双極の理創造   作:シモツキ

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第百四十六話 これからは、いつまでも

 今日、妃乃は不意に家を飛び出して行った。かなり急いでいて、具体的な事は聞けなかったが……例の魔人絡みらしい。

 となれば引き止める訳にはいかない。そう思った俺は、何かあれば連絡しろとだけ言って見送り、それからはずっと家にいた。元々、出掛ける予定はなかったが…何か胸の中が騒ついて、緋奈にも妃乃から聞いた事を話して、とにかく妃乃を待っていた。

 そうして、結局連絡はないまま、妃乃が帰ってきたのは……深夜。

 

「…ただいま」

「…お帰り、妃乃」

 

 扉が開き、リビングに入ってきた妃乃の声に俺は返す。続けて点いていたTVを消し、座っていたソファから立ち上がる。

 

「…起きてたのね」

「まぁな。夕飯はどうする?食べるなら温めるぞ」

「…じゃあ、お願い」

 

 妃乃からの返答を受けて、俺はラップをかけておいた夕飯をレンジへ。中に入れ、レンジを起動させて…妃乃を見やる。

 単刀直入に言って、妃乃の表情は曇っていた。それも、急用でやりたい事が出来なかったとか、深夜までかかって疲れたとか、そういうレベルの事による陰りじゃない。

 

「……逃げられたのか?」

「…え……?」

「魔人の事だよ。それとも、急用ってのは別の事だったのか?」

 

 一瞬迷い、それからストレート過ぎない程度に言葉を選んで問いかける俺。

 迷ったのは、訊くかどうか。何も言わず、世間話でもする…って選択肢もあった。だが…多分、雑談位で妃乃の心は晴れないだろうし、俺自身何があってどうなったのかは聞いておきたい。…そう思ったから、俺は訊く。

 

「それは……えぇ、悠耶の言う通りよ」

「そっか…まぁ、相手は魔人…それも魔王級の奴なんだ。だったら、無事に済んだだけでも良かったと思うぞ」

「あ……ううん、そうじゃないわ。私が言う通りって言ったのは、魔人の件かどうかであって……」

「っと、それは悪い。……って、ん?じゃあ…まさか、誰かが……」

 

 ふるふると首を横に振る妃乃の言葉で、別に逃げられたから気落ちしてる訳じゃないと俺は理解。だが、誤解した事を謝った次の瞬間…気付く。なら何故、妃乃は表情を曇らせているのか、と。それはつまり、逃げられた上に何かあったって事じゃないのかと。

 最初に浮かぶのは、誰かの死傷。それも妃乃にとって近しい相手に起こったが為に、気落ちしたのかと俺は思った。けど、それにも妃乃は頭を振る。

 

「…そういう事でもないわ。…けど……」

「けど…?」

「……そうね。順を追って話すわ」

 

 数秒間の沈黙の後、妃乃は少し表情を引き締めて言う。そしてそれから、妃乃は話してくれた。急用とは何だったのかを。経緯に、起きた事に…最終的な結果まで、細かく俺に教えてくれた。

 その間、俺は黙っていた。というより…驚く事が多過ぎて、理解をするので手一杯だった。

 

「……マジ、か…」

 

 最後まで聞き終えた俺が、一拍置いた後に初めて口にした言葉がこれ。色々思うところはあったが……本当に、最初はこれしか出なかった。

 御道の前に、またあの魔人が現れた事。何とか取り返しがつかなくなる前に見つけ出す事が出来た事。取り引きやら両組織間の思惑やらが組み合わさった結果BORGから戦力が派遣され、魔人相手に優勢だった事。だがそこで御道が庇うような動きを見せ、更に複数の別の魔人(しかも一体は例の身体の伸びる奴)による強襲を受け、対応している最中に御道が連れて行ってしまった事。そして……御道に追い付いた時、魔人はもう討たれていた事。…はっきり言って、出来事は俺の予想を遥かに超えていた。

