「父上、これから何処に行くのですか?」
「私の古い友人の屋敷さ、お産の後ようやくシャルルの容態も安定したし奈々里の顔も見せろとアイツに催促されてね……と、そういえば夏海は行った事が無かったかな?」
「夏海の時は奈々里よりも小さかった事もありますし、以前お誘いを受けた時は夏海はやんちゃをし過ぎて風邪を引いて1人屋敷でお留守番でしたからね」
「ああ!そういわれればそうだった。道理で今回はいい加減息子の方も連れて来いと催促された訳だ……何だかんだあってここ最近は集まるに集まれなかったからな……」
「はい……」
揺れる車内、これから赴く事となる屋敷の主についてしんみりとした雰囲気となるがどうやら父と母の様子からして過去に屋敷の主人の身に何か良くない事が起こった事を感じ取り夏海は何とも言えなくなる。
「アイツが妻……葵さんを亡くしてもう10年になるのか」
「そうですね……私が貴方に嫁いで日本に渡って来た時にあんなに良くしてくれた方だったのに……」
「ああ……彼女は気立ての良い女性であの堅物で有名だったアイツが唯一惚れた女性だったのにな……流行病でな」
父と母は何処か遠い最も彼ら彼女らの人生が充実し楽しかった過去の記憶を思い出しながら今は亡き故人を偲ぶ。2人が零す話の内容からして、その葵という女性はお淑やかかつ温厚で優しい人なようだ。
「怒ったら無言で鉢巻と襷を締めて薙刀片手に吶喊してくる人だったがなぁ………」
「文字がそんなに分からなかった事を良い事に着せ替え人形にする契約書にサインさせられたけど……」
「……ん?んん?」
しかしその後続けられた言葉に夏海は思いっきりズッコケた。なんせ父親が思い浮かべていた記憶がその友人と飲み明かして酔って帰って来たらその女性が屋敷の前で鉢巻襷に薙刀を持ち仁王立ちしながら無表情で立っていて2人して酔いが一瞬で醒めた時の話であり、母親の方は来日直後に日本語の練習として名前を書き綴っていた用紙の中に「着せ替え人形になります」と書かれていた契約書を混入させられそれが読めずに流れで名前を書いてしまったがために物証を盾に嬉々として着せ替え人形にされたという控えめに言っても良い記憶とは言い難いものだったからである。
「…………」
………いや、それは違う。確かに2人が思い起こした記憶は確かに傍目から見れば決して良い話ではないのだろう。しかし今の目の前の2人を見れば分かる、きっと他人からしてみれば良くはないどうでも良いような話なのかもしれない、しかし2人にとってはとても大切なその女性との良い思い出なのだ。
「……良い人だったんですね」
「ああ……、とてもな」
己の妻が月とするならば彼女は太陽のような女性だったと父親は言う。快活で穏やかで、お転婆でお淑やかで、猫被りで内弁慶で、完璧に見えてどうしようもなくおっちょこちょいなうっかり娘で憎めない。だからこそ彼女は誰からも愛された、だからこそ彼女は多くの人を救ったのだ。そしてその救われた人物の中にはそんな彼女の夫となった人物や夏海の
そんな過去を思い返してしんみりとした空気となった車内であったが、そんな空気は唐突に起こった車両前方を震源とする揺れと暴発音に吹き飛ばされてしまった。
「なっ、なんだ⁉︎」
「ッ‼︎」
「あだっ⁈」
「きゃっ⁉︎」
縦横の強い揺れが続けて車内を襲う、その揺れや凄まじく後部座席に座る大人である両親や母親にしっかり抱かれていた赤子の妹は耐える事ができたもののただその間に挟まれるように座っていただけで身体の軽い夏海はシートベルトなんてものが未だ存在していなかったが為に椅子上で滑ってひっくり返ってしまった程である。
「何事だ?」
「申し訳ありません旦那様方、どうやらエンジンに何かあったようです」
どうやらさっきの音と衝撃は車のエンジンが
「ガス欠か?目的地はもうすぐそこなのだが……どうやら今日はツイていないようだな」
「申し訳ありません、すぐにでも修理か少なくとも路上ではなく近くの空き地に移動させたいところですが」
