オーバーロード ~経済戦争ルート~   作:日ノ川

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最近ずっと帝国の話ばかりだったので、短編集形式で他の人達が何をしているか、という話です
今回の話ではweb版のみに出てきた設定や、詳細な語られていない箇所を独自設定にしていますので注意して下さい


第39話 それぞれの現状

「ふむ。ナザリックには遠く及びませんが、今出来る準備ではここが限界でしょうか」

 帝城からほど近い高級住宅街の中にある一軒の邸宅、その中でデミウルゴスは周囲を見回しながら呟く。

 元々この中にいた住人は全て捕らえて、牧場に運んである。

 持ち主不在で空になった内部を改装し、主を迎えるための準備を進めていた。

 人間基準で言うのなら十分な広さの部屋はナザリックの玉座の間やデミウルゴスが守護している第七階層に造られた赤熱神殿をモチーフにしながら内装が整えられ、作業を始める前と比べると随分まともになったと思うがそれでも本物のナザリックとは比べることも出来ない粗末な出来だ。

 だがこの為にわざわざナザリックから人員を連れて来ることも出来ない以上これが限界だろう。

 帝国での計画の最中だというのにデミウルゴスがこうしてここで主を迎えようとしているのは理由がある。

 

 状況が変更され、主がデミウルゴスの計画を修正し昇華したことによって、情報の擦り合わせを行う必要が出てきた為だ。

 変更された状況とは一つは今まで出来ていなかったアンデッドの普及。もう一つはマーレを従者として連れてきたことだ。

 前者は確かに以前より主が商品として出すタイミングを見計らっていたこともあり、デミウルゴスもその可能性は考えていたのですんなりと納得出来た。悪魔達には精々主が生み出したデス・ナイトの引き立て役になれるように空を飛ばずに接近戦で戦う者を中心に向かわせることにしよう。

 もう一つのマーレの従者選出は全く想定外だった。アルベドから、あと少しだったのに。という呪言と共に悔しそうな声でマーレとユリが従者として帝国に来ることになったと聞いた時には特に気にしていなかったが、悪魔達に帝城を攻めさせている間に帝国内の情報を集めていた最中にそれに気付いた。

 

 帝国ではエルフを始めとした奴隷売買が許されていることに。

 マーレは闇妖精(ダークエルフ)だが、近親種であることと人間では無い奴隷という立場上、人権が無く国から切り離されている存在であることを踏まえて主がしようとしていることに気がつき、デミウルゴスは直ぐに手を打った。

 配下の八本指が王国では活動出来なくなったため、帝国に手を伸ばした奴隷売買部門の息が掛かった奴隷商の所有するエルフを支配の呪言によって強制的に蜂起させ、それを手助けし帝都の一角に立てこもらせた。

 これだけで主は直ぐに状況を理解してくれることだろう。

 急な事ではあったが、同時にデミウルゴスにとっては喜ばしい事でもあった。

 恐らくはこの作戦は主がマーレを従者として選出された後で思いついたものに違いない──主が初めからその為にマーレを選んだのであればアルベドがあれほど悔しがる事もないだろう──その後、主が帝都に着くまでの間、時間はあったはずだがデミウルゴスに作戦変更の知らせはこなかった。恐らくこれはデミウルゴスならば言葉にせずとも理解し実行に移すという信頼故だろう。

 これが別の守護者ならばきっと主は一から説明したはずである。それをしなかったのは主が自分の知力を信用してくれたからに違いない。と考えたのだ。

 とはいえ、主が日頃から話し合うことの重要性を説いていることと、万が一以下だろうがこれを主が思いついていなかった可能性を考慮し、一度作戦の最中に合間を縫い、ここで落ち合うことを提案するつもりだ、後は主人からの連絡待ちなのだ。

 

 となればデミウルゴスのやることは決まっている。

 あばら屋に等しい状態の場所に主をお迎えすることなど許されない。

 慈悲深い主は気にしないと言ってくれるだろうし、時間が無いのであれば仕方ないが、幸い既にデミウルゴスがやるべきことはほぼ終了し、後は皇帝の帝城奪還作戦に合わせて指示を出し、主の引き立て役を務めるだけだ。

