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ぼくがやるべきなのは、変わってしまった茶柱さんの心を癒すこと…… それは理解している。アロマセラピストらしく、調香するだけじゃなくて、自分以外もアロマで癒す。それこそがぼくに課された試練…… なのは明白だと思っていた。
けど、いつも通りに見えて明らかに顔色の悪い王馬くんだとか、体調を崩すほど疲弊している最原くんだとか…… 赤松さんだって、明るさは変わらないもののどこか疲れているような困り顔が目立っていた。
ぼくがいつもそばにいる天海くんや白銀さんも、この長い学園生活で参ってきているのが顔色に現れている…… と思う。あの2人はずっと一緒にいるから、かえって分からないのが難点かな。ぼくが弱虫なせいでだいぶ負担をかけてしまっているし、心労は半端じゃないはずだ。
「みんな…… 疲れてる、よね」
当たり前だ。2度も殺人が起こり、そして1度目は理不尽な処刑が。2度目はなんともいえない、後味の悪さが残る処刑が執行されたのだ。それも目の前で。
真宮寺くんの処刑はモニター越しだったけど、そのときまさに起こっている球体の中の惨状がありありと想像できてしまってダメだった。
夢野さんのことで怒りを表していた茶柱さんは、その怒りを発散する場を永遠に喪い、どうしようもなくなったその感情に食べられて残った〝虚無〟だけがその心の中で渦巻いている。
1番分かりやすいだけで、みんな疲弊して、なにか大切なものが削られていくように表情に現れる。
全員、発狂しないのが不思議なほどに死という概念が差し迫って襲ってくる。
かくいうぼく自身だって、他人に与えられるほど余裕があるわけでもないけど…… それが課題だというなら、やらなければならない。
この心意気からして既に不合格だよな、なんて自嘲が漏れつつぼくは電子生徒手帳を頼りに階段を上っていく。
課題だからやる。そんな心意気ではアロマセラピスト失格だ。不合格中の不合格。成績不良。ニセモノ確定だ。
まあ、たぶん才能がニセモノという点で言うならばぼくがニセモノとやらなんだろうななんて自覚がある分、殺されないためにはやってみせるしかないんだけど。
―― 全部、全部ぼくが悪かったんだ。
「頭が痛い………… なんなんだよ」
〝 ニセモノ 〟
その言葉に、きっと誰よりも動揺し焦っているのはぼくなんだろう。他のみんなが自分自身に確信を持っているのに対して、ぼくは自分ですら本物であるか分からないと感じている。ダンガンロンパ、オーディション、そんな記憶があるせいで、余計な不安がついてまわってくるんだ。
自分に疑いしかなく、差し出されるその手にだって、疑いしかない。それでも手を取るのは、そうしないと立っていられないからで…… 結局は自分のためだ。
頭では理解できているのに、きっとぼく1人がニセモノとして名乗り出れば他のみんなはとりあえずこの場を凌げると分かっているのに、そんなことができない。この命ひとつ惜しんで、その他大勢が坂道を転がっていくのも眺めるだけ。
天海くんや白銀さんはぼくのことを〝 臆病だけど心優しいクラスメイト 〟だと思っているかもしれないけど、その実ぼくは自己保身しかない化け物だ。
ぼく自身すら、香月泪なのか確信も持たなくて、誰かなのかも分からないのに。他の誰かに分かるはずがないんだ。
そんなこと、素直に相談することなんてないけれど。
他と違う記憶とアドバンテージ。これがあるせいで、いくら仲間がいたって本当の意味では独りでしかない。
この謎解きはぼくしか挑むことは許されない。
長々と、そうやって考えていたって解決なんてしないんだけどさ。
「…… それで、転子たちを訪ねて来たんですね」
「うん、茶柱さんもなかなか心休まる暇もないだろうし、ぼくが少しでも力になれたらいいなって思って。こういうときこそ仲を深めるほうがいいだろうし、のんびりお茶だけでもしたいなって思ってさ」
「結構ですよ。余裕のない人に与えられるほど転子は弱くはありません。あなたになにが分かる…… なんてことは言いませんけど、今お話しても多分お互いに傷つけ合う結果になるだけです」
「転子のことなら神様に任せてよー。なんなら泪も来るかー? 神様は全てを受け入れるのだー!」
きっと、ぼくのそんな思考が透けていたのだろう。
茶柱さんの瞳からハイライトは消えたままだけど、はっきりと強い瞳で拒絶された。伸ばしかけた手は掴む場所を失い、お茶に誘うために浮かべた笑顔はスッと顔から剥がれ落ちた。
「…… 転子の気持ちも、香月さんの気持ちも、似ているようで多分違うんでしょうね。どこか、無理をしているように見えますよ。いつもならちょっと投げてみるところですけど、今は遠慮しておきます」
予想外だった。
ぼくなら大丈夫だと思っていた。
