「…よし、これに勝った奴が二人からジュース奢ってもらうって事にしようぜ」
「え……自分が一位になった途端言うのはズルくない…?」
「はっはっは、戦いは非情なのさ、茅章」
「わー、シンプルにゲスい……んじゃ、ほいっと」
「な……ッ!?そんなとこにショートカットあったのかよ!?」
「あったよ?」
「くっ……御道お前、このゲームやり込んでいるな…ッ!」
互いの技術、集中力、更には読みなんかもぶつけて戦う。駆け抜け、激突し、隙あらば落とす熾烈な戦い。御道、茅章という気のおける、そして俺にとっての数少ない男友達である二人すら嵌め、利益の為に姑息な手すら取ろうとするその戦いは……ってしまった、もう俺言ってんじゃん…。…あーはい、そっすよ。仰々しい書き方してるけど、実際には単なるレースゲームですよー。
「あ、なんか上手いなぁと思ってたけど、やっぱりやり込んでたんだね」
「やり込んでるってか、ラフィーネさんに『NPC相手じゃ面白くない』って事でよく付き合わされてるんだよ。…全く、日に日にゲーマー化してってるんだから……」
「あはは……」
なんて事ない週末に、長兄が家で集まってゲームという、わざわざ描写する必要もなさそうな本日の俺と千㟢家。強いて言えば、今日は御道だけじゃなくて茅章もいるんだが…だからって特別になる訳でもないしな。
「…うん、やっぱり未成年がゲームで賭けなんて公序良俗に反してるな」
「おいこら、何自分の言った事撤回しようとしてんだ」
「反省して撤回しただけですが?」
「開き直るんじゃねぇよ…」
こんな感じで、数十分程前から俺達はレースゲーム中。その前は格ゲーをしていて、更にその前は……まぁあれだな。一言で言うなら、ゲームばっかりですわ。
「ふぅ、無事一位っと…さぁて、それじゃあ約束通り……」
「御道…お前本気で茅章に払わせる気かよ。最低だな」
「最低なのは茅章を出汁にしてる千㟢だわ!…はぁ…別に奢らんでいいよ、喉乾いてないし」
「お、言ったな?男に二言はないな?」
「どの口が言ってんだ…てか今日は小物感半端ないぞ…?」
なんか悔しいから立て続けにふざけていたら、小物感半端ないとか言われてしまった。…ったく、小物感だと?……まぁ、そんな感じは俺もしてたが。
「というか、茅章も何か言ってやりなよ?今のは流石に横柄だと思うでしょ?」
「あ、ううんいいよ。聞いてるだけで面白いから」
「え、あ、そう……」
「面白がってたのかよ茅章…」
ふふっ、と穏やかに笑う茅章に対し、ちょっと困る俺と御道。まさかこんな返しが来るとは思っていなかったから、返答に対して困惑してしまった。
とまぁこんなやり取りを経て、レース終了。そこからもう数回勝負をし、それでレースゲームも終わりにする。
「はー、次どうすっか…外は出たくねぇしなぁ……」
「今日寒いもんね。そういえばさ、二人のクラスが文化祭で使った小道具とか衣装って、あの後どうしたの?」
「小道具と衣装?…小道具は大体崩して、衣装は個人個人で持ち帰る…って形だったよね?」
「そうだな。俺は裏方だったから特に持ち帰る物も無かったが」
話を切り替える形で茅章が口にしたのは、先日の文化祭の事。裏方っつーか調理担当は家庭科室から借りるか、自前で持ってくるかが大半だったから、本当に俺はこれといって持ち帰ってない。
「そっか…いいよね、ああいう普段着られないような物を着れる機会って」
「あー、それは分かる。俺は…ってか、俺も千㟢も着てないけど」
「二人共別の仕事してたんだもんね。僕の方はそういう感じの企画じゃないから、着る事もないかなぁ…」
「悪いな、俺もなんか着てりゃ今持ってくる事も出来たんだ、が……」
残念そうにする茅章を見て、何気なく何かあればなぁ…と思った俺。だが、次の瞬間俺は気付く。確かに俺の手元には何が……この家の中って事なら、恐らくまだあるんじゃないか…と。
「…………」
