私に友達ができないのはどう考えても幻想郷が悪い   作:puripoti

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第11話 Love me

 お天道様が沈みゆく、茜の色に染まった小路を風見幽香が(そぞ)ろに歩む。

 

 夕焼けの中、軽やかに歩む典雅な美貌に浮かぶのは、(わらべ)のように無邪気な微笑み。傍目には、大禍刻(おおまがとき)に咲き誇る妖しく不吉な花の精にしか見えなかったろうが。

 幽香は西の空へと目をやった。視線の先の、遥か彼方のその向こう、今日一日の勤めを終えたお天道様が、ゆったりその身を横たえなさる。

 

 花の女が微笑した。安らかな笑い方であった。

 

 風見幽香は今このとき、心底楽しくて仕方がない。昼と夜とが交じり合う、どこか曖昧な空気を孕んだ黄昏の世界。幽香はそれが、誰より好きだったから。

 昇る陽を好むものはいても、沈む陽を好もうとするものはいない。殷賑(いんしん)を極める者ならなおさらだ。日差しの下に住む人々にせよ、夜闇の中に棲まう妖怪にせよ、己の浮沈を脳裏に思い描いて、いい気分でいられるものは少ない。しかし、それでも幽香は黄昏どきの世界をこそ、ひたむきに愛した。去りゆく夕陽を追いかけて、どこまでも歩いてひたすらに歩き通して果てもなく歩き続けて、そのままあてどもない旅に出てしまったこともある。

 

 こんな自分はきっと、どうしようもなく“へそ”が曲がっているか、さもなければ救いようもないアマノジャクなのだろう。だとしても、目を離せば“はらはら”と、指から零れていくこの僅かな刻が美しく感じられて仕方がない。

 

 時は誰そ彼、夕映えの茜が宵の蒼へと移ろい変わる。静やかに下ろされた夜の帳の中、はばかるような蜩の鳴き声が幽香を包む。

 

 沈む夕日。この世にただ一人で残されたかのような静けさを伴に、ひっそりと訪れ、またひそやかに消え去る、夏の夕暮れ。

 

 その美しさに心奪われ、

 

 しばし、たたずむ。

 

   *

 

 幽香が帰宅したのは、“とっぷり”と夜も更けた頃のことである。

 

 途中、禿頭に長く伸びたヤギのような顎鬚(あごひげ)という、お伽噺の仙人みたいな風体をした職漁師の老人に出会ったので、丁度釣れたばかりだという鮎を数匹と(すずき)を買った。これが今晩の夕餉となるわけだ。本当なら、夜道でよく出会う夜雀が引いている屋台で、適当な鳥の肉でも分けてもらってチキンブロスを作るつもりだったのだが、気がつけばこれを買っていた。理由はよくわからない。

 

 食材をひとまず台所に置き、調理前に手を洗うために外に出た。家の脇に設けられた井戸(幽香が掘ったものだ)から木桶で水を汲む。

 

 水を湛えた桶を手にした幽香は、そこでふと、動きを止めた。水面に月が映っている。今夜は満月であったらしい。

 すぼめた手を桶に潜らせ、水面の月を手に取る。(たなごころ)の中、人魚の流した涙のごとき月の影が白玉の輝きを放って波打ち泳ぐ。

 

 幽香は何かを思いついた様子で桶を置き、家の裏手にある物置へと足を運んだ。

 

   *

 

 せっかくなので行水もつかい汗も流すことにした。熱砂吹き荒ぶ砂漠のど真ん中に終日過ごしたところで、汗の玉ひとつ浮かばせばせない女がそんなことして、何の意味があるのかはさておいて。

 

 新たに用意した、大の大人が余裕で入れるくらいにでかいタライに冷えた水を注ぎ込む。程よいくらいに水を足したところで桶を片付け、代わって体を洗うのに使う道具をまとめたラタンの籠を持ってくる。

 服を脱ぎ、先程のラタンの籠の中に入れる。なぜか大量のリボンやフリルをあしらった、やたらと少女趣味な服が先に入っていたが、気にはしないことにした。

 

 一糸纏わぬ姿となった幽香は大ダライの中に足を入れ、身を沈めた。ちょうど腰が浸かるくらいに水を入れたはずなのだが、量を間違えたらしく水位がやや上のところに来ていた。もちろん、気にはしないし気にならない。

