不死人が異世界から来るそうですよ? 作:ふしひとさん
王の探求者フラムトの遺言に従い、飛鳥たちは混沌の廃都イザリスに来ていた。
混沌の廃都イザリス。千年以上前に混沌の魔女イザリスが興した都市だ。かつては火の魔術の国として栄えていたが、今となってはあちこちにマグマが流れ、強力なデーモンたちの巣窟になっている。マグマの明かりで周囲が見渡せるが、それでもどこか陰鬱な空間であるには変わりない。
ここにイザリスの魔女がいるらしいが、到底信じられない。それでも、今はフラムトの遺言を信じて進むしかない。
飛鳥たちの命を狙いに、デーモンたちが群がる。黒ウサギと耀が応戦し、飛鳥は未だに眠っている十六夜を守っている。
黒ウサギの雷で焼き焦がされようと、耀の一撃で内臓を潰されそうとも、デーモンたちは止まらない。死を恐れていない── というよりも、相手を殺すことしか考えていない。死を意識していないのだ。恐怖を抱かずにはいられない。
「■■■■■■■■■!!!!」
耳を覆いたくなる咆哮をあげる山羊頭のデーモン。動物の声が聞ける耀には、それが何を意味するのか分かってしまった。
『熱い熱い熱いコワセ痛いコロセコロセコロセ助けてフミニジレ誰かコロセ殺してコロセ殺してコロセコロセスベテニフクシュウヲ!!!』
「ッ!!!!」
炎に灼かれる苦痛を叫ぶ山羊。そして、生きとし生けるものに対する憎悪を叫ぶデーモンの意志。
あまりにも悲惨な叫び。まるでこの世界の歪さを象徴するようだ。
耀はずっとそれを聞きながら、デーモンたちと戦っていた。彼女の精神は確実に蝕まれていた。
振り下ろされる包丁を躱し、山羊頭のデーモンの頭部に蹴りを入れる。それが致命傷となったのか、山羊頭のデーモンは地に臥した。
『オノ、レ…… オノレオノレオあノレオノレオノレりオノレオノがレオノレオノレエエとエエェェェェ!!!!』
「 ぅ ぁ 」
殺すしかなかった罪悪感、そして身を焦がされるような強烈な憎悪が一気に襲いかかる。
疲労とストレスで限界が近かった。断末魔の中に混じる感謝の言葉がとどめとなり、耀の精神を繋ぎとめていた糸が切れた。
耀は意識を失い、そのまま膝から崩れ落ちる。
「耀さん!?」
黒ウサギは耀のフォローに向かおうとするが、デーモンたちが行く手を遮る。デーモンたちに邪魔をするつもりはなく、ただ近くにいる標的を殺そうとしているだけだが。
別個体の山羊頭のデーモンが、包丁の鋒を地面に引きずりながら意識を失っている耀に近づく。
「止まりなさいっ!!」
耀が倒れた時点で、物陰に隠れていた飛鳥は駆け出していた。
飛鳥と山羊頭のデーモンの間に割って入り、威光を発動する。白夜叉の召喚術ではディーンをこの世界に連れてくることができなかった。飛鳥に残ってる武器は威光だけだ。
しかし、山羊頭のデーモンは止まらない。その手に持つ包丁をゆっくりと振り上げる。
飛鳥は耀に覆い被さり、来るであろう痛みに恐怖し目を瞑る。
「大火球」
巨大な火球が山羊頭のデーモンを呑み込んだ。瞬く間に山羊頭のデーモンは消し炭となる。
「馬鹿弟子以来か、マトモな人と出会うのは」
そこには黒いローブで身を包んだ女性がいた。その手には赤い炎が灯っている。
「薙ぎ払う炎」
蛇のように宙を駆ける炎は飛鳥たちを的確に躱し、デーモンたちを呑み込んでいく。
名亡きのような荒々しい炎ではなく、見惚れてしまうような美しい炎だ。それでも凄まじい熱気だ。名亡きに匹敵するか、もしかしたらそれ以上だろう。これほどの炎の使い手は箱庭でも滅多にいないだろう。
残ったのは、飛鳥たちと黒いローブの女性だけだった。
「貴女はもしかして…… イザリスの魔女様ですか?」
「……まさか、またその名で呼ばれる日が来るとはな」
黒いローブの女性は顔を隠しているフードを外した。同性の飛鳥たちも思わず息を飲んでしまうような、人間離れした美しい顔立ちだ。
「いかにも、私がイザリスの魔女クラーナだ。ここでは落ち着いて話もできないだろう。付いて来い」
クラーナの後を追い、飛鳥たちは遺跡のような場所を歩く。
黒ウサギが十六夜を背負い、飛鳥が耀を背負っている。黒ウサギはともかく、飛鳥の身体能力は常人の域を出ない。額には汗が浮かんでいる。その足取りはお世辞にも軽いと言えない。
