ドーバーシェルターの市長室は、それほど来客が多くない。
シェルター内の各セクションの意見をまとめた各々の代表者、自警団の団長、副長、自分の秘書と副市長。これくらいだ。商人は基本的に自警団の上や秘書が応対する。キョウスケの様な存在は例外なのだ。
「第一陣が出発してから半日ほど……もう到着したころですかね?」
その数少ない来訪者の一人、副市長――トロイという名の男が時計を見ながらエレノアにそう尋ねる。
「いや、恐らく既に到着して作業半ばと言った所だろう。キョウスケならここらの安全な道に詳しいし、数日前に自分で偵察に行ったばかりだからその精度は確かなハズ。最短ルートを通っているのならば……おそらく既に作業を始めている頃合いか」
主にシェルター内の各セクションと接する事の多い副市長――トロイに対して、外部との繋がりが多いエレノア。
互いの事を完全に把握しているというわけではない。しかし知識や情報に偏りがある二人は、時折こうして意見を交わしてそれぞれの現状を把握していた。
「しかし、外での活動にしては、あの資材量は少々多すぎだったのでは?」
「それらを失うリスクと秤にかけて、その上で決断した。放置された大量のトラック、工場施設の設備に発電装置。これらを入手すれば、このシェルターの稼働率も更に上げられる。それになにより――隣接する食品加工工場の水関連の機材。」
オックスフォード陥落の知らせを受けて、ロンドンからそう遠くないシェルターの上層部は焦っていた。エレノアもその一人だ。
「浄水設備の稼働率を上げなければ、水耕プラントはこれ以上動かせん。ただですら各設備の摩耗、疲弊が見られる今の状況で、もはや手段は選んでいられん」
「……液体肥料は
その後に続く言葉も分かっている。
肥料自体を作るにも、作物を育てるのにも大量の水が要る。
それに加えて日々の生活、衛生面などにも。シェルター内部の人間全体にそれだけの水を供給できるシステムを構築できるのか、という不安の言葉だ。
万が一の時――例えば地上部が完全にクリーチャーに覆われたりした時には、シェルター内部に籠城するしかない。
そしてオックスフォードが陥落したという知らせは、エレノア達にその万が一を強く印象付けた。
「……そういえば、あの二人も第一陣に参加しているのだったな」
「正確には、そうさせざるを得なかったのですが……」
エレノアが思いだすのは半年前、例の噂の一件にカタが付き、キョウスケがドーバーを発った次の日に突然戻って来た時だ。
一人で旅をしている男は、なぜか女を二人連れて戻って来た。
「外から、それも海を渡った人間となると、内部居住区に入れようにも反対の声が大きく……」
「自警団達の外部居住区でも不安の声は消えず――か」
大陸から小舟で逃げだしてきた母親とその娘。キョウスケが救いだした二人である。
「まったく、まさかこっちに連れてくるとは……」
「仕方ないでしょう。フォークストーン・シェルターには断られたそうですし」
元のシェルターでは調理班にいたという二人は、ユーラシアの大陸側での問題のために海を渡って逃げることを覚悟。他にも同じような人間が大勢がいたそうだが、他はそろって海の藻屑――いや、クリーチャーの餌となっている。
「今晩にも、キョウスケは向こう側の話を聞くだろうな」
「聞いたところでどうしようもないですし、そもそもあの商人に何かができるとは思えませんが」
「…………前々から聞きたかったのだが……トロイ」
「なんでしょう?」
「キョウスケの事が嫌いなのか?」
「自分の知る中で二番目に嫌いな人物です」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
守る範囲が広いと、当然ながらその準備に非常に時間がかかる。
防壁の固定を確認後、改めてタレットの状況を確認。念のためにバッテリーを入れ替えたり弾層を再チェックしたり夜のかがり火の準備とか……まぁ、色々やっているうちに、だんだんと空がオレンジへと変わってきた。夕暮れだ。
「まさか、貴方達まで第一陣に参加してたなんて……」
「挨拶が遅れて申し訳ございません。この二週間、本来の仕事に加えてエンジニアとしての訓練も受けてまして……」
「自警団居住区にいたんだってな。この半年はあちこち出回ってたから知らなかったぜ。てっきり内部にいると思ってた」
恐らく20代後半くらいだろう母親――ヒルデという女性に、その娘……10は確実に超えていると見えるヴィルマ。それにジェドと俺の四人で、点けたばかりの焚き木を囲んでいる。
