イノセンス。ボクを死なせないで。
エクソシストは絶賛人手不足である。
なんていったって、たった14人。世界で14人きりなのだ。
だから関節がガタガタいってるボクも、アレンの背中に揺られながら箱舟に乗るし、いきなりの
「もうイヤ。ボク帰りたい……」
「それはみんな同じですよ」
ハハハとアレンとラビが声を合わせて虚ろに笑う。
いつ何時、何が起こるか分からないうえ、絶賛タイムアタック中の箱舟ダンジョンの中なので、ボクは膝をギシギシさせながらも自分で歩いていた。
円陣を組んで、「絶対脱出! 」「えいおー!」なんてやって、ボクらはノアに与えられた『出口』の扉を開いて、そして……。
「ねえ、ボクなら邪魔にはならないと思うけど。アレンと違って」
「……なんだてめえ」
鋭い黒眼がボクを見下ろした。
「ボク、ジィジィ。初めまして神田ユウ先輩? ボク、粒子になる寄生型適合者だから、砂みたいに風に乗ってあなたを援護できるけど。もちろん斬撃も避けられるよ」
「いらねえ。失せろ」
「……そう」
その切れ味のいい返事は、彼の人柄を表しているのだろう。イノセンスと同じく磨き上げられた刃のような男だと思った。
さらに奇妙な双子のところでクロウリ―さんが離脱して、五人になったボクらは、長い長い回廊を上を目指して行く。
黒い空間に、ぷかぷかと階段が延々と続くその場所は、さながらアリスが落ちてったウサギ穴だ。
歩くのもつらそうなリナリーの手を引いて、アレンは心なしか嬉しそうだ。なんとなく面白くない。
「……ねえ~アレ~ン。ボクもおんぶ」
「きみ、飛べるでしょう」
「ジィジィくん、体つらいの? 大丈夫? 」
「リナリー、甘やかしちゃだめですよ。だって、ジィジィの実年れ――――むぐっ」
アレンの口にボクの可愛いこぶしを突っ込み、その華奢で白い指を奪ってニッコリとリナリーを見上げる。
「リナリー、次はボクにエスコートさせてほしいなァ」
「あっ! ずりぃぞ、ジィジィ! 」
「下心ミエミエですよ。ラビ」
雑談は自然と、『本部に帰ったら』という話題になった。
「俺寝る! クタクタだもん! 寝ますよそんなん! 誰か毛布かけといてさ! 」
「ボクも寝るかなぁ……起きたらご飯たべて、散歩して、また寝る」
「どんだけ寝るんですか」
「何時間でも寝れるね。若いもん」
「寝る子は育つっていうもんね」
「ダメだなリナリー。もっと色気あること言わんと恋人できねぇさ! 」
「ラビに関係ないでしょ!」
「か、関係はねえけどさ……ア、アレンは帰ったら何すんさ」
「食べますね」
「……そして寝る? 」
「寝ません! 1人でジェリーさんのすべてのレパートリーを網羅した満漢全席を制覇します! 」
「きもちわるっ! カロリーは全部イノセンスに行くくせに」
「思ってたんだけどさ、おまえら、なんかアジア支部から帰ってきてから、やたら仲良くなってねえ? 」
隻眼が、ボクとアレンを行き来してニヤリと曲がった。
「なんだよォ~おまえらぁ~何かあったのかよォ~」
「別に。貸し借りをし合っただけだよ」
「……まあ、そういう言い方もできますかね」
『貸し借り』をし合ったのは、命だけれども。
「『コンビ』ってかんじね」
「なんかナヨッとして、あんまり頼りになりそうにないけどな」
「ふん。どうだろうね」
「え? 」と、全員の視線がボクに集中した。
「べ、べつに……深い意味なんてないさ」
「なんで眼ェ泳いでるさ? 」
アレンが肩をすくめる。
「ま、確かにジィジィは、ゴキブリのようにしぶといですよね」
「ゴキブリはきみのイノセンスだろ」
言って、ボクは床を蹴った。
まあ、言い逃げだ。
「んな……っ!? あっ!飛んで逃げるのは卑怯ですよ! 待っ……待ちなさーいっ! 」
「待つわけないじゃん」
