オーバーロード ~経済戦争ルート~   作:日ノ川

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前回から少し飛んで書籍版ではバザーが治めていた都市に捕らわれていたオークの捕虜がこの話ではアベリオン丘陵に捕らわれ、大体書籍版と同じ流れで助け出した後、ヤルダバオトの本拠地と設定されている場所を教えて貰った後の話になります


第68話 潜入・アベリオン丘陵

「地図では間違いなくここがアベリオン丘陵でのヤルダバオトの本拠地の筈ですが、どうして見張りが居ないのでしょうか?」

 地図と自分たちが現在いる場所を見比べながらネイアが言う。

 ここに来るまでの間にこの少女、ネイア・バラハのアインズに対する態度も軟化した。

 強い尊敬の眼差しを向けている。とはシズの言だが、あの殺し屋のごとき鋭い目つきで睨まれるとあまりそんな気はしない。

 だがそのシズが懐き、時折仕事とは関係のない話などをしているところを見るのは実に気分が良い。それだけでネイアを特別扱い──少なくとも命の危険には晒さない──しようという気持ちになるものだ。

 

(元から目撃者だから死なせる気もなかったが、デミウルゴスにも一応言っておくかな)

「既にアベリオン丘陵にはヤルダバオトに逆らう部族は居ないと余裕を見せているのかも知れんな。偵察はシズに任せたが、問題は本当にヤルダバオトがここに居るかだ。居なければ別の候補地を探すことになる」

 

「あの亜人たちがゴウン様に嘘を吐くとは思えません」

 亜人たちというのはヤルダバオトに反目し、戦ったが敗れて捕虜にされ、様々な実験に使用されていた豚鬼(オーク)たちの話だ。

 最初は相手が亜人と言うことで、ネイアは抹殺すべしと声を大にしていたが、ヤルダバオトにより筆舌に尽くし難い仕打ちを受けた豚鬼(オーク)たちの惨状を目の当たりにしたことで考え方が変わったらしく、アインズが助けると決めると反対はせず、アインズのことを信用しようとしない者たちに対し説得を試みた程だ。

 それが功を奏したのかは不明だが、豚鬼(オーク)たちはアインズの力で里に戻った後、場合によってはアインズの庇護下に入ることを仲間に相談すると約束してくれた。

 同時にヤルダバオトがアベリオン丘陵での本拠地にしている場所を教えて貰い、ここに辿り着いたのだ。もっともそれも当然デミウルゴスの計画の内で、ヤルダバオトの居場所をアインズが最初から知っていると怪しまれると考え、偶然情報を手に入れた。とネイアに思わせるため故意に豚鬼(オーク)たちに知らせていた情報なのだが。

 

「……あの、ゴウン様。一つ伺いたかったことがあるのですが」

 

「なんだ? 入ったら悠長に話などしていられん。今のうちに聞いておけ」

 

「は、はい。ゴウン様はどうして亜人たちにも優しく接するのですか? 一部を除いた亜人は人間の敵です。匿えば問題になるかもしれないのに」

 それを今聞くの? と思いつつもアインズは態度に出さず少しだけ考えるそぶりをして答える。

 

「私の店には闇妖精(ダークエルフ)森妖精(エルフ)、ドワーフもいる。帝国では森妖精(エルフ)等は奴隷として売買されているが、同じ人間種であってもドワーフの人権は保障されている。逆に法国では人間以外全てが敵対種族だ。しかしその法国も以前は森妖精(エルフ)と協力関係にあったという。結局のところその基準はそれぞれの国にとって有益かどうかということだ。私も同じだよ、種族の違いなど大した問題ではない、必要だと感じた者はすべて庇護する。私の場合は、その対象が人間種だけではなく亜人種にも及ぶというだけだ」

 というか闇妖精(ダークエルフ)はすぐ側にいるんだけどね。とは流石に言わない。アウラは今も姿を消して護衛としてアインズの後ろにいるはずだ。

 何となく後頭部に視線を感じながら言うアインズに、ネイアは驚愕に目を見開いた。

 ただでさえ目つきの鋭いネイアにそれをされると余計に威圧感が増す。

 それから逃れるように視線を外すとアインズは入り口に目を向けた。

 それを合図にしたようにマフラーの力で姿を消して内部に潜入し、ヤルダバオトがいるか確認しに行った──となっている──シズが戻ってきた。

 

