双極の理創造   作:シモツキ

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第二百二十四話 かけがえのない皆と

 曜日の上では、今日は休日。俺は予定の時間より少し早くに、待ち合わせの場所へと訪れていた。

 ちゃんと、来てくれるだろうか。誘った側だからというのもあって、少し緊張する。…と、表現すると乙女っぽい気もするけど…実際緊張するんだから仕方ない。というか、男だってこういう風に思ったりするだろう。

 携帯の時計を見て、周りを見回して…を数分おきに繰り返す。何度か繰り返して、期待と不安が入り混じって……そうして待ち合わせの時間、その五分弱程前になったところで、彼女達は現れた。

 

「…お待たせ、顕人君」

 

 初めに呼び掛けてきたのは、綾袮だった。俺が顔を上げると、綾袮はじっと俺を見ていて…その後ろには、ラフィーネとフォリンもいた。…俺が呼んだ三人が、皆来てくれた。

 まずは、ほっとした。次に、嬉しくなった。来てくれないかもしれない…そう思えるだけの理由があるからこそ、俺の中には不安があって…だけどそれは、要らぬ心配だったらしい。少なくとも…今の、段階においては。

 綾袮、ラフィーネ、フォリン。俺が大切だと思っている、同じ家で日々一緒に過ごしてきた三人。特殊な存在である慧瑠を除く、あの時手紙を残した三人と…こうして俺は、会っている。俺が誘い、三人が応じてくれた事で。

 

「…顕人さん、これは……」

「デート、だよ。言いたい事、思う事はあるだろうし、それは尤もだけど…俺は三人を、デートに誘ったんだよ。…それじゃあ駄目、かな」

 

 一歩前に出て、フォリンが何かを言おうとする。けど俺は待った、と右の掌をフォリンに見せて、誘いの内容を改めて口にする。

 そう、これはデート。俺が誘った、初めて三人に対して誘った、デートなんだ。

 

「…駄目、って言ったら?」

「駄目って言われたら…悲しいかなぁ…」

「ん、分かった。ならこの話は、今はしない」

「ら、ラフィーネ…!?…もう、勝手に決めて…。……まぁ、すぐに答えてくれるとは思っていませんでしたし、私もそれで良いですけど…」

「ごめんね、フォリン。それと…ありがと、二人共」

 

 演技も芝居もせず、素直に答える。するとラフィーネは、迷う事なく「ならそれで良い」と受け入れてくれて…少し口を尖らせてはいたけど、フォリンも同じ答えを出してくれた。

 その二人に、感謝を伝える。感謝しているのも、素直な気持ち。そしてそれを伝えた後…俺は視線を、綾袮の方へ。

 

「…綾袮は、どうかな」

「…わたしもフォリンと同じだよ。素直に答えてくれる気なら、電話の時点でそうしてくれてたと思うし、そういう事ならこんな誘い方だってしないだろうし…。…でもさ……」

「でも?」

「女の子三人を、纏めてデートに誘うっていうのはどうなの…?これ、普通にドン引き案件だよ…?」

「…それは、まぁ……はい。正直言うと、格好付けたくて『デート』とか言っただけです…我ながら馬鹿な誘い方したって自覚はあります…」

 

 半眼で突っ込んでくる綾袮に、俺はがっくりと肩を落とす。これについてはほんとに、言い訳のしようがない。何せ、自分自身でもアレだと思ってるんだもの。

…でも、やっぱり……それも含めて、俺は感謝したいと思う。そんな馬鹿な誘いでも、三人はこうして来てくれたんだから。

 

「全くもう…これで内容も駄目駄目だったら、好感度ガタ落ちだからね?」

「は、はは…こほん。…じゃあ、行こうか」

 

 なんとも綾袮らしい言いように、俺は乾いた笑いを漏らし…それから、三人を見回し行こうかと告げる。

 デートというのは、格好付けたくて言った言葉。でも言った以上は、適当になんてしない。三人に来て損したなんて思わせないよう、エスコートしてみせるさ。

 

(…ま、エスコートなんて言ったら、それこそ笑われそうな気もするけどね)

「…ね、まずはどこに行くの?」

「まずはありきたりだけど、ゲームセンターなんてどう?四人だから、二対二のプレイとかも出来るしさ」

 