「えぇ、市長さんは以前の仕事と同じ糧食班に入れようとしてくれたみたいですけど……やっぱり、私達が外の、それも海を渡って来たために内部の人達が怖がってしまって……」
「……すぐさま意識を回復してるんだから、クリーチャー化はないハズなんだが……」
「それでも、やっぱり万が一が怖いんだと思います」
大西洋は、全ての始まりと言っていい海だ。
一世紀たった今、どこまで正確に今の世代に話が伝えられているかは分からないが……それでも海が危険だという認識はこの時代に生きる人間の共通認識だろう。
ちなみに俺たちの様に外で生きる人間には、長生きしたければ海も含めて水辺に近寄るなというのが鉄則である。
それこそ、こちらに真っ直ぐ向かってきていたケーシーの群れが、浅いはずの川辺からわさわさ伸びてきた大量の触手に引き摺りこまれるのをこの目で見れば納得せざるを得ない。
以前、ドーバー陥落の噂が流れた時に容易く信じられたのも、あそこのシェルターが極めて水場に近いと言うのが理由の一つだろう。本当に何があってもおかしくないのだ。
「そもそも、どうしてこっち側に逃げようと思ったんだ?」
ゲーム中の舞台は主にイングランド――グレート・ブリテン島だ。アイルランド島や他の島にも行けるようだったが、それにはいくつか条件が必要という事だった。
廃墟等を探索すれば雑誌や新聞、本やビデオといった資料は出てくるがどれもフレーバー程度の物でしかない。
それに、現状では他の国との通信手段すら失われているのだ。どうしてかは未だに良く分からないが……。
「私は元々、ブルージュというシェルターにいたのですが……突然緊急警報が鳴って、避難するように言われて……」
「シェルターの外にか?」
「はい、メインゲートの方では戦闘が激しくなってて、非戦闘員は予備ゲートからこっそり……それから他のシェルターを頼って皆で移動していたのですが、どこも余裕がなくて……」
そこらの状況は似たり寄ったりだ。こちらでも余裕のあるところは少ない。よっぽどどこも欲しがるような技能を持っているか、必要な物を大量に持っているかしないとゲートを開けてくれない。後者の場合は開けた所で荷物だけ奪われて殺される可能性もある。俺も何度か後ろから撃たれている。
「でも、あのクッソ分厚いシェルターを抜けられるか? いや、こっちでもあるっちゃあるけど、大体は単純なミスとか機材のエラーとかで隙間から入ってこられる場合がほとんどだ。思いだすのはつらいだろうけど、どんなクリーチャーだったのか知ってるか?」
今まで彼女達の境遇を気にしてか尋ねていなかった様だが、やはり防衛を担う自警団の一員としてどうしても気になるのだろう。
「あの、いえ――」
それに対してヒルダは少し口をもごもごさせ、
「私達を襲って来たのはクリーチャーじゃなくて……人間なんです」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そもそもシェルターとは、基本的に一時避難の場所として建造された物である。
各国政府や研究機関による調査が行われる中、劇的に状況が悪くなるとは思いつかなかったのか、あるいは思いついていてもどうしようもなかったのか。
大体のシェルターは、50年も動けば十分と言うレベルの物だった。
それから資材をどうにかやりくりし、どうにかシェルターを生き延びさせながら更に50年。どこも限界が見えている。
浄水装置による水の循環量の低下、やせ衰えていく作物、発電量の低下、システムエラー、ゲート開閉の不具合等々。
そうした中で、足りない物を他のシェルターから分けてもらおうと考えるのは当然だが、クリーチャーが邪魔で外を歩くのは危険。結局、動きだすのはどこもギリギリになってから。つまり追いつめられてから。
「どこもそんな感じだから、交渉一つ上手くいかなくなるんだよなぁ……」
商売を始めたばかりの頃、問答無用で銃弾を喰らった事を思い出す。
というよりも、ある程度ラインで繋がれた所ならばともかく孤立している所だと撃たれると思って接しないと本当に殺されかねない。俺が初めて撃たれた時は運が良かった。
「えぇ。それにどこももう余裕がなくて、陸続きだから住処を失くした難民の数も多くて……」
「その難民が国を名乗って侵略しまくってると……陸のバイキングだな」
「それに対応するため他のシェルターも連携をしようとしているようですが、やはりクリーチャーによって分断されている地域が多く……その、コミュニティだけが乱立して互いに……」
「おぉ、もう……」
とっさに『ヨーロッパ大戦国時代』という全く違和感のない酷い単語が出てきた。
国家とは名ばかりの地上の武闘派集団に、対抗するために手を結んだ多数の小さい集団。