 

「驚くのも無理はないわ…けど、全部事実よ」

「あ、あぁ…別に疑っちゃいないが…。…魔人へのトドメは、御道が刺したのか…?」

「…恐らく、ね。ほんとに僅かだけど、その場には魔人の残滓が感じられたし…」

 

 幾らダメージを負っていたとはいえ、魔王級の相手を御道が撃破するなんて。…疑う、とまでは言わないにしろ、ある意味一番驚きだったのはそこだった。

 だが、妃乃がそう言うのなら、本当に倒せていたんだろう。……が、そうなると再び疑問が浮かぶ。今の話のどこに、ここまで気を落とす要素があるのだろうか、と。…まさか、御道に手柄を取られたのが不服…とかじゃねぇよな……。

 

「…………」

「…他に、何かあったのか?」

「他…って……?」

「いや、具体的にどうって訳じゃないが…何となく、さ……」

 

 これまでの経験から、ここで踏み込み過ぎると逆に誤魔化される…というか、心配かけまいと強がるような気がした俺は、一度踏み込んだ上で敢えてぼかす。

 それを、妃乃がどう捉えたのかは分からない。だが…俺のぼかしを聞いた後、妃乃は俯き…それから顔を上げて、ぼそりと言う。

 

「…別に、大きな事じゃないわ…他の物事に比べれば、ちっぽけな事。…ただ……」

「…ただ?」

「……顕人に、納得させられるような言葉…何も、かけてあげられなかったの…」

 

 顔を上げ、けれど視線は下がったままの妃乃の口から出てきたのは、御道の名前。一瞬、意味が分からなかったが…すぐに思い出す。俺や妃乃にとってはただの、学校に紛れ込んでいた魔人でも…御道にとっては、ずっと交流のあった相手であった事を。

 

「それは…仕方ない、事じゃないのか…?気持ちってのは、頭での理解とは別のところにあるもんだし…」

「そうかも、しれないけど…けどそれでも、考えるまでもない事ってあるでしょ…?」

「考えるまでもない事…?」

「魔人や魔物は、討つべき存在…相対的な認識なんて関係ない、絶対的な悪だって事よ…」

(…それ、か……)

 

 考えるまでもない事として妃乃が口にしたのは、魔人や魔物…即ち霊装者にとっての敵への認識。それを聞いた俺の心には、少しだけ複雑な感情が渦巻く。

 魔物は絶対的な悪。魔物を討つ事は、不変の正義。それは霊装者の中での常識とでも言うべき事で、かなり初期に教わる事だからそれを疑う奴は少ない。かく言う俺は、教わった頃とにかく荒れててまともに周りの話なんざ聞いていなかった上、ぶっちゃけ対人戦の方が多かったから、今も昔も強い害獣位にしか思ってないが……生粋の霊装者であり、霊装者としての英才教育を受けてきた妃乃には恐らく、その考えが「1+1=2」レベルで思考の根底に存在している。だから…妃乃は、理解出来ないんだろう。幾ら、人だと思って接していたとしても……相手が魔人だったなら、討つのが当たり前。当たり前の事をするんだから、感情が動く余地なんてない。…そう、思っているんじゃないかと思う。

 それを悪いとは思わない。幼少期からそう教えられて、そういう環境で育ったなら、そうなるのが当然だから。ましてや実際、魔人も魔物も人に仇なす以上は、決して間違った考えって事でもない。

 

「…私は、どうしたら良かったのかしら…ううん、私は時宮の人間として、周りを正しく導かなきゃいけないのに、こんな当たり前の事すら納得させてあげられないなんて……」

「…使命感、か……」

「それが時宮家に生まれた者としての、義務だもの…。…それに、親しい人が落ち込んでたら…悠耶だって、出来る事はしてあげたいって思うでしょ?…なのに私は…こんな普通の事も……」

 

