「はぁ……っ……はぁっ!」
完全な闇に覆われたとある建物の中を、一人の女が走っている。
その背中に負われているのは、使いこまれてボロボロにくたびれているライフルだ。
女は息を切らしながら階段を駆け上がり、屋上へと続くドアを蹴破る。
このあたりに、小型クリーチャーはほとんどいない事を、女は良く知っていた。故に、音を立てる事に躊躇いは無い。
いや、今はそれより――
「くそっ! なんだあの化け物は!」
いつもどおり、稼いで頂いてきた弾薬や資材で本拠地周りを補強していた時に、それは現れた。
どこに隠れていたのか知らないが、ここらの低い建築物程度の大きさは持っていた巨大なケーシー。
少し前まで、女はその巨大ケーシーと交戦していた。とりあえず、とどめを刺すつもりは無かった。
まずは負傷させて逃がし、その隠れていた住処を暴くのが彼女の目的だった。
なにせ、大きさはケタ違いとはいえ見た目はケーシー。群れる事で知られているクリーチャーだ。
確かにこの辺りはケーシーの群れがいくつもあり、彼女がそれを駆逐していた。
拠点のすぐそばがクリーチャーだらけだなんて、この時代では当たり前だが、その状況を好んで受け入れる馬鹿はいない。
だから少々やっかいでも、周辺の掃除になるのならばと女は戦っていた。
そしてその戦いはすぐに終わった。
ちょうど自分の拠点の方から猛烈な勢いで襲いかかって来た、更に巨大な脅威によって。
「くそっ! せめて私一人ならともかく……っ!」
元々ここは土地の平らな立地だ。旧時代の住居や店舗の廃墟によって視界は遮られているが、ちょっと高い場所に登れば大体見渡せる。――本来ならその前に、『昼間なら』という言葉がつくのだが、今回にいたってはその必要がなかった。
これまで見た事のない小さなキャンプファイヤーの光、そして響く銃声と轟音によって彩られたステージが眼前に広がっている。
そして――燃え盛る奴と、奴を相手に戦っている人間達の姿も。
「なぜ、ここに人が来ているんだ!!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「キョウスケ! さすがにもう限界だぞ!」
バリーに言われなくても分かっている。
まだ稼働しているタレットはわずか数機。たった今、さらに一台が静かになった。
痛む右目を押さえながら立ちあがって周囲を確認するが、生きているのか死んでいるのか分からない倒れた仲間が多くいる。
(くそが! いい加減一度くらい逃げ出してくれてもいいだろうが!!)
せめて今夜を乗り切れれば、明日からは電力をある程度自由に使えるようになる。
弾薬の問題はあるが、防衛線を縮小して弾薬を一度纏めればなんとかなるだろう。――今夜さえ乗り切れれば。
「ジェド! 投げ物はあるか?!」
「そこに落ちてる
銃弾だけでは中々倒れないクリーチャー……例えばそれこそケーシーなどに対してもっとも有効とされているのは、燃やす事。そしてもう一つが出血させることだ。
出血といっても、ちょっと怪我をさせた程度では意味がない。
常にドバドバ血を流し続ける程深く傷を付けるか、あるいは注射針のように中が空洞の矢の側面に穴を開けた物などを打ち込み、常に出血している状態にするかだ。
前者に使うのが
「くそったれめ! あんだけ燃やしてんのに元気いっぱいとかどんだけ腕白なんだよ!」
「ジェド、槍は刺さってるか?!」
「見りゃ分かんだろ! 片っぱしから弾かれてんよ!!」
完全に弾が切れたのだろうライフルをそこらに放り投げ、手の皮が剥げながらも必死に投槍器で尖らせ、鋭くした鉄パイプの投げ槍を投げ続けているジェド。
(くそっ……まじでどうする!)
