少し、話そっか。…そう言って、綾袮は俺を誘った。三人が応えてくれた、三人とのデート…その最後に、綾袮は俺と二人になる事を望んだ。
元々そうすると知っていたのか、それとも綾袮の心情を察したのか、ラフィーネとフォリンは俺に行くよう言った。理由はどうあれ、俺は今日デートとして三人を誘ったんだから、俺の方から綾袮と二人になり、ラフィーネとフォリンを放置するなんて事は出来ない…なんて思っていたけど、俺に行くように言う二人を見て、俺は考えを改めた。きっと二人は、自分の意思として俺に行くよう言っている。だったらそれに応えない事こそ、二人に失礼ってものだろうと。
一体どういう理由で、俺を誘うのかは分からない。想像は付くけど、思い付くのは一つじゃないし、どれも確信はない。でも、どんな話、どんな言葉であろうと受け止めよう…そんな思いを胸に抱き、俺は歩き出した綾袮に続く。
「今日のデート、ほんとに楽しかったよ。顕人君、THE・草食系…って感じだけど、結構やるじゃん」
「はは、どうも…って、それ褒めてる?」
「褒め半分、茶化し半分ってところかな〜」
手を後ろで組んで、俺より半歩先を歩く綾袮は、いつも通りの調子で話す。俺も、いつものような調子で返す。
「…でも、本当に驚いた。富士山でも、手紙の存在を知った時も、その後に電話がかかってきた時も。驚いたし…辛かったんだよ?苦しかったんだよ?…申し訳なくて、不甲斐なくて…凄く、悲しかった」
「…ごめん。何も言わなかった事、相談しなかった事は、俺も悪い事をしたと思ってる」
一度言葉を区切って、次に綾袮が発したのは、さっきよりも落ち着いた…静かな声。申し訳ない、不甲斐ない…俺への悪態ではなく、自責の言葉をふっと紡ぐ。
その言葉だけでも、綾袮の感じていた気持ちが伝わってくる。夢の為であっても、覚悟を決めての行動でも、俺が綾袮を悲しませたのは事実。だから俺は、ごめんと謝り…綾袮は、ゆっくりと首を横に振った。
「いいの。…あ、勿論良くはないけど…何も言わなかったのは、当然の事だって思うから。だってわたしは、宮空綾袮だもん」
そう言って、綾袮は足を止める。仕方ないよね、というように綾袮は小さく肩を竦めて…そして、振り向く。
「ねぇ顕人君。わたしに…霊装者としてのわたしに初めて会った時の事、覚えてる?」
「勿論だよ。あの時の事は、今でも良く覚えてる。…あの時の綾袮は、凄く格好良かった」
「ふふっ、ありがと。…あれから、色々あったよね」
もー、あの時の綾袮「は」じゃなくて、あの時の綾袮「も」でしょ?…普段ならそう言うであろう綾袮も、今は軽く笑うだけで…そうだね、と俺も綾袮からの言葉に頷く。…本当に、色々あった。予想外の事、驚きの出来事も数多くあって…あれからの日々は、毎日が刺激的だった。
「今だから言うけど、わたし最初から、顕人君の事は良いな、って思ってたんだよ?変な意味じゃなくて、人間としてね」
「…そうだったんだ」
「うん。真っ直ぐで、ひたむきで、真面目だけどそれ一辺倒って訳じゃない…普段は温和だけど、実は結構根性がある顕人君なら、良い霊装者になれると思ってたし、仲良く出来るとも思ってたんだ」
語られるのは、俺への思い。それは普段なら、照れ臭くなってしまいそうな語りで…でも今は、自然に受け止められた。そう思ってたんだ、そう思ってくれてたんだ…そんな思いの方が、強く心の中を締めていた。そう思えたのは、綾袮が落ち着いた声音だからかもしれないし…俺が綾袮と出会ったばかりの頃を、随分昔の様に感じているからかもしれない。