 続く言葉を聞いて、俺の予想は確信に変わる。それと同時に、ある思いも俺の中でふわりと浮かぶ。

 俺は、聞いてからの事を考えていなかった。気になったから、放っておけなかったから訊いたが、励ますとか、アドバイスするだとかのその後の行動はノープラン。そして、それじゃあ行動としては片手落ちだが……だからって訳じゃなく、ただ思ったままに、俺は妃乃の頭へ右手を置く。置いて、驚きで目を丸くする妃乃を見ながら、呆れ混じりの声音で言う。

 

「…ったく…ほんと真面目だな、妃乃は」

「え……?」

 

 それは、半ば自然と出た言葉。妃乃を見て、話を聞いて、心の中に浮かんだ感想。対して妃乃はそんな事を言われるとは微塵も思っていなかったとばかりに、ぽかんとした顔で俺を見つめる。

 

「別にそこまで気負う事はねぇよ。妃乃の責任感や義務感は凄いと思うし、実際時宮の人間として必要な事なのかもしれないが……まだ妃乃は子供だろ?…いや、俺も一応そうだが…心身どっちも、まだ成熟なんかしちゃいないんだ。だったら完璧に出来ない事が一つや二つあったって、そんなの駄目でも恥でもないだろ」

 

 そんな妃乃の頭に手を置いたまま、俺は俺なりに真面目な思いを持って言う。

 思えば、これは前々から妃乃に抱いていた思いかもしれない。もうちょっと肩の力を抜いてもいいんじゃないかって、そう思う事はこれまでにもあった。

 

「……急に、何を言い出すのよ…」

「何だろうな。まぁ俺は妃乃にどうこう言えるような人間じゃねぇし、俺にゃ分からない事とかもあるだろうから、別に軽く受け流してくれたって構わないさ。ただ、まぁ……」

「…まぁ……?」

「…俺は今のままでも、十分妃乃は立派だと思うし、自信を持っていいと思うけどな」

 

 そう言って俺は言葉を締め括り、同時になんとなく置いた手で妃乃を撫でる。普段から緋奈に対してはよく撫でていて、少し前からは依未とも交流を持つようになったからか、本当に自然に俺は撫でていた。

 別に、励まそうだなんて考えてない。ただ俺は、妃乃へ思っていた事を言っただけ。本当に真面目で、責任感が強くて……でも決して近寄り難い訳じゃない、ほんとは変に庶民的だったり、ジャンクフードが好きだったり、プライドが高いのか意地っ張りな一面もある、そんな妃乃だからこそ今のままでもちゃんと人としての魅力が、人を惹きつける力があるんだろうって、本気で俺は思っている。…実際、宗元さんだって若い頃は、今より…ってか、妃乃より雑な性格してたしな。

 

「……それは、その…ありがと…」

「別に礼なんていらねぇよ。それより、変に気負うな。緋奈だって綾袮だって、妃乃が気負ってたらきっと皆心配するだろうしよ」

「……じゃあ、悠耶は…?」

「え…お、俺……?」

「…………」

 

 少し頬を赤くして、ぼそりと呟くように言う妃乃。それを聞いて、俺は一番伝えたかった事を口にしたが……何を思ったのか、そこで妃乃は俺について訊き返してきた。

 まさか俺がどう思うかを訊かれるなんて思っていなかったから、思わず俺は固まってしまう。だが妃乃の瞳は俺の顔をじっと見ていて、なんだか誤魔化す事も出来ない雰囲気。だから俺は数秒迷って、そして……ちょっと目を逸らしながら、逆の手で軽く頬を掻きつつ、言った。

 

「……そりゃ、まぁ…どうでもいいと思ってたら、わざわざこんな事…言わねぇよ…」

 

 努めて俺は、普段通りの言い方で返した。普段通りのつもりで言った。…だが、恥ずい。超恥ずい。一人だったら頭を抱える位……もう、ほんっとに恥ずかしかった。…で、それを訊いた妃乃はと言えば……

 

