第一話 妖怪の山での一幕
妖怪の山には、様々な妖怪が住んでいる。
その中でも、数が多い種族は二つ。
一つ目は役職毎に分かれている、天狗。
ヒエラルキーの頂点に立っており、主に妖怪の山を支配しているのは彼等だ。
そして、もう一方。
玄武の沢付近を拠点に暮らしている──
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一陣の風が駆け抜ける。
鋭い風切り音を響かせながら、風はある方向へと吹いていた。
いや、風と見間違うばかりの速さで、一人の少女が飛んでいたのだ。
艶のある黒の羽を使い、天狗の少女は優雅な飛行を披露している。
「そろそろね」
眼下を眺めていた少女は、山の中の開けた場所で目を止めた。
川の近くにある、ぽつんと寂しく建てられた家。
木造建築になっており、しかしその頑丈さは遠目からも窺える。
ここに家主が住み始めてから、数百年。
一度もガタが来ておらず、改めて呆れるほどにしっかりしている。
苦笑いを零した後、少女は弾丸の如きスピードで家の前に突っ込む。
このまま地面に激突するかに思われたが、見事な羽ばたきを見せて慣性をなくした。
風を自在に操る彼女にかかれば、飛行の影響を潰すなどお手の物だ。
軽く身だしなみを整えた後、ドアの隣にあるボタンを押す。
家主曰く、これは“インターフォン”という物らしい。
新聞を作っている記者の自分としても、家主の出所不明の知識は、大いに好奇心が刺激される。
また取材でもしてみようか、と少女が考えていると。
「ふぁぁ……おはよー」
開かれた扉から、あくびをしながら一人の少女が現れた。
普段のツリ目はなりを潜め、眠たげに下がっている。
青の長髪も乱れており、先ほどまで就寝していた事が容易にわかる。
「おはよう。相変わらず、夜遅くまで起きてたのね」
「まぁ、集中していたら楽しくなっちゃって」
「はぁ……いい加減、少しは女の子らしくしてみたらどうなの?」
「別に、文しか見てないからいいじゃん」
「まあ、それもそうね」
天狗──文の苦言の返答から、彼女は直すつもりがないようだ。
いつものやり取りなので、文本人も仕方ないかとあっさりと流す。
わざわざ少女の世話をするつもりがない、という理由もあったが。
友人として長い付き合いではあるが、それ以上の関係ではないのだ。
「それで、こんな朝早くからどしたん?」
見慣れた光景でも、彼女の腕は不思議だ。
本人が言うには、これは義手という物らしいが。
妖怪ならば失った部位も再生できるのに、こうして変な道具を取り付けている。
彼女を含めて、考えが理解できない種族だ。
少女との価値観は、恐らく一生合わないだろう。
まあ、そもそも価値観を合わせようと思う気すらしないが。
そんな事を考えつつ、文は呆れた表情を浮かべる。
「なにって、貴女にカメラを預けたでしょ?」
「ああ、そうだったそうだった。定期的に点検してるんだったね。いやー、新たな機能をつけようとして本来の目的を忘れてたよ」
「……ちなみに、どんな機能?」
「シャッターを切ると、レンズからビームが出てくる!」
「却下!」
「ちぇー」
口を尖らせていたが、少女なりの冗談だったのだろう。
名残惜しい表情もなく、懐からあっさりとカメラを手渡してきたのだから。
カメラを受け取った文は、一頻り弄ってみたが。
少女に渡す前と変わりなかった。
「問題なさそうね」
「そりゃ、文の大事な物だからね。早々変な事はしないって」
「前に、自爆機能をつけようとしていたじゃない」
「自爆はロマンだから、仕方ない」
ロマンだかなんだか知らないが、私の大切な道具に馬鹿な機能を追加するな。
そう告げて少女をぶっ飛ばしたのは、文の記憶にも新しい。
彼女は役に立つ道具をくれたりするのだが、こうしてふざけたりするのが玉に瑕だ。
馬鹿と天才は紙一重と言うべきなのだろう。
その閃きに賞賛する一方、やるなら勝手に一人で自爆していろと思うのだった。
ため息一つで気持ちを入れ替え、文は宙に浮き始める。
「じゃあ、私はもう行くから」
「あいあい。気が向いたら、また遊びにきなよー」
「……ええ、そうね。気が向いたらね」
呑気に手を振る少女に見送られながら、風を纏って天高く飛翔した。
普通の人では一生お目にかかれない、幻想風景を視界に入れつつ。
風神少女は、微かに眉根を寄せる。
少女の事は嫌いではない……いや、どちらかと言えば好ましいとすら思っている。
文が妖怪として誕生したばかりの時からの付き合いだし、腐れ縁とも呼ぶべきほど縁の糸は固く結ばれているだろう。