お茶しながらちょっとずつ自分につけたアロマで茶柱さんの心を癒せればなんてことを考えていた。
多分それは傲慢だったのだろうと理解できる。茶柱さんだって1人の人間なのだから、ぼくが癒して〝 あげる 〟なんて偉そうに言うのはお門違いだった。
なんだかんだ白銀さんたちが受け入れてくれていたから、大丈夫だとタカをくくって考えが安直だったし、甘すぎた。
なになにをして〝 あげる 〟と言われることほど、屈辱的なものはないとぼく自身が分かっていたはずなのに。
「いや、ごめんね。そうだね、お互い傷つけるだけになりそうだ」
こんな数分しかない会話でさえ、こうして自分のダメなところを自覚させられてグサリときているのだから。
きっとこれ以上続けてもなんの生産性もない、むしろマイナスで終わるだけの会話になるだろう。
なにが足りないのだろうとか、そんな馬鹿なことは考えない。
なにもかも、という答えしかないから。
瞑目して、驚いて、そして震わせた目元を意識して再び笑顔に戻す。
へらりと、からりと笑って 「ごめん」 ともう一度口癖のように声に出した。
「アンジーはいつでも待ってるからなー。泪には親友みたいな面倒見の良い神様が待ってるぞー」
「…… それは魅力的なお誘いだけど、今はまだ、やめておくよ」
宗教というのは、心の拠り所となり得る。
茶柱さんは自身を癒すために、既にアンジーさんといることを選択している。そこにぼくが付け入る隙はない。
逆にぼくのほうが癒しが必要だと指摘されて痛いところを突かれたようなものだ。
「それじゃあね」
笑顔で手を振って、逃げるようにアンジーさんの研究教室から出る。
歩きながら、次第に足早になり、余計な思考を振り切るように走って。
気づいたら超高校級のメイドの研究教室前にぼくはいた。
開かない扉を背にして頭を抱える。
ああ、なんて情けない。こんなときにこそ、東条さんに縋りたくなる。頼りたくなる。泣き言を言いたくなる。そんなことはもう叶わないのに。
「東条さん…… ぼく、もう分かんないよ」
彼女を殺したのは、ぼくなのに。
彼女がクロになったのは、ぼくのせいなのに。
そのぼくが、彼女にどうしても縋り付きたくなる。
都合のいいときばかりそうやって利用するなんて、なんて酷いやつなんだと独りで自己嫌悪する。
ああ、ぼくはなんて面倒なやつなんだろう。こんなやつを気にかけてくれるなんて天海くんたちってやっぱり優しいんだな。
だからこそ、もう迷惑になるなら寄りかかるのはやめてしまおうか。
グルグルと、そんな風に考えながら目尻に浮かんでくる涙をごしごしと拭う。
ぼくが泣く権利なんてない。泣きたい人なんて、ぼく以外にもいるんだから、ぼくより辛い人なんて、たくさんいるんだから、と。
迷子になってしまったような心持ちで俯く。きっと負担があれば頭から被っていた。そんな気持ちで。
「おお、どうした香月」
「……」
慌てて涙を拭って、立ち上がる。
俯いていたからまるで気づかなかった。
「え、えっと百田くんに春川、さん? どうしてこんなところに……」
「ハルマキとちっと追いかけっこしてただけだぜ」
「放っておいてって言ってるのにあんたがしつこいだけでしょ。あとその呼び方やめて」
なるほど、よく見れば春川さんの袖を百田くんが掴んでいる。
ただ、そんな強く握っているわけでもないし、春川さんは超高校級の暗殺者だ。それ相応の力もあるはずだし、振り払おうと思えば振り払えるはずなのにそれをしていない。なんだかんだ、逃げる気はないのだろう。もしくは、逃げるのが馬鹿らしくなったとか。
「そ、そっか。あ、ごめんね。こんなとこでしゃがんでて、邪魔だったでしょ」
ここは二階の隠されていた場所と通常の場所を繋ぐ唯一の通路だ。道は狭いわけではないけど、人が蹲っていたら気になるだろうな。
進路を譲るように扉の前から退き、そそくさとその場を去ろうとするけど、それは百田くんの声によって止められた。
「待て待て、香月もなんか悩んでんだろ。あんまり抱え込みすぎっと、テメーで持った重荷で潰れちまうぞ」
「…… 別に、話すことのほどでもないからね」
こういうときに百田くんの言葉はありがたいけど、ちょっと眩しすぎるんだよなあ。
「…… また馬鹿が始まった」
ぼそりと呟いた春川さんの言葉に、 「えっ」 と声を出して逸らしていた視線を百田くんに向ける。
「ま、話したくねーもんは無理して言う必要はねー。よし! 香月にはオレが宇宙の話をしてやる! そしたら小せーことなんてどうでもよくなるぜ!」
「あんた、そうやって私にも言ってくるけど、一度も宇宙になんて行ったことないでしょ」
まあ、確かに。百田くんってまだ訓練生…… だし。高校生で宇宙飛行士として受かっただけでも成績優秀ですごいってことは分かるんだけどね。なんでそこまで自信があるのかはちょっと分からないかな。