「……え、妃乃…?」

 

 何故か、一層顔が赤くなっていた。もう赤ってか真っ赤って感じで、口元はもにょもにょしていて、「あぅぅ……」とかなんとか言いそうな雰囲気。え、何?どうして?俺なんか不味い事言った?下品な事でも言ってた?…っていやいやいや、幾ら何でもそれはない。流石にこの流れで品のない事なんて言ってない筈。…でも、だったらほんとにどういう事?いや、ちょっ…マジでなんなの!?ぶっちゃけ辛い!何が辛いって、顔赤くしてる妃乃見てるとドキドキするんだもの!そら俺は男だもの!てか、この状況は後どれだけ続くんですか!?

 

「…い、いつまで頭に手を置いてるつもりよ…馬鹿……」

「あ……す、すまん…」

 

 と、完全に心の中でテンパってしまっていたところで、恥ずかしそうに呟く妃乃。その言葉で反射的に俺は手を離し、その勢いのまま背を向けて、一先ずドキドキの状態からは脱出成功。

 だが、相変わらず空気は気不味いまま。しかも背を向けてしまったものだから、今妃乃がどんな顔をしているかも分からない。勿論、このままリビングを出ていってしまう事も出来なくはないが、それはそれで勇気がいると言うか……

 

「…あ、お帰りなさい妃乃さん」

「……!?あ、た、ただいま緋奈ちゃん…」

「お、おぅ緋奈か…どうかしたのか…?」

「……?…レンジの音が聞こえたから、来ただけだけど……」

 

 なんで俺が思った次の瞬間、いきなり耳に届いた緋奈の声。不意打ち過ぎる緋奈の登場に、俺も妃乃も(と言っても、妃乃に関しては声からの想像だが)びくぅ!…と滅茶苦茶驚いたが、そのおかげで空気が変わって俺は胸を撫で下ろす。あぁ、緋奈…やっぱり緋奈は頼りになるよ……。

 

(…けど、ん…?考えてみりゃ、温め始めたのはまあまあ前で、もうとっくに温め終わってるよな…?)

「…お兄ちゃん?中の物出さないの?」

「あ……いや、出すさ。出さなきゃ意味ないしな(…まぁ、いいか)」

 

 そうして俺はレンジから妃乃の夕食を取り出し、食卓に並べる。妃乃は流しで手を洗って、その後すぐに食べ始める。

 ほんと何故ああなったのかは分からないが、とにかく夕食を食べる妃乃の様子を見る限り、少しは心も晴れた様子。それに俺は安心感を覚え……けれど同時に思うのだった。…御道の方は、大丈夫なんだろうか…と。

 

 

 

 

 俺は慧瑠を連れて、逃げた。誰かに指示された訳ではなく、綾袮さん達が戦っている中、協会にとっての討伐対象である慧瑠を。

 これは慧瑠の言った通り、協会への裏切り行為だ。普通なら、許される筈がない。情状酌量の余地はあるのかもしれないけど……やった事実は、何があろうと変わらないんだから。

 けど、俺は一切罰されなかった。裏切り行為とすらされなかった。──俺が、慧瑠を討伐したという事になって。

 

「…………」

 

 綾袮さん達の猛攻によって弱った魔人は、俺がトドメを刺したというのが協会としての決定。連れて行った事に関しても、乱戦で逃げられる事を危惧した俺の、現場判断によるものとされた。

 別に、誰かがそういう決定になるよう動いた訳じゃない。状況的にはそう判断するのが一番自然で、最も丸く収まる決定で……何より、全くの事実無根って訳でもない。あれは、慧瑠は……俺が、殺してしまったようなものだから。

 

「…着きましたよ、顕人さん」

「…うん、分かってる。……悪いね、ここまで心配させちゃって…」

「ううん、大丈夫」

 

