オーバーロード ~経済戦争ルート~   作:日ノ川

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前回より少し遡って、幽霊船に乗ったアインズたちの話と、レメディオスとカルカの再会の話
この話でのネイアは書籍版と異なり、アインズを絶対的な存在ではなく、あくまで国を救える素晴らしい力を持った人物とだけ認識しているため、未だに自分の正義について色々と悩んでいる状態です
ちなみに天地改変で霧を発生できるかどうかと幽霊船の内部や設定に関しては、ハッキリした記述がないので独自設定となります


第73話 主従の再会

 先も見えなくなるほどの濃い霧が平地全てに広がり、幽霊船がその中を悠然と進む。その上にアインズとネイアが並んで立っている。

 ヤルダバオトが破壊した城壁跡に居た亜人は、幽霊船に乗せてきたデス・ナイトと魂喰らい(ソウルイーター)があっさりと駆逐した。アンデッドの実力を見せつけるには十分だろうと判断したアインズは、彼らをそのまま守りにつかせ、自分達はカリンシャに向かった。

 

「ゴウン様。この霧も船が出している物なのですか?」

 

「船の周囲を囲んでいるものはそうだが、元々今日は濃い霧が発生しているようだな。カリンシャまではなるべく亜人に気づかれず移動したかったからちょうど良い。カリンシャは丘の上に作られた城塞都市なのだろう? この大きさでは霧に覆われていても近づけば怪しまれてしまうからな」

 アインズの説明になるほど。と感心したように頷くネイアを余所にアインズは心の中でほくそ笑む。

 

(〈天地改変(ザ・クリエイション)〉は範囲が広すぎるのが問題かと思っていたが、今回はカリンシャ内部だけではなく平野まで霧で覆う必要のある、こういう時は役に立つな)

 本来ならば派手に登場するためには霧など無い方が良いのだが、カリンシャが既に解放軍によって取り戻され、今は逆に亜人やヤルダバオトに襲われているとネイアやカルカに知られれば急いで移動しなくてはならず、登場のタイミングを計ることができない。

 そのため一日四度しか使えない本来はフィールドエフェクトを変化させる超位魔法〈天地改変(ザ・クリエイション)〉によって周囲に霧を発生させ、その中を隠れながら進んでいるのだ。

 

「それにしても、幽霊船を支配し使役するなんて。今まで聞いたこともありません」

 ネイアの賞賛の言葉を聞きながら、アインズは、おやっ?と疑問を持った。

 

「バラハ嬢。今の言い方だと、幽霊船は聖王国にも出没するのかね?」

 幽霊船自体に驚くのではなく、幽霊船を支配していることに驚いているとなれば、そう考える方が自然だ。

 

「あ、はい。私が直接見たわけではありませんが、船乗りの方に聞いたことがあります。海で濃い霧の中を進んでいると、沈んだはずの船にアンデッドが乗り込んだ幽霊船が現れると」

 

「ほう。そう言えば聖王国は海に面しているからな、それは面白いことを聞いた。ことが済んだ暁にはそちらも探しに行ってみるか。聖王国で商売をするならもう幾つか船は必要だからな」

 よく考えてみれば本来船とは海にあるもの。陸地よりもむしろ海の上に居る方が自然ではないか。

 カッツェ平野の幽霊船の船長を支配できた以上、他の幽霊船でも支配も可能だろう。

 幽霊船は使ってみると実に便利だ。

 船員に人間を使わずに済むため、食料や船員の寝床などを考えず限界まで荷が積める。

 その上、トブの大森林の湖に運んで実験した結果、この幽霊船は陸上だけではなく水の中にも入れることが判明した。何らかの特殊な力が働いているのか、穴が空いたままでも水に浮き、浸水することもないのだ。

 ネイアの言う海にいる幽霊船も同じ特徴を持っているのなら、もう何隻か欲しいところだ。

 

「ゴウン様は、今からそんな先のことまで考えられているのですか?」

 殺し屋の如きネイアの鋭い瞳に力が籠もる。

 その瞳に込められた意味に気づき、アインズは慌てた。

 うっかり口を滑らせてしまったが、これでは今から倒しに行くヤルダバオトのことを軽く見ていると思われても仕方ない。

 確たる理由もなく楽観する者はいつの時代も信用を得られない。

 それどころか、勘の良い者ならこの一言からアインズとヤルダバオトがグルだと看破するかもしれない。

 ここまで順調に、それもアインズは何も考えず、ただ言われるがまま演じたままに事が進んでいたこともあり、無意識の内にすっかり気が緩んでいた。

 こうした緩みから失敗することが多いとかつてのギルドメンバー、ぷにっと萌えも言っていたというのに。

 言った台詞を取り消せない以上、楽観しているのではなく、勝利に確たる自信があると思わせるしかない。

 