「え…ど、どうしたの悠耶君…?急に口元に手を当てて……」
「……和装と浴衣、か…」
「ほんとにどうした千ざ……って、待て…おいまさか…!」
「……?」
茅章は完全に分かっていない様子だが、どうやら御道は気付いた様子。はっ、気付くとは中々やるじゃねぇか御道……いや、茅章が対象ならむしろ、これ位気付いて当然か…。
「…とんでもない事考えてるな、千㟢……」
「…だが、似合うとは思うだろ?」
「…そりゃあ、ね……」
会話の内容を茅章に聞かれないよう気を張りつつも、同じ想像、同じ意思を持っているのだと理解し合う俺達二人。つまり、なんだって言うと……俺達は両方、しょーもない奴だって事さ。
「…こほん。衣装云々で言えば、協会の制服だって十分特殊だと思うがな」
「あ、そうだ…前々から気になってたんだけど、茅章の武器は糸なの?」
「糸?」
「うん、そうだよ。僕は操作能力がちょっとだけ高いみたいでね、性格的にも積極的に攻めたり動き回ったりするより、霊力を込めた糸を展開して罠にしたり援護したりする方が向いてるって言われたんだ」
「へぇー…え、じゃああの糸はやっぱ、何かで打ち出してるとかじゃなく霊力で操作して動かしてたのか…」
「凄いよね、霊力って。…まぁ、何本も同時に動かすのは難しいんだけど…」
何やら糸で盛り上がっている御道と茅章だが、俺は全く付いていけない。で、後で聞いてみたところ、それは合宿的なアレで二人が戦った時の話なんだとか。…疎外感半端ないな……。
「同時操作は難しいよね。俺も最近別系統の火器を同時使用した時、途中で上手くいかなくなったし…」
「…そりゃ、糸にしろ火器にしろ、別々の行為を同時に行おうとすれば難しくなるのは何にだって言える事だしな。例えばバスケでボールを跳ねさせるのだって、その場でやるのとドリブルとじゃ難易度が違うだろ?」
「あぁ、そういえば……じゃあ、どうすればいいかな?」
「まぁ、方法は色々あるだろうが…結局は練習するのが一番だと思うぞ。身体が覚えちまえば、一々何かを意識する必要もなくなるしな」
「そっか…あ、じゃあさ、他にも色々思ってる事があるんだけど、それも聞いてくれる…?」
話に加わるチャンスだ!…とか思った訳じゃなく、あくまで他意なく…ほんとただ思った事を言った結果、茅章は期待と羨望の混じったような瞳で俺を見つめてくる。
肩にかかるかどうか位の髪に、気弱な雰囲気も感じる中性的な容姿。そこに俺を頼りにするかのような瞳と声音が重なったのなら……そりゃあもう、拒否なんか出来る訳がなく……
「…ひゅー、千㟢優し〜」
「うっせ、俺はここで渋るような器の小さい人間じゃねーんだよ」
「はいはい、そうですねー」
「あはは、二人のその気心知れてる感じって良いよね」
レースゲーの次は何をするかって話だった筈なのに、気付けば霊装者としてのプチ勉強会みたいになってしまうのだった。…まぁ、茅章から更なる尊敬と信頼を得られたって意味じゃ、悪くない展開だったかもな。
*
お開きとなったのはそれから数時間後。日も落ち暗くなったところで二人は帰り、俺は見送りに出た玄関からリビングに戻る。
「うー、室内外の温度差ぱねぇ……」
扉を閉めた俺は湯呑みを手に取り、残っていた中身を一気に飲み干す。その後二人が使っていた湯呑みと共に流しへと持っていき、洗い、拭いたところで緋奈がリビングへとやってきた。
「洗濯物、取り込んでおいたよ」
「あ…しまった忘れてた…。助かったぜ、ありがとな緋奈」
「うん、どう致しまして」
気の利く妹に言葉でも心でも感謝をすると、緋奈はなんて事ない…って位の調子でにこりと返答。それからソファへと座り、すぐに次の言葉を口にする。
「お兄ちゃん、今日は楽しかった?」
「ん?…んまぁ、ごろごろしてるよりはよっぽど充実してたとは思うが…なんでだ?」
「だって聞こえてきたお兄ちゃんの声、張りがあったからね」