 心配してずっと側にいてくれたラフィーネさんとフォリンさんにお礼を言って、俺は自分の部屋に入る。

 普通魔人討伐ともなれば、いつものようにすぐには帰れない。ましてや今回はかなり複雑な状況になっているから、綾袮さん達が来てからすぐに、俺は双統殿へ行く事になった。

 けれど綾袮さんが気を回してくれて、出来る範囲でやる事を明日以降に回してくれたから、今俺は家にいる。それでも、深夜どころか朝の方が近い時間だけど……綾袮さんには、感謝しなきゃいけない。

 

「……慧瑠…」

 

 ゆっくりと歩いて、ベットに座る。俺の頭の中にあるのは、失意と後悔。大切なものを失ったという、絶望的な気持ちの渦。

 食欲がない。風呂に入りたいとも思わない。ただただ、今は身体も心も酷く重くて……そこで、ポケットの中で携帯が鳴る。

 

「…綾袮さん?」

「うん。顕人君、もう家には着いた?」

「着いたよ。…ごめんね、色々……」

「謝らないでよ。何も顕人君は悪くないし…むしろわたしは、仕留めてくれた顕人君を誇りに思ってる位なんだから」

「……そっか…」

 

 電話越しに聞こえる、満足そうな声。本当に、誇りに思ってるんだろうなと思える、綾袮さんの落ち着いた声音。

 憎悪でも、湧くかと思った。初めて綾袮さんを不快に思うんじゃないかって、嫌いになるんじゃないかって、聞こえた瞬間俺は思った。でも…何も、感じなかった。綾袮さんにとって…いや、霊装者にとってはそれが普通で、悪意も性格も関係ない、単なる価値観の違いなんだって事を、薄々気付いていたってのもあると思うし、俺を見つけた時の綾袮さんの顔を見て、本当に俺の事を心配してくれてたんだなって分かったからってのもあるんだとは思うけど……もう、ほんとに…俺は、疲れていた。多分…気持ちを動かすのも面倒な位、俺の心は疲弊し切っているんだと思う。

 

「顕人君、明日は…っていうかもう今日だけど…ゆっくり休んで。学校は、行かなくても大丈夫だからさ」

「…綾袮さんは、どうなの…?まだ、休めないんでしょ…?」

「まぁね。でも一日徹夜する位なら平気だよ。何とか学校に間に合わせる事が出来れば、休み時間で仮眠も取れるしさ」

「…休まないの…?」

「そりゃ、もしかしたら妃乃も来れなくなっちゃうかもしれないし、それでわたしが休んだら最低でも三人が休みになっちゃうでしょ?多分大丈夫だとは思うけど…それで変に思われるのも嫌だから、ね」

 

 けれど、疲弊しているのは綾袮さんだって同じ事。程度はどうあれ綾袮さんも疲れていて…だけど綾袮さんは、俺の事を気にかけて、他の事も気にして、自分の務めを夜通し果たそうとしている。……あぁ、やっぱり…俺はこの人を、嫌いになれない…。

 

「…凄いね、綾袮さんは……」

「そんな事ないよ、わたしはそれが出来るように育てられただけだから。凄いのは環境だし…普段は顕人君にお世話になってるんだから、こういう時位はしっかりしないとね」

「…なら、無理はしないでね」

「もっちろん。顕人君も、ちゃんと休むんだよ?」

 

 心配をする綾袮さんの言葉に答えて、通話終了。携帯をベットに落として、俺もそのまま倒れ込んで……天井を、見つめる。

 

「…皆、凄いな…しっかりしてて…強い心を持ってて……」

 

 綾袮さん、ラフィーネさん、フォリンさん。俺の側には強い人が何人もいて、この三人以外にも強い人、尊敬出来る人が沢山いる。そんな人達に俺は追い付きたくて、並べるようになりたくて、頑張ってきた。その気持ちは今も変わらないし…その為には、立ち止まってなんかいられない。

 

「…そうだよ、俺は立ち止まる事は出来ない…立ち止まってたら、俺は強くなれない…だから、だから慧瑠を…慧瑠の、事を……」

 

