「はー。こない時間かかるとは……一刀、頑張ってくれたんやなぁ」
静寂に包まれた夜の森。
小川の畔で夜空を見上げ呟く一人の女性が居た。
さらしを撒いた凛々しい袴姿。揺れる美しい菖蒲色の髪は、昔と違い髪留めが無く腰まで伸ばされている。
煌く星々の中、一際大きく輝く満月を瞳に映し、彼女は物思う。
「……せやけど、これで完成や」
呟きと同時に視線を地に戻した。
小川に沿って所狭しと並べられた蝋燭の数々。
無数の輝きが水面に揺れ瞬き、幻想的な雰囲気を醸し出している。
彼女は小さく頷き、近くの大きな木の根元に腰を下ろした。
懐から盃を二つ取り出し、地に置く。
茂みに置いておいた酒瓶を手に取り、両方になみなみと酒を注いだ。
盃を一つ持ち、再び夜空を見上げる。
「……宙天に輝く銀月の美しさに、乾杯」
呟くと同時に杯を仰ぐ。
少し奮発した黄酒。いつも呑んでいるお酒より、美味しいはずだった。
「なんやこれ、本当に同じ酒かいな」
同じ場所で、同じ雰囲気で過ごした彼との一夜を思う。
彼が注いでくれた酒はもっと美味しかったはずだ。
今呑んだ酒は、紛う事無くその時と同じ黄酒であった。
何が違うのか……解りきっている。彼が居ない、それだけだった。
「ッ!」
並べておいた料理皿から乱暴に埃除けの布を取る。
準備していた料理の数々。彼女は黙って食べ始めた。
「……おいしかったぁ」
用意していた酒と料理、全てを食べ終え彼女は呟いた。
「うん、おいしかった。でもなぁ……」
唇を噛み締める。目尻に涙を浮かべ、胸元のさらし握りしめる。
「満たされへんわぁ……どうしてこんなに寂しいん……?」
どんなに美味しい酒を飲んでも。
どんなに美味しい料理を食べても。
どんなに彼との時間を真似てみても。
彼女の心の隙間が埋まる事は無い。
その隙間を埋める事ができるのは、唯一彼だけなのだ。
心を攻め立てる寂寥。我慢していた涙が、堰を切って溢れてしまった。
「かずと…………かずとぉ…………」
拭っても拭っても溢れる涙。彼女は愛した彼の名を連呼する。
「なんで、なんでウチに何も言わずに消えるんや。そないウチは頼りないんか……」
未だ爛々とする満月を睨みながら、問い詰めるように声を出す。
「約束も……守らんで……」
彼女が彼と交わした、二人で羅馬へ旅に行く約束。
その約束は、陰鬱としていた彼女の胸を熱く高鳴らせた。
いつか叶う。そう想い奮起した安寧までの日々。
その後まもなく、戦乱の世は平定した。
しかし、彼は消えてしまった。約束は果たされなかったのだ。
「あほぉ…かずとのあほぉ……はやく……もどってこんかい……」
蝋燭は既に消えていた。
月明かりのみに照らされ、さめざめと涙を流す彼女。
彼女の祈りが天に届く事は、無い。
活動報告に色々と書かせて頂きました。
よろしければご覧下さい。