しかし──苦手だ。
幻想郷の妖怪の賢者と、同じような印象を受けるからだろうか。
何故、少女に対して苦手意識があるのか自分でも理解できないが、文にとって彼女は色々な意味で近づきづらい存在であった。
「まあ、新聞の購読者なのはありがたいけど」
それはそれ、これはこれである。
ともかく、文にとって少女の存在が複雑なのは間違いない。
だからといって、縁を切るほどの苦手意識はないが。
「これ以上考えても、仕方ないか」
せっかくカメラが戻ってきたのだから、面白そうなネタを探したい。
最近はパッとしないので、ここらで一つ特ダネでも見つけてみたいのだ。
まずは、人里で情報でも集めようか。
頬に笑みを形作った文は、風と化して妖怪の山を飛び立つのだった。
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風のように飛んでいった文を見送った私は、自分の状況にしみじみとした思いを抱いた。
私こと“滝涼 みずは”は転生者である。
気がつけば河童になっていて、驚いてひっくり返った時が懐かしい。
しかも、性別も男から女へと、性転換まで果たしてしまった。
まあ、転生した以上、性別が変わったぐらい些事であろう。
なにより、一番驚いた事は、ここが東方Projectの世界だったという部分だ。
前世では弾幕シューティングとして人気だった、この作品。
先ほどの文も、立派な原作キャラである。
いやー、まさか文と幼馴染みのような関係になるとは。
人生、なにが起こるかわからないものだ……あ、今の私は妖怪だったか。
「さて、今日はなにをしようか」
自分が知っている作品に転生した場合、いくつか取られる選択肢がある。
すなわち、原作に介入するか否かだ。
この世界でいう原作とは、幻想郷で起きる異変だろう。
吸血鬼が現れたり、亡霊が春を集めたり、月が偽物になったり。
個人的にも面白そうな内容なのだが、残念ながら今は原作前である。
まあ、仮に原作が始まっていたとしても、私が原作介入するかはわからないが。
その時の気分次第だ。
「そもそも、河童の自分じゃあ大妖怪に勝てっこないし」
どいつもこいつも、能力がチート過ぎるんだよね。
さっきまでいた文だって、【風を操る程度の能力】って厨二歓喜物の能力を持っているし。
私も、あんなカッコイイ能力が欲しかった。
これが種族格差か……河童は辛い。
いや、よく考えてみれば、同じ河童のにとりも強い能力を持っていたよ。
結局、私が特別才能がなかったってだけである。
「まあ、ないものねだりしてもしょうがないよね」
朝日を身に浴びた私は、顎に手を添えて今日の予定を考える。
やるべき事はちょうど昨日に終わったし、特に今からしたい事もない。
ああ、そうだ。
そういえば、にとりがなにやら行き詰まっているんだっけ。
アイデアの出し合いを望んでいたし、せっかくだからにとりの家にでも行くか。
「そうと決まれば、早速行こう」
予定が決まったので、私は家に戻って洗面所の蛇口を回す。
川から水道管を引っ張っている事により、現代日本と相違ない使い心地だ。
この家を建てる時、こうして前世の記憶を駆使して住みやすくしている。
もちろん、大っぴらにしないで、ほどほどだ。
あんまり目立つと、賢者さんじゅうななさいにピチュンされてしまうからね。
根は小心者なのです。
身支度を整え、朝食のきゅうりを五本ほど平らげた後。
お土産のきゅうりのぬか漬けを持って、私は家を出る。
にとりの家がある方向へと飛んでいき、途中の滝の近くでにとりを見つけた。
側には白狼天狗である椛がおり、どうやら二人で将棋をしているらしい。
二人の間に降り立つと、直ぐに向こうも私に気がつく。
「あ、みずは。おはよう」
「おはよー、朝から将棋とは元気だねぇ」
「あはは。気分転換でもしようかと思ってね」
「おはようございます、みずはさん」
頭を掻いて苦笑いするにとりに、律儀に頭を下げた椛。
二人も、東方の原作キャラだ。
出会いは偶然であったが、こうして仲良くさせて貰っている。
手を挙げて椛に応えた私は、手に持つぬか漬けをにとりに渡す。
「はい、いつもの」
「おぉー! みずはのぬか漬けはほんっとうに美味しいんだよね! ありがとう!」
「いやいや、にとりには色々と助けてもらったからね。これぐらい訳ないよ。あ、そうそう。椛の分もあるよ」
「え、いいんですか?」
「多めに持ってきたからね」
「あ、ありがとうございます……」