「で、顕人君と一緒に生活をして、霊装者の先生として沢山の事を教えて、色んな事を一緒にやって……間違ってなかったなぁ、って思ったの。初めに抱いた印象の通り、真っ直ぐで熱意もあるのが顕人君なんだって、ね」
「…そこまで、真っ直ぐに見えてた?」
「うん。それは勿論、正直とか真面目とか、そういう意味でもあるけど…自分の気持ちに、向かいたいと思う先に、誤魔化しなんかせず本気で向き合って進む姿…それをわたしは、顕人君から感じたんだよ。…今だって、そうなんでしょ?」
その問いかけに、俺は頷いた。確かに俺は、これまでそうしてきたし、今もそうしている。そういう自分で在りたいと思っている。そしてそれを、俺の在り方を、綾袮は前から見抜いていたって事で…流石だなぁと、思う。
「…でも、それだけじゃないんだよね。結構細かい性格してたり、慌てるとなんか変なキャラになったり、偶にだけど『あー、顕人君も男の子だなぁ…』って思うような事してたり、わたしは顕人君の凄いところも変なところも、良いところも悪いところも、一杯一杯知ったし見てきた。人としても、霊装者としても…わたしは君を、顕人君を知っていったんだよ」
「…俺もだよ。俺だって、綾袮の事は沢山知った。明るくて、気さくで、でも良い加減で…なのに凄く頼りになる、信頼出来る、心から敬意を持てる相手だと知ったし…それは今でも、思ってる」
「えへへ…面と向かって言われると、やっぱり恥ずかしいね。…顕人君。わたしははさ、自分を結構高めに評価してるんだ。勿論苦手な事、出来ない事も普通にあるけど、それは別に出来なくても困らないとか、別の事で補えるとかが殆どだったから、今の自分に満足してた。今のまま、今の方向性で自分を伸ばせれば、それで十分だろう…ってね」
沢山知ったのは、綾袮だけじゃない。綾袮が俺と過ごしてきた時間の分、俺も綾袮と過ごしてきた訳で…俺も綾袮の事を、沢山知った。知る毎に感心して、呆れて…より深く知っていった。
知る事は、繋がる事は、一方的な関係じゃない。そう、お互いに思っていて…綾袮は、続ける。
「だけど、顕人君の事を知っていって、沢山の時間を一緒にいる内に、それが少し変わったんだ。顕人君にわたしの居場所を取って代わられる…なんて微塵も思わないのに、顕人君を見てるともっと頑張ろうって、これまではやってなこったこういう事もしてみたいって、それを顕人君に見てほしいって…そう思うようにも、なっていったの。…大きくなって、いったんだよ。わたしの心の中で、顕人君の存在が」
そう言って、綾袮は胸の前で右手を握る。今そこにある思いを感じるように、確かめるように。
「…だから、なんだろうね。わたしは顕人君の事を信頼してて、期待もしてて、顕人君の思いには応えてあげたくて…でもその結果が、その思いを優先した結果が、顕人君から力を奪っちゃった。霊装者としての道を、失わせちゃった」
「…綾袮、その事は……」
「うん、分かってる。全部が全部、わたしの責任って訳じゃないよ。わたしにはどうしようもなかった部分だってある。でもやっぱり…一因は、わたしなんだよ。わたしの選択次第で、変わってたかもしれないのは事実なんだよ」
「…………」
「…怖かった…顕人君が悲しむのも、元気じゃなくはっちゃうのも…輝いて見えた顕人君の在り方が曇るのも、顕人君に拒絶されるのも…全部全部、怖くて怖くて…心の中が、痛かった。わたしの中で、顕人君の存在が大きくなってなかったら、そこまで辛くはならなかっただろうし…でも、でもやっぱり…なら、大きくならなければ良かったのに…とは、思えないんだよね……」
