オーバーロード ~経済戦争ルート~   作:日ノ川

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アインズ様側の話と前回の続き


第72話 最後の希望

「こ、これが、ゴウン様の軍勢──」

 息を詰まらせながら、何度も瞬きを繰り返すカルカの声は引きつっている。

 無理もないな。と心で思いつつもそれは口に出さず、さも当然と言わんばかりにアインズは両手を広げた。

 

「ええ。如何です? お気に召しましたか?」

 今回アンデッドの選定は全てシャルティアに任せていた。

 問題があれば、こちらで後から個人的に考えていた、範囲攻撃を可能とする魂喰らい(ソウルイーター)と個人を相手にするデス・ナイトの組み合わせを持って行くつもりだったが、シャルティアは見事そのアイデアを自分で思いつき、更にはアインズの想像を超えた考えすらも提案した。

 

(まさか、これを使用するとは……いや、むしろこれは俺が思いつかなきゃいけなかったんじゃなかったのか?)

 そもそもあれを手に入れようと思いついたのは自分だった。

 ならばその使い方についても、もっとしっかり考えるべきだったのだ。

 

(シャルティアも本当に成長したよなぁ。この作戦が終わったら褒めてやらないとな……まあ今はそれより売り込みだ)

「これならば兵糧も休憩も必要なく、ここから最短距離で聖王国に向かうことができます。本来であればそれこそ王都に直接向かうのが望ましいのでしょうが、現在の亜人軍の動向が不明な以上、ここからカリンシャ、プラート、ホバンスと順繰りに解放していくのが良いかと。大都市を狙えばヤルダバオトとはどこかでまみえるでしょう。そのため私も共に向かいます。このアンデッドであってもヤルダバオトが相手では心許ない」

 初めはモモンを秘密裏に監視していたということになっていたが、それは常時魔力を消費するので、ヤルダバオトを討つためにアベリオン丘陵に向かうと決めた時点で取りやめた。ということになっているので、現状誰も解放軍の動きが分からない状態なのだ。

 もちろんアインズはモモン扮したパンドラズ・アクターから報告を受けており、今彼らがどこにいて、作戦はどうなっているのかもしっかりと把握済みである。だが、それをここで言うわけにはいかず、あくまで決定権を持つ聖王女カルカ・ベサーレスが自発的にアインズの案を採用する形でなければならない。

 彼女が上手く動いてくれるか少し心配だったが、今までの様子を見ているとその心配は無用なものだろう。

 彼女はデミウルゴスの立てた計画通りに行動してくれる。

 それこそ台本をなぞるように。

 今までなんだかんだと自分で考えて発言や行動を決めなくてはならなかったことを考えれば、予定通りに進むということが、どれほどありがたいか分かると言うものだ。

 

「……分かりました。ゴウン様の提案に賭けましょう。私も同行いたします」

 よし。と歓喜に声を上げたくなる。

 アインズが直接出向くことを告げればカルカも同行すると言ってくる、と台本には書かれていた。

 ここまで来ると彼女もまた、現在王兄に扮して解放軍側の行動をコントロールし、カリンシャに足止めしているドッペルゲンガー同様、ナザリックの者が化けているのではないかと思えてしまうが、そんなことはないはずだ。

 戦後の商売を上手く進めるためには、彼女は本物でなくてはならない。

 聖王国にはそうした変装を見破れる者はいないが、他国は分からないのだから。

 

「陛下! 危険です。御身自ら戦場に出向くなど。私が向かいます。御身は何処か安全な場所に避難を」

 生き残っていた人質の中で唯一の聖騎士であり、元々カルカの近衛を務めていたという騎士が口を挟む。

 今までこの場に現れたアンデッドたちを前に絶句し、口を挟まずにいたがとうとう我慢できなくなったのだろう。

 本来国の頂点が直接戦場に出てくるなどあり得ないことだ。しかし彼女は既に一度カリンシャでヤルダバオトを討つために出陣している。

 もっともそれは、彼女自身高位の魔法を操る信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)であることに加え、聖王国の切り札とも呼べる、彼女が頭に着けていた王冠とそれを使用して放つ<最終聖戦(ラスト・ホーリーウォー)>なる魔法が戦力として最大の物であったためだ。その王冠を失い──既にデミウルゴスが回収済みだ──兵がアンデッドでは回復魔法も意味がない。

