それでも、幸せだった。
プロローグ
うだるような暑さがかげろうを作り出す、ある暑い夏の日のことだった。
遠くから、ツクツクホーシと蝉の声が聞こえてくる。
「夏も終わりか」
縁側に座り、スイカをかじっていた一人の男性が呟く。その彼の上で、風鈴がちりんと音を鳴らした。
「今年もまた…自分の星に帰れないな」
1
「名栗さーん、いるー?」
玄関から、子供の声がする。
「ああ、今行くよ」
彼はスイカの皮を皿に置いて立ち上がると、声がした方へ歩きだした。玄関につくと、そこには鍋を持った子供が立っている。こちらの姿を見ると、こんにちはと頭を下げる。
「やぁ、ケンくん。夏休みの宿題は進んだかね」
「もう、名栗さんまでそういうこと言うんだから! おすそわけ、あげないよ!」
「はっはっは、悪かった。そう怒らないでくれ」
少しむくれながらも、彼は鍋をこちらに渡してきてくれた。
「今日はね、いもの煮っころがし!」
「ありがとう、いつもすまないな」
鍋を受け取りながら、笑顔で感謝を述べる。そして外に現れているかげろうを見ると、家の中へ入ってきながらケンに話しかける。
「まぁ、上がっていきなさい。今日も暑いから、スイカでもどうだね」
「うん! 食べる!」
ケンはサンダルを脱ぎ散らかして、走るように名栗に付いていった。
「名栗さん、まだ思い出せないの?」
ケンがスイカにかぶりつきながら、そう言った。名栗は鍋を冷蔵庫へしまおうとして、少し手を滑らせて大きな音を立てる。その音に、ケンが振り向いた。
「…いや、ははは。努力はしているつもりなんだがね」
冷蔵庫を閉め、頭をかきながらケンの隣へ歩いてきた。
「それでも、ここまで生きてこれたんだ。忘れていていい記憶なのかもしれない」
「えぇー? ぼくだったら、いやだなぁ」
スイカの種を飛ばしながら、ケンは顔をしかめた。
「だって、今までのこと全部なかったことになっちゃうんでしょ」
「うん…そういうことになるか」
あごをさすりながら、名栗は縁側の柱に寄りかかる。
「ぼく、やだよ。もし忘れちゃったら、がんばって思い出すもん」
「しかし…その思いさえも、忘れてしまうんだぞ」
「だから、がんばって思い出すの!」
息巻く相手に、くすっと笑った。子供はとても純粋だ。何というか、力がみなぎっている。彼をずっと見ていても、飽きが来ない。自分にも、こういう時期があったはずなのに。
…何も、思い出せない。
「でも、名栗さんいなくなったら…この家どうなっちゃうのかな」
スイカの皮をじっと見つめて、ケンが寂しそうな声で言う。
「元々さ、死んだばーちゃんが住んでたとこだし。住んでる人がいなくなったら、きっとまた取り壊すことになるんだろうな…」
「…いなくならないさ」
名栗は、よいしょと彼の隣に座った。
「記憶を取り戻したとしても、私はここに残るよ」
「本当!?」
喜ぶケンを見て、笑顔で頷く。
「まだケンくんにも君のお母さんにも、恩返しをしていないからね。それもせずに、のこのこと帰れるはずがない」
「分かった、約束だよ!」
彼が、小指を付きだしてくる。名栗は意味がわからず、戸惑った。
「…なんだい、これは」
「ゆびきりげんまんだよ、知らないの?」
仕方ないな、とケンが名栗の手を持って小指だけ立たせると、自分の小指と絡ませて上下に振る。
「ゆーびきーりげーんまん、うーそついたらはりせんぼん、飲ーます。ゆーび切った!」
パッと相手の小指から手を離すが、名栗は固まったまま自分の小指を見ている。
「…これが、ゆびきり…きり…なんだっけ」
「ゆびきりげんまん。約束するときにやるんだよ!」
「ほう…」
自分の指をしげしげと見つめて、ハッとしたように相手に詰め寄る。
「はりせんぼんとは…針が千本ということか!?」
「う、うん。そうだよ」