「…………ただいま戻りました」

 

「シズか、首尾はどうだ?」

 

「…………大丈夫です。誰にも気づかれなかった……と思います」

 

「あの、シズ……先輩。ヤルダバオトは?」

 

(先輩!? いつの間にそんな呼び方に。これは仲良くなった、と見て良いんだろうか、というか何の先輩なんだろう)

 ネイアの問いかけに驚くアインズを後目に、シズは小さく首を振る。

 

「…………見た感じは居なかった。出かけているのかも知れない……だから、アイテムは持ち帰りました…………でも悪魔はたくさん居たので基地なのは間違いないと思います」

 ヤルダバオトが居れば設置するはずだった水晶のアイテムを取り出すシズに、ネイアは目に見えて肩を落とした。

 

「そうか。では少しここで待つか」

 ネイアに語った計画上はヤルダバオトを転移で逃がさない為に、本人が居る時にアイテムを使用する作戦なのだが、アインズの本命はここからだ。

 

「では野営の準備を……」

 

「…………待って……中にヤルダバオトは居なかったけど人間は居た…………多分他の収容所の亜人みたいな実験材料、です」

 

「何? そうか、うーむ」

 作戦通りに話し出すシズにアインズは考え込むような仕草をとった。

 隣ではネイアがこちらをじっと見つめている。

 同じく実験材料にされていた亜人の惨状を目撃したネイアからすれば、感情的には助け出したいのだろうが、それをするとアインズがここにいるとヤルダバオトに知られる可能性がある。さらに助け出したとしても大人数を抱えて移動は不可能──豚鬼(オーク)を里に移動させたような方法は、魔力の消費が激しい、となっている──なので、自分からは何も言えないのだろう。

 

「よし。では私が行こう」

 

「し、しかし。ゴウン様にはヤルダバオトを倒していただくために、魔力を温存していただく必要が……」

 

「確かにそうだが、先ほども言っただろう。私にとって必要だと考える者はすべて庇護する。いや、もっと言えば、困っている人がいれば助けるのは当たり前だ」

 

「それは……以前、モモン様も仰っていました」

 

「え? あ、ああ。いや奴はな……」

(しまった! あれを言った時、こいつもいたんだった。完全に忘れていた。俺とモモンの中身が同じだと、気づいたか? いやそれは流石に……)

 どちらも顔を隠した者が同じ台詞を口にする。勘の良い者であれば入れ替わりに気づくかもしれない。

 そう考えて焦るアインズに、ネイアは相変わらず威圧感のある瞳を、逸らすことなくまっすぐ向ける。

 

「その言葉はゴウン様がモモン様に伝えた言葉、つまりモモン様の正義はゴウン様から受け継がれたものなんですね!」

 

「あ、ああ。うむ! そのとおりだ。奴は私の息子も同然。直接教えた訳ではないが、そうか。奴にも伝わっていたか」

(勝手に誤解してくれるあたり、なんかナザリックじみてきたなこいつも。いや楽になるから良いけどさ)

 

「では行こうか。なるべく秘密裏に行動するつもりだが、場合によっては戦闘になる危険もある。バラハ嬢はここで待っていたまえ。シズ、道案内を頼む」

 ここにいる悪魔たちはヤルダバオトが召喚したものなので、殺したところでナザリックに損害は無い。だからこそ危険を押して聖王国の人間を助けに来たというアピールを兼ねて、悪魔たちと戦闘するつもりだ。

 そこにネイアもいると、勝手な行動を執って危険に陥るかも知れない。シズの友達として守ると決めた以上ここで大人しくして貰っていた方が安全だ。

 アインズの強さを目撃して貰う役は、ここに来るまでに十分こなして貰ったのでもう必要ない。

 

「了解しました」

 当然のようにシズは納得したが、ネイアはそうではなかった。アインズが預けここまで使わせて性能を理解して貰った弓を抱きながら声を張り上げる。

 

「お、恐れながらゴウン様。私も参加させてください! 聖王国の者として同胞を見捨てることはできません。足手まといになるのでしたら切り捨てていただいても構いません。祖国の為でしたら私の命など惜しくはありません」

