長谷川千雨は喫茶店に足を運ぶ   作:Mamama

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また遅れました。パソコンに向かう時間が中々取れないですね。

※サブタイトルを変更しました。内容に変更点はありません
※最終回臭が漂っていますが、最終回ではありません。今回は閑話的な話です

上記の注意点に留意し、本編をご覧ください


5話

 憎たらしいほどの晴天。高く感じる秋空には雲一つなく、上空に視線を合わせると綺麗なスカイブルーが広がっている。それは今の私の心情はまるで逆で、そんなことですら神経を逆なでする。

 

人通りの多い大通り。俯きながら、人を縫うようにして私は速足で歩く。

目的地なんてものはない。強いて言うなら目的地がないというのがこのあてのない強歩の目的だ。

ただ只管歩く。なにかから逃げるように。――――いや、実際逃げているのだ。

ただそれは逃げられるものではなく、結局のところ私のやっている行為なんて無駄そのものだろう。気分は三蔵法師の手のひらで踊る孫悟空。 

 

ただ無駄だというのに足は止められない。足を動かすことで強引に頭の働きを阻害させる。疲れ切ってしまえば、頭を動かす余裕なんてなくなる。そうすれば、少しの間麻帆良学園という地獄から逃れることができる。

 

原因はなんだったのだろうか。

古菲が他の部活動生をメートル単位で吹っ飛ばしたとか。

神楽坂が電車と普通に並走していたとか。

長瀬や龍宮みたいなお前明らかに年齢ごまかしてるだろ、と言いたくなるような連中がいたりとか。

人間どころかロボットが普通に学校に通っているとか。

・・・ああ、これ全部うちのクラスじゃねえかよ。

 

要するにそうした小さなストレスの積み重ねなんだろう。

少しずつ風船に息を吹き込むようにストレスが蓄積されていき、最後にはちょっとした衝撃で弾ける。今の私の状況がこれだ。

 

どこかに逃げたい。ならばどこへ逃げる?

そう、どこにも逃げることなんてできやしない。

 

だからこそ、こんなアテもなく馬鹿みたいに彷徨っているんだろう。

どこで間違えたんだろう、なんて問いは今更過ぎてなんの役にも立たないし、逃れる手段があったとしてもそれを実行する手段はない。私はなんの力もない女子中学生なんだから。

 

「馬鹿じゃねえのかよ、私・・・」

 

 正しく馬鹿そのものだ。間違っているのは世界か私か。そんなもの天秤にかける架けるまでもなく分かっていたはずなのに、その自信、私こそが善良な一般人であるという自負が揺らいでしまってきている。

 

「ああクソ、誰でもいいから助けろよ・・・」

 

 当然ながら白馬の王子様なんてものは登場しない。あるのは残酷極まりない現実だけで、私にとっての希望なんてものは存在しない。

 

疲れてしまった。精神的にも肉体的にも。もういっそ屋上から飛び降りて死んでやろうか、なんていう危険な思考が飛び出るようになってきたんだから、もう末期症状だろう。だが私にはそんなことをする勇気もなく、できたのはレンガの敷き詰められた地面で地団駄を踏むくらいだった。

 

どうにもならない感情を持て余す。今すぐにでもこの場で叫んでしまいそうだった。心を落ち着ける時間が欲しい。欲を言えばファーストフード店のような喋り声が響くような店ではなく、図書館のような静かな場所が良い。

 

しかし今日は日曜日。どこもかしこも客で賑わっているだろう。そんな都合の良い店なんてないだろう、と駄目元で辺りを散策すると、一つの店を見つけた。

 

小さな白壁の喫茶店。コルクボードには店の名前と今日のオススメが書かれているだけだった。外観は中々おしゃれだと思う。しかしそこを通る通行人はその喫茶店が見えていないかのように通り過ぎていく。まるでそこだけが周りの世界から切り離され、取り残されたようだった。

その様子はまるで今の私のようで、誘われるようにして私はフラフラとした足取りで古めかしい店の押戸の把手を掴んでいた。

 

ぎいい、という軋む音。からんからんというカウベルが来訪者を告げる音。

そんな音を聞き、私はその喫茶店に招き入れられていた。

外観からも想像できてはいたが、こじんまりとした店だ。しかしそんな狭い店内が自分の部屋のように思えてしまって、どこか懐かしさを感じさせる。店内には誰も座っていないのに何故か淋しいという感想は浮かんでこなかった。

 

 

そんな風に私が寸評をしているとダイニングキッチンのようになっているキッチンの奥から銀縁メガネを掛けた男が出てきた、男というよりも青年と称した方がいいかもしれない。童顔であることを差し引いても、年齢は20代だろう。猫のアップリケが刺繍されたエプロンは可愛いが、少し不似合いだ。