厄い臭いしかしない。具体的に言うとコミュニティでの内部争いによる自滅とかコミュニティ拡大のための戦闘とか逆にクリーチャーにやられたりとか。
「オーケー、なるほど分かった。敵性存在に人が加わったから、スパイというか埋伏の毒というか……そういう可能性も絵空事じゃなくなってどこもますます受け入れてくれなくなったと」
「いっその事攻めてきた所に降伏するという方法もあったのですが……」
それを女性の、それもまだ若い彼女と娘に選ばせるのは酷だろう。正直、話を聞いて初めて心からあの危険な海に感謝した。もしこんな状況がこっちでも起こってたら旅とか商売どころじゃない。
一番余裕のあるシェルターに所属してひたすらタレット製造マシーンになっている所だ。
「それで一か八かの海峡超えか。いや、ホントによく無事だったなアンタら」
ドーバーはもっとも大陸に近い街でもある。そこの自警団に所属するジェドには他人事ではいられない話題である。なにせ、万が一にもそういった連中がこちら側に来る事になったら、真っ先に戦場になるのはドーバーになる確率が極めて高い。
暗くなりつつある空を見上げる。
昔に比べて空気も澄み、この時間でも徐々に星が空に煌めきだす。
(……今すぐあそこらの星、流れ落ちてくれないかな。即座に願い事唱えるぞ)
内容は無論決まっている。世界が平和になりますように、だ。
ネタじゃなく、ガチで。
ガチで。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ヒルデとヴィルマの親子は、作業があると言う事で工場の中へと行ってしまった。
子持ちとは言え十分若いヒルデはもちろん、まだ幼さが残るヴィルマも自警団メンバーには人気の様だ。女性隊員も当然いたが、やけに機嫌良さそうな若い男性隊員の護衛に囲まれて向こうへと行った。
「自警団はどこのシェルターも似たような連中ばっかだな」
「どんな連中だ?」
「大抵、女に振り回されてる」
「あぁ、そりゃ仕方ねぇ」
ちょうど話題の女性が作った食事――薄いトマトソースの中に豆や野菜、僅かな肉を入れて煮込んだシチュー、茹でた卵一個、それに小麦粉と塩だけで作った死ぬほど固いパン(通称ハードタック。あるいは、歯がだるくなる奴)という、ぶっちゃけどこの自警団でも良く見る食事だ。
一口サイズにするのに歯では足りない固さのパンを温かいスープの中に入れて、スプーンで押さえ付けながらジェドが肩をすくめる。
「命をかけてるとどうしても女が必要なんだよ。抱くかどうかは別でな」
「? 抱かない奴もいるのか?」
「あぁ、傍にいるだけでいいのさ」
もういいか? とスプーンでパンを掬い噛みつくジェド。どうやらまだまだ時間が要ったらしい。僅かにへこんだパンが歯にガッチリと張り付いてしまっている。
しばらく固いパンと舌を使って格闘したジェドは、再びため息を吐いてシチューで少し口直しし、
「女がいる所っていうのは基本安全地帯だからな。それが完全な物じゃなくても……基本後方だ。それだけで少しは一息つける。そこにベッドやイスがあれば尚更だけどな」
「……お前の経験か?」
「まぁな」
ジェドは生まれてから三年前まで、内部での仕事に付いていた男だったらしい。畜産プラントを担当していたという話で、酒が入る度にもう二度とチキンは見たくないと言っている。
「初めて外に出た時は死ぬほど怖かったよ。あの綺麗なドーバーの海岸を、
かつては観光名所でもあった城の地下に設置されたドーバーシェルターは、海に非常に近い場所にある。というか、高所にあるとはいえ割とマジで海の隣と言っていい。
そのため数あるシェルターの中でも交戦頻度が高く、だからこそ戦術を蓄積してきたシェルターだ。
「銃の振動に耐えるのと、引き金を引きっぱなしにするのに必死で……振動がなくなってしばらくしてからやっと弾倉が空って事に気付く位だった」
「……引き金引けて逃げなかっただけで十分すごい事だと俺は思う。俺の初めての時なんざ、車のエンジン全開で自分ごとダイレクトアタックだった。しかもその衝撃で気を失って、運が悪けりゃその場でお陀仏だ」
今でも自信を持って俺は馬鹿だったと言える。近くのシェルターの自警団が助けてくれなければアウトだった。
「……なぁ、キョウスケ」
「ん?」
ジェドが、シチューの器の中に卵を落とす。そしてその手元をじっと見ながら、
「あのさ、今回の仕事なんだけど……大丈夫かね?」
「外での長期活動が不安か?」
基本的に自警団はシェルターの一番外側の区画、通称外周部を拠点としている。大体ここから出発し、周辺を回ったりちょっと遠出したりするが、基本暗くなる前には電気の通った外周部にまで戻ってくる。