足をハの字にし、太腿の間に両手を挟んだ可愛らしい格好で座る緋奈からの、意外な問いと思ってもみなかった回答。緋奈は数十分程前、出先から帰ってきたんだが……俺、張りのある声をしてたのか…。
「…ってか、別の部屋にいた緋奈にそれが聞こえてるって事は、まあまあ五月蝿かったんだよな…すまん……」
「ううん、五月蝿くはなかったから大丈夫だよ。それに聞こえてきたのは、部屋じゃなくて廊下にいた時だし」
「そうか……ういしょ、っと」
キッチンからリビングに戻り、俺はソファに深く座る。それからは特に言葉を交わす事もなく、数十秒…それか一分二分が経ち、なんとなーく携帯を取り出そうとしたところで、ぽつりと不意に緋奈が言った。
「…お兄ちゃん、ちょっと変わったよね」
「…変わった?」
俺が座っているのはソファの左端で、緋奈が座っているのは右端。手を伸ばせば届く距離にいる緋奈からの言葉に反応し、そちらを向くと…緋奈は窓の外を見つめたまま言っている。
「…それは、思考とか性格とか、そういう内面的な意味で…だよな?」
「そうだよ。自覚ない?」
「そりゃ…最近ってか、春から色々あったし、少し位は変わっててもおかしくないとは思うが……」
なんて言い方をして答えを濁す俺。実際変わったって自覚があるかどうかで言えばないが、変わるだけの要素は確かにあるだろうなとも思っている。だから、今のが正直な答えであり…同時にないと認めるのがちょっと恥ずいから、誤魔化そうと思ったってのもなくはない。
「…変わったよ、お兄ちゃんは。芯の部分は変わってないけど、表面的な部分がちょっと明るくなってるもん」
「…そう見えるのか?」
「見えるじゃなくて、変わってるんだよ。ずっとお兄ちゃんと暮らしてきた、妹のわたしには分かるから」
気がするとか、思うとかじゃなくて、明確な断言。そんな事を言ってくるのは少し驚きだったが…緋奈が言うならそうなのかもな、と思っている自分も俺の中には確かにいる。
「…まあ、春以降俺より明るい人とかなり交流があったしな。逆に俺でも不安になる位捻くれてる相手にも会ったし、対人関係で色々影響受けたんだろ」
「…それだけかな?」
「他か?他は……やっぱ、宗元さんだろうな…大分歳が離れちまったとはいえ、俺にとって宗元さんは恩人で、まさかまた会えるとは思ってなかったからな。…ほんと、あん時は驚いた……」
明るくなった要因は幾つか思い付くし、多分どれも間違ってはいないだろう。俺的には明るくなったってより、そう見える言動が前より増えたんだろうなぁ…なんて思っていたりはするが、それは別にどうでもいい事。それよか緋奈の反応の方が重要で……そのどちらも、緋奈が考えているような理由ではないらしい。
「…そうじゃない、って感じだな」
「違う…とは思ってないよ?きっとそれも、確かな理由の一つだと思うから」
「…なら……」
違うとは思っていない。…それは、肯定の言葉じゃない。否定はしないという言葉。その言葉を選ぶって事は、緋奈は別のものを見ているって訳で…俺が見つめる中、緋奈は外を見続けたまま言う。
「……妃乃さんは、違うの?」
「…妃乃?」
発されたのは、意外な言葉。今はまだ帰ってきていない、同居人の名前。…それは……
「…俺としちゃ、対人関係で色々…の中に、妃乃も入れたつもりだったんだが……」
「…って事は、色んな人の内の一人として、お兄ちゃんは見てるんだ」
「そう…なるな」
疑問ではなくまた断定の言葉だったが、俺は首肯する。一人一人、関わってきた相手を吟味してる訳じゃないが、多分それで間違っちゃいないだろうと思ったから。
それから数秒間、緋奈は黙っていた。その間の表情からは何を考えているのか分からず、俺もただ見つめていた。そうして、数秒間の時間が経ち……緋奈はまた、口を開く。
「…そうじゃないと思うよ。妃乃さんは、お兄ちゃんに大きな影響を与えてると思う」
「…………」
「…お兄ちゃん?」
