転生河童の日常譚   作:水羊羹

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第五話 賢者の来訪

 階段を降りた先は、暗闇であった。

 両脇にあるランプが辛うじて光を保っているが、廊下全体に漂う澱んだ空気。

 妖怪である私でも、ここに長くいると気が狂いそうになるだろう。

 こんな場所に、フランドールは四百九十五年、一人ぼっち。

 狂わないと思う方が、無理がある。

 

「とはいえ、本当に狂ってるのかはわからないけど」

 

 狂っている振りをしているかもしれないし、そもそもここにフランドールがいない可能性もある。

 厳重に警備されているから来てみただけで、ここに彼女がいると決まったわけではないのだ。

 まあ、十中八九この地下室にいるのは間違いないだろうが。

 迷路のような通路を飛びながら、とりとめもなく考えていると、妖精さんの視界に大きな扉が映る。

 ここまで近づく事で、改めて察する狂気。

 扉の隙間から漏れ出ており、可視化しそうなほど密度が濃い。

 

「さて、どうやって入ろうかな……おろ?」

 

 扉の一部分が欠けており、ここからなら潜り込めそうだ。

 妖精さんを下ろして扉に近寄ると、積まれた埃が目に入る。

 どうやら、瀟洒なメイドはこの地下室に行かせてもらえていないようだ。

 つまり、フランドールは生きた人間と会った事がない、と。

 まあ、だからなんだという話だが。

 ともかく、部屋に入った私は、直ぐに上昇して室内を見回す。

 

「これは、中々強烈だねぇ」

 

 一見すると、普通の女の子らしい部屋だ。

 可愛らしいぬいぐるみや、絵本等が納められた本棚。

 雰囲気もファンシーな感じで、ここまでならば微笑ましいだろう。

 しかし、所々壁にこびりついている血や、辺りに散らばる骨の残骸。

 ちぎれ飛んでいるぬいぐるみの破片等もあり、どこか薄ら寒くなるような光景だ。

 少女らしき無邪気な内装と、己の破壊衝動を表に出した末路。

 まるで、綺麗な二面性に分かれているかのように、両極端な部屋となっていた。

 一頻り観察し終わったあと、私はベッドの上にいる少女に注目する。

 彼女はベッドに腰掛けており、ぼーっと焦点の合わない瞳で虚空を見つめている。

 少女が僅かに身じろぎするたび、背中に生えている七色の羽が揺れ動く。

 キラキラと小さな光を放ち、今にも消えそうな少女の姿と相まって、どこか幻想的な雰囲気だ。

 身体年齢に見合わない表情を浮かべているのは、私の知っている通り──フランドール・スカーレットである。

 

「うーん」

 

 実物を見られて嬉しいのだが、同時に若干なんともいえなくなってしまう。

 前世での明るいフランドールを知っているからか、それとも傲慢さからの思いからか。

 端的に表すと、私はフランドールに同情していた。

 いつからこんな風になったのかはわからないが、少なくとも長い間この表情だったのだろう。

 植物のような在り方──まさに、生きる屍だ。

 今生は面白おかしく楽しんでいる私とは、正反対の思いを感じる。

 

「やりたいようにやればいいのに」

 

 フランドールは、吸血鬼だ。

 しかも、破壊という一点においては、他の誰の追随も許さないほどである。

 妖怪としての種族に優れており、また能力の才能にも恵まれている。

 何故、こんな場所に篭っているのか。

 思うがまま、外に出て暴れれば良いのに。

 前世では特に気にならなかったのだが、改めて目にすると疑問を抱く。

 狂気を宿しているはずのフランドールが、どうして大人しく地下室にいるのか、と。

 

「……戦っている?」

 

 外に出たい狂気と、レミリアを困らせたくない純粋なフランドールの気持ちが。

 それならば、ここにいる理由も納得できる。

 仮に、私の推測が正しかったとすると、四百九十五年の間、独りで自分の狂気と向き合っていたのだろう。

 

「強いね」

 