 ネイアは元々ここまでの案内役というのが表向きの理由だ。

 それが済んだので自分はどうなってもいいと思っているのだろうが、アインズにとってはむしろここからが重要なのだ。

 

「……わかった。では私が貸し出したその弓の力で私を守ってくれ。だが勘違いをするなよ。私が協力者として選んだ以上、君の命も今現在においては私の庇護下にある。私の正義を全うするためにも命を使い捨てるような真似はするな」

 出会った時もそうだし、先程も発言していたが、どうやらネイアは正義というものに拘りがあるらしい。

 こう言っておけば恩義を返すためとか言い出して特攻される心配も減るだろう。

 下手に死なれたら復活魔法をかけなくてはならない。短杖(ワンド)は有限であり、誰かに魔法を掛けさせるにしても復活の際には資源を消費する。

 例の漆黒聖典の男にも後で使わなくてはならないことを考えると、ユグドラシル金貨を安定供給する手段がまだ確立されていない内は使わないに越したことはない。

 

「ゴウン様……分かりました、ゴウン様に恩義を返すまで決してこの命、無駄にしたりはしません」

 

「…………アインズ様に心配されるなんて、生意気」

 

「ちょ! 痛い痛い、シズ先輩。引っ張らないでください!」

 ネイアの頬に手を伸ばし、ぐいぐいと引っ張るシズに、本当に打ち解けたんだな。と微笑ましい気持ちを感じながら、アインズはウンウンと何度か頷いた。

 

 

 ・

 

 

 ここに来てからどれほどの時間が経ったのだろうか。

 痛みはもはや無くなったが、それが余計に悲しい。

 鏡すらないこの場所では確認できないが、以前は僅かな凹凸もなかった頬の皮膚は、触れた瞬間にざらつきを感じ、僅かでも表情を動かそうとすると引き攣りを覚える。

 ヤルダバオトが自分のことを武器と呼び、地面に叩きつけられて負った傷を最低限の水薬(ポーション)だけで回復され、そのまま時間を掛けて治った為に残った傷跡だ。

 古傷に治癒魔法を掛けても消えないように、治り切った傷跡は治癒魔法を掛けても完全に戻ることはないだろう。

 そもそも彼女はそれを禁止されている。

 ヤルダバオトにカリンシャで捕らえられて以後彼女、聖王女カルカ・ベサーレスはずっとここにいた。

 この地獄でただ救いを求め、祈り続けている。

 誰かがこの地から自分を、そして民を救い出してくれることを。

 

(レメディオス。貴女は生きているの?)

 薄れゆく意識の中、レメディオスが撤退する現場を見た。

 それだけが今の彼女に残された唯一の希望だ。

 それがなければすべてに絶望し、命を絶っていたかもしれない。

 いや、彼女にはそれすらできない。

 なぜならば、この牢に捕らえられている無辜の民、彼らを殺さない条件こそが、カルカが魔法を使用せず、自殺などもしないで生き続けることなのだから。

 ただし、あくまで殺さないだけであり、彼女がいる場所からほど近いところに監禁されている民の悲鳴や呪詛の声は毎日聞かされ続けている。

 耳を塞ごうとも心の内に残った声が延々と彼女を苦しめ続けている。

 初めは自らの不甲斐なさを嘆き、次に民を直接苦しめている悪魔を恨み、そして今はただすべての元凶であるヤルダバオトを憎み続けている。

 ここにいるのは全て悪魔であり、亜人はいない。いや正確に言えばここにいる亜人は聖王国の民同様、ヤルダバオトに逆らい捕らえられた者たちなのだ。

 ヤルダバオトが現れる前から、聖王国に攻め込んでくるアベリオン丘陵の亜人たちのことは、民を傷つければ心が痛み、憤りも感じていた。

 だが不思議なことにこのような状況に陥り、人も亜人も関係なく悪魔どもに口に出すのもおぞましい責め苦を受け、助けを乞い、涙を流し、親の名を呼ぶ叫び声を聞いていると、相手が亜人であっても心が痛み、慈悲を望んでしまう。

 

(ああ。神様、何故私たちがこのような目に遭わなければならないのですか。何故あの悪魔どもを滅ぼしてはくださらないのですか?)