ちらり、とこちらを見てくる緋奈。その理由は当然、俺からの返答がなかったから。だがそれは、勿論無視したとかじゃない。
「…あ、悪ぃ。ちょっと考えててな…」
「妃乃さんからの影響を?」
「あぁ。…どうなんだろうな…何かしら影響は受けてると思うが、今の俺のどこが、どの程度妃乃から影響を受けてるのかっつーと……」
「それは…そう、だよね…。ごめんね、お兄ちゃん。わたし、明確な答えを出すのが難しい事訊いちゃって……」
これだ、ここが影響受けてるんだ。…そうはっきりとは言えない状態に俺はあって、だから返答が出来ず、すぐに緋奈もそれを理解してくれる。
そう、内面の影響を正確に区別するなんて、そう簡単に出来る事じゃない。元々形なんてない内面の区別なんて、複数の着色料を入れた水を、仕切り板だけで色ごとに区分けするようなものなんだから。
「……けど、そうだな…具体的な事、正確な事は言えないが…受けてきた影響の中じゃ、妃乃は一二を争うかもしれねぇ。…いや、かもしれないじゃなくて…きっと俺は、それ位影響を受けている。…ほんと、緋奈は流石だな…緋奈の言う通りだ」
区別は出来ていない。時間をかければ出来る…とも言い切れない。だが、思い返してみれば、妃乃とのやり取りや共に戦った時の事を一つ一つ思い浮かべてみれば…自然と俺は、大きい影響を受けているんだろうなと思えた。…その結果が、ちょっと明るくなっただけってのは、何とも俺の捻くれ具合を表してるなぁとも思ったが……結果は結果なんだから、それはそうと受け入れるしかない。
「…やっぱり、そうなんだね……」
「妃乃とは何かとあったからな。加えて毎日同じ家で生活している訳だし」
「…………」
「…緋奈?」
返答のない緋奈の名を、疑問符を付けて呼ぶ。さっきとは逆の立場。…また、緋奈の表情からは考えている事が分からない。
「…凄いよね、妃乃さん…文武両道で、性格も良くて、しかも霊装者としても実力があって…そんな人が、半年と少しでお兄ちゃんに影響まで与えちゃうんだもん…」
「…………」
「お兄ちゃんが明るくなるのは良い事だし、喜ぶべきだって分かってるけど……やっぱ悔しい、な…わたしはお兄ちゃんとずっと一緒にいるのに、お兄ちゃんはわたしと…わたしやお母さん、お父さんといた時間の方がずっと長いのに、なのに…十年以上の時間が、ちょっとでもたった半年と少しの妃乃さんに、変えられちゃうのは……」
妃乃を褒めて、儚げな顔になって、それから緋奈は言った。悔しいな、と。俺の内面が…千㟢悠耶として生まれ、この家で育ってきた俺の在り方が、少しであろうと一年にも満たない関係の妃乃に変えられてしまった事が、悔しいのだと。
やっと分かった。何故緋奈がこんな話をしてきたのかが。やっと見てた。緋奈の気持ちが。…そっか、緋奈…緋奈は俺に対して、そう思って…そこまで思って、くれてたんだな…。
「…こういう時、良い妹はどうするべき…なんて考えず、自然に喜べるんだよね、きっと…。…でも、ごめんねお兄ちゃん。わたしは、そんな妹じゃ……」
「ばーか。んな事気にしなくていいんだよ、緋奈」
「うぁっ…!?お、お兄ちゃん……?」
分かった時、感じたのは嬉しさと温かさ。俺の妹、千㟢緋奈から感じる、俺への思い。それが胸に、心に沁みた俺は、俯きがちになった緋奈の頭に手を伸ばしてくしゃくしゃと撫でる。軽く触れるとか、ちょっと往復させるとかじゃなく、がっつりしっかり撫でまくる。
「はぁ…ほんと緋奈は撫で心地が良いんだよな……」
「ぁ、えと、その……」
「…こんな撫でられるのは嫌か?」
「う、ううん…そうじゃ、ないんだけど……急に撫でられたから、驚いて…」
「急に撫でる事なんか今更だろ。何年一緒に過ごしてると思ってんだ」
撫でる事は続行しながら、緋奈と言葉を交わす。正直、慰めてやろうなんてつもりはない。だって緋奈は、単に気にし過ぎなだけなんだからな。
「言うまでもないと思うが、突然頭を撫で続けるなんざ妃乃にやった事はねぇ。少なくともこの時点で、緋奈と妃乃には歴然の差がある」
