話しながら順当に、2階にある研究教室前までやってくることができた。
気が紛れていればおしおきに使われた廊下も、もう問題なく通過することができそうだ。
「ねー、ゴン太これはなんの卵? 見たことあるような気がするんだけど」
「えっとね、それはゴキブリさんの卵だよ」
「げっ」
「え?」
「あー、いやいや、なんでもないよ。オレ、カブトムシが見たいなあ。どれがカブトムシ? クワガタムシでもいいよ!」
「ああ、それならこっちにたくさん……」
そんな会話が扉越しに聞こえてきて、ぼくは思わず険しい顔になってしまった。王馬くんを相手にするとろくなことにならない。今は自分でモノクマーズパッドを持っているから、いつ盗まれてしまうか気が気じゃなくなってしまう。
…… けど、せっかくここまで来たんだから、引き返すという選択肢はない。それに、ゴン太くんに王馬くんがなにか余計なことを吹き込まないとも限らないわけだし。
…… なんだか順調に親交を深めているようにしか聞こえない会話だけども。
ぼくたちはそっと目を合わせて頷き合う。それから前に立っていた天海くんがノックをしようと……
「んー、そういえばゴン太。虫さんのこと大好きなんだよね?」
「もちろんだよ!」
「そっか…… あのさ、みんながね、虫さんが嫌いだから燃やしちゃおうって話してるのオレ聞いちゃったんだ…… オレ、オレ、どうしたら分からなくてさ…… う、うう、うわあああん!」
「え!? そ、そんな…… な、泣かないでよ…… ご、ゴン太もどうしたらいいか分からないよ……」
「オレ、非力だからさー。みんなにやめるようになんて言ったらふん縛られて乱暴されちゃうかも……」
「そ、そんなことよくないよ! み、みんながそんなことするとは思えないけど…… もしなにかあったらゴン太が王馬君を守るよ!」
「そっか。ありがとう、ゴン太」
不穏な気配を察して天海くんの手が下がる。
再び目を合わせたぼくらは、いったん立ち聞きすることにした。
天海くんは扉を指差して首を振る。ぼくも、そして白銀さんも首を振った。扉は開けないし、今の話も聞き覚えがない…… という意味だと思う。少なくとも、ぼくはそう受け取った。
「でも、どうしよう。虫さんが嫌いな人がいるなんて…… ! ゴン太はどうすればいいの……」
「うん、落ち着いてよゴン太。紳士たるもの、いつでも冷静にね」
「う、うん……」
あれ、案外いいことを言うじゃないかと思いかけて、次に彼が発した言葉にすぐさま前言撤回したくなった。
「オレにいい考えがあるんだー。虫さんが嫌いなのはきっと虫さんのことをよく知らないからだよ。だから、みんなをここに集めて虫さんをよく知ってもらえばいいんじゃないかな? みんなで虫さんを見て和めばゴン太も理解を得られて満足できるし、みんなは虫さんのことが好きになれて全員ハッピー…… じゃない?」
「すごくいいアイデアだね!」
虫さんと和む…… いやいや、正直嫌な予感しかしない。綺麗な蝶々とかなら虫カゴで見るのもやぶさかじゃないけど、さっき〝 ゴキブリ 〟って単語が出てたよね? 無差別に虫がいるなら蚊とかハエとか、それこそ植物園の植物を食い尽くすくらいの害虫がこの場所には蔓延っているのかも…… そう思うと、とても歓迎できない。密室にしたまま封印したいくらいだ。
植物と虫だからって必ずしも相性が良いというわけではないんだよね。
…… それにぼくは植物というより植物の〝 香り 〟が専門だから。
ゴン太くんと王馬くんはなおも話を続ける。
「じゃあさっそく準備しないと…… 実は、もうすぐ孵化しそうな子たちがいるんだよ!」
「そ、そっかぁ…… でね、ゴン太。普通に声をかけても虫が嫌いなみんなは逃げちゃうと思うんだよね。だから今夜一緒に捕まえよう? で、研究教室に連れてきて和んでもらうの」
「うん、そうするよ! ゴン太虫さんのことを好きになってもらえるように頑張るよ!」
「その調子、その調子」
途中から虫〝 さん 〟と言うのが面倒になったらしい王馬くんは、どんどんゴン太くんを
明らかになにか他のことを企んでいるだろう彼に、天海くんが 「なにが目的なんすかね」 と独り言を漏らしたのが聞こえた。
「うーん、王馬くんのやることだからあんまりいいことじゃないのは確かだよね」
「ぼくも白銀さんに賛成…… でも、ぼくらの王馬くんへのイメージって結構酷いね」
「日頃の行いっすよ」
