転生河童の日常譚   作:水羊羹

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第三話 幽香とティータイム

 慧音の歴史講習は強敵だった。

 こちらから頼んだ事なので、訪れる眠気に頑張って耐えていたのだ。

 というか、私は何徹もできるのに、慧音が話し始めた瞬間から眠気が襲ってきたのだが。

 リュックの中にあった刺激的な薬草を食べた事で、なんとか最後まで授業は受けられた。

 慧音、凄く感動していたっけ。

 初見で全部聞いてくれた人がいなかった、とかなんとか言って。

 思わず目頭を押さえたのは、記憶に新しい。

 ともかく、こうして楽しい初体験は無事に終了したのだ。

 前世の学校を思い出し、少し哀愁を抱いたのは内緒だ。

 

「えーっと……」

 

 今日の私は、ある場所へと飛んでいた。

 リュックにはお土産を持参しており、これから会う人を思うと楽しみである。

 暫くすると、黄金色の絨毯が目に入る。

 いつ見ても荘厳だ。

 幻想郷は素晴らしい風景が沢山あるが、ここはその中でも格別に美しい。

 柔らかな風が吹くと、絨毯に一本の白い筋が駆け抜ける。

 風そのものが意思を持っているかのように、黄金の景色を際立てようとしているのだ。

 高度を下げて近づくにつれ、眼下の景色が克明になっていく。

 最高級の絨毯かと思われたそれは、太陽の方に向いている向日葵だった。

 どの花も力強く咲いており、生命力に満ち溢れている。

 また、向日葵の花弁一つ一つに艶があり、吸い込まれそうな魔性を宿している。

 この花達の様子を目にすれば、育てている人の愛情の深さがわかるだろう。

 花を愛で、花もそれに応えて一生懸命に輝く。

 植物は育て主の鏡、とどこかで聞いた覚えがある。

 その言葉を加味すると、向日葵を育ている人の心は綺麗に違いない。

 まあ、人里では恐れられているようだけど。

 千金にも勝る向日葵の群れ──太陽の畑に降り立った私は、清涼な香りに迎えられる。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 両手を広げて、全身にこの場の空気を行き渡らせていく。

 質の良い土の匂いに、暖かみすら感じられる向日葵の匂い。

 他にも様々な花の香りが混ざり合い、しかしそれぞれの芳香はお互いを邪魔せず、控えめに自己主張している。

 本来、匂いとは混ざれば混ざるほど、嫌な臭いになっていく。

 だけど、鼻から流れ込む空気は、悪臭になっていない。

 いつ嗅いでも……いや、いつまでも嗅いでいたい場所だった。

 

「さて、あんまり待たせすぎるのもあれだよね」

 

 気を取り直した私は、太陽の畑の中を進んでいく。

 暫く歩いていると、一軒の小洒落た家を見つける。

 玄関前には、白いテーブルに同色の椅子が二脚。

 そして、椅子に座ってティータイムを満喫している、一人の綺麗な女性。

 優雅な手つきでカップを持っており、彼女は穏やかな微笑を浮かべている。

 肩に乗せて差している日傘と併せて、まさに深窓の令嬢という言葉が似合う。

 かたん、と置かれたカップの音がやけに大きく響く。

 緑色のショートボブを揺らした女性は、私に深紅の目を向ける。

 

「遅かったわね」

「あれ、そう? 時間通りに来たと思ったんだけど」

「また、入口で花の香りを嗅いでいたからでしょう」

「あっはっは……ご名答」

 

 近づいて頬を掻く私に、女性は向かいの椅子に手を差し向けた。

 ありがたく座らせてもらうと、ティーポットを持った彼女がカップに紅茶を注ぐ。

 なみなみと液体が満ちていき、やがて最後の一滴が落ちる。

 そっと私の目の前にカップを置いた後、頬杖をついて微笑む女性。

 

「どうぞ」

「いただきます……うん、美味しい」

 

 本当に、それしか言葉が出てこない。

 前世のグルメ番組等で、ひたすら美辞麗句を並び立てる芸能人がいるが。

 今の私からすれば、彼等の言葉は薄っぺらく感じてしまう。

 単に私の語彙力がないだけかもしれないが、少なくともこの紅茶の味を言葉にする事はできない。

 相変わらず、素晴らしいお手前だ。

 