そんな事情を知ってか知らずか、クラーナは比較的平坦な歩きやすいルートを進む。
「ここは…… 洞窟?」
一本道が続く洞窟に行き着いた。マグマの明かりが届かず、視界はかなり悪い。しかも、壁面には卵のようなものがへばり付いている。
「こっちだ」
クラーナは躊躇なく洞窟へと進む。飛鳥たちも少し迷ったが、クラーナを追う以外に選択肢はない。
奥へ進むごとに、卵の数が多くなっていく。
やがて、広間のような場所に着いた。明らかに人間の手が加わっている。クラーナがある壁を軽く叩くと、その壁は幻影のように消えた。
どうにか人が通れるくらいの細い小道だ。しかも、今度は壁一面にみっちりと卵が張り付いてる。
クラーナたちは小道を進む。
「クラーナ姉さん?」
「ああ、ただいま」
クラーナが優しい笑みを浮かべる。
小道を進んだ先にあるのはひらけた場所だった。中心では篝火が燃えている。
そこにはたった1人の少女がいた。色素が抜け切った白い皮膚に髪。そして、下半身が蜘蛛のような異形と化している。
「っ!?」
「……っ」
「驚かせてしまったな。この子は私の妹だ」
黒ウサギはどうにか悲鳴を飲み込んだ。名亡きの素顔を見たことがある飛鳥は、この少女も世界に運命を歪められた被害者なのだと思い当たり、悲痛な表情を浮かべた。
黒ウサギと飛鳥は十六夜と耀を篝火の側に寝かせ、改めてクラーナと対面する。
「先ほどは危ないところをありがとうございました」
「ええ、本当に助かったわ。どうもありがとう」
「大したことはしていない。人間性を集めるついでだ。ところで君たちの名は?」
「久遠飛鳥よ」
「黒ウサギです。あちらで寝ている男性が逆廻十六夜様で、女性の方が春日部耀さんです」
「そうか、変わった名だな。それよりも、その少年はずっと意識がないのか? 少し診せてみろ」
「は、はい」
クラーナは横たわっている十六夜の隣に座る。肩の刺し傷を少し見ると、何かを理解したように頷いた。
「……なるほどな」
「な、何かわかったんですか!?」
「体内に残っている人間性の残滓を消し去ろうとして、強大な力が暴走しているのが原因だろう。これならすぐ治せる」
「……厚かましいのを承知でお願いします。どうか、どうか十六夜様を救ってくれませんか! 大したお礼はできませんが、黒ウサギができることなら何でもします!」
頭を下げる黒ウサギの傍ら、クラーナは炎の灯った指を十六夜の刺し傷に抉り入れた。ギョッとする黒ウサギと飛鳥。十六夜は苦痛の表情を浮かべるも、クラーナが指を引き抜くと顔色が幾分か良くなった。
「傷口に残っていた人間性を焼き尽くした。意識が戻るのも時間の問題だろう。とまあ、片手間で済ませたくらいだ。大層な礼など必要ない」
「あ、ありがとうございますクラーナ様!」
「本当にありがとう、クラーナさん!」
黒ウサギと飛鳥は何度も何度もお礼を言い、クラーナに割と厳し目の口調で拒否されるまで続いた。
やっと落ち着き、3人は篝火の側で座る。
「妹様は、何故そのようなお姿に……?」
黒ウサギはずっと気になっていたことを投げかけた。
確かに、箱庭でも人が異形に化ける例はある。だが、どれだけ悪意があったとしてもこうはならないだろう。
黒ウサギの質問に対して、クラーナは哀しそうに目を細めた。
「昔、この近くにある村では病が蔓延っていた──」
クラーナたちは混沌の炎に呑まれた母と姉妹たちを故郷に残し、行く当てもなく彷徨い続けた。
その道中に立ち寄ったのが、病み村だ。
クラーナの妹は混沌の火による病に侵された不死人のために涙を流し、彼らを救えるならばと病の根源である膿を飲み込んだ。その結果が今の姿だ。
「本当に優しい子だよ…… 私とは大違いだ」
「治す方法は、ないの……?」
「ない。できるのは、この子の痛みを和らげるくらいだ」
「そんな……」
暗くなった場の雰囲気を察したのか、クラーナの妹は暗い表情で俯いた。
「姉さん、ごめん、なさい。私のせいで、悲しませて……」
「悲しんでなんかいないよ。客人にな、お前がとても良くできた妹だと自慢していたんだ」
「そっか。ありがとう、姉さん……」
黒ウサギと飛鳥は何も言えなかった。慰めの言葉や、励ましの言葉なんてかけられるわけがない。あまりにも救いがなさすぎる。