 だからこそ、デミウルゴスはこうして主を迎え入れるための準備に心血を注いでいると言うわけだ。

 何をおいても先ずは玉座。ということで以前主に座って貰うために造り上げた玉座──結局あの時は守護者(シャルティア)に座するという至高の御方に相応しい椅子の存在によって日の目を見ることはなかったが──に更なる改良を重ねた一品を配置した。

 

 この椅子に主が座するところを想像するだけでデミウルゴスは全身に歓喜が漲る。

 しかし他の品はどれもこれも、主に相応しいとは言えない物ばかりだ。

 ナザリックから持ち込むことも考えたが、話し合いが終わった後は直ぐに計画を開始しなくてはならないため、全ての荷物を運び出す時間は無い。

 椅子だけは最低限持ち出すつもりであるが、後はそのまま戦いの余波で破壊されたということにするつもりだ。

 当然ナザリックの装飾品や調度品を破壊することなど許されないため、仕方なくここに残された物と、これまでデミウルゴスが現地で収集した物を使って飾り付けを行っていたのだが、やはり納得にはほど遠い。

 いつかのアウラの気持ちがデミウルゴスにも今更ながら理解出来た。

 

「いえ、まだ時間はありますし。もう少し手を加えましょうか」

 主を迎えるための準備なのだ。

 時間があるのだから、現状で満足せず今出来る最良を求め続けるべきだと思い直す。

 そう考え、デミウルゴスは今一度内装を一から見直すことにした。

 勿論作業を行いながらも頭の中では現在までに得られた情報を元に更に計画をよりよい方向にもって行くことは出来ないかと思案は続行している。

 

「あの人間もどうやら間に合ったようですし、アインズ様がお喜び下されば良いのですが」

 自分が主と比べ知力に大きな差が開いているのは理解しているが、それでも努力は続けるべきだ。

 いつか主にも思いつかないような策略を考えつき、主に誉めて頂ける自分になる。

 その時のことを想像すると、先ほど以上の歓喜が全身を包み、自然と体が震えて行くのを感じた。

 その幸福感を抱いたまま、デミウルゴスは自分の仕事を全うすべく、行動を再開させた。

 

 

 ・

 

 

 薄暗い宿の中、ラキュースは他の二人がしっかりと眠っていることを確認する。

 ガガーランとティナはラキュースの<死者復活(レイズデッド)>によって失った膨大な生命力を取り戻すために危険の中に身を置き、激しい戦いを繰り返した後だ。

 よほど疲れたのか食事を済ませると早々に眠りに就いていた。

 少人数で戦う方が遙かに効率よく生命力を回復出来る。イビルアイに教わった、れべるあっぷなる儀式の為にティアとイビルアイは王都に残っている状態だ。

 自分は一応何かあった時のためにこうして同行しているが、戦闘には加わらなかった。

 それが歯がゆくもあり、ラキュース自身もっと己を高めたいという思いもあるが、それを抑え込みながらただ見守り続けていた。

 そうした激しい修行の後、今日使用した消耗品のアイテム補充を行っている時、ラキュースは流れの露天商が広げていた商品の中でそれを見つけた。

 

 改めて二人が寝ているのを確認してから、ラキュースは二人に内緒で購入し自分の荷物入れに隠していた一冊の本を取り出した。

 

「よし。では早速」

 気合いを入れるように頬を打ち、僅かに体に付きまとう眠気を追い払った後、購入したばかりの英雄譚に目を通し始める。

 数多くの英雄たちの活躍を記した英雄譚を読むのは、子供の頃から彼女の趣味の一つであった。

 しかし粗方の英雄譚を読み尽くしたラキュースは読むだけでは満足出来ず、いつからか自分で執筆する事を秘密の趣味としていた。

 それは自分が実際に経験した冒険を書くこともあれば、作家になりきって自分で考えた英雄達を悪竜や魔神と戦わせる話を作ることもある。

 どちらもまだまだ稚拙で世間に公表することはおろか、仲間達にも一度も見せたことのないものだったが、これを読み終えた後ならいつも以上に良い物語を思いつけそうな気がする。

 今日購入したこの英雄譚、十三英雄に代表されるかつての英雄ではなく、現在活躍している現役の冒険者を題材に吟遊詩人(バード)達が唄い上げた物語を本として纏めたものであり、正式な本というよりはそれを聞いた誰かが勝手に作った海賊版に近いもので、それだけにかなり値が張ったが後悔はない。

