八雲邸は純日本家屋で、軽く案内された感じ、広すぎず狭すぎない長屋という印象だった。とりあえず今日は、先程使用した畳の部屋で寛いでくれていい、とのことだ。遠慮も礼儀も持ち合わせていない人間なので、大の字で畳に寝っ転がって、シミひとつない天井を眺める。
「……これからどうなるんだろう」
落ち着いた途端、急に不安になってきた。先程の傷が痛む。この知らない土地で──魑魅魍魎跋扈するという幻想郷で。生きていけるのかと。大人しく帰るべきなんじゃないかと。
「──まあいいか」
まだ悩むときじゃない。紫さんの言っていたように、今はお試し期間だ。まだほとんど何も見てないのに、多少死にかけたくらいでめげてたまるか。そう思って、跳ね起きた。すると丁度、襖の向こうから声が聞こえた。
「失礼します」
すーっと襖が開くと、その向こうに金髪のお姉さんが正座していた。凛とした表情でこちらを見つめる、ショートカットの美人さんだ。
「紫様の式の八雲藍と申します。お食事の準備が出来ましたので、お呼びに上がりました」
「は、はあ。ご丁寧にどうも……名雲玲亞です」
「僕は別に畏まられるような立場でもないので、普通にしていただいて大丈夫ですよ。その方が楽ですし」
「そうか? ならそのようにしよう」
物のついでに、気になっていたことを一つ質問してみる。藍さんの背後で揺れる九本の立派な尻尾のことだ。
「もしかして、妖怪さんですか?」
「ああ、九尾の狐だ」
「わあ、マジですか」
見れば察しがつくものを、間抜けな質問をしたものである。というか、九尾の狐? 狐の尾の数だか大きさだかって力の大きさだとか生きた年月だとかを表して、それ即ち力の象徴では?
「藍さんってもしかして、大妖怪ですか?」
「只の式だよ」
そういって藍さんは、少し困ったように笑った。謙虚な姿勢すぎる。紫さんに対して、大妖怪を従えるとはあの人何者なんだ……? という畏敬と底知れなさの念が強まってきたが、空腹には勝てないので食卓まで案内して頂く。
「さっきぶりね」
「どうもどうも。何かめっちゃいい匂いがしますね」
「口に合うかはわからないがね」
「いやいや、絶対美味い奴じゃないですか」
鼻腔をくすぐるのは香ばしい焼き魚の匂い。川魚みたいだが、鮎とかだろうか。膳を見ればザ・和食といった様相で、ホカホカのご飯に味噌汁、脇に添えられた漬物がいい感じだ。席につく。
「それじゃ、頂きましょうか」
紫さんの号令に合わせて「いただきます」と三人手を合わせた。白身魚の身はホクホクで程よい塩味が効いてて食指が進むし、味噌汁の濃さは丁度よく僕好みだし、漬物はよく染みてるしでもうあっという間に食べきってしまった。
「ふう、ご馳走様でした──めちゃくちゃ美味しかったです!」
「お粗末様でした。そういってくれると嬉しいが、少々量が少なかったか? もう少し持ってこようか?」
「いえ、大丈夫です。少食なので! お腹空いてたのと美味しいのとで早かっただけです!」
「そうか。それならいいのだけれど」
「食べ終わったなら、少し話しましょうか?」
ごちそうさまでした、と一言付け足して、紫さんは手ぬぐいで口元を拭いた。
「貴方の能力について聞かせてもらってもいいかしら?」
「ええ、いいですよ。とはいっても、僕も全部を分かっているわけじゃないんですけど」
能力というのは例の、空間の裂け目を開く力だろう。遠い記憶を呼び起こしながら言葉を紡ぐ。
「瞬間移動とか空間移動とか、そういう能力だと思います。多分。少なくとも僕はそういう風に使ってきました。物心ついた時にはアレを開けるようになってて、嫌なこととか泣きたいこととかが会った時に、逃げたい!! って強く思ったら開いてるんです。そこを越えたら知らない場所とか行きたかった場所とかにいて、移動に便利だなって」
「認識が軽すぎるわね」
紫さんが苦笑する。
「その能力について、他に誰か知っている人は?」
「いえ、いませんよ。急に捕まって解剖されたり実験体にされたりとかは絶対嫌なので、頑なに隠してきてました」
「ふうん。それならいいのだけれど」
扇子で口元を隠して、紫さんはこちらを見つめた。見透かされているような気もするけど、まあ、何も言わない。
「貴方の能力、その程度のものじゃないわよ」
「え?」
「その程度の認識で済むものではないわよ。それを肝に銘じておいて」
「移動以外の使い道もある、ってことですか?」
「ええ。貴方の力は瞬間移動するだけのものではない。貴方が越えているのは空間ではなく、境界」