 後ろで手を組み、少しだけ前傾姿勢でこっちを向いてくる綾袮に、最初に行こうと思っていた場所を話す。

 綾袮が着ているのは、ふわっとした白のオーバーサイズチュニックと、淡い赤のミニスカート。膝より少し高い水色のニーソックス含め、綾袮は明るい色で纏めてきていて、服装自体も少女らしい、綾袮に合ったイメージを受ける。明るくて、天真爛漫で、油断するすぐ振り回される…だけどついつい目で追ってしまう、そんな綾袮らしさが前面に出たコーディネート。トップスもボトムスも、ふわりとした部分があるからこそ、動いた時にはまた別の魅力が出てくるのかもしれない。…可愛い。なんか分析っぽい思考をしてるけど、有り体に言えばただただ可愛い。

 

「ゲーム…それは良い案だと思う。わたしは賛成」

「ラフィーネはゲームをしたいだけでは…?」

「当然。顕人とするゲームは楽しい。フォリンはどう?」

「う…どうも、なにも……私はゲームセンター以外でも、顕人さんとのお出掛けなら楽しいですよ」

「え、何故俺に…!?…うぐっ、早速やってくれたね…」

 

 姉妹間での会話…と思いきや、突然俺の方を見て、ふっと笑いながら言ってくるフォリン。さらっと「顕人とするゲームは楽しい」と言われただけでも少し照れそうだったのに、そこへこんな発言をされたら当然顔も赤くなる訳で…けどすぐに、そういう弄りであると気付いた。しかも今回の場合、自分がラフィーネの返しでまごついたのを誤魔化す形で俺に振ってきた訳だから、尚フォリンの手口はタチが悪い。

 そんな二人の服装の内、ラフィーネは髪とよく似た深い青のパーカーに、裾が折り返しとなっている茶色のショートパンツに、綾袮より長い黒のサイハイソックスという出で立ち。暗めで落ち着いた色の選択はどれも物静かなラフィーネに似合っていて、三人の中で一番動き易そうな格好をしているのも、結構活動的なラフィーネらしい。けどボーイッシュっぽい服装ながら、パーカーから見える首元だとか、パンツとソックスの間の太腿だとか、随所でドキッとする部分もあって…無自覚にそういう部分を作ってるんだとしたら、それは最早恐ろしい。けど、やはり可愛い。

 そしてフォリンが身に纏うのは、紺色のワンショルダートップスと、白に近い桃色のスカート。スニーカーを履く二人と違い、フォリンだけは短めのブーツを履いていて、ちらりと見えるソックスはこれまた薄い色合いの黄色。三人の中では一番スタイルの良いフォリンは、服装も一番大人っぽくて…穏やかなフォリンらしい、ラフィーネとは別の落ち着きがその服装から伝わってくる。…けど、大胆に露出した片側の肩とか、長めのソックスできゅっと包まれた二人とは逆に肌色が大いに見える脚だとか、穏やかという言葉には収まらない魅力もあって…これまた可愛い。

 

「…………」

「……えっ、顕人君?急にちっちゃくガッツポーズしてどうしたの…?」

「…や、何でもない。何でもないよ」

「そ、そう…?なんか顔も、妙に充実してる感が見えるんだけど…」

 

 充実してる感?そりゃあそうでしょう!…などという返しは心の中に収めておいて、俺は誤魔化すように肩を竦める。

 それから暫しは徒歩で移動。…ただ、三人で歩いているだけなのに、たったこれだけでも懐かしく感じる。

 

「…でも、驚いたよ。あんな手紙を残しておきながら、普通に電話もしてくるなんて」

「電話出来るかどうか、かけても応じてくれるかどうかは分からなかったからね。……うん、だからだよ」

「そっか…あぁそうだ顕人君。わたしは今日、わたしの意思で…わたしの思いでここに来たけど、それは……」

「分かってる。見られていようが、邪魔されようが…それは、仕方のない事だよ。…お互い様、だろうしね」

 

 俺からの連絡が来たと、こういう誘いを受けたと、綾袮が秘密にしているとは思っていない。こう見えて綾袮は責任感が強いんだって事を、知っているんだから。だからまあ、協会が何かしてきたとしても、それは仕方ない。邪魔されたくはないが…されたとしても、非難はしない。

 そういう事も踏まえた上で、俺は今日を楽しみたい。だから俺は、その一つ前のやり取りの中でも、返答を一つ飲み込んだ。…もう話せる時も、会う事もないかもしれないから、ちゃんとお別れを伝えたかったんだという、心の中にあった答えを。…でも、これは飲み込んだっていい答えだろう。何せ…俺の道を示した上で、その上で今俺は皆と会っているんだから。