 

「おや、おはようござーー失礼。いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

 

意外と声は渋い。深みのある声と言えばいいのか、若いのに齢を重ねたような落ち着きを感じさせる声。私はその男の言葉に従い、入口から一番近いカウンター席に腰を下ろす。

 

「・・・ホットコーヒーで」

 

 置かれたメニュー表を見る気力もなく、呟くようにして私は注文を伝えた。肌寒い体が暖まればそれでいい。喫茶店なんだからコーヒーくらい置いてるだろう、そんな安直な考えだった。しかし男は少し困ったような表情で、お客様、と私に声をかける。

 

「どちらのコーヒーになさいますか?」

 

 そんな言葉と共にメニュー表ひっくり返される。裏には語末にコーヒーと書かれたメニューが軽く10以上は書かれていた。

・・・ここ、コーヒーの専門店じゃなくて喫茶店だよな?

インスタントコーヒーをたまに飲む程度の私がコーヒーの知識を持ち合わせているはずがない。いくつかは缶コーヒーの銘柄で知っているが、その程度だ。

 

「・・・じゃあ、オススメのコーヒーを一つお願いします」

 

 メニュー表と睨めっこしても答えなんて出るはずもないため、丸投げする。男は何故か嬉しそうな表情を浮かべ、少々お待ちください、と言って厨房へ引っ込んでいった。男が私の前に帰ってきたのは僅か数分後。コーヒーなんて直ぐに出来るもの、というイメージはあったが、些か早すぎる――と思っていたら、持っていたのはコーヒーカップではなく古めかしいデザインのポットだった。コーヒーは私の目の前で作るらしい。

 

コーヒーを作るということは電子ポットのお湯とコーヒ粉を混ぜてできあがり、なんて簡単なものではない。そんなことは分かってはいたが、こうやって本職の技を間近で見ると、随分と無駄なことをしているな、という感想を抱いた。手を翳すようにしてお湯の温度を測ったり、2回に分けてお湯を入れたり、コーヒーの量を横目で一々確認したり。ただ動作の1つ1つにはキレがあり、そこだけは凄いと思った。動きそのものは地味なのに、どこか引き込まれるような芸術性を感じた。

 

「――お待たせいたしました」

 

 ぼけっと観察していると、いつの間にかコーヒーが出来上がっていた。流れるような動作でコーヒーカップが置かれ、その音で我に返った。

コーヒーカップ内の黒々とした液体から、何かの香りがする。もちろんそれはコーヒーの香りなんだろうけど、インスタントコーヒーからは感じ取ったことのない香りだ。それをどういう香りか表現するのは難しい。ただ今まで飲んだコーヒーとはまったく違う強い香りだ。

 

湯気の立ち上るコーヒーを一口だけ口に含んでみる。そのコーヒーはブラックなのに不思議と甘く、何故か涙が溢れてきそうになった。

 

スピーカーから流れているジャズクラシックのBGMは背景に溶け込んでいる。

音すらも古めかしい内装の一部で、内装のピースは完成したジグゾーパズルのように一寸の隙もなく組み合わさっている。しかしそれでもこの店内には完璧なんていうコンピューター染みた冷徹さはなく、人の感情が介入する余地のある、言うならば不完全である完全という矛盾を孕んだ人間臭い側面も持ち合わせていた。

 

心が安らぐ。雰囲気に酔うとでもいうのか、実家でのんびりしているのと同じ感覚。

男は黙ってグラスを磨いている。ただそれが寡黙な父親に暖かく見守られているようだった。

 

会話はない。無言のまま時間だけが過ぎていく。

ぶちまけたいことはいくらでもあるけど、初対面の相手に言えることでもない。

だから私はご馳走様、と一言残し、会計時に言われた500円玉を置いて外に出た。

 

本当に、ただそれだけの話。

私が古ぼけた喫茶店に足を運び、一杯のコーヒーを飲んだ。

そんな日常の一幕から始まった、日常の一幕を描く物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私がこの喫茶店に通うようになって半年が過ぎた。その中で1つ思ったことがある。

 

時々、この喫茶店は悩みのない人間には見つけることができないのではないか、と思うときがあるのだ。思う、というよりはそれは確信に近い。

 

この喫茶店に訪れるのは、大抵が苦悩を抱えた人達ばかりだ。しかもその苦悩は軽いものなどではなく、妻と喧嘩して離婚の危機とか、リストラされたとか、これからどうやって生きていけばいいのかわからないとか、そういった重いものばかりだ。中にはこの人は自殺してしまうんじゃないか、と思わずにはいられないような人もいたりする。そういった客も邪険に扱ったりせず、きちんと対応するマスターには一種のプロ意識を感じる。

