縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

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前回のあらすじ
ナザリックの方針が穏便に決定した模様(穏便とは言ってない)

お待たせしました
予定通り八咫烏が今どこにいるかってお話


ほど近く、されど今はまだ遠く

  アゼルリシア山脈

  ドワーフの王国旧首都 フェオ・ベルカナ

  王城 「臆病者」の部屋

 

 

 

 

 

 死はいったいどこにあるんだろう。

 すぐ近くのような気もするし、とても遠いような気もする。

 少なくとも、今すぐに殺されるということはないようだった。

 

 

 とはいえ、あの短気で乱暴な父が今後自分をどう扱うものか。はふ、と憂鬱な気分で小さく息を吐けば、かすかに凍り付いた空気がはらはらと落ちた。眼鏡に霜がつきそうになり、慌ててぐいっと顔を上げる。

 ……天井に張った蜘蛛の巣ってどうやって取ればいいんだろう。つくづくドラゴンの身体は掃除に向いていないなあ、とげんなりした。

 

 あの性格の父だから、卵から孵ったばかりの幼いころは軟弱者だとよく叩かれた。成長した今はもうそんなことはない。というより、弟妹ができて意識もされなくなったんだろう。寂しいわけではないけれど、ちょっと虚しい。

 父はドラゴンらしく財宝を愛でるのに忙しく、ならばと部屋にこもりっきりで本を読み漁っていれば顔を合わせることもない。いつまでもそんな日々が続くなんて保証もまた、どこにも、ない。

 

 そのうち気まぐれを起こして尻尾で叩かれたり、兄弟の爪研ぎに使われたりするかもしれない。蹴りとばされたり、ブレスの練習台に使われたりするかもしれない。完全耐性があるからブレスは効かないけど、攻撃されるっていう事実が嫌じゃないか。

 ひっそり侵入してきたドワーフやクアゴアにうっかり狩られて、生きたまま皮を剥がされたりするかもしれない。せめて皮を剥ぐなら死んでからにしてほしいけど、新鮮なものの方が「良い」革になるらしいから、望みは薄いのだろう。ひどすぎる。お外こわい。

 

 こわい。こわい。

 痛いのはいやだ。痛いのはこわい。

 

 どうして痛みなんてものが身体に備わっているのか。

 ドワーフの医師が書いた本によると、痛みを感じることによって身体の異常を知らせて、そこに負荷をかけないようにするため、らしい。

 でも、あまりに酷い痛みだと、その衝撃だけで死んでしまうこともあるそうだ。なんだそれ。本末転倒じゃないか。

 

 いやだな、こわい。

 痛いのも怖いけど、死ぬのも怖い。

 世の中には恐ろしいものがありすぎる。

 

 死んだら一体どこにいくんだろう? 

 世の中には蘇生の魔法が存在するらしいから、身体が使えなくなっても、すぐに消えてしまうことはないんだろうけれど。

 ドラゴンの寿命は他生物よりだいぶ長いし、俺はまだ若いドラゴンだから、戦いさえしなければその日はずいぶん先になるはずだ。……戦いさえしなければ。

 

 フロスト・ドラゴンこそ最強であると考える父は、アゼルリシア山脈の覇権を握るために、いつかフロスト・ジャイアントへ戦いを挑むのだろう。

 そのときはきっと俺も駆り出されるに違いないし、何ができるかの適性を考慮されることもなく、盾代わりに前線へ投入されてしまうのだろう。想像に難くない。

 

 その戦場で起こることを考えるととてもとても怖くなるので、いつか来る日を遠くするためにも、俺はひたすら本を読むのだ。

 

「……うん?」

 

 ぺら、ぺら、ぱさりと、小気味良く続いていた紙擦れの音が止み、かしかしかし、と、紙をひっかく音がする。

 これは真っ黒な嘴が黄ばんだ頁をつつく音で、最近現れた小さな読書友達の意思表示であった。

 

「それは、えーっと……、……、ちょっと待って、確かこっちにわかりやすい図録が……」

 

 ついこの間まで児童書を読んでいたはずの黒い鳥は、どうやら大変飲み込みがよろしかったようで、今はもう建築の専門書に手を、いや、脚を出していた。三本も脚があって絡んだりしないのかなと心配になることもあったけど、なかなかどうして上手にページを捲っている。

 

「よいしょ、と。これでわかるかな。……ん? なに?」

 

 同じページを覗き込み、同じ文章を目で追って、同じ言葉の意味を考える。

 不思議な感覚だった。今までずっと独りで本を読んでいて、それが当たり前になっていたから、自分を寂しい生き物だと思ったことなんてなかった。友達なんて、物語本の友情を眺めることしかできないと信じてたのに。

 

「……こないだ教えたところの意味が違うって? 嘘だぁ。……えっほんとに?」

 

 まあ、声もない生き物だから、俺が勝手に友達呼ばわりしているだけなのだけど。友達だよね? とはさすがに聞けずにいる。

 おまけにこの黒い鳥ときたら、こんなに小さいのに結構辛辣で、間違いがあったらずけずけと指摘してくるし、気に入らないことがあったら容赦なくつついてくるのだ。

 

「……ああ。そうか、これって“河川”だけじゃなくて“流れ”っていう意味もあるのか」

 

 えっどうしよう、それだとこの間読んだやつの意味が丸々変わってくるぞ。

 わたわたと蔵書をひっくり返していると、積まれた本をごっそり崩してしまい、黒い嘴がここぞとばかりに俺をつついてきた。

 

「わ、いたいいたい! ごめん! ごめんって! 大事にする! 大事にするから!!」

 

 誠心誠意の平謝り。本当のところさして痛くはなかったが、悪いことをした自覚はあったから。

 すると赤い目の鳥は、わかればいいのだというように、ふす、と鼻息を漏らして胸をはる。

 

「……君は、本が好きだなぁ」

 

 黒い鳥が、ひたりとこちらに目を向ける。父が集める財宝に混ざる赤い宝石のような瞳が、そういうお前はどうなのだ、と雄弁に語っていた。

 

 ああ、そうだ。

 俺も、本が。本が、好きだ。

 

 紙の匂い。革表紙の爪触り。滲み掠れたインクの深い色合い。そこから読み取れる数多の知識。

 見たこともない生き物の生態。美しい詩や物語の羅列。かつての住人が整えた建築の計算式。とある国が栄華を極め、やがて枯れ落ちるまでを寄り添った手記──。

 

 俺が今いる一族も、やがて終わるときがくるのだろう。

 もしかしたら、いつか独り立ちした俺が、自分の一族を率いる日がくるのかもしれないけれど、今はとてもじゃないけど実感がわかない。

 

 父は、オラサーダルク・ヘイリリアルは確かに強いドラゴンだが、強さを追い求めるあまり知識をないがしろにするところがある。世の中にはフロスト・ドラゴンですら敵わない特別な力を持つものや、あるいは力の有無など関係なくすべてを飲み込むような天災や疫病だって襲い来るかもしれないのに。

 父が、そういったものへの備えをしているところを、見たことがない。

 

 だから、終わりの日はきっとやってくるのだ。

 そのとき、俺は、どうするのだろう。父母や兄弟を終わらせるようなものがきたときに、俺が生き残っているとは到底思えないけど、だけどもし、もしものはなし。

 

 すべてが崩れたこの場所で、奇跡的に生き残ったとして。

 剥き出しの青い空の先には、恐ろしく、おぞましいものがおびただしい数存在していて、けれども誰かが記したまだ見ぬ本がたくさん、たくさんあるのだろう。

 

 ちらり、と横に目線を流す。さっきまでこっちを見ていた鳥はもう、興味が失せたとばかりに次の本へと取りかかっていて。 

 

 ……こんな小さな鳥がふらふら飛んで生きられるんだから、いっそ外に出てみるのも、悪くないのかもしれないな、なんて。

 思うと同時に、ちょっと痩せなきゃいけないかもな……とたるんだ自分の腹を見つめ、こっそりと項垂れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  バハルス帝国

  帝都アーウィンタール 皇城 資料編纂室

 

 

 

 

 

 死とは何処にあるのか。

 もはや手の届くところにあり、さりとて身を任すつもりは未だない。

 どうか、その真髄を垣間見るまでは、と。

 

 

 真髄。魔法の深淵。未だ遠き神秘の中核。

 

 果たしていつからそれに魅いられたものか。もはや遥か昔日のことで、思い出すのも難しく、埋めた記憶を掘り返す時間も惜しかった。

 