「どうしよっか?」
「これ以上のことは聞けないと思うっすけど」
「う、うん。ぼくもそう思う」
小声で議論しながら中に入るかどうかを確認し合う。この調子ならゴン太くん相手に彼は目的を漏らしたりなんてしないだろう。だからこのまま立ち聞きしていても、新たな情報が出るとは思えない。
それより、その虫さんで和むための親交会? を全力で回避するために割って入っちゃったほうがいいんじゃないかな。
「ねー、扉の前のそこの3人さあー、いつまで入ってこないつもりなのー?」
背筋に氷の塊でも入れられたかのように、ぼくは体を強張らせた。
天海くんはどこか呆れた雰囲気で 「ま、そうっすよね」 と言って案外あっさりと扉を開ける。
「え? わっ! 来てたんだね! ご、ごめんねおもてなしの準備はできてなくて…… !」
「ううん、突然来たのはわたしたちのほうだからいいんだよ。むしろゴン太くんが歓迎してくれるだけで……」
「…… 白銀さん、よだれが」
「っは! ご、ごめんね! つい」
無印の同人作家は3次元NGだったけど、白銀さんは余裕でOKなのかな…… ドラマのキャラクターとかもコスプレするんだろうか。気になる。
それにしても、よっぽど好みなんだね。
「えっと、いつから…… ?」
「知らなかった? オレって地獄耳なんだ! 赤松ちゃんの耳の良さも真っ青だね!」
「えっ」
「ま、赤松ちゃんほどじゃないだろうけどね。でも耳がいいのはホントだよ? キミら、ずっと扉の前で相談してたでしょ。内容までは聞こえなかったけど、まあだいたい想像はつくよねー」
かなりの小声で話していたはずなんだけど…… 王馬くん怖いな。
「ハッタリっすよね。声が聞こえていたなら内容も端々で察しがつくはずっす。キミが聞こえたのは俺らのうち誰かの声。会話してる風ならいつも一緒にいる俺たち3人だと推測したんじゃないっすか?」
「さあね、キミがそう解釈したならそれでいいんじゃないの? それよりもいいの? キミらも虫さん殺害計画の容疑者なんだよ? ほらゴン太、虫さんの魅力を教えてやるんでしょ?」
王馬くんは涼しい顔で天海くんの言葉を受け流すと、さっきまでの話に流れを変える。
彼の言葉でゴン太くんは一瞬にして眉を釣り上げた。正直怖い顔をしている。ゴン太くんにとっては困っているだけなのかもしれないけど、状況が状況だけにアウェーだ。
なにせ彼が虫を解き放てばぼくらなんてあっという間に群がられてしまうに違いないから。
ぼくほ虫風呂なんて嫌だよ……
「それは王馬くんの嘘っすよ。ゴン太くんは騙されちゃダメっす」
「え? 嘘なの?」
「そんなことないよ! オレ確かに聞いたよ! もしかして天海ちゃんが知らないだけじゃない?」
「え? え? どっちなの…… ?」
ゴン太くんが混乱している。
このままだとなんだかんだ虫とお遊びすることになっちゃいそうだ。
みんなには悪いけど…… とにかくぼくらが巻き込まれなければそれでいい。だから他のみんなには尊い犠牲になってもらおう。
「ぼくら3人はそんな話聞いてないよ。ぼくらは、ね。他のみんながどうかは分からないから、ぼくら以外をご招待したらどうかな」
言った、言ってないでは堂々巡りだ。
だから他の人に擦り付ける。こういう、自分が助かるための抜け道なら得意だ。
「そっか、なら今夜は他のみんなに確認してみるよ!」
心の中でガッツポーズを決めて頷く。
虫まみれなんて嫌だからね、これで今夜はゆっくりと休めそうだ。
「ちぇー、つまんないの」
「…… それよりゴン太くん、王馬くんも虫が好きならご招待すればいいんじゃない?」
意趣返しのつもりだったけど、ポーカーフェイスが見事すぎて効いているのかさっぱり分からない。
「とにかく、また今夜一緒にご飯食べようねゴン太!」
「うん、王馬君の話は面白いからまた聴かせてね」
きっと嘘八百な話なんだろうけど…… まあ、ゴン太くんが楽しいならいいのかな。これもいい友人関係と言えるのか。
「香月さん……」
「ど、どうしたの?」
いつになく白銀さんが真剣に言うものだから、ぼくも身構える。
けど、次に言われた言葉で肩の力が一気に抜けてしまった。
「同級生の男の子2人の関係に萌えるのってどう思う? わたしなんか悔しいんだけど…… 王馬くん相手だからかな? そうだよね、そうだと言って!」
「ちょ、ちょっと白銀さん!?」
掴まないで! 揺らさないで! 目が回っちゃうから!