「我々だけでは無理だろう……たしか少し行ったところに神社と駐在所があるはずだ。そこで人手を借りよう」
とは言え、まだ目的地に辿り着けてすらいない事やそれ以上に故障したままでこのまま車を放置する訳にもいかない為人を呼ぶ事にした父親達は車を降りようとする。降りようと扉を開けたその時、何かに背後から引かれた感覚に振り向くとその服の裾を摘んで引っ張っていたのは夏海であった。
「付いて来るか?」
「うん」
裾を掴む夏海の顔色は素が
「しっかりとしがみ付いておくんだぞ?それ程高い山ではないが社務所は山の中腹近くにある、やはり子供の足ではあの階段は少々長過ぎるな」
「……うん」
身体が子供であるとは言え精神年齢だけなら同年代な父親にひょいっと手軽に担がれその背中で揺られているという事に少し微妙な気分になる夏海だったがやはり父の背中とは如何してか安心を誘うものなのだろう、都会から離れた地である為に綺麗な空気が吸える事も相まって最悪だった気分は父が一段階段を登るごとに回復し、その気分が元通りに戻った頃には子供どころか大人でも登るには十二分にしんどい長さのやたら長い階段のその頂きにある朱の鳥居を跨ぐとそれなりに広い場所に父と共に立っていた。
「ふぅ……さて、私はこれから社務所の方に手を貸して貰えるか聞いてくるが夏海はここで休んでいなさい」
「うん」
鳥居の前で降ろされた夏海は父親が道場らしき建物の隣に建てられた社務所に消えていく後ろ姿を見つつ、暇を持て余した夏海は広場の観察を始める。
先程くぐった朱の鳥居
石の参道とそこに並ぶ灯籠
手水舎
社務所とその隣に建てられた小ぶりな道場らしき建物
巨大な神木
神楽殿
石段前のもうひとつの鳥居
そして拝殿と本殿へと続く更に山の一段上に続く石段
「……ん?」
そこでふと、その景色に強烈な
「『
「誰だ?お前?」
「…………」
夏海が呆気に取られるその先には同い年くらいの子供、後に未来で御国夏海と陸海軍の双璧を為す存在となりそして唯一無二の親友……ついでに義弟となる枢木
❀ ✿ ✾ ✿ ❀
「ようこそ、異界より訪れた
ここに来るまでに割りかし洒落にならない一難を無事……とは言い切れないがなんとか切り抜いて今この場に遥々やって来た零であったが、目の前に鎮座する円卓とその先に座る明らかに軍人であると思われる顔触れに「一難去ってまた一難とは……」と思わず声に出しそうになるのを堪えながらチラリと己の背後を見る。
「…………」
固く閉じられた分厚い扉、その側には自分をここまで案内して来た西住みほ陸軍少尉の姿があるが若干前に顔を俯かせておりその表情は伺えない。しかし現状の彼女の姿と何となくこの部屋に辿り着く前から感じていた彼女の罪悪感らしき雰囲気からして彼女は目の前の集団とは
「私はこの集まりでは副議長としてこの席に付いている者で、今回は欠席された議長に代わり進行を務めさせてもらう。辻笠人陸軍中将だ」
「陸軍……しかも将官か」
そして零の目前に鎮座する巨大な円卓とそこに着く制服やスーツを身に纏う老若男女数名の姿をその視界に収めると同時に始められた紹介を兼ねたその挨拶に、
「その通り、この集まりは主に現職の軍人とそのOBが集まって結成されたものでね。生憎皆それぞれの職務で忙しく幹部全員の顔が揃っているわけではない事に関しては許して欲しい」
お陰で他人に反応を変に不審がられる事は無かったその反面、その反応の薄さからイマイチ話に付いて来れていないと判断したのか更に噛み砕いた理解しやすいような紹介を副議長を務める男──しかも苗字からして例の「辻陸軍参謀」の子孫かその血縁者らしい……辻参謀と言われれば戦中に作戦も本人も無茶し過ぎて朱雀(当時陸軍中将)に殺人チョップを脳天にブチ込まれた挙げ句、後方に居たら何かヤバイ事を仕出かすか分からないが為に朱雀に見張りも兼ねて連れられて最前線にブチ込まれた海軍の黒島参謀などと並び日本三大(変態)参謀の1人である──は続けて説明を零に向けて行う、が寧ろ理解しているが故に発生した頭痛と胃痛にトドメを刺しに来ている状況である為に零にとっては1mmも嬉しくない善意である。