「そ、それは…うん、まぁ…そうかも、だけど……」
「だろ?それにこれだけじゃねぇよ。緋奈も最初の方で言ってたが、変わったっつってもそりゃ表面的な部分の話だ。俺は相変わらず緋奈の事を愛してるし、そこは変わってねぇどころか一瞬たりとも揺らいだ事すらないんだよ」
そう、表面的な部分は多少変わったのかもしれないが、俺の根っこの部分は変わってない。そしてその根っこの部分にいるのは、緋奈以外にあり得ない。緋奈は、俺が望んだ普通の生活を俺に与えてくれた、大事な家族の一人であり…今の俺にとって、唯一の肉親でもあるんだから。
「だから、気にすんな緋奈。俺にとっちゃ妃乃はただの知り合い…じゃ、流石にねぇが、妃乃はあくまで同居人だ。今の俺にとっての中心であり、一番は……前も今も、緋奈一人だ」
「…お兄ちゃん……」
「分かったか?分からないなら……そうだな、取り敢えず一緒に風呂でも入るか」
「ぶ……っ!?そ、それは流石に恥ずかしいからいいよ!わたしもお兄ちゃんももう高校生だからね!?」
「この際だから言うが、俺は風呂位は余裕でセーフだからな?」
「何そのカミングアウト!?……じゃ、じゃあ…わたしがうんって言ったら、ほんとに入るの…?」
「…まぁ、な」
かぁぁ、と顔を赤くした緋奈に割とマジのトーンで返す俺。赤面したまま、俺を下から覗き込む緋奈にも、俺は返答を拒否ったりしない。……いや、まぁ…俺だって緋奈の側から一緒に入ろうと言われたら動揺するし、実際今の言葉に首肯されたら、多分冷や汗だらだらにはなるんだろうが…ひ、緋奈は良識ある筈だもんな、うん…。
「……もう、お兄ちゃんったら…っていうか、さっきの言葉…まるで、告白みたいだったよ…?」
「それ位緋奈を大切にしてるって事だ。お兄ちゃんの愛舐めるなよ?」
「舐めてないよ。…でも、そっか…わたしがお兄ちゃんの一番、か……」
「オンリーワンと言っても過言じゃないな」
「それはそうでしょ。お兄ちゃんの妹はわたし一人だもん。…そう、お兄ちゃんの妹はわたし一人で、わたしが一番……ふふっ」
俺の言葉を繰り返すように呟いて、ふにゃりと緋奈は表情を緩める。それは本当に、固まっていたものが柔らかくなるような感じで、俺もほっと一安心。…固い表情より、柔らかい表情の方が…そんな表情を浮かべられる気持ちの方が、良いに決まってる。そんなの、当然だよな。
「全く。これ位緋奈には全部伝わってると思ってたんだけどなぁ…お兄ちゃんは悲しいぞ」
「う……それじゃあ、お兄ちゃんこそ今のわたしの気持ち分かってる?」
「ん?お兄ちゃん大好き、だろ?」
「違う……もう髪の毛ぐちゃぐちゃだから、いい加減止めてほしいなって思ってるの」
「あ……それは、すまん…」
気付けば俺は、ほぼずっと緋奈を撫で続けていたという状況。はっとして手を離すと、緋奈の髪の毛はそれはもうぐっちゃぐちゃ。女心など分からない俺だが、流石にこれがアウトだって事は分かる。…ついでに、墓穴も掘ったな…俺……。
「はぁ……そういうデリカシーの面で抜けてるとこ、直した方がいいと思うよ?」
「…善処する……」
「なら良し。でもほんと、なんでこんなになるまで撫でるかなぁ……」
「それは撫で心地が良い緋奈にも非が……」
「わたしにも非が?」
「…などという事はなく、お兄ちゃんはきちんと直そうと思います、はい……」
普段の性格もあり、こういう流れになってしまうと俺はほんと緋奈に頭が上がらない。俺は一応…てかれっきとした兄なんだから、妹に言い負かされるのは勿論気分の良いものじゃない。…だが、逆に言えばこんなやり取りが…昔からのやり取りが出来てるって事が、やっぱり俺と緋奈の関係や繋がりは変わってなんかいないんだって証明であり……
「ほんとにもう……」
「悪かったって……」
──同じソファで二人、俺と緋奈は互いに自然と溢れた笑みで笑い合うのだった。