「えぇと、ここを右だったか?」
「それはもう一つ向こうだった気がするんだけど…千嵜覚えてないの?」
「自慢じゃないが、俺はここの作りをざっくりとしか覚えていない」
「それはほんとに自慢じゃねぇ…」
双統殿の中を歩く俺と千嵜。…と言っても別に二人で来たとか任務を遂行したとかではなく、偶々用事の帰りで会っただけ。……その用事がほぼ同じだった辺り、偶々と言っていいのかどうか微妙だけど…。
「…にしても、大学上がる前にレポート書く事になるとはなぁ……」
「レポートったって、使った感想をまとめるだけのものじゃん」
「文章書くのが然程苦じゃないお前が羨ましいよ…」
現在俺が使っている装備の一つは制式採用されなかった半試作武装で、千嵜が使っているのは千嵜が昔使っていた装備のリメイク品。どちらも一般の武装じゃないという事で園咲さんはその運用データを欲しがっていて、その要望に応える為俺と千嵜は定期的にレポートの記入と雑感の報告を行っていた。で、今日はその日が被った為にこうなったのである。
「文章なんて慣れだよ慣れ。因数分解やら化学式なんかよりはこっちの方が楽だと思うけどね」
「どれも面倒な俺はどうすればいいんですかね…」
「知らないよ…後俺も書く事自体は面倒だからね?文句を言う程じゃない、ってだけで」
「楽しくレポート書いてたらビビるわ……ん?」
「わん?犬の真似?」
「いや、ほら。何か紙が宙舞ってるんだよ」
千嵜が指差した方の通路へ目をやると、確かにそこでは何枚かの書類がひらひらと舞って床へと落ちていっている。……って事は…
「…誰かが書類落としたとか?」
「或いはそこの角の向こう側に置いてあった束が倒れたか、だが…多分御道が言った通りだろうな」
「すぐに取りに来ない、って事は気付いてないか量が多いかだよね…行くか」
「んー…ま、拾ってやる位はしようかね」
落ちた紙を拾う位なんて事ないし、放っておいて帰るのはなんだか後味が悪い。そういう訳で俺と千嵜はその書類の下へと小走りで移動し、早速数枚拾い上げる。
「よいしょっと…」
「あ…す、すいません!」
「気にすんな、って…こりゃまた随分と落としたな…」
「うぅ、すいません…」
拾い上げながら横を見ると、そこには同じく拾い上げてる人と結構な枚数の書類があった。…何この枚数……ここ所属の人全員に分ける書類か何か?…ここ所属の人の総数は知らないけど…。
「…コケたのか?」
「あ、はい…足を引っ掛けてしまいまして…」
「そしてその表紙に書類がドバーッといったのか」
「はい、ドバーッといきました…」
「それは災難でしたね…はい、どうぞ」
「ありがとうございます…」
えらい不躾な話し方をするなぁ…と千嵜に対して思った俺だけど、落とし主さんをちゃんと見るとその人は俺達と同年代の様だった。…数歳年上の可能性もあるし、俺は例え同年代だったとしても初めは敬語を使うけど…そこら辺千嵜は適当なのかね。
「後はこいつを拾って…よし、これで全部回収出来たかな?」
「あ、御道。後ろに……」
「後ろ?まだ落ちてた?」
「…何にもないぞ」
「なら言うな…そんな報告いらんわ……」
三人で拾う事数十秒。全て拾い終えた俺達は通路を見回し、どこかに拾い残しがないか確認する。
「…あの、わざわざすいません。助かりました」
「あぁ、お気になさらず。この位大した手間でもないからね」
「それでも助かった事には変わりないですから…本当に、ありがとうございました」
書類を落とさぬよう気を付けながら頭を下げるその人に、俺と千嵜は顔を見合わせ肩を竦める。ただ偶々見かけて書類拾ってあげただけなんだから、ここまで丁寧にお礼を言わなくてもいいのに、と。…俺の場合綾袮さんのお祖父さんに言われた件もあるし、あんまり人の事言えないけど。
「…運ぶのも手伝ってやろうか?またコケたら大変だろ?」
「い、いえ!そこまでして頂く訳には…それに僕もそこまでドジじゃないです…」
「そうか?ならいいが…」
「はい、それじゃあ失礼しますね」
去り際にもう一度、今度は軽く頭を下げてその人は去っていく。紙だって大量にあればそれ相応に重くなるし、千嵜同様俺も少しだけ不安だったけど…その人の足取りは心配するようなものではなかった。本人の言う通り、落としたのはただのミスらしい。
「…内容ちらっと見たんだけど、あれなんかの会議の資料っぽい。それを運んでたんだし…俺達と同じ新人かな?」