 何度も何度も心の中で呟いた言葉をまた繰り返す。

 魔法の力を使う際に側に感じる大いなる存在を、カルカは神と崇め、信仰し続けてきた。

 だが、あれが神だというのなら何故、神は自分たちを見捨て、あの悪魔の横暴を許すのか。

 目を開け、壁に取り付けられた時計を見る。何度と無く来るな、と願った時間が訪れる。

 ここには何もないが、何故か一つだけ時計が置かれ、彼女はそれで何日経過したのかを知ることが出来る。

 そして同時に、毎日毎日規則正しく同じ時間に行われる民への拷問。

 その時間が迫っている。

 この時間が来る度にカルカは己の無力さを呪うことしかできなくなる。

 もっと自分が強ければ良かった。

 弱き民に幸せを、誰も泣かない国を。

 そう願い続け、そうした国を作るべく邁進してきたつもりだった。

 甘いと言われようと、少なくとも大きな失敗もなく、十年に亘って国を守り続けてきた自負が彼女にはあった。

 だが今の自分はなんと無力なことか。

 だからこそ彼女は願う。

 

(──ああ、力が欲しい。この状況を打開できる力が私にあれば……いえ、私でなくてもいい。誰か、誰でも良い。皆をお救いください。それができるなら……)

 少し前まではその先は考えてはならないことだと何度も何度も寸でのところで己を律してきたが、彼女の信仰は既に崩れている。何の迷いもなく続く言葉を心の中で願う。

 

(もうどんな力でも構わない)

 あの邪悪な大悪魔を滅するために、他国の力が要るのならどんな犠牲を払おうと頼み込もう。邪神の力がいるというのなら誰に非難されようとそれを手にしよう。生者を憎むアンデッドの力がいるならそれを使おう。

 正義とは想いだけではダメなのだ。それを実現できる力があって初めて意味がある。だから、どのような手段を用いても、この地獄から聖王国の無辜の民を救い上げてくれるのならば誰に魂を売っても構わない。

 かつての自分ならば眉を顰めそうな願いも、今では偽らざる本心だ。しかし今まで何度そう願っても、神も邪神も彼女に救いをもたらさなかった。

 今回もどうせ。と自嘲する彼女の願いは、しかし唐突に叶えられることになる。

 突然の爆発音と共に、一日に二度食事を持ってくる以外は決して開かれることの無かった頑丈な鉄の扉が吹き飛び、窓もなくちっぽけな明かりしか無い監獄に、外からの明るい光が一気に差し込んだ。

 

「ここか」

 低く、落ち着いた声は今までに聞いた悪魔の誰とも違う。

 逆光で見えづらいが、ローブを着込んだ男のようだ。

 

「はい。ゴウン様、えっと。先ずは私が」

 

「いや、先ほど倒した頭冠の悪魔(サークレット)が嘘を言っていた可能性もある。バラハ嬢はそこにいろ」

 その言葉を聞いた瞬間、既に思考が鈍り、ぼんやりとしていた頭が一気に弾ける。

 ここにいる悪魔の中でもっとも地位が高く、カルカとも何度と無く会話をし、そして何より彼女の心をへし折ったあの枯れ木のような悪魔、その名前が聞こえたからだ。

 

「あの、悪魔を。打ち倒したのですか?」

 カルカの声は枯れ、自分で聞いても酷いものだ。

 だがその声に隠しきれない喜びが混ざっているのも事実だった。

 何故ならばその名こそ彼女の信仰を打ち砕いた悪魔の名前なのだから。

 

 カルカとて初めから今のように無気力だった訳ではない。

 カリンシャから脱出したレメディオスが救出に来るとしても時間が掛かる。それを待っていては自分はともかく民は持たない。だからなんとかして自力でここを抜け出し、悪魔を討って民を救わなくてはならない。弱き民を救うことこそが、力を持った者であり、国の頂点に立つ自分の責任なのだから。

 国の象徴にして切り札でもある大儀式魔法<最終聖戦(ラスト・ホーリーウォー)>の収束具である王冠を奪われ、魔法を禁じられていても、それでも何か方法があると信じていた。何より彼女の支えになっていたのは、自分の理解者であり、若輩の聖王女である自分を常に支えてくれた両翼の片割れ、神官団団長であるケラルト・カストディオの存在だった。レメディオスが脱出したのは薄れゆく意識の中でぼんやりと見た覚えがあったが、ケラルトはカルカと同じく、逃げ出せず捕まっていた。