「まさか本当に、針を千本も飲ませるんじゃないだろうな!」
名栗の怯えた表情に、ケンが声をあげて笑いだした。
「約束を破らなきゃいいんだって」
「だ、だからといって…そんな恐ろしいことがあってたまるか…」
小指を隠すように手を握ると、うう、と震える。
「…ちなみに、キャンセルとかは…無いのか」
「無いよ」
「そうか…」
彼はふらつくように立ち上がると、壁をつたいながら歩きだした。
「…少し、トイレに行ってくる」
流石に名栗が可哀想になったのか、ケンは自分の小指をじっと見つめる。
「…悪いこと、したかなぁ」
その時、空に小さい光が輝いた。だが一瞬のことだったためケンは気付かず、再びスイカを食べ始めるのだった。
ケンが帰った後、名栗はおすそわけしてもらった、いもの煮っころがしをおかずに夕食を食べていた。外からは虫の声が聞こえ、もう暗くなってきている。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて礼をすると、流しへ食器を運んで洗い始める。
(鍋を返す時、何かお礼をしなくては)
ボーッと考えながら、ふと窓から外を見たときだった。
白い光が、山の方へ飛んでいく。
「!?」
名栗は驚きながらも、家から飛び出した。山を見るが、何かが変わった様子はない。近くの家からも、目撃したであろう人がまばらに出てくる。
「名栗さん、あんたも見たのかい」
一番近所のおじいさんが、杖をつきながら歩いてくる。
「もしかしてあれかね。UFOとか言うやつ…」
「…ちょっと、見てきます」
それだけ言うと、彼は山に向かってかけ出した。
2
落下したであろう場所にたどり着くと、そこには銀色の宇宙船のような物体が着陸していた。しかも、その船の近くには人間ではない誰かが立っている。
(まさか、そんな…)
木の影から観察していると、頭に何かを突きつけられた。
「動くな」
「!」
「貴様、地球人だな…」
後ろにたっている人物はそこまで言うと、何かに気がついたように首をかしげた。
「…『名栗』か?」
名前を呼ばれ、少し後ろの方へ顔を向ける。
「ど、どうして私の名を…」
「どうしてもこうしてもない。貴様、仕事を放棄して今まで何をしていた」
「仕事…?」
宇宙人からの仕事など、請け負っていない。もし請け負っていたとしても、それが過去のことだとしたら記憶に残っているはずがない。
「…悪いが、私は記憶喪失になっている。何か私のことについて知っているのなら、教えてほしいのだが」
「何だと…」
突きつけられていた感触がなくなり、肩を後ろへ引っ張られて無理矢理相手の方に向かされる。そこには、宇宙船の近くに立っている誰かと同じ姿の宇宙人がいた。
名栗はそこで初めてしっかりと相手のことを見て、なんとなく見たことがあるような気がした。
「本当に忘れているのか」
「ああ…すまない」
「…分かった、少し話そう。船に来てくれ」
宇宙人はそう言うと、船へと近付いていく。名栗はその後を追おうとするが、誰かに体を掴まれた。
「名栗さん!」
見ると、ケンが泣きべそをかきながら小さな体でしがみついている。
「何で宇宙人と一緒に、UFOに行こうとしてるの!! 洗脳されちゃったの!?」
「ケ、ケンくん。離しなさい、そんなことされていないから落ちついて」
「やだよー!! 行っちゃやだよー!!」
「大丈夫、大丈夫だから」
うわーっと泣き出す彼を優しくなだめるが、言うことを聞いてくれない。困ったように宇宙人の方を向くと、こちらに銃を向けてきていた。
「な、何を!」
「見られてしまっては仕方がないだろう」
名栗はケンをかばうように抱き締め、大声で叫ぶ。
「まだ子供なんだぞ!」
しかし、相手は銃を下ろさない。
「関係ない」
