長谷川千雨は喫茶店に足を運ぶ   作:Mamama

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プロローグ

「ところで長谷川さん、エピローグってどう思います?」

 

 マスターがそんな話題を投げかけたのはいつの頃だったのか忘れてしまったけど、その時の会話は不思議と心の中に残っている。なにげない会話の断面を切り取って頭の中に貼り付けたように。

 

「エピローグ、ですか?どう思うって言われても困るんですけど・・・」

 

 いきなりエピローグをどう思うかなんて言われても反応に困る。エピローグとはエピローグでしかないというのが私の考えで、おそらく大多数の人も同じような反応だと思う。唐突にそんな哲学染みた話題を投げかけてくるのは大分慣れたけれど、未だにマスターの思考回路の全貌は明らかになっていない。

 

けれど、そんな風に気兼ねなく私に話題を振ってくれることが私を身近に感じてくれているようで、単純だと自分でも思いながら嬉しかった。

 

「『どう思うかと言われても困る』。まあそれが普通の反応ですよね。けれどワタシはエピローグという言葉があまり好きではないんですよ。いや、好きではないというかしっくりこないというのが正確ですかね」

 

 ふむ、と腕を組んで唸るマスター。

 

「はあ、それはまたなんでですか?」

 

 エピローグ、という言葉のどこに問題があってしっくりきていないのか、とんと見当もつかない。

 

「そうですね、どういう風に言えばいいのか・・・。まずはエピローグとはどういうものか知っていますか?」

 

 さすがにエピローグの意味くらいは私も知っている。本とか漫画を読んでいると頻繁に目にかかる単語だ。実はマスターがこういった誰でも分かるような単語の意味を尋ねるということは以前にもあった。その時は馬鹿にされているのかと思ったけれど、ディベートや討論の際には誰もが知っているような言葉でも定義づけというものが大事らしい。線引きを曖昧にしてしまうと、話し手との間に齟齬が生じてしまうのだとか。

 

「物語の結末、小説とか漫画の結びの部分ですよね」

 

「そうですね、それであっていると思います。けれどワタシはふとこう思ったんですよ。そもそも『物語の結末』とはなんなのでしょうか?」

 

 言いながら、壁に寄り添うように置かれている本棚から一冊の漫画を取り出す。それは以前、マスターが私に見せた漫画だった。その漫画の最終巻。差し出されたそれを受け取りページを捲る。最後は王道ファンタジーものらしく『魔法使いは悪者を倒し、姫と仲睦まじく暮らしました、めでたしめでたし』、そんなありふれたハッピーエンド。

 

「魔法使いが悪者を倒してハッピーエンド。それはそれで素晴らしい終わり方だと思いますが、これは物語の終わりなどではなく、むしろ始まりではないだろうか、そうワタシは思ったんですよ」

 

 悪者を倒し世界を救った魔法使いの少年はエピローグでは立派な青年へと成長し、世界中を飛び回っている。多才ながらも充実した生活を送っているのだろう、と笑顔を浮かべている様子から想像できる。

 

「この漫画は終わってしまいましたけど、彼らの物語は最後まで、死ぬまで続いていきます。彼らの人生は未だ終わっていません。もしかしたら悪者を打倒する以上に困難な出来事が待ち受けているかもしれませんよね。だから私はエピローグという言葉に違和感を感じるんですよ。彼らの冒険はここからが始まり、プロローグであってもエピローグではないとね」

 

 ワタシのような考えは異端かもしれませんけどね、とマスターは苦笑した。

 

「ならマスターはどういう最終回なら良いと思うんですか?」

 

 水出しコーヒーに舌鼓を打ちながら、私は言った。

 

「そこに不満があるなら、満足のいく結末を自分で考えればいいじゃないですか」

 

「満足のいく結末ですか・・・」

 

 マスターはうーん、と首を捻り腕を組む。

 

「そうですね、例えば――――」

 

 それからのことは覚えていない。古ぼけたブラウン管がショートしてしまったかのように映像はそこでブツ切れだ。あの時マスターはなんといったのか、それは最早忘却の彼方に置かれてしまったけど、無理に思い出すことも改めて問いただすこともしなくていいだろう。大事なのは自分の頭で考え、そして自分の足で歩くこと。

 

小説や漫画の最終話。それがハッピーエンドでもバッドエンドで終わっても、その物語の中に生きる彼らの人生が終わるというわけではない。読者が最後のページまで熟読したとしても、それだけでは観測できない、語られない彼らの人生がある。

 