「んんっ。バラハ嬢、勘違いをしてもらっては困る。私は何もヤルダバオトを甘く見ているわけではない。勝つ準備は完了しているという意味だ。そもそも戦いとは始まる前に終わっていなければならないのだよ」

 友の言葉を言い訳に使っていることを心の中で詫びつつ、威厳を込めた態度で言う。

 言葉だけでは信じられないかもしれないが、この後しっかりとこちらの想定通りに進めれば納得して貰えるだろう。

 

「いえ! 私はそんな失礼なことは──ですが、やはりゴウン様は凄いです。シズ先輩の言っていたとおり、ゴウン様なら必ずや聖王国を救って下さると信じて……いえ確信しております」

 

「ではその信頼に足る証を示さなくてはな……それで。その為にもカリンシャに着くまでに一つしておきたいことがあるのだが、聖王女陛下が今どちらに居るか聞いているかね?」

 話題を変えようと口を開く。そもそもここにいたネイアに声をかけたのもそれが理由だった。

 

「はい。聖王女陛下でしたら、シズ先輩が船を案内してくれると言っていただいたので、船内にいらっしゃるかと。私は物見の仕事があったのでご一緒できませんでしたが」

 カリンシャに着く前に、聖王国の紋章を幽霊船のメインマストに掲げる許可をカルカから貰うつもりだったのだ。もちろん今掲げられている、魔導王の宝石箱のマークにも使用している、アインズ・ウール・ゴウンのギルド紋章とは別にだ。

 それならば、聖王国の民が見ればこの船は味方に見えるだろうし、店のアピールもできる。

 しかし、シズが聖王女の案内をしている、というネイアの返答によって、そちらにも興味が沸いた。

 

「シズに? ふむ、あの娘が自発的に行動するとは、良い傾向だ。バラハ嬢という友人ができたおかげかもしれんな」

 シズもそのまま連れてきてはいるが、この後はもう仕事らしい仕事もないため、自由行動という名目で自分で考えて行動するように促したのだが。

 自発的にナザリック以外の者と行動するとは思わなかった。

 しかしネイアならともかく、なぜ聖王女と。

 

「い、いえ。私の方こそ、シズ先輩にはお世話になりっぱなしで……今回も聖王女陛下より物見を命じられた私が離れて聖王女陛下がお一人になることを心配して……あ、いえ。決してゴウン様が支配しているアンデッドを信用していないとかではありませんので!」

 ネイアの言葉で納得した。

 ようは友達であるネイアを気遣い、彼女の代わりに聖王女の護衛を引き受けたということだ。ますます成長が感じられ、アインズは機嫌良く仮面の裏側で笑う。

 

「良い良い。分かっているとも。聖王女陛下や君がいくら私を信頼してくれるとしても、何の保証もないのに無条件で信じられるというのは時として逆に疲れるものだ。シズはその辺りを考えたのだろう」

 その重さは多分アインズが誰より知っている。

 

「そ、そう言うものでしょうか」

 

「いいかねバラハ嬢、物事を正しく見るためには冷静な論理思考こそが必要だ。心を静めつつ視野を広く、一つの考え方に囚われることなく、常に考え続けると良い。以前君の言っていた、自分だけの正義もそうやって見つけて行くものだ、と私は思うぞ」

 機嫌の良さが口を軽くしたようだ。再度ぷにっと萌えの言葉を引用して語っている自分に気づき、アインズは慌てて咳払いのふりをすると、これ以上ボロを出さないようにとその場を離れることにした。

 

「そういう事なら、これ以上バラハ嬢の仕事を邪魔するのは申し訳ないな。私は聖王女陛下の下に行こう。何か変化があったら私にも知らせてくれ。近くのアンデッドに言えば私に伝わる」

 甲板にも幾体かのアンデッドが警戒に当たっている。それらは全てアインズが作り出したアンデッドであるため、繋がりが出来ている。数が多いため全てを完全に把握はできないものの、この船にいる者くらいなら、反応を感じ取れる。

