──俺は今、ジュースを入れたグラスを手に窓から外の景色を眺めつつ、センチメンタルな気分に浸っている。
父さんと母さんに背中を押してもらった日の週末。俺は引越し業者さん(代金は協会持ち)に御道家から私物や新生活に必要なものを新居へと運んでもらい、無事引っ越しを完了した。そして今は、荷解きも済んでほっと一息ついている…という状況にある。
「場所が変わると気持ちも変わるものだね…」
「あー、分かる。その気持ち分かるよ」
グラスを傾け中身を一口飲む。窓の外はいい景色…という訳ではないけれど、実家とも学校とも違う光景に新鮮なものを感じる。…いや、それだけではない。内装も、間取りも、大きな部分も小さな部分もまるっと変わった新居では、どんな事でも目新しく映る。
「って言うかさー、さっきから何そのテンション?そういうキャラだっけ?」
…それはさておき、新居の場所はありがたいと切に思う。実家よりは双統殿に近く、学校へも徒歩で迎えて、何より自転車で実家に戻れる距離に新たな住まいは位置している。前者二つは今後の生活において大変助かるし、なんだかんだ実家に帰ろうと思えば帰れる距離にいるというのは安心感がある。……子供っぽいかな?でも俺、まだ子供ですもの。
「…ねー、さっきからわたし無視してない?」
……先程からちょいちょい聞こえてくる声があるが、まあ気にしてはならない。折角の新居での最初のひと時なんだから、感傷的な気分に浸っていてもバチは当たらない筈。
「してるよね?無視だよね?シカトだよね?顕人くーん?」
……き、気にしない。気にしないったら気にしない。あー、こういう時だとただのジュースも美味しいなー。
「…いいよ、そっちがその気なら…喰らえ必殺!グラス真っ直ぐアターック!!」
「ちょおッ!?ぐ、グラス投げるのはアウトでしょうがッ!」
「なーんちゃって、ほんとはクッションでしたー。しかも投げるのは今からでしたー、ていっ!」
「へぶっ……はぁ…」
ぼふっ、と振り向いた俺の顔面に当たるクッション。その後クッションが重力に従って落ち、してやったりみたいな表情を浮かべている綾袮さんが目に入った俺は……深い、深ーい溜め息を吐く。
「……どうしてこうなったかなぁ…」
溜め息と共に俺にがっくしと肩を落とさせたのは……新居における、同居人の存在だった。
*
「お久しぶりです、当主様」
それは引っ越しの数日前。俺は様々な手続きの末、再び協会のトップ(の片割れ)である刀一郎さんに謁見していた。
「あぁ、まずは所属の件の礼を言おう」
「はっ、恐縮です」
「その性格は相変わらずか…綾袮よ、彼から礼節を分けてもらいなさい」
「えー…わたしが真面目になったら、正直わたしの生来のカリスマ性が劣化する気がするんだけど…」
「自分でカリスマと言うか…お前もお前で相変わらずだな」
「変わらずにいるのもまた成長だよ、おじー様」
俺が頭を下げてる中、綾袮さんと刀一郎さんとで交わされる謎の会話。…やべぇ、これがこの家族の普通の会話だとしたら俺はついていけないぞ……。
「…まあよい。顕人、今日貴君を呼んだのは伝えるべき事が二つ程あるからだ。…と言っても、わざわざ私が話さねばならぬ事でもないのだが、ね」
「そう、なのですか…」
「一つ目は、貴君の処遇についてだ。具体的な事は後日となるが…一先ずは、綾袮直属の部下となってもらう」
「え、わたしの?」
刀一郎さんの言葉に先に反応したのは、俺ではなく綾袮さんだった。…が、恐らく聞きたい事は俺も綾袮さんも同じ。という事で黙っていると、刀一郎さんはこくりと頷いて言葉を続ける。
「うむ。貴君は予言されし霊装者…言ってしまえば鳴り物入りの存在なのだ。その貴君を一般の者と同じ様に扱う訳にはいかぬ事は理解出来るであろうな?」
「は、はい。協会上層部の信用に関わる…という事ですね」
「そういう事だ。しかしかと言って何の経験も無い者を独立した地位におくというのも非現実的な話。そこで…」
「宮空家の娘であるわたしに白羽の矢が立った訳だね。…でもいいの?指導者としてはわたし、おじー様やおかー様に並び立てるとは思えないよ?」
「だから、綾袮の部下とするのだ。これまで綾袮には才能を遺憾無く発揮する為枷となる部下は付けずにいたが…もうそろそろ指導者、指揮官としての経験を積んでも良い頃合いだろう。故に、お前なのだ」