「立ち振る舞い的にもそうなんじゃね?」
書類を抱えて歩いていく姿を眺める俺達。俺や千嵜がイレギュラーなだけで普通の新人はそういう手伝い的仕事を頼まれていてもおかしくないし、千嵜の言う通りあの人からは戦い慣れしてる感じがまるで感じられない。俺達よりも低い背に、肩をくすぐるかどうか位の髪に、中性的な印象の顔付きに、華奢な体躯のその人は、その限りじゃ少し気の弱い女の子にしか見えなかった。……そう、身体的には顔含め女性のように見えた。
「…………」
「…………」
「……ところで、御道…」
「…何かな?」
「俺はうろ覚えなんだが…協会の制服って、女性はズボンじゃなかったよな…?」
「…確か、タイトスカート…って奴だったね」
「…………」
「…………」
「……あいつ、ズボン履いてなかったか…?」
「……履いて、たね…」
「……どゆ事…?」
「さ、さぁ……」
──その人との出会いは、俺達にとても大きな疑問を残していった。
*
それから数時間後。帰宅し夕飯やら何やらを済ませた俺は自室に引っ込みベットに座していた。…と、言っても別にまだ寝る訳じゃない。
「…すぅ…はぁ……」
ゆっくりと深呼吸をし、目を瞑る。外部情報を得る上でその八割以上を受け持つらしい視覚を塞ぐ事によって思考の対象を外部から内部に向け、俺の中の霊力に意識を集中させる。
緋奈や妃乃とパーティーゲームをした日の翌日から、俺はこの時間を…精神集中による能力向上を図る時間を取るようにしていた。
「…………」
霊力の流れを把握し、操作し、収束や探知を試す。戦闘訓練というとまず筋トレやら走り込みやらを想像するのが一般的だが…霊力によって各種身体能力を強化出来る霊装者にとっては、それより霊力の扱い方や単位時間辺りの生成量を鍛える方がよっぽど強さに直結する。そして、それも実際に身体を動かしながらだったり武器に霊力を流したりしながらの方が高効率なものの、こうしてイメージトレーニングの延長みたいな形でやってもそれなりの効果があるし、これなら緋奈に疑われる事なく訓練を行える。…登下校や会話中にも出来りゃもっといいんだが…集中しないとまともな訓練にならないのが惜しいところなんだよな。
(……妃乃は…いるな)
一通り行った後、俺は装備の有無に関係なく行える事の一つ、霊力探知を行なってみる。相変わらず俺の探知能力は低く、今は妃乃の場所をざっくり判別する位しか出来ていないが…それでも魚に手足が生えた様な魔物を必死に索敵していた時よりは心なしか向上している……気がする。…因みに、霊装者は探知とは逆に自身の霊力反応を潜めて探知から逃れたりする事も出来る。上手く隠れられるかどうは探す側と隠れる側の能力次第だが…それはまあ、漫画やアニメでよくある気配の察知と隠匿みたいなもんだ、多分。
「……ふぅ…」
その後も全方位の探知、各方面への限定探知と何度か捜索を繰り返し、それが終わったところで目を開け休憩を入れる。
「やっぱ疲れるなぁ…続けていればその内慣れて少しは楽になるだろうけど…」
同じ行為をするとしても、慣れているのとそうじゃないのとでは心身共にかかる疲労が変わってくる。協会に所属すると決めてからすぐこれを始めてたら、今はかなり慣れてたんだろうが…そんな事考えたってしょうがないよな。
「…今日はもうワンセット…いや、明日体育あるし止めておくか…?」
ここからもうワンセットやった場合の疲労を予想し、やるかどうかを考える俺。体育っつってもそんな体力使う内容じゃなかった気がするし、ここはもうワンセット……
「悠弥、今時間いいかしら?」
「うおっ……妃乃か…」
精神を集中しようとした直前、部屋の扉がノックされ妃乃の声が聞こえてきた。それを受け、俺は扉をオープン。…そういや前にも似た様な事あった気がするな…これ位何度起きたって別におかしな事じゃないが…。
「どうした、洗面台の蛇口が壊れでもしたか?」
「いやしてないけど…ちょっと相談、っていうか伝えておきたい事があるのよ」
「蛇口が壊れた場合の対処に関してとか?」
「え、何?今日の貴方は蛇口に拘りでもあるの?…そうじゃなくて、魔王と魔人に関する事よ」
「あぁ、それか…」
妃乃の言いたい事がこの家や学校絡みではなく、霊装者関連のものだと分かって俺は気持ちを切り替える。霊装者関連の事なら何でも真面目さMAXにする、って訳じゃないが…魔王や魔人ってなると、な。