 つまり今のカルカは戦力に数えることもできない。

 それも併せてこの聖騎士は反対しているのだろう。

 余計なことを。と思うがカルカの言動や性格を見るにこの程度で取りやめることはないはずだ。

 

「控えなさい。私が向かうことに意味があるのです」

 

「そのような──」

 

「ゴウン様の兵を見て、民が敵だと思い攻撃を仕掛けてくる可能性もあります。だからこそ、私が共に出向き、民を説得する必要があるのです」

 アインズが側にいることを考えてなのか、控えめな言い方だが間違ってはいない。これまでの人間のアンデッドに対する嫌悪感を見るに、確実に──それも宗教国家となれば──国民は味方だとは思ってくれないだろう。

 そこで聖王女が必要なのだ。

 王女自ら、アンデッドの力を借りることを認めたと告げることでお墨付きが得られる。

 そうなれば国民も表だって敵対はできない。

 その上でアンデッドの強さと便利さを見せつければ、アンデッドの評価も変わるはずだ。

 そしてもう一つの計画にも、重要な意味を持つことになる。

 

「それに……現在ゴウン様のお側以上に安全なところなどありません」

 こちらにチラリと目を向けられる。

 事実だろうが、それを国民の、それも本来聖王女を守るべき地位にいた近衛騎士が聞けば、気分を害するのではないだろうか。

 

「流石は陛下。国のためを思い、危険地帯に自ら向かうその姿勢、感服いたします。もちろんそうなれば陛下の御身は私が全力でお守りしますし、もしもの時に備え、転移が使用できる巻物(スクロール)もお渡ししましょう。それならば少しは安心できるでしょう?」

 今のはお世辞で、あくまで国のためにそうしなければならないんですよ。とアピールしておく。

 トップへのゴマすりも大事だが、この後ルーン武器などを売ることを考えれば、現場の人間にもいい印象を与えておいた方が良い。

 もっとも、いくら転移の巻物(スクロール)があろうと、ヤルダバオトが転移阻害を使えると知られている以上、気休め程度の意味しかないが。

 

「では私もご一緒いたします。陛下の身の安全は私が」

 

「いいえ。私の護衛は従者バラハに命じます。貴方はここに残り、人質になっていた民を守って下さい。皆を戦場には連れていけない以上、ここに残って貰うしかありませんから」

 ここはヤルダバオトの居城とされていたが、現在は頭冠の悪魔(サークレット)が管理している土地であり、ヤルダバオトが戻ってくることはない。と頭冠の悪魔(サークレット)に言わせ、ネイアがそれを聞いているのでカルカにも伝わっているはずだ。なお頭冠の悪魔(サークレット)は既にアインズが倒している。

 二度も言葉を遮られ、きっぱりとした命令を受けても、まだ近衛騎士は納得した様子がない。

 聖騎士見習いでしかないネイアを連れていくとなれば、それも当然だろう。

 

「当然お借りしたこの兵力の一部もここに置いていきますが、それを指揮する人間も必要です。従者バラハではそうした指揮にはまだ不慣れでしょう。適材適所、という言葉もありますからね」

 

「……ご命令であれば謹んでお受けいたします。ですが陛下、なによりもご自身の安全を最優先にして下さい。御身は国の宝。何とぞご自愛下さいますよう」

 

「ええ。貴方も、必ずまた会いましょう」

 最終的に納得した騎士に別れを告げ収容所内に戻っていく。

 全ては予定通り。後は向こう側の様子を確認しつつ、完璧なタイミングでカリンシャに到着できるように速度を調整するだけだ。

 聖王国での作戦の最終局面にして、次なる作戦の最初の一手が始まる。

 未だ消えない法国への怒りとようやく借りを返せる喜びを胸に、アインズは眼前の巨大な影に目を向けた。

 