刀一郎さんの言葉を頭の中で反芻し、俺はまとめる。要は下手な扱いが出来ない俺と、特別な立ち位置にいて部下を持つべきだと考えられている綾袮さんという二人の都合が上手い事合致した結果が、俺の直属部下化…という事らしい。……ん?という事は、もしかして…
「…当主様。この場合、所謂私の教育者も綾袮様になるのでしょうか…?」
「内容によっては適宜別の者を宛てがうが、基本的にはそういう事だ。形式上綾袮は上司となるが…同時に護衛としての側面もあると思ってくれてよい」
「は、はぁ……」
「なに、心配は無用だ。貴君も一度は戦いを目にしたであろうが…綾袮はこれでも霊装者としては超一流、綾袮が護衛につく限り貴君の安全は保障さらていると言っても過言ではない」
確かに綾袮さんの戦闘能力は疑うまでもないと思うし、こうして刀一郎さんにお墨付きももらったんだから、心配は無用。……と言いたいところだけど、普段のいたずら少女的な面ばかり見てる俺としてはなぁ…護衛はともかく、指導なんて『ガーってやってゴーって決めてドカーンって感じだよ!』…なんてギャグ漫画みたいな事をマジで言ってきそうな気がする。千嵜や時宮さんなら、多分これに同意してくれるんじゃないだろうか。
「…もし思うところがあるのなら、不備があった際に私なり息子夫婦なりに伝えるとよい。それならば、綾袮とて疎かにはせぬだろう」
「ちょっ、おじー様!?なにそれ、わたしそんな信用されてな──」
「あ、はい。そうさせて頂きます」
「乗った!?顕人君今話に乗ったね!?二人して酷いよ!」
「では、二つ目の話としよう」
「聞く気ゼロ!?……いいもん、わたしいじけてやるもん…」
綾袮さんはしゃがんで絨毯を指でくるくるし始めたけど…刀一郎さんは特に意に介してなかったので俺もスルー。どうも家族なだけあって刀一郎さんも綾袮さんの扱いは慣れている様だった。
「引っ越しの件も聞いたが…居を移す点については、異論はないのだな?」
「異論ありません」
「ふむ…ならば報告から住居の要望は分かったが、その上で聞こう。要望さえ満たしていれば、それ以外の点は許容出来るな?」
「それは…要望外の部分も、常識的な作りや仕様になっているという前提で要望を出したのですが、その認識が正しいのならば…」
「当然だ。実社会において信用なき組織など長持ちせん」
「ならば、許容出来…ます」
普段なら俺は、断定より『〜〜と思います』や『〜〜かもしれません』の様な表現をする事が多いけど…やはり今回も俺は空気に慣れる事が出来ず、珍しく断言の表現をしてしまった。…が、なんだろうか…何故か嫌な予感がする…。
「それは良かった。顕人、貴君は綾袮や深介の話を聞く限り信用のおける人物だ。私としても、予言の霊装者というのが信用のおける人物である事はありがたく思う」
「こ、光栄です…」
「そんな貴君に一般の集合住宅、というのは忍びない。そう思わんか綾袮よ」
「へ?……まぁ、そうなんじゃない?」
「ふっ、ならば話は決まりだ。顕人、貴君には────綾袮との同居をしてもらおう」
『…………は?』
*
……という事で、俺は綾袮さんの家で生活する事になった。えぇはい、全然納得出来てませんよ。
「いやー、クリエイト業界って凄いよね。回想って形で過去の出来事を鮮明に表してくれるんだもん、わたし達サイドとしても楽なものだよ」
「うん、メッタメタな発言は止めようか。後俺視点からすれば、溜め息吐いたら突然綾袮さんが『いやー、クリエイト業界って云々〜』って言ってる訳だからね?それ分かってる?」
「顕人君なら引かずに突っ込んでくれると思って、メタ発言をさせて頂きました」
「あそう…はぁぁ、一人暮らしするつもりだったこの気持ちはどうすればいいのさ…」
「それはわたしに言わないでよ…わたしだってあれが初耳だったんだからね?」
刀一郎さんにその事を告げられた時、俺も綾袮さんも思いっきりぽかーんとしていた。だってそりゃそうでしょ、突如クラスメイトの女の子と同居する事になったんだもん。魔物やら異能やらの後で言うのもあれだけど、どこのラノベだって話だよ。
「にしてもほんと、刀一郎さん…というか宮空家は何を思って俺と綾袮さんを同居させるのか…俺一応思春期の男ですよ…?」
「え、なに?わたし襲う気なの?」
「そうは言ってないでしょうが…というかそんな事したら俺の首が飛ぶっての」
「あはは、顕人君おじー様の前でも似た様な事言って、おじー様に凄まれてたもんね」
「ビビったよあの時は…」