「それで、私に何の用だ?」
「フラムトさんに言われて、貴女を探していました。闇に呑まれるこの世界を救いたいんです」
「この世界を、救う?」
クラーナはキョトンとした顔で黒ウサギの言葉を繰り返した。
やがて、愉快そうに口元を歪める。救う。救うというのか、この世界を。
「……フハッ、酔狂なことを言う。深淵を鎮めてもこの世界は救えない。絶望と苦痛を遠い未来で繰り返すだけだ。それに、世界を救ったとしても、きっとこの子は救われないだろう。いっそもう全てを終わらせた方が良いんじゃないかと、私は思うんだが」
その言葉にはどれだけの含蓄があるのか。黒ウサギと飛鳥には想像もつかないような不幸を味わってきたのだろう。軽々しく否定の言葉なんて吐けるわけがない。
「お前たちは、この世界の者ではないのだろう? この世界で生きてきたには、あまりにも純真すぎる」
「……はい、別の世界から来ました。驚かないのですか?」
「特段には、な。この世界で生きていれば、そうもなろう」
興味がないのか、クラーナはそれ以上異世界について質問をすることはなかった。
外の世界から来たお前たちに何がわかると、クラーナは暗にそう言ってるのだろう。そして、その言葉はどこまでも正しい。
それでも、飛鳥は諦めたくなかった。生半可な決意でこの世界に来ていない。
「私たちみたいな部外者にとやかく言う筋合いがないのは、わかってる…… それでも、苦しんでいる名亡きさんを止めたいの!」
「名亡き?」
名亡きという言葉にクラーナは反応した。その名だけは絶対に聞き逃せない。
「……そうか、まさか馬鹿弟子の知人とはな」
「名亡き様を知ってるのですか!?」
「ああ、呪術…… 炎の魔術を手ほどきしてやった。それに、馬鹿弟子は── 名亡きは私の大切な家族を救ってくれた恩人でもある。あいつは苦しんでいたのか?」
「……少なくとも、私にはそう見えたわ。名亡きさんはいつも誰かのために戦っていたんだもの。そんな人が世界を滅ぼそうとするなんて、無理をしてるに決まってるわ」
飛鳥の言葉に、クラーナはふと思い出す。
家族を救いたいというクラーナの悲願を、名亡きは何も言わずに受け継いでくれた。勇気も力もない、家族を見捨て続けた臆病者の自分なんかのために。
何度も傷つき、死んだだろう。何度も心を殺してきただろう。その末に、名亡きは混沌の苗床── 母たちに引導を渡した。
涙を流し、何度も感謝を述べた。母たちを救ってくれてありがとうと言い続けた。その時だ。名亡きは「良かった」と呟いた。いつもの感情のない平坦な声ではなく、とても優しく、嬉しそうに言った。
名亡きは本当に人を終わらせることを望んでいるのか── その答えは、とっくの昔にわかっていたことだ。
「……そうか、そうだな。あいつと共に静かに終わることが私にできることであり、救いだと思っていた。だが、また大切な人と向き合うことから逃げていたようだ。気づかせてくれてありがとう、飛鳥」
クラーナは覚悟を決めた。世界を救う覚悟ではない。今だって、こんな苦痛と絶望だらけの世界など滅びてしまえと思っている。決めたのは、名亡きを救う覚悟だ。
「あの変わり者の世界蛇がどうして私の元へ来させたか聞いているか?」
「い、いえ、そこまでは……」
「いや、分かっているんだ。私にはじまりの火を作れということだろう。私も根っからの愚か者でな。何故失敗したのか、頭の片隅でずっと考えていた」
はじまりの火は完全に消えた。残された手段は、ゼロからはじまりの火を作ることだ。グウィンの親友である世界蛇もその可能性に賭けたに違いない。
「私の母と妹たちは、はじまりの火ではなく混沌の炎を生み出してしまった。その結果、この世界にデーモンが溢れ、母と妹たちは異形と化してしまった。名亡きはそんな母たちを眠らせてくれたんだ。私も名亡きのために、何かしないとな。今こそ恩を返すときだ」
混沌の炎に呑まれかけた恐怖は忘れていない。それでも、今だけはその恐怖に打ち勝たなくてはいけない。大切な人のために、対決するのだ。
不死人が異世界から来るそうですよ?
──Nameless, Lord of Dark──
次で最終話です。問題児たちよ、そして読者たちよ。絶望を焚べよ。