綾袮は笑う。口を挟まず、静かに聞く俺に向けて、自分に困ったような笑みで。困ったような笑みなのに、同時にどこか嬉しそうでもあって…本心なんだなと、俺は感じる。…綾袮はずっとずっと、本心で話している。
「…今なら、分かるよ。顕人君が元気を取り戻したのって、霊装者の力を…望む自分を、取り戻せたからだよね。心の整理がついたとか、新しい何かを見つけられたとかじゃなくて…やっぱり顕人君にとって一番大切なのは、霊装者である事、霊装者の道を歩む事…なんだよね…」
「…それは……」
「…ねぇ、顕人君。わたし…どこで、間違えちゃったのかな…。やっぱりあの時、止めるのが正しかったのかな…それとももっと、全部話して、顕人君にもこっち側になってもらえば良かったのかな…。こんな辛くなる程、仲良くならなければ…もっともっと、信頼されるわたしになっていれば…今とは違う考えが顕人君の中心になる位、わたしが顕人君の特別になっていれば…あの時無理にでも追いかけて、そのまま顕人君の味方になっちゃえば……何か、変わっていたのかな……」
否定は、出来ない。俺にとって、霊装者である事…憧れ続けていた非日常の存在である事は、何よりも重要で妥協の出来ない事だから。でもだからと言って、向けられた気遣いや、非日常とは関係のない、皆との日常に感謝や尊さを感じていたのもまた事実で…けれど俺が返しの言葉をいうよりも早く、綾袮は一人言葉を紡ぐ。
それは、取り留めのない思いの羅列。理路整然とした文章ではなく、心の中で渦巻く思いが…後悔がそのまま漏れ出るような、そんな言葉が綾袮の口から発せられ…気付けば綾袮の顔からは、いつもの元気も明るさもなくなっていた。咲いた向日葵の様な、華やかで可愛らしいいつもの笑顔とはかけ離れた…強く揺さ振れば折れてしまいそうな、強くも何ともないただの女の子の、心が深く沈んだ顔がそこにはあった。
…嫌だ。これはやっぱり、嫌だ。俺は綾袮に…こんな顔を、させたくない。
「…間違ってなんか、いないよ。勿論、綾袮の選択次第では、俺は力を失わずに済んだのかもしれない。あの時の辛さも、絶望も、諦めたくないのに諦めるしかないんだって現実を突き付けられるやり切れなさも、感じずに済んだのかもしれない。…俺は綾袮を一度も恨まなかった。そんな事を言ったら…それは、嘘になる」
「……っ…」
「…けど、さ…それでも、選んだ先にあるのが今なんだよ。これまで綾袮が選んで、進んできた道の中にあるのが、綾袮の…俺達の時間なんだよ。一緒に過ごした楽しい時間も、一緒に乗り越えた経験も、一緒に悩んだり考えた事も…全部全部、俺にとっては大切な思い出なんだよ。替えなんて効かない、効かせない、皆と俺との最高の思い出だ。だから、間違ってなんかいない。俺は綾袮といられて、皆との日々を紡げて……本当に、幸せなんだから」
「…だったら…だったら、戻ってきてよ…ッ!いなくなったり…しないでよぉぉ…っ!」
最高の選択、最善の判断…それが出来ていたかどうかなんて、分かりはしない。何を以って正解とするのか。そんなのは、分かる訳がない。でも…楽しかった事、嬉しかった事、日々が輝いていた事…それは紛れもない事実で、確かに俺が感じてる真実で…だから、間違ってなんかいないんだ。間違いなく俺は、幸せだったんだ。…そう、俺は伝える。綾袮の肩に手を置いて、一度も目を逸らす事なく思いを伝え、そして……零れたのは、綾袮の涙。