 こうした今を生きる英雄を綴る話では、明らかに自分達蒼の薔薇を題材にしたと思われる本に出会ったこともある。

 それを見つけた時の嬉しさと恥ずかしさが混ざり合った感情は今でもよく覚えている。

 しかし、これはそれとは違う。

 題名は漆黒の英雄譚。

 突如としてエ・ランテルに現れ、瞬く間に最高位冒険者に上り詰めた、あの英雄モモンの活躍を記した物である。

 

 

 夢中になって話を読み進めていき、物語は佳境に差し掛かる。

 

「この間のドラゴン退治までもう伝わっているのね」

 たった一人で三体もの強力なドラゴンを身の丈程もある大剣で一刀両断にしたという話が情感たっぷりに綴られている。

 自分達のことは伝わっていないのか、物語には出てくることなく相方であるナーベと共に、かつて奪われたドワーフの王都を奪還するためにたった二人でドラゴンを打ち倒したと言う話に改変されているが、それでも自分とは違う、本職である吟遊詩人(バード)によって考えられた台詞の数々は実に心を躍らせる。

 是非とも本物の吟遊詩人(バード)の唄と音楽に乗せて聞いてみたいところだ。

 

 ほぅ。と熱い息を吐き、今読み終えた物語を頭の中で思い浮かべる。

 実際に現場を目撃していたイビルアイによって事細かに聞き出してある──イビルアイ自身が話したがっていたということもある──ので映像化は容易だった。

 両手に一本ずつ巨大なグレードソードを持ち、それを強大な膂力で自在に振るう。

 漆黒の全身鎧に身を包んだ英雄。

 そしてその後ろで背を守る純白の鎧を身につけた神官戦士──

 とそこまで考えついて、ラキュースはその光景のあり得無さに、閉じていた目を開き慌てて頭を振る。

 

「っ!」

 声にならない悲鳴を上げながら思わず立ち上がり、無意味にその場を歩きながらぐるぐると回り気持ちを落ち着かせる。

 こんなことは今まで無かった。

 話を考える時は自分の現在の力量以上を想像し、それこそ単独でドラゴンを退治して無双したことも数多い。

 妄想の中ならばどんなことを考えるのも恥ずかしくは無かった。

 時々興が乗りすぎて声に出してしまい、それを仲間に見られたときは流石に恥ずかしかったが、頭の中でと限定すればどんなことでも出来ていたというのに。

 

「恐れ多い……そうだ。今の私がモモンさんに並び立つなんて流石に恐れ多いからよ、そうに違いないわ」

 口に出すとそれしかない。という気がしてくる。

 あのフロスト・ドラゴンの巣があったドワーフの王都で、ラキュースは少しずつでもモモンに追いつけるように努力すると約束した。

 だからこそ自分も修行したいとの思いがあった訳だが、やはり自分達の強みは仲間達との連携による強さ。

 ガガーランとティナの完全復活を待ってからみんなで成長して行く方が自分達らしいと思える。

 故に今はまだ、あの時から何も成長していない状態で、遙かな高みにいるモモンと並び立つような姿を想像したのが、烏滸がましく感じたのだろう。

 これまでは明確には不明だった自分の未熟さを理解出来たが故の恥ずかしさに違いない。

 しかしそれなら、今までのラキュースが妄想した理想の自分自身も同じように恥ずかしく感じそうなものだが、それは不思議と今までと変わりなく想像出来る。

 これは一体──と深みにはまりそうな想像を振り切り、ラキュースは改めて物語を創造し始める。

 

(並び立つ。というのが問題なのよ。つまりは自分がまだまだだと自覚して、あくまで手伝ってもらう……いや守ってもらう?)

 そう考えた瞬間、イビルアイが何度も何度も、しつこい程に語ってきたモモンに抱き上げられながら戦う姿が思い浮かぶ、しかしその想像の中でモモンに抱き留められていたのは、イビルアイではなく──

 

「ああ! 何でそうなるの! 私は英雄を目指しているの! そんな守られるだけのお姫様みたいなのは私には──」

 

「何をやっているんだ、お前は」

 

「キャ!!」

 後ろから突然掛かった声に体が震え、自然と短い悲鳴を上げてしまう。

 恐る恐る振り返った先にいたのは、仮面とローブを纏った小さな人影。

 