 

「は、はい! 分かりました」

 ネイアの返事はどこか驚いたような慌てたような声であり、その理由が気になったがそれより早くここを離れた方が良いと判断し、追及するのはやめておいた。実際マスト以外にも準備をしなくてはならないこともある。

 何となく背中に視線を感じながら、アインズは足早にその場を離れた。

 

 

 ・

 

 

「やっぱり凄いなぁ。ゴウン様は」

 離れていく背中を見つめつつ、ネイアは小さく息を吐く。自分の考えなどお見通しだったのだ。

 確かにネイアも、そして聖王女もアインズに依存──不敬な考えかもしれないが──に近い信頼感を抱いていた。

 聖王女は特にその傾向が強く、自分に物見を頼んだことからもそれが窺える。

 一国の王が、自国の護衛が一人しかいない状況で一人になろうとすることは、本来ならあり得ないことなのだ。

 アインズに対する信頼感を示すため、と取ることもできるが、どちらかというと損得勘定なしにアインズを信頼しているが故の行動のように思えた。

 そして当然のようにそれを見抜いたアインズは、その考えを危険だと自分に忠告するためにわざわざ声を掛けたに違いない。

 商売人としては、自分に対する盲目的な信頼がある方が良いに決まっているのにだ。

 それはアインズが目先ではなく、もっと先のことを考えているからだろう。

 短期間のうちに相手を騙して儲けるのならば、自分の言うことを何でも聞いて貰える方が楽だ。しかし、もっと長期間に渡って聖王国と交易をすると考えるとそうではない。アインズのことをただ信じ、言うがままになる者よりも、自分で考え行動することで本当に必要な物を売り買いする者の方が、長きに渡って良い関係を築けるということだ。

 

 幽霊船についてもそうだ。とにかくアインズは、いつも目先だけではなくもっとずっと遠くを見ている。

 解放軍の上層部が、モモンたちに作戦の内容を知らせなかったのも先のことを考えてのことだったのだろうが、問題を解決する術もないのに、先のことしか考えられなかった彼らとは違う。

 問題を確実に解決できる力を持つアインズだからこそ、許される考え方だ。

 一つの考え方に囚われることなく、常に考え続けること。

 アインズが忠告の中でネイアに教えてくれたその言葉もそうだ。

 つい先ほどまでネイアは、アインズの言うことを信じる以外に正解など存在しないと考えて居た。

 それこそが自分が信じるべき正義なのではないか、と思っていたネイアに、アインズは敢えて再度考えさせようとしているのだ。

 

 しかしそれも苦ではない。

 アインズが注意や忠告をするのは見込みのある者だけで、そうでない者には敢えて何も言わない。とシズが語っていた。

 彼女の姉が信じられない大失態を犯した時も、叱責こそ受けたが、突き放すことなくきちんと理解できるように一から説明し、成長を促したのだという。

 その結果彼女の姉は、今では一つの店を任せられるほどに成長したらしい。

 自分のそれとは少し違うのかもしれないが、少しでも見込みがあると思われているのならば、それに応えたいと思う。

 カリンシャに着くまではまだしばらく掛かる。物見の手を抜くつもりもないが、それと同時にもう一度自分にとっての正義を考えてみることにしようと決め、ネイアはますます濃くなった霧の中の些細な変化も見逃すまいと目を凝らした。

 

 

 ・

 

 

「…………ここが休憩室。カリンシャまではまだ時間も掛かるから休んでいた方が良い」

 無表情で感情が読み取れないアインズのメイド、シズ・デルタがそう言いながら、カルカを少し広めの船室に案内した。

 ボロボロの外観とは裏腹に休憩室は見事な家具や調度品で飾り付けられていた。後からアインズによって手を加えられた物なのだろう。

 それら一つ一つが、聖王女である自分でも見たことがないような逸品ばかりだ。

 