 日に日に焦燥は募る。定められた命を大いに引き延ばし、されど老いの果ては確実にこの背へと迫りつつあった。

 残された時間は多くない。だのに魔法について学ぶべきことは尽きぬのだから、元々勝ち目のない戦いに挑んでいるようなものだ。

 

 逸る心を落ち着けるように、努めてゆったりと(ひげ)を撫でる。

 なにをどうしても気は急くが、それを表に出して良いことなどない。己にしても、他者にしても、頭脳労働に拙速を強いるのは極めて悪手であるからこそ。

 

 ああ、しかし。それでも。

 なにかしら切っ掛けがほしい。師がほしい。

 魔法の深淵を覗く術がほしい。

 

 手段は問わない。手を届かせることができるのならば、それが己の手でなくとも構わなかった。そこから師事を得ることができれば尚良かったが、もはや拘ってもいられぬところまできているのだから。

 

 それでも、帝国を見限ろうという気にはならなかった。

 

 考えたことがないとは言うまい。

 遠々しい、先々代が皇位に就く前の話だ。帝国に限らずとも、この身とこの知識さえあれば、どこかもっとうまくやっていけるところがあるのではないか。

 魔法の深淵にほど近い人物や、研究の環境を整えられる国は他にあるのではないか、と。

 

 だが、結局のところ理想に適う人物もおらず、帝国ほどの環境が与えられる国も他にありはしなかった。

 半ばわかっていたことではあるが、それでも些か消沈する私に、諦めろ、と笑い飛ばしたのは、ジルクニフの祖父、先々代の皇帝であった。

 

 

 諦めろ。この国の外でお前がなにかを成すことを。

 目移りしようが裏切ろうが俺の代ではお前を手放してやるつもりはない。

 魔法の深淵とやらは俺にはさっぱりわからんが、お前がそこに手を伸ばすための踏み台くらいは潤沢に用意してやる。それこそ、お前がこの国の外に価値など見出さぬくらいには。

 

 ……だから、どうか。

 どうか、血に濡れた道を歩むことになる我が子を。

 そして、いずれ俺の意思を形にする皇帝を、どうか。

 

 

 ……彼が老いの片鱗を見せる前に政争で死んでしまった後も、帝国と私の間に敷かれた契約は続いている。

 

 情だけでここにいるわけではない。

 彼らが契約を守り、それが他の追随を許さぬ価値を今なお持っているからこそ、私はまだここにいる。価値あるものが他所に姿を見せたのなら、恐らく私はすべてを切り捨ててそこに向かうのだろう。

 

 しかして。一応のところ。

 情と呼べるものは、確かに存在するのだ。

 

 ジルクニフ・ルーン・ファーロード。

 先の皇帝の遺志を継ぎ、余分のすべてを排斥して、見事帝国を統べる正当の皇帝になってみせた男。

 その苦難も、その達成も、すべてを見届けてきた、我が子同然のかわいいジル。

 

 そこにあるのは、確かな親愛の情であった。

 このまま何もなければ、この命尽きるまで仕えても構わないと思えるくらいの。

 

 そしてつい先日現れたものを思えば。

 この国に居続けたとしても、乞い願う深淵に、指先をかける手段を得られるやも、と。

 期待をせずにはいられないものだった。

 

 

「ふふ、あっはっはっはっは! いや、そ、それは……、くく、くひひ……」

 

 堪えきれぬというような笑い声が資料編纂室に響く。

 

 資料編纂室というのは、国によっては閑職の意でもあると聞く。

 実際帝国でも昔、そのように扱われていたこともあったが、此度の大規模な粛清の余波を受け、真実編纂せねばならない資料もまた膨大なものになり、一時期は人を集めて短期間で一気に取り掛かるようジルが指示を出していたのも記憶に新しい。

 それらが落ち着いた今になっても、「無能が給金を受け取るだけの場所にならぬように」と、若手の文官が仕事を覚えるための部所のひとつとして扱われている。

 

 で、あるからして。

 このように、高らかな笑い声を響かせるような気楽な部所では、なかったように思うのだが。

 

 ひとつ肩を竦める。

 笑い声の主は先日、皇帝陛下から三本足の烏の世話を仰せつかった男で、翻訳の専門を目指す文官であるらしい。陛下の覚えも良く、将来的には評議国の文書を相互翻訳する任に就けるよう努力を惜しまぬ、善き部下である、と。

 

 それがこの体たらくとは。期待はずれ、というよりは、「話し相手」が余程手練れなのであろう。

 

「……ずいぶんと楽しそうだな?」

「はっ?! パ、パラダイン様!!」

 

 慌てる文官と、その奥でぺこりとお辞儀をしてみせる籠の鳥。

 籠の中には、捕らえられた直後には入っていなかった水や食事、そしてインクの満たされた平皿と数枚の紙が入れられていた。

 どのようにしてそれを使っているのかと注視してみれば、爪の先にキャップ状のペン先が嵌め込まれており、それを駆使して文字を書いてみせているようだった。

 なんともまあ、器用なことを。

 

 文官に視線を戻せば、こほんとわざとらしく咳払いをし、きりりとこちらへ姿勢を正した。

 

「……失礼いたしました。どうにもその、“話せる”やつでして」

「構わんよ。どうだ、進捗は」

「すこぶる順調ですね。少々恐ろしいくらいに」

「ふむ」

 

 彼曰く、驚異的な早さで帝国語を習得し、日常会話も覚束ないところから、いまや古典に脚を突っ込んでいるのだ、と。

 文語のみならず口語の使い方も達者で、先ほどのように、知識階級を笑わせるくらいのユーモアすら解しているのだ、と。

 本人も知識階級の者であることはほぼ間違いないが、未だ何処に住む何者なのかは黙秘を貫いており、特定には至っていない、と。

 

 大した落胆もなく頷き、今までの会話から何かわかることがあるかと文官に問うた。

 すると。

 

「あくまで私見ですが、王国の民ではないのでは、と考えております」

「ほう?」

「なんと言えばいいものか。どうにも、王国民特有の諦念と停滞を感じないと言いますか。……故にこそこちらに繋ぎを求めている可能性も大いにありますが」

 

 与えられた言葉を呑み、ゆっくりと首肯する。

 

 リ・エスティーゼ王国。

 かつて祖を同じくしたのも今は昔。豊かな土壌と恵まれた資源にあぐらをかき、経年の腐敗著しいかの国の民は、犯罪組織がばらまく麻薬と帝国が仕掛ける戦によって更に疲弊し、貴賤を問わずどこか厭世的な雰囲気を漂わせている。

 もちろん、マシな者もまともな者も足掻く者もいるにはいるが、今の王国を塗り替えるほどの力を持たぬのが現状だ。

 

 あるいはひとりの「足掻く者」であるのか。

 

 そうでなければこの者は──

 

 

「パラダイン様!! こちらにおられましたか!!」

 

 突如の呼び掛けに、深く沈みかけた思考が浮かび上がる。

 

 ばたばたと慌ただしく入ってきたのは中堅にあたる弟子のひとりで、手が足りぬからと諜報の統括補佐に引き立てられていった者だ。

 

 何事か、と問う前に、手の中へ一枚のメモが滑り込む。

 その内容に思わずかっと瞠目し、息を詰めた。

 

「……まことか?」

「エ・ランテルの冒険者組合が正式に文書化したものです。間違いないかと」

「むう……!」

 

 先日、王国辺境領カルネ村にて、霧を発生させるアンデッドが出没。

 帝国兵を装った集団を追い、居合わせたガゼフ・ストロノーフがこれを討伐。

 

 禍々しい鎧を身につけた巨躯を持ち、捻じ曲がったような剣と巨大な盾を装備していたというそのアンデッドの特徴は──

 

「……デス・ナイト」

「幾らか調査に送り出しますか」

「……いや、先に陛下に話を通した方が良い。色々と奇妙なことも多いのでな」

「既に。“なんでも好きに使って構わないが、きな臭いところはすべて洗ってくるように”とのお言葉を賜っております」

「……ふっ」

 

 本当に優秀な子だ。

 私が何を目的にしているかを正しく理解し、首輪を締め付けて引き寄せるでなく、紐を伸ばして餌を与えてみせる。そうすればより良く働くことを知っているのだ。

 

「邪魔をしたな。身元が特定できたのならこちらにも知らせてくれるか」

「畏まりました。朗報をお届けできるよう努めてまいります」

 

 文官に退室する旨を伝える傍らで、ちらりと鳥籠を振り返る。

 さもその辺りの鳥と変わりませんという体でかしかしと首を掻くその姿がどうにもわざとらしく思えるのは、こちらの先入観があるからだろうか。どうにも怪しく見えて仕方がない、と。