 水をすくい、体にかける。よく冷えた水が肌の上を滑っていくのは、格別の心地よさであった。梔子の花さえ及ばぬ白い肌に弾かれた水滴が、玉を結んで月光に白々と煌めいた。

 

 ひとしきり涼を満喫した幽香は、水を含ませた糸瓜を手に取って体の隅々まで清めていった。どうせ血が出るほど体を擦ってみたところで微塵の垢も出るわけではないのだが、なにごとも雰囲気というのは大事である。身を清めているという気分が味わえればよいのだ。

 

 しばらくすると幽香の口から、歌が流れてきた。月明かりを集めて作った水晶を打ち鳴らしたような歌声が、夜気に溶けて染みわたる。

 

 月 月 青い月 その力のひとしずくをわたしの胸に───

 

 今日一日の埃を水に洗い流し、花の女が上機嫌の態で歌を口ずさむ。天を仰いではるかに高く、煌々と輝く青い月の下、まさしく月下美人の精とも見紛う麗姿であった。

 

 しかし、一人きりで入っているはずなのに妙に手狭な気分なのだけは、いただけない。

 

   *

 

 行水を済ませた幽香は、さっそく料理にとりかかった。

 今日の夕餉は鮎の塩焼きと鮎飯、ついでに鱸の洗い。鮎はすべて塩焼きにしてしまうつもりだったのが、気がついたら半分ほどが鮎飯になっていた。これはこれで嫌いじゃないのだけれど。

 

 二人分の食事と食器をテーブルに並べ、幽香は一人静かに誰に聞かせるでもないはずの食事の挨拶をした。

 

  *

 

 どうやら自分の家に『座敷わらし』がいるらしい。

 

 座敷わらし───気に入った家に棲み着いて、その家人に幸やら福やらを運んでくると云われる妖怪である。

 その性質もあってか、自分で勝手に人間の盟友を名乗っているだけの河童と違い、こちらはむしろ人間から好かれるという珍しい妖怪だ。ただし、それはあくまでも人間の側から見た場合であって、当の座敷わらし達がどう思っているかまでは不明なのだが。油は水と交わらない。

 

 手にした詩集───『ルバイヤート』───のページをめくった幽香は、酒を満たしたクリスタルのグラスを手にした。なんだか今日は、あちらこちらで呑んでばかりな気がしないでもない。

 

 半分ほどを一息に飲み干し、肴に手を伸ばす。用意したのは夕餉で残した鮎と、家の脇にある菜園で育てている枝豆、夏野菜のスティックピクルスである。

 自分では用意した憶えのないどころか、いつ漬けたのかも判らないピクルスの中からニンジンを摘みとり、齧る。美味い。程よい漬け具合に酒も進む。

 

 グラスを手にしながら幽香は思い出す。あれは確か、季節の巡りを二つか三つばかり遡った冬の頃、博麗神社の辺りで間欠泉が湧きだしたときのことであったろうか。その時期を境にして、彼女の住処(現在の時期に住んでいるものとは別の場所だが)に姿の視えぬ同居人が居付くようになったのは。

 

 幽香がそれに気付いたのは、わりと早かった。自分が飲み食いした酒や食料の量や、洗濯物の数が一致しない───それに“違和感を全く覚えない”という《異常》に、逆説的なかたちで気が付いたのだ。

 

 やがて季節が変わり、春の住処に居を移しても姿なき同居人は“そこ”にいた、ような気がした。

 声は聞こえず姿も見えず、しかし確かに“誰か”いる。そこから真っ先に連想したのが座敷わらしという結論だった。思い至っても、構うのも面倒くさいので放っておいたのだけれど。

 

 空にしたグラスへ酒が注がれた。

 

 テーブルに置かれたグラスは自分のために用意したものと、向かいの席に置かれたものの二つ。 当然のように向かいのそれにも酒は満たされているのだが、幽香には注いだ憶えはない。無意識のうちに注いだか、あるいは“勝手に注がれた”のだろう。

 向かいのグラスの脇には二冊の文庫本。内、一冊が真ん中らへんまで頁が捲くられている。タイトルは『ドグラ・マグラ』(ちなみに上巻。もう一つは同下巻)。今日、ネズミの少女から買い求めた品だが、勿論、幽香は読んでいないし、そもそもこんな趣味の合わない本を購入しようと考えたことさえ無い。それなのに気がついたら手にしていたのである。折角なので、気が向いたら読んでみるつもりではあるが。

 