 そして、自分がこうして生かされている以上、高位の魔法を操れる彼女も価値があると判断され、同じように閉じこめられているに決まっている。

 そう信じていた。そして彼女と合流できれば、自分などとは比べものにならない高い知能を持つ彼女がいればきっと良い方法が思い浮かぶに違いない。

 冷静に考えれば可能性は低いと分かりそうなものだが、それだけがカルカの支えだった。

 そんなカルカの淡い希望を打ち砕いたのが頭冠の悪魔(サークレット)を名乗る悪魔だった。

 突然現れ、この基地をヤルダバオトより任せられた。とわざわざ挨拶に出向いてきたその悪魔の姿は、悪夢から飛び出した人間のカリカチュアのようだった。

 耳に障る声を出しながら不快に笑うその悪魔の、細い枝のような首の上に実った果実が如きそれを見た瞬間カルカは絶叫した。

 半眼の瞳は白目を剥き、虚ろで口も半開き、血色こそ悪いがつい先ほどまで生きていたかのように、腐敗もなく瑞々しい断面を見せる生首となり果てたケラルトの首をまるで勲章と言わんばかりに飾りたてていた。

 そして恐怖と怒りと嘆きが一緒くたになって発狂しかけたカルカに、わざわざケラルトの口を動かして掛けられた<獅子ごとき心(ライオンズ・ハート)>によって無理矢理落ち着かされた瞬間、カルカはぎりぎりで保っていた自分の心が砕ける音を聞いた。

 死してなお辱められる立場を超えた親友の姿に、カルカは力を以って弱者を救う強者ではなく、自らもまた弱者なのだと認識させられた。

 同時に、いくら願っても救ってくれない神への信仰が遂に崩れ落ちた。

 

 その悪魔を討ったというこの男は一体。

 

「お初にお目にかかります、聖王女陛下。私はアインズ・ウール・ゴウン。お助けに参りました」

 どこかで聞き覚えのある名前を口にして、背後から光を浴びて立つその男。

 カルカは彼に願ってやまなかった、自分のような偽物ではない本物の強者の姿を見た。

 

 

 ・

 

 

「そうですか。ではここにいる悪魔どもは全て討ち取ったのですね」

 

「はっ! ゴウン様の指示の下、私が魔導王の宝石箱から借り受けたこの武器と、同じく店の従業員であるシズ・デルタ殿の力をお借りして討伐が確認されました。人質となっていた民も解放済みです」

 深々と頭を下げ、臣下の礼を執りながら報告する。

 聖王女カルカ・ベサーレスと言葉を交わすのはこれで二度目だが、一度目は聖騎士見習いになる為の儀式の中で交わされたものであり、決まりきったやりとりしかなかったため、こうして自分で考えて会話をするのは別の意味で緊張する。

 所作に無礼はないだろうか。と思うもののそれを確認する術はなく、また緊急事態である以上向こうも咎めはしないはずだ。

 

「皆が助かって本当に良かった。それでゴウン殿は今どちらに?」

 

「それが……彼らの処遇が決まるまで民が暴走し危害を加えないようにとのことで、捕らえられていた亜人の下にいらっしゃいます」

 これは確かに必要なことのように思えた。

 ここにいる悪魔以外の亜人は皆、元々はヤルダバオト配下に捕まってここに連れてこられた者たちだ。

 亜人というだけで一くくりにして敵視する気持ちは分かる、自分も以前はそうだった。

 だからこそ、アインズが直接出向いているのだ。

 彼らも自分たちを救ってくれたアインズの前では強硬手段に出ることはないだろうと考えたのである。

 事実、今のところ捕らわれていた民たちはおとなしくしている。

 いや、正確にはその気力すら今はないと言う方が正しいのかもしれない。この場所で彼らがそして国の頂点である聖王女がどのような目に遭っていたのか、詳しく語る者はいないが、少なくともローブルの至宝と謳われる程の美貌を持つカルカが顔を隠すように巻いているヴェールだけでその一端が見えると言うものだ。