 

 ・

 

 

 最後の一匹が崩れ落ちる。戦いが終わりその場に立っていたのは蒼の薔薇のメンバーだった。

 それぞれが英雄の領域にいるラキュースやレメディオスと同等かそれ以上の強さを持っているはずの亜人たちだったが、それを遙かに超えるイビルアイという強者。そしてアインズから借り受けたルーン武器や防具のおかげで、こちらの損害はほとんど無かった。

 

「全く。亜人って奴は本当によ。明らかに俺より戦士としての技量は低いくせに、生まれ持った力って奴の違いか。この防具が無かったらやばかったぜ」

 

「ガガーランにはそろそろ青い血が流れる頃。クラスチェンジしたらきっと追い越せる」

 

「私たちの援護のおかげ、感謝していい」

 明るい掛け合いをしながらガガーランとティナ、ティアは改めて互いの無事を確認し合う。

 

「三人とも無事?」

 

「ああ、そっちも……なんだよ結局二刀流か?」

 あの獣身四足獣(ゾーオスティア)は、亜人らしく並外れた防御力を誇っていた。それを討つためには、魔剣キリネイラムとルーン武器が必要だったのだ。前者の、無属性エネルギーを爆発させる超技、暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレイドメガインパクト)と、後者に封じられていた、一日三度まで使用できる高位階魔法の同時解放が。

 片腕では斬撃の威力は落ちるが、魔法の発動ならば片手でも問題なく実行できる。

 二つの魔法を同時に使用したこの技、どんな名が良いだろうか。と考え始めている自分に気がつき、今はそんな場合ではないと思い直した。

 戦っている最中でも、ヤルダバオトとモモンの派手な戦いの余波は確認できた。

 まだ決着は付いていない。ならば一刻も早くこのルーン武器を届けなくてはならない。

 後は──

 

「こっちは問題ない。あの悪魔も見かけ倒しだった。これなら様子見をするまでも無かったな。余計な時間がかかってしまった」

 ギリギリの勝負をした自分たちと異なり、怪我もなく余裕な態度で戻ってきたのはイビルアイだ。

 最も厄介な魔法攻撃が可能な四本腕の女亜人と、まとめ役の悪魔の二体を相手取り戻ってきた。

 流石は国堕としと呼ばれた伝説の吸血鬼、更に魔導王の宝石箱から借り受けたルーン武具の性能もあって余裕の勝利。といったところか。

 

「モモン様は何処だ?」

 

「もう都市中が戦場ね、一カ所に留まっていないみたい。それにこの霧のせいで、ここからは見えないわ。早く探さないと」

 戦いの最中から急激に広がり始めた濃い霧の影響で、辛うじて周囲の破壊の痕跡だけは見えるものの、ヤルダバオトとモモンの姿は見えない。

 

「亜人よりもあの悪魔にこの武器が良く効いた。恐らく悪魔に特化したルーンが刻まれているのだろう。時々相手が動きが鈍ってむしろ当たりに来ているようなこともあったから、そうした効果もあるのかも知れないな。動きの速いヤルダバオトには尚更効果があるはずだ。これさえあればきっとモモン様が勝つ」

 魔法の触媒にもなると言うルーンの短剣をかざしながら、イビルアイが力強く宣言する。

 ラキュースもまたそれに同意しようとするが、背後から聞こえた声に遮られた。

 

「──もう遅い」

 太く、重い声は威厳と、身を竦ませるような根源的な恐怖を相手に与える。

 その声と共に濃い霧の中から、突如として巨大な影が現れる。

 燃えさかる体の至る箇所から大量の血を流し、顔の半分が潰れながらも、未だ絶対的な力強さを感じさせる大悪魔ヤルダバオトの姿があった。

 

「貴様! モモン様はどうした!」

 誰よりも早く臨戦態勢を整えたイビルアイが叫ぶように言う。その声には悲痛さが滲み出ていた。

 既に何かを予感しているかのように。

 