 

人間というのは大雑把でもあり、繊細でもあると思う。

普段は気にも留めないちょっとした違和感。せかせかと生きている間は気が付かないけれど、どうしようもなくなって立ち止まってみると、気づくものがある。そうやって迷い人が誘われるようにしてこの喫茶店にやってきて、ヤケクソのように愚痴をぶちまけていく。そしてマスターは苦笑しながらそれを聞き、さりげなく助言じみた言葉を投げかける。私もそんな道を通った一人だ。

 

「でもワタシにできるのは結局それだけなんですよね」

 

 マスターはそう言った。

 

「ワタシは特別頭がいいわけでもありません。魔法や超能力や気みたいな特別な力なんて持っていません。長く生きているわけでも、なにか特別な経験をしたわけでもありません。ちょっとコーヒーに自信があるだけの喫茶店のマスターですよ」

 

 愚痴や悩みを聞くだけ、と自分を卑下するように。

 

 それはまぎれもない事実。麻帆良にいくらでも転がっている異常者と比べるとマスターなど没個性だろう。どうあがいたって物語の主人公にはなれそうにない。ちょっとした脇役程度が精一杯、そんな人だ。けれど、そんな人に私が救われたというのもまた事実。

人間なんて単純なもので、なんの気なしに投げかけられた言葉一つで救われるようなことなんていくらでもある。

 

「ははは、ちょっとした脇役ですか。それも悪くないですね。そのあたりが妥当でしょう」

 

 思考が漏れ出し、うっかり口を滑らせて失礼な事を言ってしまった。マスターの方は軽く流してくれたけれど、私はすいませんと謝る。最近は少しばかり気が緩んでいる。

 

「いえいえ、脇役という役割を与えられただけありがたいものですよ。脇役というのも物語の上では外せない存在ですから。・・・そうですね、ちょっと待ってください」

 

 マスターはふと思いついたようにそう言って、喫茶店の壁際に置かれている本棚から一冊の漫画を持ってくる。表紙がボロボロでセロハンテープで補整されている、随分と古い漫画。サブカルチャーには一家言ある私も知らない漫画だ。渡されたそれをパラパラと眺めてみる。内容はファンタジーもの。主人公の少年は魔法使いで、仲間と共に冒険をしていく、そんなありふれたものだ。

 

「漫画というのは一つの世界です。この漫画の中には一つの確固とした世界が成立しています・・・まあ、そういう仮定だと思ってください。ワタシ達が見る分には彼らは紙という二次元に描かれた絵に過ぎませんけれどね」

 

 なにやら哲学っぽいことを言い出す。本人は学がないなんて嘯いているけど、マスターのこういった思考の柔軟さは素直に羨ましい。

 

「そうやって考えてみると・・・例えばこの少年達は旅をしていますけど、食事や寝る場所はどうしていると思いますか?」

 

「それは・・・食堂とか、宿屋を使っていると思いますけど」

 

「ええ、そうです。彼らも人間ですから、そういった場所を使わなければいけません。でも漫画のページ数には限りがありますから、そういった部分は大体カットされます。ですが人間の性格や人格を形作っているのはそうしたなにげない人との触れ合いであったり日常生活なんですよね」

 

 物語の主人公である少年は才能に溢れており、勝気な性格だった。けれど初めから強い者なんて存在しない。この漫画には描写されていないけれど、多くの出会いや別れ経験があり、この少年というものを形作ったのだろう。

 

ヘラクレイトスの『万物は流転する』という言葉を思いだした。

すべては相互回帰的に循環しながら、流動している。ヘラクレイトスは世界とは諸々のものがせめぎあいつつ、その動的なプロセスのなかから調和したものや一なるものが生成される、と主張したそうだ。

 

漫画の住人は私達と同じように生活を営んでいるという仮定。なるほど、面白い。綾瀬が好きそうな話題だ。

 

「もしかしたら、ワタシ達の住んでいるこの世界も漫画の中なのかもしれませんね」

 

 マスターの言葉は冗談半分なんだろうけど、私はちょっと納得してしまった。

 

「だったらうちの担任が主人公かもしれませんね」

 

 思い起こすのは赤毛の子供教師。初めて見た時は冗談抜きで空いた口が塞がらなかった。今でもこれは悪い夢なんじゃないか、と思うときがある。

 

「前に聞いた10歳の子ですか?ああ、確かにあり得そうですね」

 