 身体はもちろん、その心も。

 だけど、気に入らない。

 誰かに気を遣っているその様子が、どうしようもなく腹が立つ。

 妖怪らしく傲慢に、全てを見下せばいいのに。

 

「……そうだ」

 

 私が──フランドールの狂気をなんとかしてやろう。

 そうすれば、こんな暗い場所で閉じこもる事もなく、外で吸血鬼としての力を振るうだろう。

 気の赴くまま、自由に生を楽しんでくれるはずだ。

 こんな無機質な表情は、見ていたくない。

 フランドールには悪いが、私のやりたいようにやらせて貰う。

 自然と笑みが浮かびながら、私はフランドールの前に妖精さんを飛ばす。

 ゆっくりと降りてきた視線と絡み、彼女は微かに目を見開く。

 

『あなたは、だぁれ?』

「私はしがない妖精さんさ。この館を散歩していると、君を見つけたのでね。興味が湧いて来てみたんだよ」

『ふぅん』

 

 興味なさげに呟く、フランドール。

 相変わらず目の焦点は定まっておらず、表情筋がピクリとも動いていない。

 これは、思ったよりも重症だ。

 自分の中で、全てが自己完結している……例外が、レミリアの言いつけなだけで。

 心を動かさないようにしているのだろう。

 感情面を表に出しすぎると、狂気が外に溢れてしまうから。

 半ば当てずっぽうの憶測だが、あながち間違っていないと思う。

 というか、狂気を内に溜め込みすぎているから、こうして危うい状態になっているのではないだろうか。

 ある程度発散すれば、もう少し笑ったりできると思うのだが。

 フランドールの様子を観察しつつ、私は言葉を繋ぐ。

 

「君は、どうしてこんなところにいるのかな?」

『お姉様がここにいろって言ったから』

「黙って外に出ればいいじゃないか。少しぐらい外に出たって、大丈夫だよ」

『ダメなの。私がここにいないと、全部壊しちゃうから……』

 

 途中で言葉を区切ると、フランドールは胸を押さえた。

 堪えるように目を伏せており、徐々に妖気が立ち上っていく。

 ほの暗く、それ以上に邪悪な妖力。

 禍々しさすら感じるそれを、彼女は一生懸命抑えようとしていた。

 対して、私は右眼に妖力を集めて意識を鋭くしていく。

 これは、チャンスだ。

 フランドールの、意識と狂気がせめぎ合う狭間。

 二つの感情を同時に見られるのは、今を置いて他にない。

 

『ぐ、ぐぐ……』

 

 苦しげな呻き声を上げる、フランドール。

 室内に重苦しい威圧感が漂い、重力が何倍にもなったような錯覚に陥る。

 妖精さんを通じて、私にも彼女の威圧は届いていた。

 額に一筋の冷や汗を垂らしながら、私はひたすらフランドールに意識を傾けていく。

 見る。

 観る。

 視る。

 覗る。

 看る──みえた!

 同時に、視界の端にあるぬいぐるみが、なんの前触れもなく破裂した。

 

「っ!」

 

 思わず肩を震わせた私は、傾けていた意識をフランドール全体に広げる。

 いつの間にか彼女は右手を閉じており、笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

 

『フフッ』

 

 子供のような無邪気な笑顔とは裏腹に、フランドールの表情は恐ろしい。

 内から滲み出る狂気に彩られ、その形相は醜いとすら思ってしまう。

 これが、フランドールの狂気か。

 想像以上に、堕ちている。

 鬱憤が溜まっている、とありありとわかる面持ちだ。

 仕方ない事だとわかっているが、レミリアもフランドールの気晴らしに付き合えば良かったのに、と柄にもなく悪態をついてしまう。

 数瞬で呼吸を整えた私は、ゆっくりとした口調で尋ねる。

 

「いきなり、どうしたんだい?」

『ねぇ、妖精さん。わたしと遊びましょう?』

「遊び?」

 

 私の問いかけには答えず、フランドールはベッドから下りる。

 空に飛んでくるくると回り、七色の光を降り注いでいく。

 この光景だけを見れば、思わず見惚れるぐらいに良い風景だろう。

 その中心のフランドールが、狂の貌を宿していなければだが。

 