「だ、大丈夫? 白銀さん!」
そして駆け寄ってきたゴン太くんがすごく心配そうな顔で彼女の顔を覗き込んだ。
「か、香月さん!」
「え? え?」
照れたのか、ぼくの背後から腕を回して背中に額をぐりぐりと押し当ててくる白銀さんに困惑する。
「尊い! 尊いよ! 尊すぎて目がバルス状態だよ! 体の大きな幼女が可愛いすぎるの!」
「白銀ちゃん、さすがにその例えはない」
珍しく真顔で王馬くんが突っ込みを入れるけど、白銀さんの暴走はしばらく止まりそうにない。
ぼくは後ろから抱きつかれたまま、されるがままになることにした。
この体勢は正直かなり落ち着かないんだけど、目の前には 「楽しそうでなによりっす」 って微笑んでいる天海くんがいるし、拒否反応が出るほどじゃあない。むしろ友達同士のじゃれあいとしてちゃんと認識できている。
「それじゃ、オレ行くから。またねー」
去り際に目が合って、そして咄嗟に抑えたポケットに伸ばされかけた彼の手が行くべき場所を失い、そのまま頭の後ろに回された。
腕を頭の後ろで組んだまま去っていく王馬くんに、やっぱり油断はできなかったと冷や汗が背中を伝う。
咄嗟に庇わなかったらモノクマーズパッドをスられていただろう。危ない危ない。
嘆息して、そしてその場に漂う残り香を吸ってから勢いよく後ろを振り返る。扉の向こうにはもう王馬くんはいない。
「どうしたの?」
「ちょっと、ごめんね」
「え? え? え?まさかキマシ? いやいや、わたしじゃなくてそういうのは他の子とやってるのをこっそり物陰から見たいっていうか……」
腰に回っていた白銀さんの腕をぎゅっと握って顔までズラし、香りを確かめる。
…… これは彼女にあげた香りだ。レモンじゃない。
その場に残っていた残り香は確かに僅かな〝 レモンの香り 〟だ。
そんなものを誰かにあげたことなんて…… いや、そういえば王馬くんにレモンのアロマオイルをプレゼントしていたっけ。なら彼が?彼がそんな細かいことをするとはとても思えないから、飾るだけか捨てるかするかと思ってたのに…… 律儀に使ってくれているのだろうか。
そもそも柑橘系の香りだからそんな好きじゃなさそうなのに…… もったいない精神とか? いや、ないか。王馬くんのことは考えるだけ無駄だな。やめておこう。
使ってくれているようで嬉しい。それだけでいいじゃないか。
「わたしは3次元の萌えは眺めていられたらそれでいいんだよ! 嬉しいけど! 嬉しいけど! 精神統一ってどうやるんだっけ…… な、なんまいだぶなんまいだぶ……」
白銀さんは混乱してよく分からない行動を取り始めた。
止めたいのは山々だけど、ぼくはがっちりとホールドされてしまい身動きが取りづらい。抗議しても今の彼女に届くかどうか……
「白銀さん、落ち着くっす」
でも、実際には天海くんの言葉ですぐに正気を取り戻したみたいだ。
「はっ! 地味にトリップしてたかも……」
「確実にしてたっすね。思考が冒険の彼方に飛んで行ってたっす」
思考がトリップする、なんてなかなか聞かないフレーズだけど、どうやら天海くんはしっかりと意味を分かって答えているようで、笑いながら彼女の話に合わせる。
そんな天海くんに白銀さんは衝撃を受けたような表情で 「あ、あれ?天海くんももしかして分かる人なの…… ?」 と声に出して言った。
そして、それに天海くんはさらりと 「いろんな文化に触れるのも冒険のうちっすよ」 と超高校級の冒険者らしいことを言った。