そう言ってトリガーに指をかけたとき、下の方から声が聞こえてきた。
「おーい、ケン坊ー!」
「名栗さーん、いるかー!!」
足音が、どんどん近付いてくる。宇宙人たちは急いで船に乗り込むと、周りの風景にカモフラージュさせたのか船が消えてしまった。
「大丈夫ですか!」
最初に駆け寄ってきたのは、村の駐在さんだった。
「え、ええ。大丈夫です」
「話によると、何か空に光るものが山におちたとか」
「はい」
まだぐずっているケンをおぶさると、その場に背中を向けた。
「…しかし、この通り何もありません。さっきのはきっと、ただの流れ星でしょう」
「なんでさ、名栗さん!」
次の日、朝食を食べている名栗の元に、家から走ってきて顔を真っ赤にさせているケンがやってきた。
いきなり縁側の方から入ってきて叫ばれたため、名栗はすすっていた味噌汁を吹き出しそうになって咳込む。
「や…やあ、ケンくん。おはよう」
「おはようじゃないやい! なんで昨日、嘘ついたのさ!」
サンダルを脱ぎ捨て、彼が怒ったように家へ上がってきた。
「嘘…とは? ゆびきりの約束は、まだ破っていないじゃないか」
彼は台所へ行き、ご飯と味噌汁を食器に盛り始める。
「あそこには、UFOがあったでしょ! なんで流れ星だ、なんて言ったのさ!」
「ああ、あれか…」
食器とはしをお盆に乗せて持ってくると、ケンの前に置いた。
「変に混乱させるのも、どうかと思ってね。UFOなんてとても信じられないことを説明するのは、手間がかかるし…」
「でも!」
「さ、とりあえず食べないか。今日の味噌汁は、今朝とれたばかりのなすを使ってみたんだ。とても自信作でね」
名栗はにこりと笑いかけるが、相手は震えながら机を蹴飛ばした。
「名栗さんの嘘つき!! 嘘はどろぼうの始まりなんだぞ、ばかーっ!!」
そして、泣きながら飛び出していく。名栗は追いかけることができず、はしをゆっくり机に置いてうなだれた。
「…すまない、ケンくん。私は…自分が何者なのか、知りたいのだよ」
山の方を見て、小さく呟いた。
―――――もう一度、彼らと話さなくては。
「まさか、記憶喪失とはな。通りでこの星に、何も起きていないわけだ」
やれやれ、と首を振る。
「どうするんです、司令官。任務をこのまま遂行しますか? それとも…」
「自分の使命をすっかり忘れてしまったようだからな。まず、奴の目を覚まさせてやらなくてはなるまい」
ため息をつきながら椅子に座る司令官。部下も近くの椅子に座り、手を組んで何か悩んでいるようだった。
「しかし、どうやって…」
「問題はそこだ。もう一度、コンタクトを取った際に…ん?」
船の近くで、何かがちょろちょろと走り回っている。モニターに出してみると、一人の子供が何かを必死に探しているようだった。
「昨日のガキか」
部下が彼のことを追い払おうと思い、宇宙船から出ていこうとすると司令官が止める。
「待て。…いい考えがある」
3
「ごめんください」
名栗が呼び掛けると、パタパタとスリッパをはいた誰かがこちらへ早歩きでやってきた。
「まぁ、名栗さん。いらっしゃい」
穏やかな声で迎えてくれたのは、ケンの母親だった。
「どうも、こんにちは」
いつもならケンが迎えてくれるのだが、脱ぎ捨てられたサンダルは見つからない。どうやら、出掛けているようだった。それに気が付きホッとすると、母親に鍋となすを手渡す。
「おすそわけの、お返しです。朝とりましたから、まだ新鮮ですよ」
「ああ、いつもすみません」
「いえ、こちらこそ。とても美味でしたよ」
「本当? それなら、よかったわ」
母親は嬉しそうな顔をしたが、すぐさま眉を八の字にして謝ってきた。
「昨日はすみませんでした、うちのケンがお世話になって。危ないから行かないで、と言ったんですが…どうせ、転んだんでしょう?」