 

 

 

 

「おわっ!顕人君!」

「くぅッ、際どい所を攻めてくる…!」

「対応し辛い場所を狙うのは、当然の戦法」

「ですね、このまま勝ちは頂きます!」

 

 最初の目的地である、ゲームセンターへと着いた俺達四人。ガンシューティングとか、レーシングとか、四人で対戦ゲームを中心にやっていって…今しているのは、ホッケー対決。

 

「こうなったら…顕人君!フォーメーションDだよ!」

「了か…って何それ!?D!?知らないんだけど!?」

「え?知らない?Cの後で、Eの前の……」

「アルファベットのDは知ってるよ!そうじゃなくて、フォーメーションの……」

「隙有り」

『あっ……』

 

 定番みたいなボケに俺が突っ込む中、すこーんとゴールに入るホッケーのパック。前を見れば、さも当然みたいな顔をしたラフィーネが打った後の格好をしていて…ロサイアーズ姉妹チームへ1ポイント。ただでさえ姉妹の卓越した連携に押され気味だったというのに、更に一点向こうが有利になってしまった。

 

「もー、何してるのさ顕人君」

「いや、今のは綾袮が訳の分からない事言うからでしょ…何なの、フォーメーションDって…AからCもあるの…?」

「さぁ?わたしには分かんない」

「なら俺にゃ尚更分からないよ…!…はぁ、とにかくまずは一点返そう」

「おー!」

 

 散々ふざけた癖に悪びれる様子もなく、普通にやる気ありそうな声を出す綾袮は、調子が良いというかなんというか。けどまあ、綾袮と組んだ時点でこういう展開も起こり得ると分かっていた訳で…気持ちを切り替えていく事にする。

 

「それなら…フォリン、こっちは顕人作戦でいく」

「え、何その作戦……」

「綾袮さんより崩し易い顕人さんを徹底的に狙って、無慈悲に点数を稼ぐ作戦ですね、了解です」

「何その遊びでやったら冷めるようなえげつない作戦…!というか、よく今ので伝わったねフォリン…!」

「当然です。ラフィーネは相棒であり、私は生まれてからずっとラフィーネの妹をしてきたんですから」

(くっ…ほんとこの仲良し姉妹でチーム組ませちゃ駄目でしょ…!)

 

 少し自慢げなフォリンと、無言で軽くドヤ顔をするラフィーネの二人に、俺は内心で抗議を叫ぶ。…まあ、チーム決めの時俺もいたし、「ま、遊びだしいっか」と組むのを了承しちゃったんだから、実際には文句言う権利なんてないんだけど。

 ともかく俺達は、隙のない姉妹に対して奮闘。連携が強いだけじゃなく、普通に個々のスペックも高いし、その二人や綾袮に比べるとどうも俺は見劣りするから、頑張ったところでやはり苦しい試合運びに。…だけど…まだだ、まだ終わらんよ……ッ!

 

「そうさ、俺は勝つんだ…いつだって……!」

「打てぇぇぇぇッ!顕人・御道ぉおおおおッ!」

「いやこれ戦争でも対艦戦でもないんですが……」

「ハァン…!」

「パックが、曲がる…!?…って、ラフィーネまで……!?」

「そういうフォリンもノってるけどね」

 

 とまぁ、全員遊び心を忘れないまま最後までやった結果、やっぱり結局は俺達の負けに。でも、楽しめたか否かといえば…勿論YES。そういう意味では、WIN-WINで終わったんじゃないかと思う。

 

「ふぅ…やっぱ時には身体をがっつり動かすゲームも良いよね。っていうか、ゲームって本来は運動も含む表現なんだっけ?」

「そうですよ。遊び、競技、試合…全体的に言えば、娯楽や競い合いの事を指す言葉ですね」

「ゲーム、はまだ有名な方だけど、普通に通用すると思いきや実は通じない和製英語って多いみたいだね。エアコンとか、キャッチフレーズとか、チョベリバとか」

「モボ・モガとか?」

「うん、さらっと今は亡きギャル語が混じってるね綾袮…ってラフィーネ!?モボ、モガって…それはもう次元が違うよ!?古いってレベルじゃないんだけど!?」

 

 綾袮がこういうボケに走るのはまだ予想がついていたけど、ラフィーネの発言は予想の遥か斜め上。これには綾袮も「!?」…って顔をしていて、なのに当人はぽてぽてと歩いていってしまう。そのせいでボケなのか、それとも本気で言っていたのか表情で見分ける事も出来ない。