それにぱっと見た限りだが参加者の年齢層は恐らく40前後から退役間近の60中頃、また同じく所見ではあるが軍服を着て襟章や肩章に幅広の黄の地に花弁をひとつふたつを付けている将官クラスの人間も少なくはない……何の因果かこの時代に現れてから得た戦後日本について
「……密会や会合なら赤坂でやるべきだろう、何故よりによって
「内密にここを借りられるだけの伝手がありましてね、何よりここはそういう事をしそうでしない場所でしょう?」
否定はしない、まあ常人では霞ヶ関のど真ん中で腹黒い陰謀が渦巻いているのは想像できても、そのど真ん前でこんな悪巧みをしているのを想像しろという方が無理がある。それに赤坂やら新喜楽やら小松やらは全部政府や軍部高官いきつけの料亭の事であり「木を隠すならば森の中」という諺通りそれらに紛れるようして人目を忍ぶならば確かに料亭も会合場所とするならば悪い判断ではないが、やはりそういったことをする場所であるというイメージが強過ぎる事や人の口に戸は立てられないという秘匿性の問題も大きい為第1次大戦以降から高度経済成長期頃まで多くの政治家やら軍人やらが会合場所として活用してきた料亭も今や
「……そう言えば私の2人の娘達が貴方のお世話になったそうね」
「娘……達?娘……まさか」
現実逃避も兼ねてふと過去に思いを馳せていた零であったが同じく円卓に座る妙齢の女性からよく分からないお礼を言われた事で現実へと引き戻される、娘と言われて思い浮かぶのは佐世保でお世話になった七海の指揮下にある艦娘と横須賀まで一緒だった
「私は西住しほ、陸軍では少将をやっています」
「………」
そう西住まほ陸軍少佐と西住みほ陸軍少尉の2人組である、そして目の前の女性もまた西住しほと名乗った事から間違いなく彼女達3人は親子であった。あまりの西住
「それはさておき…………
「ええ、大方合っています」
零が頬を痙攣らせている間にもそんな零の様子など大して気にも止めず西住しほは己の卓の前に広げられていたA4の用紙に視線を落としそこに書かれていた零の資料、経歴を音読する。それに何とか引き攣った表情筋を解した零が「相違ない」と頷くが実際のところは本当の経歴の大筋を変えずに零や七海が大淀や明石に響を含めてあーでもないこーでもないと案を出し合って作った偽造された嘘八百な経歴である。
具体的に言うと……
「ふむ、元軍人……という訳では無いのですね」
「の……様ですね。立ち振る舞いからして
「うむ……」
が書類だけではともかく実際に実物と会うとなると見た目では完全に誤魔化せるとは限らないようで、四半世紀に渡って身体に染み付いた軍人特有の雰囲気や習慣が滲み出ているのか調書と実物を見比べている彼ら彼女らも何処か引っ掛かる様子で調書裏付けの為の幾つかの質疑応答を交える。趣味や好きなモノ・昔の将来の夢・家族構成・具体的な出身地・過去の思い出など一見ただ聞いているだけであれば特に意味を感じられないような話題も多いが勿論その中には質問に答える解答者の持つ主義や思想・精神・意思を鑑定する特殊な質問が紛れ込まされており、それと同時に解答者が何気なく答える出題者にとって当たり前ではない回答者にとっての当たり前を知る為の情報源としても活用される為にその
「ではこれが最後の質問だ、君がこの世界に訪れて約1ヶ月が経った訳だが……自分が居た世界と何か違う部分、歴史・社会・国家・地域・名称等は無かったかね?」
「そうだな……」
そしてそんな対話の果て、時間にして1時間もあるかないか程度の筈がやけに長く感じられた体感時間を経て最後に辿り着いたその問いは今まで問うてきた彼らにとって何よりも
「歴史が、違った」
そんな重苦しい雰囲気の中、零はそう一言だけを告げる。だが「歴史が違う」、ただその一言だけでその場に居た者全てに緊張が走りその一瞬だけその空気が凍る。
「……聞かせてもらえないか、どう違ったのかを」
だがその中で