「……イビルアイ? どうしてここに」

 今は王都にいるはずの仲間の姿にラキュースが問いかけると、イビルアイは仮面越しでも分かるほど明確に呆れた息を吐きやれやれと言わんばかりに首を横に振る。

 

「二人の様子を見に来ただけだ。後はいくつか仕事の依頼が来ているのでな、いつ頃から仕事を再開するかも相談しようと思ってな」

 そんなことを言いながらイビルアイは仮面を外し、懐に仕舞い込む。

 

「あ、ああ、そう。そうね。相談は大切よね」

 ここを拠点にして近場に出没するモンスターを狩っているのは王都に残した二人にも説明していた。

 この宿は蒼の薔薇が依頼の途中や修行を兼ねたモンスター討伐の際によく利用する宿であり、泊まる部屋もいつも同じ──この宿で一番良い部屋だ──である。だからこうしてイビルアイが転移で現れるのは予見出来ることではあった。

 今日はあの本を手に入れた興奮ですっかり頭から抜け落ちていた。

 

「例のあれか、魔剣キリネイラムの呪いか? いつかガガーランが心配していたぞ。神官が魔剣に呪われるなんて恥ずかしいのは分かるが、私たちは仲間だ。必要なら力を貸すぞ」

 

「い、いや! 違う、違うから。大丈夫だ、心配ない」

 妙に情感の籠もった声で心配され、慌てて取り繕う。

 

(ガガーラン。イビルアイに話したのね。もしかしたら他にも? とにかく、今は誤魔化すしか)

 あの時魔剣の設定を考えていた自分が、興に乗って声に出してしまったあれを、ガガーランに見られたことは覚えている。

 それをイビルアイにも相談していたとは。本気でラキュースが魔剣の呪いに支配されていると思われ続けていたのだろう。

 

「ならいいんだが……それで二人はどうだ? 力は戻ったか?」

 

「ああ、うん。大丈夫よ。大分力は戻ってきている。蒼の薔薇として活動を再開出来る日も近いわ」

 露骨に話題を変えられてしまった。

 どこか慈愛に満ちた優しさを感じるのは気のせいだろうか。

 けれど好機なのは事実、ラキュースは口から出そうになる不満を飲み込んで、自分を落ち着かせる。

 

「二人はもう休んでいるから、ここで話しましょう。届いた依頼はどんなものなの?」

 

「ああ、纏めてきた。これだ、えっと机借りるぞ」

 ローブの中から何枚かの依頼書を取り出し、イビルアイはそれだけ言うと机に近づいていく。

 

「あ、ちょっと! イビルアイ、そっちは」

 止める間もなく、イビルアイの目が机の上に釘付けになる。

 正確にはそこに置かれた本に、であろう。

 

「こ、これは! 漆黒の英雄譚、モモン様の活躍が書かれている本じゃないか! 王都のどこにも無くて、エ・ランテルまで足を延ばそうかと思っていたのに。何故ここに」

 やはり気づいてしまった。

 あの事件以降、イビルアイはモモンに心酔というかはっきり言って恋慕の感情を持っているらしく、モモンが王都に戻る日を心待ちにし、何度も魔導王の宝石箱に通っていたらしいが、件の漆黒はつい先日ドラゴンを運び終えると直ぐに別の依頼が入ったとかでそのままエ・ランテルにとんぼ返りしてしまったらしく結局会えなかったそうだ。

 その時のイビルアイの落ち込みようは見ていられないほどだった。

 ラキュースとしても、色々と話したいことがあったので残念でならなかった。

 

「この町の露天商が一冊だけ持っていたの。それなりに値が張ったけどね、同業者の情報を集めるのは重要でしょ」

 我ながら苦しい言い訳だ。情報屋や同業者に金銭を支払い情報を得るのならばともかく、面白おかしく脚色された英雄譚では信用性など皆無だろう。

 

「……ラキュース。これを私に譲ってくれ! お金なら払うから」

 

「ダメ! それ一冊しかないんだから」

 

「なんだと! いいじゃないか、私がモモン様に会えないことでどれだけ苦しんでいるかお前も知っているだろう!」

 

「それは……」

 そうだけど。と言ってしまったらその時点で譲ることが確定してしまう気がする。

 イビルアイの手が伸びるより早く、ラキュースは机の上から本を取り、イビルアイでは背丈的に届かない頭上に掲げる。

 