狙撃には失敗した。やはりというか、あの小さなポイントを激しく動き回る中で当てるのは無理だった。
狙撃がそれほど得意ではない自分ならば尚更だ。
「バリー! まだ動ける奴はどれくらいだ!!?」
こちらの動きを見て、それが最善手だと思ったのか、バリーもデカブツの顔めがけて銃を撃ち続けているが、暴れまくっているため眼球には当たらず、牽制止まりだ。
「周りにいるのは10とちょっとだ! 後は分からねぇ!!」
「最悪もいいところだなクソッタレ!!」
唯一の救いがあるとすれば、もっとも守らなければならない工場跡に異変が見られない事だ。
もし襲撃があったら即座にそれを知らせるように信号弾は持たせている。
それに向こう側からタレットや自警団の銃撃音は聞こえてこない。
多分、大丈夫だ。
また変なトラブルが入っていない限り。
「しょうがねぇ……っ!」
色々考えてみたが、どうやってもコイツを倒すだけの策が思いつかない。
工場跡に配備している連中を呼んで畳み掛ける事も考えたが、例えそれで上手くいったとしてもこれ以上の弾薬消費は拙い。最低限の防衛力すらない拠点とか拠点じゃない。ただの餌場だ。奴らに対しての。
不幸中の幸いは、ここら一帯のクリーチャーがかなり減っているという事だ。
「おいバリー、ジェド!」
「なんだジャパニーズ!!」
策が見つかったのかという期待を声に滲ませるバリーに、頷いて見せる。
「一旦攻撃止めて、動ける連中全員で怪我人回収して体勢を立て直せ! ジェドは投げ物よこせ!
「何する気だ!?」
「いいから!」
問答する時間は――多少はあるだろうが、やれば間違いなく反対される。
バリーはともかく、ジェドは。
「くっそ……ほらよ!」
「サンキュー!」
ジェドが、自分の使う道具をまとめている袋に落ちていた
「いいか、俺が合図するまで攻撃すんなよ?!」
袋を受け取り、紐を肩にかける。右手には銃が握られている。そして左手には――愛用しているジープの鍵が握られている。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夜間は拠点に籠り、戦闘は絶対に避ける。
かつて住んでいたシェルターを捨てて、一人で旅してきていた女の生き残るためのルールだった。
(くそ……これじゃあ狙撃なんて不可能か)
以前、ロンドン近くのシェルターの自警団が持っていた暗視スコープの様なものがあれば話は別だが、女はそこまで良い装備は持っていない。
当然だ。こんな時代、少しでも安全を確保できる物はどこだって身近に置いておきたい物だ。
女の持っている銃は、廃墟を探して見つけたパーツや廃材をどうにかこうにかして作りだした自作品だった。
弾道も安定しなかったガラクタの寄せ集めに等しい銃を何度も補修し、補強し、改良し――そして女はここまで生きてきた。
「壁の向こう側でも奴が暴れ回っているのは分かるが……くそっ」
これまで、大きくても中型までしか女は相手にした事がなかった。
正確には、見かけなかった。
ここいらはそういうのしか生息していないのだろうと女は考え、そして余裕の許す限り駆逐していった。
それなりに自分はやれている方だと、そう思っていた。
分厚い壁の向こうに定住する訳ではなく、危険な外を主な活動拠点にして――そこらの自警団よりも自分は優秀だろうと。おそらく思っていた。
(慢心か。我ながら愚かしい……)
先日ナイフで適当に切った髪を掻き毟る。かなり短くしようとしてためらい、やや長めに切ったのは自分が女を捨て切れていない証拠だろう。
今、予想外の事態に対して冷静に対処できない自分自身に対しての怒りと情けなさがふつふつと沸いてくる。
今になって。今になってだ。
何かを、変えられると信じていた。いや、信じている。
狭いコミュニティでまとまり、次代への希望が見出せない世間を。
常に張り詰めている各地の暮らしを。
そうだ、今も信じている。
だが――
「さて、まずはどうしたものか……」