 

「は、はは…つ、次はどうしますか?まだ何かやります?」

「そうだね…まだやりたいものがあるならやってもいいし、そうじゃないならお昼にしない?」

 

 気を取り直すようなフォリンの発言に俺は答えつつ、先を行くラフィーネとも合流する。四人で話し、取り敢えずやりたいゲームはやれたという事で、次の目的を昼食に決める。

 

「じゃ、次は何を食べるかだけど…誰か、これにしたいっていうのはある?」

『…………』

「…まぁ、こういう訊き方されたらそうなるよねぇ…」

 

 勝手に決める訳にはいかないよな、と思って訊いてみた俺ながら、返ってきたのは無言&困り顔。

 漠然とした質問程、答えるのは難しいもの。選択肢が多過ぎると、逆に絞り辛いのは(多分)万国共通。つまりこれは、ある意味なるべくしてなった状況な訳で、ならば少しずつでも狭めていこうと俺はジャンルの質問を……

 

「…ん。和食がいい」

「和食?」

「初めて顕人と、綾袮と一緒に食べたのも、そうだった。だから、折角だからまた和食がいい。店は…別に、あの時と違っても構わない」

 

……しようとしたところで、ラフィーネがリクエストを言ってくれた。

 そう言われて、思い出す。確かに初めて一緒に食べたのは、和食…というか蕎麦にうどん。思えばあれも、去年…それも夏休み前の出来事だった訳で……随分と、経ったものだ。あれから数多くの事があったし…だけど、何年も経った訳じゃない。こんな何気ない会話一つでも…俺は俺が過ごしてきた時間を、再認識する…。

 

「…そうだね。和食を中心に取り扱ってるお店なら、メニューの幅も広いし良いかも。俺は賛成だよ」

「私もです。なんだか私も、和食を食べたくなってきました」

「じゃ、和食に決定だね!そうなると、定食屋さんとかかな?」

 

 これで決定、と言うように綾袮は手を叩き、それからこくりと小首を傾げる。

 確かに洋食やその派生ならレストランだけど、和食となれば定食屋や、食事処…みたいな看板を出している所になる。で、あの時の店じゃなくても良いって事だから、後は近くで和食を多く取り扱っているお店を探せば良いだけで…雑談しつつ、のんびり歩く事數十分。俺達はここなら良さそうだな、という場所に入店した。

 

「…ほんとに、懐かしい感じですね。違うお店で懐かしい、というのも変ですが」

「まあ、他の部分は共通してる訳だしね」

 

 案内された先に座り、メニューを見た後注文し、品物が運ばれてくるまで待つ。フォリンは自分の発言に軽く肩を竦めていたけど…懐かしく感じているのは、俺も同じ。

 

「そういえば、あの時は似てる食べ物の違いの話とかしたよね。今はもう、どれ見ても分かる感じ?」

「えぇ、大体は。ラフィーネはどうです?」

「わたしは未だに、明らかに食べ辛そうな料理なのに、嬉々として写真を撮って喜ぶ人の事がよく分からない……」

「あ、う、うん…それはまた、別の話だね…はは……」

 

 思い出したように話す綾袮の問いにまずフォリンが答えて、次にラフィーネが再び予想の斜め上を行く回答をして、色んな意味で答えに困った俺は苦笑いしつつお茶を濁して…そんな、ほんとに何気ない会話を三人と交わす。

 これが、俺にとっては普通だった。毎日の様に行われる、当たり前にある事だった。そしてこれが、俺の手放したものでもあって……っと、いけないいけない。俺の方からデートだ、って言ったんだから、俺も今はこういう思考は置いておかないと…。

 

「…っと、来たみたいだね」

 

 そうして待っていた俺達の席へ、注文した品物が運ばれてくる。

 俺が頼んだのはトンカツ定食で、綾袮は五目うどん。ラフィーネは天丼、フォリンはマグロ漬け丼と、皆結構分かれていて、どれも中々美味しそう。これとは別に、デザートも注文してあるんだけど…勿論それは、もう少し後。

 

「それじゃあ、頂きます!…ん〜、麺がモチモチしてて美味し〜♪」

「こっちは衣がサクサク、中の海老がプリプリ。タレのかかったご飯も美味しい…」

「肉と違って、魚は割と生でも食べる事が出来る。これ中々、凄い事ですよね…」

 