「拠点には戻ってなくて、今は改めて捜索中なんだよな?」
「そうよ。とはいえ向こうも探されてるのは分かってるでしょうし、すぐに尻尾を掴むのは難しいでしょうね」
「厄介な相手逃がしたな…あのまま戦われたらこっちの方がヤバかったが」
「魔王級は常軌を逸した強さだとは知ってたけど…私と綾袮の二人がかりでも優勢になれないなんて、思ってもみなかったわ…」
「魔王相手に正面からあれだけ戦える妃乃や宮空も十分常軌を逸してるけどな…」
この歳で二人がかりとはいえ魔王と正面から激突し、魔人であれば単騎でも戦えてしまう妃乃と宮空は、十年後には魔人級にも手が届くレベルになっているんじゃないだろうか。そこまでいくと最早常軌を逸してるというか常軌を見失ってる感じだが。
「…で、その相談したい事ってなんなんだ?今の会話の中じゃそれが全く見えんぞ?」
「まぁそうよね。早い話が、私は捜索部隊とは別で独自に探してみようと思ってるのよ」
「ふむ…何か探す当てはあるのか?」
「ないわ。でも前に悠弥が言ってたでしょ?私が一人なら魔人は食い付く可能性があるって」
「うん?そんな事…あー、言ったっちゃ言ったか…」
確かに思い返してみれば魔人捜索に関して相談を受けた時、妃乃が手負いで且つ身動き取れない状態なら狙ってくるだろう…と冗談半分で言った覚えがある。……え、何?今になってそれを本気にしたの?
「…前提案した俺が言うのもアレだが…それはあんまお勧めしないぞ?あん時だって本気だった訳じゃないからな?」
「それ位分かってるわよ、私はあくまで一人で動くだけ」
「それならまぁ…いや、それにしたって一人で探り入れるのは危険だろ。魔王と魔人が両方同時に食い付いてくる可能性だってあるんだぞ?」
「もしそうなったら流石に年貢の納め時ね。その時はせめて魔人を道連れにしてやろうかしら」
「…冗談でもそういう事言うのは止めろよ。笑えねぇっての」
「…そうね。だから実行に移す前に貴方へ言おうと思ったのよ」
状況にもよるが、今みたいな平時なら妃乃が軽率な思考や判断をするとは思えない。となれば妃乃も考えあっての単独捜索を行おうとしてるんだろうが…制限時間がある訳でもなし、取り敢えずは最後まで聞くか。
「保険、っつーか不味い事になった場合どうするかも考えてはあるんだよな?」
「当たり前よ。…って言っても、不味くなったら逃げるか持ち堪えるかしかないんだけどね」
「考えてないじゃねぇかそれ…」
「考えも何も、って話よ。けど捜索する時は口頭なりメールなりで伝えるし、捜索中は定期的に無事だって報告を入れる事にするわ。そうすれば私が大丈夫かどうか分かるでしょ?」
「定期的に報告、か。そりゃ悪くないな…」
それはつまり、不味い事態を未然に防ぐでも一人で切り抜けるでもなく、味方の救援を確実に得る為の手段。これといった用意もなく行えて、交戦中はその戦いに集中出来るこの策は確かに悪くないし、妃乃なら報告を忘れるという致命的な凡ミスをするとは思えない。……が、
「…でもそれ、俺が寝てたり携帯どっかに置き忘れてたりしたら駄目じゃね?」
「あ……」
「あ、って…そうする気なら俺も気を付けるよ?けど俺が妃乃の帰宅まで待機してるとかじゃない限り、これは策としては危なっかしいだろ…」
「そうね…私とした事がそれにも気付かないなんて…」
「まぁ、送信側と受信側じゃ視点が違うからな…俺じゃなくて協会に報告入れるんじゃ駄目なのか?」
「そうすると私個人の行動じゃなくなっちゃうし、私個人の行動じゃなくなると手続きやら捜索部隊との兼ね合いやら色々あって面倒なのよ。それに、私一人じゃ危険だって護衛付けられるかもしれないし」
「護衛がいると食い付きが悪くなるし、下手するとそいつ等を守りながら戦わなきゃいけなくなる、ってか」
「そういう事。フットワーク軽く動く為には組織がしがらみになる…ってのは悩ましいわよね」
そう言いながら妃乃は腕を組み、他の案がないか考え始める。その様子から察するに妃乃の中では捜索する事が決定しており、案が駄目になったからって諦めるつもりは毛頭ないらしい。…俺としては単独での捜索自体あんまり賛成はしてないが…説得出来る自信もねぇし、妃乃がそう簡単にヘマをするとも思えないんだからここは協力するか。