 

 突如として現れた、見慣れぬ黒い鳥。

 時を近くして現れた、伝説のアンデッド。

 

 依然姿を見せず、思惑も靄の先にあり。

 ならば糸を引く先のものが繋がっていたとしても──

 

 

 

 ──まさか、な。

 

 いくらなんでも短慮に過ぎる。

 そう思いつつ、調査の手筈を整えるため、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  竜王国

  王城 玉座の間

 

 

 

 

 

 死は、どこにあるのか。

 それは常にほど近く、遠ざかってなどくれはしない。

 けれども今はまだ、そのときでないと言えた。

 

 

「こうも静かだと不気味になってくるものだな」

「食われる国民がいないのは良いことでしょう、女王陛下」

「食事の前にナイフを研いでいるのでなければいいが」

 

 ため息と共に吐き捨てれば、宰相が苦く微笑む。

 

 ここしばらく、ビーストマンからの襲撃が鳴りを潜めている。

 人間の国を都合のよい餌場だと思っている連中だ。大人しくしているのも、慈善や慈悲であるはずがない。

 長年共に国を支えてきた盟友も、そのあたりは察しているようだった。

 

 嫌な予感を持て余し、肘掛けにだらしなくもたれ掛かる。

 好きでだらけているわけじゃない。いまの幼い身体を隙なく納めるには少々玉座が大きいのだ。それもこれも、少女の姿でお願いすればほいほい言うことを聞くロリコン共が悪い。

 

 人の領域とビーストマンの領域の境界に位置する国、それがこの竜王国である。

 故に、この国の軍事費は嵩む一方だ。

 

 ビーストマンどもが領土的な野心でこちらを侵攻しているのならばまだ他にやりようがあったかもしれないが、向こうは人間を餌としてしか見ていないのだから外交もくそもない。防衛一択である。

 

「……いっそのこと滅ぼしてしまえればな」

「それができないからできるだけ守りを固める方向でやりくりしてるんでしょうに」

「はー……、世知辛いな、どうにも」

 

 ビーストマンと人間の間には、無慈悲なほどに明確な戦力の開きがある。個体としての能力がそもそも違うのだ。幸いにしてビーストマンには突出した個体が生まれ難いらしく、持ちこたえることが全くできないということもない。

 が、それはビーストマンどもがつまみ食い感覚でしか竜王国に手を出していないからで、向こうがまともに戦争を始めたならば、脆弱な人間の軍などひとたまりもないだろう。

 

 その差を埋めるために法国に多額の寄進をして戦力を借り受け、平時である今も国境域の警戒を怠ってはいない。

 

「国力そのものの強化もしておきたいんだがなあ。それで有事にかつかつのまま、民を食い尽くされては話にならんし」

「そのような時間が取れればいいですかね。向こうは進軍しようと思えば身ひとつで来れるわけですし」

「……兵糧は人間(こっち)で調達できるしな! やってられるか!」

「なのでこちらのお手紙をお願いしますよ。とびきりかわいくおねだりしてくださいね」

「かあっ! 酒! 酒を持ってきてから言え!!」

 

 情け容赦なく宰相が持ってきた執務。竜王国の女王を幼女(ロリ)だと信じる連中への嘆願書(おねだり)である。

 何が悲しくてこの年齢で幼女を装わねばならんのか。

 

 ……理由など、わかっている。

 

 戦力が、兵力が足りないのだ。少々質を突出させても数が揃わねば防衛しきれず、有象無象では数を揃えても敵の餌になるだけ。

 それを補うのに、自国では賄えないものを、他国へと願わなければ。

 

 国を守れるのならば衆目の前で裸で踊ってやっても構いはしない。

 そう、どんなことでもする覚悟はある。が、それに心を削られないかと言えば別の話だ。

 

 つまるところ、燃料が必要なのである。

 

「終わるまでは我慢してください。お酒を召されると文章に酒焼けした年増の匂いが滲み出てくるんですよ」

「お前もう少し容赦というものをな……、……ん?」

 

 渾身の力で放つかわいいかわいいおねだりを、血も涙もない宰相に無下にあしらわれていると、すいっと窓から何かが滑り込んできた。

 

「おお、戻ったか」

「……陛下、その鳥は?」

「かわいかろう? よく人に馴れているのでな。伝令に使えぬか試しているのだ」

 

 それはクアランベラトによく似た黒い鳥だった。

 先日庭先でこちらを見つめていたのでおびき寄せてみれば、なんとも大人しく従順で。

 今も三本脚のひとつに国境からの手紙がくくりつけられており、お使いを無事果たせたようだとにんまりする。

 

「……よく訓練された間諜だとしたらどうするのです」

「ビーストマンはこんなもの使わんよ」

「ビーストマンではなくても、です。我々の立ち位置を理解せずに竜王国を獲ろうというものがいないとは限らないのですから」

「ここまで国防を他国に頼っておいて今さらではないか。潔く腹をくくってしまえ」

 

 伝言(メッセージ)の信頼性がなくなった今の世で、誰でも使える遠距離の通信手段は大変貴重だ。

 通常の伝書鳥では空を飛ぶモンスターに食われてしまうのでこれまた常用の手段ではなかったが、この子は艱難辛苦を乗り越えて、行って戻ってきてくれたらしい。

 理知的な赤い瞳はどこか自慢げで、愛いやつめ、と首元を撫でてやれば心地よさそうに目を細めていた。

 

 さて、と、結ばれた紙を紐解いた。些か緊張する。「襲撃あり。陥落も間近」とか書かれていたらどうしよう。

 どうやら取り越し苦労だったようで、未だビーストマンに動きなし、とだけ、あの顔に似合わず可愛らしい字を書く指揮官の字で記されていた。

 

「よぉーしよしよし偉いぞー。この調子で働いてくれよー?」

「……やはり訓練されすぎていませんか?」

「前の職場が嫌で逃げ出したんだろ。たくさん飛んで腹が減ってないか? 何を食べるんだお前は」

 

 それも知らずに飼ってるんですか、と冷たい目で睨んでくる宰相はぽんと放っておいて、常備のビスケットや果物を鳥に促せば、ふいっと断るそぶりを見せるではないか。

 

「贅沢なやつめ。では酒でも飲むか?」

「飲むわけないでしょう、鳥なの、に……、……」

「ほら! 頷きよったぞ! やはり素面で仕事をしてはならんとの思し召しなのでは?!」

「いやそれただの鳥じゃないでしょ?! 絶対モンスターの亜種ですって!!」

「わからんではないか! すごく賢くて酒好きなだけの鳥かもしれないだろ?!」

 

 今すぐ殺すか、元の場所に捨ててきなさい! と喚く宰相からばたばたと逃げ回る。

 藁にもすがる気持ちなのだ。使えるものはなんでも使う。

 

 避けたい未来があるからだ。

 

 国民すべてを喰らい尽くされ、竜王国を越えた北へと侵攻を許すよりは、と、使い方だけを念入りに確認している秘術がひとつ。

 それは強力無比な力。敵の生存を一切許さない原始の破滅。しかしそれは、自分が脆弱な竜王であるが故に、百万の命を糧としなければ発動しない、諸刃の剣。

 

 民の命運は、とっくにこの手の上に乗っている。背負う重さにももう、とうに慣れたつもりでいた、が。

 

 願わくば、この手でその命を刈り取る日が来ないように、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  リ・エスティーゼ王国南東部

  エ・ランテル近郊

 

 

 

 

 

 死は、どこにあるんだろう。

 かつても今もすぐそこにあり、けれども状況は全然ちがう。

 なにもできなかったあのときよりは、今のほうが、ずっと。

 

 

 冒険者というのは、過酷な職業だ。

 

 そもそもの仕事がモンスターの討伐である以上、大小問わず危険は避けられない。

 小さく群れるもの、大きく凶暴なもの。ふたつが一度に襲い掛かってくることも少なくない。毒や石化でこちらを蝕んできたり、魔法を使ってくる敵だっている。

 

 叩いても傷つかない、切っても急所に届かない、何をどうしたら殺せるのかわからない敵はたくさんいるのに、こっちは何をどうしてもただの人間で、叩かれたり切られたりしたら簡単に死んでしまうのだ。

 

 モンスターだけでもそれだけ大変なのに、中にはメンバー同士の諍いで命を落としたり、準備不足による飢えや寒さに負けてしまったり、あちこち移動することで流行り病に罹ったりもする。

 ……貴族共に足止めされて慰み者になったり、不敬で首を切られた冒険者もいると聞いた。

 