「分かってる、分かってるよ…!顕人君の人生は、選ぶ道は、顕人君のものだって…!それを、こんな理由で止めようとするのは間違ってるって…!だけどっ、嫌なのっ!顕人君との時間が、顕人君との毎日が終わっちゃうなんて、顕人君がいなくなっちゃうなんてっ、わたしは嫌なのっ!ねぇ、帰ろうよ…帰ろうよ、顕人君…っ!」
「……ごめん。でも…それは、出来ない」
「どうして!?やった事の問題なら、わたしが何とかする!なんだってする!それでも無理なら…その時は、わたしが顕人君と……」
「それは、駄目だよ。それは、しちゃいけない。綾袮は、自分の為に家族を、友達を…周りを悲しませる事なんて、絶対しないでしょ?自分自身が、それを許せないでしょ?」
「……っ…!」
堰を切ったように、次々と綾袮の口から流れ出る言葉。感情そのものの言葉は、俺と一緒にいたいと言ってくれるその思いは、俺の心の中で深く響き……俺は止める。綾袮が言おうとした、その言葉の続きを。
はっきりと、その先の言葉が分かった訳じゃない。けど…多分綾袮が言おうとしたのは、俺の為に今の自分を、霊装者の宮空綾袮を捨てるという事。そこまで俺を思ってくれているというのなら、嬉しいけれど…それはしちゃいけない。間違いなく、いつか綾袮が後悔する選択をさせる訳にはいかなかったから…俺は止めた。止めて、否定した。俺は綾袮からすれば、信じられないような選択をしておいて、綾袮の選択は早速止めようだなんて、虫のいい話かもしれないけど、それでも止めなきゃいけないと思った。
「ありがとう、綾袮。…でも、そうじゃないんだ。俺には、やりたい事がある。果たしたいものが、辿り着きたい未来があるんだ。そしてそれは、協会じゃ…今までの俺じゃ、きっと届かない…もう届かなくなっていた事だから。だから、俺は帰れないし…止まる気も、ない」
「…分からないよ…そんなに、大事な事なの…?顕人君の夢は、憧れは、そんなにも輝いていて…そんなにも、遠いものなの…?そこに届く為に、顕人君は……」
「…うん。これはもう、漠然とした夢じゃない。絶対に届かせるって、行き着くって決めた、俺の未来なんだ。俺は今度こそ失わない。必ず憧れた自分になってみせる。その為に、俺の持てるもの、全てを──」
全てを懸ける。俺の胸にあるもの、培ってきたもの、俺を支えてくれる柱…全てを力に変えて、進み続ける。…そう、言おうとした。包み隠さず、最後まで綾袮に話そうとした。けれど、言えなかった。言おうとした瞬間、涙に濡れた綾袮の顔がふっと近付いて、華奢な綾袮の身体が密着して……唇を、塞がれた事で。
……気付いた時にはもう、唇が重なっていた。綾袮は少しだけ背伸びをして、俺の背に手を回して…俺の唇へ、自らの唇を重ねていた。
「…ん、ぅ…ふぅ、んっ……」
柔らかく、温かな綾袮の唇。鼻腔から漏れる空気が肌に触れ、繋がった口では互いの唾液が混ざり合い…思考が熱く、熱く蕩けそうになる。言葉にならない感覚が全身に広がって、距離なんて関係無しに綾袮の事しか見えなくなる。
聞こえる吐息に引き寄せられるように、舌を絡める。甘く思える唾液を感じながら、深く熱く綾袮と繋がる。気付けば俺も、綾袮の事を抱き締めていて……一瞬の様にも、永遠の様にも思える時間がそこにはあった。
「……んっ、く…ぷは、ぁ…」
「…綾、袮……」
けれどそれは、本当の永遠じゃない。綾袮の唇が離れ、感じていた熱が消えた事で、俺の意識は名残惜しさと共に現実へと戻される。
「…この気持ちは、前からあった。あったけどもやもやしてて、霧がかかったみたいに自分でもこれがなんて気持ちなのかよく分からなくて…でも、分かった。やっと分かった。顕人君…わたしは、顕人君の事が好き。大好き。わたしは顕人君に、どこにも行ってほしくない。側に、いてほしい。だって、顕人君の事が…好きだから」