「ぬぬ。怪しい怪しいと思っていたが、やっぱりそうだったな! ラキュース、まさかお前が競合相手(ライバル)になるとはな」

 ピシと人差し指を伸ばして真っ直ぐにラキュースに向けてくる。

 

「何の話よ、とにかく諦めて。王都に戻ったら貸してあげるから」

 イビルアイがなにを言っているのかはよく分からなかったが、これだけは譲れないときっぱりと言い切る。

 

「このー」

 単純な腕力でも吸血鬼として高い能力を誇るイビルアイだが流石に仲間から無理矢理奪うことは出来ないらしく、その場からピョンピョンと跳ねるようにしながら頭上に掲げられた本へと手を伸ばし続ける。

 それを躱そうとするラキュースとの攻防は騒いだ音で眠りを妨げられたガガーランとティナの不機嫌な声が聞こえるまで続けられた。

 

 

 ・

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第二階層屍蝋玄室。

 第一から第三階層までの守護者シャルティア・ブラッドフォールンの住居である。

 墳墓内とは異なる淫靡な空気が漂い、濃密で甘い香りが部屋中に充満している。

 その中でシャルティアは気だるそうに椅子に腰掛けており、その前には彼女の部下であり愛妾でもある吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達がずらりと並んでいた。

 そんな彼女達に対し、シャルティアは自分の横に立たせている男に小指を向ける。

 長く伸びた爪が指し示した先にいる男、ブレインは吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達の視線を一身に受けて緊張のためかゴクリと喉を鳴らしている。

 

「コレはわたしが、この世界で作った眷族でありんす。皆、一応顔を覚えておきなんし」

 

「あ、どうも。よ、よろしくお願いします」

 キチンとした礼の仕方も分からないのだろう、媚びるような曖昧な笑みと共にブレインが頭を下げる。

 瞬間、シャルティアの拳がその場で振り抜かれた。

 

「ブハァ!」

 ブザマな悲鳴と共にブレインはそのまま横に吹き飛んでいく。

 

「このように、ロクに礼儀も弁えておりんせん。アインズ様からコイツに礼儀作法を身につけさせるように、とのご命令でありんすが、このままコイツを第九階層のセバスやメイド達に預けたのでは、わらわの沽券に関わりんす。よって最低限、お前達がナザリックのルールとマナーを叩き込みなんし」

 

「はい。シャルティア様、我々にお任せを。必ずやそれをどこに出しても恥ずかしくないよう仕込んで見せます」

 代表して一人の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)がシャルティアに告げる。

 

「お前もそのように……ん?」

 それを満足げに見た後、ふと横を見ると未だにブレインが起きあがっていないことに気がつく。

 少し強く叩きすぎたと思わないでもないが、そんなことよりシャルティアが声を掛けたというのに倒れたままなのは無礼この上ない。

 

「おい。いつまで寝てるんだ?」

 

「ひゃ、ひゃい。申し訳、ございません。全霊を以って覚えますので、どうぞ、よろしくお願い致します」

 ヨロヨロと自分の刀を杖代わりに立ち上がり、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達に礼を取るブレイン。

 その時点でシャルティアは男から興味を失い、次いで今はここにいない主のことを思い浮かべる。

 

「あぁ。アインズ様は如何過ごされているのでありんしょうか。マーレが羨ましい、ユリまで一緒なんて、最高でありんすのに」

 普段人前であればこんなことは口にしないが、ここにいるのは全てシャルティアの部下達だ。

 なにを聞かれようと構わない。

 主とユリ、二人の間にいる自分を想像して吐息が熱くなり、その高ぶりを治めようかと、愛妾を呼ぼうとしてふと思い出す。

 主がシャルティアに命じていたもう一つの仕事、いや。仕事というよりは提案と前置きしていたが、シャルティアからすれば同じことだ。

 ブレインが主のお役に立ったから、何か褒美でもやったらどうか。とのことだったが、本来主の為に働くことなど当然であり更にブレインはシャルティアの配下であって至高の御方に作られた存在でもない以上、そう言った気遣いなど一切必要を感じないのだが、他ならぬ主がそれを望むならシャルティアは従うだけだ。