「美味しそうによく飲むわねぇ」

「いや、だって幽香の紅茶美味しすぎるんだもん」

「当たり前でしょ。私が育てたハーブで作った紅茶なんだから」

 

 当然だろう、と眉尻を上げた女性──幽香。

 口調からも強い自負が漂っており、自分の紅茶に絶対の自信を持っている事が窺える。

 まあ、幽香なら突然だ。

 なんたって、二つ名にフラワーマスターという名前がつくぐらいだし。

 さもありなんと頷き、私はカップを置く。

 

「さて、じゃあまずはここに来た目的を果たそうか」

「そうね」

 

 リュックから袋を一つと、タッパー容器を一つ取り出した。

 最初にタッパー容器の方を渡し、フタを開ける幽香に笑いかける。

 

「今回は、中々良い出来だよ」

 

 白魚のような指で、中から取り出した物を口に含む幽香。

 口元を手で覆いながら咀嚼しているだけなのだが、食べる姿一つを取っても優雅だ。

 また、どこか艶やかさも漂っている。

 そこらの美女なんて、裸足で逃げ出しそうな色気。

 今生では同性である私でも、幽香の仕草一つ一つにはドキッとさせられてしまう。

 ただ、今は別の意味でドキドキしているのだが。

 目を伏せて吟味している幽香を、緊張で手汗を滲ませながら見つめていると。

 顔を上げた彼女が、ハンカチで指を拭いて告げる。

 

「……ま、及第点といったところかしら」

「えー、採点厳しすぎない?」

「むしろ、これでも甘めよ」

 

 思わず口を尖らせるのだが、幽香の表情は涼しげのまま。

 残念だ。

 今回は、上手くいったと思ったのだが。

 先ほど幽香に食べてもらった物は、私が作ったきゅうりのぬか漬けである。

 幽香は植物関連に深い造詣があるので、こうしてアドバイスを貰ったりしているのだ。

 ちなみに、きゅうりの栽培方法等を教授してくれたのも、なにを隠そう目の前にいるフラワーマスターである。

 しかし、採点基準が厳しいので、中々合格点が貰えない。

 

「おっかしいなぁ。今回のぬか漬けなら、幽香も美味しいと言ってくれると思ったのに」

「不味くはないけど、それだけね」

「ちぇー」

 

 とはいえ、幽香は不味い物は不味いとはっきり言うタイプだ。

 最初のぬか漬けを食べた時なんか、眦を吊り上げて襲いかかってきたっけ。

 植物を冒涜するとはいい度胸しているじゃない、と。

 私個人は全くそのつもりはなかったので、ひたすら謝って許しを乞った。

 結局、色々とあってなんとかなったのだ。

 あの時は肝が冷えた。

 今生でベストスリーに入る、恐ろしい出来事だったと思う。

 ともかく、一応進歩はしているのだろう。

 激マズが普通──ただし、幽香基準である──になるぐらいには。

 

「まあ、貴女のぬか漬けからは、きゅうりへの愛を感じるからマシな方ね。植物をただの食料としてか認識していない者共の多いこと。花を愛さない奴も多いし……」

「ちょ、落ち着いてよ幽香!」

 

 嫌な事でも思い出したのか、幽香の全身から不穏な空気が流れ出す。

 ずしんと腹に来る威圧感。

 彼女の背後の空間が歪み、陽炎のようにゆらゆら揺れている。

 そして、微かに漏れている妖力。

 幽香本人にとっては、ただの絞りカスなのだろう。

 しかし、目の前にいる私にとっては、恐ろしい力としか感じられない。

 慌てて手を前に出す私を見て、目を据わらせていた幽香は嗤う。

 

「どうしましょう。身体が火照って辛いわ。ねぇ、みずは。この火照りを、貴女が鎮めてくれない?」

「セリフを卑猥にさせても、やる事はただの戦闘でしょ!?」

「あら、ヤるなんてみずはも乗り気じゃない」

「幽香のやるは殺す方のやるでしょーが!」

 