離れても尚、潤んだままの瞳。元から可愛かった綾袮は今、これまでよりも…今までで一番可愛く、そして綺麗に見えて、腕にもまだ綾袮の華奢な身体の感覚が…柔らかさと温かさが残っていて……そんな中で告げられる、綾袮からの「好き」という言葉。ほんのり赤く染まった頬で、まだ潤んだままの瞳で…それでも真っ直ぐに俺を、俺だけを見つめて伝える、想いの告白。
どういう意味で?…とか、友達として?…とか、そんな返しをしようとは思わなかった。幾ら俺でも、分かる。それが、異性に向けた…恋愛という想いの籠った、告白だって事位は。
(…ああ…本当に、本当に、本当に……俺は人との繋がりに、恵まれているんだな……)
家族、友達、仲間…俺には色んな縁が、繋がりがあって、そのどれもが俺に力や勇気をくれている。自分で言うとあれな気もするが…この繋がりは、俺にとっての大きな武器と言えるのかもしれない。
そして、その中の一つ…綾袮との繋がりの中で紡がれた、綾袮との間にある想い。それはきっと、あの日ラフィーネとフォリンから示された、あの時の想いと同じで……こんなにも強く、優しく、可愛らしい女の子に、女の子達に好いてもらえる事は、幸せ以外の何物でもない。
何の不満が、あるというのだ。家に帰れば、綾袮がいて、ラフィーネがいて、フォリンがいて、三人は笑ったり、ちょっとからかってきたり、俺が作った料理を美味しいと言ったり、でも時には真面目な話をして、だけどやっぱり普段は一緒にゲームをしたり、他愛のない雑談をしたり、偶にお互いドキドキするような事もあったりして……そんな時間が、そんな幸せが、もう俺にはあったんだ。物足りない、なんて事はないんだ。…でも…だけど……
「ごめん…ごめんね、綾袮…それでも俺は…俺の居場所に、帰る事は出来ない。綾袮も、ラフィーネも、フォリンも…皆みんな、大好きだけど……俺はなりたいんだ。俺が夢見た…ずっとずっと憧れてた、理想の自分に。俺は生きたいんだ。一度も諦めなかった、追うのを止めなかった、理想の世界で」
──気付けば俺も、一筋の涙を零していた。…後悔を、しているのか?やっぱり帰りたいと、思っているのか?……いいや、違う。これが、この思いが、俺の本心だ。全てを懸けて、俺は俺の中にある理想を貫く…その気持ちに、偽りはないんだ。
けど、離れるのは事実だから。俺は捨てたなんて思ってないけど…今ある、今あった幸せとは違う道を進む事もまた、事実だから。それは、綾袮の…皆の想いに背を向けるって事でもあるから。だから…辛いんだ。自分で選んで、自分で悲しませて、なのにそれに対して心を痛める…そんな、身勝手な心の涙だ。けれどそれも俺だから、全部の思いを引っ括めて御道顕人だから…俺は隠さず、涙を流したままで、言い切った。
「……変わら、ないの…?顕人君の、気持ちは…どうしても、絶対に……」
「変わらないよ。半端な気持ちでいたのなら、あそこまでの事はしないし…今ここで止めたら、諦めたら、それはもう俺じゃない。俺は俺を、貫きたいんだ」
縋るような、手の中から滑り落ちていくものを必死に掴もうとしているような、綾袮の言葉。それにもはっきりと、俺は返す。曖昧な言い方はしない。俺に迷いなんかないし…曖昧な表現、その場凌ぎの言葉なんか使っても、綾袮を悲しませるだけだから。