 さて、なにをやろうか。と考えたとき、フラフラしているブレインが持っている武器が目に留まる。

 シャルティアがブレインを眷族にした後、調査がてらブレインに自分のことを語らせた際に、この世界では最高級品の武器だと本人が語っていたため、もしもそれが主に害をなせるような代物だったら困ると鑑定した結果、想像以上に微妙な代物だった為危険は無いと判断し持たせたままにしていたが、よくよく考えるとブレインはこれからも主の命で仕事をすることになる。

 となると、あのような弱い武器を持たせていてはナザリックの格が疑われるというもの。

 シャルティアは何かないかと部屋の中をグルリと見回す。

 ここはシャルティアの寝室ではなく拷問部屋であり、中にはそこかしこに器具が散乱している。

 その中に一つ、地面に転がったままの武器を見つけ、シャルティアはそれを持ってくるように告げる。

 

「うーん」

 受け取った刀、鞘拵えはそれなりに見れたものだ。刀身を抜くと同時に青い冷気が発生した、大した武器ではない。それどころか何故この程度の武器がここにあったのか分からないほど弱い物だ。別の部屋には乱雑に多量の武器が放り込まれた部屋もある、そこから持ち込まれたものだろうか。

 だが、それでもブレインが持つ武器よりは大分マシだろう。

 これでいいか。と考える。

 本来この部屋にある物は全て至高の御方が用意したものであり、それをブレインのような者にやるのもどうかとも思うが、場合によってはブレインは主の護衛をすることもある──一応門番なのだから可能性がゼロではないだろう──のだから構わないだろう。と自分を納得させる。

 

「お前、これを渡しんす」

 

「は、はっ! わ、私ごときに、よろしいのですか?」

 周囲の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達に不満げな色が加わる。

 嫉妬だろう、可愛いものだ。

 後で可愛がってあげよう。そんなことを考えながら適当に頷く。

 

「あー、お前は人間達の前でアインズ様の護衛をすることもありんすから、これを使ってアインズ様を守りなんし」

 そう言って剣を投げて渡す。

 突然投げつけられて驚いたような態度を見せたが落とすことなく無事に受け取り、うっとりと嬉しそうに顔を歪ませる。

 まったくもって無様な顔だ。

 少しは主のどんな時でも変わることのない冷静な面構えを見習えと言いたいところだが、こんな奴と主を比べること自体が不敬な考えだと思い直す。

 

「こ、このような素晴らしき宝刀を授かり、感謝の言葉もございません。これを使いこの命──この体が動く限り全身全霊を以ってアインズ様をお守り致します」

 この程度の武器にそこまで感激されても。

 温度差についつい冷めてしまうが、向こうが喜んでいるのだからわざわざやる気を削いでやることもないだろう。

 

「はいはい、頑張りなんし。じゃあそろそろわたしは休むから、そいつにしっかりナザリックの礼儀を教え込みなんし、あまり時間はありんせんから、多少手荒でも構いんせん」

 しっかりの部分を強く言いながら部屋の中を見回す、ここにある道具を自由に使用して良いと言うことであり、その言葉を聞いた吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達の目が爛々と輝いた。

 

「ああ、後何人か着いてきて。湯浴みの手伝いをさせてあげる」

 つい気が抜けて、そうあれ。と定められた言葉遣いではなく地の言葉遣いが出てしまう。

 これも休日の効果だろうか。

 ナザリックの一員としてはどうかと思うが、休日を楽しんでほしいと願っている主なら喜んでくれるだろう。

 今日は主がマーレとユリを連れて帝国に旅立って以降初めての休日であり、これまでに溜まっていた主に着いていけなかった事への不満は彼女たちにぶつけて晴らすとしよう。

 そんなことを考えながらシャルティアは楽しげに椅子から降りて歩き出す。

 その後、残された吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達によってブレインにしっかりと教育を施す名目で部屋の拷問器具が使われ、その心地よい悲鳴をBGMにしながらシャルティアは有意義な休日を過ごすことが出来た。

 

 

 ・

 

 

 王女の部屋に招かれ、手ずから注がれた紅茶を差し出され、レエブン侯は小さく頭を下げ礼の言葉を口にした。

 

「お手ずからとは、恐縮です」

 