「あ、ああ。いえいえ、どうってことはありません」
はっはっは、と名栗は笑ってごまかす。母親はそれでも申し訳なさそうにしていたが、そういえばと何かを思い出したような顔をする。
「それと、なぜか朝早くにあの子がご飯も食べずに飛び出していったんだけど…もしかして、お宅に?」
「ええ、朝方少しだけ来ましたが」
「あらそう…もうそろそろお昼なのに、どこ行っちゃったのかしら、あの子」
彼女の発言に、嫌な予感がした。
「…まだ、帰ってないんですか?」
「ええ。お腹が空いたら、すぐに帰ってくる食いしん坊なのに…」
どうしたのかしら、と首をかしげる母親。名栗は、朝にやって来た彼の言葉を思い返していた。
「私が探しに行きましょう。おそらく、あそこに…」
「あそこって?」
心配そうな母親の言葉に、彼は答えられずに走り出した。
数十分後、彼は昨日の場所へ戻ってきていた。息を荒くしながら、両ひざに手を当てて咳き込む。
「よく来たな、『名栗』。待っていたぞ」
目の前から、聞き覚えのある声がした。顔を上に向けると、あの宇宙人であった。息を整えながら、しっかりと立ち上がる。
「すまないが、少し聞きたいことがあるんだが。ここへ来た子供について…」
「まずは我々の話を聞いてもらおう。貴様の話はそれからだ。さぁ、今度こそ中へ入れ」
宇宙人がそう言うと、船がゆっくりと姿を現して入り口を開いていく。何を言っても無駄だと思い、彼は宇宙人の言う通りに船の中へと入っていった。
「まぁ、まずは座ってくれ」
宇宙人は椅子に座ると、名栗にも座るように手を向ける。おそるおそる座り込み、船の中をじっくりと見回した。
(この船内を、知っているような…)
何かを思い出しそうになるが、あと少しのところで出てこない。歯がゆい気持ちで一杯になっていると、宇宙人が話し始めた。
「我々は、ナックル星人と言う者だ。この星を侵略しにやって来た。そしてすでに、我々の同胞である一人のナックル星人が送り込まれている」
宇宙人はそう自分のことを紹介すると、名栗のことを指差した。
「それが、お前だ。お前は本侵略のための下準備を行うために送り込まれた、工作員だったのだ」
「…そうだったのか」
名栗はそこまでのショックを受けず、逆に納得したような返事をした。
「驚かないんだな。記憶喪失というのは嘘か?」
「そうではない。自分はずっと、地球人とは何か違うと思っていたのだ」
三年前の夏の日、彼は山の中で倒れているのをたまたま遊んでいたケンに見つかった。体中は傷だらけで特に頭の損傷が酷かったのか、意識を取り戻した時に彼は自分の名前である『名栗』しか思い出すことが出来なかった。
それからケンの家族に引き取られ、彼らが記憶を取り戻させようと力を尽くしてくれたが、結局思い出すことはできなかった。
何を見ても、何を食べても、何を聞いても記憶が戻ってくることがなかった。だからこそ、彼はこう考えるようになったのだ。
自分は、この星の者ではないのではないか、と。
「…そう考えると、私は納得することができたのだ。しかし、何故納得できるのか理解ができなかった。…今日、ようやくその妙な思考の意味を知ることができた」
相手の説明に、ナックル星人はそういうことかと頷く。
「なら、その反応でもおかしくないわけだな。だが、私はこの後が重要…」
「侵略することについてか」
相手が最後まで言う前に、名栗は食い気味に言葉を発した。彼は、にらむようにこちらの様子をうかがってくる。
「…分かっているなら話が早い。貴様、どうするつもりだ。どちらの味方をしようとしている? 地球人か、それとも我々か?」
問われた名栗は相手から目を伏せ、考え込むように腕を組む。
自分は、どうするべきなのだろうか。
自分の使命を、しっかりと果たすべきなのか。地球を守るべきなのか。