 幸い、エ・ランテルを拠点にしている冒険者は、種々のことを調整してくれるアインザックさんのおかげで、そういうものとは縁遠く暮らしていけている。

 

 駆け出しをようやく抜けた頃の、まだまだ伸びしろのある未熟なチームだけれど、その分できることとできないことをきちんと弁えて、なんとか死ぬような無茶をせずにここまで来れた。逃げることもできないような強敵にも、まだ出逢っていない。

 

 メンバーはみんな優しくて、足の引っ張り合いなんて考えたこともないくらい。

 私の目的を理解してくれて、それでも、といつも気を使ってくれて。

 

 みんな、優しい。わたしは、恵まれている。

 

 ……恵まれている。

 

 

 エ・ランテルから王都方面に半日ほどの場所。仕事はいつもの、街道近くの露払い。

 いつもはこの辺りを見回っているとぽろぽろと森から出てきたモンスターに出くわすのに、今日はどういうわけか静かなものだった。

 ケガがねえのはいいことだけど商売あがったりだな、とぼやくルクルットに、こういう日もあるさ、とペテルが苦笑する。確かに懐事情は厳しいが、とその表情が語っていた。

 森から吹く風がいつもと違うのである、と言うダイン。常のおおらかで穏やかな様子は何かを警戒するように引き締まっており、森で何かあったのかも知れない、という言葉に現実味を添えていた。

 

 けれど、もうじき日が沈む。今から森に入るわけにはいかない。危険なことがあったのかもしれないのなら、なおさらだ。

 もう少し歩けば村に着くので、そこまで進もう、ということになった。空き家を借りるか、そうでなくても人里近くなら野営にも都合が良い。

 

 ひたひたと、空が夜の色へと変わる。

 沈みかけの夕陽を滲ませたグラデーションが胸に刺さるくらい美しくて、思わず空を見上げれば、そこには悠々と空を泳ぐ、まっくろなとりがいた。

 

 

 ……ああ、ねえさん。ツアレ姉さん。

 あなたはいまどこにいますか?

 

 未だ貴族に嬲られてすごしてはいませんか。ご飯は食べているのでしょうか。

 きれいなきんいろの髪はまだそのままですか。優しい人に出会えているといいのですが。

 

 御伽噺では、村娘の危機に現れる英雄が居て、けれどわたしたちのところには来てくれなかった。

 

 杖を持って、自ら戦うようになって初めてわかりました。すべてを救うことはできないのです。

 

 はき違えてはいないと自分では思っていました。悪いのは姉さんを連れて行ったあの豚で、誰にもどうしようもなかったのだと。

 けれど、どこかで思っていたのでしょう。どうして誰も助けてくれなかったの、と。力ある人が立ち向かってくれればこんなことにならなかったんじゃないの、と。

 ……ほんとうに、本当に甘い。まさしく小娘の考えでした。

 

 英雄だって助ける人を選ばなければ生きていけないんです。

 わたしたちはどうしようもなく人間で、抗えないほど強い力なんてどこにでもある。食べなければ生きていけない。お金がなければ食べられない。……報酬がもらえないのなら、断るしかない。

 

 幸い、そんな事態に見舞われたことはまだありません。仲間はみんな良い人たちで、善く生きようと思わない人なんて誰一人いないんです。

 

 わたしは恵まれている。幸福です。ねえさんを思うのなら、許されないほどに。

 

 ねえさんは、ねえさんはどうですか。

 愛する人は見つかりましたか。守りたいものはまだ持っているでしょうか。辛い日々を懐かしみに変える、日常のささやかな楽しみなど享受してくれてはいないですか。

 

 わたしは、わたしは、ねえさん、ツアレ姉さん。

 あなたのしあわせを──

 

「どうしたんだ、ニニャ。さっきからぼーっとして」

 

 頭ひとつ高いところからかけられた声に、はっと意識を現実に戻す。ルクルットだ。

 

「なんでも、……ううん、鳥が」

「とり?」

「あそこに。きれいで、すごく綺麗で……」

 

 指し示す先にはまっくろな鳥。夕焼けの空をひろく飛び回るその鳥は、檻に捕らわれることも枷につながれることも予期すらしていないようで。

 ……それがひどく、羨ましかった。

 

「本当だ、吉兆だな」

 

 すぐ近くまで来ていたぺテルが眩しそうにそう呟いた。その隣でダインが頷く。

 

「漆黒、であるな」

「はは、そりゃ幸先がいいや」

 

 彼らは本当に善い人たちだ。日々の細やかな幸福を取り逃がしたりしない、まっすぐな心根の持ち主だ。私のこともまた、善い男だと、かけがえのない仲間だと、認めてくれていて。

 ずっと、騙しているのが、申し訳なくなるくらい。

 

 けれど、心が痛んでも、わたしが幸福であることには何ひとつ変わりがなく。

 このしあわせが未だ見ぬ姉に分け与えられるのなら。そう、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  スレイン法国

  中央神殿 第一居住区 東棟

 

 

 

 

 

 死、なんてもの。どこにあるんだか。

 それはいつだってこちらが与えるもので、与えられるだなんて考えたことすらない。

 期待はまあ、したことがないとは言わないけど。

 

 

 神の遺産、と呼ばれるものがある。

 

 単純に、神が遺した規格外の装備やアイテムを指し示すのはもちろんそう。

 魔法が広く使われている今の世界においても超常的と呼ぶべき力を持ち、神ならぬ身が作ったものではその領域に触れることすらできない。

 

 それに加えて、もうひとつ。神の叡智とも呼ばれるもの。

 自分たち亡き後の人類に、と神が願い残した形なき遺産。社会制度であったり、風習であったり、料理のレシピや建築物の設計方法であったりもした。

 

 いま、自分が使用しているものも、そのひとつ。

 

 

「ふう……」

 

 身動ぎに、とぷりとあたたかな湯が揺れる。

 白灰色の壁、濃紺のタイルを敷き詰めた床、広々とした高さを感じる天井には永続光(コンティニュアルライト)のシャンデリアが取り付けられており、室内を柔らかく照らしていた。

 

 中央広場の噴水ほどもある大きさの浴槽にたっぷりと湯をはり、そこに浸かって身体をほぐす。

 神世の時代、川や雨で汚れを流すしかなかった人類に授けられた叡智。

 風呂、と、そう呼ばれていた。

 

「……言っても温かい湯を冷めにくい浴槽に入れるだけだから、どこかで誰かが開発はしたんでしょうけど」

 

 しかしこの設え自体は悪くない。神が遺した宝物の守り人であるが故に制限される行動範囲の中で、特に気に入りの場所であると言えた。

 

 視線を落とす。少し濁った湯の中に揺蕩う白と黒。まとめきれずに零れ落ちた色違いの髪。染めてもいないのに器用なことだと自分でも思う。

 

 席次は番外、けれども野外任務も多い漆黒聖典に名を連ねる以上、自分の支度は基本自分でできるよう叩き込まれている。だからこそ、こうして侍女もつかずにひとりで広々と入浴ができるわけだ。

 よほどのことがない限り宝物の番から離すわけにいかないので、神官長の連中は私を外に出せはしないが、緊急的に外に放り出されることがないとは言えない。

 

「……その野外任務で」

 

 何かが起こった。

 

 今回は流石に報告を聞いている。

 漆黒聖典の隊長(あのこども)が、敵と相打ちになって死亡したからだ。

 

 つい先ほどの話。漆黒聖典が調査任務から戻ってきた。

 全員ではない。隊長を除いた11人だけが、傷だらけの身体で。

 

 珍しく交戦記録も読んだのは一連のできごとにどこか胡散臭さを感じたからかもしれない。

 

 昨日未明、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の洗脳に向かった漆黒聖典が「白銀の鎧」と「スーツの異形」の密会現場に遭遇。なお破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は「スーツの異形」が「倒した」と証言し、実際その姿はどこにも見られなかった。

 

 「スーツの異形」は自らがぷれいやーであることを「白銀の鎧」に告白。その後「白銀の鎧」が離脱したのち、漆黒聖典へと召喚した怪物を差し向け、交戦を開始する。

 ぷれいやーと名乗るだけあって「スーツの異形」は強敵で、隊員の半数が早々に離脱。残る隊員で奮戦するも決定打は与えられず、そうこうしているうちに蜥蜴人(リザードマン)が乱入。隊員が蜥蜴人(リザードマン)に危害を加えようとしたことで「白銀の鎧」が介入し、隊長とカイレを残して他は全滅した。

 