外に泊ることなんて滅多なことではないはずだ。
「まぁな……お前は外にいる事が多いんだろう?」
「あぁ、つっても基本車の中で眠るからゆっくりはできないけどな」
この間のホテルのようにしっかりした建物を見つけた時は中でゆっくりするが、あんまりない。
建物も侵入口が限られていて、クリーチャーが立ち入った形跡がない所だけだが。
「やっぱり、襲われる事は多いか?」
「場所によるな。突発的に妙なのに襲われたりするが頻度は……どうだろう。ここら辺はあんまり来た事ないからな。まぁ、見晴らしは悪くない。それだけでも助かる」
「そっか……」
ジェドは全ての食べ物をシチューの中で一まとめにしたモノを素早く掻き込み、椀を空にした。
「うしっ! またちょっと見て回るわ!」
そして立ち上がって軽く伸びをすると、食器やゴミを一まとめにして歩きだす。
「ゆっくりしとけよ。実質お前さんの仕事、もう終わってんだからな」
そして愛用のライフルを持って、そそくさとどこかへと行ってしまった。
「…………緊張してんのかね」
普段からお調子者キャラを貫いているジェドだが、今日は違う意味で落ち着きがない様に見える。空が暗くなりだしてから特にだ。
「お前から見てもそう思うか?」
いきなり話相手がいなくなって、少し気分を落としている所にまた違う声をかけられた。
「バリーか?」
「よう。今日は挨拶も出来てなくて悪かったなキョウスケ」
自警団の中でも特に引き締まった体をしている男――ドーバー自警団団長のバリーが、今までジェドが座っていた所にドカッと腰をかける。
「いや……むしろこっちから挨拶するべきだった。すまない」
「仕方ねぇさ。そっちも今日は忙しかっただろう。エンジニアの面子から話は聞いているしな」
実際、電力関連の打ち合わせで非常に忙しかった。電力供給の優先順からそれに伴う配線計画、防衛の設備配置、いざという時の脱出路その他諸々の話だ。
「団員の様子はどうだ?」
「あぁ、問題ねぇ――と言いたいが、やっぱり少しピリピリしているな。いつもは寝る時に守ってくれる壁も扉もない。普段から節電を奨励しているが、今夜はそれ以上だ。キャンプの灯りだけじゃあ不安なんだろう」
元々トラック置き場になっていた駐車場の広場に、小さなブリキの缶と固形燃料等を使った簡単なキャンプファイヤーが設置されている。その周囲には食事休憩中の団員が集まって暖を取っている。
「皆暗がりが怖いのさ。地下に住んでる割にゃあ……いや、地下暮らしだからこそ、か」
「前に知り合いが言っていたな。ゲートをクリーチャーに破られるのと、トラブルで自分たちが生き埋めになるって二つの夢は、シェルター暮らしなら誰もが一度は見る悪夢だと」
「その通りだ。大概どこのシェルターもカウンセラーの家系がいるが……それでも恐怖が消せるわけじゃねぇ」
「ジェドもそんなタイプだったのか?」
「さぁな……」
もう食べ飽きたであろう豆のシチューを美味そうに咀嚼してから、バリーは口を開く。
「大抵、軽い気持ちで自警団に入った奴は一週間ほどで中に戻りたがる。もう二度と戻れないって契約を忘れてだ」
「ジェドは?」
「あぁ、奴は……初陣の時の様子を見た時はしばらくは使い物にならんと思ってたが……よくしがみついてるよ」
シチューの具だけを食べ終えてから、歯がだるくなる奴を残ったシチューに浸すバリー。大体の食べ方は皆似たりよったりになるらしい。
「だいたい一月ほどは、どうして自警団に入ろうとしたのかメソメソするもんだが……ジェドは任務の最前線に居続けようとした。今じゃウチの主力だ。銃、盾、鈍器、刃物、投げ物――何をやらせてもそつなくこなせるのはアイツ位だ」
「ベタ褒めだな」
「中々にしぶとい奴だからな。しぶとい奴は大好きだ」
浸しているパンが柔らかくなるまでの間の楽しみとして取っていたのだろう茹で卵を齧りながら、バリーは笑って見せる。
「お前さんもだぜ、キョウスケ」
「俺も?」
「あぁ、あちこち危険な所に寄り道をしながら周る馬鹿だ。本当によくくたばらないモンだ」
「……そろそろ死ぬんじゃないかとは良く言われるが」
「商人の中にゃあ賭けてる奴もいるな。お前さんがあと何日で行方不明になるかって」
おい、そいつらの名前教えろ。いかに俺がしぶとい男かそいつらの頭に刻み込んでやる。
「ん――そろそろ完全に日が沈むな、バリー」
「あぁ、長い夜の始まりだ」
食事休憩を終えたのだろう自警団の面子が、交代で休憩に入る団員と言葉を交わしながら持ち場へと戻っていく。
そのどちらも、自分の得物を離そうとはしていない。
夜が、来る。