「強者だった。間違いなく私が戦った中で一番、いや例の魔導王がまだ居たか。どちらにせよそのルーン武器が奴の手元にあり、より多くのアイテムを持っていたのなら危なかった──だが、勝ったのはこの私だ」

 

「嘘だ! モモン様が、貴様のような奴に、負けるはずがない!」

 イビルアイの声は涙で濡れ、震えていた。

 ラキュースもまたその言葉を信じることができない。

 彼の優しさも、威厳も、そして強さも、全てがラキュースが憧れた本物の英雄だった。

 イビルアイですら敵わないドラゴン三体を、一刀両断したあの強さは本物だ。人類の救世主と謳われた、アダマンタイト級冒険者である自分たちですら比べものにならない。

 あれ以上の強さなど、存在するはずがないと心のどこかで思っていた。

 彼がいくらアインズの強さを語り、自分より上の存在だと言っていても、ただの謙遜であり、そのアインズが優位に戦えたヤルダバオトもモモンよりは下だと思っていた、いや思いたかっただけなのだろうか。

 

「そう思うのならばそれでも良い。今はお前たちに構っている暇はない。今こそ私の悲願が叶う時なのだからな」

 未だ血は止まらず流れ続けているが、それでもヤルダバオトは余裕を崩さず笑う。

 それが強がりなのか見極めようとするが、その前にイビルアイが叫んだ。

 

「フザケるな! みんな、こいつを叩くぞ。あの怪我だ、もはや奴は死に体に違いない!」

 確かに普通に考えればその通りだ。

 それも未だ傷を癒していないところを見るに、ヤルダバオトは回復系の魔法が使えないか、魔力が切れてしまっているかのどちらかであろう。

 モモンと戦ったのだから、それぐらいの手傷は負って当然という気もする。

 だからこそ、ここで逃がさず仕留める必要があるのは分かる。だがそれより自分がしなくてはならないことも理解していた。イビルアイがそのことに気づいていないとは思えない。

 

「ほう。せっかく見逃してやると言っているのに戦う気か。哀れな、傷を負ってはいても貴様等を屠ることなど容易いというのにな」

 臨戦態勢を整えようとするヤルダバオトを前に、イビルアイは先手必勝とばかりに攻撃を繰り出す。

 

「〈砂の領域(サンドフィールド)全域(オール)〉」

 砂を相手に纏わりつかせ、行動を阻害し、盲目化、沈黙化、意識を散らせる副次効果をも与える、イビルアイだけが使えるオリジナル魔法だ。彼女の切り札でもある、第五位階という高位に位置するこの魔法は、負のエネルギーを付与し、生命エネルギーを奪う事もできる。だが本質的には、攻撃魔法ではなく足止めが主目的の魔法だ。

 その行動の意味をラキュースは即座に理解し、その場から駆け出す。目的地はヤルダバオトが現れた方向、そちらにモモンが居るはずだ。

 

「頼んだ」

 敢えて具体的な言葉を使わないのは、ヤルダバオトに気づかれるのを防ぐためだろう。

 

「リーダー!」

 ティナが取り出した雑嚢を受け取る。魔法の効果によって、見た目より遙かに多くの物を収納できる一品であり、仕舞われているのは黄金だ。

 ラキュースの使える死者復活の魔法。

 それこそが最後の切り札。

 例えモモンが本当に死んでしまっていても、ラキュースが蘇らせればいい。

 もちろん死体の状態によって成功率は変わるが、強者は肉体的にも強固になるため、例え死んでしまったとしても体は無事に残っていることが多い。加えて全身鎧で身を固めたモモンであれば、確率は高い。

 問題はその後だ。

 蘇生によって大量の生命エネルギーが失われてしまう。すぐに戦いに復帰することなどできないだろう。

 そうなると蘇生が完了した後、一時撤退すべきか。しかし、何処に逃げれば良いというのか。

 カリンシャの周囲には亜人の軍勢が集結し、いつ戦いが始まってもおかしくは無い。

 それらを体の動かないモモンを連れて、突破するのは難しい。何よりここに戻らなければ皆の命が危うい。となると──

 