 あわや完全敗北かと思われたが、そこで「スーツの異形」が自らを「ズーラーノーンの守護神」であると宣言し、「白銀の鎧」を攻撃。

 その隙を突いて隊長が「スーツの異形」を倒すことに成功した。

 

 が、死に際に道連れにせんとした「スーツの異形」の魔法を喰らい、隊長の身体は装備ごと失われ、余波を受けて気を失ったカイレが目を覚ましたときには、「白銀の鎧」も蜥蜴人(リザードマン)共も姿を消していた、と。

 

 細かいところは省くとして、大筋はこんなところか。

 神官連中はズーラーノーンがこの間出奔した元「疾風走破」を手に入れたことで本格的に法国へ敵対行動を開始したと見ている。

 まあ、あり得ない話ではない。あり得ない話ではないが。

 

「どう考えても隊長(あれ)は向こうの手に落ちてるわね」

 

 生きて帰ってきたんじゃない。

 生かされて帰されたのだ。

 

 私は魔法には詳しくない。だがわかる。連中には「それ」をする力があり、だからこそ隊長(あれ)だけが帰れなかった。

 

 他の生き物はつつけば死んでしまうので、その能力をいちいち覚えてはいないが、隊長(あれ)は多少マシだったので覚えている。隊長(あれ)には洗脳の類の一切が効かないのだ。それがタレントによるものだったかはあやふやだが、洗脳(その手)が使えなかったからこそ私自ら隊長(あれ)を徹底的に叩き直したのだから。

 

 つまるところ、戻ってきた隊員にはすべて手を加えられていると見た方がいいだろう。

 もちろん洗脳を受けているかは念入りに確かめると言っていたが、ひとりひとり頭蓋を開けて見た方がいいと言ったのに聞き入れられなかった。軟弱者どもめ。

 

 こちらの手札で解除などできないから放流されたのがわからないのだろうか。

 わからないんだろうな。力がないものには、わからないんだろう。

 

 連中の目的など想像できないし、するつもりもない。わかるのはただ、「遊ばれている」ということ。

 

 まさしく遊んでいる。神官共は忘れたのだろうか。いつぞや土の巫女の間に現れた怪物、私がいなければあれ一体で国ひとつ軽く滅びていたのだということを。

 

 あの怪物が最高戦力なわけもなく、殺せたはずの漆黒聖典をご丁寧にほぼ全員生きて返し、所属も国家もわかっているだろうに追撃の予兆すらない。遊ばれている以外のなんだというのだ。

 

 あれ以上に強い敵がいるはずがない?

 法国の魔法技術を以て解除できない洗脳などあるわけがない?

 

 ほんとくだらない。

 

 神という存在に何ができて何ができないのか誰にも、もしかしたら神にすらわからないのに。

 人間の身でそんなことできるはずがない、なんて散々言われてきたことだ。敵がそうでないなんてどうして言えるのか。

 

「最近は近所と小競り合いしかしてないから忘れたんでしょうね」

 

 どうしようもなく、抗いようのない絶対的な力があることを。

 泣いて喚いて叫んでも、死は等しく誰にでも訪れるということを。

 

 ああ、でも。

 

「面白くなってきたんじゃない? ようやくって感じ」

 

 ぱしゃん、と、湯から立ち上がる。

 窓を背にして湯船から身を乗り出し、蒼いタイルをひたひたと踏みしめた。

 

 召喚者は自身よりも強い召喚獣を喚ぶことができない。

 だが、そうして喚ばれた召喚獣よりも楽しませてくれた召喚者など今まで存在しなかった。

 

 召喚獣を戦闘に使うとなれば専門の魔法詠唱者がほとんどで、召喚獣に隠れて自身が詠唱する時間を稼ぐのが一般的な戦い方である。

 

 故に、召喚獣を一撃で切り捨てられる私からすれば雑魚もいいところの存在でしかなく。

 先日現れた怪物にも特別思うところはなかったのだが。

 

「だから、見逃してあげる」

 

 先ほどから窓のところに生き物の気配がしていた。

 おそらくは小動物。ここの高さを考えれば鳥だろうか。

 

 ケイ・セケ・コゥクを所持した漆黒聖典を転がして遊べる相手ならば、相手に不足はない。警戒網を潜り抜けてここまで入り込んでくる度胸も気に入った。

 

 相討ちなんてしているものか。残っていてくれなければ私が困る。

 いつか私たちが殺し合う(あいしあう)ときまで、万全の状態でいてくれなければ。

 

 根拠を示せと言われるのが面倒で、私自身の見解は神官長たちには伝えていないが、我慢できなければ「お出かけ」を「おねだり」したっていいのだ。

 

「精々楽しませてね。私が手塩にかけた坊やを()()()あげるんだから」

 

 あんなにかわいがってやったのに不甲斐無い坊やだけれど、もしかしたらもう少し面白いものになって帰ってくるかもしれない。

 

 楽しみなことだわ。色々と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ローブル聖王国 

  東城壁 城壁前の原野

 

 

 

 

 

 死なんざどこにあったものか。

 もしかしたら明日かも知れねえし、爺になるまでのさばるかも知れねえ。

 今んところ、くたばってやる予定はなかった。

 

 

 自分でもどうかしていると思うときがある。

 確実に死へと近づく行為であるのに、この瞬間ほど生きている実感を得るときはない。

 

 びりびりと肌に触れる殺気。研ぎ澄まされる感覚。沸き立つ血潮。

 周りのすべてが手に取るようにわかるのに、敵と己しか世界にいないような狭窄感。

 

 これを恋だと錯覚することもあるという。無理もない。女を抱いているときよりもよほど興奮するのだから。

 戦場とは、そんなところだった。

 

 

 じゃりん、と突き出された長槍を剣でいなす。安易に刺されてやるほど間抜けではないし、頑丈な皮鎧は生半可な攻撃では刃を通さないが、蛇身人(スネークマン)が持つ槍には本人の牙から抽出された強力な毒が塗られている。鍛えられたこの身体を殺めるには少々だらしない毒でも、進んで食らいたいとは思わなかった。

 

 夜は深く、月は雲に覆い隠されて、あたりはとっぷりと闇に浸かり。

 故に好機と見て砦へ攻撃を仕掛けてきた蛇身人(スネークマン)の数は十五に届くか否かというところ。

 ローブル聖王国とアベリオン丘陵を隔てる砦にとってはいつものことで、けれども今回はそこそこ切羽詰まっている連中だな、と、敵の喉笛に剣を突き刺しながらそう思った。

 

 佩いている剣はあと六本。突き刺した剣を回収するのは後でいい。ひゅん、と、叩きつけてきた尻尾を気配だけで躱し、おおよその場所を切りつければ、ざん、と確かに断ち切った手ごたえが残る。けれども悲鳴ひとつ上げずに噛み付こうとしてきた蛇頭に、ひっそりと唇の端を持ち上げ、剣一つと引き換えにその胴を両断した。

 

 ふうっ、と吐き出した息に熱が混じる。充満する血の匂いが軽い酩酊を誘う。それが蛇の血に混ざる微かな毒のせいなのか、それとも戦闘の高揚なのか。いまはどうでもよかった。

 次の敵。次の敵はどこだ。次の──

 

「あ"?」

 

 びょう、と風が吹き、雲間から月が顔を出す。照らされた地面には幾つもの死体がへばりついており、立っている敵は見当たらない。

 どうも、襲撃してきた蛇身人(スネークマン)のすべては地に伏しているようだった。

 

「なんだよ、せっかく気分良くなってきたってのに」

「贅沢なこと言わないでくださいよ班長閣下。大変だったんですよこっちも」

 

 ぼやく部下にひとつ肩を竦める。

 夜の戦闘で警戒しなければならないのは敵の攻撃だけではない。足を滑らせる血だまりは見えにくくなるし、暗闇に精神を削られ錯乱した新兵や、……味方との距離感をそもそも測るつもりがない困った班長の攻撃なんかも悩みの種だと聞く。いやあこまったやつだな、だれだいったい。

 

 しかし、と。足元に転がる蛇身人(スネークマン)共の死骸を眺めて、思う。

 

「妙に必死こいた連中だったな。何か聞いてるか?」

「西城壁でもちょっとした襲撃があったらしいですよ。大規模な勢力争いでもあったんじゃないですか」

 

 つまりはいつもの、ということだ。連中もよく飽きないなと逆に感心する。

 

 アベリオン丘陵は多種多様の亜人共がひしめく弱肉強食の大地。生態や生活様式も千差万別で、強者こそが覇権を握る血塗られた丘だ。

 ルールとしちゃシンプルでいいと思うが、弱者にしちゃあ暮らしにくいところなのだろう。そうした抗争に押し流されるように、幾らかの種族がこの砦まで下がってくることも少なくない。