…この村の人々だけでも、助けるべきなのか。
考えても、なかなか答えは出てこない。
「…おい」
見かねたナックル星人が、もう一人のナックル星人に声をかける。それを合図に奥へと入っていき、誰かを連れてきた。
「離せよ、このやろーっ」
聞こえてきた声に、名栗は勢いよく立ち上がる。それによって椅子が大きな音を立てて倒れて、連れてこられた人物がこちらに気を向けた。
「ケンくん…」
「名栗さん! ご、ごめんなさい。ぼく、みんなに証明したくて…」
「いいんだ、君が無事なら」
ゆっくりとケンに近付こうとするが、後ろから肩を掴まれて止められる。
「そろそろ、人間に擬態するのも疲れたろう。自分の本来の姿に戻るといい、少しは楽になる」
「な、何の話だ」
「我々は、地球を侵略に来た宇宙人という話だ」
「だから、それがどうしたと…」
力強く後ろに向かされたと思うと、思いきり拳で顔を殴られた。床に勢いよく倒れこみ、うずくまる。
「う、ぐ…」
「名栗さん!!」
ケンが声をあげて、駆け寄る。
なんとか立ち上がろうと、顔をあげた時だった。
「うわ――――――――――――――――――――っ!!」
何故か叫び声をあげて、ケンが開いていた船の入り口から走って逃げていった。
「ケンくん! ケンくん!!」
手を伸ばして呼び戻そうとすると、ハッと自分の異変に気付いた。
…自分の手が、人間の手ではない。
急いで船の窓に走り寄り、自分の姿を確認する。
瞳に映ったのは、ずっと目の前で話していたナックル星人そのものだった。
4
…もう、あの村には帰れない。自分の使命を、しっかりと果たすしかない。
ふらふらと山の中をさ迷い、大きい木に背中を擦り付けるように座り込んだ。
彼はなんとなくであるが、記憶を取り戻し始めていた。
自分は、ナックル星人だということ。
地球へ侵略するために、わざわざやってきたということ。
…そして、乗っていた船が不時着し、このままではまずいと地球人に擬態したこと。
「あぁ…」
ケンの恐怖に満ちたあの顔が、どうしても頭から離れない。
顔を地球人に変えることもせず、彼はただおちこんでいた。もう、ここで見つかってもいいとさえ思い始めていた。
―――――――どうせなら、この星で死にたい。
そんなことを考えながら、ひぐらしが鳴く林で彼はぼーっと上を見上げていた。
「彼は、大丈夫でしょうか」
部下のナックル星人が、少し心配そうに外を見ていた。名栗は少し外へ出てくる、と言ってほぼ放心状態で船から出ていったからである。
「すぐに戻ってくるだろう。見つかったらどうなるか、よく分かっているだろうからな」
司令官は、テーブルにひじをついて手の甲にあごを乗せた。部下は、その言葉を聞いてさらに不安を募らせる。
「もし、あの子に見つかれば…今度は、彼一人ではないかもしれない。それこそ村中の人々が、彼のことを…」
「それでもいい。変に情をもたれて任務を遂行されても、邪魔なだけだからな」
「…司令官」
「私だって、同類にこのような仕打ちはしたくない。だが、仕方ない。これが我々の仕事なのだ」
立ち上がり、窓から外を見る。外は、夕日できれいなオレンジ色に染まっていた。
「…美しい、風景だな」
ケンは、布団を被って小さい声で泣いていた。
信頼していた名栗が、地球へ侵略してきた宇宙人だったなんて。ずっと、騙されていたなんて。
(だからあのときも、嘘をついたんだ)
そう考えていくと、名栗のことを信じていた自分がバカらしくなってきた。
「名栗さんなんか、名栗さんなんか…!!」
その時、部屋の外から誰かの足音が聞こえた。
「…ケンちゃん。ご飯よ」
それは、母親だった。
「いらない!」
「そんなこと言ってないで。朝も昼も、食べてないでしょう」