(モモンさんを復活させた後、私だけ戻って戦うしかない)

 時間を稼ぐ意味でも、モモンが復活したということを悟らせない意味でもそれが最善だ。

 モモンほどの強者なら少し時間を置けば動くことはできる。何よりモモンさえが生き残れば、きっと次はヤルダバオトを倒してくれる。そしてそれは王国の救いにも繋がる。

 その結果、自分たちが死ぬことになったとしても。

 剣を握ったままの手が震えそうになる。それを更に強く握ることで誤魔化して、彼女は駆ける。

 最後の希望を、命の恩人を、そして。大切な人を救うために──

 

 

 ・

 

 

「これが、ヤルダバオトの本気、か」

 強大な力と力がぶつかり合うその衝撃に、精鋭を率いていたレメディオスはゴクリと唾を飲んだ。

 自分が戦ったヤルダバオトがまるで本気で無かったのだと見せつけられた。

 そしてそれと互角に戦うモモンの強さ。

 それもモモンは魔法を使わず、剣とアイテムだけで攻撃を捌き、避け、時には打ち消しながら戦っているようだ。

 

「カストディオ団長。我々はどうすれば……」

 南部貴族の軍から派遣された精鋭の一人が声を震わせる。

 無理もない。あんな正真正銘の化け物を相手に、自分たちのような単なる人間が何をしようと時間稼ぎにもならない。

 以前の周りが見えていなかった自分なら、それでも民たちの命を一秒でも長引かせるために特攻を仕掛けていただろう。

 先ほどまでの流されているだけの自分ならどうだろうか。誰かに判断を仰いだのだろうか。

 そして今の自分なら。

 

「私たちでは勝ち目が無い。モモンの邪魔になるだけだ。幸いヤルダバオトは戦いに夢中で城門からは遠ざかっているようだ。我々は予定通り城門の守護に回る。この戦いこそが目眩ましで、亜人軍が秘密裏に城門を破壊しようとするかもしれない」

 ヤルダバオトがあの星を落とす強大な魔法を使用せずにいるのは、モモンとの戦闘のため使う隙も無いからか、それとも魔力の消費が多いからか。どちらにしても、今は使えないのだろう。

 となると謀略に優れた悪魔なら他の手段を用意しているはず。と考えたのだ。

 

「おお! なるほど。確かにその可能性は有りますね。城門破壊を阻止することこそ、多くの命を救うことに繋がります」

 主の名誉のために、場合によってはヤルダバオトに戦いを挑むことを主張するかとも思ったが、どうやら彼らも無駄死にする気は無いらしい。

 目的が一致しているのならば幸いだ。これなら一つの部隊として機能させることができる。

 

(それにしても色々と考えすぎて頭が痛い。みんなはいつもこんなことをしながら戦っていたのか)

 勘頼りではなく思考しながら戦うことの辛さを実感しつつ、改めて迷惑をかけていたことを自覚するも、それは今更だ。ここから挽回するしかない。

 

「では行くぞ。目標はヤルダバオトが以前破壊した東側の城門。速度も必要だが見つからないことも重要だ。誰かカリンシャの地理に明るい者はいるか!」

 

「わ、私の実家がこの地にあります」

 一人の騎士が手を挙げる。

 

「よし、先導はお前に任せる。都市内と言えど油断するな。ヤルダバオト以外にも転移を使える者がいるかもしれない」

 

「はっ! 一命を賭して実行いたします」

 兜を着けているためはっきりとした年齢までは分からないが、声からすると随分と若い。

 それで精鋭に選ばれたのならば、相応の才能がある者なのだろう。

 だがある程度以上の緊張感は視野を狭める、とレメディオスは身を以て知っている。

 

「そう気負うな。何も失敗した時の責任までお前に被せる気はない。それは私が負ってやる。上に立つ者というのはそれが仕事だ。もっとも成功したときの手柄はお前の物なのだから、上に立つ者というもなかなか実入りが無くて困る。お前たちもいつか人の上に立つこともあるだろうから、よく覚えておくと良い」