 

「確かにそれは必要なことかもしれませんね。わかりました。ではネイア・バラハ。今のうちに現在の聖王国の状況の説明を頼みます」

 

「はっ。畏まりました」

 問われるがまま、現在の聖王国の情勢、そして知りうる限りの解放軍の状況を説明した。

 

 

「──そう。レメディオスが」

 全ての状況を説明した後、カルカは感覚の鋭いネイアしか分からないほど小さく安堵の息を漏らした。

 聖王女の両翼と呼ばれる聖騎士団団長と神官団団長。

 その片翼が生き残っていたと知り安心したのだろう。いや、そうでなくてもカストディオ姉妹とカルカが私生活でも仲が良い──そのせいであらぬ噂が立つほどだ──のは有名な話なので、単純に友人の無事を喜んだのかもしれない。

 どちらにせよこれで事態は好転する。

 もはや解放軍が有力な貴族や王族を捜して収容所を襲撃する必要などない。

 未だ新たな聖王が立っていない以上、国の頂点と呼べる者が生きていたのだから彼女の命令で強制的に南方の軍を動かすことができる。

 そのためにも一刻も早くカルカに解放軍と合流して貰う必要がある。きっとこれから、聖王女はアインズにヤルダバオト討伐ではなく、それを頼むのだろう。

 

 しかし、それでいいのか。という思いがネイアの胸中に渦巻く。

 それが正しい選択なのだろうか。

 ここにはヤルダバオトはおらず、もう随分前からどこか別の場所に拠点を変えたのだという。ならばそちらを探す方が先決なのではないか。しかしそれでは、今なお亜人の脅威にさらされている民に更なる被害が及ぶことになる。

 

(こんな時ゴウン様ならどうするのだろう)

 そんなことを考えていたネイアを余所にカルカは安堵の息を吐いた後、眉間に皺を寄せ、何かを考え込み始めた。

 どうしたのですか。などとは聞けない。

 一介の従者でしかない自分は、ただ黙って主の命に従い聞かれたことのみ答えればいい。

 これが本来のあるべき姿だ。

 現にレメディオスの下で解放軍として活動し、モモンの監視役を兼ねた従者だった時もそれは変わらなかった。

 そのことに違和感を覚えてしまうのは、あの偉大な魔法詠唱者、アインズ・ウール・ゴウンと行動を共にしたためだろう。

 シズの態度を見るにアインズはただの商人などではない。人の上に立つべき支配者と呼ぶに相応しい器と力を持った方だ。

 だというのにアインズはここまで来る間、ネイアに気軽に話しかけ、時に世間話をし、時に意見を求めてきた。

 そんな状況にいたことが、ネイアの口を軽くした。と言うべきなのだろうか。

 

「聖王女陛下。これから如何なさいますか?」

 ネイアの問いに一瞬虚を突かれたように彼女の顔を見つめた後、カルカは少しだけ微笑んだ。

 

「そうですね。一刻も早く解放軍と合流し、南方の軍を動かすように要請を出すべきでしょう」

 やっぱりそうだよね。と口には出さず思う。

 

「ですが、それで本当にヤルダバオトを……いえ、亜人を殲滅できるのかしら」

 その声は今までとなにも変わりない。

 ネイアも聖王拝謁の時に聞いた覚えのある慈愛に満ちた優しい声。だがその口から紡がれる言葉は苛烈を極めている。

 

「ヤルダバオトだけを討って終わりにはならない。聖王国を、私たちの祖国を取り戻すためには、私たちに敵対する亜人を全て滅しなくてはこの戦いは終わらないのではないかしら」

 それはそうだ。その通りだ。

 ヤルダバオトは確かに敵の首魁ではあるが、ヤルダバオトだけを討っても敵の軍勢に交じった悪魔は消えるかもしれないが亜人は別だ。

 その後北部の占領された都市を全て解放して初めて終わりになる。

 しかしモモンもそしてアインズもあくまで狙いはヤルダバオト。あの悪魔を倒せばそれまで。とそのまま帰還してしまうだろう。

 実際モモンや蒼の薔薇とはそういう契約が結ばれ、なおかつ副団長や解放軍の神官たちはそれを利用し、理由を付けてヤルダバオトを直接狙うのではなく、先に収容所の解放を手伝わせることを提案し、例の収容所を狙ったのだ。