 それが一体いつになるかは知らないけれどね。幽香はグラスを手にして目の高さにまで持ち上げ、そこを透して映る若草の色に染まった世界を覗きこんだ。

 春に芽吹いた新緑を思わせる色が美しい、ニガヨモギを主な原料とするその酒は、やはり幽香が自前で仕込んだものだ。強く麗しい酒精と独特の香気、そして魔性の毒によって過去には多くの人々を蠱惑し、あるいは破滅に誘ってきた“悪魔の酒”。とはいえ妖怪、それも幽香にとってはただの味付き色水でしかないが。

 

 テーブルの脇には小さなランプが置かれ、部屋の中を粛々と照らしている。青銅の基部に磨いた水晶の薄片をはめ込んだ、華美さはなくとも積み重ねられた年月を見るものに否応なく感じさせる“それ”は、ここに───幻想郷に訪れるよりもはるかな昔に、これまたはるか西方の旅先で幽香が手に入れたものである。マッチほどの火種を置くだけで、三千世界を昼間のごとく照らし出すことさえ出来るという至極便利な品物で、元はどこぞやの灯台で灯火として使われていたのを、幽香が一目で気に入り貰い受けたのだ。ただし許可は得ていないが。ちなみに、その気になれば国一つを丸々焼き払うだけの出力を得ることも可能で、昔一度だけ使い方を誤ったことによって大変なことになったことがある。

 

 それはさておき、幽香の家に棲み着いているらしい座敷わらし(ではないかと思われる何者か)だが、こいつは基本的に何もしない。本当に何もしない、してくれない。悪さをするわけではないが、その代わり良いことだってしやしない。

 

 できる事といえば、その日の食事の献立を自分の好きなもの(献立からすると、どうやら和食派)に変えたり、洗濯物を増やしたり、本棚に置かれた書籍を読み散らしては並びをめちゃくちゃにしたり、ベッドやタライを占拠して寝心地居心地を悪くするくらい。そしてタダ飯タダ酒食らって飲んでは“ふらり”とどこかに消え失せる。御利益や幸を運んでくるどころか、どう控えめに云っても穀潰しである。もしかしたら貧乏神の類なのではないかとさえ幽香は疑っている。まあ、目にも視えなきゃ物音さえ立てないので、目障り耳障り癇障りとならないだけマシではあるのだが。

 

 そんな迷惑とまでは言わないが、居てもらったところで微塵も嬉しくない厄介者の世話を焼くようなことをなんだってしているのかといえば・・・それは幽香にも判らない。なんでか知らないが気が付いたらそうしているので、構わずにいるという選択肢が存在しないのだ。

 

 おそらくだが件の“座敷わらし”というやつ、実際には幽香にも視えているし存在を認識してはいるのだろう。しかし目を離すか意識しないでいると、すぐさまその記憶を忘れてしまうのだ。そしてこれまた推測ではあるが、それは座敷わらしとしての能力というよりも、それくらいそいつの存在が薄いせいだからなのではなかろうか(そうでなくとも、他人の家に勝手に上がり込んでタダ飯を食う程度の能力を有しているのだけは間違いなさそうだが)。“いてもいなくてもいい路傍の小石”みたいなやつと喩えることができるかもしれない。

 

 ふと思いついて、幽香は目の焦点を外してみた。そして、ぼやけた視界から意識を外してみる。その間、何も見ようとも感じようともしない。ただ、目の前の光景が“ある”だけ。視線からは意味が奪われ、瞳は用をなさず、眼球はただ眼前の光景を映すだけの装置と成り果てる。

 

 すると、テーブルを挟んだ向かいに、見慣れない少女らしき姿が───

 

 視えたと意識が捉えた途端に、それは散らばる雲か消えゆく霧のように“はかなく”なってしまった。同時に、幽香の記憶からも先ほどの光景が忘れ去られる。目の前には誰もおらず、薄暗い室内には幽香が一人きりである。まるで最初からそうだったように───いや、最初からそうだった。

 

 まあ、そんなものでしょうね。

 

 特に思うところもなく、幽香はグラスを紅薔薇の蕾のような朱脣へと運んだ。酒瓶はとうに半分を切っている。幽香も大概“うわばみ”だが、姿なき座敷わらしも相当な“のんべえ”であるらしい。さっきまで満たされていたはずの向かいのグラスはいつの間にか空になっている。それを今更、不思議がりもせず、幽香はあらためて酒瓶を手に、グラスに中身を“なみなみ”と注いでやった。