 こんな時にぴったりな言葉を思い出し、軽口を叩く。

 これもまた借り物の言葉だ。口にしていたのは誰だったか、前団長だったか、それともイサンドロかグスターボが部下に言っていたのか。

 どちらにしても聞いたときは何をふ抜けたことを。と不快に思ったものだが、これだけで皆が笑い、若い騎士も、他の者たちからも力みが取れた。

 いつの間にか周囲に立ちこめていた濃い霧に触れるように手を動かす。

 

「ん? 霧が出てきたな。幸先が良い。この霧なら、音さえ立てなければ見つかることはない」

 急速に広がり、あっという間に視界が悪くなる。土地勘が無ければ邪魔でしかない霧だが、この兵がいればそれも問題なく、むしろ利点の方が多い。

 

「はっ!」

 声は小さく、けれど力の籠もった良い返事を聞きながら、レメディオスは満足げに頷き行動を開始した。

 

 

 一度はヤルダバオトに破壊された城門はその後、亜人たちの手によって修復されていた。だが今度は、この都市を取り返すため聖王国が破壊した。

 それも一応は再修復されているが、時間が無いこともあって応急処置程度でしかない。

 他の城門はヤルダバオトのあの巨大な石を召喚する大規模魔法でなければ破壊できないが、ここだけは亜人たちだけでも破壊可能だ。

 だからこそ、ヤルダバオトが陽動ならば、きっと狙われるのはこの城門に違いないと考えたのだ。

 城塞都市として頑丈な作りになっているカリンシャは、城壁の上に多くの兵を配置することが可能だ。実際今は、どこから亜人が来ても良いようにと、南部軍の兵たちが城壁全体に配置されているはずだ。

 そこからならこの向こう側の景色も見えるため、何かあれば連絡が来るはずなのだが。それともこの霧で軍の動きすら見えなくなっているのか。

 

「だ、団長!」

 引きつった声が響き、怪我のため戦いに参加できず伝令役を担っていた聖騎士団所属の騎士が近づいてくる。

 

「どうした?」

 あまり良くない知らせのようだと察しつつ、できる限り平静を保って尋ねる。

 

「モ、モモン殿が、ヤルダバオトに……」

 血の気が引いた男は途中言葉を詰まらせる。

 

「負けた、のか?」

 信じたくない思いを抱きつつ、続きを口にすると、騎士は大きく頷いた。

 負けた。あの英雄モモンが。どちらの強さも知っているレメディオスからすれば、どちらが勝っても不思議はない。

 いや、純粋な戦士であるモモンならば、強力な魔法も使いこなすヤルダバオトが相手では、不利な状況だったのは間違いない。

 加えてモモンは、例の収容所で自分の命令を叶えるために多量のアイテムを消費した状態だった。

 魔法が使えないモモンにとってあのアイテムこそが生命線だったはずなのに。

 

「クソッ!」

 思わず吐き捨てる。

 その矛先はモモンではなく自分に対してだ。

 収容所の捕虜や人質の命を救えたことを間違いだったとは思いたくはない。間違っていたのはあんな現状を顧みない命令を出した自分自身だ。

 

「……それで、状況は?」

 

「ヤルダバオトは手傷を負っているものの健在。現在は蒼の薔薇が戦っています。モモン殿の方にはリーダーのアインドラ殿が向かわれたと聞いています」

 

「モモンの生死は分からないのか?」

 

「空中で討ち負け、都市内のどこかに落ちたのは間違いないのですが、何分この霧のせいで落ちた場所の特定が難しく……」

 自分たちにとっては僥倖だったはずの霧も、そう聞くと途端に神の祝福ではなく、ヤルダバオトに力を貸す邪神の仕業に思えてくるのだから勝手なものだ。

 だが救いも一つあった。

 モモンの元にラキュースが向かっているという知らせだ。

 彼女が若くして英雄の領域にいるとされているのはなにも戦闘力に限った話だけでなく、第五位階にある蘇生魔法〈死者復活(レイズデッド)〉を使いこなすことができるからだ。