「他の方には聞かせられませんから」

 慈愛に満ちたその笑みも、彼女の本性を知った後だと薄ら寒い。

 事実を知ってなお、その笑みが演技めいて見えないことがまた恐ろしい。

 自分でこれなのだから、彼女の表の顔とだけ接している者たちは決して彼女の本性を見抜くことは出来ないだろう。

 そんなことを考えながら、やや時間が経ち温くなっていた紅茶で唇を濡らして話を始める。

 

「先ずは勲章の件、お礼申し上げます」

 

「私だけでは実現しなかったでしょう。お兄様も賛同して下さったことで実現した話です。レエブン侯がお兄様に話して下さったのでしょう?」

 

「万全を期するためとはいえ、失礼なことを致しまして、申し訳ございません」

 

「構いません。そう動いて下さると分かっていましたから」

 何でもないと言うようにラナーは告げる。

 やはりこちらを試す意味合いもあったのだろう。

 正直ラナーが直接こんな手を打ってくることは計算外だった。

 早くアインズに爵位を与え縛り付けようとしていたのは事実だが、まだ本人にも会っておらず、それらしい理由も無かったので後回しにしていたことを、ラナーが爵位ではなく勲章を与えることを王に進言したと聞き、慌ててレエブン侯もザナックに頼み、連名での勲章授与という形に変えさせて貰った。

 今後魔導王の宝石箱と密接な関係を築く際はやはり王位継承権の低いラナーではなく、ザナックと直接関係を持って貰った方が良いと考えてのことだったが、これもまた彼女の策の一つであったと感づいたのは、つい先日、ザナックと今後の詳しい相談をした後、王宮を離れようとしたレエブン侯をラナーが部屋に招待したことが始まりだった。

 

 そこでレエブン侯は彼女の本当の姿と、願いを聞いた。

 かつて幼い彼女に見た、世界に対し何とも思っていない、全てを軽蔑している人間の空虚な瞳。

 それは成長とともに消え失せていたため、単なる見間違いかと思っていたが、違ったのだ。

 それこそが彼女の本質、ザナックは彼女が自分で権力を握りたい、もしくは自分を檻に入れた王国全てを破壊したいという欲望だろうと予想していたが、そんな生やさしいものではない。

 自分ですら想像のつかない存在だ。

 

 だが続く彼女の言葉に再度驚かされることになった。

 たった一人の青年、クライムを永遠に側に置いておきたい、結ばれて、どこにも行かないように鎖で繋いで飼えればそれでいい。

 それが彼女の唯一にして絶対の願い。

 その言葉に嘘はないとレエブン侯は直感した。

 むしろそのためなら世界全てを犠牲にしようとも構わないと言いたげである。

 その異常な考えはレエブン侯の理解の範疇外だが、それでも自分と彼女の利害が一致していることは間違いない。

 元々レエブン侯がザナックを支援しているのは彼の才覚による所が大きい。

 希代の名君とはいかずとも彼ならこの腐敗した王国を少しずつでも良い形に持っていける。

 それだけの能力がある。

 少なくとも第一王子のバルブロが王位に就くようなことがあれば王国は終わりだ。

 そうならないようにするため、陰に日向にレエブン侯はザナックを支援し続けた。

 しかしあの店、魔導王の宝石箱の出現で考え方を変えざるを得なかった。

 つまりは魔導王の宝石箱の店主、アインズが陰から王国を操ろうと知ったことではない。言うなれば王族を裏切るという貴族にあるまじき風評として流れているどっちつかずの蝙蝠、本当にそうした生き方を選択してしまった。

 必要ならザナックすら見捨てる覚悟。それはつまりザナックにも胸襟を開いて全てを語ることが出来なくなったということだ。

 

 だがラナーは違う。

 彼女の願いは自分とクライムの幸せ──クライム自身がそれで幸せなのかは不明だが──その為なら王国すらどうなっても良いと考えている。

 だからこそレエブン侯とラナーは場合によっては王族を売ることになっても構わないという共通認識で行動出来る同志となれるのだ。

 その契約は、レエブン侯は自身の領地と家族の安寧、ラナーは自分とクライムが幸せに生きられる環境を得る事。

 それを逸脱しない限り協力して魔導王の宝石箱、いやアインズを支援するという契約を結んだ。

 

「では、早速今後のお話をしましょう。恐らく今頃帝国にも勲章の話は伝わっているでしょう」

 