「ええ。ありがとう」

 仮にもメイドが聖王女を相手に敬語を使わずに接することには驚いたが、彼女の無表情ながらもチマチマと動く愛らしさ故なのか、不快感は感じない。

 何より彼女はメイドではあってもアインズの娘も同然の存在、とネイアから聞いていたので、彼女の心証を悪くするのは躊躇われる。

 念のため人前では敬語を使ってくれるように頼むと、彼女はあっさりとそれを了承した。素直な子だ。

 微笑ましさを感じながらも、その作り物の如く整った顔立ちに注目する。

 どうやらアインズには複数人、娘同然の扱いを受けている者が存在し、それぞれが各国で店を任せられたり、彼女のようにメイドとして傍に使えているのだという。

 その何れも彼女のような美人ばかりであるならば、アインズはやはり面食いなのだろうか。だとしたら自分はどうだろう。ローブルの至宝と呼ばれ、常日頃から顔立ちを褒められ、時には吟遊詩人(バード)から唄を贈られることもある。それが密かな自慢でもあったのだが、彼女並の者ばかりなら自分も埋もれてしまうのではないだろうか。

 こんな時にそんなことを考えてしまう自分がおかしく思えるが、これも余計なことを考えたくないという逃避でしかない事にも気付いていた。

 ネイアに物見を頼んだのも、アインズに対する信頼故でもあったが、同時に一人になりたかったためだ。

 カリンシャが近づくにつれあの時の記憶が蘇り、体が震えそうになる。仮にも聖王女である自分がそんな姿を見せられないと考えたのだが、代わりに彼女が着いてきてしまった。

 それならせめて、別のことを考えて気を紛らわした方が良い。

 

「何? 陛下」

 

「いえ。何でもありません。助かりました」

 

「いい……アンデッドしかいないここに、陛下一人を置いていくのをネイアが心配していた……私もアインズ様が一人で大丈夫って言ってもやっぱり心配だから、分かる」

 

「そう。みんなそう言うのね」

 カルカ自身、レメディオスやケラルト、近衛の騎士たちから常に守られる立場であり、いつも同じことを言われていた。

 ネイアもまた、立場上それを容認できないが、かといって従者でしかない自分が口に出して意見することなど出来なかったのだろう。

 

「……ただでさえ、ネイアは色々と悩んでいる……先輩として助言はしてあげたいけど、答えは自分で見つけるべき。とアインズ様も言ってたから」

 

「彼女に悩み?」

 

「……自分の正義がハッキリしていない。って言っていた…………私の正義はアインズ様。それは絶対に変わらない……陛下の正義は?」

 アインズこそを絶対の正義と言い切る様は、信頼という言葉では片付けられない強い意志を感じた。

 

「私の正義は……誰も泣かないで済む国を作ること」

 考え方は変わってもそれだけは変わらない。

 だが、ネイアが正義を見つけられていないというのなら、その原因はきっと自分だ。シズのようにハッキリとアインズが正義だと断言できるくらいカルカが強ければ、見習いとはいえ騎士であるネイアを迷わせることなど無いのだから。

 何より今のカルカの正義は、他人に押しつけられる様なものではない。民を救うためならどんな手段でも使う。これは聖騎士が掲げ、ケラルトやレメディオスが賛同してくれた理想の正義からはほど遠い。だからこそ、カルカもまたネイアに助言することは出来ない。

 

「ふーん」

 興味があるのか無いのか、適当に頷くシズの声を最後に部屋の中が沈黙が広がる。

 

「……失礼。陛下、よろしいでしょうか?」

 沈黙を破ったのはカルカでもシズでもなく、扉をノックする音と共に聞こえたアインズの声だった。

 

「ゴウン様。ええ、どうぞ」

 

「お休みのところ申し訳ございません。カリンシャに着く前に一つ提案がございまして」

 シズが弾かれたように移動して扉を開き、アインズを中に入れる。それを一瞥し、満足げに頷きかけながら中に入ってきたアインズ。

 そのまま休憩室のソファに腰を下ろし、向かい合って会談を始める。

 この船のマストに聖王国の紋章を掲げ、カリンシャ内にいるかも知れない捕虜や人質を解放する際に混乱が起こらないようにすることや、どこから接近するかなど、カリンシャに着いてからの予定を話していると改めてカリンシャに近づいていることを実感してしまう。

 

(カリンシャまで、もう少し)

 カルカがヤルダバオトに捕らえられ顔を潰された、忌まわしき地。

 そこに今から戻るのだと考えると体が強張る。

 

「陛下。ご安心を、御身はこの私が必ずお守りいたします」

 

「ええ。よろしくお願いします、ゴウン様」

 声は震えなかったと信じたい。助けて欲しいと、傍にいて守って欲しいと。そんな風に言えたならどんなに楽になるだろうか。

 だがカルカは聖王女だ。アインズにそれを頼むことは出来ない。

 こんな時にいつも傍にいてくれた二人の姿を思い浮かべ、カルカは気付かれないように拳を握りしめた。

 カリンシャが、近い──

 