 自分の妹も使える魔法だが、ラキュースは妹より年下ながら既にその魔法が使えるという希有な存在だ。

 つまり、例えモモンが死んでしまっていたとしても、死体さえ無事なら蘇生も可能だ。

 そもそも蒼の薔薇には戦い以外にその役割も期待していた──魔法を掛ける相手と想定していたのは、カルカやケラルトだったが──ヤルダバオトが手傷を負っているなら、モモンさえ復活し自分や蒼の薔薇全員で掛かれば倒す目もある。

 いや、もはやそれしか方法がない。と言うべきだろう。

 ここからは綱渡りに近い状況になる。一つ選択を間違えば、そしてこれ以上敵側に有利な状況になれば、それだけでもう聖王国の敗北が決定する。

 戦いの中で働くレメディオスの勘がそう訴える。

 思わず唾を飲んだ。さらに自分の選択の重要性が増したのだ。

 だが何もしないわけには行かない。今の自分にはこういう時に頼れる者がいないのだから。

 

(そうなると私もそちらに向かうべきか? この城門の守護は彼らに任せれば……)

 亜人がこちらに向かっていたとしても、城門が破壊されなければ攻城戦となり、遠距離からの攻撃がメインとなる。つまり自分は必要ない。

 亜人の中に、聖王国で名が知られるような強者がいる可能性も有ったためこうして自分も来たが、モモンがヤルダバオトに負けてしまったとなれば優先順位は変わる。

 一刻も早く自分もヤルダバオトとの戦いに参戦すべきだろう。

 

「おい! 私は──」

 

「伝令! 伝令です!」

 早速指示を出そうとしたがそれは、先ほどの騎士とは別の、遠くから駆け寄ってきた伝令役によって遮られた。

 

「今度は何だ!」

 

「ひ、東よりこちらに向かってくる巨大な物体が確認されました!」

 慌てた口調で要領を得ないことを口走る伝令。東側とはこの城門の先だ。顔を持ち上げるが当然門に阻まれて向こう側を見通すことはできない。

 

「巨大な物体? 何だその曖昧な情報は! もっと詳しい説明を──」

 

「霧のせいで詳細は確認できません! ですが。東側には大都市は無く、アベリオン丘陵とを隔てる城壁があった場所は未だ亜人連合に押さえられている以上、敵の増援と思われます。情報が錯綜しており何か巨大な建造物が動いて向かっているとの情報も」

 

「建物が動くはずがあるか! 巨人か何かじゃないのか?」

 城のように大きなモンスターという言葉を、伝令が勘違いして伝えた可能性があるのではないかと思ったのだ。

 建物が動くというよりは可能性があるように思える。

 

「それは定かでは無いのですが……どちらにせよ、敵の増援と考えてどう行動するかを決めなくてはなりません。城壁の上に配置した兵を動かすのか、それともその場で待機させておくのか」

 

「…………他の亜人は、カリンシャを包囲するように近づいてきていると言っていたな?」

 

「はっ! ですがそちらも霧によって動きが掴めず、現状は不明です」

 

(結局なにも分からないってことか。クソ……)

 やはり自分には、考えて作戦を立てるなどと言う芸当はまだまだ無理だ。こんな時に頼りになるグスターボは未だこちらに来ていない。

 まさかグスターボに指示を仰ぎに行けとも言えない以上、ここで自分が判断を下すしかない。

 だがせめて。

 

「……少し待て。私が直接確認する」

 言うや否や、レメディオスは鎧に込められた魔法の力を使ってその場から飛び上がる。

 短時間だが飛行を可能にする力だ。

 とはいえ自由自在に動けるわけでもないので、どこから狙われるか分からない状況で飛び上がるなど危険極まりない。が、この霧によって亜人からもレメディオスの姿は見えない。巨大な何かと言うのなら、霧越しでもこちらからは見えるはずだ。

 城壁の上に飛び乗ったレメディオスは東側に目を凝らす。

 濃い霧のせいではっきりとは分からないが、確かに巨大な何かが動いている。

 