 

 こっちに来たって結果は変わらねえのに、それでも、と思うのだろうか。

 この砦には歴戦の軍士がごろごろいて、俺がいて、何より──

 

 

「っ! 班長!!」

 

 

 部下が鋭い声を上げる。気を抜いていると思ったのか、死体に身を隠し生き残っていた蛇身人(スネークマン)が俺を背後から刺し貫こうと槍を振り上げ。

 

 ひょう、ざすっ、と。

 矢が裂く空気を感じる距離で俺の耳元を掠めていった一撃が、正確に蛇身人(スネークマン)の脳天を射抜いた。

 

「お見事」

 

 そう呟いて砦を見上げれば、篝火に照らされた、すらりと細いシルエット。確実なとどめを確認するまでは、と、手に持つ弓にはすでに二射目がつがえられており、月の明かりだけでこの距離を射抜いたのがあの男なのだと容易に想像がついた。

 

「いやあ、旦那はやっぱ流石だなあ」

「班長閣下、ほんとにバラハ兵士長のこと好きですね」

「うっせ。惚れねえ男がいるかよあの人によ」

「それはそうですけど。後できっと怒られますよ、最後まで気を抜くんじゃあないって」

 

 まず間違いなく訪れるだろうその光景はありありと想像できて、少々大袈裟なくらいのため息を吐いた。

 説教自体はそう苦ではないのだが、あの人の場合、そこについてくる娘の惚気が長いのである。

 

「……?」

 

 さあどうやって逃れるかと思案していると、地面の上で何かがごそごそしているのが見えた。なんだこれ。なにしてやがる。

 目を細めて凝視してみれば、どうやら鳥の形をした生き物が蛇身人(スネークマン)の尻尾を引きちぎっているようだった。よりにもよって旦那の矢が刺さった奴のを。全身真っ黒だから闇夜に紛れて今まで気づかなかったらしい。

 

 おいこら、とこっちが声をかける前に、お目当てのものを手に入れた鳥がまっすぐに砦の方へと飛んでいく。

 あの方向に行くのなら旦那が射落とすか。そう思っていたらなんと、その旦那の腕にとまり、尻尾と引き換えに何やら餌をもらっているではないか。

 

「なんだありゃ。どういうこった」

「娘さんにあげるっつって餌付け始めたらしいですよ」

「はあ?」

「なんでもこういう懐いたかわいい獣がいれば娘さんも聖騎士より弓を使う職業に目覚めてくれるんじゃないかって魂胆だそうで」

 

 そういや最近娘さんが向いてないのに聖騎士見習いをはじめたとか言ってたか。父親に似て目つきの悪……、勇ましい顔つきをしたお嬢さんだったが。

 確かに冒険者なんかは討伐したモンスターの部位を持ってって金に換える職業だが、それを教え込んだ鳥をプレゼントしたところで娘さんが弓の道へ足を踏み入れてくれるかは疑問しかない。

 

「妙に世間ずれしてんだよなあの人も……」

 

 いつもは娘さんの話は長くてうんざりするから敬遠しているが、たまにはからかいに行ってやるか。

 そう思い、ゆったりと砦へ足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  アベリオン丘陵

  バフォルク支配区域 闇小人(ダークドワーフ)の武器商テント

 

 

 

 

 

 死はどこにあるのか。

 いつかは来るのだろうが誰にも許すつもりはない。

 ただ、最期の時まで愉しめればいいとは思う。

 

 

 しゃら、しゃら、しゃら。

 

 濁りのない澄んだ音だ。

 肉を引き裂く音も、骨を砕く音も、戦での雄叫びも好ましいが、静かに酒を飲むならこの音がいい。

 

 砥石で削れるたびにきらめく濡れた刃。鍛冶を、命を吹き込む作業だと言ったのは誰だったか。

 で、あれば。研ぎとは刃を生き返らせる作業なのだろう。淀みなく、流れるような手つきは確かな技量を感じさせる。

 

 これだけの腕ならば、横から眺めているだけでも十分酒のつまみになる。

 気分良く飲んでいたところで、ふっと心地よい音が止まった。

 

「ひとりで勝手に飲みよって。ほれ」

 

 口調はぞんざいだったが、こちらへ剣を渡す仕草は実に丁寧だった。闇小人(ダークドワーフ)がそういう生き物なのか、ドワーフという生き物がそうなのか、はたまたこの男がそういう性質なのかはわからないが。

 

 剣を手に取る。すみずみまで磨き上げられた刃は溜め息が出るような美しさであった。武器折りを技としている以上、己の武器の摩耗もまた早いが、それに倦まず毎度丁寧な仕事をするところを大いに気に入っている。

 

 最初に仕事を頼んだのはまだ角も柔らかな若い時分。部族を束ねる王になった今でも自分の脚で仕事を依頼している。

 すっかり増えた部下たちには、なにも王自ら赴かなくとも、と苦言を呈されることもある。だが、自分が振るう武器が整えられるのを間近で見るのは、何にも替え難い高揚を齎すものだった。

 

「ああ、いい腕だな」

「当たり前よ。儂を誰だと思っとる」

「この豪王の専属鍛冶師だろう?」

「だぁれが専属だ、こわっぱめ」

 

 鍛冶師の(じじい)は、ふん、と大仰な鼻息を鳴らし、一仕事終わったとばかりにごびごびと酒を飲み下す。俺がこの辺りのバフォルクを統べるようになってしばらく経つが、俺のことを未だにこわっぱ呼ばわりするのはこの爺の他にいなかった。他の誰かがそう呼ぶなら八つ裂きにしてやるところだが、不思議とこの爺に呼ばれる分には悪くない。

 爺は、ぶは、とひとつ息をつき、じろりとこちらを睨みつける。

 

「大体、なにが鍛冶師だ。研ぎばかりさせよって」

「気に入りの鋼がなければ剣を打たないのはそっちだろうが」

「クズ鉄で武器なぞ打ったらヒゲが腐るわ」

 

 ずいぶんと雑な嫌がり方だったが、要は矜持の問題なのだろう。作るものの種類にこだわりがない一方で自らが作るものにはひどく真摯だ。気難しいわりに手広くやっている、とも言える。武器、防具、アクセサリーと、この爺以上のものを作る者を見たことがなかった。

 

 性分であり、鍛えた技であるがゆえに軌道修正するつもりもないが、破壊王、と呼ばれるほどに武器を壊すので、そこらへんの鍛冶屋からは仕事を断られることも多い。武器に敬意がないと言われることもあったし、豪王の破壊行為に耐えられる武器はうちでは作れない、と言われたこともある。

 この爺は違った。すぐに壊れるようななまくらを作る方が悪いのだ、と。武器に困るようならまずうちにこい。望み通りの品を作ってやる、と。

 

「今月分の支払いは外に繋いである。後で確認しろ」

「おうよ。この瓶が空いたら見に行く」

 

 支払いは奴隷で。この爺と取引をはじめたときからそうしていた。

 

 どれだけ強さを得て、どれほど隙なく民を統べようとも、ろくでもない奴は一定数出る。そんな罪人の引き取り手としても有難い存在だった。死刑になるよりも酷い顛末だと、抑止力になっているのもいい。

 

 爺曰く、バフォルクの奴隷は捨てるところがなくていい、のだそうだ。

 罪人の扱いに思うところなどないが、少々複雑ではある。

 

「ああ、そうだ。他になにかあるんなら来月までに言え」

「うん? なんだ。遠出でもするのか」

「引退よ。ここは甥っ子に譲る」

 

 唐突な申し出に思わず顔を顰めた。この間まで一生現役だとかなんとかほざいてはいなかっただろうか。

 

「甥っ子にはようく言い聞かせてあるが、なんぞ文句があったら殺す前に儂に言え。叩き直してやる」

「えらく急だな。何かあったのか」

「急もなにも、(トシ)以外になかろうよ。一本仕上がるまで鎚を持ち続けられなくなっちまった」

 

 爺は、寄る年波には勝てねえなあ、とぼやきながら二本目の酒瓶を開けている。なんでもないことのように飄々とした態度であっても、隠しようのない落胆が表情に出ていた。

 老いへの、思い通りにならない自分の身体への落胆であった。

 

「……手持ちの武器をひっくり返さなきゃならんな」

「言っとくがあんまりひでえようだと料金割増しにするからな」

「構わん。言い値でくれてやる。オークの連中から流れてきた酒もつけてやろう。引退の記念にな」

「かーっ! 出し惜しみしよってからに!!」

 