当然ながら、我に帰った後俺はその方針に異を唱えた。異論ないと言った手前ではあったけど…流石にこれはそんな事言っていられる事柄ではない。そうして言っていく中で、今と似た様な発言…所謂不純異性交遊絡みの事を言った。
…で、その結果、『ほぅ…貴君は我が孫に、宮空家の跡継ぎを傷物にすると?』…と返された。文章だけだと別になんともない感じだけど…まー怖かった。YESと答えたらその時点でほんとに首をバッサリやられるんじゃないかと思う位怖かった。…多分、あの時の魔物以上である。
「……ま、仕方ないよ。おじー様を説得するのは難しい事だし、何よりあの場でわたしも顕人君も最終的に同意しちゃったんだから。やっぱ無し、なんて通用しないのが社会の組織なんだよ」
「…大人だね、綾袮さんは」
「そういう環境で、お姫様みたいな扱いで育ってきたんだもん。当然だよ」
「そっか……まぁ、実際に何か問題が発生するなら考え直すとも言ってたし、取り敢えずは頑張るか…」
「そうそう。わたしだってクラスメイトの異性と同じ屋根の下で過ごす事になった、って点は同じなんだから、お互い頑張ろうよ」
肩を竦めながらそういう綾袮さんを見て、俺もそれに気付く。そうだ、つい俺は協会側の人間である綾袮さんに怒る様な言い方をしてしまったけど…今回の件は綾袮さんも十分被害者(被害者、って表現は微妙だけど)で、もっと言えば世間一般では襲う側の性である俺より襲われる側の性である綾袮さんの方が精神衛生的にキツい筈。そう考えれば、俺ばかり愚痴を言うのは些か以上に配慮の足らない行為に思える。……と言っても一番配慮足りないのは協会サイドだし、襲う云々も綾袮さんなら軽く返り討ちにしてきそうだし、綾袮さんの性格次第で襲われるのは俺なのかもしれなかったりするが。
「……そういや、お腹空いたなぁ」
「荷解きの後だし、時間もそろそろ夕飯時だもんね。じゃ、ご飯にする?」
「ご飯にしようか」
「うん」
「…………」
「…………」
「……あら?…作らないの?」
「作らないの?って…顕人君が作るんじゃないの?」
「え?」
「え?」
「……あの、綾袮さん…綾袮さん、料理経験は…」
「家庭科の授業を除くと、数える程しかないね」
「…おおぅ……」
あっけらかんと言ってのける綾袮さんに、俺は今後の生活に一抹の不安を感じ始める。そして……取り敢えず俺達は、夕飯用のお弁当を買いに行くのだった。
*
「綾袮さん、これまでご飯ってどうしてたの?」
「惣菜買ったりインスタント買ったり今日みたいにお弁当買ったりしてたね」
「学校のお昼は?」
「購買で買ってるね。後、時々姫乃がくれたりもするんだ〜」
「…洗濯や掃除は?」
「最近の家事代行サービスって便利だよね」
「……お金は…」
「わたしデカい組織のトップの孫だよ?無駄遣いや怪しい宗教に使うとかじゃないしセーフ!ご飯についてはそこそこ節約もしてるしね!」
数十分後。夕飯を終えこれまでの生活の事を聞いた俺は…頭を抱えていた。言いたい事は沢山ある。けど、言い出したらキリがないから、俺は一言……
「……駄目だこりゃ…」
「…あれ?なんかわたし、呆れられてる…?」
はい、呆れてます。俺自身これまで一人暮らしをした事も、家事全般を行なった事もないけど…それでもこれが禄でもない状況である事は容易に判断出来た。
「むしろこの情報を聞いてどうしたら呆れないでいられると言うのか…」
「酷いなぁ…一応言うけど、わたしが使ってるのは基本霊装者としての給料からだからね?じゃなきゃ普通に怒られるって」
「あ、そうなの?それなら……っていやいや、学校や霊装者としての仕事で忙しくて…ってなら分かるけど、綾袮さんはそうじゃないでしょ?」
「そうだけどさー、別に一人暮らしなら家事を自分でやらなきゃいけないなんてルールはないでしょ?」
「そりゃそうだけど…自分でやろうとは思わないの?」
「やらなくても済むなら、やらなくても良いかなって」
「……むむぅ、人の脛齧ってないからそっちの方が正しいんだよな…」
俺にとっては違和感バリバリの生活でも、それが誰かに迷惑かけたり頼ったりしてる訳じゃない以上は個人の自由として尊重すべき事。もしかするとその給料は、立場の関係で普通の霊装者よりずっと高いのかもしれないけど…それもやはり綾袮さんが設定した訳ではないのなら、綾袮さんに非はない。…要は、価値観の違いなんだろうね。
「…うん、俺が多分悪いね。悪かったよ」
「そう?まぁ言いたい事は分かるし別に怒ってはいないからいいよ」
「……因みに、今回やる気は?」
「お金の問題が発生しない限り、無し!」