 三者三様の反応見せながら、食べていく三人。美味しそうに食べる女の子の顔、っていうのは凄くほっこりするもので、しかもそれが綾袮達三人ともなれば、俺は見ているだけでお腹一杯に…は、流石にならない。ほんと、ほっこりはするけども。

 そして、俺の定食のトンカツも美味しい。サクッとした衣に、柔らかい肉、それに旨味が口の中でぐっと広がるし…味噌汁や漬け物も、濃い味付けのトンカツ&ソースとよく合う。

 

「あー…美味い。やっぱ出来立ては美味いよなぁ……」

「…そんなに美味しい?」

「うん、ばっちり美味しい」

「…顕人、提案がある」

「ん?何かあげるから、一切れ頂戴とか?」

 

 まず半分はそのまま食べ、残り半分は白米と一緒に食べていると、ラフィーネは提案があると俺に言う。で、その内容を予想して答えると…ラフィーネは目を丸くする。

 

「…以心伝心?」

「ははっ。流石にこれは流れで分かるよ」

「そう?」

「そうそう。…で、何くれる?」

「じゃあ、海老を」

「交渉成立だね。じゃあ……」

 

 トンカツ一切れと海老の天ぷらなら、交換としては好条件。という訳でソースをかけたトンカツを箸で一切れ持ち、小皿へ載せてラフィーネに俺は渡そうとし……

 

「顕人、違う」

「え、違う?」

「ん、違う。あーん」

 

 俺は、求められる。口を開けたラフィーネに、直接食べさせてくれ、と。所謂「あーん」を。

 それを見て、綾袮はほんのりと顔を赤くしながら「わぁお…」といい、フォリンはくすりと軽く笑って見ている。…これはあれだ、逃れられないやつだ。

 

(…はは。正直、男としては嬉しいけど…やっぱ恥ずいよなぁ……)

 

 嬉しさと恥ずかしさは両立し得る。こういう事を求められるのは嬉しいけど、恥ずかしいものはいつだって恥ずかしいんだから。……けど、俺だって…いつまでも変わらない俺じゃない。

 

「…もう、しょうがないなぁ。はい、あーん」

「んっ…うん、美味しい……。もう一度、あーん」

「はいはい、落とさないようにね?」

 

 恥ずい、という気持ちをぐっと堪え、俺はトンカツをラフィーネの口に運ぶ。ラフィーネが三分の一程を口にすると、一度離し…飲み込みまた口を開いたところで、再び差し出す。

 それが良い事かどうかは分からないけど、これまでだってあーんをする機会はあったし、してきた。ならば、何を躊躇う事があろうか。…いやあるわ、普通に躊躇うわ。特に今回の場合、普通に他のお客さんもいるわ。……とか何とか色々考え…まあとにかく、俺は普通にラフィーネにあげた。内心ちょっとドキドキしてたけど、表情は何とか保って、ラフィーネへとあーんをした。

 小さな口でもぐもぐと食べ、ちょっぴり笑みを浮かべ、また食べるラフィーネは…何というか、雛鳥のよう。雛鳥に餌をあげてるみたいで…だけどそのちょっぴりとした笑顔が、美味しいという表情が、俺に可愛いと思わせる。もう一切れあげれば、また今の顔を見られるだろうか…そんな欲が心の中で見え隠れする。

 

「顕人さん顕人さん。私も一切れ欲しいです。このマグロ漬けと交換してくれませんか?」

「あ……うん。…えっと…フォリンも?」

「えぇ、当然です」

 

 と、そんな事を考えていた俺の思考を現実に戻したのは、フォリンの要望。もしやと思って訊き返すと、フォリンは何故か自信満々で表情で頷く。

 トンカツとマグロ漬け。これもやはり、交換としては悪くない。けどこれはただの交換ではなく、オプション付きの交換で……フォリンもラフィーネと同じように、俺を待つように口を開く。

 

「(う…なんか二人目だと、ちょっと悪い事してる感が…)じゃ、フォリン…あーん」

「ふぁい。…ん、ぅ……あ、良いですねこれ…お刺身とは大分離れた食べ物だからこそ、全然違う楽しみがあるというか……」

「あー…そりゃそうだね。…残りいける?」

「はふぅ…はい。もう一口、お願いしますね。あー、ん」

 