 分かっている。本当は理解している。そうするしかないって。もう選択肢自体がなくて、受け入れて前に進むか、受け入れないまま前に進むかのどっちかでしかないんだって。…それに、慧瑠はきっと、落ち込んだままの…後悔を引き摺ったままの俺なんて望んでない。だったら…やるべき事は、一つだ…慧瑠の為にも、俺は受け入れて…前を見て…慧瑠の死を…糧に、して……

 

 

 

 

「……出来る、かよ…こんなの、こんなのっ…受け入れられる訳、ないじゃないか…ッ!」

 

 見上げた瞳から溢れる涙。拳を握った腕をベットに叩き付けて、やり切れない思いを胸から吐き出す。畜生…ッ!何でだよ、何でだよ…ッ!受け入れられる訳ないじゃないかッ!俺は助けたいって、失いたくないって思ったんだッ!だからッ、何だってしようと思ってたんだッ!なのに、なのに…ッ!なんでまだッ、何も…してない、のに……ッ!

 

「う、ぁっ…ぁぁあぁああぁぁ……っ!」

 

 思いを吐露し、吐き出し、咽び泣く。もうどうしようもない事は分かってるのに、どうしようもないと分かってるからこそ、濁流の様に流れる悲しみを抑え切れない。

 いや、違う。俺は抑えようとも思っていない。俺は……こんなの、認めたくなんか…ないんだよ…ッ!

 

「畜生ッ、畜生ッ、畜生ぉぉ……っ!」

 

 何度も何度も、絞り出すように叫ぶ。腕で目元を押さえて、後悔して、後悔して、後悔して、泣き続ける。そして……気付けば、もう朝になっていた。

 

「……ぁ、ぁ…」

 

 どれだけ吐き出そうと、この思いが尽きやしない。けれど、数十分…或いは数時間も泣いていれば、涙の方は枯れて尽きる。そうして、それ程に泣けば……流石に感情よりも疲れが勝つ。

 次第に重くなっていく瞼。寝るというより、落ちる感覚。このまま寝てしまうんだろうなというのは頭の隅にあって…でもやっぱり、頭と心の一番多くを占めているのは慧瑠の事。俺が失ってしまった、もう帰ってはこない、大切な……

 

「……ごめん、慧瑠…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────はい。呼んだっすか、先輩」

 

 

 

 

…………え…?

 

……………………え……?

 

「……え、る…?」

「どうしました?先輩。慧瑠っすよ?」

 

 その瞬間、聞こえた声。聞こえる筈のない、もう聞けない筈の…一人の声。

 唖然として、頭が真っ白になりながら、俺は目元から腕を離す。離して、首を動かして、声のした方をゆっくりと見る。そして、そこに…その先にいたのは……

 

「うわぁあぁぁぁぁああああああッ!?」

 

 巨大な槌か何かで殴打されたかのように、横になっていたベットから転がり落ちる俺。

 凄く痛い。だけどそんなの気にせず、気にすらならず、俺は叫びを上げたまま立ち上がる。立ち上がって、もう一度見て…あぁぁマジだッ!マジでいるッ!でもなんで!?え、幽霊!?幻覚!?或いは世界改変!?

 

「ちょっ、顕人君大丈夫!?何かあったの!?」

「……ッ!?」

 

 あり得ないものを見た&聞いた俺がテンパりにテンパる中、どたどたと大きな音が聞こえたと思えば部屋の扉が勢いよく開けられ、綾袮さんとロサイアーズ姉妹が駆け込んでくる。…あ…綾袮さん、帰ってたんだ…って、それどころじゃねぇ……ッ!