 ひとしきり騒いだあとはもういつものやりとりだ。爺が新しく作ったものや遠くから入ってきた品を一通り見物する。

 

 爺がいなくなると不便になる、という事実の他に、感慨のようなものがないわけではない。

 だが、移り変わりはあるものだ。昨日まで生きていた者が今日死んでいることなど珍しくはない。この土地では、そのようなものだった。

 

「あとは……、そうだな、首飾りか、腕輪を見せてくれるか」

「おう。また戦か?」

「いや。三番目の嫁が子どもを生んだから労ってやりたい」

「そりゃあめでたい。こいつはどうだ。少しだが疲労の軽減がついとるぞ」

 

 爺が取り出してきたのは粒が大きな蒼い宝石の填まった上品な首飾りだった。飾り気は少ないが、三番目の妻は重い装飾を嫌うし、これなら薄灰色の毛皮に映えるだろう。いい品だ。気に入った。

 

 首飾りを受け取っていると、こまごまと積まれた荷物の間を縫って、何やら黒い鳥が跳ね出てきた。薄らでかくて脚が三本。口には紙束を咥えており、それを爺に渡している。

 

「なんだそいつは。非常食か?」

「肉を見れば食い物だと思うんじゃない。これだから亜人は」

「肉は食い物だろう。で、なんなんだ」

「なかなか賢いから助手に使っとるのよ。そのへんのドワーフより賢いぞ」

 

 非常食か? という言葉に反応したのか、黒い鳥は爺の後ろに跳ね隠れてしまう。なるほど、確かに賢い。ドワーフより、というのは言いすぎだと思うが。

 

 爺はしばし俺と鳥を見比べた後、ちょうどいいとばかりにぽんと手を打った。

 

「そうだ、こいつも持っていけ」

「あ? 甥っ子とやらに継がせればいいんじゃないのか」

「あの弱虫はガキの頃クアランベアトの群れにつつきまわされて以来黒い鳥を見ると使い物にならなくなっちまうのよ」

「……お前の跡継ぎはそいつでだいじょうぶなのか?」

「まあなんとかならあな。ほれ、どうする? いるのかいらんのか」

 

 そこまで言うのなら、と試しに買うことにした。ほら今日からあの山羊がお前のご主人様だ、と爺に指された黒い鳥は、しぶしぶ、といった雰囲気を隠しもせずにこちらへ飛んでくる。

 肩先にちょこんとおさまり、ふてぶてしくしている様子をみると、果たして何に使えばいいものか悩んでしまう。本当に言うことを聞くのか、こいつ。

 

 手持ちを研ぎに出すなら一度に持ってくるなよ、と叫ばれつつ、爺のテントを出た。外に出ても黒い鳥は飛び去ってしまうことなく、けれども相変わらずどこか不遜な様子である。

 

 ……まあ、いいか。

 

 七人目の子供も生まれたことだし、遊び相手につけてやってもいいだろう。役に立たなければ食ってしまえばいい。

 羽は大きいが食いではあるんだろうな、と観察していたら、とてもとても嫌そうにこちらを睨んでくるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  リ・エスティーゼ王国 王都リ・エスティーゼ

  ロ・レンテ城 大回廊

 

 

 

 

 

 死とは、どこにあるのか。

 生に執着しているつもりはないが、粗末に扱うことも許されない。

 この命は、あの方のために使うものなのだから。

 

 

 なんでもして差し上げたいとは思っている。

 

 雨の日には傘をさし。雪の日にはあたたかい毛布を掛けて。

 泥の上を歩くのなら抱き上げて歩きたいし、傷つけるものがあればこの剣で守ってさしあげたい。

 

 自分のことを強いとは思わない。できないことより、できることを数えた方が早い。

 それでも、あの方のために。できる限りのことをしたいと、そう思っているのだ。

 

 だが、人間には得手不得手というものがある。

 

 努力してもどうにもならないことがいくらでもあるし、努力している方向性とまるで違う能力を求められることだって多々ある。

 

「おや、クライム。あの化け物のところに顔を出しに行くのか」

 

 ……いま、このときのように。

 

 廊下の端に身を寄せ、敬礼と共に伏せていた顔を上げる。

 雲の上の、というよりは。かつては存在すら知らなかった方々だ。薄汚れた裏路地で死にかけていた時は、こんな世界があることすら知らなかった。

 

 長身痩躯の男性、レエブン侯爵を背後に連れた小太りの……、ふくよかな男性。

 ザナック殿下。主君、ラナー様の異母兄弟であらせられるお方。

 

「殿下。恐れながらラナー様は決して化け物などではありません。心優しく美しい、王国の宝とも言えるお方です」

 

 不敬とわかっていても、挑発だとわかっていても、そう答えざるを得なかった。

 

 優しいお方なのだ。民の為に心を砕き、次々と新しい政策を考案するも、それをくだらない貴族の軋轢につぶされて苦しんでおられる。

 そんな方を、化け物と呼ぶなど、とうてい見過ごせることではない。

 

 当然反論があるのだろうと身構えていたが、やけに長く続く沈黙にふと正面へと視線を固定する。

 ザナック殿下は目を細め、丸い顎に手を当てて何やら考え込む仕草をしていた。なにごとかを、面白がるように。

 

「ふむ。その様子だとお前、知らないと見える」

「……? 何を、でしょうか」

 

 にたり、と音が出そうなお顔で殿下が笑う。ご兄妹だというのに、ラナー様とは似ても似つかない。

 邪悪ともいえるその笑みが、何やら良くない報せの前触れであることは疑いようもなかった。

 

「最近あいつの部屋から話し声が聞こえるともっぱらの噂でねぇ。お前がいるのだから不思議なことではないと思っていたのだが、どうも相手が違うらしい」

 

 いっしゅん、何を言われているのかわからなかった。

 

 どれだけ呆けた面をしていたのだろう。ぽかりと口を開ける俺を見たザナック殿下は、耐えきれないといったように咳のような笑い声をこぼし、ひらりと手を振ってそのまま歩き去る。

 

「それとなく聞いておいてくれ。新しいペットでも飼ったのか、と」

 

 

 自分が、そのまましばらく立ちすくんでいたのだと気づいたのは、耳に痛いほどの沈黙が足先までひたひたと染み込んでからだった。

 

 ザナック殿下方の姿はとうになく、通りかかったメイドがいつもの蔑みに訝しさを混ぜた視線を寄越してくる。ふらりと出した足は鉛のように重かった。

 

 いつか、こんな日が来るのではないかと、考えたことがないといえば嘘になる。

 

 不思議だとは思っていた。なぜ自分なのか。あのお優しいラナー王女が、なぜ自分だけを拾い上げ、傍に置いてくださっているのか。

 

 ザナック殿下のあの仰りようでは、メイドやご友人と歓談の類をしていたというわけではないのだろう。

 あるいは、ラナー様が誰かと話していたという事実などなく、ザナック殿下に揶揄われているだけなのかも知れなかったが、さすがにそこまで暇なお方だと思い込むのは不敬が過ぎる。

 

 自分にできることは少ない。突出した強さも、有り余るほどの財力も、尊い血筋も。何一つ持たなくても、それでもラナー様に見いだされたからには、何がしかの価値が自分にはあるのだと思っていた。自惚れではなく、ラナー様を信じるからこそ。

 よもや、憐れみや同情だけで人ひとりの人生を拾い上げることなどするまい、と。

 

 まだ捨てられると決まったわけではない。

 ラナー様はとかくお優しいので、今日から仲良くしてね、と言われることはあっても、あなたは明日から来なくていいわ、と言うお姿は想像ができなかった。

 

 そう、御身の周囲を固めるための人員を増やすというのなら、それは良いことだと思う。

 ラナー様を疎む人間のことは理解できないがどうも少なくはないようだ。ご友人のラキュース様や青の薔薇の方々、そして自分だけでは確実に守り切れると言いきれない。

 国王様もラナー様をよく気にかけておられるのは自分からみてもよくわかるが、表立って味方をすることができないのを歯がゆく思われているようでもあった。

 

 それとも。あの方に相応しくあろうと心がけてきたが、他の相応しいものを、と勧められることでもあったのだろうか。

 ラナー様が難しいお立場にある方だというのは重々承知している。ご本人の意思は関係なく、それを強いられることがあったのかもしれない。

 ラナー様が俺を手元に置いておられるのは、ラナー様自身の御意思によるものだと、思い込みたいだけなのかもしれないが。

 

