月桂樹の花を捧ぐ   作:時雨オオカミ

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月夜の音楽会【前奏】

 いつもの目覚ましで目を覚ます。仮眠とはいえ、起きてすぐには目が覚めないから、顔を洗って冷たいハーブティーを淹れた。

 

「ふぁ……」

 

 電子生徒手帳を起動して地図を見ると、既にピアニストの研究教室に人が集まり始めているようだった。

 

「みんな、早いなあ」

 

 ぼくも早く行って手伝わないと。

 そう思って着替えを済ませ、ついでにもう一杯目を覚ます目的でハーブティーを飲む。さっぱりとしたハーブティーで鼻までスッと通り、気分が高揚した。

 

「本格的な演奏なんて初めてだなあ」

 

 ちょっとわくわくしながら扉に手をかけ、開く。

 

「わっ、天海くん?」

「おっと、すごいタイミングっすね……寝てたんすか?」

 

 部屋の外には、ちょうどノックをしようとしていた天海くんがいた。この感じだと、どうやら迎えに来てくれたみたいだね。ありがたいんだけど、ちょっと気恥ずかしい。

 それに仮眠を取っていたことまでバレちゃっている。なんでだろう。

 

「う、うん。ちゃんと赤松さんの演奏を聴きたいからさ」

「そうっすか。楽しみにしてたんすね……でもほら、ここに」

 

 天海くんの手が頭に伸びてきて、思わず目をギュッと瞑ってしまった。

 苦手だって言ってるのに……と思ったけど、耳の横でふわりと大きな手が動くのが、なんだか心地良くて嫌じゃないなと感じた。

 

「寝ぐせついてるっす」

「えっ、えっ!? そ、そこだけかな? うう……ちゃんと整えたと思ったのに」

 

 見落としているなんて。ぼくは女子力のカケラもないのかな……元々なかったけど、ますます自信がなくなっていってしまう。

 

「あはは、大丈夫っすよ。ほんの少しだけっす。もしかしたら、香月さんに構いたいからそう言っただけって可能性もあるかもしれないっすよ?」

「え、え?」

 

 悪戯気に微笑んだ天海くんが離れていく。

 か、からかわれたの? それとも本気……? いやいや、こんな優柔不断で、みんなが死ぬ原因になってしまっていたぼくを、そんな風に気にかけてくれるだなんて、ありえない。

 そう、ありえちゃいけない。希望なんて持ったって、最後には絶望するだけなんだから。

 ぼくだって、ダンガンロンパのファンだ。歴代のみんなに、主人公に、希望を持つことがどれだけ素晴らしいことなのか、ステキなことなのかってことを教えられた。夢中になれた。ゲームをプレイしているときは現実のなにもかもを忘れて、みんなの生死に一喜一憂しながら、感情を入れ込んで希望を持つことができた。

 でも、リアルのぼくにそんなことはできない。

 ぼくは主人公みたいにはなれない。ヒロインみたいになんてなれない。

 ここには等身大のぼくしかいない。いくら決意しても、いくら前向きになってもできることは限られている。

 物語の主人公なら、いくらでも成長余地がえる。けど、リアルの人間にはキャパシティというものがあるってぼくは知っている。

 ある程度の鈍感さが生き残るために必要だってことも。

 

 だから天海くんの意味深な言葉に、ぼくは気づかない。気づいてはいけない。

 深読みだとしても、ただの自意識過剰だとしても、ぼくはなにも知らずに振る舞うしかないんだ。

 

「い、行こっか」

 

 曖昧に笑って顔を背ける。

 

「そうっすね」

 

 天海くんは、なにを言うこともなくぼくに合わせてくれた。

 こんなときにどうしようもなく、白銀さんに縋り付きたくなる。でもそんなワガママするわけにもいかないし……誰かに甘えてばかりじゃぼくは弱いままだな。

 

 そうして、ぼくらは沈黙を保ったままに『超高校級のピアニストの研究教室』へと辿り着いたのだった。

 

「あ、待ってたよ二人とも!」

「白銀さん、やっぱり先に来てたんだね」

 

 マップを見たとき、自室にはいないようだったからもしかしてと思ってたけど……やっぱり先に出てたんだ。いつもなら三人一緒に行くのに、なんでだろう。

 

「うん、あのね。ゴン太くんが一緒に行こうって誘ってくれたんだよ。ちょっとお話してたら、女性をエスコートするのも紳士の役目だけど、自分はまだまだ未熟だから練習に付き合ってほしいって」

「へえ、ゴン太くんが」

 

 ぼくのことも手伝ってくれたし、やっぱり紳士になりたいってお話は本当なんだなあ。

 彼の性格を知っていれば優しくて純粋な人だって分かるけど、第一印象は威圧感がある強面だから……仕草とか、行動とかで示すにしても練習あるのみだよね。

 恥を忍んで女性を相手に練習……ってことなのかな。

 

「なにより真っ先に頼んで来たのがわたしってことがもう……本当に嬉しくって。語彙力なんか消し飛んじゃうよね」

「言葉が出なくなるほどっすか。それはすごいっすね」

 

 さらっと白銀さんの言いたいことを察する天海くん。語彙力が消えるって言葉はぼくたちみたいなオタク特有のものだと思っていたから、普通に通じるのが驚きだよ。

 

「ところで、肝心のゴン太くんはどうしたの?」

「あ、それなら……ほら、あそこ」

 

