これは一人の少年が神に戦いを挑んだ物語。
魔神オティヌスと呼ばれた少女がいた。その正体は人の身から神へと至り、北欧神話に『オーディン』として名を知られる神の一柱だ。
魔神とは魔術を究めた魔術の神。神格を得た超越者。
その力は世界の創造や死者の蘇生すらも行える。
いいや、そもそもあらゆる常識を超越した魔神の力はあらゆる法則に縛られない。
不可能など存在しない何でもできる文字通りの神様だ。
彼女は何度もその力を使い、世界をより良い方向へと作り変えた。
彼女の意思一つで世界は思うように生まれ変わる。
全知全能なる神の力を使えば誰もが幸せになれる理想郷を作り上げることだって可能だった。
だが後ろを振り返らず前に進み続けてきた神様は、本来の世界がどんなものだったのかを忘れてしまった。
オティヌスは世界の破壊と創造を幾度も繰り返し『元の世界』へと戻ろうとした。
人の視点からみれば全く違いが分からないほど完璧に世界は『元の世界』に戻った。
だが一度は納得した『元の世界』に、完璧すぎる神は違和感を覚えた。
納得がいかなかった。本当にこれが『元の世界』なのか確信が持てなかった。
オティヌスはもう一度世界を作り直すことにした。
だが世界そのものを消滅させた漆黒の世界で、まだ彼女に立ち向かう存在がいた。
世界の基準点であり修復点である《幻想殺し》の右手を持つ少年。
彼の心が折れていないと判断したオティヌスは、世界の基準点たる《幻想殺し》を手に入れるため、彼の心をへし折るために新たな世界を創造した。
数えきれない程の世界で死を繰り返した少年。それでも彼の心は折れることがなかった。
彼はオティヌスに挑み続ける。何度殺されてもその経験を元に次へと繋げ前に進み続ける。
その果てにオティヌスと共に世界を渡り歩いた少年は、その心に触れた。
敵対することしかできない関係ではなく、恐怖で縛り付けるような関係でもない。
『元の世界』に戻るのは手段であって目的ではない。ただ、『理解者』が欲しかった。それを彼を殺してしまったことで始めて気づいたのだった。
オティヌスは彼の生まれ育った世界を再生させる。だがそれは世界中がオティヌスを危険視し、憎悪する世界に戻るというこうとだった。
だが彼はそれを許さない。彼は守りたかった世界の全てを敵に回してでも彼女を守るため、拳を握り戦うことを決意したのだった。
それが、本来あったはずの歴史。そのはずだった……
夕暮れの学園の片隅で、少年は膝を抱えて蹲っていた。
今まで誰の目にも留まることもなく、誰にも気付かれずその少年はそこにいた。
彼は、織斑一夏は一人ぼっちでガタガタと震えていた。
「なんだよ……あれ……?」
一夏の知らない誰かが『織斑一夏』を名乗っていた。
全くの別人。それなのに、その黒髪ツンツン頭の少年は当たり前のように皆の輪の中にいて楽しそうに話していた。
一夏が何度叫んでも声が届いた様子もない。誰もその違和感に気付いていなかった。
「誰なんだよ、あれは!」
「『主人公』という奴かな」
突然一夏の耳に少女の声が聞こえた。
今まで誰にも存在を気づいてもらえず、話しかけても誰も反応してくれなかった一夏に声をかける存在がいた。
唐突に現れたその少女は眼帯に黒いとんがり帽子を被り、露出の多すぎる服にマントを羽織り、手には金色の槍のような物を握っている。
まるで物語に出てくる魔女のような姿。街中で見かけるには明らかに怪しい恰好だが、一夏は何故か目の前の少女に恐怖心を覚える。
「……誰、だ?」
「魔神オティヌス」
魔神を名乗る少女。だが魔術を知らない一夏にはその意味を、その言葉の重要性を理解できない。
「これは、何だ」
「『織斑一夏』の日常というやつだろう?」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
一夏が激昂するも魔神を名乗る女は気にもとめない。
何が起きているのかはわからないが、状況から考えてこの人物は何か知っているようだ。