思い出せば、確かにそうだった。その瞬間、腹の虫がぐう、と鳴く。仕方なく、目を擦りながら布団から這い出していい香りがする食卓へ向かった。
席につくと、目の前に出されたのは一杯の味噌汁だった。
「食べたくないなら、せめてこれだけでも飲んでちょうだい」
「…いただきます」
はしを持ってそう言うと、ケンはふーふーと冷ましながら味噌汁をすすった。一緒に具を食べて、目を見開く。
「…ねぇ、これ…」
「名栗さんからなすをもらったの。味噌汁に入れると、美味しいでしょう」
母親が自慢げに言うと、ケンはまた涙を流し始めた。
「あらあら、どうしたの」
よしよし、とケンの頭を撫でて涙をぬぐってくれた。
その後ケンは味噌汁を何杯かおかわりして、噛み締めるように飲んだ。
「ごちそうさま」
はしを置き、ケンは玄関へ走っていく。急いでサンダルを履き、夕日が沈んで暗くなってきた外へと走り出した。
…名栗さんは、悪い奴じゃない。絶対に、いい人だ。
鼻をすすりながら、強くそう思った。
名栗は重い足取りで、家路についていた。
家についた彼は、できる限り時間をかけて荷物をまとめ、ときどき縁側から空を見上げた。空は、赤と青が混ざったような色をしている。夕日が沈み、もうそろそろ夜がやって来るのだ。
「はぁ…」
ため息をつくと、風鈴が彼の上でちりんと音を鳴らした。きれいな音色だ。地球の日本という国、それも夏という季節にしか聞くことができない風流味があふれるもの。名栗は、この音色が大好きだった。だが、今の彼にとっては悲しさしか感じることが出来ない。
すべての作業が終わり、名栗はとぼとぼと玄関へ向かう。そして引き戸を閉じて『今までお世話になりました』という張り紙を付けて、その紙の後ろに鍵を隠した。彼は家に向かって一礼すると、山に向かって歩き出した。
荷物は軽いが、それらは全て思い出深いものばかりだ。いくら少なくとも、持っていきたかった。何より、自分がいたという証拠を残したくなかった。村の皆には、すぐに忘れてほしかったのだ。
…覚えられていると、どちらも辛いだけだから。
山を登っていくと共に、頭の中に思い出が浮かび上がっては消えていく。
この三年間は、実に楽しかった。解放されていた気がしたからだ。実際、本当に解放されていたわけだが。
自分を地球人だと思って共に生きていくことを選んでしまったために、このように精神へのダメージが大きくなってしまったのだろう。
(私があのとき、擬態しなければ…こんな苦しいことは、なかったのかもしれない)
ひとしきり思い出すと、今度は後悔の念がどんどんとわき出てきた。考えたくはないが、どうしても考えてしまう。
長すぎたのだ。地球人と触れあうのが、とても長すぎた。情を感じてしまうほど、彼らのことを気に入ってしまったのだ。
だが、ケンは…自分を見て、逃げ出した。きっと、彼は村中にこのことを広げるだろう。
(そして、この私を…)
その先のことを考えて、体をブルブルと震わせた。
「…おかえりなさい。出航の準備は整っています」
目の前からの声で我に返ると、一人のナックル星人が宇宙船の前に立っていた。どうやら、名栗のことを殴った方ではないらしい。声も口調も異なっている。
「…このあと、私はどうなる?」
彼がナックル星人に質問すると、相手は淡々と答える。
「星に帰還させます。その後は上の判断になるでしょう」
「なら、この星はどうなる?」
「それも…上の判断かと」
「…そうか、なら安心だ」
満足そうに頷く、彼にナックル星人が首をかしげた。
「安心とは、どういうことでしょうか」
「この星の人間を知らず、容赦なく侵略を進めていけるはずだからな。それは本来、私がやるべきことだった…」
相手は寂しそうに語る名栗から目を背けると、入り口の扉を開けた。
「…どうぞ、こちらへ」