 姉妹なだけあって顔立ちもよく似ているラフィーネとフォリンだけど、雰囲気はまるで違う。ラフィーネの時は雛鳥っぽさの中で見えた可愛さに欲が芽生えたけど…フォリンの場合は、最初からずっと微妙にイケナイ事をしてる感が頭をよぎる。目を閉じたフォリンの口にトンカツを入れ、唇が閉じていくのを見て、その後はまた開く姿も眺めるという、一連の流れがそこにはあって……なんかほんと、ラフィーネとは違う意味でドキドキしてしまった。

 

「ふふふ、顕人さんどうでした?」

「ど、どうって…。…良かったよ、とっても」

「へっ?…あ、は、はい…それは、その…私も、良かったです……」

 

 悪戯っぽく笑いながら訊いてくるフォリン。その問いに俺は一瞬動揺し…けど既に「あーん」という恥ずかしい事をした後だったから、動揺を飲み込み「良かったよ」と返してみる。するとフォリンは驚いたように目を見開き…それから、顔が赤くなっていた。…正直、色んな意味でぐっときた。それはもう、ぐっ…っと。

 

「…ねー顕人君。わたしも一切れ欲しいなー。ネギ一切れあげるからちょーだい」

「もう、綾袮まで…っておい!流石にネギ一切れとじゃ嫌なんだけど…!?」

「いやいや冗談だって。麺一口分と一緒に好きな具を取っていいから、一切れ頂戴。それなら良いでしょ?」

「まぁ、それなら…。…じゃ、綾袮もあーん」

「あー……って、え…?」

 

 ついつい流れでOKを出しかけたけど、流石にそれは割りに合わな過ぎる。…と思った訳だけど、どうも冗談だったらしく、改めて出された条件に俺は納得。

 というかそういえば、交換を切り出した時の綾袮の声音は、少し普段と違ったような…そんな事を思いつつも、交渉が成立した俺は、また一切れ持って綾袮の口元へ……持っていったは良いものの、目をぱちくりさせる綾袮を見て気が付いた。…綾袮は別に、あーんまでは要求していないと。

 そう。俺は要求されてもいないのに、あーんをしようとしてしまったのだ。

 

「あ…え、えぇっと…その……」

「…ぅ…あ、あーん…したい、の……?」

 

 差し出した手前、引くに引けない俺。一方綾袮も驚いていて、しかも恥ずかしさもあるらしく(…いや当然だけど)、ちょっぴり上目遣いをするような目であーんしたいのかと訊いてくる。

 こういう時、どう答えるのが正解なのか。…俺には全く分からない。分からないけど、黙っていてもお互い余計恥ずかしくなるだけだ、って事は理解していたから…小さくこくりと、頷いた。

 結果、綾袮は沈黙。不味い、これは下手を打ったか…そう思った俺だけど、その直後にゆっくりと綾袮は口を開く。綾袮が俺の、あーんに答える。そして俺は、開けられた口へとトンカツを運び…綾袮は、一口。

 

「…ど、どう?」

「…お、美味しい…」

 

 結局恥ずかしくなってしまった俺が心の中で動揺しつつ尋ねると、綾袮も顔を赤くしながら返答。お互い恥ずかしいもんだから、二人の時より粛々とあーんは進み…でもぶっちゃけ、恥ずかしそうに食べてる綾袮は可愛かった。可愛いし、これもこれで悪い事してる感あるしで、さっきさらもう食事とは思えないレベルでドキドキが連続しっ放しだった。でもそのドキドキは、見られたものは、三者三様のものであり……後悔は、ない。

 

(…そういう意味でも、何だかんだ変わったよなぁ…俺)

 

 昔の俺なら、どうだったろうか。…昔の俺なら、間違いなくこんな事しなかった。思い切りテンパって、やらなかった…というか、やらなかったと思う。けど、色々経験した今は…ほんと良い事かどうかは怪しいけど、こうして三人に次々とあーんをしたり、結果的にとはいえこっちからやってみたりが出来るようになった訳で……ほんと良い事じゃない気が凄くするけど、俺は変わったんだ。変わったからこそ、気付けた事や、得られたものが、沢山あるんだ。

 そして俺は、そんな思考と男としての満足感、その両方を感じながら、食事の続きを……

 

「……あっ…」

『……?』

「…そうか…一切れ食べて、その後三切れもあげたら、そりゃもう残りは半分もないよな……」

 

 皆に一切れずつあげた事で、ドキドキする体験が出来た。お返しも貰える。だけど当然、トンカツは大きく減ってしまうんだよなという事を、あげた後に気付く俺だった。

──三人とのデートは、まだ続く。まだ、終わりじゃない。まだ俺は…三人との、今日という日をやり切っていないんだから。


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