 瑞々しい唇に手を添え、淑やかに微笑む幽香。

 この場面だけを絵画として切り取れば、世の男は前屈みになってノックアウトするだろう。

 だが、煌々と光る殺意の瞳と、指の間から垣間見える三日月状に裂けている口元。

 どこからどう見ても、めちゃくちゃ元気な殺人鬼としか言いようがない。

 わたしゃしがない河童なのです。

 そこそこ平穏な日常に、ほどほどの刺激がスパイスとしてあるだけで充分なのです。

 決して、誰かと死闘を繰り広げたいわけではないのである。

 

「貴女とは、以前から()り合いたいと思ってたのよねぇ。噂で色々と聞いたわよ?」

「あー……あれは若気の至りというか。ただ単に調子に乗ってただけだから」

 

 痛いところを突かれた私は、思わず目を逸らして左腕を撫でた。

 河童なのに、天狗になっていた私。

 当時の私は絶頂期であり、できない事はあんまりないと有頂天になっていたっけ。

 で、結局ボコボコにされて、少なくない代償を払ってしまった。

 まあ、代わりに掛け替えのない人と出会えたし、今では良い思い出でもある。

 ……思えば、あの時から妖怪の山でも浮いている存在になっているような気が。

 文達以外の天狗とは親しくないし、むしろ避けられているような。

 

「あら、どうしたの? 突然悲しい顔をしちゃって」

「私って、あまり好かれてないのかもしれない」

「今更?」

「ひどい! あんまりにも、あんまりだよ!」

 

 こんなところで、ドSな幽香は求めていないのだが。

 口をへの字に結んだ私に、サディスティックレディーが呆れた表情を向ける。

 

「自分で言うのもなんだけど、私って人間の間で恐れられているのよ? そんな気難しい妖怪に好んで会いにいく河童なんて、貴女の同類や天狗からすれば狂ってるようにしか見えないわ」

「えぇー。それは、あいつらの見る目がないだけじゃん」

 

 確かに、幽香は気まぐれにイジメと称して妖怪達を殺す事がある。

 それは、仕方のない事だ。

 妖怪である私達にとって、気分で殺戮するのは呼吸と同意義である。

 ただ、理性がある大妖怪ともなれば、その本能を掌握して表に出さないのだが。

 幽香本人の場合、あえて本能に従って暇つぶししているのだろう。

 しかし、幽香は協調性もしっかりとある。

 最近は妖怪を殺す機会も減っているし、幼い人間や妖怪には穏やかに接している。

 子供に甘い、という事だろう。

 つまり、私はこう思うのだ──幼子に優しいゆうかりん萌え!

 

「ふっ!」

「あぶなっ!?」

 

 反射的に両手を合わせると、間一髪のところで幽香の日傘を止められた。

 あと一瞬でも反応が遅れていれば、私の顔はザクロのように弾けていただろう。

 頬を引き攣らせながら、私は目を細めている幽香に声を掛ける。

 

「な、なぜに私を殺そうとしたのでしょうか……?」

「貴女が不愉快な考えをしたからよ」

「いや、それは幽香の勘違いだと思います、はい」

「それならそれでもいいわ。愉快な河童の死体が一つ増えるだけだから」

「その考えは怖いって!」

 

 本心で言っているのか、冗談で言っているのか。

 私の切な叫びにも、幽香は艶然と微笑むだけであった。

 相変わらず、幽香の手の早さにはびっくりだ。

 少し気を抜いた矢先に、これだからね。

 友人としては好ましいが、こんな殺伐とした関係性は好きではない。

 まあ、それも含めて幽香なのだが。

 

「それで、私と()る気になったかしら?」

「滅相もございません! それより、ほら。新たに品種改良した土を検分してよ」

「…………仕方ないわね」

 

 一生懸命袋の方に目を向けていると、ようやく諦めてくれたらしい。

 迸る威圧を消した後、日傘を引いて差し直した幽香。

 袋を開いて中身を見ている彼女を尻目に、冷や汗を拭った私は安堵の息をつく。

 今回は、いつもより肝が冷えた。

 これが幽香なりの冗談だとわかっているが、やはり身に浴びると怖いものだ。

 とりあえず、待っている間は残りの紅茶を楽しもう。

 時間が経って冷めているが、それでも非常に美味しいし。

 口内に広がる芳醇な舌触りに感嘆しながら、私は幽香の姿を眺めるのだった。

 

 

 

 

 


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