『妖精さん。今からわたしが掴まえるから、それから逃げてね』

「いや、私はまだやると言ったわけじゃ──」

『じゃあ、いくよ!』

 

 話が通じていないのだろう。

 一方的に言い切ったフランドールは、回るのをやめると右手を突き出した。

 瞬間、私の背筋に物凄い悪寒が走る。

 視界に映る光景がスローになっていき、フランドールの右手が遅々と閉じられていく。

 まずい。

 あれは、いけない。

 止めなければ。

 止めなければ、なんだ?

 死ぬ。

 あっさりと、殺される。

 アリを潰すように、呆気なく命を摘み取られてしまう。

 だけど、どうやって止めればいい?

 フランドールの手は、もう閉じられようとしている。

 このままでは、間に合わ──

 

「ぐぅぅぅぅぅぅうううッ!」

 

 咄嗟に、妖精さんとのリンクを切る。

 だが、フランドールの能力は私の元にまで届き、右目が爆発した。

 訪れる激痛を耐えながら、私は目を押さえて歯を食いしばる。

 もがいた事で湯のみが肘に当たり、倒れ込んでお茶を零す。

 涙で滲む左目を動かし、タオルを探していく。

 直ぐ手前にあるのを見つけたので、それを取って右目に添える。

 いまだに酷く痛いが、幾分か慣れて状況を省みる余裕ができた。

 

「……末恐ろしいね」

 

 能力については、知っていた。

 フランドールの【ありとあらゆるものを破壊する程度の能力】。

 彼女だけに見える目を握る事で、文字通りあらゆるものを壊す事ができる能力だ。

 あまりにも規格外な能力に、私は口の中で笑みを殺した。

 この身に受けて、実感した。

 あの能力は、妖怪としての存在をも揺るがす物だと。

 被害は替えがきく(・・・・・)右目だけで、良かった。

 あと少しでも判断が遅れていれば、私の顔右半分は粉微塵になっていたに違いない。

 そして、破壊された事が自然だと身体が認識して、顔が再生しないままになっていただろう。

 可憐な少女が持つには、とてつもなく恐ろしい能力だ。

 

「はぁ……とりあえず、治療をしよっと」

 

 ため息をついた私は、救急箱を取りに向かうのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 右目を中心に包帯を巻いた後。

 テーブルの汚れも拭き取り、私は椅子に深く寄りかかっていた。

 チクチクと刺さるような痛みにも慣れ始め、ひとまずは一安心といったところだろう。

 治癒能力の高さは、流石妖怪といったとこか。

 あるいは、妖怪の再生能力を持ってしても、容易に治せないフランドールの能力を賞賛するべきか。

 どうでもいい事を考えながら、私は思考を整理していく。

 恐らく、妖精さんはフランドールによって破壊されただろう。

 あの能力を受けて、無事で済むはずがない。

 しかし、収穫はあった。

 私の眼にはしっかりと、フランドールの内面が映し出されていたのだ。

 

「あとは、二つのバランスをどう崩すかだねぇ」

 

 狂気に覆われた心の中に宿る、小さな光。

 あの輝きを引っ張りだせば、フランドールは自身の狂気を抑え込めるだろう。

 そこは、私の腕の見せどころってね。

 一頻り笑った後。

 いまだに昂っている感情を鎮めながら、私は目を細めて呟く。

 

「それで、いるんだろう?」

「──あら、見つかってしまいましたか」

 

 向かいの椅子に、一人の女性が座っていた。

 まるで、アニメーションのコマとコマの間に入り込んだかのように。

 いつの間にか──という言葉すら、生ぬるい。

 初めからそこいた、と脳が認識するほどの自然さで、彼女はここに現れたのだ。

 扇で口元を隠している女性は、紫水晶色の瞳をこちらに向けている。

 座っているだけで感じる、底知れない雰囲気。

 先が見えない奈落の底を覗いているかの如く、あるいは果てのない天を仰いでいるかの如く。

 彼女からは、圧倒的な威厳が自然と滲んでいた。

 女性の背後にも、一人の女性がいた。

 伏し目がちに佇むその姿は、目の前にいる女性に心からの敬意を表している。

 両者共に幽香に並ぶ妖力を持っており、同時に私の知り合いだ。

 