 

 ・ 

 

 

「嘘。あれは……レメディオス?」

 自分の声が震えているのが分かった。

 亜人に支配されているはずのカリンシャに何故。人間、それもカルカの親友であり、現在は解放軍を率いているはずのレメディオスが居るのか。

 何故かは分からないが、それは彼女もまた同じらしい。カリンシャの城門を幽霊船の船体で塞ぐように近づいた事で、城門の上に立っているレメディオスとの距離は縮まる。その瞳がカルカを捉え、驚愕によって見開かれているところまでハッキリと見ることができた。

 

「っ! カルカ様ぁ!」

 やがて感極まったように声を張り上げ、鎧の力を使って飛び上がったレメディオスはそのまま甲板の上に飛び乗った。

 

「レメディオス。よくぞ無事で」

 

「か、カルカ様ですよね!? 本物の。また悪魔が化けているなんて事は無いですよね?」

 てっきり有無を言わさず抱きついてくるものかと思ったが、レメディオスにしては慎重な対応から察するに、やはり解放軍の中に幻術で化けた悪魔が紛れていたのだろう。

 

「ええ。ええ。私よレメディオス。なにか証明できるものが有ればいいのだけれど。王冠も奪われ、装備もなくなり、それに……顔にも傷が残り、私を聖王女たらしめていたものは全て失ってしまいました」

 一度言葉を切り、ゆっくりと息を吸ってからカルカはレメディオスをまっすぐに見つめる。

 

「ですが、私は本物のカルカ・ベサーレス。貴女の親友であり、聖王国を治める者。この戦いを終わらせ、弱き民、いいえ。皆の涙を止めるためにこの地に戻りました」

 悪魔の幻術がどれほどの精度を誇るのかは分からない。だが彼女ならば、この言葉で自分のことを本物だと分かってくれると信じていた。

 自分が弱者の一人であったとしても、皆が泣かずに済む国を作る。その為ならどんな手段でも使う。一度は心が折れ、理想の正義からかけ離れようとそれだけは譲れない。

 その為の力も借り受けた。

 もしかしたら、聖王国の教義に反するとレメディオスから責められる事になるかもしれない。彼女は、未だにカルカが示した理想の正義を信じ続けているであろうから。だからこそ、先ずはここで彼女に自分が本物だと信じてもらう必要がある。

 

「──聖王女陛下、そのお言葉だけで十分です。疑ってしまいましたことをお詫びします。このレメディオス・カストディオ、お帰りを、信じて、お待ち……しておりました」

 膝を突いて臣下の礼を取り、涙声で言葉を詰まらせながら、レメディオスは言う。

 剣を床に置き、うなじが見えるほど深く頭を下げる。もし仮にカルカが偽者で有ればこの場で斬り殺されても不思議はない姿勢を取ることで、レメディオスは自分がカルカを本者だと信じたと示しているのだ。

 

「ありがとうレメディオス。顔を上げて下さい。今は時間がありません」

 正式な臣下の礼ならば、二度三度と命じてようやく顔を上げるところなのだが、今はその時間がない。どうやら予想もしていなかった事態が、この都市に起こっているらしい。

 レメディオスもこちらの意図を察して直ぐに顔を持ち上げた。その直後、カルカの後ろに目を向け、未だ涙の浮かんだ瞳を大きく見開いた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン! 何故ここに!?」

 

「久しぶりですねカストディオ団長。ご健勝のようで何より」

 初めからカルカの護衛として後ろに居たはずだが、目に入らなかったのだろう。その横にはいつも以上に身を縮こませたネイアの姿もある。

 王が先頭に立って前線に出ること自体異常だ。だが、他ならぬアインズが護衛としている以上はどこにいても安全だと考え、もしもここに民がいた場合、直ぐに見つけてもらえるように船首に立っていたのだ。おかげでレメディオスと再会できた。

 しかしネイアから聞いていたとおり、このレメディオスのアインズに対する態度はいただけない。アインズが商売人である以上、多少無礼な口を利かれたからといって全てをご破算にすることはないはずだが、アインズとは今後もつき合っていくつもりであり、密かにお婿さん候補にもしている。

 自分の命の恩人であることを説明し、少し強めに咎めておくべきかも知れない。

 だがその前に、レメディオスは何かに気づいたようにその場で頭を下げた。

 