「ドワーッ! いきなし走り出すんじゃねーさ! 」
リナリーを肩に担ぎあげたラビの慌てた声が、とつぜん足場が浮いたリナリーの悲鳴染みた叫び声が、後ろから聴こえる。
チャオジーが堪えきれないように大笑いしながら追いかけて、すぐに息苦しそうにヒイヒィいった。
ボクらは馬鹿みたいに回廊を駆け抜けて、その、最後の……白い扉の前に、息を上げて辿り着いたのだった。
アレンが蝶の群れに飛び込んでいく。食人蝶の親玉は、あの黒くて背の高い泣き黒子の青年ノアだ。
みんな『天パのノア』って呼んでるけど、同じ天パとしてはアイツを『天パのノア』とは呼びたくない。だってあいつ、オシャレパーマじゃん。
「……だからボク、あんたを天パとは呼ばないよ? ねえお兄さん。ボクのこと忘れてなァい? 」
「……おっと。そうだったな。こういうチビもいたんだった~。忘れてたわ」
「そんな余裕こいちゃって……全身がイノセンスのボクには触れないでしょう? どうしたらボクから逃げられる―――――のっ! 」
粒子が急速に集束していく。アレンがすかさず、左手を振りかぶった。
真っ赤なスライムのようなボクのイノセンスに囲まれたノアは、にたりと厭らしく笑って、ボクに向かって白い手袋をかざした。
「……忘れてたけど、対策は万全だぜェ? お・ち・び・さ・ん」
「ジィジィッッ!!!後ろだ!!」
“眼”の部位が、かろうじて“それ”を捉えた。
それは真っ黒な深い穴。
どこまでも暗い奈落の色。
少女の声が耳朶に囁く。
「外から壊せないなら、内側から丁寧に丁寧に壊してあげるよお……きみのこころは、ドォんな色をしてるのかナア? 」
アレンはノアに言った。
「ノアと戦うのは悲しい」って。
彼らは人間の姿をしていて、ひどく人間くさいこころを持っている。
だから、どうしようもなく分かり合えなくて、戦わなくてはならないのは悲しいって。
ボクは、そう思うアレンのこころを理解できるけれど、ボク自身のこころは、違うと言っている。
ボクは、ボクのイノセンスは、アクマを壊せ、ノアを殺せと、手を叩いて彼らを嗤笑している。あの醜いものは、この世にいらないものだと主張する。
だから彼らを壊すとボクは気持ちがいい。ボク自身のこころは、彼らを壊すということに、躊躇いも憐憫も感じない。
だってこれは戦争だもの。そちらかが勝つまでやめられない、そういうデスゲーム。
ボクは生きたい。
聖母の抱擁は、ボクを守るためのイノセンス。
だからイノセンス。ボクを死なせないで。
ボクらはぜんぜん違うね。アレン。
一面を、市松模様の床が広がっている。毒々しい赤と黒。空は真っ黒なのに、どうしてか自分の体だけはよく見えた。そこは、どこか夢の中に似ている。
……いや、『ロード』は夢のノア。
だからこれは、そのもの“夢”なのだ。
「二人目のぉ~ごあ~んな~い」
かわいらしい声に振り向くと、優雅にカップを傾けるカカシみたいな『ロード』がいた。
「なんのつもり? ……ボク正直、きみとはキャラ被ってるから嫌なんだけど」
「キャハハ! まあそう言わずにィ……お茶でもいかが? どうせウサギはどこにもいないよぉ」
「……ウサギってラビのこと? なに? アリスごっこでもするの」
「そぉだよぉ。お茶うけにウミガメのスープでもいかがぁ? 具になるのはキミの過去。可哀想な孤児の、なァんにもない殺風景な昔ばなし。いつか悲劇に行き着く昔ばなし」
「……ひとの不幸がお茶うけってわけだ。悪趣味だけど、付き合ってあげる。……ヒィヒィ泣いても知らないから」
「ふふふ。“君のママ(イノセンス)”は、ここでは守ってくれないよぉ~」
「上等だ……」
“夢”がさらに深く落ちていく。
ボクの意識は、まるで眠るように黒く染まっていった。
大丈夫。なんにも怖くない。
だって、ボクは―――――。