「今日は気配が敏感になっててね。紫の気配がなんとなくわかったんだよ」

「なるほど。それならば、納得ですわ」

 

 絹のような黄金色の髪を揺らし、女性──紫は小さく頷いた。

 細められた瞳は叡智が渦巻いており、凄まじい速さで思考をしているのだろう。

 紫の演算能力は、恐らく妖怪一だ。

 こちらが一つの事を考える間に、彼女は千の物事を考えている。

 それほどまでに、紫とそれ以外に隔絶された差があった。

 

「ほい、お茶」

「いただきますわ」

「藍もどうぞ」

 

 扇を閉じて湯のみを持つ紫を尻目に、私は背後の女性──藍にも勧めた。

 しかし、彼女は申し訳なさそうに首を振るのみ。

 今この場では従者としている、と言外に示しているようだ。

 プライベートならもっと気安いのだが、これは真面目な話でもするのだろうか。

 もてなしが終わった私が席につくと、見計らったように紫が口を開く。

 

「異変は解決しました」

「おろ? そうなんだ? いやー、ここからだとよくわかんなかったけど、解決したのなら良かった良かった」

 

 頭を掻いて朗らかに笑う私を、紫はじっと見つめていた。

 宝石そのものと言えるほどに輝き、人間味を感じさせない瞳で。

 無言で視線を絡ませあってから暫し、不意に紫が表情を和らげる。

 すると、先ほどまでの張り詰めた緊張感は消え失せ、代わりに穏やかな空気が満ちていく。

 

「随分と、酷いしっぺ返しを食らったようね」

「あー……わかっちゃう?」

「当然ですわ。みずはの存在が揺らいでいますもの」

「え、マジ? そこまで危険な状態だったかぁ」

 

 予想以上に、私は危なかったらしい。

 一撃で河童を殺しかけるとは、流石吸血鬼といったところか。

 まあ、一週間ほど安静にしていれば、大丈夫だろう。

 長年の経験からそう結論づけ、お茶請けの饅頭を口に運ぶ。

 そんな呑気な私の様子を、呆れた表情で一瞥した後。

 気品溢れる所作で、紫は宙に指を滑らせた。

 相変わらず、見惚れるような動きだ。

 幽香を動の妖艶と表すのならば、紫は静の妖艶といったところだろう。

 大和撫子のような淑やかさな仕草の節々に、とてつもない艶やかさが含まれている。

 また、交渉時に覗かせる胡散臭さと合わせれば、年齢不詳の絶世の美女という感想に落ち着く。

 見た目は少女なのだが、雰囲気が大人っぽく見せているのだ。

 不意に、前世での言葉を思い出す──ゆかりんさんじゅうななさい。

 

「みずは?」

「うぇい!?」

「今、なにを考えていたのかしら?」

「えっと、紫ってすっごく綺麗だよねぇって」

「……そう」

 

 思った事を素直に告げると、珍しく返事までに間があった。

 紫の顔を見てみれば、頬が微かに赤く色づいている。

 これは意外だったのだが、なんと紫は誰かに褒められた経験が少ないらしい。

 普段の胡散臭い雰囲気が全面に出ているからか、誰もが彼女を敬遠しているのだ。

 しかし、フタを開けてみればどうだ。

 こんなにも少女らしい、可愛らしい反応を見せるではないか。

 幻想郷の人達の見る目がない、と思ってしまう私であった。

 自然とニヤニヤしていると、紫は一睨みしてから手のひらを上に向ける。

 そこには、一粒の球が乗せられていた。

 

「これは?」

「触媒よ。これには私の妖力が込められているから、今まで以上の眼になるはずだわ」

「……紫には敵わないなぁ」

 