歩んだ人生を物語風に纏めるとしたら、きっとエピローグも起承転結もないのだろう。そんな風に区分けして語ることができるのは綺麗にまとまった物語の中だけだ。だからこれから私が語るのはエピローグでもなんでもない、これからも続いていく物語のほんの一幕。

それでもあえてサブタイトルをつけるとしたら、やはりプロローグが相応しい。

私の人生はきっとこれからが始まりだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 テレビドラマにありそうな劇的な変化なんていうもの、現実にそうそうあるものではない。泥沼の三角関係であったり莫大な借金であったり、そんなものは一介の女子中学生である私にとってはまったく縁のないものだ。だから続いていくのはちょっと非常識な連中達と一緒に過ごすただの日常。それだって日々を過ごすたび違う景色が広がり、私を退屈させることはない。

 

麻帆良学園が、クラスメイトの連中が非常識だとか、そんな風に心の中で罵倒していたけれど、彼らはまごうことなく『ただの人間』だということを知った。

悩みを抱え心を痛め能天気に笑って。結局私となにも変わらない、ただの女子中学生。

私が孤独にいた時だってクラスメイトの連中は私の手を引っ張ってくれようとしてくれた。それを払いのけたのは私で、結局そんな因果が自分に返っていただけだ。

非常識な連中であることは今更否定できやしないけど、今考えてみると捻くれ者の私に手を差し出してくれるなんて私よりよっぽど出来た人間だ。

心の中で文句を垂れているだけで事態が好転するはずがない。そんな当たり前のことは知っていたはずなのに。

 

時は金なりとはよく言ったもので、経過した時間を取り戻すことは今さらできない。過去とは過ぎ去った時間であり、過去を教訓に生かすことはできても過去そのものをなかったことにはできない。

中学校に入って2年近くも無駄にしてしまった、そういう考えもあるかもしれない。

けれどその過去がまったくの無駄であったなんて私は思わない。

だって、あの無為に見える時間があったからこそマスターと出会うことができたのだから。

それはまさしく奇跡の一端だ。

 

「奇跡とは、人間の力や自然法則を超えたできごとを指すそうです」

 

 正面の立つマスターが私の心を読んだようにマスターはそう切り出した。思わずマスターの顔をまじまじと見てしまうけれど、いつもと変わった様子はない。こんな話題を切りだしたのは偶然のようだ。

 

「では一体、奇跡とはどこからどこまでを指すと思いますか?」

 

「奇跡の範囲、ですか。日常生活で言ったら、宝くじが当たるとかですかね」

 

 想像力の貧困な私にはこういう俗っぽい奇跡しか思い浮かばない。

 

「ええ、それもまた奇跡の一つだと思います。けれどワタシはこう思います。私と貴方がこうして対面していることもすでに奇跡なのではないか、と」

 

 なぜか心臓が締め付けられる音がした。

 

「人生は選択の連続だ、と以前言いましたよね。その選択によって多くの平行世界、所謂パラレルワールドが生まれます」

 

 例えば道を右に曲がるか左に曲がるかそんな選択でも平行世界とやら出現するという。右に曲がるか左に曲がるかで発生する事象が異なるから、選択しなかった方はifの未来として分岐する。

 

「何千何百という選択ではありません。何億何兆という取捨選択の結果、今私達二人が向いあっている。これは奇跡ではありませんか?それこそ一等の宝くじが当たるよりも遥かに」

 

 今過ごしている日常は数えきれないほどの、それこそ那由多を超える奇跡が連続して存在している。これが奇跡でなくてなんなのだろうか。そう熱っぽくマスターは語った。

もし、私がこの喫茶店の訪れていないとしたらきっと今でも私は部屋に半分引き篭もるようにして一人でパソコンを弄っているんだろう。そんなifの私を想像して苦笑が零れる。

 

本当に、『この世界の私』は幸せだ。

なあ『別の世界の私』、アンタは今幸せか?

もし自分の事を不幸だとか、麻帆良の異常者共にはついていけないだとか、そんなことを考えているなら今すぐそんな考えは捨てた方がいい。

いつか誰かが助けてくれるなんて悲劇のヒロイン気取っても無駄だ。誰かが背中を押してくれたとしても最後は自分で考えて自分の足で歩かなきゃ意味なんてない。

幸せの青い鳥なんて其処ら中にいくらでも飛んでる。それを掴もうとするか見逃してそのまま腐っていくかは全部自分の責任なんだ。

 

麻帆良が異常だなんて、とうの昔に分かってるんだ。でもそれが学園生活を楽しまない理由になんてならないだろ?周りの連中全員まともな人間に見えなくて、自分一人だけが異端に感じて臆病になってるんだろうけど、それは違う。確かに非常識な連中だけど、話してみれば分かる。あいつ等だってただの人間なんだ。