「その話ですが、ラナー殿下。魔導王の宝石箱が帝国に下る、もっと言えば帝国から爵位や領地を与えられる可能性はないのでしょうか」

 ラナーから現在帝国内に悪魔が大量に発生し帝都を攻めているという話を聞かされたときは驚いた。

 帝国軍で妙な動きがあることは察知していたが、その理由までは分からなかった。

 それだけ帝国の情報隠蔽が完璧だったということだ。

 彼女がどのようにしてその情報を入手したのか、詳しくは聞いていないが、恐らくは彼女の数少ない手駒であるアダマンタイト冒険者チーム蒼の薔薇を使用したのだろう。

 冒険者の情報収集力は時に国家よりも早く深いとも聞く、だからそれを疑うつもりはない。

 だが同時に不安があった。

 帝国の皇帝はそれこそ、歴史に名を残す希代の名君になれる器を持っている。

 そこにアインズが現れたら、直ぐにその有用性を見抜いて引き抜くのではないだろうか。という不安だ。

 だからこうしてラナーに直接その疑問をぶつけてみたのだが、彼女は薄く笑みを浮かべてレエブン侯を見る。

 何故こんなことも分からないのか。とでも言いたげな瞳。彼女から見れば自分も愚者の一人なのだと実感出来る。

 

「不要です。あの皇帝はそれなりに頭が切れます。あれほど強大な力を持つ個人に、領地や爵位を与える危険性に気づかないはずがありません。何しろ魔導王の宝石箱は個人で国を上回る戦力を持ちます、そんな者に自分の土地を与えたらどうなるか」

 お分かりですよね。と瞳で続けて彼女は紅茶に手を伸ばし一口飲む。

 遅まきながらレエブン侯もそれで気がついた。

 たった一つの都市であろうと正式に手に入れれば独立を宣言することが可能だ。

 普通ならばそんなことをすれば国が黙っておらず直ぐに潰される。

 だが結局の所、国と国との関係は武力の大小で決まる。要するにそれを上回る力を持っていれば何の問題もない。

 あの店にはそれがある。

 そうしてこない保証はない。だから帝国はそんな危険な存在に足場を作るような真似はしないということだろう。

 かつて自分も似たようなことを考え、王に進言しようとしたことがあったが、今更ながらその愚かさに気づかされる。

 少なくとも自分とラナーが役に立つ所を見せてからでないと爵位や領地の話は出来ない。もしそうした話が出てもそれと無く止めておくのが正解だろう。

 やはり彼女という同志がいて良かった。と安堵しながらレエブン侯も紅茶に手を伸ばし完全に冷めてしまった紅茶に口を付ける。

 

「皇帝はこれからも爵位や領地は与えようとはしないでしょう。そして王国も同じことを考えると思っているはず。けれど私たちは帝国と異なり、王国を売り渡すことも出来る。これは良い手札です」

 

「っ! お待ち下さい殿下。それは場合によっては王国が滅亡することにもなります。私との約束は」

 ラナーの言葉に思わずテーブルを叩き立ち上がる。

 彼女は気にした様子も見せず小さく首を傾げた。

 

「王国がなくなっても魔導王に忠誠を誓い、領地の安寧を頼めば良いのでは?」

 それはそうだが、未だアインズには会っておらず、王の器があるかも分からない。いやあの教育が行き届いていない娘達の事を考えるとその可能性は低いように思える。少なくとも自分の後継者に成りうる者には相応の教育を受けさせるのが上に立つ者の最低限の義務だからだ。

 たとえその器があっても、素人が国王となってもまともな国の運営が出来るはずがない。

 国を陰から操って、自分が好き勝手にするだけならばそれでも問題ないと思っていただけに、その提案は簡単には頷けない。

 

「しかし」

 

「大丈夫ですよ。そうなると決まったわけでもありませんし、そうした手が打てるというだけです。もしそうなっても、その時はレエブン侯が手伝って差し上げれば良いではないですか」

 ニコニコと笑う表情は、いつもの慈愛の王女そのものだ。

 その笑顔の意味はこの話は終わりという宣言に他ならない。 

 あれだけ願って止まなかった味方を得たというのに、楽をするどころか胃痛の日々はまだまだ続くようだ。




ラキュースがイビルアイのことを言えないほどチョロくなったような……
因みにラキュースの趣味は執筆活動らしいですが、この話ではこうなりましたが、実際は何を書いているんでしょうね
次は前回の続きに戻ります

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