「…じゃ、こういうのはどうだ?捜索中の報告を受けたら、俺は即返信するようにする。その返信があれば妃乃はそのまま捜索を続けて、なかった場合は緋奈に適当な理由と送信内容を俺に伝えてくれって文章を乗せたメールを送る。これなら100%じゃないが、俺一人に報告する案よりは確実性が増すだろ?」
「適当な理由…スーパー行くけど買ってきてほしいものある?とか私の部屋の電気点けっ放しかどうか確認して、とかでいいかしら?」
「いいんじゃね?…あ、でも今の二つ目みたいな緋奈でも対応出来るのは避けた方がいいだろうな」
「そうね。…悠弥はそれでいいの?私はそれでいいならそれにするけど…」
「俺が自分で言った案なんだ、構わねぇよ」
冗談やネタならともかくとして、真面目に言った案を自ら否定なんて途中で欠点を見つけた訳でもなければやりはしない。そうなるとこれからは携帯の通知に今までより気を付けなきゃならなくなるが…四六時中探索する訳でもなし、やってる間位は気を付けるのも吝かではない、ってな。
「…妃乃の強さを疑ってる訳じゃない…が、魔王は当然として魔人だって雑魚じゃないんだ。功を焦ったりはするなよ?」
「私を誰だと思ってるのよ、そんな馬鹿な事はしないから安心しなさい」
「そういう自信満々なところが逆に不安を駆り立てるんだっての…」
「私が慢心してるって言いたい訳?…それこそ心配無用よ。私はいつかお母様やお父様、お祖母様やお祖父様の跡を継いで協会を率いるって決めてるの。未来に大きな目標があるんだから、目先の利益なんかに惑わされたりはしやいわよ」
人間誰しも利益が得られそうになったらそれに手を伸ばしたくなるもの。その欲求は自分に自信がある程強くなり(逆に自信がなかったり臆病だったりする奴は利益より不利益の可能性を見て止めたりする)、間違いなく妃乃は自分に自信があるタイプだから少し不安だったんだが…今の言葉を聞いて、彼女の言う通り心配はしなくてもよさそうだな、と思った。…確かにそりゃ、目の前の利益よりずっと得たいものが別にあるなら目の前のものにも冷静に対処出来るよな。
「……じゃ、もし見つけた場合はどうするんだ?」
「協会に連絡して尾行するわ、それ以外に何かある?」
「ま、そうだわな。…尾行してたと思ったら別の魔人に背後取られてた、とかはないようにしろよ?」
「はいはい、悠弥って適当な性格してる割には心配性よね」
「だから自信満々な奴は逆に不安になるんだよ…フラグ的な意味で…」
「フラグって……」
何言ってんだアンタ、って視線で見られるが俺はそれをしれっとスルー。そら確かに何言ってんだ感はあるだろうが……だって、ねぇ…皆さんも思うだろ?フラグっぽさは確かにあると思うんだよなぁ…。
「…まぁいいや。それは忠告として受け取っておくわ」
「おうよ、そうしてくれ。んで相談ってのは以上か?」
「そうよ、時間取らせて悪かったわね」
「うーい…あ、捜索の時家事当番はどうする気だ?」
「当番とは被らないようにするから大丈夫よ」
不安要素がない訳ではないが、不安要素を全て取り除く事など不可能に近い。安全が保証されてはいないが、危険のない選択をする事だけが正解ではない。何より……妃乃がそうしようと思ったんだから、恩のある身としては出来る限り尊重したいというのが俺の本心というもの。こうなるともう、運が味方してくれる事を祈るしかないな。俺が妃乃に同行すると緋奈の疑いが沈静化するどころか加速しちまうし。
「時間経っちまったし今日はこの辺にしておくか…」
「この辺?」
「こっちの話だ。風呂まだならさっさと入ってくれよ?」
「ふぅん…じゃ、そうさせてもらうわ」
会話は終わり、部屋を出ていく妃乃。この日の翌日から妃乃の独自捜索は始まり、妃乃は家や学校、霊装者としての任務に支障をきたさないようにしながら魔王や魔人の影を探していく。そして、その成果が現れるかどうかは神のみぞ知る事。
……だが、後に俺はこの時の判断を後悔する事となる。こんな事になるなら、止めておけばよかったと。もっと安全性を高めておくべきだったと。後からする後悔がどれだけ虚しいか知っていても──その思いは、止められない。
「……って、何私が酷い目に合うみたいな幕引きしようとしてんのよ!?そんな事ある訳ないでしょ!」
「え、ないの?」
「ないわよ!……え、ないわよね…ないわよね!?ねぇ!ちょっと!?」