「なに言ってるんだ? オレは宇宙に轟く百田解斗だぞ? オレが宇宙に飛び立つことは間違いねーことなんだ。ただ、今がその瞬間よりも過去ってだけだぜ!」
「すごい…… ポジティブだね」
「ほら、また馬鹿なこと言ってる」
あの〝 馴れ合うつもりはない 〟って言ってそうな春川さんが、〝 また 〟と言うくらい何度も言ってるのか…… どうしてここまで前向きでいられるのかが不思議だ。
「ロマンを追い求めんなら馬鹿やってるほうが近道になるんだ。知らなかったか? 夢を追い求めんのに何年も待つなんざ冗談じゃねーし、思い立ったがすぐ行動! でっけー宇宙の前じゃ何事も小せーことになるだろ。香月も、なに悩んでんだか知らねーけど、こっから出たらどうしたいとか、そういうのあるんじゃねーか? そういうのと比べたら今のことなんかどうでもよくなるぜ。目ぇついてんなら、前だけ向いてな! 満点の星空を見上げる余裕がなくてもそんぐらいならできるだろ!」
ああ、これは…… 励まされているんだ。
無茶苦茶な意見だけど、不思議と鼓舞されるような心地になる。
ぼくがやらなければいけないことを、この人はこうして簡単にやってのける。
「…… 本当にポジティブだなあ。でも、そういうところも含めての超高校級の宇宙飛行士、なのかな」
ぼくがポツリと呟くと百田くんは目を瞬いて口を開く。
「ちょっとちげーな。オレの考え方は〝 才能 〟なんかじゃねー。個性ってやつだ。なんでもかんでも一括りにしてっとがんじがらめになっちまうぞ」
「個性……」
「……」
春川さんも逃げずに百田くんの言葉に耳を傾けている。
確かに、こんな風に説得され続けたら春川さんも絆されてしまうだろうなあ。
あんまり喋ってないぼくでもこんなに励まされてるんだし。
それに加えて春川さんはあの赤松さんからも構われているから、きっと自分が暗殺者だからと距離を取っていたんだろうに、彼らになら、心を開いてくれるのかもしれない。いや、もしかしたら既に……
ともかく、過去ばっかり見てないで…… 前を向く。それくらいなら、心がけられるかな。ずっとやろう、やろうとしてできなかったことだけど、こうして突きつけられると痛いかなあ。
とりあえず今は百田くんを見習って、悲観するのは置いておこう。
下を向いているといろんな不安要素が見えるから、いったんそれを保留してやれることだけやる。前を向いて、やりたいことを考える。彼からの教えはそれだけだ。
「ここから出たら、か」
ぼくはなにがしたいんだろう。
赤松さんみたいにみんなと友達になりたい?
百田くんみたいに夢を叶えたい?
それとも、妹探しをしている天海くんみたいに目的を達成したい?
ぼくがなにをしたいのか。驚くほどぽっかりと穴が空いていて、考えつかない。
それもやはりこの世界が偽りだらけの、ダンガンロンパだと知っているから。
未来なんてあるのかと、不安に思ってしまうことが原因だ。
もし、それを知らないふりをするとしたら……
「もっと、みんなのことを知りたいし、仲良くなりたい…… この学園の外でも、友達でいられたらいいなって思う…… かな。叶うかどうかなんて、分からないし、難しいことだとは思うけど」
誰一人欠けることなく、とは言えない。
けど、もし願いが叶うなら。やりなおせるなら、この学園に踏み込んだ17人全員と友達でありたい。クラスメイトとして、仲良くしたい。
既に叶わない願いだと知っていながら、そう思った。
ありえないだろう。けど願う。
もし、もし、やりなおせるとしたら……
そのときぼくは、手段を選ばずに、手を伸ばすのだろうか。
そのときになってみないと、きっと分からない。
そんなぼくの心を読んだかのように百田くんは真っ直ぐとぼくを見て言う。
「不可能だなんて思ってないだろうな? いいか? やり遂げちまえば不可能も可能に変わる! 全力でぶつかっていけ! 壁にぶち当たったらそのときはそのときだ。香月には天海も白銀もいるだろ? 当たった後のことなんてそのとき考えればいいんだよ!」
「…… そうだね」
「臆病さは慎重さっていう美徳にもなるんだぜ。胸張っとけ」
「あんたって本当にお節介だよね」
「なんだとー?」
自分の課題は前途多難だけど、百田くんたちのおかげで少しだけ前向きになれたような気がした。
…… 気がしただけかもしれないけど。
〝 ツウシンボ 〟に百田解斗の情報を追記致しました
【百田解斗】
*2 無茶苦茶な理論と感情論で鼓舞しているように見えて、しっかりと本質を捉えてくる。そんな人なんだなあって気がした。彼のコミュ力は才能由来だと思っていたけど、それは個性であって才能と一括りにするべきものではないらしい。ぼくも人のことを才能だけで見ていた節があるのかもしれない、と改めて認識できた。最原くんたちが元気づけられている理由を実感したので、見習っていきたいな。