少なくとも私は胸を張って言えるよ、周りは揃いも揃っておかしくて螺子が数本飛んでるやつらばっかりだけど、それでも一緒にいて楽しいって。

 

神楽坂とは一緒に勉強する仲になった。神楽坂は意外に英語が出来て、この前小テストで負けたのがショックだった。私は数学がそこそこできるのでそこで役割分担ができている。芋づる式に近衛とも喋るようになって時々勉強を教えてもらってる。

 

聡美との仲も良好だ。聡美は私生活がズボラだからあれこれ世話を焼いている。聡美は私の事を周りに喋ったのか、麻帆良大学に忘れ物を届けに行ったときに茶坊主、もといコーヒー坊主をする羽目になった。まあ喜んでもらったみたいだからいいけど。

 

聡美つながりで超とも話すようになった。中学生にして麻帆良随一の天才とか、雲の上の存在に思っていたけど、自分の事を火星人と称したり事あるごとにボケをかましたり中々面白い奴だ。超は私を突っ込み要員と見ている節があるが、分かってるなら少しは自重してくれ。

 

隣の席の綾瀬は、私が本を読んでいると向こうから話しかけてきた。私が読んでいたのはマスターから勧められた哲学書で、その著者がなんと亡くなった綾瀬の祖父だという。それからは本の話題で盛り上がったりする仲だ。ただ事あるごとに奇天烈なジュースを飲ませるのはやめてくれ。なんだよ超微炭酸ラストエリクサーって。 

 

そして驚いた事に絡繰と話すようにもなった。プラプラと歩いていた時、絡繰とマスターが揃って現れた時の私の驚きようといったら、失神寸前までいったと言っていい。マスターが猫好きなのは知っていたが、まさか絡繰まで同好の士だったとは。クラスでは文字通り機械染みた様子の絡繰だったが、ここでは子供達に物凄く好かれていた。猫と接する絡繰は感情が上手く表現できない幼子のようで、何故か微笑ましくなった。

 

私でも出来たんだ。大丈夫、『別の世界の私』にもきっと簡単にできるさ。

 

「そういえば眼鏡、外したんですね」

 

 無い方もよくお似合いですよ、とマスターは微笑む。不意打ち気味にそう言われて咄嗟の顔を伏せた私を誰が責められようか。クラスでは裸眼も随分慣れたつもりだけど、未だこの喫茶店では慣れない。

 

「まあ、なんというか・・・そう、決意表明みたいなものです。あれは伊達眼鏡でしたし」

 

 伊達眼鏡を外すことのなにが決意表明かと言われそうだけど、私にとっては大きな一歩だ。その後はマスターにその決意表明の内容を追及されるがなんとか躱していく。その内容と目の前のマスターが深く関わっているなんて言えるわけがない。いつか私の心の裡を吐露する時が来るかもしれないけれど、それは少なくとも今じゃない。

 

それでも、いつかきっと。

 

誤魔化すようにして水出しコーヒーを口を運ぶ。

――――うん、美味しい。

今のところはこれで十分かな。

 

 

 

 

「じゃあな、マスター。また来るよ」

 

 あれからほんの少しだけ私とマスターの距離は近くなった。小さいようで大きい変化。

 

ああ、やっぱりこれはプロローグだ。

本筋の展開に先だつ前置きの部分で、まだ物語の序の序。

 

「ええ、またのお越しをお待ちしています――――――千雨さん」

 




俺達の冒険はここからだエンド。
実際この話は打ち切りみたいなものですから。書こうと思えばまだまだ書けるんですが、風呂敷広げすぎて未完結でエタるというのが一番怖いので無理矢理感を出しつつも本編は完結という形になります。本編で触れたようにこの話は赤松ワールドのパラレルワールドみたいな感じで書いてます。こういう可能性もあったんじゃないかな、という筆者の妄想。

プロローグではあえて具体的な描写はしないようにしました。明日菜との会話後、マスターと千雨の間に何があったのか、そういった部分はカット。その部分は各々脳内で補完してください。一応マスターの名前とかも考えていますが最後まで出しませんでした。閑話を書くとしたら、名前の部分に触れるかもしれません。

需要がないだろうなと思いつつ書いてましたが、温かい応援を頂きなんとか完結まで持ってくることができました。感想をくれた方、お気に入り登録をしてくれた方、閲覧してくれた方々、本当にありがとうございました。

感想、意見お待ちしています。

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