 

「あ、あのだね綾袮さん!こ、これは…っていうかそもそも見えてる!?これはどういう状況!?」

『……はい?』

「い、YES!?今の『はい』は、肯定の表現!?」

「や、あの…顕人君、ほんとに大丈夫…?びょ、病院…行く……?」

 

 ヤバいヤバいと更に俺がテンパる中、揃って三人は青い顔して俺を見てくる。

 それは明らかに、ヤバい人を見る表情。でも真にヤバいのは、絶対この状況の方で…と、思った俺だけど……気付く。

 

(…あれ…?綾袮さん達…本当に、見えてない……?)

 

 確認の為、ゆっくりと後ろを向く俺。そこ…出窓の窓台と呼ばれる部分には、さっきと変わらず慧瑠がにこにこしながら座っていて、位置的に見えない筈はない。

 でも、綾袮さん達は気付いていない。そちらに視線を向けてすらいない。…って事は、やっぱり……

 

「……あ…え、えっと…ごめん!ちょっと…嫌な夢、見ちゃったみたいで…まだ俺、疲れてるのかな…」

「あ…そ、そっか…なら、わたし達一緒にいた方がいい…?」

「そ、それは大丈夫!むしろそれを理由に一緒にいてもらうのは恥ずかしいから、皆はいつも通りにしてて!」

「そ、そう?じゃあ、わたしは学校に行くけど…何かあったらすぐに連絡してね?」

「うん。わたし達も、すぐに呼んで」

「家事の事もお任せ下さい。私達で何とかします」

「う、うん…ありがと、皆……」

 

 どうやら俺の言葉を信じてくれたのか、三人は俺を安心させるような表情をして部屋を出ていく。そうして、十分な時間が経ったところで……俺はその場に座り込む。

 

「…な、何とかなったぁぁ……」

「ふふ、中々即興の嘘が上手っすね先輩」

「上手っすね、じゃないよ……君は、慧瑠…なの…?」

「だから、そうだって言ってるじゃないっすか」

「…本当に?」

「本当に」

「双子の姉妹とかじゃなく?」

「双子の姉妹とかじゃなく」

「心の弱い俺が生み出した幻想とかでも?」

「ないっすね」

 

 軽い調子で悉く否定してくる慧瑠。ぶっちゃけまだまだテンパってて、今も不明だけど…話している内に、段々実感が湧いてくる。あぁ、本当に…今目の前にいるのは、慧瑠なんだって実感が。

 だけど同時に、ある思いも俺の中で湧き上がる。それは、どうしても飲み込めない思いで…呟くように、俺は言う。

 

「……どうして…」

 

 それは、様々な意味を込めた言葉。例え訊こうが訊くまいが、事実は変わらないとしても…俺は訊かずにはいられない。そして、その思いは慧瑠にも伝わったようで……窓台から降りた慧瑠は、ふっと真剣な顔に変わる。

 

「…端的に言えば、無事成功したからっすよ。自分が、先輩と一緒にいる為の策が」

「え……?でも、それは……」

「…失敗した、なんて言ったっすか?自分、大丈夫って言ったっすよね?」

「あ……」

 

 そう言われて、初めて気付く。確かにその通り、慧瑠は失敗しただなんて言ってないし…大丈夫という言葉を「心の中で生きてる」とか、「思い出は消えない」みたいな意味だと曲解したのは俺自身。

 

「け、けど…あの時確かに、慧瑠は消えて……」

「そうっすね、消えたのは事実っす。けれどここにいるのも事実っす。ここまではお分かりで?」

「お、おぅ……」

「…つまりですね、全部自分の思惑通りなんです。そもそも、先輩は自分が霊力と血を吸っていただけだと思っているのでしょうが…あの時自分は、先輩の中に送り込んで…いえ、刻み込んでいたんっす。自分という、存在そのものを」

 

 それから慧瑠は、話してくれた。慧瑠が俺にした事を。今の慧瑠は個としての魔人ではなく、俺ありきの存在で、だから俺にしか認識出来ず、他に人には見えも聞こえもせず……だけど確かに、実在しているんだっていう事を。今になるまで見えなかったのは、馴染むまでの時間が必要だったかららしくて…もしかしたら、俺が死を受け入れてしまっていたら、認識が上書きされてそのまま死んでいた可能性もあった事を。