 苦笑いを一つ。

 誰にも言っていなかったのだが、私の絡繰はお見通しのようだ。

 紫が察した通り、元々私の右目は義眼だった。

 こうなってしまった経緯は当然あるのだが、色々と苦い記憶と共にある。

 私の左腕と右目を失った出来事。

 思えば、紫ともその時からの付き合いだ。

 そう考えると、彼女が知っていてもおかしくはないだろう。

 

「幻想が込められた触媒と、それを否定する科学技術。一見矛盾している二つを組み合わせ、義眼を創造する──その手腕には脱帽ね」

「私からすれば、紫の地頭の良さの方が凄いと思うけどねぇ」

「あらあら。みずはに褒められちゃった」

「全然嬉しそうな顔をしないくせに」

 

 紫にとっては、当然の賞賛だからだろう。

 他人に呼吸ができて凄いと言われても、素直に喜べないものだ。

 彼女の中では、そういう次元なのである。

 紫の偉大さを再認識した私は、ありがたく球を受け取って仕舞う。

 

「渡す物は渡せたし、もう行くわね」

「あいあい。またいつでも遊びに来てねー……あ、そうそう。藍には用事があるから、少し借りてもいい?」

 

 そう尋ねながらも、私の視線は藍のある部分に釘付けだった。

 ゆらゆらと柔らかく揺れている、九つの金の絨毯。

 ここからでも質の良さは容易に窺え、正直もう辛抱たまらない。

 無意識に手をワキワキさせている私に、紫はため息をついて口を開く。

 

「好きにしなさい」

「よっし! らーん! こっちにいらっしゃいっ!」

「わ、わかったから御手柔らかに頼む……本当に」

「善処するー!」

 

 藍の九尾は魔性なのである。

 一度触れてしまえば、中毒になるほどのめり込んでしまう。

 流石は傾国の美女だ。

 ここまで私を虜にしてしまうとは……藍しゃま、侮れぬ。

 藍と戯れ始めた私を見て、紫はもう一度ため息をつくのだった。

 

 

 ▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●

 

 

 無数の目玉が覗く、不気味な空間。

 普通の人間がこの光景を見てしまえば、理性が容易く打ち砕かれて発狂してしまうだろう。

 そんな恐ろしい場所を、日傘を差している紫は我が物顔で進む。

 当然だ。

 この空間は、紫によって創られたスキマなのだから。

 境界を操ってスキマを創造して、あらゆる場所へ行ける移動手段になっている。

 もちろん、紫の能力の規模はこの程度ではない。

 恐らく……いや、ほぼ間違いなく、紫の【境界を操る程度の能力】は、もっとも応用力に優れ、それ以上に強力な能力であろう。

 局地的には、この能力を上回る物があるかもしれない。

 しかし、総合力として考えると、紫以上の能力はないと言ってもいいだろう。

 ただ、紫は何名か己に匹敵する……あるいは、それ以上の能力者を知っているが。

 スキマを通り過ぎると、自分の家であるマヨヒガの居間にたどり着く。

 藍はみずはの元に置いてきたので、現在は紫一人だけだ。

 縁側に歩いて腰を下ろし、ししおどしの音色を楽しむ。

 

「……」

 

 かこん、と小気味よく響く。

 自然と癒されるような雰囲気が漂っていたが、紫の顔色は芳しくない。

 扇の先を唇に添えながら、眉根を寄せて思案していた。

 紫にとって、みずはは良き理解者である。

 昔から自分の夢を手伝ってくれて、今も紫が愚痴を零しに来ても、嫌な顔一つせずに聞いてくれる。

 友人の名前を述べよと言われれば、何人かと一緒にみずはの名前が挙がるぐらいだ。

 それほどまでに信用しているし、また信頼もしている。

 好意もある。

 様々な者から胡散臭い妖怪と思われる中、みずはは変わらずに接してくれているからだ。

 もちろん、その他の有象無象にどう思われようと、紫にとっては心底どうでもいい。

 しかし、やはり心を通わせる友人がいるだけで、自分は救われていると理解していた。

 藍もみずはの事を好ましく思っており、できれば末永く仲良くしたいところだ。

 