「あれは……船?」

 漠然とした形から判断すると、巨大な船に似ているように思える。

 しかしここは陸地、川や湖すらない丘の上に作られた城塞都市だ。船、それもあれだけ巨大な物が存在するはずもなく、まして陸の上を進むはずがない。

 だが近づくにつれその形はハッキリとし、確信を持って船だと言える形になる。

 

「なんだあれは! あれも亜人、いや悪魔の兵器なのか?」

 あれだけの巨大な船ならばさぞや大量の兵士を乗せることができ、そのまま城壁の上に乗り込むことも可能だろう。

 つまり、あれが敵の物であるのならば。

 

「──我々の、負けか」

 周囲に誰もいないという状況が、レメディオスの口から出てはならない言葉を吐き出させ、その場に膝を突いた。

 これ以上の戦況悪化に対応できるだけの力が今の聖王国には無い。

 仮に外の亜人とあの船だけなら、ここに残された全ての兵を動員すれば何とかなっただろう。

 しかしカリンシャの中にはヤルダバオトがおり、モモンの復活も未だ成されていない。

 この両方の問題を同時に解決する術をレメディオスは持っていなかった。

 

「いや、まだだ」

 挫けそうになる心を奮い立たせ、レメディオスは立ち上がる。

 ここで自分が、いや自分たちが諦めてしまってはそれこそ聖王国が無くなってしまう。

 例え無茶でもこの事態を打開する方法を探るしかない。

 だがそれはまさに無理難題だ。自身で解決策を考えようとすると、どれほど難しいかが身に染みてよく分かる。

 ましてレメディオスの、お世辞にも良いとはいえないと自覚している頭ではなおさらだ。以前はこれを他者に強要していたかと思うと、自分が嫌になる。

 だがそれでも諦めることはしたくない。

 この霧さえなければもう少し、と考えてふと思いついた。

 

「この霧に紛れて脱出するのはどうだ? せめてモモンと蒼の薔薇だけでも逃がせればゴウンを連れてきて貰える」

 考えが思わず口から出た。

 要は、カスポンドに化けていた悪魔がモモンたちをここから遠ざけるために使った嘘を、本当にすれば良いのだ。

 この霧を逆に利用する。そしてそのための時間は自分が稼ぐ。

 ヤルダバオトが手傷を負っているのならば、自分でも少しは時間稼ぎはできるはずだ。

 例えそこで死ぬことになろうとも、聖王国を救う最後の希望であるモモンを逃がすことを思えば命を惜しいとは思わない。

 早速とばかりに再び魔法の力を発動させて下に戻ろうとして、先ほどまで僅か先すら見えなくなるほど濃くなっていた霧が晴れていくのを感じた。

 

「またか! 神よ、貴方は何故そうも我々を……」

 聖騎士である以上、レメディオスも神に対する信仰は人並み以上に持っているつもりだ。しかし、敬虔な信徒が多い聖王国の大地が悪魔に蹂躙され、それを必死になんとかしようとする自分たちに不利な状況が続くと、神の存在すら疑ってしまう。

 神官の妹は魔法を使う度に神の存在を近くに感じていると言っていたが、聖騎士ではあっても魔法の素養は無い自分はそうしたものを感じたことが無いからなおのことだ。

 だが、次の瞬間。レメディオスは神の存在を疑ったことを恥じることになる。

 現れたその希望の姿に、神は居たのだと。そう理解したのだ。

 都市内だけではなく、城壁の向こう側まで立ちこめていた霧が晴れ、よりハッキリとその姿を確認できるようになった船。

 ボロボロで、お世辞にも綺麗とは言えないその外観。

 だがマストに張られた帆だけは、張り替えたばかりと思うほど綺麗な物だった。

 そこに刻まれた紋章には見覚えがある。

 いや、見間違うはずなど無い。海のような深い水色で刻まれた、聖王国の紋章が燦然と輝いていたのだから。




前回言ったとおり戦いは飛ばし、聖王国編も最終局面に入ります

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