幸い、女は気持ちを切り替える事が出来る女だった。
焦りを完全に消し去ることは出来ないが、それに折れず打開策を捻りだそうとしている。
(あの中に加勢したところで効果は薄い。何か強力な武器があれば話は別だが手持ちはライフルだけだ)
武装として、
(そうなると有効な攻撃方法が、もっとも脆い所を抜くことしかない)
中型種でも度々現れる、金属に近い体毛や皮膚による『装甲』が分厚い個体。
そういった種を倒すには、その『装甲』に覆われていない所、あるいは薄い所を抜くのがセオリーだ。
(……鼻腔、眼球、性器……あるいは衝撃頼りで脳や心臓を狙う……いや、あれだけ弾をもらって倒れないと言う事はそっちの方はダメか)
闇の中とはいえ、自分がはっきりと見たところでは皮膚も体毛も全てがクリーチャーの特徴である金属化をしていた。防御力は並大抵ではあるまい。
あそこに残っているトラックが生きていて、そして動き回るあのデカブツにカミカゼ・アタックを慣行できればあるいは大ダメージを与えられるかもしれないが、女は自殺志願者ではない。
(どちらにせよ、ここからでは何もできんか。もう少し高所を確保しなければ……)
ライフルを背負い、辺りを見回す。
その時、異変が起こる。
戦闘の音が止んだのだ。
銃声も、罵声も、
ただ獣の咆哮と、物体が破砕する音が響くだけ――ではない。
わずか、ほんのわずかだが、ギギィ……という重い金属を動かす音がした。
あまり見えないと分かっていても、反射的にライフルのスコープに目を当て、音のした方に向ける。
場所はすぐに分かった。
同じ高さに等間隔に並ぶ二つのライトが、闇を斬る。
(車両、ジープか?)
廃材などで作られたバリケード。その中のゲートとなっている部分を開いて、一台の車が外側へと出てきた。
(重要な人員、資源を逃がすのか……)
陥落しかかったシェルター等の拠点では良くあることだ。
技術や知識を持つ人間、ついでに発言力のある人間を先にこっそり逃がす。
そういった人物なら、他のシェルターに何かを提供することで入れてもらえる事はあり得る。
まぁ、酷い時はそのまま自分達が食糧にされる可能性もまた十分にあるのだが……
ともあれ、そういう事態となればあそこが陥落するのも時間の問題かもしれない。
(……残った人員の脱出支援に向かうのが得策か。この辺りでわざわざ外に拠点を作ろうとするシェルターとなると……ドーバーか)
脱出支援となると、あのデカブツを一時的にでもあそこから引き剥がす必要がある。
万が一、あの脱出しようとしているジープの方にデカブツが食いついたらどうするべきだろう。
ドーバーへの最短ルートと、道中にある建物や障害物を計算し始める女の思考に、ノイズが走る。
(――いや待て。攻撃が止んだ?)
もしこっそり逃げるのならば、そもそも攻撃が鳴りっぱなしのはずだ。
そもそも、あのゲートの位置ならば迎撃していた自警団の面々に見られていてもおかしくない。
咄嗟に良く見えもしないスコープの倍率を上げようと弄りだしたその時――
―― 甲高いクラクションの音が耳に入った。
何をするつもりかなど明白だった。
「馬鹿な――」
もし、あそこにいる人間を逃がすならばと女が考えていた事だからだ。――ただし、一瞬だけ。
「たった一台でヤツを引き付けるつもりか!!」
まるで威嚇するようなエンジンと排気の音をかき消すように、ひと際強烈な咆哮が響く。
そして、それに答えるような罵声も。
「――はっはぁっ! いいぜデカブツ! こっちに来いよ!!」
何度もアクセルを軽く踏みエンジン音を鳴り響かせながら、窓を開けてドライバーの男が叫ぶ。
そのジープを目がけて、今この場にいる唯一にして最大の脅威が、未だ所々が燃えているその巨体を加速させ、バリケードを吹き飛ばして突進していく。
「遊んでやるぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!!!!!!!!」