「ふふっ」

 

 しかし、それ以上に──みずはには利用価値があった。

 彼女の能力による閃きに、紫をして警戒せざるを得ないその眼。

 みずはの眼……いや、能力には、比喩でなく森羅万象を見通す力がある。

 彼女が河童という種族だからこそ、その能力が劣化して閃きだけに収まっていた。

 紫の脳裏を過ぎるのは、みずはの能力が開花した時。

 左腕を引きちぎられ、右目を抉られ、今にも死にそうだったあの日。

 確かにその瞬間、みずはの中でなにかが変わったのだろう。

 少なくとも、傍から見ていた紫が一目でわかるほど、彼女の雰囲気は異質であった。

 

「うふふっ」

 

 不意に思い立った紫は、スキマを使って幻想郷の中心に転移した。

 スキマに腰を下ろし、空から眼下に広がる景色を見つめる。

 紫にとっては、恐れるに足らない人妖が住まう楽園。

 ずっと焦がれて、ようやく手に入れた大事な大事な宝物。

 自分の宝を壊そうとする者が現れたのなら、紫は幻想郷を愛する者として対応するだろう。

 それこそ、誰に喧嘩を売ったか、文字通り死ぬほど後悔させるまで。

 ただ、普段の異変に関しては、博麗の巫女に任せる所存であるが。

 

「貴女の目には、幻想郷はどう映っているのかしらね」

 

 己の式と戯れている河童に思いを馳せ、紫は少女然とした笑みを浮かべる。

 彼女の性格ならば、紫が誘導しなくとも幻想郷を守ってくれるだろう。

 また、自分が困っている時には、その能力を惜しみなく使ってくれるはずだ。

 それ以上に、友人だからという理由で、自分を支えてくれる確信がある。

 

「幻想郷は全てを受け入れるのよ」

 

 一体、みずはは自分になにを魅せてくれるのだろうか。

 己の手のひらで転がる内は、愉しませてもらおう。

 だが、手のひらから余るような存在になるのなら、その時は──

 

「紫様」

「あら、もういいの?」

「はい。みずはには満足していただけましたので」

「そう」

 

 瞬時に主としての面立ちに戻り、紫は頭を下げる藍を一瞥する。

 彼女の手には二つのタッパーが握られており、みずはの迂闊さにため息を漏らす。

 どこから知識を仕入れているのかわからないが、彼女は外の世界の物を造っている事がある。

 今回のタッパーが良い例だ。

 本人は隠しているつもりなのだろうが、紫にとっては子供の誤魔化しにしか思えない。

 今度、一つ忠告でもしておこうか。

 顔色を真っ青にして慌てるみずはの姿を幻視して、自然と紫は口元に弧を描く。

 

「紫様?」

「なんでもないわ。それで、そのタッパーの中身はなにかしら?」

「稲荷寿司ときゅうりのぬか漬けです」

 

 どこか、藍の表情は嬉しげなのは見間違いではないだろう。

 九尾が左右に揺れており、よほど稲荷寿司が喜ばしいと理解できる。

 また、紫もみずはのぬか漬けが大好物であり、浮かべていた笑みに歓喜の色を宿す。

 

「じゃあ、しばらくはこれが食べられるわね」

「はい。私も、楽しみです」

 

 笑顔で頷き合う主従。

 スキマを開いて入り込み、閉じる間際にもう一度、紫は幻想郷を眺める。

 改めて自分の気持ちを再確認した後、居間に戻ってスキップしそうな藍の背中を見送る。

 これから、ご飯の支度をするのだろう。

 紫の目からでも、彼女の機嫌の良さは一目瞭然だ。

 

「まったく……」

 

 二人がみずはに友好的なのは、もしかしたら胃袋を掴まれたからかもしれない。

 ふとそんな考えが過ぎった紫は、心の中で苦笑いをするのだった。

 自分も柔らかくなったわね、と思いながら。

 

 

 

 

 


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