 話してくれたのは、信じ難い超常の事柄。でも現実が…見えている俺と、見えなかった綾袮さん達という事実が、それを真実だって証明している。

 

「…だけど…それって、本当の事なの…?いや勿論、本当の事だから今があるんだとは、思ってるけど……」

「まぁ、自分も出来ると確信していた訳じゃないっすからね。けれど、言うじゃないっすか。事象は認識によって確定する、認識が可能性を事実にする…って」

「あ、あぁ…シュレディンガーの猫的な…?…あ、でもあれはまた違うか……」

「さぁ?自分はそういうの詳しくないんでなんとも言えないっすが……認識を操作出来る自分が、先輩へ力と共に自分という存在を、認識を刻み付ける事によって、先輩の存在へと混ぜ込む事によって、この状態を成し得たんです。要は、自分はこうして先輩の前にいる。そういう事っす」

 

 上手く纏めているようで、実際にはただそのままの事を言っただけの慧瑠。ここまでの説明があるから、何とか理解は出来ているけど…「要は」の先は、全くもって説明の体をなしていない。…だけど、それでもいい。説明にはなってないけど……それが、俺にとっては何よりも嬉しい事だから。

 

「…まぁ、それと引き換えに色々危うくもあるんっすけどね。先輩依存なんで当然先輩が死んでしまえば、自分を認識してくれる相手がいなくなる事で自分も消滅しますし、そうでなくてもさっき言った通り、認識が一つ変わるだけで何が起こるか分からないんっす。それに何より、それが出来る人物がいるかどうかは分からないっすけど……先輩の中に自分を見つけて、先輩を人の皮を被った魔人だと思う人が出てくるかもしれません。…自分は先輩に、そんな可能性を背負わせてしまった訳っす…」

「慧瑠……」

「自分は、そういう事を考えて先輩に覚悟を問いたっす。でも、こういう事になるだなんて先輩も想像してなかったでしょうし…もしも望まないというのなら、自分の事を忘れて下さい。忘れ去って下さい。そうすれば、きっと……」

 

 自分は消える。消えて、元通りになる。慧瑠は、そう言おうとしたんだろう。だけど言わなかった。言わせなかった。俺が慧瑠を…胸の中に抱き寄せる事で。

 

「…そんな事、思う訳ないだろ。俺が望まない事は、ただ一つ。…慧瑠を、失う事だけだよ」

 

 そう言って、強く強く抱き締める。あの時は出来なかった、何としても離さないという本気の抱擁。十秒、二十秒と、時間をかけて俺は抱き締め、慧瑠がここにいるんだって事を感じて……そこで少し、力を緩めた。そうして見えた、慧瑠の表情は…穏やかな微笑み。

 

「……そういえば…慧瑠、その口調は…」

「これが自分の元々の口調っす。後輩という設定だったので、ちょっと矯正してたんすけど…元に戻した方がいいっすか?或いは、先輩って呼び方も変えてみます?」

「それは……べ、別の呼び方だと違和感ありそうだし、呼び方は先輩のままがいいかな…。で、口調は…うーん……」

「…半々もありっすよ?」

「…じゃ、それで」

「了解です。…それじゃあ……」

 

 こくんと一つ頷いた慧瑠は、俺の首へと両手を回す。そして……

 

「──これからは、ずっと一緒ですよ。先輩」

 

 慧瑠は、俺に見せてくれた。嬉しそうな、幸せそうな……最高の、笑顔を。

 それを見て、俺は思う。やっぱり、諦めなくて良かったって。やっぱり俺は、慧瑠と一緒にいたいって。だからこそ……取り戻した大切なものを守る為に、何があっても守り通す為に、俺は強くなろうって。…そう、腕の中で慧瑠を感じながら……更に強く、心の中で決めるのだった。

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