恐縮そうに受け取るのとは裏腹に、飛び出した椛の尻尾が嬉しそうに揺れていた。
原作ではどうだったか忘れたが、この世界の白狼天狗は耳と尻尾の出し入れができるのだ。
素晴らしい。
犬耳パラダイスだ。
前に触らせてもらった時は、なんというか凄く幸せだった。
自然と視線が吸い寄せられていき、椛達も尻尾の存在に気がつく。
慌てた様子で尻尾を仕舞い込まれてしまい、思わず残念な表情を浮かべる。
「みずはは好きだねぇ」
「だって、気持ちいいんだもん」
「ダ、ダメです。みずはさんが触ってはいけません!」
「だってさ」
「むぅ……」
肘で突っついてくるにとりに、私は唸り声しか返せなかった。
やはり、あの時の触り方に問題があったのか。
全神経を集中させて、椛が気持ちいいと思うポイントを触ったのだが。
我ながら、良い手応えがあった。
実際、あれから数日は椛の顔の血色もよく、仕事もバリバリにこなしていたし。
しかし、前世の動物に好かれるあの人みたいにはいかなかった。
心持ち気落ちしながら、私はここに来た本題に入る。
「それで、にとりはなにに行き詰まっているんだい?」
「えっと、これなんだけど」
そう告げて取り出したのは、スイッチ付きの装置だった。
にとりがポチッと押した瞬間、椛との間にあった将棋盤が飛び上がった。
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げて、呆然と空を見上げる椛。
釣られて天を仰げば、将棋盤はある程度の高度で動きを止めていた。
どうやら、なんならかの力を使って、将棋盤が空中に留まるようにしたらしい。
視線を戻すと、ドヤ顔で胸を張ったにとりとかち合う。
「どうだい? 名付けて、天空将棋! 青空に囲まれながら、優雅に駒を指す。そして、片手にはきゅうりを持って将棋を楽しむ。これは、絶対に流行るね」
「いや、絶対に流行らないと思います」
「むむ。言うじゃないか」
口をへの字にしたにとりは、もう一度ボタンを押す。
すると、将棋盤は勢いよく下がっていき、地面にめり込んだ。
当然、乗っていた駒はバラバラに吹っ飛んでいた。
「あぁ、せっかく勝ちそうだったのに……」
がっくりと項垂れる椛を尻目に、にとりは足のつま先を回しながら腕を組む。
「というわけなんだけど、どうにもインパクトに欠けるんだよね。そこで、みずはにアイデアを聞きたいってわけさ」
「なるほど。経緯はよくわかった」
頷きを返した私は、虚空を眺めて思案していく。
将棋盤が飛ぶ以外に、なにかしら一捻り加えたいという事だろう。
気持ちはわかる。
私も、物足りないと思っていたし。
しかし、これと言って直ぐに思いつくアイデアは──
「どうだい?」
「んー……あ、閃いた」
「お、流石はみずはだねぇ。その閃きは羨ましいよ」
「私からすれば、にとりの能力の方が羨ましいけどねぇ」
まあ、隣の芝生は青いってやつだ。
人は持っていない物に対して、羨望の思いを抱く傾向にある。
俗に言う、俺もあれが欲しい、って感じだろう。
妖怪になっても、人間の感情とは切っても切れない。
改めて、不思議なものだ。
思考を持ち、文明を築いた生物の宿命だろう。
差別や欲を抱くのは。
と、思考を戻そう。
「それで、アイデアだったね。例えばだけど、勝負が終わったら、将棋盤が爆発するとか」
「おー、なるほど。それは面白そうだ!」
「あの、みずはさん。あんまり、変な事を吹き込むのは……」
伺うように尋ねてくる椛だが、大丈夫。
しっかりと、他にも案を思いついているから。
そんな思いを込めて見つめると、何故か引き攣った笑みが返ってきた。
「他には他には!」
「将棋を指すと、一定確率で爆発する」
「おお!」
「巨大な将棋盤で私達自身が駒になる」
「それ、凄く楽しそう!」
「後は、駒を奪うときゅうりが手に入る」
「いいねいいね!」
そんな感じで、にとりと話し合う私達。
対して、椛は疲れた様子でため息を漏らし、遠い目で天を見つめる。
「全部、私が実験台にされるんだろうなぁ……」
心配しないでくれ。
安全面には、ちゃんと気を遣うから。
そう考えながらも、私はこの瞬間を噛み締めていた。
小鳥がさえずる、気持ちの良い朝の一時。
笑顔で改善案を話す河童二人と、現実逃避するように空を眺める白狼天狗。
いつも通りの日々であり、私が好きな日常だ。
転生等びっくりする出来事に見舞われたが、こうして楽しい日を過ごしている。
これからも、のんびりと妖生を謳歌したいものだ。
薄らと微笑んだ私は、この平穏な毎日に感謝するのだった。