事を俺からの命令とでも思ってよ。俺のものにさせないっていう、命令としてね」

「…ほんとに、顕人さんは…貴方は、そういう選択をする人なんですね」

「…ある意味、顕人らしい。…でも、えっと…こういう人を、なんて言うんだっけ…?」

「え?…あー、それは……」

 

俺から拒否されながらも、まんざらではなさそうな顔をする二人。でもそこに不満らしき感情はない事が分かって、俺は一先ず一安心。…けれど、二人は俺を何かの言葉で評したいらしく、二人で暫し思考を開始。その様子を「え、何…?」と思いつつ見ていると、ある時二人はぱっと思い付いたような表情を浮かべて……言った。

 

「あ、そうだこれは……」

「あ、そうですこれは……」

「ん?何さ二人共……」

 

 

『ヘタレ、って言うん(だっ・でし)た』

「ぶふぅーっ!?ちょっ、はッ……へ、ヘタレ!?言うに事欠いて…ヘタレ!?はぁぁ!?」

 

ぱぁぁ、とすっきりしたような顔で言う…いいや、言ってきやがる二人に対して俺は憤慨。だ、だってそりゃそうだろう!ヘタレだぞ!?今の流れでヘタレって…酷くね!?あんまりじゃね!?

 

「あれ、違った?」

「違ぇわ!大違いだわ!…いや、じゃあプレイボーイかと言われるとそうでもないんだけど……ってかなんでヘタレなんて知ってんの!?」

「何かの機会に、綾袮さんから聞いた…んだったと思います」

「綾袮さん貴様ぁぁああああああッ!!」

 

ここにはいない、二人は入れ知恵した人間へと怒りを込めて絶叫する俺。…よく考えたら綾袮さんには何の非もない訳だけど、そんな事冷静に考えられる心境じゃない。…というか……

 

「あ、これもまさか俺弄りか!?海水浴以降偶にやるようになったアレか!?」

『……ふっ』

「ふっ、じゃねぇ!た、確かにさっき『時々弄られて…』とか言ったけど、だからって今するかね!?最後の最後でこんな事なんて……やっぱ二人実はちょっと性格悪いだろ!いや絶対悪いねっ!」

「む……今日から一緒に暮らす相手に、それは失礼」

「失礼なのは同居人をヘタレ扱いしたそっちの方だわ!あーもう!俺もう寝るから出てけ!ほらほらお休み!」

 

深夜という時間にも構わず(近隣住民の皆さん、もし五月蝿かったらごめんなさい)、俺は二人の背中を強引に押して廊下へ誘導。これは二人も少し予想外だったみたいで、驚きながら戸惑っているけど…そんなのは知った事か。はぁ、もうほんとに最後の最後でやな気分だよ!こういう時位、良い雰囲気で最後まで行きたかったよ!あーあ、これなら俺のものにした方が良かったかもしれな────

 

 

 

 

「……でも、そんな顕人だからこそ…」

「……でも、そんな顕人さんだから…」

 

 

『(わたし・私)達は、貴方のものになってもいいかなって思った(の・んですよ)』

「……っ…!?」

 

廊下へと突き出す間際、くるりと振り向き俺の腕へと抱き着いたラフィーネさんとフォリンさん。そこから二人は俺を引き寄せ、密着しながら二人揃って咲かせた、満面の笑顔。本当に嬉しそうで、本当に幸せそうで……ドキリとする心を抑えられなかった、女の子からの満ち足りた思い。

そうして二人は、二人仲良く部屋を出ていく。後に残されたのは、最後の最後、本当に最後で翻弄されてしまった俺。二人の笑顔は、俺の脳裏に焼き付いて……二人が完全に去ってから、俺はその場で尻餅をついてしまうのだった。

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