「……イノセンス発動。“聖母の抱擁”」
身体を粒子化する。なるべく細かく。薄く。空気に溶け込むように。
ボクは誰にも見えない姿で教団内に体を巡らせ、聞き耳を立てた。
詐欺師時代で一番役に立ったのは、間違いなくこのイノセンスを使った情報収集だ。
誰にも見えず、鍵のついた扉もボクの前では無力である。どんな内緒話も、ボクの手にかかれば内緒じゃなくなる。
教団で使うのは二回目だ。教団へ一番最初に来たとき、身の安全を確認するのに使ったきり。
……アレンについての噂は、出所が不可解だ。
だって、ボクならまだしも、負傷して帰還してからは休暇状態のアレンは、イノセンス発動状態を数えるほどの人にしか見せていないはずだ。
そして伯爵の剣なんてもの、実際に見た人間はもっと少ないはず。もしかしたら実際に見たのは教団内でもボクらだけかもしれない。
アレンのイノセンスと伯爵の剣。これの類似性を指摘できる人間は、とても限られているのだ。
誰か……たとえばバク支部長あたりが、ぽろっと零したのが広まったとか、そういうことならあるかもしれない。あのヒトなんかウッカリしているし。
でも……そうだとしても、噂の広まり方が尋常じゃあない。アレンと接点のない警備のヒトまで、やけに確信ある口調で話している。これって異常なことだ。
アレンを中心に何かが動いてる。
アレンを何かに利用しようとしている。
そしてクロス元帥は、それに気づいているけれど、今は中央庁の監視があって動けない。
ボクはあれを、クロス元帥の警告だと解釈をした。
どうしてボクに?
それは、ボクのイノセンスが「こういうことを出来るイノセンス」で、「ボクがそういう使い方をするエクソシスト」だからだ。
どこかで聞いた話を思い出す。
国に入り込んだ別の国のスパイが、王妃の悪い噂を流す。
“男にだらしなくて散財癖。
宮殿暮らしに飽きて、民が苦しむ様子を見たくて、王を操り税を重くした。
食うにも困る民の嘆願には、『パンが無いならお菓子を食べればいいじゃない』なんて言った。”
内乱の果てに愚かな王と悪女の王妃は処刑され、国力は低下。スパイを送り込んだ敵国はほくそ笑む―――――。
コムイさんには、いま中央庁の人が入れ替わり立ち代わり張り付いてて、ボクも迂闊なことはできない。
なにか証拠がないと。
きっと噂の出所は、バク支部長レベルの権力のひと。中央庁は違う気がする。
だってコムイさんが、エクソシストを不利に追い込む資料を進んで見せるとは思えない。箱舟帰還から中央庁がやってくるまでの時間の開き方からして、中央庁はこの件に関しては後手に回っている。中央庁が全容を把握する前に、この噂は流れ出していたはずだ。
朝陽が昇る。
当のアレンはケロリとしていて、自分の予想が当たって腹が立つ。いや、いわば台風の目だから、むしろ気にならないのかもしれない。
……なんでボク、アレンの為にここまでしてるんだろう?
ロードの夢の中で見た記憶のヒトと似ていたから?
アジア支部で助けられたから?
……違う気がする。
あーっもう!
そもそも前提が間違ってる! これはアレンのためってわけじゃあない。ボクの立場を模索するために必要なこと。
徹夜で頭がおかしくなってる。これは無意味な追求だ。ボクの中に明確な意味は無い……いや、分かったところで、何の意味も無い。
ボクの勘は「そうすべきだ」と言っている。なら、それに従うのが生きる道につながる。
ボクにアレンのような指針はない。
ボクが「道だ」と思ったところが道なのだ。
情報が漏れるとしたら本部科学班。もしくは、科学班の資料を読んだであろう支部長たち。
話を広めるとしたら、科学班は多忙すぎる。中央庁の横やりで混乱した今、やるならもっと前にチャンスはあったはず。話に聴くコムリン事件とか。
だから、これはこの混乱に乗じてやってきた外部からの攪乱。
ボクは支部長たちの足跡を追って、粒子たちの矛先を科学班ラボに向け――――そして。
地下水道のゴンドラで、野太い悲鳴が上がる。
オセアニア支部長アンドリュー・ナンセンの冷たい死骸が見つかった。
そして……ボクの粒子は、“ここに居てはならないもの”の、においを嗅ぎつけたのだ。
自分の頭をまず疑った。
―――――なんで、ノアが……!
いやなにおいがする。
ラボの入口は、闇より黒い『何か』で塞がれている。『何か』から漂うのは、嗅ぎ慣れた死臭とオイルのにおい。……アクマの臭気。
蟲が湧くように、アクマが噴き出す。
オセアニア支部長に成りすましたノアの女。
鞭のような腕を振るい、目の前にたまたま立っただけの科学班のジョニー・ギルを刺し貫いたその女は、まるで舞台上の女優のように腰を曲げ、血に濡れた『腕』からジョニーを振り落とし、ネクタイを緩めながら優雅にラボの階段を降りた。
「私は変身能力を持つ“色”のノア。ルル・ベル……お前たちとはすぐにサヨナラなんだけれど、挨拶はきちんとしなさいと、
「に―――――ッッッッげろぉぉぉぉぉおおおおおっ!!!!!」
ボクの声に押されるように、ラボ内のヒトたちがルル・ベルのいる入口から逆の方向へ走り出す。
転げるように走るバク支部長が、すれ違いざまにボクの名前を読んだ。
「奥に逃げて。時間を稼ぐよ」
「わかった……っ! 死ぬな! 」
返事をする暇はない。
ここに潜り込めたイノセンスは70%。あとの30%は、ラボ外で途切れたぶんと、教団内に拡散させていたぶんだ。
7割の細胞で、いったいどこまでできるだろう。
(……くそ、こんなことなら)
悔やんでも仕方がない。
やるしかない。
ここにエクソシストは一人。いや、ひとりに満たない七割ぶんだけのボクだけ。
やるしか―――――。
「“
「……なんだ? この黒い霧は」
ルル・ベルが怪訝につぶやく。
「
空を漂うボクに、ルル・ベルが煩わしそうに右腕を振る。ボクは笑みを空に残して霧散し、くるくると回った。
「……レベル2には、もう体がおかしい奴もいるんじゃアなァい? レベル3ばっかなのがめんどくさいけど……でも一緒だよネエ! どうせ死ぬし! ギャハハハ無様だねェ! ボクを殺さないと、ウイルスは消えないよオ………! 」
「この……ッ! エクソシストォオ!!!!」
小蠅のように群れたレベル3とノアが一人。
そうだ。ぜんぶボクの方を向け。
「あっれェ? ザコの人間を狩ってる暇があるの? ウイルスはそうしてる間もドンドン、ド~ンドン進行しちゃうよ~う?
―――――全員でかかってこいよ。ブッ殺してやる」
パーティーをしよう。余興は幸運のお守り探し。ケーキの中の“あたり”はボクのイノセンス。
主役はボクだ。
アンタじゃあない。
「ここは教団本部! ボクはエクソシストジィジィ!!! 寄生型イノセンス“聖母の抱擁”の適合者!
あんたたちを殺す名前だ! 来世まで憶えとけッ!! 」