「ありがとう」
彼はお辞儀をして、光がさしている入り口へ向かった。
その時だった。
「名栗さん!!」
誰かが、名前を呼んだ。
声の主が走ってきて、名栗に後ろから抱きつく。
「名栗さん、ダメだよ! ゆびきりしたのに!!」
「ケ、ケンくん!?」
名栗は足を止め、ケンの目線に合うようにしゃがみこんだ。
「針千本、ほんとに飲ませちゃうぞ! それでも、いいのかよ!」
「もちろん、嫌だが…」
「じゃあ何で帰るんだよ!! 約束破ったらそうするって、ぼく言ったじゃんか!!」
しゃくりあげながら、涙をボロボロと流しながら彼は必死に叫んだ。
「おんがえしするって! するまでは帰れないって、言ってたよね!!」
名栗はなにも答えることができず、ただうつむくことしかできなかった。
「ねぇ!! 何でなにも答えないの!! ねぇ!!」
ケンは、ひぃひぃと泣きながら相手を叩いた。
「ぼく、言わないよ! 名栗さんが宇宙人だってこと、絶対言わないから…」
そこまで言ったとき、なにか鋭い音がして、いきなりケンが名栗に倒れこんできた。
「…ケ、ケンくん? ケンくん、しっかりしろ、ケンくん!!」
揺さぶるが、返事はない。それでも相手を揺さぶっていると、その手を止められた。見ると、銃を構えたもう一人のナックル星人が、少し怒ったように名栗の腕を引っ張りあげる。
「行くぞ」
そのまま、ずるずると宇宙船に連れていかれる。
「ケンくん! …ケン!!」
それでも名栗は、ケンに手を伸ばし続けた。届かなくても、伸ばさずにはいられなかったのだ。
しかし宇宙船の扉が閉まると彼の声は途切れて、船はゆっくりと離陸を始めた。
5
「…少々手荒だったが、さっさと済ませたかった」
司令官は銃を投げて遊びながら、うずくまっている名栗に話しかけた。だが、返事はない。精神的に痛め付けられてしまったことにより、心を閉ざしてしまったのである。
「そう落ち込むな。ああやって自分の姿をさらけ出してまで、まだ信用しようとする地球人がいてくれただけよかったじゃないか」
「もう、彼はいない」
「そうだな、ここにはいない」
「…お前のせいだ!!」
名栗は勢いよく立ち上がると、司令官を思いきりぶん殴った。そんなことをされると思っておらず、彼は壁に叩きつけられる。部下が駆け寄るが、助けはいらないと押し退けた。
「あのままでは、貴様が裏切る可能性があったからな」
「裏切る可能性があったら、相手を殺してもいいのか!!」
怒りに身を任せ、名栗が司令官に襲いかかる。殴られ、蹴られ、司令官はだんだん、ぐったりとしていく。部下は彼らから顔を背けて、ただ終わるのを待っていることしか出来なかった。
やがて防御の体制も取れなくなった相手から、名栗が銃を抜き取った。ふらふらとよろけながら壁に背中を当て、自分のこめかみに銃を突き立てた。
「もう、私は…どちらにも帰ることができない」
トリガーに指をかけ、静かに目をつむった。
―――――今、行くよ。
鋭い音が船内に響き、名栗がどさりと倒れこむ。
「…手当てを」
司令官が、か細い声で部下にそう言った。急いで彼に駆け寄ると、もう一度押し退けられる。
「違う、あいつにだ」
「し、しかし」
「手を重点的にやれ。ここまで殴れば、ボロボロになっているはずだ」
あごで指し示し、自分は壁に寄りかかって座り込む。
「…もううんざりだ、こんな仕事は…」
「この家、結局取り壊さないんだって?」
杖をついたおじいさんが家の前に立っていた女性に、嬉しそうに話しかけた。
「はい」
彼女も楽しそうに頷くと、家を見上げる。
「祖母に、言われていたんです。誰も住まないなら家は無くしてしまっていいと。でも大人になったら住むからって言うから…当分、壊せなくなっちゃったんです」
「ははは、そらいい」