「失礼した、ゴウン……殿。貴公が陛下を助け出してくれたのだな? 感謝と、以前の言葉を詫びさせてくれ」

 

(驚いた。あのレメディオスが)

 行方不明になっていたカルカを連れてこの場に現れたのだから、助けたのはアインズだと予想するのは確かに簡単だ。

 しかしカルカの知るレメディオスは、そうした状況を読まず、感情のまま行動していたはずである。彼女にいったい何があったというのだろう。

 

(まさか悪魔が化けているなんて事も無いでしょうし、それだけの事が起こったのね。こんなにも成長するほどの……)

 自分もそうだが、この戦いは良くも悪くも皆を変えてしまったのだと、改めて実感が込み上げて来た。だが同時に、これならアンデッドの力を借りて国を救うことも納得してくれるに違いない、という安堵もまた湧き上がってくる。

 

「いや、詫びなど必要ありません。あの時点においてはカストディオ団長の立場を考えるとあの対応も仕方がなく、正しいものでした」

 

「そう言って貰えると少しは救われる……いや、それよりも。カルカ様! 戻って頂いたのは嬉しく思いますが、現在このカリンシャは危険です。ヤルダバオトが現れ、漆黒の英雄モモンも倒されました」

 途中まで和やかな会話をしていたが、レメディオスは不意に思い出したとばかりに声をあげる。

 その言葉を聞いて、レメディオスとの再会の喜びで忘れていた顔の幻痛が蘇る。

 足を焼かれながら握り締められ、自分を武器だと言って地面に叩きつけられた時の痛みや恐怖が鮮明に思い浮かび、体と歯が震えて音を鳴らした。

 

「……ゴウン殿。済まないがこの船でカルカ様を安全な場所まで送ってくれないか。謝礼は後で──」

 こちらを窺うレメディオスの優しい提案に甘えそうになる自分を律し、歯を食いしばって震えを止め、一度目を伏せてから改めて彼女を見た。

 

「必要ありません。レメディオス、私は戦うために戻ったのです。ヤルダバオトが居るのなら願ってもない。ここで決着を付けましょう……どうですか? ゴウン、様」

 聖王女としての振る舞いを取りながらも、最後の最後、アインズの名を呼んだ瞬間、親に縋りつく子供のように甘えが出た。

 助けて欲しいと。言葉にせずに告げる。

 

「ご依頼承りました聖王女陛下。魔導王の宝石箱の実力、とくとご覧頂きましょう」

 身に纏ったローブを翻し、恭しく頭を下げるアインズからは余裕すら感じる。

 勝つのが当然と理解しているかのように。

 

「し、しかし。奴にはあのモモンですら……それにこの霧で見えないかも知れないが、今この都市には亜人の大群も向かっていて──」

 幽霊船を取り囲む視界を遮るほどの霧には遮音効果でもあるのか、それともまだ音を捉えられる距離には居ないのか、ここからでは分からないがどうやら予想以上に危険な状態だったようだ。

 しかしアインズは慌てず、むしろ嬉しそうに手を叩いた。

 

「ますます都合がいい。面倒は一度に解決した方が良いからな。バラハ嬢、シズを呼んできてくれ。あのアイテムが必要だ」

 

「は、はい!」

 今まで存在感を消していたネイアが返事をして、レメディオスもようやく彼女の存在を認識したらしい。

 

「お前、ネイア・バラハか? 敵前逃亡して姿を消したと聞いていたが、どうしてここに?」

 

「持ち場を無断で離れたことはお詫びいたします。カストディオ団長。ですが私は……」

 そう言えばネイアは元々解放軍と共に行動していたが、アベリオン丘陵の案内のためにアインズに連れてこられたと聞いていた。

 もちろん理由があってのことだが、勝手に持ち場を離れたことを気にしているらしく、ネイアの声は尻すぼみに小さくなる。

 

「彼女のおかげで私は陛下を見つけだすことができました。責めないでやって下さい」

 すっとレメディオスとネイアの間にアインズが入り込み、助け舟を出す。

 

「……そうか。ネイア・バラハ!」

 鋭い声に反応し、ネイアは姿勢を正し、アインズの背後から移動しレメディオスの前に立った。その表情には緊張の色が見える。

 

「は、はいっ!」

 