 あるいは、これは考えたくないことだったが。

 お心を壊されて、おひとりで会話をなさっておいでなのではないか。

 

 それは、ある意味では捨てられるよりもずっとつらいことだった。

 

 ラナー様はお優しく、善良で、そして強いお方だ。

 肉体的に強いということではもちろんない。幾度壁に阻まれようと、弛まず民を思って提言を続けるあのお方が、強いものでなくてなんだというのか。

 だからといって、ラナー様が傷つかないわけでは決してない。何者かが放った心無い言葉が、ラナー様のお心を深く刺してしまったのだとしたら。

 

 その方が。

 ずっと、ずっと。耐えがたかった。

 

 

 悶々と考え込んでいるうちに、いつの間にか見慣れた扉までたどり着いてしまったことに気がつく。幾つかの可憐な花が彫り込まれた装飾は華美だがくどくはなく、中に住まわれる方のお人柄をよく表している。

 ラナー様のお部屋だ。周囲に王の目がないときには、ノックをしてはならないと仰せつかっているので、開けるときにはいつも緊張するが、今日のこれはいつもの比ではない。

 

 息を吸って、吐いて。震える指先をドアノブにかけた。

 ひどくゆっくりとノブをまわし、鋼鉄の城門を開くかのような重々しさで、扉を開く。

 

 高鳴る心臓とは裏腹に部屋の中はとても静かで、窓辺には我らが敬愛する黄金の姫君が、淑やかな佇まいで腰掛けていた。

 他には誰もいない。お一人きりだ。

 

「あら、おはよう。クライム」

 

 その微笑みはいつも通り、否、俺に思惑があるのを見透かすかのように美しく、金糸の如き髪が陽の光をとりこんできらきらと輝いている。

 

「おはよう、ございます。ラナー様」

「……どうかしたの? クライム」

 

 平静を努めるよう気を張ってはいたが、敏い姫君に拙い隠し事など通用しなかったらしい。

 自らが傷ついたようなお顔をしてこちらまで駆け寄り、はっきりと表情がわかるような傍まで近づいてくる。

 きゅ、と眉尻が下がったかと思うと、宝石のような瞳がそっとこちらを覗き込んできた。

 

「……また、お兄様になにか言われたのですか?」

「いえ! その、……特には」

「言いにくいのはわかります。けれども抱え込まないで、クライム。大丈夫! これでもお兄様をおしおきできるくらいの力はあるんだから!」

 

 ふすん、とかわいらしく両手を拳にして、本人的にはとても厳かに宣言なさっているのだろう。そのお姿はわざとらしくおどけていても、無理をしていたりお心を壊しているようには見えなくて、ほっと息を吐く。

 

 ラナー様の考えるおしおきはさぞ可愛らしいものだろうなと微笑ましく思ったが、誰かを傷つけることを厭うラナー様から「おしおき」という言葉を引き出してしまったことにじくじくと胸が痛んだ。

 

 聞いてしまうのなら、早い方がいいか。

 鋭く息を吸い、目を閉じて、開く。

 

 意を決し、言葉を紡いだ。

 

「噂、ということなのですが……、その、ラナー様のお部屋から、話し声が聞こえてくる、と……」

 

 はなしごえ、と、ラナー様はあっけにとられたようなお顔で復唱なさると。

 そのうつくしいかんばせをじわじわと赤らめて、そろりと目を泳がせた。

 

 それは初めて見るような主君の変化で、冷静になるべく重ねていた心の防壁を簡単に打ち砕いてしまう。

 

「……っ、ラナー様?!」

「……ごめんなさい、怖がらせてしまっていたのね」

 

 そうしてこちらの手を取り、窓際まで移動する。

 

 人差し指をバラ色の唇に押し当てて、内緒ですよ? と、ささやきながら。

 今の今まで目に入っていなかった、机に置かれた何か。その上にかけられていた、艶やかな布をするりとすべり落とした。

 

「……とり?」

 

 自分でもどうかと思うくらい間抜けな声がこぼれ落ちる。

 

 そこにあるのは鳥かごだった。中に入っているのは立派な黒い鳥で、赤い目に三本足の様相ははっきり言うと魔物然としていたが、特に人見知りや威嚇をすることなく、理知的で涼やかな面持ちのまま佇んでいる。

 

「言葉を話すようになると聞いたので頑張って話しかけていたのですけど。ちっともうまくいかなくて」

 

 ラナー様ははにかむようにそう言って、そっと手のひらを頬に添える。その姿があんまり可愛らしく、自分の不安がどれだけ馬鹿げていたのか思い知らされて、かくりと力が抜けてしまった。

 

「クライム?」

「いえ、いいえ。……ええと、賢そうな鳥ですね」

「そうなんです! すごく賢いんですよ!」

 

 きゃらきゃらと嬉しそうにほほ笑む彼女は本当に美しくて、まるで宝石でできた花のようだった。

 

 願わくばいつまでもこの笑みが続きますように。

 いるかもわからない神様に、強く願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かわいいでしょう?」

 

 

「あげませんよ、私のです」

 

 

「まあ、ふふふ。ひどい方!」

 

 

「うふふふふ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ナザリック地下大墳墓 第十階層

  最古図書館(アッシュール・バニパル) 製作室

 

 

 

 

 

「……()く失せるがいい」

 

 

「貴様が、貴様そのものの思惑で動いていようが、あれの思索の通りに動いていようが私はどちらでも構わんが、作業を阻むことは断じて許さん」

 

 

「同じようなものの顔をしてすり寄ってくれるな」

 

 

「私とお前では何もかもが違うのだ」

 

 

「職務の遣り口も媚の売り方も私では参考にならん。他を当たれ」

 

 

「いっそ職務の拒否でもしてみたらどうだ」

 

 

「あの男なら泣いて喜ぶだろうよ」

 

 

「……なに?」

 

 

「死は何処にあるか、だと?」

 

 

「……くだらない」

 

 

 

 

 

「我々はもう死んでいるのだ、召喚獣八咫烏」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




八咫烏の居どころまとめ

1.ヘジンマールくんのお友達(仮)
ドラゴンが本読んでる……と思って近づいたらなんか懐かれた。
中々深刻にふくよかなのでそのうち成竜病とかになるのでは? と日々観察している。

2.バハルス帝国の籠の鳥
捕まったのはもちろんわざと。
でも時々やってくるお爺ちゃんの目が怖いので逃げ出しも視野に入れている。

3.女王陛下の伝書烏
ビーストマンの大侵攻はもう少し先の話。
ビーストマンの食文化に対して特に思うところはないので、実際首都まで乗り込んできたら見捨てる気満々でいる。

4.通りすがりの黒い鳥
地形情報を集める係なのでマジでただの通りすがり。
この後カッツェ平野の幽霊船を見物したり海の底の都を見学したりする。

5.法国でギリギリの様子見
(覗きじゃ)ないです。武装を解除した相手とお話できそうな窓がここしかなくて……。
力のないものが緻密に行った考察より力あるものが雑に下した推測が正解に近いときがある。上層部とお嬢さんで見解が違うようなので上層部の混乱も見てみたいと思っているところ。

再三言うようですが「漆黒聖典の隊長に洗脳が効かない」というのは弊小説の捏造ですのでご了承をば。

6.パベルさんのペット
この世界の宗教について知りたかったので砦を拠点にした。
暗殺者みたいな顔のお兄さんがくれるビスケットはスパイスが効いて甘くないので美味しくいただいている。

7.バザーさんの非常食
細工物の行商に興味があって近づいたのに山羊さんに売り飛ばされてしまった。
亜人文化にも興味はあるけどなんとなく食われる確率が上がりそうでちょっと嫌。

8.ラナー王女のお話相手
もはや王国の事情は古参の貴族よりもよく知っている。
王女様に純朴な男性を適所で使わず飼殺すところ父親とそっくりだよ、とはまだ言えてない。

9.司書長とご対面
外に出るような用事ももうないし暇を持て余し中。
でも中にいてもやることがないのでリザードマンの集落に連絡係として放たれる予定。


次回から新章にはいります。エ・ランテルのとある人視点予定。
今しばらくお待ち下さい。



16巻の巻末御方が圧倒的大差をつけて死獣天朱雀さんになってしまい戦々恐々としています こわい

先んじて宣言しておきますが、仮に本作が完結する前に16巻が発売されても本作における死獣天朱雀さんのビジュアルやストーリーを変更するつもりはありません 「朱雀さんがこういう人だったら」というifストーリーのつもりで読んでいただければ
ただその場合さすがにオリ主タグをつけた方がええんやろかと考え中 どないしょ
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