「1945年8月15日、日本は連合国側が提示したポツダム宣言を受諾し9月2日降伏文書に調印、5年に及び世界を戦火に包み全てを灰燼とした第2次世界大戦は連合国側の勝利で終結した」
より一層重く暗くなった雰囲気の中で、それでもはっきりとだが静かに零の口から答えられた
だがそれも予想された「答え」でもあった。
あの大戦、泥沼化していたユーラシア大陸戦域における対中・対ソ戦線は兎も角環太平洋戦域における対米戦線では万が一の可能性を除いて大日本帝国が勝利する可能性は
故に
「そうか……君の世界では日本は敗れたか……」
「ええ、それでも未来は残りました。日本という国と人が、命懸けで戦った先人達の想いと命を礎に平和を築きましたよ」
現代を生き
「
ぽつりと、誰かが零した独り言にも近いその言葉に零はそう答える。そして答えられたその言葉の中にあった
「……これで質問は全てだ、後の事は外の者と少尉に任せてある。来訪者殿、御足労感謝しました」
「……では」
決して短くはなかった沈黙とその最後の質問を終えようやく副議長の男から退室を許可された零が案内人であったみほとともに退室しようと背を向けたその時、彼を呼び止めるようにその老人からひとつの問い掛けを投げ掛けられる。
「そうだ、ひとつ君に聞いておかねばならない事がある」
「……何でしょう」
「君はこの国が好きかね?」
「…………能力を発揮したいと思う程度には」
投げ掛けられた問い、それを背を向けたまま聞いた男は少しの空白の後に振り返りつつそう答えた。
「‼︎………ふっ、ならばこの国は
「…………」
老人の問いに答える為、振り返ったその男の顔は一体どのような顔だったのか。
笑っていたのか、
怒っていたのか、
嘆いていたのか、
泣いていたのか、
それとも……何もなかったのか。
それは振り返ったその顔を見た老人達のみぞ知る。
「以上だ、行きたまえ」
ただ、それ以降振り返る事もなく部屋を去っていったその男の「本心」がそこに在った。
補足メモ
●西住しほ陸軍少将
元陸軍戦車教導隊の出身であるが防衛戦(当時大佐)では戦力増強の為精鋭中の精鋭である教導隊は沖縄に配置されそこでの功績を以って昇進した戦後初の女性日本陸軍将官であり最年少記録も更新した陸軍輩出の名門西住家の今代当主、二児(まほ・みほ)の母であるがその娘達も現在陸軍に居る。
沖縄では深海棲艦による猛攻で本部との通信が途絶する中で各部隊を纏め上げ混成部隊(後の島嶼防衛特化部隊の礎となる)を編成し飛来する深海艦載機を戦車砲や機銃で撃墜したり(足りない俯角は瓦礫に乗り上げて稼いだ)爆撃を殺人ブレーキを利用した殺人ドリフトを実施して躱したり(辛うじて他の搭乗員は生きていた状態に対し本人はピンピンしていた)挙げ句の果てには飛んで来た艦砲射撃を戦車砲で迎撃したりした指揮官としても超優秀でしかも戦車に乗せれば意味が分からないくらい強いと言う怪物を通り越した漢女。
現場を退き軍統合司令本部勤めとなった今でも時々ストレス発散も兼ねていつのまにか
因みに、その彼女の愛車とは教導隊の時から乗り込んでいた90式戦車である。
●「
第二次大戦以降の冷戦期頃に誕生した小さなとある会をその前身として「大海戦」並びに「防衛戦」以降に密やかに再結成された現職ないしOBの日本陸・海・空軍と海兵隊の将校や一部政治家、企業家などを幹部として組織した秘密組織。組織としての運営方針は主に幹部連中が帝国ホテルのとある一室を貸し切り一同に集まって行われる合議により決定されおり、その決定された意思が軍や政界に与える影響はそう小さなものではない。(現に来訪者達が現れた場合は「適性試験」と称しまず彼らの元に一度連れて来られる事になっている)また一方で特定の名称は無く存在を知るものからは通称「愛国者達」として呼称されているが、しかし実際にその会議に参加する者達が己達をそう名乗った事は一度もない。
なお、主に今のこの会議・組織を構成する構成員、特に幹部のメンバーは7年前に1度目の「1945年9月2日」に日本が「無条件降伏」をした世界線での歴史を訊いてしまった元「軍統合南西諸島防衛司令部」及び「