 聖王国の無辜の民を一人でも多く救うためだ。と言われると何も言えなかったが、少なくとも善意から確実に勝てるトブの大森林での待ち伏せを止め、ヤルダバオト討伐に参加したモモンを騙すような真似をするのは気が引けた。

 もしやカルカはそれをアインズ相手にもしようとしているのではないか、と考えてしまった。確かに剣士であるモモンとは違い魔法詠唱者(マジック・キャスター)として広域攻撃も得意としているアインズであれば、より多くの亜人を倒せるだろう。事実ここに来るまでの間、多数の悪魔やヤルダバオトに与する亜人をいとも容易く葬ってきたのは他ならぬネイア自身が目撃している。

 だが、その力を当てにして騙すような方法は正義ではない。と今なら断言できる。ただそれに代わる正義をネイアはまだ見つけられていない。

 だからこそ、ここでカルカの言葉を否定することはできなかった。

 

「で、では。聖王女陛下はゴウン様をヤルダバオトを倒す前に亜人にぶつけると?」

 せめてもの抵抗に、自分がやろうとしていることが如何に本来王が持つべき高潔さから正反対の行為であるのかを気づかせたかった。

 そんな思いから発した言葉に、カルカはまるで無垢な子供のようにきょとんと瞳を開き、じっとネイアを見つめた後、にっこりと微笑んだ。

 

「そんなことをするはずがありません。ゴウン様は私の、いえ私たちの恩人です。恩を仇で返すようなことはできません」

 

「では如何されると?」

 

「決まっています。ゴウン様は商人なのですから商談をすればよいのです。あの方が持つ力を借りて、ヤルダバオトを、悪魔どもを、そして聖王国を攻める亜人を一掃する」

 

「ゴウン様が所有している戦力はアンデッド、ですよ?」

 聖王国の教義に反するのではないか、それこそが自分たちの足を引っ張るのだとしても信仰や教義は簡単には捨てられない。

 聖王国の聖騎士が持つべき正義を行うために、他国の誰かを犠牲にするそれを正義と呼んで良いのか。それが分からないからネイアはこんなにも悩み、苦しんでいるのだから。

 

「それは問題ではありません。いえ、問題だというのなら、その問題の責任を取るのが上に立つ者の責務です」

 きっぱりと言い切る様に、ネイアは驚いた。

 彼女はカルカのことを良く知っているわけではない。単なる従者に過ぎないネイアはその人となりまで知るはずもないからだ。

 ただ、誰に対しても優しく、それ故に強い政策を取ることができない人物だということは、父であり、誉れ高き聖王国九色の黒を戴く兵士長パベル・バラハから聞いた覚えがある。

 もちろんはっきりと言ったわけでなく、濁しつつではあり、母に憧れて聖騎士を志した自分を諭すための説得材料の一つだったのだが。

 それでもネイア自身、聖王国が抱える問題については解放軍としての活動の中で朧気ながら気づいていた。

 そのカルカがあっさりと他国の、それも一商人から聖騎士の怨敵であるアンデッドを借り受ける決断とその責任を取ることを決めた。

 

「では行きましょう。従者ネイア・バラハ。私をゴウン様の下に案内してください」

 

「はっ。畏まりました聖王女陛下!」

 ただ国の頂点たる聖王女が、一人の商人に救われたことに敬意を持って様付けで呼び、呼びつけるのではなく自ら出向こうとしている。それは聖王女として国の頂点に立つ者の行いとして正しくはないのかもしれない。

 だが、ヤルダバオトの襲来とその被害は良くも悪くも多くの人を変えたのだ。

 彼女の変化がどちらなのかは結末を見るまで分からないが、少なくともネイアはカルカの行動を見て、自分が捜し求めている正義のあり方に一歩近づけたような気がした。




書籍版では死亡したカルカもここでは生き残ることになりました
一方でケラルトは残念ながらアインズ様が頭冠の悪魔ごと消滅させてしまっています
ちなみに古傷に対する治癒魔法での回復は何位階からできるのかハッキリしなかったので、一度治った傷跡を回復するのは現地人が使える治癒魔法では難しいということにしています

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