納得は、してもらえるだろうか。全部勝手に決めて、一方的に話しているだけだから、納得してもらえなくても仕方ない。それは分かっていて…分かっているのに、納得してほしいと思うのは……やっぱりそれだけ、俺にとっても綾袮は大きく大切な存在だって事だと思う。
「…そ、う…だよね…うん、知ってる…分かってた……顕人君は、こうだって決めたらそれがどんなに面倒な事でも、大変な事でも…絶対にやり通すって、そういう覚悟を決められる人だもん…そういう姿を、わたしは見てきたもん……」
「…それに綾袮が関わってたり、その為に綾袮に力を貸してもらったりしてきたもんね」
「だから…そう、これで…これで、良いんだよ…。だって、顕人君らしい答えだもん…わたしが好きになったのは、そういう顕人君だもん…。顕人君の思いをちゃんと聞けて、わたしも気持ちを伝えられて、顕人君はやっぱり顕人君だって分かったんだから、それで…それで……」
綾袮は言う。震えた声で、どこか独り言を言うように、自分で自分に言い聞かせるように。そうして綾袮はこれで良かったと、これで良いんだと言って……
「…でも、やっぱり…やっぱり、辛いよぉ…!やだよ、やだよぉぉ……っ!」
だけど、再び綾袮は涙を流す。必死に、懸命に耐えようとして、それでも溢れてしまった涙を零すように。
さっきの涙が、心の決壊によるものだとしたら、今のはきっと染み出した涙。激しさはなくとも、一度そうなってしまったら、止まらない涙。そして、どっちも…どっちの涙も、俺が流させたんだ。俺が泣かせたんだ。綾袮の言葉に、願いに応じる事が出来ない以上、俺は綾袮を笑顔にする事は出来ず…ただ、受け止めるしかない。涙も、言葉も、思いも全部。
「…綾袮、ごめん」
「そんな、言葉じゃない…!わたしが欲しいのは、わたしが望んでいるのは、そういう事じゃないもん…!」
「…………」
「…離さ、ないよ…今離したら、離れたら、ずっと後悔し続けるかもしれないから…わたしは、物分かりが良くなんかないから……」
背に回されたままだった両腕を強く締めて、顔を俺の胸板に埋める。言葉で、その手で、離さないという意思を示す。
多分、綾袮自身が分かっているんだろう。これは、ただの我が儘だって。協会の人間として、組織の為に…じゃなく、綾袮の中にある正義に準じる訳でもなく、純粋に個人の思いで俺を止めようとしているんたから。…でも、だからこそ離さないようにするこの手は、思いは、強い。一切の回り道がない、真っ直ぐそのままな思いは、きっと組織の為…っていう理由よりもずっと折れない。
それに…俺は、説得しよう、分かってもらおうとも思っていない。相談せずに決めた、俺の勝手で選んだ道について、理解してもらえれば嬉しいと思うけど…納得を得よう、納得してもらおうなんて思うのは違う。だから、俺は…俺も、綾袮を強く抱き締める。
「本当に…ごめん、綾袮」
「だから、わたしはそんな事……」
両腕で綾袮を抱き締めると共に、今一度俺は謝る。それに綾袮は、少し不満げな声で言葉を返し……そして、途切れる。言葉を途切れさせ、俺の顔を見上げ…目を、見開く。…そう。今の俺の言葉は、ごめんは……そういう、事じゃない。
「…な、にを……?」
「綾袮。俺は綾袮が…綾袮も、ラフィーネも、フォリンも皆、大好きだ。俺にとって、かけがえのない存在だ。だから、いつか…いつかまた……」
「……っ、ぅ…」
茫然とした目で俺を見る綾袮を、真っ直ぐと見つめ返す。ここで綾袮以外の名前を出すのは、女の子からすれば嫌なのかもしれない。好きだと言ってくれた綾袮に向けて、綾袮以外の事も好きだという…これを不誠実だと思う人もいるんだろう。…でもこれが、俺の気持ちだ。俺の本心だ。全員かけがえのない存在だと思っているのが、俺の心で…それを偽る方が、よっぽど不誠実だと俺は思う。