 

   *

 

 そろそろ、眠るべきかしら。口元を押さえ、幽香は“つつましやか”な欠伸をこぼした。

 

 実際のところ妖怪にとって睡眠も食事も、そこまで大事なものではないのだが。なにせ『眠る』という行為そのものへの意味合いが人間や動物とは違うのだ。飲まにゃくたばり食わにゃお陀仏眠らにゃおっ死ぬ人間と違い、その気になれば妖怪は飲まずとも喰わずとも眠らずとも、“死ぬまで死なずに”いることができる。幽香の場合、やらないのは単に“その気”になれないからだ。霞を食うよりご飯を食った方が美味しいのは誰だって当たり前。睡眠にしても、今のところは眠っているより起きている方が楽しいことが多い。そもそも、眠ったままでは本が読めない。

 

 彼女以外の妖怪の場合はどうなのかは知らない。興味もない。聞いた話では妖怪の中には年の半分以上を寝て過ごす奴もいるそうだが、おそらくそいつは現世よりも夢の世界でこそ生きがいを見出しているのか、あるいは夢と現の《境界》さえをも“あやふや”にしてしまっているのだろう。どうでもいいけれど。

 

 幽香は金糸で編んだ栞を詩集にはさみ、立ち上がった。

 空になった食器を台所に持っていき、流しに置かれている桶に溜めてあった水に漬けておく。洗うのは明日でいい。そしてテーブルに置かれた書籍をすべて本棚に仕舞う。もちろん、すべての書籍に栞をはさんでやるのも忘れない。

 

 寝間着に着替えた幽香は、ランプを消してベッドに潜り込む。粗末な寝具の端っこに身を寄せ、もう一人分が横になれるくらいのスペースを空けてやり、枕に頭を沈める。

 

 おやすみなさい。誰に言うでも聞かせるでもなく、幽香はつぶやき目を閉じた。

 

   *

 

 ほどなくして、窓から差し込む月明かりが密やかに照らす室内に、規則正しい寝息が聞こえてきた。

 

 ベッドに横たわるのは、月光を糧に咲いた花の姫君がごとき女が一人きり。

 

 その寝姿はどこか、目に見えぬ誰かと仲良く抱き合っているように見えた。

 

   *

 

 風見幽香の朝は相変わらず早い。

 

 いつものように空も白まぬ内から目を覚ました幽香は、いつものように上体を起こしたベッドの上でいつものように身じろぎもせずいつものように“ぼけーっ”としていた。

 

 そこまでは“いつものこと”なのだが、今朝は少しだけ違ったらしい。

 

 幽香は寝間着に身を包んだまま、ベッドの上で“すんすん”と鼻を鳴らした。餌の匂いを嗅ぎつけた猫か犬のような仕草である。この女、花の妖怪のはずだが。

 

 普段なら届かぬはずの匂いを嗅ぎ取った幽香は、その源を求めてさして広くもない家の中へと視線を彷徨わせた。

 すぐに見つかった。行き着いた先は部屋の真ん中に置かれたテーブルであった。そこにはいつの間に用意されたものか、飯を盛ったらしい茶碗や料理を盛った皿が置かれていた。もちろん、幽香はこんなものを作ったりはしていない。

 

 普通ならば、その異常さに不審なり気色の悪さを抱くなりするのであろうが、そこは風見幽香である。顔色ひとつ変えず、いつものように“もぞもぞ”と這いずるようにしてベッドから出て、着替えをはじめた。

 

 いつものように手早く身支度を済ませた幽香は、ここだけはいつものように食事の支度をすることはなく、そのままテーブルに向かった。今朝の献立は小ネギを散らした白粥に、葱をたっぷりと混ぜ込んだ炒り玉子。それに香の物がいくつか添えられている。

 

 どうせならオムレツが食べたかったな。“のんびり”した口調でぼやきながら幽香は椅子に座った。向かいの席にも、当然のように食事の支度がされているが、いまさら気にはならない。

 

 いただきます。両手を合わせて行儀よく挨拶ひとつ。幽香は箸を手に取った。




 登場人物(人と物、ついでに人外)

風見幽香

備考───和食派というわけではないらしい。

職漁師の爺様

備考───絶対タダモンじゃねーだろ、このお爺ちゃん。

糸瓜

備考───私はへちまになりたい。

ピクルス

備考───キュウリとニンジン、あとオクラ。

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