「な、なんということでしょう…… あなたが神か」
「いやー、照れるっすね」
「そういうイメージないもんね」
ぼくたちと天海くんじゃあ、インキャとパリピ並の差があると思っていたよ。なにせお洒落だし、フレンドリーだし、イケメンだし、キラキラしてるし…… 今の印象とは真逆の、チャラ男みたいな感じだと思っていたから。
彼が優しくてフレンドリーで聞き上手なのはこの付き合いで分かっていたけど、こちらに合わせてくれてるだけではなかったのか。
「俺のイメージ…… どんなのっすか?」
「キラキラしてるし、とっても優しいよね!」
ゴン太くんに向けた質問は、だいたいぼくと同じ答えが返ってきたようだね。
「そうっすか…… あ、そうっす。ゴン太君、今夜の虫さんの会っすか?それは残念ですけど参加できそうにないんすよね」
「ええ! そうなの!?」
「はいっす。俺らでちょっと調べ物があるので、残念ですけどまたの機会にってことで。他のみんなや、王馬君と是非楽しんでほしいっすね」
さりげなく王馬くんを入れてるあたりは密やかな嫌がらせ…… なのかもしれない。王馬くん、虫の話はほとんど受け流していたもんね。
「ごめんねゴン太君。すっごく残念だけど…… うう、罪悪感が」
白銀さんはすっかりゴン太くんファンになってしまっている。断る口実を天海くんが作ってくれたために、ぼくらはそれに乗っかった状態なわけだけど、純粋な彼相手へ嘘をつくことに抵抗感があるみたいだ。
「ゆっくりと今判明している学園の謎についてとか話そうね」
「そうっすね。ついでに植物園の見回りがてら散歩でもするっすか?距離がありますし、いい運動になると思うっす」
「ウォーキングだね? それくらいならわたしも大丈夫かも……」
文系のぼくらに走り込みはキツイものがあるから、天海くんの提案には賛成だ。ウォーキングなら歩きながら話せるし、体力的な心配はいらない。
「春川さんの研究教室はどうするっすか?」
「え、む、無理だよ…… 無理矢理押し入ろうとでもすれば〝 貴様を殺す 〟って顔してるよ?」
それは、そうだね。
少しでも入ろうとすればまるでナイフの切っ先を向けられたかのような錯覚を覚える。それだけ恐ろしい雰囲気で拒否されてしまうのだ。
「赤松さんと百田君が絶賛攻略中だから、そっちは見せてもらえるようになるまでお預けにしようね」
「あと、最原君もっすね」
彼らの言う通り、ここは少し待つべきだ。
赤松さん、百田くんが熱く説得して、最原くんがそれを見守っていたり、たしなめていたり、まあつまり、こちらと同様3人で春川さん1人を攻略中だ。
果たして陥落するときがくるかどうかは…… 分からないな。
「あとはまたプールっすか?」
「3階にはゲームの扉みたいなのもあったよね? それと休憩所も…… もしかしたらなにかあるかもしれないし、そこで調査するついでに…… その、お茶でも…… どうかな」
ぼくが出したのは果物がふんだんに漬けられた透明な瓶と、プラスチックのコップ。デトックスウォーター。女性に優しい飲み物だ。
「いいねいいね! それじゃあそうしよっか。ついでに、お昼なにが食べたいかリクエストがあったら言ってね」
「今日の当番は白銀さん…… みたいなことになってるっすね」
「天海君にはお世話になったし、わたしも料理くらいしないとね」
「うん、だから明日はぼくだね。なににしようかなあ……」
そうしてまた、ぼくらはおしゃべりしながら階を移動していくのだった。