「団には規律というものが存在する。聖騎士団従者として、団長である私の命に背いて持ち場を離れたことは許されることではない」

 

「はい……」

 消え入りそうなネイアの返事に、冷たい視線を向けていたレメディオスは表情を崩した。

 

「だが、我らが聖王女陛下を救い出してくれた功績を以って敵前逃亡の罪は帳消しとする……ありがとう。そして済まなかった。どうも私はお前に辛く当たりすぎていたようだ」

 レメディオスの決定は、本来なら軍を纏める者として正しくはない。命令違反が功績で打ち消せると思われたら、同じように勝手な行動を取る者が増えかねない。

 それでは軍は成り立たなくなる。だが、レメディオスはそれを知りつつも彼女を許し、己の非を認めて詫びを入れた。

 彼女のことを知る者からすれば、これがどれほど驚愕に値するか、願わくばこの光景をケラルトにも見せたかった。

 この状況でそんなことを考えている自分に呆れるが、紛れも無い本心でもあった。

 

「い、いえ! ありがとうございます団長! あの、では私は直ぐにシズ先輩を呼んできますので」

 後半になるにつれ涙声になっていき、最後には完全に泣いていた。それを誤魔化すように鼻を啜り、ネイアはその場を離れていった。

 それを見届けてから、レメディオスもまた恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをし、アインズに顔を向けた。

 

「それでゴウン殿。何か考えはあるのか? さっきも言ったがゴウン殿が派遣してくれたモモンもヤルダバオトには敵わなかった。いや、それも私のせいかも知れない。収容所でアイテムを消費させてしまったばかりに。生きているかも分からない状況だ、本当に申し訳ない」

 

「謝る必要などありませんよ。あれは簡単に死ぬような男ではない。なにより奴であればヤルダバオトにも少なからず傷を負わせたはずだ。その状態ならば私一人でも容易く勝てる。モモンを倒したと油断しているからこそ、傷を負っていても逃げ出そうとしないはず。今こそが絶好の機会だ」

 アインズがそう言った時、思った以上に早くネイアがシズを連れて戻ってくる。近くに待機でもしていたのだろう。

 シズの手には既に、魔法を封じ込めることが出来るという水晶のマジックアイテムが握られていた。

 

「…………アインズ様、持ってきました」

 

「よし。これで全ての準備は整った」

 アイテムを受け取り、アインズは改めてカルカに体を向けた。

 

「──ゴウン様。聖王国の命運を託します。どうかあの邪悪な悪魔から、この国を、民を救って下さい」

 そして、カルカ自身も。と言葉にはせずに目で訴える。

 

「お任せ下さい陛下。必ずや吉報をお持ちいたします。シズ、お前はここに残り、カストディオ団長の指示の下、アンデッドを使って亜人を殲滅しておけ。それとバラハ嬢もここに──」

 

「いえ! ゴウン様、私も連れていって頂けないでしょうか。聖王国の人間としてヤルダバオトが討たれるところを、この目で見届けたいのです」

 未だ僅かに残る涙声でネイアが、アインズの言葉を遮るように力強く宣言する。

 

「危険を承知の上ならば、私はそれでも構わないが……」

 アインズの仮面がこちらに向けられる。

 思いも寄らない提案だが、考えてみれば一理ある。いくらこちらが依頼主だからと言って、未だ支払いが済んでいない状況で全てをアインズに任せるのは良くない。この戦いが終わった後、貴族たちから責められる原因にもなりうる。だが聖王国の人間が傍に居れば、例えただ見ているだけでも、ある程度の言い訳が立つ。

 ネイアはカルカの護衛だが、ここにはレメディオスが居る。

 流石にヤルダバオトの前に自分が出ていくことができない以上、ネイアを派遣するのは悪い手ではない。

 

(それに……)

 ネイアに物見を頼んでいる間、自分を護衛してくれたシズに目を向ける。

 彼女はその視線に気づいて小さく頷いた。シズが語っていたネイアの葛藤を思い出す。

 

「そうね。ネイア・バラハ、聖王女として命じます。その目で聖王国の怨敵であるヤルダバオトの最後を、そして貴女自身の正義を見つけてきなさい」

 

「聖王女陛下……ハッ! ご命令承りました」

 

「カルカ様は私に任せておけ。それと、城門の前に聖騎士団の者が居る。ヤルダバオトが今どこにいるかはそこで聞くと良い」

 

「はい!」

 