そんな思いを伝える俺の言葉は、綾袮には届いていないのかもしれない。けど、仕方のない事だ。今し方俺は、綾袮に睡眠剤を使ったんだから。ウェインさんにわざわざ用意してもらった、万が一に備えた睡眠剤。自分でその内の一本を使って効果を確かめたそれを、俺は綾袮に投与した。…本当に綾袮は、本気で離さないつもりなんだと分かってたから。
「…顕、人…君…わたし、は…それ、でも…わた、し…は……」
効果が現れ、急速に綾袮の意識を奪っていく薬剤。綾袮は意識を繋ぎ止めようとするみたいに、背に回した手で俺の服を強く掴み…けれどその手から、全身から、糸が切れたように力が抜ける。
その綾袮が倒れ込まないよう俺は支え、それからお姫様抱っこをし、近くのベンチへ。片膝を突き、ゆっくりと綾袮をそこへ寝かせて、少しだけその髪を撫で……立ち上がるのとほぼ同時に、俺は半円状に包囲された。包囲されていた。
「…綾袮様に何をした」
「彼女は、眠っているだけです。数十分か数時間もすれば起きる筈です」
「それを、素直に信じるとでも?」
振り向けば、そこにいたのは霊装者達。全員、俺に銃口を向けている。
こうなる事は、予想出来ていた。どこかしらに、今日の事を監視している霊装者がいて、何かあればすぐ姿を現すであろう事は、分かっていた。何せ綾袮は重要人物で、俺は協会を裏切り、その上で綾袮達とコンタクトを取ってきた人間なんだから。
「何れにせよ、このままお前を見過ごす訳にはいかない。付いてきてもらおうか」
「…………」
「…抵抗しないのなら、こちらも手荒な事はしない。だが、そうでないのなら……」
投げ掛けられた言葉に対し、無言を返す。けどここで答えないのは、意思表示をしないのは、穏便に済ませる事に繋がらない行動。それを受けた霊装者の一人、恐らく隊長であろう人物は、視線を鋭くさせつつ俺に一歩近付いて…次の瞬間、彼等は気付いた。俺の後ろを取った彼等の、更に後ろを取る、味方ではない霊装者の存在に。
『……っ!』
「…俺も今は、ここで事を荒立てる気はありません。ここでの戦いに、意味はない。ましてや、ここで戦えば……」
宙に展開した、赤い光の霊装者部隊。協会の霊装者達は素早く振り向き、睨み合い…俺が、前に出た。戦う気はないと、言葉で示し…ちらりと、綾袮の方を見る。今戦えば、一番危険なのは意識のない綾袮であり…綾袮を傷付ける気はないと、意思を示す。
「…いいのかよ。今なら、こっちが優位に動ける可能性も……」
「いいんだ。こんな形で戦ったって、正義も、協会が間違ってる事も示せはしない。それに…今の綾袮を傷付けようとするなら、俺は……」
「…そうだな、訊いてみただけだ」
俺の近くに降り、小声で声をかけてきた味方へ、言葉を返す。今言われた通り、あくまで訊いてみただけらしく、お前がそういうつもりならいい…というように、彼は今の言葉で納得してくれた。
空気は、緊張したまま。けれど誰も、撃とうとはしない。協会の霊装者は綾袮を守るように並び立ち、こっちの霊装者達も警戒したまま離脱していき…俺も、続く。俺もここから…三人の下から、去っていく。
(…今度こそさようなら、綾袮、ラフィーネ、フォリン。今まで…本当に、ありがとう)
最後に俺は、心の中でもう一度だけ三人に向けて言葉を送る。俺に幸せな時間をくれた、三人に向けて。
そして……これでもう、心残りはない。ならば後は、俺の夢へ、憧れへ、理想へと──突き進むだけだ。