「それに、彼が残していった庭の家庭菜園も自分が世話をするときかなくて」
「おお、そりゃあ名栗さんも喜ぶだろうて」
彼は女性の隣にいる、一人の人物の肩を叩いた。
「なぁ、ケン坊よ」
「…麻酔、だったんですね」
彼の顔の傷を消毒しながら、部下が呟くように言った。
「無駄な殺しはしない。ただ、奴への発火材にするのには丁度いいと思っただけのことだ」
「ここまで、体を張らなくても…」
「うるさい。ああいうバカには、一番効く方法なんだ」
「それにしたって、副作用が酷いですね」
皮肉を返しながら、部下はせっせと司令官の傷を消毒していく。
「う、う…」
倒れている名栗が夢を見ているのか、苦しそうにうめいていた。それを見て司令官がああ、と声をあげる。
「星に連絡はしたか」
「はい、先程」
「ならいい」
彼は立ち上がり、窓から外を見る。そこには、青く美しい星が輝いていた。
「地球へ行った工作員が、今向かっていると聞いたが…本当か。奴は、音信不通となって死んだとばかり思われていたらしいが」
一人のナックル星人が、資料を読みながらそう言った。隣に座っていたナックル星人は、それを聞いて、ええと相槌を返した。
「二人の同胞が、確認に向かったようです。通信によると、彼はある集落に捕らえられていたとか」
「なんだと…我がナックル星人が、情けないことだ」
「しかし、それだけ手強いということなのでしょう。迎えに行った二人も、かろうじて逃げ出したそうです。司令の方は、大怪我を負ったとか」
それを聞いてふむ、と資料を見ながら考え込む。
「非常に危険、か。少し考え直した方がいいのかもしれんな」
エピローグ
うだるような暑さがかげろうを作り出す、ある暑い夏の日。
遠くから、ミンミンという蝉の声が聞こえてくる。
「よっ、と」
つたに生えた枯れかけの葉っぱを取り除きながら、汗をぬぐう。今年も、いい野菜ができそうである。
「ごめんくださーい」
その時、誰かが玄関から声をかけてきた。
「はーい! 今、行きますよー」
軍手を外して肩にかけていたタオルで顔を汗を拭きながら、玄関へと向かう。ガラガラと引き戸を開けると、帽子にサングラス、それにマスクを付けてトレンチコートを着こんだ一人の男性がそこに立っていた。思わず、驚いたような表情を浮かべる。
「ど、どなたですか」
どもりながらも聞くと、相手はまずどうも、と一礼した。
「あの…この家の近くに、坂田という名字のお宅があったと思うんですが」
「ああ、それならぼくの家ですよ! 何か用ですか?」
「え? そ、そうなのか」
相手は焦りながら、帽子で顔を隠すように下に向けた。
「いや、その…そうか。あの…」
「はい、なんでしょう」
「…いえ、なんでも…ないんです。それじゃ…」
何故か恥ずかしそうにして、彼はきびすを返した。
「ち、ちょっと! 何か用なんじゃないんですか!」
帰ろうとする彼の背中に、焦ったように話しかけた。すると彼は立ち止まり、こちらに向かって振り返った。
「いえ、もう…用は、済みましたから」
その優しい声に、聞き覚えがあるような気がした。
再び前を向き、歩きだそうとした相手の腕を掴む。
「あの…スイカ、食べていきませんか?」
「いえ、あの…そんな…」
「ついでに、針も千本…」
「!」
相手は驚いたように、体を震わせた。そして、グラサンとマスクを外す。
「…結構、隠したつもりだったんだが」
「声もちゃんと変えないと、ダメだよ」
「そうか、声か…」
はっはっは、と笑うと、帽子もトレンチコートも脱ぎ、ふうとため息をつく。
「少し、話そうか。…君とは、きちんと話したかったんだ」
「うん、いいよ」
「あ…針は無しだぞ」
「分かってるって」
二人は笑い合うと、家へ入っていく。引き戸が閉められると、玄関についていた風鈴がちりんと音を鳴らした。