「では行こうバラハ嬢。私の傍に。〈全体飛行(マス・フライ)〉を掛ける」

 ネイアは一度、腰に吊るした剣の柄を握るような動きを見せてから、ふと何かに気づいたように腕を止め、代わりにアインズから借り受けたという大きな弓を強く胸に抱いた。

 魔法の力で浮かび上がるネイアとアインズは、その場から飛び去っていく。

 彼らに祈りを捧げるため両手を組もうとして、途中で止める。

 神に不信を抱いているカルカは、何に祈れば良いのか分からなかったのだ。

 

「…………陛下。早速アンデッドを出す」

 

「アンデッド、か。いや言うまい。それよりお前。いくらなんでも陛下にその口の利き方は……」

 アンデッドを使用することよりも、シズの口の利き方に不満を抱いているレメディオス。その事に苦笑しながらカルカは取りなした。

 

「いいのよレメディオス。公式な場では困るけど、ここには貴女しか居ないもの」

 むぅと不満げに唇を結ぶレメディオスに、シズは無表情ながら自慢げに胸を張り手を鳴らす。

 同時に幽霊船の中から、アンデッドの兵隊が一糸乱れぬ行進で現れた。

 揺らめく霞を纏った骨の獣の上に、同じく骸骨の騎士が乗っている。

 下の骨の獣が魂喰らい(ソウルイーター)、上の騎士がデス・ナイト。そう説明だけは受けたが、どういった能力を持ち、どれほどの強さがあるかは聞いていない。

 ただ、城壁跡に居た亜人に関しては、アインズが出るまでもなくこのアンデッドだけで対処できていた。そこからすると、その強さは相当なものだろう。

 

「アンデッドの騎兵か……どれほど居るんだ?」

 次々に地面に降りていくアンデッドを見ながら、レメディオスはやはり完全に信じ切れていないのか、さりげなくカルカを守るように移動する。

 

「五百組」

 

「それだけか!? 相手は五万からなる軍勢だぞ」

 アンデッドの数は聞いていたが、亜人が五万と聞いて流石にカルカも心配になる。

 アインズが自信を持って勧めるアンデッドだけにその強さは信頼できるのだろうが、相手の数が百倍ともなれば、単純計算で一組で百体の亜人を倒さなくてはならないことになる。

 相手は人間より遙かに強力な力を持った亜人の軍勢なのだ。

 

「……アインズ様が大丈夫だと言ったから大丈夫…………魂喰らい(ソウルイーター)は範囲攻撃があるから相手が多い方が得意。デス・ナイトは一体が王国の戦士長と同じくらい強い……」

 

「な! ガゼフ・ストロノーフか!? まさか。そんなはずが……そんな物が五百だと?」

 

「……レメディオス。王国戦士長を仮に兵力として数えるなら、何人分の強さになると思う?」

 

「最低でも千。ですがそれは、全方位から敵が現れる戦争の中で、更に疲れなどで動きが鈍ったりする事も考えてです。そうしたものがなければそれ以上かと。アンデッドは元から疲れがない。それが本当なら──」

 

「上の騎士、デス・ナイトだけでも単純に計算して五十万分の戦力、ね」

 

「何という力だ。そんな力を持つ個人が存在して良いのか」

 アインズの強大さを知り、レメディオスの声に僅かに畏れが混ざる。

 それも仕方がない。ただの一商会が国の全戦力を容易に上回る戦力を持つだけでなく、個人としての武力も超越しているのだ。

 だが、カルカは畏れなど抱いてはいない。

 アインズこそがこの国を救ってくれる救世主なのだ。

 先ほど祈ることなく、離れた腕をもう一度組み直す。

 信じようと祈ろうと決して自分たちを救ってはくれなかった神ではなく、現実に存在しカルカをそして聖王国を救ってくれる者。

 カルカが祈りを捧げるとしたら、それは神ではなく、アインズ自身にするべきだと気がついたのだ。

 

「聖王国をお救い下さい……アインズ様」

 レメディオスやシズに聞こえないように、小さく彼の名前を呟き、カルカは今度こそ両手を組んで祈りを捧げた。




多分次で聖王国編は終わる筈。その次に後始末編を一話入れ、その後は直ぐに最終章である法国編に入るか、先に別の話を挟むか。になります
書く内容が変わるのではなく、最終章の中に話を盛り込むか、先に独立して書くかの違いなので、書きながら考えます

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