「これは、あんたの仕業なのか」
「そうだが?」
一夏の問いにオティヌスはあっさりと肯定した。
「なん、で……何でこんなことをするんだ!」
「人探し。というより、ただの確認作業だよ」
「はっ?」
まるで自嘲するかのように薄く笑うオティヌス。
あまりに予想外の言葉に一夏は一瞬呆けてしまう。
「これは起こりえた可能性の世界だよ」
「可能性の世界?」
「そう。結局の所あいつらにとっては誰でもいいのさ」
「……何を言ってるんだ?」
このとき、一夏はオティヌスの言葉に僅かな違和感を覚えた。
会話をしているはずなのに、その無機質な瞳は一夏の存在を映していないかのような、まるで頭の中の台本を読み上げている様に淡々とした口調。何故かそんなイメージが浮かんだ。
「彼女たちがお前の傍に集まる理由。ようは助けてもらったことが信頼に繋がっているんだろう?ならば助けてくれる『ヒーロー』であるならば、別にお前である必要性はないだろう」
「何を……言ってるんだ……?」
一夏はその言葉の意味が理解できないし、したくもなかった。
「そして結局の所、お前が彼女たちの中心にいるのはIS学園で唯一の男だったからだろう。いや、正確に言うなら織斑千冬の弟だからか」
「だから何を言っているんだ!?俺があいつらの友達になれた事と千冬姉は関係ないだろう!」
「本当にそうか?織斑千冬の弟でなければお前はISを動かすことは出来なかった。IS学園に入ることもなかっただろうし、お仲間たちに出会う事だってなかったんじゃないのか?」
一夏は僅かに口ごもる。自分が何故ISを操れるのかは未だにわからない。もしかしたら最強の操縦者である姉の血を継いでいるから動かせた可能性は確かにあった。その可能性を一夏は考えたことがないわけじゃなかった。
「……たとえ、たとえそうだとしても。千冬姉の弟は俺だけだしIS学園に入学したのもあいつらの仲間になったのも俺自身だ!他の誰かじゃない。そんなもしもの可能性なんて考えても無意味だ!」
「本当にそうか?あの少年を皆が『織斑一夏』と呼んでいた。あれ自身も自分が『織斑一夏』であると信じて疑っていなかった」
なら、とオティヌスは続ける。
「ここで惨めに俯いているお前は一体誰なんだ?」
「っっ!」
一夏の精神の根幹が揺れている気がした。
「こんなぐじぐじした野郎が、本当に皆の知っている織斑一夏なのか?」
自分は一体誰なのか?そんなことは、本来考えるまでもないはずだ。
「……おれ、は。俺は織斑一夏だ!そのはずだ!それ以外の何があり得るっていうんだ!」
「織斑千冬の弟にして男で唯一IS学園に入学したハーレム男。そんな男に憧れたその辺にいるつまらない一般人」
「なっ!?」
「人間の心理として英雄や物語の主人公に自分を重ね合わせるのは珍しい事じゃない。人の妄想力とは中々に面白いものでいつのまにか自分をその人物だと思い込んでしまうこともある」
そんな馬鹿なと、普段なら失笑するような話。だが何故かそう断言することができない。
「心当たりがあるんじゃないか?そもそもお前が第三次世界大戦でフィアンマや大天使を食い止めたという記憶。あれは本当に織斑一夏のものか?」
認識が揺れる。呼吸が乱れる。
「名前を教えてくれよ。お前は誰なんだ?」
その言葉に、何故か答えを返すことができない。
「わからないなら。次に聞く時まで考えておけ」
一夏の視界が再び真っ黒に染まる。
次の地獄がやってきた。
神父服を着た赤髪の男に摂氏3000度の炎で焼き尽くされた。
長い髪に片方の裾を根元までぶった切ったジーンズをはいた切り裂き魔に切り刻まれた。
オールバック髪の男に灼熱の黄金を浴びせられた。
白髪赤眼の最強の怪物に全身をぐちゃぐちゃになるほど破壊された。
ゲームに出てくるような巨大なゴーレムに上から押し潰された。
250人のシスターさんによる数の暴力に飲み込まれた。
氷の海軍艦隊に襲撃され海に沈められた。
かつて一人の少年が歩んできた道筋が、一夏の脅威となって襲い掛かった。