 白銀さんが指さした先には、百田くんや春川さんと一緒に椅子を並べているゴン太くんの姿。どうやら会場作りのお手伝いをしているらしい。

 茶柱さんも手伝おうと迷っているけど、百田くんが仕切っているためになかなか足を向けられないみたいだ。

 アンジーさんは教室の後ろのほうにある黒板に『超高校級のピアニスト。赤松楓の演奏会』という内容を少ないチョークを駆使して書き込んでいる。

 春川さんが和やかに会場準備していることで分かるが、王馬くんはまだ来ていないようだった。

 入間さんは早々に椅子を確保して、こんなときにまでメカをいじっている。

 けど、肝心の赤松さんの姿はどこにもなかった。

 

「ねえ、白銀さん。赤松さんは?」

「見かけないっすね。キーボ君はあそこにいるっすけど」

 

 本日の主役がどこにもいないっていうのは問題だ。どうしたんだろう。

 

「ああ、それならね。もうすぐだと思うよ」

「もうすぐ?」

「うん、わたしも気合入れて頑張ったから驚いてもらえると嬉しいな」

「え……?」

「おお、香月さん。ちょうど赤松さんが来たっすよ」

 

 戸惑いつつも天海くんに言われるがまま、研究教室の入り口を振り返ると、カツンというヒールの音と共に赤松さんが現れた。

 明るい紅みの強い紫色……渋めの紅紫というのだろうか? あの色はなんて言えばいいんだっけ。京藤色? 若紫色? とにかく、ピンク色に近い薄い紫の豪奢なドレスを着た赤松さんが、仮面舞踏会のような蝶々の仮面を被って研究教室に入って来た。

 

「あれは……?」

「えっとね、あのドレスは……って漫画の」

 

 あ、これは説明が長くなるやつだね。分かります。

 静かに、そして熱く語り出す白銀さんの説明を聴きながら赤松さんのドレスを見つめる。

 見れば見るほどフリルが見事で、デザインが可愛い。大人っぽくもあって、元気で可愛いという印象の強い赤松さんが、今日に限ってはいつもよりずっと綺麗だ。可愛いよりも美しいという要素のほうが勝っていると言えばいいのか。

 白銀さんが作ったわけだし、これも本来ならコスプレ衣装なんだろうが……お見事だ。赤松さんに似合いすぎている。

 

「でね、赤松さんなら素材がいいから、カラコンとかしなくても再現できると思ったんだよ。才能の証明も兼ねて、晴れ舞台も応援できるからね。演技とかは……うん、そのうちやってみせてくれたら完璧だけど。今日はとりあえず赤松さんがそのままでも似合うコスプレ衣装を作って、着てみせてくれただけでいいかな。満足はしてないけど」

 

 へえ、白銀さんのことだから演技まで完璧にこなせないとダメなんだと思ってた。キャラ愛のある人にコスプレしてもらえないなら自分がコスプレする、なんて目的で活動しているのに。意外だった。

 

「コスプレ道も一歩から、だよ。まずは可愛い衣装で慣れてもらって、それから元の漫画を見てもらったりしてね? 徐々に徐々に引き込んでいくのがいいんだよ」

「勧誘する気満々なんすね」

「う、うん。ほら、赤松さん……少女漫画ならはまってくれそうだし」

 

 それはなんか分かる気がする。

 白銀さんの恐ろしさを実感しつつ、ピアノの前に座る赤松さんを見る。

 あの衣装の漫画は知らないけど、そう言われちゃうと元のやつが気になるなあ。この学園から出られたらやりたいことが増えてしまった。

 ぼくまで白銀さんの術中にはまってしまっているが、元からぼくはオタク気質もある。気になるものは仕方ないよね。

 

 けど、あんなに綺麗な姿を最原くんに見てもらえないのは残念だろうなあ。

 演奏を直接放送で届けることができるとはいえ、心を込める相手が遠くにいるというのはなんだか寂しい。

 心なしか赤松さん自身もいつもの元気さが足りない気がする。

 

「あ、キーボくん。放送のスイッチを入れてくれるかな?」

「ええ、分かっています! 最原クンの部屋への放送ですね」

 

 赤松さんの言葉にカチリと、キーボくんの手によってスイッチが入る。

 椅子も並べられた。アンジーさんの黒板アートも完成した。白銀さん製作のドレスを着た赤松さんは準備万端だ。ピアノの調律も、もちろん事前に済ませてあるだろう。

 

「お、間に合った! ごめんごめん、遅れちゃった」

 

 滑り込むように王馬くんも研究教室に入ってくる。

 春川さんや百田くんから一番遠い席を確保して彼も座る。

 まさかこの演奏会にちゃんと参加してくるとは思ってなかったから、意外だったな。

 これで最原くんを除く全員が一箇所に集まった。

 研究教室の後ろのほうにこっそりと出てきたモノクマーズたちも集まっている。なんでお前たちまでいるんだ、なんて文句が喉から出かけるが今日のメインは赤松さんの演奏だから我慢する。

 

「今日は来てくれてありがとう。演奏するのは三曲。分かりやすいベートーヴェンのピアノソナタ第14番。『月光』と、フレデリック・ショパンのワルツ第6番『子犬のワルツ』と、最後にドビュッシーのベルガマスク組曲の第3曲『月の光』だよ。よかったら最後まで聞いていってね」

 

 月光も月の光も名前は聞いたことがある。子犬のワルツとやらも有名なら多分聞けば分かるかな? 

 

「……」

 

 しん、とした室内に赤松さんの軽い呼吸音が響く。

 そうして、彼女の真剣な眼差しが中央の舞台上にあるピアノに吸い込まれるように消えていく。

 柔らかくピアノの鍵盤の上に添えられたその手がついに動き出して、月夜の音楽会がようやく始まった。

 

 

 

 

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