「そうかい…じゃ、今後は俺が出来る範囲でやるとするよ…」
「あ、やるの?別にやらなくても大丈夫だよ?食費とかは普通に顕人君の分も協会が用意してくれるだろうし」
「や、そういう生活したらなんか駄目人間になっちゃいそうだからね」
「え、それ遠回しにわたしdisってる?」
「さぁ、どうだろうね?…それよりも、根本的な問題として…どうして綾袮さんは一人暮らしなの?」
お嬢様である綾袮さんが、どうして実家を離れて生活…それもホテルとかではなく普通の家に住んでいるのかは、俺がずっと気になっていた事だった。本来なら最初に聞くべき事柄だけど…まぁ、なんだかんだて流れちゃったんだから仕方ないじゃん。
「あー…それはね、うーんと…なんて言ったらいいかな…」
「…もしかして、訊いちゃ不味い事だった?」
「ううん、単に色々な理由があるからまとめ辛いってだけ。でもまぁ…『普通の生活』をしてみる為、って感じかな?わざわざ高校入学したのも半分はそれが理由だしね」
「もう半分は、予言で俺と千嵜の存在が分かったから…だっけ?」
「そうだよ?でも予言だと完全特定までは出来なかったから、わたしと姫乃は潜入を兼ねて去年から人生初の学生をやり始めた訳だよ」
「……人生初?」
「言ってなかったっけ?わたし達、小中学校行ってないんだ。そこまでは全部協会内で勉強してたから」
「そうだったんだ…」
日本国民は義務教育を受ける権利があって、義務教育は受けてるのが当然の事だけど…何らかの理由で、義務教育を受けていない人も世の中には存在する。それは知っていたし、いつかは会う事もあるんだろうとは思っていたけど……まさかこんな身近にいるとは思わなかった。……正直、なんて反応するのが良いのか分からない。
「一種の英才教育ってやつだよ。宮空家に生まれた以上は戦闘訓練とか、社交界の礼節とかも勉強しなきゃいけない訳だからさ」
「…それは、その……」
「あ、別に気にしなくていいよ?わたしには妃乃っていう同じ立場の幼馴染みがいたし、宮空家に生まれたおかげで何不自由ない生活が出来た訳だからね。……っていうか、うん…そうだ。ほんと顕人君には色々気にしないでほしいな」
「色々?」
話しながら何か思った様な事を言う綾袮さん。一体何の事なのか分からず俺が聞き返すと…綾袮さんは、ちょっとはにかみながら言った。
「これまで通り接してほしい、って事だよ。なんか同居する事になっちゃったし、わたし顕人君の上司になっちゃったけど…それを意識してこれまで通りいかなくなるのは嫌なんだ。…わたし、結構顕人君とこうして話すの好きだもん」
「綾袮さん……」
「…あ、好きって言ってもあくまでlike的な意味だからね?勘違いしちゃ駄目だよ?」
「…分かってるよ。幸先は決して良くないけど…これから宜しく、綾袮さん」
「うん。宜しくね、顕人君」
そんなこんなで、新居一日目は終わった。間取りやトイレ、風呂の作りなんかが違う事に戸惑ったり、同じ屋根の下に年頃の女の子がいるんだよなぁ…とちょっと変な気分になったりはしたけど……そんなん描写したってしょうがないしね。特に前者とか誰得だし。…ま、明日も休みだし、取り敢えず今日はゆっくりと寝て身体も頭も休めようかな……。
*
俺は休日、常識的な範囲で遅起きするタイプで、朝早くに起きたりなんて滅多にしない。仮に目が覚めても二度寝する人間だけど……それは、一昨日までの生活だった。
「う"ー……」
台所にて味噌のパックと箸を手に呻る男。…まぁ普通に俺である。俺は日曜である今日、平日と同じ位の時間に起きて朝食を作っていた。……そう、家事の真っ最中なのだ。
「ああは言ったものの、実際やるとなると途端に面倒になるな…眠いし……」
家事を代行サービスに任せっきりにするのは嫌、と言った手前、早速サボる訳にはいかず朝食を作る俺。…因みに、「あ、どうせ作るならわたしの分も作ってよ」と昨夜綾袮さんに言われて今は二人分調理中だったりする。…いやまあ一人分と二人分なら大差ないからそれはいいんだけどさ。
「家事疎かにする訳にゃいかんしなぁ…そこら辺、一人暮らしなら適当でも良かったのになぁ…」
なんて、ぶつくさと文句を言いながら(半分は身から出た錆)作ってる俺はこの時不満たらたらだったけど……
「……んぅ…あきひとくん、おはよぉ…」
────パジャマ姿で目を擦りながら、眠そうにぽけーっとリビングへとやってくる綾袮さんを見た瞬間『新生活最高!』…と手の平を返したのは、秘密である。