 マスターも私の言葉に同意する。これが例えば大学とかであれば学生よりも年齢の低い教員というのは可能性としてある話だが、多感な年頃の女子中学にそんなものを放り込むという異常。どう考えてみても訳有りだと分かる。不透明なバックボーンもそれに一役買っていて怪しいことこの上ない。というかあの子供教師は怪しいという概念を体現した存在だろう。

 

10歳にして大学卒業レベルの知能を持つ外国人教師。

将来イケメン間違いなしの整った顔立ち。

なんか杖っぽいの持ってるし、よく手品っぽいなにかをやってる。

 

こうやって箇条書きに整理してみると、その異常さがさらに際立つ。しかもそんな異常を快く受け入れるクラスメイト達。いやお前らちょっとは反発してくれよ、初期の神楽坂の反応が一番まともだったぞ。

 

この世界は漫画の中の世界かもしれない。それは誰もが『ありえない』と一笑に付すような荒唐無稽な話のはずだが、謎のリアリティがそんな言葉を侵食していく。

冗談じゃねえぞ、と悄然とする私に気づかず、マスターが続ける。

 

「もしそうなら、ワタシの喫茶店は多分漫画では描写されていないでしょうね。なんの変哲もないただの喫茶店なんですから」

 

 少しだけ、寂しそうに。マスターの言葉に反論したかったが、言葉は出てこなかった。それは確かにそうかもしれない、と認めてしまう自分もいるのだ。美味しいコーヒーが飲める、懐かしい雰囲気のする喫茶店。ひっそりと営業している喫茶店の中でコーヒーを飲みながらのんびりと会話をする、ただそれだけの場所。

 

きっとそんなシーンを漫画で描いたとしても、楽しいものではないんだろう。けれど私にとってこの場所はかけがえのない場所で。

人を形作るのはなにげない人との触れ合いであったり日常生活。そうマスターが語ったように、今の長谷川千雨という人間を形作っているのはこの喫茶店だ。

静謐な空間、懐かしい匂い、コーヒーの苦味、苦笑するマスター。

 

切っ掛けはほんの小さなもの。ドラマであるような衝撃な出会いも展開もなかったし、これからもそんなものはないだろう。世界中に溢れていそうな、小さな出会い。

 

でも一つくらいはそんな物語があってもいいんじゃないか、とも思う。

喫茶店の中でコーヒーを飲みながら、愚痴をぶちまけたり、どうでもいい雑談に興じたり。そんな日常生活を描いた物語。需要があるかと聞かれると返答に困るけれど、それだって多くの人が体験するであろう人生の1ページなのだから。

 

何気ない日常をだらだらと綴っていく。少しずつ前に進んで、時には立ち止まり、後ろを振り返って。泣いて、笑って、怒って、はしゃいで。普段の日常を描いたありふれたストーリー。きっとそれは当たり前すぎてつまらないけれど、だからこそ共感を得ることができるのではないだろうか。

 

どんな物語にもタイトル名が必要だ。

特に私がこれからも綴っていくであろう物語は地味極まりないから、目を引き、かつ端的で分かりやすい、そんな高度なものが求められる。

少しの間思考に耽り、一つ思いついた。

『長谷川千雨は喫茶店に足を運ぶ』なんていうのはどうだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『変わらないものなんてない』。そんな言葉をどこかで聞いたけれど、変わらないものだってある。それは例えば芸術作品であったり、映画であったり、昔の思い出だったり。そういったものは変わらないものだと私は思う。

 

そして変わらないものがあるように、いくらでも変わっていくものがある。それは自分自身だ。

きっと自分自身はいくらだって変わっていくことができるのだから、全てのものが変わっていくように見えるのだろう。だから『変わらないものなんてない』という言葉も完全に間違いというわけではない。

 

私とマスターが出会って半年間。

それぐらいの時間があれば、変わるには十分すぎる。

男子三日会わざれば刮目して見よ 、なんて言葉があるが人間が変わるのにそんな長い時間は必要ない。

必要な時間は・・・そう。

きっと、一杯のコーヒーを飲み干す時間だけで充分だ。

 




最終回ではありませんが、最終回を意識して書いた話です。ちょっと実験的な試み。

この作品、すぐに終わるかと思いきや、書いてるとガンガン字数が伸びていきます。
あと数話で終わるとか書きましたけど、終わらないかもしれません。ただ最終回をどんな感じにするかは大体決まっているので、未完結ということはないと思うのでその点ご安心を。

サイモン&ガーファンクルの『栄光への架け橋』をテーマに書きたい話があったんですけど、利用規約を見るとそれも無理そうですね。筆者にとって思い出深い曲で、最終話にも使いたかったんですが、ちょっと残念です。

感想、意見お待ちしています。

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